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3ヶ月以上も更新していないので続きと言えないかも知れないが…『珊瑚礁のサンタクロース』のオープニング・クレジット以後のシナリオを公開する。●東京都内・レストラン(以下、回想シーンが続く) レストランの厨房で皿洗いをしている慶介(24歳)。慶介「(声のみ)小さい頃に両親を共に亡くした俺は、富良野の高校を卒業するとすぐに上京。東京の予備校で2浪し何とか3流の大学に進学した。しかし、金の援助が一切なかった俺は学費も生活費も全て自分で稼がなければならなかったのだ…」 いつも慶介をいじめている先輩コック(A)が煙草をふかしながら、 彼をじっと見つめている。慶介「(声のみ)やっとのことで大学も終ろうとしていた4年生のとき、俺は些細なことによりバイト先で事件を起してしまった…」 洗い場に自分の汚れた調理服を投げ込む職場の先輩(A)。A 「おい、苦学生、これも洗っとけよな」慶介「どうして、そんなことをするんです?確か、調理服や制服などはクリーニング屋が… 」A 「先輩の言うことが聞けないってわけ?お前が東京で生活しながら大学に行けるのも、ここで仕事をしているからだろうが…と言うことは、先輩の俺たちに感謝の気持ちがあってもいいはずだろ?」慶介「……………」A 「ボンクラな俺は大学なんか行ってねえよ。だからお前さんのような同情を求める苦学生ぶった奴のツラを見ていると、腹が立ってしょうがねえんだ」 洗い場に、Aは今までふかしていた煙草の吸殻も投げ入れる。 怒りが爆発した慶介はAと無意識のうちに大乱闘を始める。慶介「(声のみ)青春の疾走にしては代償が余りにも大き過ぎた。相手に全治6ヶ月の重傷を負わせてしまった上に手を出したのも自分が先だったため、俺は傷害事件の加害者となってしまったのだ。裁判所の判決では情状酌量として実刑にはならず執行猶予だけになったものの、前科者であることに変わりはなかった…」●東京都内・銀座界隈 人ごみに紛れて歩いている慶介。慶介「(声のみ)卒業間近であったが俺は自ら大学をやめた…浪人時代を含めて、東京で6年間も自分のみを頼りに頑張ってきたはずだが、その努力も全て泡のように掻き消えてしまった」 慶介は旅行代理店に貼られた1枚のポスターの前で立ち止まる。 オーストラリアの雄大なグレートバリア・リーフの写真。慶介「(声のみ)何気なく立ち止まって眺めた旅行代理店のポスターに、なぜか俺は吸い寄せられてしまった…」●旭川市内・水族館(さらに遡った少年期の回想へ…) 祖父に連れられて訪れた慶介(10歳) たくさんの種類の珊瑚礁と彩りの鮮やかな熱帯魚が泳ぐ大水槽に、彼は何 時間も魅入ってしまう。慶介「おじいちゃん、どこの海に行ったらこんなに綺麗なお魚たちを見られるの?」祖父「……………」慶介「(声のみ)まだ小学生の頃、親代わりとして育ててくれた祖父が、旭川市内にある水族館に連れて行ってくれたときから、暖かい南国の海に俺は憧れていたような気がする…」●石狩湾 同級生と一緒に日本海の海原を眺める慶介(14歳) 大波が押し寄せ、荒れ狂う黒い海… 湾が広がる砂浜で慶介は砂に埋もれた貝殻をひとつ見つけると、 拾い上げてズボンのポケットに入れる。慶介「(声のみ)住んでいる富良野にも近くの都会だった旭川にも海はない。中学生になってから友人と石狩に遊びに来て、俺は初めて本物の海を眺めた。しかし、石狩で見た荒れ狂う波が押し寄せる日本海は、小学生の頃、旭川の水族館で感動を覚えた南国の海のイメージとは全くかけ離れた世界だった…」●青函連絡船 函館港を出航する連絡船。 