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01.気球にのって02.クマ03.電話線04.津軽ツアー05.ふなまち唄PartII06.大いなる椎の木07.へこりぷたあ08.風太09.丘を越えて10.ふなまち唄PartI■小さな女の子がヘリコプターのことを“へこりぷたあ”と言った時、まわりのオトナは即座にその言い間違いを指摘し、正しい言葉に直させるだろう。しかし彼女に対してそんな型にはめるような説教は全く無意味で、彼女がそうだと思ったことは彼女にとって全て正しいことばかりなのだ。■だから古賀政男大先生の「丘を越えて」を歌う時も、“真澄の空はウン♪晴れて”とちょっとスキップするように一拍跳ねながら元歌を変形させてしまうことも彼女にとっては自然な行為となる。だってそっちの方が歌っていて断然気持ちが良い音楽に思えるから。そんな彼女の解体癖はその後の「Super Folk Song」や「Piano Nightry」にも受け継がれることになる。■40年前このアルバムが世に出た当初に購入した。最初の印象はキャッチーな曲が少なく和洋折衷とは言うものの、M4や両面の最後の曲の影響により青森臭が強い作品という感じだった。ただその中でもM3の流れるようなピアノと彼女の声と曲調はすごく素敵で当時オリジナルで作っていた46分カセットのベストヒット集の中に入れてみたりした。■しかしそんな寄せ集めの曲たちの中で彼女のその曲だけは少しだけ異色で、どことなく居心地が悪い感じを漂わせていたような気がした。今となって思えば矢野顕子を他の歌手と並べること自体不自然な行為だったように思う。比べることはしてもいいとしても、並べることはやめた方が良い。■デビュー作にして代表作。もちろん一発屋という意味ではなく、その後の数10枚の作品群の水準もこれ以上でも以下でもないということ。技量、発想、構成、それらの出来具合が1枚目より2枚目、2枚目よりは3枚目と上がっていくのが普通のアーティストというなら、矢野顕子のそれは最初から現在までずっと一定して振り切れている。さすがに声の初々しさという点ではデビューアルバムであるという面影を残しはするが、その他諸々のアーティスティックな部分は全部完璧にやり尽くしている感がある。つまり改良の余地が見つからないということ。■先日のNHK・BS「名盤ドキュメント」であらためてこのアルバムの偉大さを確認した。あの中でクラムボンの原田郁子も指摘していたようにM7の不穏な空気感は独創性に溢れている。まさか現人間国宝が鼓を叩いていたとは。その他にもローゥエル・ジョージの尺八とか十台近い琴の合奏とか矢野誠のストリングスアレンジ(原盤のクレジットは変名になっていた)とか興味深い内容が盛りだくさんの番組だった。■矢野顕子の3枚と言えば「ごはんができたよ」「峠の我が家」「ピアノ・ナイトリー」とずっと答えていたが、この「Japanese Girl」抜きで彼女は語れないということを再認識。彼女が番組の終盤で自らこのアルバムは20世紀の最高傑作と豪語していたのも肯ける。あんなに楽しそうに歌うから私たちにはわかりにくいけど、彼女にとっては身を切るようなデビュー作だったことは間違いない。
2017/01/01
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■実際、真田幸村があれだけ至近距離に徳川家康を追い詰め、なおかつあのように対峙して互いの胸の内を叫び合ったことが史実としてあったとは思えない。しかしこのドラマの最終回で彼と彼とが向かい合いそれぞれの思いをぶつけあうことは物語を締めくくるにあたってぜひとも必要なシーンだったはずだ。■思えば、最初にこの二人が顔を合わせたのは、まだまだ物語の序盤にあたる第4話くらいで、その時、信繁(源次郎)はその男のことをもっと(位が)下の人かと思ったと口に出しており、家康の方もこの男が将来自分の野望の盾になることなど予想だにしなかったはずだ。いやその野望自体当時はこんなに大きく膨らむものとは思ってもいなかったはずだ。■そう誰が誰について、誰が誰を裏切り、誰がそのトップとして君臨するか、それこそ風向きとか、猜疑心とか、嫉妬心とか、誤解とかでころころと変わっていってしまう戦国時代というものを垣間見られた一年間だった。織田がいて、北条がいて、上杉がいて、豊臣がいて、武田がいて、伊達がいて、毛利がいて、そして真田もいた。そして今、徳川がこの国を治めようとしているなんてことは物語の序盤では想像もできなかったことだ。■想像できないと言えば、物語の前半で常に源次郎の側に仕えていた矢沢三十郎がこの大坂夏の陣ではその主(あるじ)と刀を交えることになるとは。馬上で槍を軽くいなして、小者にかまうなと冷酷に立ち去ってしまう信繁に元家来に対する最大限の優しさを見る。ひれ伏しながら「源次郎様!」と彼の背中に叫ぶ三十郎の慟哭は格別の名シーンとなった。■私という人間が何かを為したという証を残せたかどうかという信繁の問いに対し、それは時が決めることだと高梨内記が答える。それは近藤勇に対し勝海舟が言った言葉と全く同じで、人はどのように死んだのかではなく、どのように生きたのかが問われるのだという哲学もまたこの脚本家の常套句でもある。■だからおおかた、この男の物語は前回までで完結している。上田から大阪そして九度山、再び大阪と、彼がしてきたことは十分堪能した。上杉景勝が言ったように彼こそ日の本一の兵だった。しかし、最終話でこの大河の主人公はどのような最期を遂げるのかということもまた我々の最大の関心事だったことは間違いない。史実はどうあれ、いつ、誰と、どこで、何を言って、何を想いながら、どうやって死んでいくのか見届けたいと思った50数分だった。■そしてそれはとある神社で、(55才の前身傷だらけの)佐助と、妻や子供たちのことを想いながら、少しだけ微笑んで果たされた。このような表情を作り出せるのはやはり微笑みで喜怒哀楽を表現できてしまう男、堺雅人をおいて他にいない。三谷的には近藤勇の「とし」、大谷刑部の「じぶ」、そして今回の藤本隆宏の「すえ」と同じように誰かの名前をつぶやいて果てるという細工があるかと思ったがそれはなかった。個人的には長澤まさみの献身に敬意を表して「きり」とつぶやいて欲しかったけれど、そうなったらそうなったで佐助の介錯のタイミングは信繁の切腹より早まってしまう危険性もあったのだ。■締めくくりは玉縄へ向かう大泉洋と近藤正臣。この田畑を歩むふたりの風情はどことなく七人の侍のエピローグの趣と重なる。黒澤明のあの映画では戦いの後、勝ったのは農民たちだと高梨内記にも似た志村喬がつぶやくのだが、この大坂の陣で勝利したのは牢人たちが集結した豊臣方ではなかった。では勝ったのは徳川側かといえばなんとなくそう見えないのは、いくら幸村たち五人衆が奮闘しても豊臣側には滅亡する必然があったからではないかと思う。因果応報、それだけのことを太閤秀吉はしてきたからではないだろうか。PS■主人公が主人公らしく見えてきたのは残り10話をきるあたりからという異色の描き方。それだけ彼の周りにいた人物が彼に大きな影響を与えたのだという大河ドラマだった。それゆえ誰もが主演俳優でも助演俳優でもあった。堺雅人、大泉洋、内野聖陽、草刈正雄、長澤まさみ、竹内結子はもはや主演と呼んでもいい。ではほんのちょい役も含め私的真田丸助演俳優ベストテンを発表。NO10 今井朋彦(大野治長)三谷作品のキーパーソン。今回もやってしまった大失敗。NO 9 高木渉(小山田茂誠)この大河の「陽」のイメージの代表。この表情に何度救われたことか。NO 8 松岡茉優(春) 脱かわいい。障子破ったり、鉈振り回したり、物騒さ満開。NO 7 村上新悟(直江兼続) 御屋形様の側から決して離れない。あの声は反則。NO 6 栗原英雄(真田信伊) 圧倒的な存在感。大人の事情が全部詰まっている顔。NO 5 新納慎也(豊臣秀次)殺生関白のイメージを上書き。笑顔が悲しい。NO 4 西村雅彦(室賀正武)前半、「黙れ小童!」だけでもっていってしまった。NO 3 長野里美(こう) 本来は途中で消えてしまうはずだったのに。彼女無しに信之パートは成立しなかった。NO 2 長谷川朝晴(伊達政宗)ずんだ餅だけでなく、殺陣のシーンも忘れないで。はまり役でした。NO 1 小日向文世(豊臣秀吉)この人も主演と呼んでいいかも。この秀吉あっての真田丸。 番外 清水ミチコ(旭) 大河史に残る顔芸。福笑いでもあんな顔できない。
2016/12/24
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■最初にハマった大河ドラマは倉本聰の「勝海舟」だった。無論その時、その歴史上の人物の事はほとんど何も知らず、彼がどんな経緯(いきさつ)で後世、史実に燦然と輝く偉業を残したのかはそのドラマと共に理解した。■ただその中で今でも最も印象に残っているのは萩原健一演じる人斬り以蔵が大原麗子の前でぼりぼりと豆を食べながら語り合うシーンだ。それがどんな場面で彼と彼女がどんな話をしていたのか(または、していなかったのか)は全く記憶にないが、おそらくその時、その歴史上の人物がとてもリアルに人間臭く感じたということが原因だったように思う。■最終回前夜となった今年の大河もまた、これから先も永らく記憶に残るドラマになったことは間違いない。それはやはりそこで描かれた人物ひとりひとりが善人でも悪人でもなくひどく今も間近で呼吸をしているような人間に見えたからに他ならない。■三谷脚本の特徴の一つは回収の妙にあると前回の感想に書いたが、最終盤に来て、さりげなく(あるものは倍返しほどのスケールで)繰り返されたエピソードの数々を列挙してみる。・大泉洋が木村佳乃に対し姉上は婆さまに似てきたと言った時、彼女が左耳が聞こえないふりをする。・信繁に会いに出かけようとする信之を送り出すおこうが彼に身体を触られようとすると咳き込んでしまう。・徳川側につくように信繁を説得しようとした叔父信尹がお主の好きなように生きろとほっぺたをペチペチたたく。・徳川襲撃の陣割りを確認した後、信繁が五人衆に対し、「おのおの、抜かりなく!」・形勢いよいよ怪しく、伊達に庇護してもらうように信繁から言われた春が「泣いて見せましょうか」と言いながら人差し指でぐいぐい。・その伊達政宗が信繁の妻と娘たちに食べてみろと勧めるのがそんなにおいしそうには見えないずんだ餅。■中でも一番痛快だったのは足止めを食った徳川方の陣でたまたま出くわした室賀の息子に浴びせた逆「黙れ!小童!」。惜しくも今年度の流行語大賞の候補には漏れたが、この大河の序盤、西村雅彦会心の決めゼリフだったそのセリフを満を持して返した大泉洋の逆襲。ここにも史実を超えたドラマ的な場面作りの才を感じる。■そしてこれから先も何度も何度も繰り返し見てしまうことになるだろうシーンは今回の最後の5分(私は今日これまで5回見た)。「源次郎様がいない世にいてもつまらないから」もうこの時、きりは信繁が生きて大坂城に戻ることはないと悟っている。そして自分も茶々と同じようにこの城と共に消えてなくなろうと決めている。■彼女のそんな覚悟を悟った彼は座ったまま彼女を抱きしめるわけだが、この構図が「あまちゃん」における水口とアキちゃんの抱擁シーンに酷似している。抱きしめられて「遅い」、口を吸われながら「10年前だったら私一番きれいだったのに」と彼の胸にうずまる彼女の姿にかぶさるナレーションはいつもの死亡宣告なんかではなく、きりが春にも、たかにも、そして梅にも勝ったという勝利宣言にも聞こえた。PS■毎回漢字2語で表されたタイトルも最終回のそれは無題として封印されてしまったようだ。またしても三谷のしたり顔が目に浮かぶのであるが、この一年の毎日曜日の感謝の気持ちを込めて「満足」という2字を送ろう。
2016/12/11
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■長男坊、次男坊という視点でこの物語を見れば、大蔵卿の息子たちにしろ、真田信之の息子たちにしろ、どちらかと言えば、次男坊の方に血の気が多く、できる兄に対しての鬱憤を晴らすために何事かを起こそうという気分が歴史を動かしているようにも見える。■実はその事はこの物語の主人公である真田昌幸の息子たちにも言えて、運命に逆らって生きているように見えるのは一見理知的にも冷静にも見える次男坊の方なのかもしれない。彼の本音の部分では徳川側について、生まれ故郷の上田の地で愛すべき人たちに囲まれのんびりと余生を過ごしていたかったのではないか。■淀も秀頼も(太閤の建てた)大坂城に固執しているわけではない。国替えして四国あたりなんて良いと思うわなんて言えてしまうのは秀吉に対するこの親子の気分なのかもしれない。それに比べ、むしろ大坂城にこだわっているのは信繁の方に見える。彼にとってのその場所とは書庫の匂いであり、茶室の名残であり、武器庫の冷たさであり、廊下の長さであり、庭の樹木であり、衝立の裏側である。そしてそこにいた様々な人たちとのやりとりの濃密な記憶なのである。■佐助が徳川家康の影武者を瞬殺したことは初耳だが、彼にとってそれよりも悔やまれるのはずっと片思いしていた彼女に瞬殺されたことの方だったろう。それにしても内野家康の憎々しさは影武者もろとも最終盤に入って益々磨きがかかって見える。老体を演じる運動神経と滑舌もまた役者魂ということなのだろう。■内通者有楽斎も信繁によって糾弾され二度の命乞いの末に大坂城から去ることになる。それでもこの後も豊臣情報が筒抜けなのはきっと妻も子供もなくしてしまった老人がまだこの城に残っているからなのかもしれない。ちなみに家康が読んでいた密書の送り主は「お」で有楽斎が書いた書状は「う」だったことが今回判明している。■残り2回、信繁、秀頼、淀君、五人衆の面々、千姫・・・、この人たちの末路は史実で誰もが知っている。しかし、それをどのようにして描いていくのかはテレビを見ている視聴者の誰にもわからない。三谷脚本の醍醐味は伏線回収の妙であり、適度な楽観主義の発散である。今回オーソドックスを貫いてきた作劇法に終盤どんなトリックを使ってくるのか、または使わないのか最後まで見極めたい。
2016/12/04
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■埋めてしまいましょう、ええ、埋めてしまいましょう。堀が無くなった城がいかに無力化された代(城)物になるのかわかりもしない女性に交渉人を任せた時点でこの話し合いの勝敗は決していたはずだった。ルールも知らないくせに対戦型ゲームの続きを息子からを引き受けた母親を見るかのようだ。■まずい展開になったら場をかき回せと信繁から命じられた長澤まさみが自分自身の身体を文字通り回転させたにもかかわらず、徳川側の斉藤由貴はそれによってきりきり舞いになったわけではなく、何事もなかったかのように外堀を徐々に埋めていった。(やはり三谷脚本の「紫式部ダイアリー」でもこのふたりのバチバチ芝居が見られました。)ああ、大蔵卿ではなく、堺君が初の側にいたら、そして阿茶局の隣に星野源でも座っていたら。■大臣とか事務官になった経験がないので、想像するしかないが、たとえば他国との和平交渉ってものすごく大変な事なんだろうな。少しでもこちらが不利にならないように、できるだけ相手に有利にならないように、いったん持ち帰ってなんて作戦もそう何度も使えるわけではないし。ともあれ、この和睦交渉、豊臣の失ったものの方が明らかに大きかった。■この時点でもう信繁自身勝算はないと考えている。しかし家族をこの裸同然の城から退散するように算段していた矢先に牢人たちが彼のもとに集まってくる。そして秀頼もまた彼を頼ってその運命を任せようとしてくる。エイエイオー!ってなんなんだ、この学園ドラマみたいな展開は。バラバラが取り柄の五人衆じゃなかったのか。寄せ集めの烏合の衆ではなかったのか。■でもみんなやはりわかっている。豊臣に明日はないことはわかっている。目標は徳川に一泡吹かせることに変わっている。死に場所は決まった。ではどうやって死ぬかだ。そんな捨て身の集団は強い。もしかしたらこのメンバーだったら奇跡が起こるかもしれない。■牢人たちに取り囲まれて一体真田信繁というのはどんな男なのかと彼らに問い質された堀田作兵衛はまずよくわからないと言った。その父親昌幸ならば義に厚い実に信頼できる人物だと即答できるが、その息子のことだから、父同様信頼に足る男だと信じていると言う。■物語も最終盤にかかって、主人公がいかに素晴らしい人物かを朗々と説明するにはうってつけの場面であるにもかかわらず、全面的に彼を褒め称えるような見せ方をしないのは真田信繁自身がこれまでに何をしてきたのか私たちが作兵衛以上に承知しているからに他ならない。■前回のネバネバといい、長男信之の悲劇は続く。吉田羊の「はい、はい」にこもる殺気はただものではなかった。それにしても膝枕が好きな家系だこと。結局このまま最後までおにいちゃんはコント枠で終わるのだろうか。いや、きっと何かある。
