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母から手渡された、「セピア色の母子手帳」は、何十年の時を経て、7回の引っ越しやらでポロポロだったけれど、確かに父と母の名前の間には、新生児の私の名前が書きこまれていた。
嬉しかった、私が生を受けた証です。
開くと、「札幌市長・高田富興」の判が押され、母が私を出産するときの「大変さ」が書き込まれていた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「8か月・・・人口中絶 午後0時55分→女 2150グラム 妊娠腎のため・・・ブジー挿入
保育器・・ドイツワクチン 立ち合い医師・・天使病院 板倉寛一」
と、記されていました。
母は腎臓を悪くし、H大学病院に通っていたものの・・「ベビの私か、母体かの」いずれの選択を余儀なくされ、キリスト教の「天使病院」に駆け付けたとのことです。しかも、父がこぐ自転車の後部に横座りで、病院まで行ったとのことです。![]()
そこで、母は分娩台で、目の前にあるキリスト様とマリア様の像に手を合わせて「どうか、この子を助けてください・・。しかし、私には3人の子供が待っています、どうか、母親である私もお助けしてください・・」と、祈りをささげていたそうです。
随分と時間のかかるお産で、母は相当苦しんだようで、やっと未熟児の私が生まれたようですが、産声を上げなかったため、お医者様が赤子の私の足をつかんで、さかさまにしてお尻をペチッペチッと叩き、そこで「オンギャー!」一件落着したようです。
しかし、私は保育器の中で2か月過ごしたそうで、天使病院の生命に対する医療精神のおかげで、このように「生」を受けられました。
思春期の時は、母に「10か月おなかに入れてくれていたら、もっと美人でもっと頭がよく、賢く、生まれてきたはずなのに~」と、文句を言っていたそうです・・・今でも、あの頃の自分がバカすぎたと反省しています。
おまけに、私は私で娘の妊娠時には、「妊娠中毒症」となり、おしっこが200ccも出なくなり、10か月後半には入院したものの、予定日2日前に破水し、ありとあらゆる手段で29時間もの「劇的な出産」を果たしました。
聞くと、母娘遺伝という事らしいので、私の娘が「妊娠」したら、塩分には注意をしておきたいと思います。
という事で、末っ子の私だけが手にできた、「母子手帳」に涙が出ました。
母はまだ若く、戦争まで体験し、4人の子供を育て、父も必死に働き、晩年は・・・と、夢も持っていたかもしれません。その父も夢かなわずに2年前に他界し、今度は一人残された母は、夢も実現できない事を知り、
「早く死にたい、お父さんの所に行きたい、子供に迷惑かけたくない・・」と、言います。
セピア色の母子手帳に記された、当時の父と母の愛をしっかり、胸に刻み、出来る限りのお返しをしようと思います。