船上のデッキで津軽海峡を眺めている慶介(18歳)慶介「(声のみ)富良野の高校を卒業して、北海道を離れるときに眺めた津軽海峡も、俺のなかではさほど石狩の黒い海と変わらなかった」●東京湾 岸壁に停泊している貨物船の荷役作業をしている慶介(20歳)慶介「(声のみ)予備校に通っていた2年間の浪人時代…バイト先で眺めた東京の海は最悪だった…工場の汚水やヘドロが沈殿した東京近郊の海は人の心までも荒廃させてしまう…」●東京都内・銀座界隈(回想シーンの終り) グレートバリア・リーフのポスターを暫く眺め続ける慶介だが… 彼はポスターに吸い寄せられるかのように代理店内へと入って行く。慶介「(声のみ)南国の海であれば、別に国内の沖縄でも良かったんだろが、ポスターに魅入られてしまった俺は、全財産を叩いてでも観光ビザのぎりぎりまで日本を離れようと心に決めていた…小学校のとき、旭川の水族館で見たあの風景に出会えれば、自分自身も今と何かが変わるような気がしたからだ」●JR滝川駅 ホームに滑り込むように特急列車が入る。●同駅・特急列車の車内 指定席に座っている慶介、宗八朗、瑠璃子。宗八朗「お前の故郷の富良野へ行くには、確か、今は乗換えが必要なんじゃないのか?」慶介「ああ…でも、その前に行きたい場所があるんでね」瑠璃子「どこなの?」慶介「旭川さ…」●函館本線(滝川~旭川間) 雪が降り積もるなか、快適に走る特急列車●JR旭川駅前 駅舎から出てくる慶介、宗八朗、瑠璃子。 凍て付く寒さに身震いをしながら、宗八朗「それにしても、旭川ってところは寒いよな。よく人が住めるもんだと感心してしまうぜ…」瑠璃子「宗八朗は沖縄出身だからね」慶介「(声のみ)そう…沖縄出身の宗八朗と初めて出会ったのは、オーストラリア大陸の最北端の街・ケアンズのトリニティ湾でだった…」●ケアンズ市内・トリニティ湾(以下、再び回想シーンが続く) ビーチ沿いの広々とした芝生に寝転んでいる慶介。慶介「(声のみ)日本を脱出し、まずクイーンズランド州の玄関口の街でもあるケアンズに到着した俺は、ビーチ沿いの芝生に寝転んでオーストラリアの強い紫外線を楽しんでいた…」 そこへ、ぶらりと現れたのは、Tシャツと短パン姿の宗八朗(24歳)宗八朗「お前、日本人だろ…旅行者か?」慶介「あんたもだろ?」宗八朗「ワーキングホリデーというビザを取って、俺は働きながらオーストラリアを周ってるんだ。今は、この街のダイバーショップにお世話になってる…」慶介「なら、ここのグレートバリア・リーフで潜ったのか?」宗八朗「もちろん。ケアンズに来てグレートバリア・リーフの海中を見なきゃ、バカを通り越した大バカ者といわれてしまうぜ」●トリニティ湾を走るクルーザー 地元のオージーが運転するクルーザーは快適に海上を走る… 後部席にはウエットスーツ姿の慶介、宗八朗。 酸素ボンベ、レギュレーター、足ビレなどのダイビング用品も、 船内に所狭しと積まれている。慶介「(声のみ)偶然に出会ったブッキラボウな宗八朗とは気が合いそうだった。さっそく、俺は彼の勧めるスキューバダイビングを一緒に経験してみることにした…」●海上に浮かぶポンツーン(海上に浮く波止場) ダイビングの中継ポイントとなるポンツーン。 そのポンツーンに慶介らを乗せたクルーザーが近づく… クルーザーの上から手を振る宗八朗に、 ポンツーンのデッキから手を振り 返す瑠璃子(20歳)慶介「(声のみ)その当時20歳であった瑠璃子との出会いだった。彼女も宗八朗と同じように、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに来ていたのだ」●同・デッキ上 エメラルドグリーンの美しい海を眺めている慶介。 透明度が高いせいか、海中を泳ぐ熱帯魚たちや珊瑚礁も見える。慶介「(声のみ)小学生のとき以来、求めていた海にやっと出会えた喜びを俺は全身で感じ取っていた…」 慶介の側で、談笑している宗八朗、瑠璃子。慶介「(声のみ)瑠璃子はポンツーン上で、毎日訪れるダイバーたちの雑役係りをしていた」宗八朗「なあ、せっかくだから瑠璃子も一緒に潜ろうぜ」瑠璃子「でも、仕事中だし…」宗八朗「気にすることねえよ。