2016/11/27
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■冬の陣を完封勝利で終えたはずなのに、豊臣の世の中に流れていく気配が感じられないのは、徳川家康が敗者には見えないからで、結局真田信繁たちが目指していたのは勝ち点3を取ることではなく、ずっとこのまま勝ち点1を積み重ねて敵の戦闘意欲が枯渇するのを待ち続けることでしかなかったということなんだろう。■和睦。なんとも平和的で魅力的な言葉であるが、もしも、あの場で徳川と豊臣が互いの肩を叩き合いながら握手を交わしたとしても、両者の力関係は必ずしも五分五分ということにはならなかっただろう。征夷大将軍は秀忠であったとしても、いまだ実権を握っているのは親父様の方であり、マザーコンプレックスがいまだ抜けきらない秀頼公があの狸親父と対等に渡り合えるとは思えない。つまり、豊臣側からすれば和睦という名の敗戦でしかないのだ。■だから信繁は全力でそれを阻止する。この戦に勝つために大坂城に請われてやってきた男にとって、この寄せ集めの弱小チームを戦国の世に残留させることが至上命令であるわけだ。そのために時に総大将に意見をし、時にその母親までをも両手を差し出し懐柔する。なんでそこまで豊臣に義理立てしなければならないのかは秀吉と三成と刑部がどれだけこの物語の中盤を動かし続けていたのかを振り返れば納得もいく。■しかし、敵方の助っ人は西洋の大砲である。エルドレットであり、バースであり、エムボマである。いくらこちらがパスを繋いでゴールに迫っていっても、彼らの一振りにはかなわないのである。その射程は大坂城の天守閣。堅牢な城も創意工夫の出城も砲弾の直撃にはなすすべもないのである。かくして城は崩れる。自分がその下敷きになるかもしれないという恐怖、そして予感。■私たちはきっと同じ日に死ぬ。史実を逆算すればそれが予言としての効力すら持ち合わせていない明白な事実なのだが、茶々の本心はすでに城という場所で最愛の息子と最愛の人と共に去ると決まっていたのだろうか。残り数回になったこの大河の結末は茶々と信繁の物語の終章でもある。そんな二人の間に長澤まさみがどのように割り込んでいくのか見届けたい。PS■2019年度の大河の脚本が宮藤官九郎に決まった。オリンピックを巡る近代ものということで山田太一の「獅子の時代」を彷彿とさせる展開に期待。またチーフ演出も井上剛ということで「あまちゃん」スタッフ再結集。きっと音楽も大友良英に打診中だと思う。そして私の期待する主演候補は森山未來、瑛太、松田龍平、長瀬智也、二宮和也、阿部サダヲ、星野源。さらに女優陣の中に改名なんかする前の能年玲奈が是非入っていて欲しいところだ。3年後くらいにまだ楽しみがあるって、この年になるととても素敵なことだなと思う。
2016/11/20
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■真田信繁(幸村)の成功物語としてこの大河を見るのなら、今回は実質的な最終回と言っても良かったのではないか。上杉景勝に「日の本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と叫ばせた真田丸での合戦の見事な采配は今年の大河の主人公が最もかっこよく画面映えしたハイライトだったように思う。だってただの勝利ではない、完封勝利だ。■徳川家康による真田丸解説講座。大きさ、場所、高さ、その三点においてこの出城の難攻不落さは際立っていると。生徒役の徳川秀忠は結局一問も解答できなかったわけだが、聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥とするならばこの経験もいつかは役に立つこともあるかもしれない。■場内に内通者がいるのではという毛利殿の指摘に早速有楽斎を誘って居酒屋「大角(おおすみ)」で偽の情報を流してみる信繁であるが、それがいち早く敵陣に知れ渡ったところを見るとやはりこの男が怪しいか。しかしその場には料理番与左衛門も聞き耳を立てていたことも事実。■ここ数話登場機会がなかった長澤まさみの姿を見てこの大河に彼女はやはり欠かせない存在であることを再確認。彼女といる時の信繁は一番ピュアな信繁だ。さて今回は淀君の侍女に即採用。彼女の何気ない一言は作者が持っているその歴史上の人物に対する印象なのではないか。ちなみに今日の一言は淀君に対して「好きになれない」だった。確かにあのコスプレはどうかと思う。次回は彼女と一緒に砲弾に怯えることになるわけか。■若き信繁が「高砂」を謡い踊ってお尻ぺんぺんして相手を挑発したのはたしか第一次上田合戦だったと思うが、その同じ役目を今度は息子大助が担う。父親と同じように旗を振り回して敵を誘導してきた先は真田丸というからくり仕掛け満載の戦国お化け屋敷。大役果たした彼にほっぺペチペチでまたほっこり。■敵の動きを冷静に見極めて、相手を引き付けるだけ引き付け、満を持して号令を下す信繁の判断に心が凍る思いだ。一斉射撃で効率的に敵を仕留め、瞬時にそこは屍の山となる。次々に倒れていく敵の姿を見ても彼がちっとも喜んでいるようには見えないという見せ方もまたリアル。敵兵もまた人の集まり。それぞれの人には思いがある。彼があの場でそんなことを考えている余裕があったかどうかはわからないが。■福島、平野から大坂城への兵糧輸送を秘かに依頼される信之や信繁の活躍を笑顔で見つめる上杉や直江らを見ながら、敵とか味方とかについて考えてみる。あの時代、敵は必ずしも憎い相手ではなく、味方は必ずしも心が通い合った仲間でもない。ただ時の流れがそれぞれの方向を定め、その時その時の権力者の力関係で従う先も右往左往する。だから時には嫌なやつと手を組まなければならないこともあるかもしれないし、好きな人と戦うこともあるかもしれない。それはこのドラマの序盤から感じた感想と同じだ。
2016/11/13
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■第44話にして初めて定型を崩した理由は最終盤の高揚感をあのタイトルバックで一気に煽るためだったからだろう。普段は入れない効果音(馬のいななき)さえも赤い大軍勢が内野家康のクレジットを蹴散らすかのように鳴り響き、あの窓の中からは次回予告が挿入されるという展開。しかしこの奇策が通じるのは今回だからこそであり、次回以降は同じ手は食わないと徳川側は備えているに違いない。■そんな徳川方に豊臣の状況を伝える密書を送りつけたのは誰なんだろう。実物はすぐに家康によって燃されてしまったので証拠は残っていないが、録丸の皆さま方は是非もう一度一時停止ボタンであの文を確認してみると良い。内野君の左手親指が邪魔になり、はっきりとは映っていないが、なんとか差出人はひらがなの「お」と読める。豊臣側についた牢人衆の中にそんな文字で始まる者がいたか思い出してみる。少なくとも五人衆の中にはひとりもいない。では豊臣家側はどうだ。いたいた胡散臭い奴がひとり。そういえば彼は元「スパイ」ダーズのメンバーだった。■息子真田大助の気分で大坂城内見学ツアーに参加してみる。そこには色んな人たちが溢れていた。やたら睨んでくる無口な強面はいるは、異国の神を崇めている人はいるは、初対面の若者にまで名刺みたいなものを渡してくる男の人もいる。有象無象と言われてもしょうがないと思うが、父上はそんな人たちだからこそ力になるんだと言い張る。なんだかすごくためになる。今度は是非旨いつまみを食わせてくれる太閤殿下の料理番のいる居酒屋へ連れて行ってもらいたい。■大蔵卿によって一旦クシャクシャにされてしまった陣立ても二転三転の末に結局は秀頼のひと声で実現に至った。ようやく息子が母親に逆らえた瞬間。「御免」という言葉の奥深さを思う。その時の竹内結子の表情がまた良かった。かくして真田丸の築城成る。初めて手にした自分の城。ただそれは権威の象徴としてのそれではなく、敵から攻められることを念頭において作られた城。そこから見える景色はかつて秀吉と共に見た天守からの眺めと比べてどうだったんだろう。■これまでアバンタイトル無しで本編が始まる前きっちり3分のオープニングタイトル+ナレーションという定型を守ってきたこのドラマが、今回「築城」というタイトルを本編の内容全体で表し、最後のセリフ、内記「城の名は何とします」幸村「決まっているだろう・・・真田丸よ」で満を持してクレジットが流れるという構成はかなり効果的だった。長い大河ドラマの歴史の中でもこのような手法はおそらく初めてだったのではないかと思う。考えてみれば三谷はこれがやりたかった為の今までの43回だったのではないかと勘ぐってしまう。
2016/11/06
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■軍議には優秀な議長が必要である。治部も刑部もいなくなり、最古参の片桐殿も敵方についてしまった今、その役目を引き受ける羽目になったのは大野修理。この腰が引けたいかにも小さな人物にとって若殿の御前で五人衆の意見をまとめることはかなり難易度の高い要求であったのは間違いない。■提案された原案は大坂城に籠城すべきという策。全員がその案に賛成する中でひとり異議を唱えたのは真田信繁。実はすでに籠城案は修理側からの根回しがあって、5引く1人衆にはそれに賛成すれば何らかの見返りが保証されていたわけだが、軍議の場で信繁によって説かれた家康攻めの妙案にまずは毛利が賛同する。■この戦、負ける気がしない。どこまでポジティブなのかわからないが、彼にそう言わせる根底には徳川に二連勝した父、昌幸が授けた戦術奥義があり、たとえはったりであっても、なぜだか家康には負けないという自信みたいなものが彼の身体にも乗り移っているかのような妙な安心感があるからかもしれない。■籠城は時期尚早、家康を攻めるべしという軍議の決着に異を投じる胡散臭い井上順を一喝した大野修理には「黙れ小童」級の喝采を浴びせたいところだったが、そんな前向きな提案も豊臣上層部淀君、大蔵卿によって一瞬のうちに却下される。秀頼も修理もいまだ母親には逆らえない。■豊臣家の牢人たちに対する不信感は結局茶々殿の秀吉に対する思いに根ざしているという描き方。結局上層部はこの戦に勝とうとはしていない。ただ負けてはいけないと思っているだけだ。それは彼らが最終的に守ろうとしているものが豊臣家という栄華極めた集合体ではなく、ただ自分の息子、あるいは兄弟という個人であったということ。そこが真田一族との違いというわけだ。PS■五人衆がそれぞれの思惑を曝け出し、いざ豊臣のために戦っていこうという横並びの立ち姿を見ながら、こんな風景以前見たことがあると思った。滅びつつある体制を守るために結束する男たちの悲哀。そうか、この何百年か後に将軍警護のために京に向かう若き日の浪士たちの物語。あの中にもたしか堺雅人はいたはずだ。
2016/10/30
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■誰か知らない人と相部屋になるより、ひとり部屋になった方が良い。そもそも人見知りの方だし、寝る時くらいは気兼ねなくのんびりしたいものだ。ただ、相部屋になったとしても、その相手が花に水をやることが趣味の心優しい御仁だったとしたら、いくらか救われた気にもなる。しかし彼らは修学旅行で大坂城に民泊に来たわけではない。■大坂城に集まった牢人たちの目的は何だったのだろう。豊臣に対する忠誠なのか、徳川に対する反感なのか。たしか九度山の村には太閤時代の活気が徳川の世には存在しないという血気盛んな若者の意見もあった。■そんな烏合の衆の中には、小銭を稼ぎたいと願う者も、とりあえずねぐらを確保したいと思う者も、そしてこの機に名声をあげたいと願う者だって混ざっていたのかもしれない。隙あらば取り入ってもらおうと常に名刺代わりの木札を持参している者だっている。■VIP扱いされるのは名誉なことだが、中にはそんな待遇にやっかみや不満を持つ者だっている。すごい人らしいという噂は耳にしたことはあるが、それが本当かどうかは実際一緒に戦ってみないことにはわからない。はったりはかましてみたが、所詮はったりでしかない。■殿様は見目麗しい若武者だが、如何せんまだ経験が足りない。仕切り役は何か提案されると一旦持ち帰ってきっと母親に相談するような優柔不断な男だ。そんなチームの総大将を引き受けるのは誰だって嫌だ。■かくして五人衆ができあがった。一組から五組、どの担任にあたるか、始業式前日の夜の気持ちを思い出す。私だったら顔は怖いけど、一番優しそうな長宗我部先生のクラスが良いなと思う。かくして責任は五等分された。それが全て後藤君のせいだというわけではないが。■誰が敵で誰が味方かわからないという感想はこの大河の序盤ですでに提示したことであるが、いよいよ最終盤に入ったこの時期においてもその気分は継続している。真田信之が自分の下を離れ、敵方につこうとする家来を斬りつけようとしたように、それぞれの義の解釈によって誰に味方すべきか、誰と敵対すべきかは時の流れと共にうつろうのがあの時代だったということだろう。
2016/10/23
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■九度山脱出大作戦は三谷が大好きな「大脱走」ではなく「サウンドオブミュージック」の方だった。「瓜売り」と並ぶ真田丸二大劇中歌「雁金」の舞いを踊りながらひとりひとり舞台から退場していく。その中でも春ちゃんの可愛かったこと。この作戦の成功の陰には現九度山村長である元ロッキー刑事の協力があってこそだった。そうか、そのための真田紐だったのか。■大泉君のところの嫡男問題も表面化。見るからに祖父のDNAを受け継いだ稲との息子と、こちらも一見して母の病弱さを受け継いだ感のあるおこうさんとの息子。この世に生を受けた時期が数か月違うだけで、弱そうなのが兄、強そうなのが弟。それでも分け隔てなく立場が人を育てるのだと百ではなく仙の方を選んだ父親。彼もまた、できる弟を持った複雑な心境の兄でもあったわけだ。■服部半蔵VS(猿飛)佐助。加藤清正を暗殺した徳川の秘密兵器も退路を塞がれ、全力で押し通す作戦で窮地を脱す。それにしてもあのシーンに堺君と同じようにポカーンとしてしまうのは我々視聴者も同じだ。何だったんだ、あれ。■得体のしれない爺を視覚化する際に脚本段階ではどの程度その扮装について細かい注釈がついていたのか知らないが、まるで内田裕也のような堺君のコスプレに笑う。歯の抜けたふにゃふにゃ声で何を言っているのかわからないという演技はおそらく何十回かのテイクを重ねたはずだが、その都度噴出さずにはいられなかっただろう長澤まさみに同情する。しゃなだにゅきみゅらであーる。そうか、真田幸村とシェケナベイビナはよく似ている。■トイレで着替えるのはどうかと思うが、変装を解いた凛々しい姿の真田幸村の登場は明石殿でなくても声を張って皆の衆に知らしめたくなる。どことなく父安房守の面影も残し、何より上田で徳川を倒したのは自分の力だとはったりをかますところもまたすっかり父親譲りだ。■久々に対面した秀頼公はもはやすっかり幼子の面影はない。拾(ひろい)と呼ばれていた頃から、いやそれよりずっと前から信繁は彼のことを知っている。秀吉の粗相をあなたのせいにしたのも、あなたが花咲爺を見たいと言って桜の木から落下した秀吉公を助けたのも信繁だ。そして秀頼のことを頼むと耳元で何百回も秀吉から言われたのも信繁だ。だから来た。だから今ここにいる。■そしてもうひとり大坂城で久しぶりに顔を合わせたのは茶々殿。まだ彼女がこの男の顔が割と好きかどうかはわからないが、たとえ歯の抜けた得体のしれない爺さんのような風貌になっていたとしても、真田源次郎がここに居てくれることを彼女がどれだけ願っていたことか。きっと同じ日に私たちは死ぬ。その予言はきっとまだ有効なのである。
2016/10/16
