さて、問題である。
次の数字は、『椿三十郎』の上演時間である。森田芳光監督・織田裕二主演の完全リメイク版『椿三十郎』の上映時間を、(1)、(2)から選択せよ。
(1) 98分 (2) 119分
まともな感性の持ち主なら、(1)と答えるだろうし、実は、(2)が正解だと知れば、首を傾げたくなるだろう。
時代が緩やかに流れた、『ALWAYS・三丁目の夕日』の時代に製作された、黒澤明監督三船敏郎主演の『椿三十郎』が、凄まじいスピードで滑走する超高度消費社会の現代で製作された森田芳光監督・織田裕二主演の完全リメイク版より、短いとは考えにくいからだ。
まったく同じ脚本で撮ったにもかかわらず、21分も長いという事実が意味するところは何か?
「ぴあ」を閉じ、いやな予感に駆られながら、場内を見渡すと、いくら平日の昼間とはいえ、都心の決して小さくはない映画館で、こんなにお客が疎らで大丈夫なんだろうか?などと映画関係者でもないのに、余計な心配が頭をもたげてしまう。
ところで、森田芳光監督・織田裕二主演の『椿三十郎』は、面白かったのか?
残念ながらというべきか、予想通りというべきか、危惧したとおりの陰惨な出来ばえなのだ。
端的にいって、長すぎるのである。
失敗の原因は、その一点に尽きている。
前稿のリュミエール通信『椿三十郎』でも述べたが、黒澤明、小国英雄、菊島隆三の三人の名脚本家が凝縮させた98分の脚本は、完璧なまでに研ぎ澄まされており、無駄なセリフも、説明的なセリフも一切ない。だからこそ、森田監督も脚本には手をふれなかったのだろう。
演技においても、三船敏郎以下、9人の役者がテンポよくセリフを吐き、快調なリズムを生み出しているのに対し、森田版のそれは、何を意図してのことかは分からぬが、役者がセリフを吐くたびに、意味の無いタメと間が生じ、黒沢版には息づいていた躍動感を奪ってしまうのだ。
おまけに、間延びして締りのない説明的な演技(今どきこんな古臭い演技も珍しい)を、細かなカット割りでさらに説明するので、映画からテンポとリズムが削がれ、その結果、笑いも燃焼せず、活劇性をも殺してしまう。
誤解しないで欲しいのだが、織田裕二をはじめとした若い俳優たちの演技を批判しているわけではない。むしろ彼らは被害者だ。
ひとえに、森田芳光監督の時代錯誤的な演出に欠陥があるのだ。
蜷川幸雄氏でも、唐十郎氏でも、野田秀樹氏でもいいが、舞台の演出家だったら、不自然な、台詞のタメと間を詰め、若い俳優たちの魅力を引き出せたに違いない。
やたらニヤニヤしている織田裕二以下9人の俳優たちのスローテンポな演技は、『椿三十郎』のもうひとつの魅力、つまり、城代家老の奥方と娘が醸し出す何とも云えぬほのぼのとした笑いまで消し去ってしまう。
黒澤明監督・三船敏郎主演のテンポの良い『椿三十郎』には存在していた、入江たか子と団令子の悠長な可笑しさが、まどろっこしいだけで、緩急を欠いたリメイク版では、まるで機能しないのだ。
この映画の見所のひとつといわれている殺陣も、長回しのキャメラで撮ったのならともかく、編集でみせているだけだから醍醐味も無い。
それにしても、製作総指揮の角川春樹氏は何をしていたのだろうか?
何故、森田芳光監督に撮らせたのだろうか?
最後に。
森田芳光監督・織田裕二主演『椿三十郎』は、観るべきか?
黒澤明監督・三船敏郎主演『椿三十郎』を観たことがない人なら、観るべきだとだけ云っておこう。
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