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とろろ天 @ Re[2]:遠く旅をしてきたのだろ(09/16) ありがとうございます。 こういうLPがあ…

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2026年02月16日
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カテゴリ: 私の読んだ本
【第五回】主人の登場と「同居」の成立 — 無関心という名の救い
皆さん、こんにちは。漱石文学講義、五時間目です。
前回、空腹の極限で珍野(ちんの)家に潜り込んだ「吾輩」。しかし、女中のおさんには何度もつまみ出され、絶体絶命のピンチでした。そこに現れたのが、この家の主人・珍野苦沙弥(ちんの くしゃみ)先生です。
今回は、二人の奇妙な関係が始まった「あの一言」を深掘りしましょう。
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■ 原文を味わう
「そんなに居たければ、置いてやれ」
主人はめったに顔を見せたことがない。職業は教師だそうだ。書斎へはいりっ放しで、めったに出てくることはない。家族の者は、主人が大変な勉強家だと思っている。主人も勉強家であるかのごとく振る舞っている。しかし、実際は家族の者がいうほど勉強などしてはいない。
1. 救いの言葉は「愛」ではなく「投げやり」
おさんと吾輩の攻防を見かねて、奥から出てきた主人が放った一言。それが「そんなに居たければ、置いてやれ」でした。
これは、現代のペットブームのような「可愛いから飼おう」という愛着ではありません。「いちいち追い出すのも面倒だ、勝手にさせておけ」という、極めて消極的な、もっと言えば投げやりな容認です。しかし、この「放任」こそが、自尊心が高く、干渉を嫌う「吾輩」にとって、最高の生存条件となりました。
 2. 苦沙弥先生 — 漱石が描いた「情けない自画像」
ここで紹介される主人の姿は、実に皮肉たっぷりです。
職業: 中学校の英語教師(漱石自身の投影)。
実態: 書斎にこもって勉強しているふりをして、実は机で居眠りをしている。
性質: 胃弱で偏屈、世間と折り合いをつけるのが下手。
漱石は、自分自身の欠点や「知識人の虚栄心」を、この苦沙弥先生というキャラクターに凝縮させました。それを猫の目から「実は勉強なんてしてないぞ」と暴露させる。この自己相対化(自分を客観的に笑うこと)が、本作の批評性の核となっています。
 ■ 時代背景:明治の「書斎」という聖域
明治時代の知識人にとって、書斎は特別な場所でした。西洋の知識を取り入れ、新しい日本を背負おうとする「公(おおやけ)」の顔を作る場所。
しかし、吾輩はその聖域に音もなく忍び込み、主人が鼻毛を抜いたり、胃薬を飲んで唸ったりしている「私(わたくし)」の姿を暴いてしまいます。
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 ■ 今回の講義まとめ
さて、今日のポイントを整理しておきましょう。
共生のルール: 互いに深く干渉しない。これが「吾輩」と主人の契約。
視点の確立: 「教師(知識人)」を「猫(動物)」が観察するという、上下関係の逆転。
ユーモア: 主人の「知的なふり」を見破る快感。
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こうして、晴れて「珍野家の猫」としての地位を(勝手に)確立した吾輩。
しかし、この主人の偏屈ぶりは、居眠りだけにとどまりません。次回、吾輩は主人が手を出しては挫折し続ける、数々の「おかしな趣味」を目撃することになります。
「主人は、何を見ても『これはいい、これはいい』と感心する癖がある。が、その実、何も分かってはいないのである。」
主人が次に挑戦した「水彩画」の悲惨な結末とは?
次回の更新をお楽しみに。
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本を片手に、猫の吾輩と猫の世界を逍遙しましてみませんか
次回の更新をお楽しみに。





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最終更新日  2026年02月16日 23時50分50秒
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