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寄席を愛する東京人として、いつの間にやら(?)落語に深く
携わっている人間として、本当にショックな報だった。
太神楽の第一人者、鏡味仙三郎師匠。
享年74(私の父親と同い年)。食道ガンだったとのこと。
先ほど訃報を見たところ、昨年6月9日の新宿末廣亭が最後の
高座になったという。確かに、その後くらいに、たけ平師匠か
三朝師匠から「仙三郎親方が病気なんだよ」とは聞いていた。
しかし今の医学のこと。武漢ウイルス禍とはいえ、必ず治って
いずれ高座に帰ってくるものだと信じきっていたので、午後に
訃報を聞いたときの落胆といったらなかった。
私は一丁前の落語ファン・寄席ファンだと偉そうにしているが、
寄席通いを始めたのは2002年ごろ。生で落語を聴きだしたのは
2000年なのだが、最初は「紀伊國屋寄席」ばかりに行ってて、
ある程度、演芸の知識を仕入れた後に寄席に行くようにした…
という過去がある(隠すほどのことでもないが…)。
それゆえ、私は「仙三郎・仙之助」コンビでの太神楽の高座に
間に合っていないのである(涙)。仙之助師は2001年9月に
52歳で胃ガンで亡くなられたので…余談だが、その数日後に
先代の橘家文蔵師が亡くなり、その10日後くらいには矢来町が
亡くなった。
…というわけで、私が寄席通いを始めたときは、ちょうど
「鏡味仙三郎社中」を結成した直後だったということになる。
息子の仙志郎さん、そしてここ6年ほどはお弟子の仙成さんと
3人での高座を何度となく見てきた。訃報でも書かれていたが、
あの土瓶の曲芸は何度見ても物凄い、ある意味「神懸り」的な
技藝だったと言い切っていい。
そして、トップにも書いたが「寄席の吉右衛門」のフレーズ。
これ聞かなきゃ寄席に来た意味がない!!というくらい、寄席を
愛する人間にとっては、たまらないフレーズであった。
…過去形で書かなくてはならないのが、本当に辛い。
仙志郎さん・仙成さんが傘の曲藝とか、五階茶碗を演るときは
後見に回っている仙三郎師匠。いよいよ自分の番…となると、
サッと立ち上がり「さあ、お待たせいたしました…」と言って
両手を広げてお辞儀をし「私が寄席の吉右衛門です」と言うと
楽屋で前座さんがヨスケを「カーン!」と思い切り鳴らして、
軽くよろける…というのが、お馴染みのルーティン。
そのあとに大概「○○さん(←前座さんの名前)ありがとう」
と楽屋に向かって頭を下げて、スッと土瓶の藝に入っていく、
あの流れが好きだった。
そういえば、まだ「謝樂祭」が谷中の全生庵で「圓朝まつり」
だったころ、あの石段のところで仙三郎社中が太神楽を演った
ときに「寄席の吉右衛門です」っつったら、何十人もの人々が
一斉に「大播磨ァ!!」と、大向うよろしく、声をかけたのだ。
あの“音”が未だに忘れられない。
あと今でも覚えているのが、仙成さんの初舞台。…とはいえ、
あれが本当に初舞台だったのかは分からないのだが、数年前の
12月30日の「紀伊國屋寄席」のヒザ(たぶん6年くらい前)。
トリは確かさん喬師。
仙成さんが最後の花笠の組み取りのときに、緊張していたのか
数度花笠を落とした。私は客席で「あとで怒られるのかな?」
なんて心配していたのだが、そのとき仙三郎師匠が手を止めて
仙成さんを舞台中央に呼び、肩に手を回して「実は彼は初舞台
なんです。温かい目で見守ってあげてください」とかなんとか
言ったのだ。
紀伊國屋ホール中が、割れんばかりの温かい大拍手に包まれ…
全然関係ない私が、仙三郎師匠のお弟子さんに対する優しさに
感動して、客席で勝手に落涙するという…(苦笑)。
私が最後に仙三郎師匠を見たのは、寄席の定席ではない。
昨年の3月7日、上野精養軒で開かれた春風亭一左師匠の
真打昇進披露宴。
武漢ウイルスが騒ぎになりだしたころだったが、今ほどの
自粛ムードではない時期。
今となっては嘘みたいな3密で(苦笑)ごく普通に披露宴が
進んでいき、その余興が太神楽だった。
噺家の真打昇進披露宴に行かれたことがある方は分かるかと
思うのだが、おめでたい席なので太神楽が獅子舞を披露して、
いつもの曲藝を演ることが多い。
このときもそうで…一般のお客さまなら初席・二ノ席でしか
見られない、翁家社中と鏡味仙三郎社中の合同公演!
しかも…このとき私の隣の席は「らくごカフェ」オーナーの
青木さん。後ろのテーブルは超豪華な噺家席で、一之輔師や
窓輝・きく麿・たけ平・三朝・ときん・ひろ木…という面々!
大半が友人だったから、ホッとしたところもあったが。
この宴で、いつも通りの土瓶の至藝を魅せてくださったのが
仙三郎師を見た最後になってしまった。一之輔師と窓輝師が、
舞台に向かっていい間でツッコミ(副音声と言うべき?)を
入れるのが死ぬほどおかしくて、本当に楽しかった。確か…
窓輝師が曲藝を見て「俺たちは夢を見てるんじゃないのか!?」
とか大袈裟に言うと、一之輔師がクールな口調で「いつもさ、
寄席で見てるじゃん」とかなんとか言っていたかと(笑)。
噺家が亡くなるときもそうなのだが、藝人さんが亡くなると
その「藝」を全部あの世に持っていってしまう。その儚さも
藝の魅力のひとつだ…と言われたら、返す言葉がないが…。
74歳は、今のご時世では若すぎるわね。せめて、あと10年は
土瓶の藝を見たかった。「寄席の吉右衛門」が聞きたかった。
仙三郎師匠、長い間お疲れさまでございました。
心からご冥福をお祈りいたします。