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■方広寺の釣鐘の件は小学生の頃、「まんが日本の歴史」で読んだことがあった。あの事件に片桐殿があんなに関わっていたのかということはこの回で知った。家康という名前を切り離したことが呪詛にあたるというのは、もってまわった難癖に過ぎない。終盤、信繁が息子に切って集めた任意の漢字一字を選ばせ、幸の字と合わせて見せるという手法は明らかにこの言いがかりを皮肉っているようにも見える。■村という文字が九度山村という単語からの一字だったのなら、その他に彼の書いた言葉は幾つくらいあったのだろう。40話まで見てきた私たちにとっては「船出」から始まって前回の「歳月」まで78個の漢字を思い浮かべることができるが、たとえば主人公が「幸福」という名になるというような奇跡は全く用意されていなかったことがわかる。■かくして真田幸村ができあがった。それが息子が引いた一字で完成したように見せながら、実のところはその前夜のきりの言葉がその発端であり、これまで彼が関わってきた様々な人々からの一言一言が彼の行く末を決したのだとする描写は実に納得がいく。■あなたはまだ何事も成していない。これまで彼のしてきたことは戦国時代にあってはごく普通の男の子の物語に過ぎず、何百年か後に大河ドラマの主人公として描かれる何ものもない。だから彼女は背中を押す。こんな所で一生を終えてはいけない。自分の幸せしか考えられない男は歴史に名を残せない。■今回、いわゆる回想という形で登場した人物は正規にクレジットされたキャストの数より多かったのではないか。秀吉のナースコールの鈴の音と共に信繁の頭の中に駆け巡った人物たちとそのセリフはこのドラマの脚本家が知恵を絞ってこの日のために書き残してきた珠玉の言葉たちだった。■宮藤官九郎なら有働アナウンサーに「最終回かよ?!」って突っ込みを入れさせるような過剰な回想シーンの連続技を見て、三谷幸喜らしくないと感じたのは私だけだろうか。大坂城を望む聚楽亭の庭の三成の桃の木からその実が寂しく落ちている映像にそれを見ている者だけが何かを感じ取るという無言の余韻を数多く残す手法を得意としてきた彼があれほどはっきりと人と言葉を回想という形で重ねていくのはちょっとずるいのではないか。■ともあれ彼が豊臣に加勢しようと決心したのは秀吉と三成の存在が大きい。駄目押しは昌幸の遺言だ。戦はそれほど好きではない。軍を率いた経験がない。それほど人望があるとは思えない。囲碁も知らない。それでも彼は来週入城する。きりが言ったようにはったりでもいいか。父の戦場の奥義も手元にはある。たとえそれが○や△や×ばかりだったとしても、なんとかなる。とりあえず○を六つ並べてみよう。そして好きな色は赤だ。
2016/10/09
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■タイトルバックに隙間がやけに多い。キャストの人数もこれまで最小の20数人。しかもその約半数が女性だったというのも今回の大きな特徴。そしてあの勇壮な軍勢がダーッと押し寄せる定番の大トリの位置に草刈正雄の文字はなく、代わりに最後に名前が映されたのはその妻、高畑淳子。彼女もまた旦那の後を追うように有働女史によって今回ナレ死の宣告を受けた。■第39回にして、まるでこれからひとつの物語が始まるかのような雰囲気にも見えたのは、主役が初めて主人公のような顔をして物語の中心に位置して見えたからかもしれない。彼と彼を取り巻く人物たち、すなわち彼と兄、彼と女たち、彼と家来たち、そして彼と息子。■これまで父のため、主君のため、兄のために、その都度、色んなことを託され、任されてきた次男坊が、昌幸も、秀吉も、三成も、信之も自分のところから離れていってしまい、いざひとりになった時、ああこんな人物だったのかということを改めて描いて見せた回、つまり真田信繁の物語の始まりの回でもあった。■それほど才覚があるわけではなく、出世欲もあまりなく、女性の扱いはお世辞にも上手とは言えず、父親としての尊厳も持ち合わせていない。突然抱きつかれたり、障子を破られたり、愚痴を言われたり、全部自分が蒔いた種なのだけど、うまく刈り取ることができない、そんなどんな時代のどこにでもいそうな不器用な男を堺雅人が器用に演じる。■ペナルティとしての隠遁生活のはずだったのに、そのスローライフに思いのほか馴染んでしまい、このままこの場所で余生を過ごしてもいいと思う大河の主人公はまれだ。しかしこの脚本家の腕を持ってすれば、そんな九度山ファミリーの成長物語をワンクールくらいの尺ならば軽々と描いて見せることもできるはず。■それでもそんなホームドラマのような展開が長くは続かず、終盤、誰かがはるばる彼の力を頼ってやって来ることにあまり違和感がないのはこの主人公がこれから成し遂げることに意味があるからではなく、これまでしてきたことに価値があったからこそに他ならない。■いつの間にか白髪頭になってしまった家康といい、すっかり将軍らしく見える秀忠といい、凛々しい若武者となった秀頼といい、歳月の経つスピードがことのほか速い。そういえばこの物語の主人公もまたいつのまにか顔には髭をたくわえ、父の着ていたダウンベストを羽織り、いい加減な感じもしっかりと受け継いでいるように見える。いよいよ最終章と番宣は煽るが、彼の内側はそんなに成長はしていない。結局全部あんな感じだと思う。PS長澤まさみの菩薩ぶりに笑う。でも彼女、キリシタンじゃなかったっけ。
2016/10/02
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■真田昌幸の配役にあたり、当初その候補になっていたのはおそらく役所広司、佐藤浩市、草刈正雄だったのではないかと思う。個人的には役所昌幸を見てみたかった気がするが、こうして見事な臨終シーンまでを見終った今、草刈正雄のチョイスは大正解だったようだ。■三谷作品の彼といえば古くは古畑第二部の「ゲームの達人」が、最近では舞台「君となら」があり、予想外の起用というわけではなかったが、今回の抜擢は同じNHKでの「真田太平記」との関連が随分と後押しした結果だったように思う。■九度山での彼の最期を看取ったのは次男坊をはじめ、彼を慕った多くの人々。ああやって、自分が成し遂げることができなかった徳川攻略のいろはを遺言として息子に伝えるなんてことはドラマでなくてはできないことだが、戦は数ではなく一人ひとりの人間が生きていることだという言葉はこの大河の本質を見事に言い当てている。またしても幻の御屋形様に連れて行かれた最期だったが、秀吉の孤独死とは好対照の暖かい涙だったところも真田側からの描写ゆえのことだろう。■一話一日型三谷大河を見慣れた視聴者からすれば、今回はなんと10年間以上を一話内で描くという異色回だった。まるでコントのような征夷大将軍リレーと蟄居免除嘆願を挟み、登場人物たちの経年変化ないし、劣化の描写は容赦なく、有働女史のナレ死で退場するのは藤岡平八郎、新井清正、山西江雪斎など、ここまでの助演男優賞候補たち。それにしても出てくる演者のほとんどがこの賞にノミネートされてしまうほど、贅沢な配役はまだ続く。■去りゆく人たちを尻目に新たに登場したのが青年期の豊臣秀頼。弓を引く際の腋毛は体操の内村選手ほどではないが、その精悍な顔立ちと立ち振る舞いは家康をビビらせるには十分すぎる。あれは太閤の血というよりは浅井家側のDNAだな。二代目受難が続く大河の最終兵器が現れ、いよいよ物語は終盤へと向かう。■そして女性陣の活躍も目立ったのが今回。春の旦那の気を惹く障子破り作戦はどうかと思う。彼女が目指す八嶋智人的ポジションをこの脚本家がわかっているのか知らないが、ただ可愛い演技派というだけでの松岡茉優の起用ではなさそうだ。またその松岡と黒木華が長澤まさみより垢ぬけていないか問題については、特にコメントはない。また佐助がその長澤まさみを好ましく思っていたことは薄々感じていたが、絵が巧いからといって彼女の似顔絵の横に自分のポートレートはないんじゃないか。何でもかんでも「すっぱですから」って、高倉健じゃあるまいし。■見る側としては号泣する準備はいくらでもできていた第38回だったが、見終わった後に必ずしも穴が開いた心の様にならなかったのは、各エピソード(竹とんぼや噛みつき作戦)の暖かさ加減にあったようだ。そしてこれまであえて前に出てこなかった主人公がようやく主役を張る構えを見せ始める予感がやっと滲み出てきたのも今回。受けの演技が巧いのはわかった。さてそろそろあの狸に向かって仕掛けていってもいい頃だと思う。ただ真田幸信繁(ゆきのぶしげ)ではなんか締まらないのは確かだ。
2016/09/25
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■父からもらった名前の一字を捨てること。心機一転を図る野球選手じゃあるまいし、今の時代じゃ考えられない屈辱が当時の武士にはあったのだろう。それでも読み方はそのままに信之、長男の意地がそうさせたのだが、この機会に舅殿からも一字(一点)もらって「信之、」としても良かったのではないか。■藤岡弘、の面構えと物腰に痺れる。婿殿と一緒に助命嘆願した相手はかつて刃向かったことのなかった徳川大府。しかし家康からしてみれば、この数珠を持った蛇みたいな男に睨まれたら、どんな無理難題だって許さざるを得なかっただろう。だって怖いんだもの、顔が。■前回、超高速で終了してしまった関ケ原の合戦の余韻を埋めるような真田昌幸の徳川残党への攻撃が空しく映る。ああして刀で切られたり、槍で突かれたりしながら、命を落としていった者たちの屍が日本のあちらこちらに散らばっていた時代はまだ終わったわけではない。■三谷ウォッチャーとしては、大谷吉継と石田三成の最期に近藤勇と土方歳三のそれを重ね合わさずにはいられない。「とし」と言いながらちょっと微笑んで首を差し出した香取慎吾とほぼ同じ構図で「じぶ」と言って笑いながら死んでいった片岡愛之助。役者山本耕史はつくづく三谷幸喜に愛されていると感じる。■残された女たちはことごとく不憫だ。とりわけ石田三成未亡人はあの人は豊臣の事しか考えていなかったと他の事も考えていた残党たちに向かって何度も何度も同じセリフを繰り返す。人質生活でやつれた真田昌幸の妻はかつて自分がさせていたのと同じように夫の膝枕に顔をうずめる。そして父と初恋の相手を失った春は現在の夫の胸に顔をうずめる。■しかし、救われるのは悲壮感の全くない木村佳乃の存在だ。蟄居を命ぜられ九度山に堕ちていく父と弟にいずれまた会えると屈託なく笑えるメンタルはストレス知らずの長澤まさみと共にこのドラマの喜劇性を支えている。このあたりの抜かり無さは三谷脚本ならでは。■史実の時間軸とドラマ内とのそれをどのような縮尺で脚本家がとらえているのかはわからないが、次回タイトルはなんと「昌幸」。助命嘆願に話を戻せば、またしても舅殿にお願いすれば三谷本人にそれを撤回してもらうことは十分可能だと思う(内野君以上に弱そうだもの)が、草刈昌幸の最終回がやってきてしまいそうだ。■予告編から流れるムードはなんとなくコッポラのゴッドファーザーの香り。あのマーロンブランドの最期も子供と戯れていた彼が突然倒れた。ちなみに臨終のシーンで田中邦衛は三回目で息を引き取った。私の予想では最後のセリフは「抜かり無く」、いや秀吉や出浦と同じように「家康を殺せ」かもしれないな。
2016/09/18
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■何事も初めての経験というものは人を不安にさせる。まして初めての戦、何万という大軍を率いて攻めるも守るも自分のひと声次第。そんな大役を引き受けなければならなかった徳川秀忠の運命みたいなものにひどく同情する。■しかも相手は百戦錬磨の真田昌幸。いきなり降伏してきたり、なんかそっちに都合の良い条件ばかり言ってきたりするけど、それってあまりにもこっちを馬鹿にしていないか。試されてるのか、怒っちゃってもいいのか。そうか、じゃあ破くぞ書状、ビリビリビリ。■そのそばにいるのは徳川一の知恵袋、本多正信。これがまた食えない爺さんで、ひ弱な二代目を常に見下ろしている感じがどうも好かん。真田を攻めあぐねた挙句、まさに背水の陣かと思われた時に入った親父殿からの関ケ原に加われとの指令。結局あの時上田を発たなければ、もしかしたら命を狙われていたかもしれなかったわけだ。それにしても近藤正臣、私の側でこれ見よがしにチキンを食うな。■それに比べて肝が据わっていたのは本多忠勝の娘、稲。夫が徳川側に残ったことを知ると、義理の父と弟の沼田入場を全力で阻止。最近は全く敵役には見えない藤岡弘、に容貌は似ずとも、その性格はしっかりと引き継がれており、その振る舞いも真田目線から見てもなんとも微笑ましくもある。そして今やその小松姫の側にはおこうさんがセットで必ず付いてくる。■真田目線といえば、この大河、堺雅人(信繁)の関われない出来事に関しては広範囲的には藤井隆(佐助)が、内部事情通的には長澤まさみ(きり)がその伝達を担っている。第二次上田合戦を描いた今回の伝令役は風と共に現れる男、佐助。そして最終盤、彼が運んできたニュースは関ケ原での西軍の敗北。■第一話から徹底して(ディック・フランシスの如く)漢字二文字のタイトルにこだわってきた三谷がこの西暦1600年に起こった歴史上の大事件をどのようなタイトルで描くのかずっと関心を持っていた。それを丸ごと一話で描くとすればタイトルはどうしても三文字の漢字にならざるをえず・・・。■さあ、いよいよ関ケ原だと我々も姿勢を正して構えようとしていた矢先、不覚にも横になってポテチ食べながらぼーっとテレビ画面を見ていたところに佐助からもたらされた知らせに私が「えっ!?」という気分になったのはテレビの中の人もそして当時のあの人たちも同じだったろう。何年もかかると思っていたことが半日で終わってしまったということ。■タイトルの話に戻れば、次回37話は「信之」。なぜ信幸ではなく、信之なのか。これまで人名をそのままタイトルにしたのは「秀吉」しかない。二文字縛りがいよいよ行き詰って、これからはこの人名シリーズが増えることになるのだろうか。「家康」「昌幸」「信繁」・・・、これなら50話くらいなら楽に埋まる。PS■関ケ原での小早川秀秋の本音が聞きたい。戦いの場での彼の挙動を描いてくれないのなら後日談でもいいから、浅利君の口からぜひ聞かせて欲しい。まあ、三谷のことだから、きっとそれは用意されているはずだが。
2016/09/11
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■朱(赤)をひいたら豊臣側、黒をひいたら徳川側、紙縒りでどちらにつくかを選択する方法はたしか第2回「決断」でも描かれていたわけだが、あの時は真田家が北条につくか、上杉につくかの分かれ目だった。■この期に及んで、どちらをひいても朱が出るようになっているいかさまくじを息子にひかせる父親もどうかと思うが、今までだったらおっかなびっくりそれをひいて一喜一憂していたはずの長男は、父親に向かって何度も何度も私は決めましたと大声を張るようになっていた。そんな姿はもう全然小童(こわっぱ)には見えない。■息子たちが父親を超える日。前回良き息子(たち)を持ったと喜んだ父親は真田家のために3人が肩を組みさえすれば、徳川を出し抜き失地を回復することが可能だと信じていた。しかし、長男・大泉洋が選んだ決断は自分が徳川側に、そして父と弟は豊臣(石田三成)側につくというものだった。いわく、どちらが勝っても真田は生き残ることができる。父に向かって夢物語は終いにしてくれと叫んだ次男・堺雅人同様、息子たちの時世を読む力は父のそれをこの時点で上回っているように思う。■この犬伏での今生の別れがそれほど悲しく見えなかったのは、その先の話が希望を持って語られていたことと史記の韓信の背水の陣の挿話が素敵だったことによる。父親を乗り越えたように見えた息子たちがまたその父親を持ち上げ、その老獪さをひきだすことによって彼の寂しさを中和させる。そんな複雑な感情も草刈正雄だから見ているこっちも感情移入できると言ってもよい。■今回この犬伏の別れよりも揺さぶられたのは前半で描かれた大谷吉継の石田三成への友情の厚さ(熱さ)の方で、弱気な治部を前に瀕死の刑部がお主をわしが勝たせてやると檄を飛ばす必死の様子にえらくうたれた。刑部の読み上げる訴状を懸命に書き写す三成のそれはつい先日秀吉に遺言を書かせた彼自身の叱咤と二重写しになる。もう見えないはずの目で泣いている暇などないと言い張る刑部には治部の全てがお見通しなのである。
2016/09/04
