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2007.09.13
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カテゴリ: 日常生活
とある動画サイトで、NHKスペシャル 「硫黄島玉砕戦~生還者61年目の証言~」を見た。というのも、先日見た「硫黄島からの手紙」に影響を受けて、もっと詳しく硫黄島の戦いを知りたいと思ったからなんだけども。

昭和20年に硫黄島で20,000人の日本兵が亡くなり、1,000名の方が生還された。この作品は、その奇跡的に生き残った1,000人の中の数人のインタビューを元に、硫黄島の戦いの様子を詳しく解説したドキュメンタリーなのだ。

このドキュメンタリーを見て、やっと硫黄島の戦いの全容が見えた気がした。かの有名な栗林中将、バロン西中佐、市丸少将などの逸話は有名ではあるけど、そうではない本当の庶民の兵士の死闘の様子がはっきりと理解できた。
硫黄島から生還された人達は、当時のことをあまり話したがらないそうだ。というのも、その体験があまりにも凄惨だかららしい。
「昨日の事は忘れるんですけど、戦争当時のことは今でも鮮明に事細かに覚えています」と語られる生還者の方もある。61年経った今でも、その当時のことを話し出すと号泣される程。今でも悪夢を見たり、当時のことが頭から離れなかったりするそうで、爆撃の音が頭の中で鳴りやまずに、耳が遠くなってしまった方もいた。

色々なお話しをされていて、どれも大変ショックな内容ではあったのだけど、中でも特に印象的だったのが、
・栗林中将率いる本部の突撃が終ってからが地獄で、それから3ヵ月近くも、あちこちでゲリラ戦が行われていたこと。
・自決や万歳突撃、投降も厳禁されていたため、兵士達は負傷していても最後まで敵を倒すことを止めなかったこと。
・飢えと乾き、暑さに耐え抜いて戦っていたこと(地下壕は地熱のため、気温が40℃近くになっていたため)

・仲間が亡くなっても、悲しいという気持ちが起きなかったこと。
・ゲリラ戦のために、仲間の遺体2~3体の下にもぐり、戦車を待ち伏せして攻撃したりしていたこと。(死んでもまだ戦わなければならないのか?と思ったとのこと)
・食べるものが無くて炭を食べていたこと
・地下壕に生き埋めになり、仲間が自決するために使った手榴弾の爆風で穴が空いて助かったこと。
・最終的に助かったのは、意識が無い状態で地下壕から引っ張り出されたためだったこと(投降は禁止されていたから)
・部下達が死ぬ前にみんな「一杯の水を飲みたい」と言っていたので、61年間、毎朝晩、氷を入れた水を仏壇にお供えしていること。
・硫黄島には、未だに1万体以上の遺体(遺骨)が発掘されずに残されていること。
・自衛隊の航空機用の滑走路は、沢山の遺体の上に作られていること。


まさに生き地獄という状態で、大本営が「アメリカに取られても仕方がない」と諦めた硫黄島で、普通の市民兵士が命を落としていったのだった。そんなことがたった60年程前に起きていたとは全く信じられない。そして、未だに遺骨が収集されずに放置されているという事実にも耳を疑う。日本人は一体何をしているんだろうか?






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最終更新日  2007.09.14 00:18:53


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