あちらのお客さんが一緒なわけだし、これもお前の仕事のようなもんさ」瑠璃子「宗八朗はしつこいんだから、いつも…」 仕方がなく、ダイビングの準備に取り掛かろうとする瑠璃子。慶介「(声のみ)今思えば、俺をグレートバリア・リーフに案内するということよりも、彼女をダイビングに誘いたいという目的の方が、宗八朗には比重が大きかったようだ」●海中(回想シーンの終り) 5メートル程下の海底を散策している慶介、宗八朗、瑠璃子。 カラフルな色彩に彩られた珊瑚礁の絨毯。 そして、周囲を華やかにさせる数々の熱帯魚やイソギンチャク、 ヒトデ、エビ、カニ、貝類などの南洋の仲間たち… 海中に射し込む太陽の陽射しがスポットライトのように、 それらを幻想的 に映し出す。慶介「(声のみ)驚くほどの美しさだった…まるで旭川の水族館で見た水槽のなかで泳いでいるような気分だった」 そして、現在にオーバーラップ…回想シーンが前後にかなり出てくるので混乱するかも知れないが、このシナリオで今流行の映画技法を真似している。現在と過去が交差し続けるので、初めて読んだ方が映像を浮かべるのは大変だろうが、この続きは次回に…http://www.stepone-movie.com でも続きを読めます。
Mar 17, 2006
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3ヶ月以上も更新を休んでいたのには理由がある。昨年から今年にかけて、暫くTV番組の海外ロケが続いたからである。ドキュメンタリー番組が二本、紀行番組が二本、バラエティ系道中番組が三本と、海外ばかりが目白押しに続いたのだ。海外ロケのドラマがなかったのは残念だが…エジプトの首都・カイロでピラミッドを撮影中に、ハリウッド映画のロケ隊にたまたま遭遇し、主演していた女優のペネロペ・クルスと暫し話すことも出来た。映画は昨年に日本でも公開された『サハラ』の続編らしいが、今度の続編が日本で公開するのかは未定のようだ。我々のロケ隊とは規模が全く違うせいか、砂漠地帯にかなり大掛かりなセットを組み、何百人というスタッフが働いている。ニュージーランドでは、ロケの合間で『ロード・オブ・ザ・リング』や『ラスト・サムライ』のロケ地跡を見学した。オーストラリアでは、『MI:2』のロケ地で撮影をした。海外の行く先々で…別に意識はしていなかったが、何となくハリウッド映画に浸った日々を過ごしていたのかも知れない。もし機会があれば、その時の面白話をブログでもしてみようかとは思っている。海外に限らず、常に俺は愛用のデジカメを持ち歩いている。ドラマや映画のシナハン(シナリオ・ハンティングの略称)のため、自分勝手に絵になりそうな風景を押さえるためだ。戻って来てから、その時の写真を眺めてイマジネーションを膨らませると、シナリオ創作が順調にはかどるのだ。こんなにもブログを休んでいたのにも関わらず、少しづつでもアクセスが増え続けたのが嬉しかった。興味のある人が多いからだろう。さて、次回からは暫くぶりにドラマ制作の本題に戻りたい。追伸:全く関係のない話だが…海外にいる間でも俺はよく酒を飲む。そして、日本の酒の肴が無性に恋しくなる時がある。長期間も海外に滞在すると、どうしても食べたくなる日本の酒の肴として、ウドの酢味噌和え、タラの芽の天婦羅、馬刺し、レバー刺しの4品だ。世界中に日本食レストランは存在するが、この4品は日本以外のどこの国へ行っても食べることは難しく、とても不自由するのだ。特に、馬の生肉や生のレバーなんぞは、海外ではゲテモノ料理と同じ扱いである。外国人にとって、日本食の梅干や納豆、魚の刺身なんかはまだかわいい方で、馬の生肉を食う日本人は、それこそゾウやカバの生肉を食う野蛮人と同類に見られてしまうのである。歴史と共に、世界の生活文化や食習慣は複雑でさまざまなのだ。
Mar 16, 2006
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