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■上杉景勝の重臣直江兼続役をキャスティングする際、どうしても声の良い俳優をという条件があったに違いない。ある時は大河の主人公にもなってしまったこの役柄の最大の見せ場のひとつに今回の直江状があった。関ケ原の戦いのきっかけを作った徳川家康を揶揄するかのような内容をもったこの長い長い書状の朗読は村上新悟氏の美声あってこそ。妻夫木君ではああはいかない。■こうして家康VS三成の戦いの火ぶたが落とされたわけだけど、真田の物語としてはその関ケ原以上にドラマティックなのが次回の犬伏の別れ。公式HPではあと7日というカウントダウンが始まり、PR動画の配信も行われたのだが、ここまでのダイジェストを挟んだこの父と息子たちのこれまでのドラマと、このあと辿ることになるだろうそれぞれの運命が哀愁を煽る煽る。■今回、久しぶりに活力を取り戻した父昌幸の家康を討ってかつての領地を取り戻すという野心に兄と弟が結束して追従を約束するシーンに、ああやっぱりこの大河は秀吉や三成や家康のドラマではなく真田一族のそれだったんだと再確認した。そして父の背中を見てきた息子たちは父と同じように食えない策士となっていた。■かつて面倒な女になると三成にほのめかされた春の正体は暴露された。わしに惚れてしまったんだと信繁に言った時のジブの表情は今まで見たこともないような勝ち誇った普通の男の顔つきをしており、こんな顔ができるのだったら、もっと仲間たちからも慕われていた可能性があったのに残念だ。■ほのめかしといえば、今日のそれは蟄居を言い渡された三成が最後に加藤清正に会いたいと言い、彼の耳元で囁いたセリフが無音になっていたところ。(もちろん字幕でも何も書いていなかった)この時、彼が何を言ったのかは関ヶ原の決着がついた後に何らかの形で氷解するだろう。濃いも薄いも含めて伏線はりまくりの脚本だ。■かつて「不思議大好き」というキャッチコピーを考えたのはたしか糸井重里だったと思うが、長澤まさみが堺雅人に言った「不穏大好き」とはこの大河のキャッチフレーズとしてまさに言い得て妙である。このドラマの推進力は内心何を考えているのかわからない人たちの、何が起こるかわからない時代の、誰についていけば一番うまくいくのかを巡る複雑怪奇な人間ドラマである。■その時々の流れに身を任せるように飄々と主君を乗り換えているように見えた主人公が家康に向かって堂々と啖呵を切る。また胃の弱いおどおどしているだけに見えた豊臣家の家臣がやはり家康に向かって大声を出す。右往左往しているように見えて、東につくか、西につくかはもう彼らの心の中では決まっている。ただあそこに集まった同士の中にはいまだ心定まらず揺れている人もいたんだという所が、またしても今後のドラマを面白くもするのだ。
2016/08/28
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■三谷大河の第33回といえば12年前、2004年「新選組!」の「友の死」である。そういえば、あの年もオリンピックイヤーで、アテネ五輪が開催されている中での放映だったように思う。■あの時の山南敬助の切腹には今思い出しても胸が熱くなる。自分たちの作った組織がもはや自分たちの手に負えぬほど大きくなって、その隊の存続を保つために義を持って貫いた総長の死。それを食い止めたいけれど、ただ見守るしかできなかった土方と近藤の涙。■そんな堺雅人と山本耕史が時を超えて、違う名前の役をもらって、再び命を懸けて渡り合っている。ただ今年の33回ではすんでのところで石田三成は命を落とさずに済んだ。あの時、隊の法度を破ってしまった堺雅人を救えなかった山本耕史が今度は(結果的に)惣無事令を破ってしまったことになった自分を彼に救われる。しかし3つのオリンピックを挟む伏線とはあまりにも壮大。■またしても「新選組!」の話をすれば、あの大河は毎回或る1日の出来事を描いていくという形式だった。今回の話は有働女史による「伏見の一番長い日」というナレーションにもあったように1599年1月21日の一日にあった出来事だけを(多少の回想シーンを含みながら)ドラマにしている。その日の天候が雪だったことは定かではないが。■石田三成による家康襲撃という策を徳川側に密告したのはなぜか小早川秀秋に仕えている江雪斎だったという描き方。人に恨まれる、人を恨むという伏線は誰にでも心当たりがあるはずだが、一度立ち止まって、私はあの時、誰に向かって何を言ってきたのかを考える余裕なんかあの時代の戦国大名たちにあったはずはない。■石田三成に人望がないことは十分わかった。それでも人間として全く魅力がないのかといえば、全然(損なことはあっても)そんなことはない。ただ人の思い出話に相槌を打ったり、頑張った人にねぎらいの言葉を発するのが苦手な男だったに過ぎない。しかし人間の価値の優先順位は(長澤まさみの解説を待つまでもなく)他人に慕われるか、そうではないかというところにあるということはいつの時代も変わらないのも事実のように思える。■それに対して上杉景勝の遠藤憲一が巧い。最も大事なもの、それは義。主人公真田信繁が敬愛するこの御屋形様はたとえ大事な場面では木偶の坊であったとしても、最終的に頼りになんかならなかったとしても、誰からも慕われ、守られている。人間の価値は戦の強さや声の大きさではないのかもしれない。■黒い碁石が東軍、白い碁石が西軍という見方は払拭できないが、真田昌幸がひとり白い碁石となって黒の陣内に入っていったことで、まるでオセロゲームの様に一斉に徳川側が白に染まって見えた奇跡は目の錯覚だろうか。大谷刑部も含めてそれぞれの大名の碁石の色が本当は何色なのかもう少し見定めたい。PS■伊達(ハセ)政宗の登場シーンに毎回笑わせてもらっている。秀吉御前でのズンダ餅から始まって、徳川側について再登場。小学生みたいにちゃんと名前を名乗って発言する今回の軍議も(細川忠興も含めて)かわいかった。長谷川朝晴、ジョビジョバ解散以来、会心の当たり役である。
2016/08/21
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■三谷大河の特徴は歴史上の人物をどの俳優に演じさせるかで、たとえばそれが石田三成だからああなるのか、それとも山本耕史だからああなるのか、どちらにも偏ることなく、ごく自然になるほどそういう人だったのかという見せ方をするところだと思う。■キャスティング全般についてどれだけ脚本家がそれに関われるのかは知らないが、前回亡くなった小日向秀吉はもちろん、遠藤憲一の上杉景勝、草刈正雄の真田昌幸などは彼らが演じるからこそ、その歴史上の人物が今、私の周りにいる人のように浮かび上がるのであって、好きも嫌いもひっくるめて、同情したり、激励したくなってしまうというマジックを感じる。そして地味ながら今回登場の矢柴俊博の細川忠興なんか、ああ、きっとそういう人だったんだろうなってあの顔を見るだけでわかってしまう。■たとえば今回のエピソードをどこかの職場に置き換えてみても、創業者が亡くなった後の会社の存続をめぐって、側近やら顧問やら親族やらライバル会社の重鎮やらが、それぞれの思惑を持って対立していくドラマとして見ることも可能だ。■あらかじめ作戦をたてて、一人の人物を糾弾するつもりでいても、その場の流れとか、策士の話術に言いくるめられてしまう重役たち。任せておけとあれだけ大見得きったあの人も彼の前では小声になってしまうという私たちの周りにもよくある風景。耳に入らぬと自信を持って大声で耳に手を添えれば、野々村議員や舛添知事の様に哀れには見えない。■それにしても策士徳川家康の惚(とぼ)けっぷりはどうよ。秀吉の遺言状をめぐる彼の言い訳を聞いて、私は江川卓の空白の一日事件を思い出した。どんな時代にも抜け道を見つける達人がいて、それに翻弄される善良な人々がいる。そういえば徳川政権と読売巨人軍は長期政権という意味では似ていなくもない。■私は間違えることはないが、誤った判断をすることもある。文法的には全く意味をなさない自己分析であるが、仕事はできるが人望ってやつがほとんどないこんな男についていってしまう信繁も奇特なやつと言えないこともない。耳元で秀吉に言われた一言が彼にとっての太閤殿下の遺言だったのかもしれない。■久しぶりの三十郎の復帰もあって真田家の団欒が微笑ましい。稲、おこう、春と三人並んだ女性たちが均等に幸せそうに見える。(邪推だが春の面倒くさい所は男に惚れやすいところではないかな。)ただ信幸と信繁が並んで酒を酌み交わしながらこれ以上(家康と三成の)亀裂が広がらないようにと語る風景のちょうどふたりの真ん中辺にくっきりとギザギザ線が私には見えた。PSキャストについて補足すれば、この大河、「タイガー&ドラゴン」率がとても高いです。深水元基(福島正則)、星野源(徳川秀忠)、浅利陽介(小早川秀秋)、これみんなドンベイ師匠の弟子でした。そして師匠西田敏行の出番としては、実は前回の秀吉の枕元に立つ亡霊役であの落ち武者(更科六兵衛)としての登場を予想したのですが、さすがにそれはなかったですね。
2016/08/15
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1.I'm a boy 2.冒険 3.青空ロンリー 4.パンチドランク・ラブソング 5.苺畑でつかまえて 6.血を流そう 7.セツナ 8.桜 super love 9.ベン・ワットを聴いてた■たとえば大瀧詠一の「Long Vacation」のように、LPサイズのアナログ盤で所有したい音源だ。それはたとえば5曲目が終わったら、ある程度重い音盤をターンテーブルから裏返して後半4曲に向かう儀式みたいなものが似合う質感があるような気がするから。もちろん永井博氏のジャケットを飾るイラストのサイズもあの作品と同じようにあの大きさが相応しいと思ったことも理由のひとつだ。■しかしたとえばTUBEみたいな夏の定番音楽のような雰囲気はサニーデイ・サービスには似合わない。どちらかといえばM9で繰り返されるような9月の海、それこそクラゲがウヨウヨ漂っているようなNORTH MARINE DRIVEな海岸で鳴らされるのが相応しい音楽のように聞こえる。■ダンスミュージックといえばFREE SOULな低音重視のいわゆるディスコ・ミュージックを連想するのだが、このアルバムに収録されたギターが先導する音圧が高い9曲もまたフォーキーなくせにやけに身体を揺さぶる音楽だとわかる。ボサノバで踊るリオの人々をテレビで見て、私もまたこの夏、サニーディを聞きながら車の中で踊る。■アルバム1枚を作るにあたり、曽我部恵一は何十曲も曲を作ったという。その中から厳選された各曲はその長さ、その並び、そのバリエーションを持って究極の9曲となった。そこから連想される音楽はたとえば、アズティックカメラであり、はちみつぱいであり、フリッパーズギターでもある。■メロディーが良いというよりもコード進行が良いという言い方が相応しいように思う。私にはギターを弾きながら歌を歌う技術はないけれど、歌っていて心地よいという雰囲気がダイレクトに伝わってくる音楽は、それを聞いている側にとってもその歌い手の声が気に入らないものでない限り、何回も繰り返し聞きたくなるものである。
2016/08/09
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■山田風太郎の人間臨終図鑑によれば、死に際の豊臣秀吉は織田信長の亡霊に早く地獄にやってこいと責めたてられ、それに許しを乞う秀吉がまるで引きずり出されるように夜具から這い出したとある。(徳間文庫版第2巻)■その信長から譲り受けたという甲冑を彼の寝床に持ち運んだのは徳川家康。そして秀吉の枕元に立った亡霊は茶々の兄である万福丸。その少年もまた彼によって惨殺された何百人かのうちのひとりだ。そうか秀頼からすれば叔父にあたる人だったわけだね。■彼の枕元にあったのは綺麗な音のするナースコールと命をつなげる炎をともす燭台。さりげなくそれを吹き消したのが小早川秀秋だったり、手元にあったはずのベルを最後にいじっていたのが秀頼だったという見せ方が憎い。■もはや夢と現実の区別もつかない太閤に無理やり遺言を書きかえさせる家康陣営と三成陣営の攻防。当時弁護士資格を取得していた大名がその場にいれば、即違法行為却下となったであろうやりとりも残された者たちにとっては死活問題。それでもその行為を最終的に止めることができたのが寧さんだけだったというのはあまりに哀しくないか。■「秀頼を頼む」意識が戻れば誰彼構わずそればかり繰り返す秀吉が、治部に語った「家康を殺せ」と信繁に囁いた「治部を頼む」の二言が胸に沁みた。三成はその言葉を受けてにわか師匠昌幸に家康暗殺を頼み、信繁は今後その言葉を遺言代わりに背負って生きることになる(と思う)。■草刈正雄が縁側で百だか千だかという名の孫二人(もちろん今夜はパンパースではない)に語っていた桃太郎の話は終盤の出浦兄貴と藤岡弘、の戦いにリンクする。さしずめ犬が前者で、鬼は家康ではなくあの一生孫をあやすことなんかできそうもない顔が鬼ヶ島の髭面の舅だろう。■さすがに弱くなかった鬼に後ろから斬りつけられ昌幸の懐の中で目を閉じていった寺島進だが、当時の忍び通信では瀕死の重傷と報じられている。まあ、しばらくはキャストの名前から彼の名は消えるだろうが、終盤きっと復活はあると思う。しかも(今夜彼を陥れることとなった)信幸側の人間としてね。しかしキャストの名前といえば最初から佐助・藤井隆がピン扱いなのが不思議だ。たしかに良い仕事はしているのだろうが。■再び最初の人間臨終図鑑からの引用である。「八月十八日―陽暦九月十五日―午前二時、彼は死んだ。 辞世「露と落ち露と消えぬる我が身かな浪花のことは夢のまた夢」 これはおそらく他人の代作であろう。秀吉にはこれだけの歌は作れそうにない。またこんな歌を作る心理状態ではなかった。彼は生きながら地獄に堕ちていたのだ。(第2巻359ページ、六十一歳で死んだ人々より)そう、目を開けたまま絶命し、一筋右目から涙を流したという記述はおそらくどんな文献にもない。小日向さん堪能しました。ありがとうございました。
2016/08/07
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■長丁場のドラマにおいて、以前描かれた場面およびその時のセリフの繰り返しという作劇法は非常に効果的に映るが、今回の終盤におけるあの大坂城での初めての出会いの再現はバックに流れる静かな静かな旋律と共に忘れられない名場面となった。■「もしや」ときて「秀吉じゃ」とちょっと笑う。振り向いた太閤の顔の角度及び信繁を見つめるまなざしの優しさはそのままに、白くなった髪、痩せこけた頬、刻まれた皺に時の流れを感じる。あの時から数えて彼はどれだけの人の命を奪い去ったのだろう。■彼が誰かわからなくなった黄昏時でも、秀吉の目にはいつでも彼は利発そうな若者に映る。名前を忘れられても、形見分けをいただけなくても、彼はこの人の側にいたことを後悔なんかしていないと思う。■しかし父や兄に対する時、ちょっと肩肘張ってしまうのは、家族がみんなこの人のことを主人だと思っているわけではないからだ。父はできれば乱世の世に戻ってほしいと願い、兄はまた(舅の手前)徳川家に頭が上がらないという事情もあるのだ。■そんな板挟みの苦悩を告白できるくらい新しい妻は彼の心を開いている。もしも彼女がどこぞのスパイだったとしたら、出浦さんがきっと見抜いてくれるはずだ。その告白の中で信繁がそうなりたいと願ったふたりとは真田信尹と上杉景勝。さなだめし(NHK・HP内の真田丸クイズ)の問題には最適な質問だった。■伊達政宗の餅つき大会といい、出雲阿国のパフォーマンスといい、秀次たちの能舞台といい、大名たちの仮装大会(瓜売合戦)といい、毎回のように派手な見せ場を織り交ぜる今回の大河であるが、それをただのイベントで終わらせず、必ず何かの伏線、あるいは登場人物の性格描写を際立たせる仕組みになっている。今回の醍醐の花見もまた、秀吉の栄華の黄昏感を補足して見事。もしも私が石田ジブだったら花咲爺は片桐殿にでもやらせて、万一に備えたと思う。■たとえば山南敬助や豊臣秀次だったら、NHKに助命嘆願が殺到してもおかしくはないと思う。しかしこの豊臣秀吉にいくらそれが届いても、受け入れるわけにはいかない。だって彼がこれ以上生き永らえたら、真田丸のクライマックスはなくなってしまうだろうから。だけれども、私はこの小日向秀吉をもっともっと見続けたい。第15回からここまで、間違いなくこの大河の主役はこの人だった。
2016/07/31
