韓国からこんにちは!
1
お久しぶりです。この間の日記のコメントにいちるんが書いてくれたように、実は30週と三日目に陣痛が来て、入院して薬を投与してみたけど薬は一時的には効いたけど、再び始まった陣痛を抑えることはできなかったようです。これは、運命かなと私も受け止めることにしました。おなかの子が出てきたいのなら、また私もこの苦難を超えることが出来るなら生まれたほうがいいのかなと陣痛を我慢しながらふと考えたのでした。8月7日の午前6時に入院して、生まれたらインキューベータに入らないといけないから大きな病院に救急車で移された。救急車は生まれて初めて乗ったよ。^^ 大きな病院では、薬が効かないときはお産をすることになるけど、陣痛にあかちゃんが耐えられないときは手術して出さないといけない、などと最悪のケースを先生から聞かされた。帝王切開はいやだな。生むとしても自然分娩がいいって思った。薬が効いたのは、午後5時から6時半くらいだったかな。そのとき旦那と娘が面会に来てくれて、明日保育園に送るからって娘を連れて家に帰っていったその後に陣痛が10分おきに始まった。薬の量を増やしてもらったけど、効かない。薬が効かないということは、生まれるということ。一度は効いた薬が効かなくなったことで、おなかの子が出てきたいんだなって思うようになった。子宮口が40%まで開いたとき、羊水も出てきてしまった。お産が始まったって思った。旦那に連絡しなきゃ、でもいつ生まれるかわかんないし。。陣痛の合間に電話するというのは、すごいきついことだった。私が電話したのは、夜中の2時くらい。もう生まれるのが近いって思ったから。そのうちウンチがしたいような気持ちになってきた。そうなると、あかちゃんが下に下りてきたということらしい。何かがズルッて出てきた。なに??なに?看護婦さんを呼ぶ。分娩台に移されて、いきむように言われた。三回くらいいきんだかな。赤ちゃんは無事に生まれてくれた。小さな産声が聞こえた。夜中の3時2分だった。看護婦さんが赤ちゃんを抱いて出て行くのを見ていた。小さな頭。でも、髪の毛が生えてる。子供は健康かな。五体満足かな。医者がおなかをマッサージすると胎盤がずるって出てくるのがわかった。ここからはかなり冷静だったかも。いきむときも祈るような気持ちだった。陣痛がきついときに一人で泣いた。私は、痛いと涙が出るみたい。一人で怖くて、手術になったらどうしようって不安で不安で仕方なかった。こんな風にお産することになって、赤ちゃんに申し訳ないと思った。でも、生まれてきたいのなら、お母さんも頑張るよってそんな気持ちだった。もうちょっとおなかの中で育てたかったけどね。胎教も頑張ろうって思ってたのに。。。ごめんね。生まれた赤ちゃんは、1470グラムの女の子。今は、インキューベータに入ってる。30週で生まれた割には健康らしく、鼻から息を吸って、私が絞ったお乳を少しずつ飲んでくれているらしい。今の私は、退院して家で養生している。3時間おきに母乳をしぼるのが主な仕事。お姑さんがご飯を作ってくださったり家の仕事、娘のことを見てくださっている。私も体もだんだん回復してきているみたい。お乳が張って大変だったけど、旦那にも手伝ってもらって少し良くなってきた。さっきは100ccも出たよ。明日は、面会に行こうと思ってる。いつまで入院するかわかんないけど早く退院して、抱っこしてお乳をあげたいな。娘も自分がお姉ちゃんだといって、赤ちゃんを抱っこしてあげるなんて言ったり、すっかりお姉ちゃん気分だ。まだ名前が決まらなくて。日本名は花瑛(はなえ)ちゃんにしようって思ってるんだけどね。韓国名がなかなか決まらない。決めてた名前にしようと思ったら、お姑さんや兄嫁さんが反対する。早く決めないと。。ということで、読んでくださってありがとうございます。これからも赤ちゃんの日記を書きます。よろしくね~~。
2006.08.12
閲覧総数 77