映画は最後まで観る子のブログ

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2021.06.14
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時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。






異なる環境にいても互いを理解しあえれば一歩踏み出せる!






黒人と白人の交流を描いた、いわゆる感動作品と名のつく映画はこれまで何作もあったと思う。最強のふたりとか、前に感想をかいたベスト・オブ・エネミーズもそのひとつ。だけど、この作品がほかと決定的に違うところは、たぶん 黒人のドクがお金持ちで、白人のトニーが労働者階級の貧困層に位置している っていう点じゃないかな?とくにドクという存在がこの映画を唯一無二のものにしてる。複雑な彼の心にちょっと触れる度に、この作品は深みが増していく。実話であるのもまた良き。




お話は黒人差別が公然と行われていた時代、イタリア移民のチンピラみたいなトニーが、ひょんなことから才能あふれる黒人ピアニスト、ドン・シャーリーの運転手に抜擢されたところからはじまる。白人であるトニーは黒人のドクの小間使いみたいになるのが気に食わない、だけど沢山いる家族を養わなければならないということでしぶしぶ、南部ツアーにドライバーとして帯同することに。



出発前、ドクの演奏家仲間が「ここにいればチヤホヤされて簡単に稼げるのに、どうしてドクは南部に行くのだと思う?」と、トニーに問いかける。この時点で、この旅路が容易な演奏ツアーじゃないことがわかってくる。



そして暫くするとなぜ、ガサツなトニーに白羽の矢が立ったのかも理解できてくる。


ドクたちが住んでるニューヨークは多様性に寛容で黒人差別はあまりない。(トニーたちみたいな移民労働者たちは黒人に仕事を取られたと思っているからよく思ってないけど)でも、南部に行けば行くほど差別が色濃くなってくる。トニーみたいな用心棒的な人物がいないとドクを守れないほど。本作のタイトル、 グリーンブック はその最たるもの。黒人専用宿泊所が書かれた本が、グリーンブックというらしい。つまり、黒人と白人が寝屋を共にすることさえ忌み嫌われてる土地に行くんです。



最初こそ差別的だったトニーも、割と序盤からドクに対するわだかまりは溶けているようにみえる。それはドクが並外れた才能を有した天才だから、かな?ドクがスタインウェイを用意しろと言ったら、絶対にその通りにする。ゴミのポイ捨てを注意されたら取りに戻る、ドクが後部座席に座っているのを怪訝な目で見る白人たちには中指たてる!見た目いかついけど、トニーはいい奴なんです笑



むしろ複雑なのがドクター・シャーリーの方。いや、まじ難しい人物。



まず、ドクはこの時代には珍しく裕福な黒人。カーネギーホールの上階の豪華絢爛な部屋に執事付きで住み、身に纏うものもぱりっとした上物のスーツ。気位が高く、常に高潔に、常に品位を保とうとしている。ドクは人からの視線にとにかく敏感です。自分がどうみられているか、品性のある人間として見られているかを異常なまでに気にしてるし、それを周囲やトニーにも強要します。正反対のトニーが受け入れられるはずもなく、まるで母親と子供のような問答を旅の中で幾度となく繰り返す。


ここまでドクが高潔さを求めるのは、彼が 自分が黒人である 、ということを痛いほど理解しているからなんだと思う。でも、いわゆる普通の労働者階級の黒人とは違うということも理解している。だからと言って人々の彼に対する扱いが変わらないのも理解している。ドクはその才能で幾度となく喝采を浴びます。南部でもそれは変わらない。だけど、コンサートが終わってトイレに行こうとすると、それまでニコニコしていた主催者にとめられ、外にある『黒人専用』の薄汚い納屋みたいなトイレを使うように促される。さっきまで煌びやかな世界にいたのに、一歩壇上から降りると、扱いは他の黒人たちと変わらない。この矛盾がドクを苦しめる。