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■勤め先が高台にあるので途中の坂や急な階段を歩くのには酷な季節だ。汗をだらだらかいてハアハア言いながら目的地を目指す。側に誰かがいなくても、ひとりでもハアハア言ってしまうのは客観的に見れば気持ちが良いものとは思えない。でも止むを得ず口に出してしまうハアハアもある。■それに対して、たとえば4人の女子高生が制服で長い長い道路を自転車に乗り、猛スピードでそれをこいでいる時に発するハアハアは被写体としてそんなに醜悪なものではない。また、たとえば彼女たちが自分の好きなバンドのことについて猛烈にその愛を語る時のハアハアも自分にもそんな時期が確かにあったよなと思わせてくれてとても懐かしく思える。■神と崇めるような大好きなバンドのメンバーからまた見に来てくださいと(出待ちしていた時に)直接話しかけられたら、たとえそれが遥か遠くのライブ会場であっても実現させるべく全力を尽くすだろう。まして今は夏休みで同調してくれる仲間もいるし、時間だって無限にあるように思う。■クリープハイプというバンドの選択はこの物語を歪めていないと思う。映像に重なる楽曲の魅力はもちろんだが、なによりフロントマンとして尾崎世界観という(名前の)人物がいるというところが彼女たちをハアハア言わせてしまうような信仰心を煽るのだと思う。(ちなみに私は同じような名前のグレイプヴァインというバンドにハアハアだ。)■しかし彼女たちも最初から北九州から東京の渋谷まで自転車こいで辿り着けるとは思ってはいなかっただろう。誰が最初に自転車を捨てて、誰が最初にこの無謀な旅に文句を言い、誰が最初にこの恋みたいな信仰に疑問を投げかけるのか。まるで4人組のバンドが解散する様子を追いかけて見せているような物語にも見えてくる。■中盤、金に困った彼女たちが奔走する様は「ラブ&ポップ」や「バウンズkoGal」の方向へ流れ進むかと思いきや、ぎりぎり「リンダリンダリンダ」の後味へと向かっていく。終盤のコンサート会場での神との出会い方はこの監督とこのミュージシャンとの関係なくしては実現できなかったちょっと奇跡的なシーンだ。■かつて感動とはそれを肌で感じた時に身も震えるような体感だった。しかしここで語られる感動は明らかにその場に自分がいたということを自撮り画像によって発信し、それが他者から認められた時に初めて得られる快感に様変わりしている。そして言葉もまた、それを直接相手の目を見て語るよりも、スマホの画面を通して瞬時に文字化されたそれの方が直接相手の心に響くように(第三者の目を通しても)見えるような気がする。
2016/07/29
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■松岡茉優が黒木華に似ているかどうかは別として、(廊下ですれ違っただけで)あの娘、私と梅ちゃんの良い所を併せ持っていると見抜いた長澤まさみの根拠を知りたい。それは相手が誰であれ思ったことをなんでも言ってしまえる鬱陶しいくらいの発言力と愛する者のためには命をも投げ出してしまうような行動力を兼ね備えているということか。彼女の大変さ(きっと面倒くささだと思う)が今にわかると言った石田三成のほのめかしも気になる気になる。ともあれ現段階では誰からも好感を持たれるような良い嫁に春ちゃんが見えてる見えてる。■同じことを何度も言ったり、ちょっとした段差で躓いたり、昔と味覚が変わってしまったり、寝ている間に粗相をしてしまったり、老いには勝てない天下人であるが、この年、秀吉はまだ60前ではなかったか。ほとんど同じ年の視聴者のひとりとして、適度の筋トレとサプリメントの服用を勧めたいところであるが、時空を超えた彼との面会はままならない。■相変わらず振り回されっぱなしの長男大泉洋であるが、おこうさんと稲夫人が相次いで解任じゃなかった懐妊。元妻の寝室から出てきた後に正室から責め立てられ、あの舅(!)にそのことをチクられると脅された後でまさかの抱擁。その時のBGMの遊びっぷりに大笑い。ただ、大地震の後、稲→おこうという順番に抱きしめてあげた彼の律義さにも好印象。■もうひとり、遊郭出没疑惑で正室に追いつめられたその父の方はのらりくらりと嘘八百。真田系譜には都合の悪いことは耳に入らない遺伝子が組み込まれているのかもしれない。話の矛先を向けられた出浦さんのドロンの術にも笑った。まあ、追いつめた奥方にもまた出自疑惑があったのだけどね。■そのようにまるでホームドラマのような軽妙なやりとりを挟み込みながら刻々と移り行くその時代の出来事をただの事実の羅列だけで描いていかない脚本は見事。終盤、縁側で兄弟二人が秀吉の容態をめぐって話し合うシーン。真田家という看板を背負いながら、それぞれが徳川側、豊臣側というアウェイの旗のもとに分かれざるを得ないという展開はこれまで少しずつ少しずつ描かれてきた長男と次男の背景描写によって少しも意外ではないと納得させられる。そう、この物語はホームドラマでもありまたアウェイドラマでもあるんだ。PS■三谷の小林隆の使い方が絶妙。胃弱の中間管理職。地味だけど、そこにいる必然性が常にあり、汚れ仕事のシワ寄せはたいてい彼に向けられる。それを平気で利用する石田三成も真田信繁もどうかと思うが。今後もまた彼の胃がしゅくしゅくする場面は何度もやってくると思われる。とりあえず今回のサブタイトルは胃変でもよかった。
2016/07/24
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■豊臣秀次という人物をこんなに長く、そして深く描いたドラマはかつてなかった。真田一族を主役に据えたドラマで彼の生と死をこれだけ丁寧に描く必要はどこにあったのだろうか。■偉大な父(先代)を持った息子(後継者)たちの悲喜劇というキーワードで読み取れば、武田勝頼の死から始まったこの大河の隠しテーマは脈々と受け継がれているということか。そういえば、今回初登場の徳川家康の後継者もまたなんともぼんやりとした頼りなげな青年に見えた。■秀次のそばにもう少し前から信繁ではなく信幸が控えていたら、彼の苦悩も幾分和らいでいたのではないか。振り回されているのは自分だけでない。こんなにないがしろにされ続けている人もこの世にはいるのだと。■所詮、器じゃなかったと振り返られる人は哀しい。ではどんな器が適切なのかを見定めるのも先代の役目というのなら、ルソンの町に捨てるほど転がっている壺を大枚はたいて買い求める太閤にはやはり見る目がなかったということか。■南蛮の神の母親。そうか、聖母マリアのことがそう呼ばれていた時代の話なんだな。登場人物がみんな標準語で、誰もが自分の周りにいる誰かさんのように見えたり思えたりするから、何百年も前の話の様な気がしないところがある。■あの絵を託された長澤まさみがキリスト教に興味を持つのはすごく必然に見える。今はまだ鬱陶しいだけの聖母かもしれないが、いつか必ず主人公の心を癒す存在になるのではないかと思われ。それにしても今回の信繁の仕打ち(正室・側室一度にゲット!)は彼女にとっても受難に他ならず。■私もどちらかといえば人の目を見て話をするのは苦手なタイプだが、面白い形の鼻を持った人が相手なら、それを見て話をしてしまうことはあるかもしれない。でも、あの面相、公家顔と言われればそう見えなくもないが、本当に経歴詐称の疑いがあるのなら、佐助あたりがもうとうに調べているに違いない。■病気がちだったはずのおこうさんが今の職についてから俄然元気になっている。彼女も色んなものに振り回されたクチだが、稲に対する時の物言いの厳しさは重そうな着物を着ていた頃の彼女には到底見えない。引き分け、いやむしろ勝っている。PS■実は「黄金の日日」の熱心な視聴者ではなかった。なぜなら同じ時間、別のチャンネルでかかっていたドラマが倉本聰の「浮浪雲」だったから。渡哲也の雲、桃井かおりの亀、笠智衆の渋沢老人。全盛期の倉本ドラマは私にとって市川森一作品より優先順位が上だった。ただあの大河に川谷拓三や室田日出夫など倉本常連組が出演していたことはずっと気になってはいた。というわけで松本幸四郎の時を超えた再登場に特別の感慨はない。
2016/07/17
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■豊臣秀次が宇喜多秀家に学ばなければならなかったのは、能の作法などではなく、彼のポジティブ・シンキングに他ならない。人が自分の事をどう思っているのかを考えるより先に、自分が何をしなければならないのかを考えられる人になること。まるで松岡修造のような宇喜多の熱(くるし)さをほんの少しでも受け継いでいたならば、あれほどの疑心暗鬼なメンタルにはならなかったのに。■コメディ要素が前2回に比べれば少なかった今回だけど、この能舞台での信繁の音痴ぶり(前回の草刈正雄の美声とは大違い)とまるでみすず学苑の広告のような秀家と秀次の仮装ぶりに笑う。宇喜多スクールでの基本レッスンでの摺り足歩行がマイケル・ジャクソンの「スリラー」風でまたちょっと吹いた。■不信3態。その1は秀吉と秀次。彼ら二人が標準語ではなく、ニャーニャー言いながら、本音を言い合える場面があったなら、あんなすれ違いは起きなかったのかもしれない。太閤は関白が憎くてあんな仕打ちをしているのではないと見ている誰もがわかっているのに。■その2は信幸と信繁。自分に官位が与えられたのは弟のおこぼれかと、疑ってしまう兄。こうすれば丸く収まるだろうと、策をめぐらす側から外された者が、その成り立ちを知ってしまう時、たしかにそういう抜け目のない奴に対する怒りというか苛立ちは生まれるだろうな。それが肉親であれば尚のことだ。それを頼朝と義経に例える信繁の神経も疑わしい。■その3は豊臣家から小早川家へ追放された秀秋の秀吉に対する不信感。大河史上こんなに肖像画に似ている役者はいないと思われる浅利陽介がこの先、関ケ原でどんな行動をとるのか。前回今回とじっと上目遣いで周りの様子を見ている彼の心の内を視聴者もきっと見ているわけで。浅利君、今回は小林隆とのからみは今のところないが、これからきっと何かしら関わりができるとふんでいる。■今回の能舞台のNOと次回の秀次が手に取るイエスの肖像画のYESがあらかじめ計算された対比ととらえるのは都合が良すぎるか。またNOといえば、主人にしたがって京に行くことを拒んだ稲も否という字を当てれば腑に落ちる。そして秀吉があらたに誕生した息子につけた名が拾というのも早世した前の息子が捨だったことを思うと反意語の嵐だ。PS ■NHKアーカイブに小日向さんが出演していた。大河ドラマにおいて秀吉を演じた役者はこれまでに15人いるそうだ。そのうち2作品で演じたのは緒形拳と竹中直人。番組では「太閤記」の第42回「本能寺」がノーカットで放映されたが、白黒画面の緊張感が素晴らしかった。吉田ディレクターという名監督の手腕に感服。全然古臭くない。(でも、私、リアルタイムでこれ見てます!)緒形秀吉といえば彼が2度目に太閤を演じた「黄金の日日」の松本幸四郎が次回登場。秀次ロスを打ち消すようなこのタイミングの登場もまた抜け目がないと言えば抜け目がないよな。
2016/07/10
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■忘年会の仮装大会で上司の出し物と自分のそれがカブってしまった経験はないが、あらかじめそれがわかってしまった時、しかも上司のそれより自分の方が上手であるとわかってしまった時、あの時代の人でもやっぱり辞退するのが賢明だったようだ。その辺はレディガガがカブって、レディオガガまで登場することになったあまちゃんの海女カフェとの違いだ。■それにしても今までのどんな戦闘シーンよりも痛々しく描かれた真田一族の不戦敗はそれが○○○の戦いという名の勇ましい名称で呼ばれるものではなく、瓜売(ウリウリ)合戦などという脱力系の腕比べだっただけに余計に哀愁を誘う。悔し涙を流す佐助や、秀吉にしびれ薬でも飲まそうとする出浦の気持ちもわからないわけではない。血と汗の滲むような特訓の成果だったあの声、確かに上手だったのにね。■もうひとつ職場ネタを拾うとすれば、酒席の誘いが重なった長男大泉君の苦悩も今回。加藤清正と舅「、」。断れば井戸に投げ込まれるか、一刀両断にされるか。どちらにしても殺されるかもなと笑いながら他人事の草刈パパの無責任さは植木等に匹敵する。そうか豊臣政権確立後のこの時代の物語はある意味サラリーマン大河でもあるわけか。■北九州にも名護屋城があったのは今回知ったことだが、全国から集められた大名たちはその場所から朝鮮に渡って明国に迫った。彼らのガス抜きにしてはなんとも罪作りな政策だが、秀吉の野望というよりもむしろ保身のためにそれが行われたと考えた方がいいのだろうか。ただほとんどの者たちが(何の得にもならない)その無意味さをこの時すでにわかっていた。■「新選組!」でも田中邦衛の臨終の場面でフェイクを使った三谷は草笛光子の最期を告げる有働アナウンサーの名調子までをも寸断した。まだ早いと言って息を吹き返し、つかつかと歩き出した祖母が孫息子ふたりに天守閣で語った名言はこれから先の物語を暗示して見事。またナレーションは必ずしも神ではないという作劇法は耳から鱗でもあった。■お前を側にもらう前に言っておきたいことがあるって、戦国時代のさだまさしかとツッコまれそうな秀次君。僕には側室がこんなにいます、そして娘もこんなに大きくなってって、カミングアウトしたところで、この関白宣言は切ない。だって長澤まさみはこの物語においては堺雅人と同様、そこにいるはずのない人の役目を最後まで担うことになるのだから、そんな彼のプロポーズを受けるわけにはいかないのだ。■関白になった。息子も生まれた。順風満帆のように見えた秀次の未来も一瞬の後に暗転する。まさかの茶々の懐妊。そして秀頼の誕生。退いたと思ったらまた再び息を吹き返した秀吉という大きな壁。自分は何のために生まれてきたのか。その定めに気がついていたとしても、いや気がついていたからこそ、悲観的になってしまう運命もまたあるということか。あと2回、新納君の芝居に期待。PS■瓜売大会、歌のうまさは草刈正雄に軍配があがったが、その扮装、仕草は小日向さんに1票。またわざと下手に歌うというのも演技力あってのこと。前回の山本耕史の胸筋に目がくらんだ女性は多いと思うが、今回の内野君の腹まわりのリアルだったこと。まるでデニーロ、これもまた腹芸といえば、家康役者冥利に尽きるか。
2016/07/03
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■前半戦終了。バイオリンでテーマが奏でられ、塗り壁に書かれたタイトルが踊り、まず脚本家の名前が誇らしげに映され、四角い穴の中からその回のダイジェストが流れ、演出家の名が知らされた後、有働ナレーションと共に、歴史的事実が文字情報で示される。そこまでぴったり3分。まさに様式美とでも呼ぶべきオープニング。■何か悲しいことが起こる回には必ず喜劇的シーンが挿入されるのもこの作家の様式美のひとつ。今回のコメディパートを受け持ったのは小林隆と高畑淳子。3分でできたかどうかはわからないが、かろうじて出来上がったひとかけらの薬草を草刈パパが食べてしまって「わしが元気になってどうするんだ!」に笑う。■もう一か所は大泉君のこちょこちょ大作戦失敗の巻と、自分の城の隠し扉に引っかかってどうするの巻の二本立てだったのだが、そのやるせないもやもやはなんとなくわからないわけでもない。いずれ仲睦まじくなる予感がプンプンしているので、吉田羊にはもう少しつんけんし続けて欲しい。■さてメインの悲劇の方は利休の切腹と鶴松の死。前者は珍しく時制を崩して回想形式で語り、後者は刻々と迫るその臨終の時を周辺の家来、大名、一族らの様々な思惑を描きながら見せる。■たとえば治部三成と刑部吉継の対比。これまで理の三成、情の吉継の様に思えていたものが、すっかり逆転してしまっている。そして徳川家康と真田信幸はたまたまふたりとも祈るしかないと口をそろえるが、両者が祈っているのは世継ぎの回復などでは決してなく、この政権が音を立てて崩れていくことに他ならない。■もうひとり今回命を落とすことになる秀吉の弟、秀長が兄に向かって「あなたはあと何年くらい生きるつもりか」と問う。歴史を知っている私たちはおそらく10年以内にあなたは死ぬのだと即答できるのだけど、当事者たちにとって未来は想像でしかなく、おそらくあの子が世継ぎになり、彼が脇を固め、彼と彼が結束して一族の栄華は守られるという理想を信じられる度量と自信はこの秀吉にすらないのだ。■私の大事な人はみんな死んでしまう。茶々様(ちゃちゃさま)あるいは淀殿(よどどの)〔たしかに舌を噛みそうだ〕が言うセリフは沖田総司君が言った私の好きな人はみんな私の剣で死んでしまうにも似て、涙を誘う。悲しむのをやめたはずのそんな姫が寧の胸で号泣するラストもまた山南敬助の死の前でぐずぐず泣きをした近藤と土方の姿と重なる。ここにもまたこの作家の様式美がある。■様式美ついでに書けば、悲しみのどん底を描いた回の後にはきっとコメディ要素満開の回が続くというのもこの作家の決まり事。次回の仮装大会にはそんな予感がプンプンする。対比ついでに書けば、今回怖すぎる利休切腹のシーンのB面にはお花畑感満載の小山田ダディ夫婦再会のシーン。ポプリの匂いが画面から漂ってきそうな笑顔に毎回癒される人多数。あ、小早川役者浅利君初登場も今回。
