ライフキャリア総研★主筆の部屋

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2003年11月04日
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 これから、がんの早期発見早期治療に役立つPET(陽電子放出断層撮像装置)についてのエッセイを書かねばならないのですが、連休ボケした脳味噌がどうにも資料を受け付けなくて……。

 新陳代謝をよくするために、まずは運動してからと思い、いま、ジムから帰ってきたところです。お昼ごはんを食べながら読んだ本が、『スロー・イズ・ビューティフル』(辻 信一著、平凡社)。

 最近、私が悩んでいたことについてのヒントや答えを見出したような思いがしました。

 辻氏は、私たちの社会が「準備社会」であるとの説を紹介します。いい学校に入るため、いい会社に入るため、いい家庭を築くためというように、私たちの人生は、常に勝ち組としての未来を獲得するための準備に追われています。

>社会はこれまで子どもたちに目標を押しつけて、そのために今を犠牲にすることを強いてきた。そのことが多くの不幸せな若者たちをつくり出したのだと、ぼくには思えるのだが。(前掲書27ページ)

 私たちの時代は、崇高な目標を掲げ、その達成のために日々の努力を怠らない生き方が素晴らしいという価値観に支配されています。でも、目標って、そんなに大切なことかしら。先の目標ばかりを見て、足元がおぼつかなくなっているんじゃないだろうか。将来の幸福のために、今を犠牲にしているのではないだろうか。そんな生き方で、本当にいいのだろうかと辻氏は問いかけています。

>我々の時代は、人々が必死に生きがいを求め、存在理由を探し、役割を模索し、それが思うようにうまくいかない時には生きる気力を失ってしまうという時代だ。では、以前はどこが違っていたのか。「生きる」のに理由など要らなかった。「生きる」といういことに過不足はなかったのだ。そう感じられたのはなぜだろう。多分、いのちというものが、自分にはおさまりきらない、自分を越えた、自分以上の存在だと感じていたからではないか。そこでは現代の我々が思うようにいのちは自分の所有物ではない。それは神秘であり、奇蹟。それは聖なるものと感受されていたのではないか。「今」はいのちの表現であり、「答え」。その「今」を、その「答え」を人間はひたすら生きてきた。(前掲書31ページ)

 もっとスロー・ダウンして生きようよ。いまのプロセスを楽しもうよ。そんなメッセージを私はしっかりと胸に刻むのでした。

 日々の忙しさにかまけていると、どうも大切なものを見落としがちです。

 私は、「根源的」という言葉が大好きで、この言葉を使う人には親近感を覚え、「同志だなあ」と勝手に決め付けたりしています。英語で言えば、「ラディカル」ね。「過激」という訳も当てられますが、語源はラテン語のradix(根、大根の一種、底部・山麓、発端・起源)ですね。

 ものごとの根源をしっかりと見つめるまなざしを持って、スローに着実に一歩ずつ踏みしめて生きていこうと思うのでした。

 というわけで、PETに関するお仕事は、①がんとは何か、②人はなぜがんになるのか、③なぜ、早期発見早期治療が有効なのか……といった根源的な問いから始めてみようと思い、拙宅の本棚からある医師のがん闘病記(『わたし、ガンです―ある精神科医の耐病記』頼藤和寛著)を引っ張り出してみたところです。



 頼藤氏の本を読了。一気に読んでしまった。本に呼ばれ、招じ入れられたという感じで。恐ろしいことに、本は「呼ぶ」のである。

 著者ががんらしき自覚症状をおぼえ、しかし、日々の忙しさに紛れ、また、現実を楽観視したい気持ちが手伝って、検査を先延ばしする心理は、とても医者のものとは思えないぐらい素人の一般人と同じであるのに驚かされた。

 最悪の検査結果が出て、手術、そして再発の可能性がかなり高いという現実を直視し、「自分の死因がわかってしまった男は、それまでのようには生きられない。また、それまでのように生きる必要もなくなった」と見定めてから筆を置くまでの日々……。

 初版第1刷発行日は、2001年4月20日とある。一方、裏表紙にある著者プロフィールによると、2001年4月8日逝去。間に合わなかったらしい。

 6章だての構成のうち、5章までが時系列のレポートであり、体験した事実を通じてぶちまけるホンネがすごい。歯に衣着せぬ鋭さ……というか、口の悪さには苦笑させられるほどだ。また、自然科学に携わる者ならではの非情なまでのクールさに舌を巻く。まさに紙の裏まで見えてしまう視線の鋭さ。

 著者の俎上に載せられたテーマは、「病院は医者のためにある、手術は必要悪、インフォームド・コンセントの功罪、民間療法や健康法の意味」等々。

 そして最終章に描かれた「近づく死を覚悟したときの精神世界」が凄まじい。凄みがある。

 とくに心を打たれた部分をいくつか書いてみると……

>無駄を覚悟でもなお将来を目指し、さりとて現在を犠牲にするでもない営みこそが、最後までわれわれに残される最良の選択肢なのだ。(176ページ)

 最後まで夢や希望を捨てずに、しかし、夢ばかりを追って現在を犠牲にすることなく……昼間、思索したスローライフにつながった!

>だいたいわれわれは、幼少時より日常茶飯のことを自動的に処理して効率よく生きていくように発達してきた。「自動的に処理して効率よく生き」ることと、一刻一刻を大切に味わい尽くして生きることとは両立しない。(中略)だから、「あと一ト月は生きるだろう」ぐらいにせっぱつまった感覚を保つことで、なんとか一日一日を濃縮するしかない(186ページ)。

 死を目前にしてはじめて、私たちは一刻一刻を大切に生きることがようやくできるようになるのだろうか。

>気になるのは、なにかの練習に通ったり学習塾に向かったりしている子どもたちである。彼らは未来のために現在の辛苦を感受してるのだろうか。それとも、練習や勉強は彼らにとってさしたる苦労ではないのか。わたしにもかつて、彼らのように修業時代があった。あの日々は今日のわたしや明日の死を準備するためにあったのか。それとも、あの日々は将来のためなどではなく、その一日一日のためにあったのだろうか。(186ページ)

 準備に追われた生き方に対する悔悟か。

>「なにもない」過去の百億年と「なにもない」未来の百億年に挟まれた一瞬がわれわれの生涯なのであって、これなら子ども時代に死のうがギネスに載るほど長生きしようが五十歩百歩で大した違いはないことになる。ふたつの「なにもない」永遠に挟まれた「なにか」の一瞬という意味では誰しも似たような境涯である。(193ページ)

 私たちは生まれてからものごころがつく以前の百億年の記憶は全くないし、死後の百億年の記憶を持つこともできない。その間に挟まれた人生は、まったく一瞬のようなものだ。

>百億年のスケールから見れば「どれだけ生きたか」はたいした問題ではなく、「どう生きたか」がいくぶん問題なだけである。(同上)

「いくぶん」という表現の仕方が私の心に刺さる。

 早期発見、早期治療については、この二つがイコールでつながるがんもあれば、イコールでつながらない、1㎜の小ささでも転移する(そのサイズは現代の技術では発見不能)悪性の攻撃的ながんもあるとのことだった。

 うーむ。PETは5㎜サイズ以上のがんでないと発見できないのだった。





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最終更新日  2003年11月05日 12時36分00秒


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