方や白人のトニーは?彼は車からゴミを投げ捨てたって警官に悪態ついたって、汚い言葉を使ったって石を盗もうとしたってなにも気にしない。でも誰も彼に、 ここは君が使うトイレじゃない、汚い外のトイレに行け! とは言わない。南部のテーラーでもそう。上等なスーツを着た黒人のドクの試着は拒否されても、みすぼらしい格好のトニーは試着できます。それは彼が白人だから。



どれだけ絢爛豪華な住まいであっても、時の大統領に直電できる人脈があっても、ガサツで無骨な白人のトニーの方が、黒人のドクよりも 『人間的」 に扱われるんです。(こんな書き方、本当はしたくないんだけどね、、)


このたった2時間の映画でもすっごいもやもやが貯まるのに、こんな扱いをこれまでずっと経験してきたドクは想像を絶するレベルにつらいはず。うきうきテーラーに入って行って試着を拒否された時のドクの顔がほんとに可哀想、、 テーラーのおっさんをぶん殴りたくなる!



ドクはこの時代では一番マイノリティーな存在だったんだと思う。裕福な黒人は少数だったと思うし、でも裕福な白人たちの仲間にはなれない。裕福すぎるから他の黒人とは相容れない。(家族とも疎遠であることが示唆されてたし、、)労働者階級の白人からは忌み嫌われてる。





まじ酒に溺れるのもわかるよ、、わからなくなるよね、、自分が、、



「黒人でもなく白人でもない自分は誰なんだ!」 って、ドクの悲痛な叫びに泣きそうになる。



そしてドクのセクシャルな部分として同性愛的なものを匂わせているのもまた、、分かり合える人がいないことが、より一層彼を孤独にさせてるんだろうな。






ツアーの最後、ホテルのレストランが白人専用で、トニーがどれだけ説得しても支配人が折れなかったから、ドクも堪忍袋の尾が切れてコンサートそのものをキャンセル! そうそう、そうしていいんだよドク! 自分を押し殺さずに感情を露わにしていいんだよ!二人は黒人ばかりが集うパブに飲みに出て、そこで決して年代物でも名品でもないピアノを楽しそうに演奏するドクが、そんなドクを微笑ましく見守るトニーがほんとに良き。


結局、南部はドクが思ってた以上に差別が根強く、彼一人で変えられる事はなかったけど、 旅なんて結果より過程が大事 だからね。もっとも相入れることのなかった場所にいた、トニーとドクが分かり合えたのは、この旅でも一番の収穫だよ。


ラストに旅から戻ってそれぞれの家に帰っていくのもすごく対照的。トニーには沢山のファミリーと愛する妻と子供がいる、貧しくも幸せで暖かな家があるのに引き換え、ドクター・シャーリーは豪華な家にひとりきり。二人が帰ってきた日はクリスマスイブ(だったかな?)ドクは家族に紹介したいとトニーに誘われるが一度断わっている。だけど、ここで一歩踏み出してドク は自分からトニーの家の扉の前に立つ 。この場面、すごくいいと思う。


最初、どうせトニーが仲間を連れて寂しいクリスマスを過ごしてるドクの家に行くんじゃないかと思ったけど、それじゃ意味ないんだよね。ドクからトニーの家に行った事に意味がある。それまで黒人に差別的だったファミリーも、ドクを前に少しかしこまる。知らないから差別するのであって、人間的に相手を理解したら差別なんて出来ない。あと、ドクとトニーの嫁ドロレスとの会話もね、本当にいいラストだったなー



実在の二人の友情は死ぬまで続いたらしい。亡くなった日も近く、最後の最後までいい関係だったのならいいなー




主演はウィゴモーテンセン。アラゴルンですね。中世の甲冑や剣と魔法の世界がめちゃくちゃ似合うけど、粗暴だけど心優しいトニーもよかった!シャーリーは、この作品でアカデミー助演男優賞受賞したマハーシャラ・アリ。シャーリーの苦悩が痛いほど感じられ、この映画の大事な部分をしっかり固めていました。受賞も納得!












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最終更新日  2021.06.14 20:26:33


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