2016/06/26
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■特殊メイクの達人の名がタイトルバックにクレジットされているのを見て、これは間違いなく高嶋政伸のあれだなと思った。藤岡弘、の膨張面とこの北条氏政の白粉顔は側に寄りたくない二大面相で、仕事とはいえ、堺君もまた深呼吸などして御対面に臨んだに違いなく。■なかなか秀吉に屈服しないこの関東の覇者の所に説得に向かう徳川、上杉、真田の重鎮たちの立ち位置はまるで大相撲のこれより三役の様な扇型だった。信繁を含めこの御大たち誰もが皆その背負ってたつものの重さを身に沁みてわかっており、その場は説得というより、それぞれの歴史観、人生観が表れる場面として興味深かった。結局氏政は椀一杯の汁かけ飯を胃に入れてから切腹に臨んだ。■彼にとって最後の頼みの綱だった伊達政宗の小者(こもの)ぶりも目立った。媚びへつらう人をやらせたら右に出る人もいない(実際、彼は自分の右側に人を立たせたくない身体的な理由があるのだ)長谷川朝晴の抜擢は嬉しい。前回は白装束で来たと思ったら今回の餅つき大会では赤い衣装だった。リンダリンダじゃなくてズンダズンダが聞こえてきそうなサラリーマンネオ風大河。そうか、信繁と同い年だったのか。近い将来の再登場が楽しみだ。■小田原が落ちたことで秀吉の天下統一はほぼ完了。形の上では戦国時代も終焉を迎える。しかしこれから先は戦いなどまるで起きない平和な国家ができあがるのかと言えば、それはまた別の話。天下人は身内に起こる不幸のためにさらにまた猜疑心の塊のような暴君になる。■豊臣秀吉役者としてすっかり小日向文世が定着してしまった。緒形拳、竹中直人と並ぶ三大秀吉役者。ルックスでは笹野高志、エキセントリックさでは岸谷五郎、数多くの名優がこの役に挑んだけれど、飄々さという意味では今回の小日向秀吉は出色。ひょいと出る尾張弁の軽さといい、バタバタ走ってきて寧(この鈴木京香もまた良いんだ)に甘える仕草といい、残酷さと軽薄さとのアンバランスの凄みを感じる。■次週で全50回の折り返し。三谷大河の設計図によれば節目には必ず何かしらの大事件が起こる。そういえば「新選組!」の25回はたしか新選組誕生の回。芹沢鴨暗殺があったのもその回だった。そしてあの「友の死」が33回。堺君はもう少しで最長出演を上回るわけだ。
2016/06/19
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■「このドキュメンタリーはフィクションです。」わざわざそうことわってもらわなくても、明らかにこれは筋書きのある突撃風虚構劇だとわかる。原作はまたしても清野とおる、そして監督も松江哲明とくれば、例の山田孝之の「北区赤羽」の世界ではないか。■松岡茉優見たさに毎週チェックしていたのだが、各回のこだわりを持つ人たちの人選ないし、その偏執狂ぶりの振れ幅の大きさに何を狙っているのかわからない前半だった。ポテトサラダ、梅ぼし、ベランダ、さけるチーズ。とりわけ第2回の戌井昭人の「帰る男」は非常に難易度の高いこだわりと奇妙な物語が相まって不思議な後味が残った。■そして終盤4回くらいからタイトルも「みんなエスパーだよ」の如く黒地に白の迫力ある字体に変化し、なにやらそれまでの一話一話を面白かった、面白くなかったで割り切る見方は間違っていたのかもしれないという雰囲気が感じられ始めた。そうかすべては最終話の向けての序章だったのか。■山田孝之の決着は地元赤羽の小さなホールにおける「桃太郎」の上演だったのに対し、今回、松岡茉優のフィナーレはパシフィコ横浜でのモーニング娘のステージのセンターポジション。実際に観客の前で(仮)メンバーとして(仮)アイドルになってしまった彼女は仮でも何でもない本物の俳優だった。■松岡茉優はたしかに上手な女優だと思う。私は「問題のあるレストラン」での彼女が「あまちゃん」の時よりずっと好きだ。ただこのフェイクドラマを見終った後では、後者の入間しおりこそ彼女のはまり役なのだと実感する。プレゼン能力、コミュニケーション能力は高いに越したことはない。でもあのドラマで輝いて見えたのは圧倒的に能年玲奈の方だった。■見逃してしまった人は、できれば連続して1話から最終話まで一気に見るのが良い。四六時中カメラを回されている中で素の部分がどこで演技している部分がどこで、なんていう割り切り方なんかできるはずがない。結局カメラに写ってしまっている全ての部分が自分でも気づかないその人の姿なんだと思う。■今期のドラマのテーマソングの中では「ゆとり」の感覚ピエロよりもこの番組のSuper Beaver 「人として」が良かった。もちろん「トットテレビ」の大友良英の仕事の素晴らしさは言うまでもない。
2016/06/18
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■見晴らしの良い所に行くと放尿したくなる。小高い砦から自らの領地を眺める時、男性はふと気持ちが大きくなり、一時放心する。暗殺者にとってそんな時こそ千載一遇のチャンスに思えるが、そういう時に命を落としたのは私が知る限りは「太陽にほえろ」のマカロニ刑事くらいしかいない。■上司から肩を叩かれることは信頼された証しだと考えれば、満更でもないが、その手が清潔かどうかは大きな問題ではある。できれば洗い清めた手で触ってもらいたい。不潔と言えば一か月も風呂に入らないで香や化粧で誤魔化す北条氏政は哀れだ。裸の時に誰かが襲ってくるかもしれないという恐怖。そこまで追い詰めた方の秀吉は茶々と温泉などと浮かれているのに。■自分はどこで間違ってしまったんだという述懐はこの戦国大河のほとんどの武将たちが万感込めてつぶやくセリフなのだが、氏政もまたそんな者たちのひとりとなる。関東の覇者としてのプライドが秀吉とこの時代の力を読み間違えた。彼もまた伊達政宗のように死に装束などという派手なパフォーマンスを披露できるセンスを持ち合わせていたら、この窮地を抜け出すことができたのかもしれなかった。■ファッションセンスと言えば、真田信繁が背負っていたあのオレンジ色のエアバックみたいなものは何だったんだ。虫なのか、ホウズキ人間なのか、あれで飛ぶのか。あの格好で忍びの者になることは絶対無理だと思う。近藤君の触覚みたいな背負いものと言い、秀吉の陣羽織と言い、近藤正臣の人体模型のような鎧と言い、まるで円谷プロの誰かのお古のようでちょっと笑った。■秀吉から絶大な信頼を受け、小田原攻めの陣立て(オールスターキャスト勢揃いというNHKの触れ込みだった)を任された石田三成(山本耕史)だが、ここに来てようやくその弱点みたいなものを露呈し始めたのが今回だった。机上で物事を緻密に考えることはできるが、実戦経験が乏しく、臨機応変の対応ができない。物事がうまく進まないと腹をこわす。大谷吉継(片岡愛之助)などからはもう見透かされているわけだけどね。このふたりのやりとりと言えば「新選組!」の続編での土方と大鳥を思い出す。■前回の沼田裁定で江雪斎と堂々と渡り合ったことを評価され北条氏政の説得に向かった信繁。彼が戦国一の説得上手であるのかどうかはわからないが、そういう役目が殊更多い。最近では本人も心得ているようで変に逡巡など見せない。丹田の力なのだろう。そんな敵の城下で最終盤、彼を救ったのは懐かしや小山田ダディ。姉さん同様、生きていたんだ。あの笑顔、癒されるぜ。
2016/06/12
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■キャストの名前に女性陣はただひとり、それも史実の中では架空の人物的な扱いの長澤まさみのみ登場という第22回。戦国時代の裁判劇はそんな男たちのどす黒い思惑と策略に満ち溢れた濃密な45分だった。■裁判官による開廷の儀式も省略され、いきなり江雪斎の弁舌で物語は始まってしまっている。沼田城をめぐり、北条と真田、どちらにその所有権があるのかを決する裁定。真田側の名代として己が権利を主張するのは若き信繁。胆力には自信があるが、おにぎり(極小)2個だけではいささか心もとない。■裁判官豊臣秀吉の前で交互に発言する江雪斎、信繁ふたりの論法はすごく現代劇風にアレンジされ、まるで「相棒」や「リーガル・ハイ」を思わせるような丁々発止。ご丁寧にプレゼンテーションソフトのような解説図まで小林隆に用意させ、傍聴席に座る我々にもこの裁判の骨子を理解させるのを容易にした。後にも先にもこんな大河はないだろう。■ちょっと前なら問答無用とばかり武力をもって欲しいものは奪い取ればよかった。ちょっとばかり矛盾していても、戦闘に勝てば文句は言わせなかった。しかし秀吉が天下をとったこのご時世、戦いの形は明らかに変容している。豊臣にとって都合の良いことが善でそうでないものは悪になる。■よって正しいか正しくないかを裁定するこの裁判に勝った負けたのカタルシスはない。秀吉の(石田三成の)目的は北条氏政の上洛であり、沼田城の所有権など、はなから真田に譲る気持ちなどない。そんなあらかじめ決まっていた豊臣側の裁定に乗せられて真剣にやりあう山西君と堺君の、そしておにぎり(特大)のおかげでそれを理知的に判定した秀次役、新納君の純情が痛い回でもあった。
2016/06/05
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■赤ん坊を抱いて軍議にのぞむ戦国大名を他に知らない。それは自然ひそひそ声になり、そこで下される判断がどんなに勇壮なものであっても、家来たちの士気はそれほどあがらない。でもたとえ小さな声でも天下人の発する命令は絶対だ。■なかなか上洛しようとしない北条に痺れを切らす秀吉。彼に北条攻めを進言するのは千利休。あの狭い狭い茶室において行われる会話もまたひそひそ声で、それがどんなに残酷なものであっても知恵袋が発する進言は絶対だ。■伊武雅刀の名演を見た後では、どうも真田丸版千利休の影は薄い。旧桂三枝の起用は何を狙ったものであるのか今のところ不明。彼が点てるお茶もまたいまひとつ美味には見えないのは以前堺君の口元についていた毒々しい緑色のせいかもしれない。■上洛の条件に北条が提示してきたのは沼田城の占有権の確保。ちょっと前なら奪いたければ真田を攻め滅ぼせば良かったものの、太政大臣秀吉の政権下ではそんな武力戦闘はままならず、話し合いで事を治めることとなる。■そんな戦国時代の裁判劇はこの脚本家の得意とするところだと思う。許されるものなら「12人の優しい戦国大名」なる一幕劇でも単発で見せてもらいたい。それが実現すれば、関ケ原の戦いよりも断然面白い舞台劇になる予感がする。■ともあれ真田、北条、徳川の話し合いが始まる。ただし、三大名とも肝心の大将が出席するわけではなく三人とも名代だ。北条はなんか長ったらしい名前の僧侶のような曲者で、徳川からは何を考えているのかわからない食えない老将、そして真田を代表するのは当時22歳の信繁。でもその場まで来て隣りの部屋に隠れている草刈正雄もどうかと思う。■楽しみなのはその議論を裁定する裁判長役の秀吉の側にいることになるであろう秀次の意見。以前秀吉に検地の意義を色んなことがわかるからと答えた彼がこの会談をいかに収めることができるのか。情けなさ全開の色男新納君の迷裁定に期待。
2016/05/29
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■聚楽弟の壁に落書きをしたのは誰か。美術部スタッフによって再現された若干ポップな悪戯書きを予告編で見た時、堺雅人扮する戦国版古畑任三郎を期待したのは私だけではなかったと思う。■側には今泉君の如き全く使いものにならない近藤芳正がいて、あごに手を当てながらちょっと高い声で「うーん」とかうなりながら、推理をはたらかす堺君はたしかに田村正和に見えなくもなかった。(しかし本当に頭が良かったのは容疑者が本願寺にいると即座に見破ったジブ山本耕史だったのだが。)ただあのドラマとの決定的な違いは、追いつめられるべき犯人に該当する者が特定の誰かではなく、秀吉の政治に対する民衆の気分でしかないという点だった。■それゆえスカッとした解決編は望むべくもなく、戦国時代の警部補たちは病死した門番のひとりを下手人にしたてて、秀吉の怒りを治めようと図る。だが、頭に血が上った天下猿は彼の親類縁者隣人までをもことごとく成敗せよなどと無理難題を彼らに強いる。■天下人に対してそんな非道いことはできないと抗弁するのは豊臣秀次にも石田三成にも至難の業だった。秀吉の頭の中にはおそらくまだ織田信長がいて、天下を治めるスタンダードは爆発的な怒りであり、暴力的な支配に他ならなかったのではないか。それがコンプレックスの裏返しだと指摘できるのは北政所しかいなかった。■理不尽なことを強いられてもそれに抗えない時代の悲しみみたいなものを強く感じる。政略結婚の犠牲になり離縁を迫られる長野里美(でもすぐ侍女で復活には笑った)とか、家来に変装して娘の嫁ぐ姿を見て涙する「、」とか、腑に落ちない伝令を主のために果たさなければならない佐助とか。■そんな微妙な感情の起伏が静かに静かに積もり積もって歴史を動かす歯車となっていくという描き方。「御意」とか「承知」と頭を下げて承服したつもりでも、その人に対する感情がだんだんと変容していく様は現代人の性格形成とまるきり違うものではないのだという描き方。■行ったことがないような高みに昇りつめようとする人に警告を発することができるのは特別な人である。目に見える高さのそれならばその分だけの梯子でも用意すればそれで事足りる。しかし彼が目指そうとしているのはそれよりもっと見晴らしの良い天国みたいな場所だ。そこにはもうどんな高さの梯子も届かないし、届いたとしてもその強度が足りなければ今回の梯子のように折れてしまうだろう。そして何よりそれを支える人がどれくらいいるのかというのが一番厄介な問題なのだと思う。
2016/05/22
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■歴代大河ドラマ茶々役者たちの中で印象に残っているのは「天地人」の深田恭子、「江」の宮沢りえ、「軍師官兵衛」の二階堂ふみ。古くは「独眼竜正宗」の樋口可南子、「秀吉」の松たか子。そんな女優陣の顔ぶれはさすがに華やかだが、今回の竹内結子ほどその内面に深く踏み込んだ描き方はなかったように思う。■父や母や兄はみんなある男によって殺されてしまい、そしてよりによってその男から求愛されるうら若き女性。そんな役を演じてごらんと誰かに言われたとしたら一体どんな感情を心に秘めてその男の懐に飛び込んでいけばいい。悲しむことをやめてしまった女の表情はやはりちょっと焦点の合わない近眼風の目で少し口を開け男の顔をじっと見るのだろうか。■因果応報という言葉を秀吉はどれだけ信じていたかはわからないが、自らの贖罪意識で彼女を側室に迎えることにしたのならば、結果としてそれはちっとも罪滅ぼしにはならず、むしろ自分滅ぼしの道をたどることになったというのは皮肉な結果だ。ただ死ぬ時に日の本一の幸せ者だと言わせてみせるというセリフはいつの時代にも通じる口説き文句の常套句だと思う。■それにしても、自分の膝の上で自分の旦那の恋路の手ほどきをしなければならない鈴木京香に激しく同情する。たまたま自分の名前がそう呼ばれるからと言っていつもバタバタ駆けてきて、ねえねえ言われて相談されても困る。私はあなたの妻であって、決してあなたのお母さんじゃない。■無防備に放尿している時に突然後ろに藤岡弘、が立っていたら、おそらくそれは止まる。ましてや、自分から進んで望んだわけではないのに、「、」の愛娘をいただくことになるとは。たとえ病弱でもあの人の膝頭の方が自分には合っているのにと大泉洋は思う。色恋とは全く関係のない結婚、私たちがタイムスリップしたとしたら一番受け入れがたいのは当時のこのような制度なのではないか。■変な話と前置きをして竹内結子は堺雅人に私たちはまたいつか出会って同じ日に死ぬと言った。そんな唐突な予言めいた戯言も異種ナレーションだと思って聞き流せばそれでいい。作者の都合で言わせたそんなセリフも美しい音楽にのせれば今後の大いなる伏線に聞こえたりする。PSその昔、月9の女王だった竹内結子が演技派として復活したのは映画「サイドカーに犬」あたりだったように思う。堺雅人との共演と言えば「ゴールデン・スランバー」。あの時の映画風に言えば再会した二人は「だと思った」とか言い合うのだろうな。
2016/05/15
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■場面(シーン)の数が少なくなればなるほど、三谷幸喜の筆は冴える。ただし、時は戦国、主人公は真田信繁となると、信州の山奥でそこに住む人々だけを描いていたのでは大河にならない。それでも、今回は大坂城に多くの人が詰めかけて来てくれたおかげで、一幕ものとはいかないまでも、たくさんの見せ場があった回のひとつだろう。■母の日だからというわけでもないとは思うが、草刈正雄に上洛の決断を踏みきらせたのは草笛光子の言葉だった。もちろん上杉側の直江景次のやたら声の良い恫喝がきっかけとはいえ、卑怯者でなぜ悪いというこの母のセリフは400年後の映画「仁義なき戦い」にも相通じる実に格好いいキャッチフレーズだったと思う。■人を不快にさせる名人ジブさんという描き方はかなり徹底されてきて、彼の登場シーンに今度は誰にどんなディスり方をするのだろうかと期待して見ている自分がいる。この人が愛想笑いなどし始めたらこの物語も終わりに近づく証拠だろう。でも奥に突っ込まれたはずのあの臭い立つ戦国風ダウンジャケットを秀吉が着用して現れた時は笑った。■どうやら真田家の人々は再会を果たした時には相手の頬を片手ないし両手でパタパタやるのがお決まりの挨拶のようだ。藤という名前になってしまっていた松ねえさんが父と弟たちに本気でパタパタするきっかけとなったのは第4回で描かれたガールズトーク(潤いが足りないと踵にひび割れができる)だった。この伏線回収まで14話。そして今また長澤まさみの踵があれな理由は来週の予告でもあるわけか。■秀吉がいたから家康がいたから戦国時代が終わったわけではない。もうその制度自体が疲労困憊になり、立ち行かなくなった時にそういう人物が現れたということなのだろう。いつの時代にも権力に取り入るのが上手な人がいて、そうでない人もいる。■真田信幸がどこで間違えたのかと言えば、それこそ大泉洋が言ったように生まれてきた時代だったのかもしれない。でももう少し早く生まれていたらこんなに長く生きてはいられなかったかもしれない。たしかにプライドは傷ついたかもしれないが、死んでしまえば御終いなわけで、結局はこの時代に生を受けたことに対し特に今日は母に感謝すべきだ。
2016/05/08
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■山田太一のふぞろいの林檎たちの第1話のサブタイトルはたしか「学校どこですか?」だったと思う。そのアンサー・ソングというわけではないと思うが、「ゆとりですがなにか」という9文字の平仮名は3×3の正方形の中ですごくおさまりよく配置される。■主人公は3人のアラサー男子。そのうちのひとりは酒屋の次男坊。その長男の嫁にはまだ子供ができない。その母は未亡人。(中田喜子といえば「岸辺のアルバム」)なんかサザンの曲が聞こえてきそうだが、オープニグを飾るのは感覚ピエロのあんたの正義は一体なんだっていうちょっと場違いな決めのシャウトだ。■前略で書き始めて敬具で終わるのよとか、○○行を二重線で消して御中に書き換えなさいとか、年長者が新米の無知に舌打ちするのと同じ感覚で、LINEの使い方とかTWITTERのマナーとかFACEBOOKの常識などを若者がおじさんおばさんのそれを笑うという図式。■迎合するわけではないが、それを知らなければ関係が成り立たないとなれば、そちら側にもずしずしと踏み込んでいかなければならない場合がある。受け入れられないと思うのは様々なアイテムの使いこなし方ではなく、何を常識としているかという感覚の方だ。■アラサー諸君でさえ、後輩の振る舞いに眉間に皺を寄せるのなら、アラ還の私はどうなるのよ。ここは達観してあのレンタルおじさんのように少しばかり年長者の小賢しさというやつを使って相談者を煙に巻くのも悪くない。みんな悩んで大きくなったなんていう決まり文句を知っているゆとり世代なんてほとんどいないからね。■岡田、松坂、柳楽のキャスティングが悪くない。特にこのところの柳楽君のぶっ飛び具合はなんか吹っ切れたみたいで小気味よい。彼らが手を焼く第2世代の太賀が面白い。この前の「おかしの家」でも同じようなトラブルメイカーぶりをエキセントリックに演じていた。BLACK TIGERだな。あまちゃんの純情だったAD君が懐かしいぞ。
2016/05/03
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■1年間を3分割するならば、今年の大河も三分の一が終わり、月が替わったこの回からまた新たな展開を見せることとなるとふんでいる。物語的には徳川家康の上洛と彼の豊臣秀吉への恭順が今回の重大事であったのだが、これまで封印されていたように見えたコメディ色が一気に解放された感も作者の想定通りなのではないか。■全部持って行ったとまでは言わないが、家康の正室役の清水ミチコに大笑い。このキャスティグにどんな出演交渉があったか知らないが、大河史に残るインパクト大きい印象的な顔芸であったことは間違いない。政略結婚恐るべし。■本人は何にも知らないと言い張っていたが出雲阿国に関しては10年前に菊川怜と一緒に堺雅人はあの踊りを目の当たりにしていたわけで、役柄が変われば記憶も消えてしまうということか。記憶がないと言えば、あの藤の髪飾りを付けていた木村佳乃はどんな事情であの一座に入り込んでいたのか。でもきっと他人の空似なら「再会」なんていうサブタイトルは付けない。(いや、ひょっとしたら秀吉母と清水ミチコのことを指しているのか。)■実は私も事前に下見などして本番の緊張に備える小心者だが、秀吉と家康が会見の前日にあのようなリハーサルを行っていたのではないかと想像するのは自由だ。実際にあったとされるふたりの会見だって実はグダグダで何が起こっているのか誰にもわからないものだった可能性だってあるのだから、ああやって用意周到にセリフ合わせまでしなければ、史実にならないという逆説だってあり得るということだ。■ドラマの見せ方として家康と秀吉の会見と同等の力で木村佳乃の再登場の謎とか長澤まさみの胸キュンなどが描かれていて、それらがこの先どう進んでいくのかという興味を抱かせる筆の運びが巧み。そして決めの一言として非情な男、石田三成に「お前はいったい何者なのだ」とつぶやかせる堺雅人の縦横無尽ぶりに拍手。
2016/05/01
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■これはNHKでなければ作れないドラマだろうな。資料がそろっているとか、映像許諾がおりやすいというアドバンテージを差し引いても、こんな夢みたいな濃密な45分を作り上げられる演出陣や製作陣をそろえている局は他にないのではないか。■個人的な記憶では黒柳徹子の名を最初に意識したのは人形劇ブーフーウーのウーの声だったように思う。夢で逢いましょうについてはうっすらと覚えてはいるが、顔と名前が一致する程度だった。当時の子供にとってはまだまだ夜の番組の垣根は高かった■早口なんだけれどはっきり聞き取れる声。彼女の魅力はやはりその声にある。そんな若き日の徹子さんを生き生き演じる満島ひかりが抜群に良い。彼女の演技を憑依系と思ったことは今までなかったが、今回のトットちゃんに関してはこの抜擢なくして成り立たなかったのではないか。■彼女が動いて喋っているだけでなんか涙が出てしまう。この魅力は何なんだろうね。愛のむきだし、それでも生きていく、woman、そしてど根性ガエル。この小柄な女優の発散する前向きなバイタリティーはどれもどこか死と隣り合わせの活力を映し出しているように見えるからなのかな。■演出、井上剛、音楽、大友良英。あのあまちゃんと同じスタッフによって構築された再現ドラマは中園ミホの黒柳愛あふれる脚本によってまた光り輝いている。ことさら終盤、昭和の名曲にのってミュージカル風に登場人物全体が踊り出す風景は美しくて楽しくてそしてはかない。今回の笠置シズ子役のエゴラッピン中納良恵の買い物ブギのはまりぶりったら。■大河と同じ長さで土曜ドラマにしては浅い時間帯からの全7回。若者から高齢者まで幅広い層に見てもらいたいという制作側の意気込みなんだろう。実名で登場する昭和な人たちのキャスティングにも興味津々。ミムラの向田邦子がくりそつ。でも倉本聰が出られないのはいまだNHKのわだかまりなのか。ちなみに彼の「6羽のかもめ」の終盤の回に徹子さんは敏腕マネージャー役で出演している。シナリオを見返すとそのセリフの量は他の役者の倍以上はある。
2016/04/30
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■大坂編が始まってまだ3回目だというのに、もうすっかり小日向秀吉に振り回されて、堺君が昔から彼の子分だった人のように見える。それはこの次男坊の順応性というものなのかもしれず、彼の裏表のない真っ正直な人柄ゆえなのかもしれない。■それに比べて表の顔と裏の顔を併せ持った武将たちが秀吉側には多数存在しており、近藤芳正が小林隆に見せる顔など、出世競争に敗れた現代のサラリーマンのそれと何ら変わらない戦国時代の同期入社のようだ。■何を考えているのかわからないという意味では羽柴秀吉のそれは群を抜いており、普段は無邪気にはしゃいでばかりいる(鈴木京香にねいねい言いながら甘える仕草に笑った)ように見えて、一瞬笑顔を封印した時に見せる無表情の冷酷さは睫毛の長い私なんかからしてみれば、身も凍るほどの恐ろしさだ。■そんな権力者の側には必ず頭脳派と武闘派が脇を固めている。家康のそばに近藤正臣と藤岡弘、がいるように、秀吉の脇にも石田三成と加藤清正がいる。今回新井浩文によって軽々と持ち上げられ落とされそうになった井戸という場所は今後、彼にとって重要な場所になっていくはずだ。まるで村上春樹の小説のように。■史実を歪めてはならないという約束をこの作家は今のところ忠実に実行しているが、その歴史観まで束縛される必要はない。秀吉の弟、秀長が信繁に言ったセリフに作者の考えが含まれているように思う。つまりこの時、大坂城にいるほとんどの者が今の自分たちの立場に心の方がついていけていない。次に何をすればいいか、何を目指すべきなのか、誰にも明確なビジョンがない。これから先の秀吉の迷走も推して知るべしということだ。■忠義の人だった上杉景勝も秀吉の権力の前になすすべもなく真田を裏切り、信繁を大坂に残す。このままでは真田は滅びてしまうと珍しくモノローグにかぶせて懐かしい山南走りを見せてくれた堺雅人の苦肉の策は禁断の竹内結子の懐に飛び込むことか。■ヒューマン・コメディの巧者であるこの作者はどのように今まで紡いでいった伏線を、この非情ともいえる歴史をなぞりながら辻褄を合わせる形で回収できるのか。登場人物が増えれば増えるほど、そして歴史的大事件が起これば起こるほど、この群像劇はとてつもないスケールを併せ持つこととなる。はたしてそれが完結した時に得られる満足感はどれくらいのものだろう。
2016/04/24
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■レコード盤1枚に注いだ熱量は70年代前半のあの頃が一番大きかったと思う。当時の聞き方にはある一定の儀式があった。それはまず買ったばかりのLPをしげしげと眺め、ライナーノート、歌詞カードに一通り目を通し、1曲ごとの作詞作曲者の名を確かめ、それが終わると、やおら部屋のあかりを消し、おもむろにレコードをターンテーブルにのせ、ボリュームを9時の方向に合わせ、そっと針を落とす。■そんな儀式を経て、あの頃夢中になったのはいわゆるプログレッシブ・ロック。とりわけ「宮殿」と「危機」と「狂気」に代表される御三家のアルバムたちだった。その中でもクリムゾンの音楽は最も硬派で、メロディアスな部分よりも破壊的なサウンドが勝り、心地よさよりも刺激的である部分が他のバンドとの相違点だった。■特に73年に出た「太陽と戦慄」はたしかその年の暑い夏の盛りに初めて聞いたと記憶しているが、針を落としてしばらくしてもなかなか音量が上がらず、少しボリュームを上げてみたら5分後にひどい目にあったという思い出がある。だからあの長く尾を引く爆音がこのバンドの印象となっていまだに焼き付いている感じがする。■そんな40年以上前の音楽がいまだ現役で鳴り続いているという奇跡みたいなライブを収録したのがこのアルバム。さすがに当時のメンバーが勢ぞろいでというわけにはいかないが、ロバート・フリップがいる限りクリムゾンという名前のバンドは継続できる権利を持つ。■彼自身による開演前のアナウンスでこのアルバムは始まる。いわく(写真なんて撮ってないで、スマホなんていじってないで)これから流れる我々の音楽に耳を澄ませ、全神経を集中しろ。そして始まった例の小音量のパーカッションで私はまたボリュームを少し上げ、40年前と同じ失敗をすることになる。■クリムゾン史上最もそのサウンドに相応しいボーカリストは誰かという質問は難問だが、このバンドのボーカルもオリジナルの歌い手(この言葉ほど似合わないバンドはないだろ)の印象を損なうことなく無難にこなしているように思う。(個人的には「アイランド」のボズ・バレルに一票)■結局CD2枚通して最後まで聞き終えてしまったのは演奏される曲目の並びの良さと、今なお耳に残るあのウィーンとうなる残響みたいな歪んだ音の心地よさ(いや、悪さかもしれない)と、まるでその会場にいるような気分にさせる録音の良さだと思う。この年になって改めて「エピタフ」の歌い出しとか「イージー・マネー」の笑い袋とか、「スターレス」のサックス・パートなどを聞きながら、なんだ結局私はちっとも成長してないんだと思う気持ちとかね■いつの間にか、この部屋もあの頃にタイムスリップして、真っ暗になっていて、そこでは大音量で21世紀の精神異常者が鳴っている。そういえばもう新しい世紀になってずいぶん経ったし、もうそのタイトルも使えない。そしてロバート・フリップは今年70歳になる。やはり変わっていないのは私だけだった。Robert Fripp (g,key)Jakko Jakszyk (g,vo)Mel Collins (sax,fl)Tony Levin (b,sticks,backing vo)Gavin Harrison (dr,el-per)Bill Rieflin (dr,el-per,key)Pat Mastelotto (dr,el-per)Disc11.Threshold Soundscape (4:00)/2.Larks Tongues In Aspic Part I (10:29)/3.Pictures Of A City (8:32) /4.VROOOM (5:18) /5.Radical Action To Unseat The Hold Of Monkey Mind (3:20)/6.Meltdown (4:51) /7.Hell Hounds Of Krim (3:31) /8.The ConstruKction Of Light (6:44) /9.Red (6:47)/10.Epitaph (9:02)Disc21.Banshee Legs Bell Hassle (1:43) /2.Easy Money (8:33)/3.Level Five (7:04)/4.The Letters (5:38) /5.Sailors Tale (6:56) /6.Starless (15:18) /7.The Court Of The Crimson King (7:17) /8.21st Century Schizoid Man (11:41)
2016/04/21
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■検地をすれば色んなことがわかります。かつて観覧車に閉じ込められた今泉慎太郎が古畑任三郎に爆弾の配線を問い質された時に仲良く並んでいますと答えたことを思い出した。酒席において自らの桝と福島正則の大きな桝を見比べて、太閤検地のアイディアを閃いた秀吉はさっそく石田三成に命じてその歴史上の重大政策を実施する。■吉野太夫に色目を使い、茶々を相手に神経衰弱、そして奥方様には後ろからハグ。女好き、人たらしの面目躍如。しかしその笑顔の裏側には強烈な猜疑心と嫉妬心が見え隠れしている様が名優小日向文世によって飄々と演じられる。まさにタイトル通り秀吉を見せる45分。■なんでお前がそこにいる、と長澤まさみに彼が言ったように、視聴者の突っ込みもまた真田信繁本人に向かう。上杉景勝より前に秀吉に会い、御前会議にまで連れ出され、身動きの取れない茶室で千利休にまで遭遇するとは主人公の特権に他ならない。■下積み時代は全て割愛され、権力というものをあらかたまとった金ぴかの猿として私たちの前に現れた彼はまだ金屏風の裏に衣を脱ぎ捨てるだけの身軽さを持っていた。そして常に側にいてくれる知将たちに政策は任せ、千利休に対しても自らの悩み事を打ち明けアドバイスをもらうという信頼感を持ち合わせていた。天辺(てっぺん)が人を不安にさせるものだとすれば、彼が少しずつどうにかなってしまうのはもう少し後の話だ。■期待に応えたいけれど、それがままならないという意味では今回は上杉景勝と真田信幸のふたりの陰欝な表情とが切なかった。かたや権力者から真田への支援を断つように命じられ、かたや父親から弟以上の信頼を寄せてもらえない。利休のふるまう茶を生涯最も苦いものであったと信繁に言うシーンは名場面であったし、空蝉の術や火遁の術より、庭の手入れに勤しむ方を選ぶ長男の実直さが主人公とのコントラストを際立たせていた。そしてもうひとり、今回初登場の羽柴秀次。この優しい若侍がこれから辿るであろう茨の道を考えるとその無邪気さゆえに超せつない。■以前の大河でも何度も登場してきた人物がより人間臭く見えるのがこの作家の真骨頂。軍師官兵衛において田中圭によって演じられた新しい石田三成像がまたしても上書きされそうだ。にやけることも封印され、必要なことしか喋らないこの側近官僚が心の底で何を考えているのかこれから先の山本耕史の登場シーンがまた楽しみだ。
2016/04/17
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1.ワールドレコード2.21世紀の日照りの都に雨が降る3.入曽4.あののか5.outdoors6.ターミナル7.exotic penguin steps(intro)8.exotic penguin night9.大停電の夜に10.マクベス11.(I found it)Back Beard12.小旅行 ■すごく信頼できるバンドを見つける喜びは大きい。アルバム1枚を通してどんな音で始まり、どんなことが歌われ、どんな曲調でそれが演奏されるのか、それをドキドキしながら時々顔がにんまりしてしまうような作品に出会えるとなんか得をした気分になる。■良いニュースがたいてい小さな声で伝えられるように、良い音楽もまたかすかな音の積み重ねで鳴り響いてくることが多い。部屋のステレオで、車の中で、ヘッドフォンで、歩いて、寝ころんで、正座して、その時々の視聴環境によって、とても心に引っかかる瞬間があって、なんだかすごく気になって仕方がない部類の音楽になった。■スチャダラとか、ソウルセットとか、はっぴいえんどとか、ライダーズとかペンギンカフェとか、フリッパーズの香りがする。わたしにとってそれらはもう体のどこかに染みついた音楽だから、似たような声や歌詞や歌い方やメロディやギターソロやベースラインなどが流れてくると、自然に敏感に反応してしまう。身体だけでなく頭の方がね。■大好きなのは「大停電の夜に」から「マクベス」の流れ。どちらもまるで小沢健二の「天使たちのシーン」に匹敵するような大作感を持ち合わせているのだが、かたや一夜の風景を、かたや一生分の走馬燈感を一曲の中に閉じ込めているように聞こえてとても美しいと思う。■明らかに火の玉ボーイなビル群を背景に夜の街を歩くレコスケ君の目の前を空飛ぶペンギンが横切るジャケットはその音を聞く前から何か無視できないオーラを醸し出していた。そしてそれはたしかにそういう種類の音楽だった。実はこのバンド、次回作もまたその次もとっても素敵なのだが、その話はまたいずれ。
2016/04/14
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■リアル松本幸四郎ファミリーが見送る視線の先は北海道からひとり東京に旅立つリアル娘の松たか子。この時は駅員だったリアル勉さんに邪魔されて肝心な「いってらっしゃい」や「気をつけて」や「電話しろよ」なんて別れの言葉は言えずに電車は出て行ってしまうのだけど。■満開だった桜が散る。引っ越し屋のトラックも花嫁を乗せるタクシーもワイパーなしでは前が見えなくなるくらい豪雨のように桜の花が散る。ちょっと外に出て荷物運びを手伝っただけなのに彼女のパーカの中にもたくさんの花びらが積もる。私もまたその一枚になれたとしたらどれほど幸運だったろう。■4月に見るための映画としてはベスト3には入る。これから始まる新しい生活、家具はどこに置こうか、明日は何を着て学校に行こうか、どんな部活に入ろうか、そして最初に仲良くなれそうな人は誰か。■新しい土地でひとり見る映画はできれば恋愛ものがいい。でもなぜかこの街では時代劇しかかかっていない。しかも周りはちょっと危ない人ばかり。今度はきっと二人で来よう。今度はもっと見る映画を選ぼう。■それでも彼女にはこの新しい場所に旅立つ目的がはっきりとあった。憧れの先輩が選んだ場所はこの武蔵野。それが地名だということは後で知ったことだが、つぶやくだけでときめく魔法のような言葉、むさしの。■先輩の働く本屋で彼女が手に取ったものはおそらくサリンジャーの「ライ麦畑」、気がついてくれたら死ぬほど幸せだけど、もしそうならなくてもまた明日来ればいい。■突然降ってくる雨はとても迷惑だけど、時と場合によってはそれが天からのプレゼントに思えることもある。先輩が貸してくれた真っ赤な傘、たとえその骨が折れていたとしてもそれでいい、いや、それがいい。■胸キュン映画ベスト3には入る。60分ちょいという短編ながら、ここに収められた松たか子は永遠である。そして私にとっては彼女が傘を借りた相手としてワンシーンだけ登場する加藤和彦氏の姿が忘れられない。彼もまたこの映画によって永遠になった。
2016/04/11
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■タイトルバックの配役名に今まであった空白がなくなるくらいキャストが増えていく。堺→大泉→長澤の鉄板3名の次に来たのは山本耕史。そして豊臣秀吉はどのあたりに並ぶのかと思えば、セカンドダイジェスト(勝手にあの穴からの2つのショットをそう呼んでいるのだが)の直後。結局今まで通り大トリの前に依然として徳川家康が君臨しているのを見れば、真田側からすれば対秀吉<家康の物語なのだということなのだろう。■石川教正の出奔で徳川軍は真田攻めを断念し、マグニチュードなんとかの地震のせいで豊臣軍は徳川に攻めてこなかった。こうした策略とか偶然の天災で歴史というものはあっちへ転び、こっちへ転ぶ。学校で習う日本史も歴史上の人物の英知だけでなく、その時々に起こる天変地異もまた重要なアイテムだったということを知る学問なのだ。■それにしても出奔(しゅっぽんってなんかかわいい)の知らせを家康に伝えに来た近藤正臣のスキップが楽しかった。今から何十年か前、その場ジャンプで一瞬のうちにピアノの上に乗り、両足でネコふんじゃったを演奏した身軽さを知っている者からすれば、人に歴史ありを痛感させられる光景だった。■大泉君が愚痴っていたようになぜ真田の次男坊はああも人の懐に飛び込むのが上手なんだろう。思うに、それは彼に備わったカウンセリング・マインドなんだと思う。相手の話を傾聴する技術が巧み。上杉景勝も誰にも言わないであろう裏の心を彼になら喋れるし、石川教正(伊藤正之名演)にも裏切ってしまったんだから仕方ないじゃないかと諭す。彼と対峙する登場人物は必ず何か悩みを持っているわけで、こんなにたくさんの武士たちが悩んでいる大河も珍しいのではないか。■人を不快にさせる名人、やたらボディタッチが得意なお姫様、胃が弱そうな側近、そして藤岡弘、を一回り小さくした動物みたいな武将も登場した。とりわけ石田三成と真田信繁のツーショットは避けては通れぬ道を歩んだ副長と総長を思い出させてくれて感慨ひとしお。今度はどちらが長生きするのだろう。■もうひとり、金ぴかの猿については次回たくさん書こう。はたして小日向秀吉はあの竹中直人を上書きしてしまえるのだろうか。肖像画を見る限りではコヒさんの方がはるかに現物に近い感じがするがどうか。(今までの大河で一番あれに似ていたのは笹野武史だったと思う)ともあれ、またしても新キャスト続出の次回に期待。
2016/04/10
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■あれだけ死亡フラグを立てておいて、誰もがやっぱりあの門の前でと思った瞬間、佐助が登場。あっぱれ佐助、この意表のつかれ方は心憎いなと思ったところで、残り2分でまた裏切られました。一度安心に動かされた後で、また揺さぶられると、衝撃は倍になります。予想を裏切り、期待に応えるというキャッチフレーズも時と場合によります。■やはり私にとってこのドラマは大河ドラマを楽しむというよりは三谷ドラマを堪能するというベクトルの方に向きます。史実は決まっています。その中であったかもしれないドラマと、いたかもしれない人物のおりなすエピソードの積み重ねがこのドラマの意義でもあるし魅力でもあります。■戦闘シーンをあまり好まないこの作者も今回の上田合戦に限っては、銃や刀や槍や矢を浴びる人々を描かざるを得ません。実際に上田城の二の丸付近があのように手の込んだ迷路に作られていたのかはわかりませんが、今回のセットのスケールの大きさと緻密さは大河ならではの時間とお金のかけ方でした。■印象的だったのは真田側の術中にはまった徳川軍の兵たちが次々と命を落としていく様子を固い顔で見つめる堺君と大泉君の表情で、たしかに勝鬨はあげたけれども、(藤岡弘、のように)戦闘が好きでたまらないわけではない、できれば以前、徳川や北条を出し抜いたように血を流さずに勝利を収めたいというように見えなくもありませんでした。■この合戦の発端は本当にあのような敵を揶揄する高砂の謡いから始まったのでしょうか。今でいえば、「お前の母さん○○○~」みたいな感じなのかしらね。そんな堺君のくるくる変わる表情や身体いっぱい使った旗振り芝居が見ものでした。時にコメディアン風に、時に凛々しい武士に、そして時に沈痛な夫にと、青春編の総仕上げとばかり、喜怒哀楽すべて含めて堺雅人の力量を堪能しました。■真田の旗、あの六文銭のデザインは素朴でありながら、力強くて素敵です。当時、旗自慢全国大会かなんかあったら、結構いい線いってたんじゃないでしょうか。ライバルはやっぱり風林火山かな。あ、七人の侍の○と「た」の字も忘れられませんね。■この回がある意味でひとつの区切りだとすれば、ここまで印象に残ったキャスト・ベスト・スリーは平岳大、西村雅彦、黒木華でした。次回からは大坂編が始まります。ここまで家康以外は信長も光秀も有名どころはほとんどスルーしてきましたが、役者の当て方を見ても秀吉、三成、淀君などはかなりこの作家特有の描き方を見せてくれそうな予感がします。BGM 「キングサーモンのいる島」 六文銭
2016/04/03
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■NHKで松尾スズキアワー「恋は、アナタのおそば」を見る。ヒロイン多部未華子が抜群にキュート。近作「あやしい彼女」での好演も評判の彼女のコメディエンヌ的資質が全開。松尾スズキとの相性も「農業少女」以来のコンビネーションで安定感抜群。■昨日と今日、2夜連続で見せてくれた歌あり、お芝居ありの舞台劇。緩くて軽くてNHK的にはギリギリの変化球ミュージカル。色のついたしゃぼん玉ホリデーと言ったら年がばれるか。■月に1回程度でいいからこの企画の連続化を望む。毎回ヒロインを抜擢して、かたわらに大物女優を登場させ(今回の大竹しのぶの貫禄といったら)脇にはおなじみの大人計画的俳優たち(平岩・三宅・皆川・杉村・池津etc)がしっかり固める。■思うにこの劇団の二枚看板、松尾スズキはジョン・レノン、宮藤官九郎はポール・マッカートニーに見えたりする。もちろん外見的な意味ではなくその作風の色合いが。■あまちゃんの大成功もこの名脇役たちの活躍がなかったら成り立たなかった。この歌謡劇を見て是非、能年玲奈の復活を期待する。彼らが周りにいて場の空気を盛り上げれば多少歌や踊りに難点があっても再び輝く彼女が見られるかもしれない。
2016/03/31
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■主人公の本名は衣笠幸夫。誰もが知っているあのもみあげの野球選手と同じ名前(漢字は違います)を持っているだけで自分の名が呼ばれるたびに引け目を感じてしまう気分は容易に想像できる。■だから彼は小説家となりペンネームを獲得することで本名の呪縛から一時解放される。世間の人は誰も彼をあの名で呼ばない。本当の自分を隠すことができれば、嘘の自分は何でも好きなことができるような気がする。■本名が本当の自分で偽名が嘘の自分というのは安直な腑分けに過ぎないが、私も小学校高学年あたりから、できるだけ感情を表に出さない人になろうと訓練してきた経験がある。周囲から喜怒哀楽を察知されることを極端に恐れる子供だったのだと思う。■そんな風に振る舞うことが板についてしまうと、肝心な時に自分の感情がわからなくなってしまうことがあった。泣くだろうここで、腹を立てなきゃそこで。考えた末に爆発した感情はどれもアンリアルなものだった。■西川美和はシナリオも自分で書く映画監督だが、セリフだけでなく地の文も巧みだ。映画より小説のほうが自由に描けると彼女は言うが、それはそこに張りつめた空気感すら豊かな語彙と表現力さえあれば読み手の想像力と共感を容易く獲得することができるからなのではないか。■小説版「ゆれる」もそうであったように、この小説でも語り手が何度も変わり、取り巻く事象を多角的に読者に伝える。映画監督の視点からすれば、登場するいかなる人物にも血が通っていなければならないということは作品の鉄則なのだろう。■文章のところどころに作者の太宰好きが垣間見られる。思うにあの小説家も結局長い長い言い訳ばかり書き綴っていたように思う。ただその言い訳には聞き惚れてしまうような巧みさがあった。つまらない言い訳なんて良いわけがない。■自分が他者にとってなくてはならない存在であるということ。自分がいなくなっても世界なんか何ら変わりはしないというのはある種の思い上がりなのかもしれない。その不在を今日も誰かが埋めなければならないということに気がつくのはずっと後のことなのかな。PS この秋公開予定のこの映画はおそらく見ると思う。主人公には本木雅弘、正反対の相手役には竹原ピストル。青春金属バット以来だ。
2016/03/30
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■最初に彼を見たのは反町監督率いる北京五輪代表の予選だったと思う。豊田とか森島とか森本の代わりに途中から登場したスポーツ刈りの小柄な選手がフル代表100戦目を迎えるとはあの時、想像もできなかった。■彼の場合、膝より高いボールなら全てヘッディング・ゾーンだった。ディフェンスが、キーパーが、至近距離にいたって頭からボールめがけて突っ込んでいった。そう。若い頃の彼の目標は中山雅史だった。■そんな憧れの先輩と同じ背番号9を背負ってからは頭だけの彼ではなくなった。愚直に守備もするフォワード。倒れてもまだシュートを打とうとするフォワード。最も印象的なゴールは南アフリカ大会出場を決めたウズベキスタン戦での中村憲剛からの浮き球のパスを受けたゴール。■それにしても前回のアフガニスタン戦の先制ゴールは美しかった。ああ止めてああ流してああ蹴るか。無骨返上。不器用返上。角刈り返上。ようこそ技巧派。プレミアを主戦場にして戦うということはあのような技術を身につけなければ勝てないということか。■今夜のシリア戦も見ている分にはとても派手なゲームで面白かった。コーナーキックの数はギネス級だし、ペナルティエリア内であれだけ派手なシュートシーンが炸裂するゲームは滅多にない。香川のパスからのボレー、あれが決まっていたら最高のプレゼントだったのにね。■最終予選は9月から。もしもレスターがこのまま首位でシーズンを終えていれば、その頃彼はどこのチームに籍を置いているんだろうか。いずれにしろ、流暢な英語で移籍会見している彼の姿はまだまだ想像できない。
2016/03/29
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