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孫まちて ニット調う ひいなの日 もうすぐ、婆になります。
2012.03.03
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昨年なくなった父の菩提を弔うために、姉と二人で高野山参りに参加しています。但馬自治布教団の?14台の大所帯です。 青時雨 父も泊まりし 正智院 ととろ
2011.06.19
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きれいな夕焼け 問うてみる 彼岸はどこぞ 羊雲 戸々露
2010.09.18
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父逝きて 台風一過 空すがし 戸々露
2010.09.09
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亀岡の空です。夏の終わりです。 雷雲の 終わりを見たし父見舞う 戸々露
2010.08.29
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交差点 まがらず遺す ひなたかなととろ お日様が嬉しい季節ですね。
2009.11.04
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これはカラスウリ。 会社のボードでハロウィンのオブジェになってます。 可愛さをハロウィン飾りに ちょっとのせ ととろ
2009.10.31
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2009.09.21
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梅雨さなか祭はじまるコンチキチン
2009.07.01
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田舎に玉葱の収穫に行く途中 見掛けた可愛い車です。エアコンの会社の車です。
2009.06.13
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動的平衡の生命 冬日向
2008.12.02
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看護学校時代の同窓会で箱根に行きます。 長良川を通過。14年ぶりの東進です。 長良川 冬日映して静なり ととろ
2008.11.28
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京都は市街地も紅葉が楽しめます。
2008.11.13
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人生の 修行はなかば キンモクセイ
2008.10.06
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木津川に架る上津屋橋。通称流れ橋。日本最長の木造流れ橋です。時代劇のロケーションに登場したりします。けれど、実際に使われている生活道路でもあります。 一人旅 秋風わたる流れ橋
2008.09.29
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二条城 城壁とお堀 空の青 低い城壁 恭順の秋
2008.09.24
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祇園新橋通 仕事でよく通ります。風情のあるロケスポットでもあります。 ここにも生活はあります。
2008.09.05
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2008.08.07
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立秋や 「空の雲にぞ」新風館 立秋は今日しかない。俳句が今を切り取る文芸なら、季節の替わる日は格別です。なんとか一句と焦ってみても、今日も暑い日。暦のうえと挨拶かわす 秋立つ日。こんなので済まそうかと考えながらの訪問帰り。ふとみあげた新風館に切り取られた空に秋を見つけました。 写真を保存していませんでした(涙)雲はいわし雲の淡い感じでした。新風館は明治時代の電信局の跡を保存ショピングモールになっている趣きのある建物です。
2008.08.07
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ワンピースの 裾真円に 風はらむ ワンピースの下にスパッツをはくのは、せっかくの美しさが台無し と思います。
2008.08.05
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お久しぶりの我が家のパソコンです。仕事でくたくた というよりは、「最後の仕事」生活に没頭しすぎて、家で日記を書く気持ちにならず、困った書き込みの処理の仕方もわからないまま、余計に見たくない状態でした。時々、懐かしい方々からの優しい書き込みに励まされながら、携帯から細々と写真を送っておりました。 今日はやっと、自宅でパソコンを開きました。「ちゃんと、あるやん。良かった。 削除 削除」これからも、仕事の合間に見た京都を送ります。でも、写真のセンスはないですね。川の写真も多いですね。川が好きですから俳句は相変わらず 進歩無しです。時々、会社のパソコンで見させていただいています。もちろん時間外。遅くまで働いています。
2008.08.03
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朝の街 客まだ知らず 鉾が行く
2008.07.17
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宵みやの 人恋しさを なぎはらい
2008.07.16
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夕立や 宵宵みやを 流し去り
2008.07.15
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阪急京都線、西院駅手前で地下に入る。普段見ることのないトンネルの入り口。立派な文字が掲げられていた。文字は読めませんね。
2008.07.10
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川端通三条下る床(ゆか)が並ぶ鴨川
2008.07.03
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川端の枝下桜が咲きました。観光客も増えている京都です。
2008.03.27
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今日は私よりも5歳も若い利用者さんのところに行きました。脳出血後遺症で三年寝たきりの方です。若い奥さんが介護されていました。私がむせて咳こみましたので、歳をとりましてと申し上げてしまって・・ ・ 老い語る 日は来ぬ二人 秋深し
2007.11.07
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炎昼の 鴨の河原の 水浅し 仕事で葵橋を渡りました。 残暑お見舞い申し上げます。
2007.08.16
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忘れない、の 意味深めてる 原爆忌
2007.08.06
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嗚呼 とうとうこの日がやってきた。最高の泡立ち、今までにない味わい。 我が口内をみたすは フェースウォッシュ 熟年の味わいやね。
2007.07.18
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今、仕事も、夫との事も一杯一杯です。どうしたら上手くやれるのでしょう?あんまり情なくて、(酔ってたから涙腺が弱ってたこともあるけど)サンの前で、泣いてしまった。「おかあさんが悪いんかなあ。我慢が足りんのかなあ」情ない親ですわね。「やったらあかんえ。けりは私がつける」なんていって 脅してるんやからサンは冷静に判断のできる20歳です。私は、自分がまだまだ修行の足りない未熟な人間だと感じています。もう、子ども達の方が大人になっているかも・・・いろいろあったなあ死ぬまで修行やなあ水無月を 食わぬは不覚はや七月 京都では六月三十日日に、水無月というお菓子を食べる風習があります。
2007.07.01
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新緑の 波間をふたり へだてけり 夫と天神さんから、ぼたんで有名な乙訓寺に歩いていきました。隔たった位が心地好い二人の関係(^_^;)
2007.04.29
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ほんとに、ご無沙汰しているうちに、パスワードの入力やら、この書き込み欄の様子やら、すっかり変わってしまっているのでびっくりしています。この数ヶ月、私が怠けていたので、甥っ子が心配してくれたり、友人が心配してくれたりしていたみたいで、申し訳なかったです。元気にしています。仕事が、忙しくて、メールで書き込むのがやっとでした。といいながら、職場のパソコンで、自分のページやお知りあいのページはのぞいていたのです。今日はなぜか、ちょっと寂しくなって、これ書いています。うまく、自分が理解されていないって感じているときって、寂しいですね。まだまだ、悟りきれない私です。今は、京都のど真ん中で、働いています。これからも、メールで、観光地ではない京都の様子が載せられたらいいなと思っているのですが、上手く行くかな。それにしても、俳句はどんどん下手になっています。あきまへんなあ。
2007.04.13
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ここのかの けふのさくらはいかがです
2007.04.09
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花びえの 中立売に 夕陽燃え
2007.04.04
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さえかえる 雪待つ夜の 星灯り
2007.02.01
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針道具 持たぬ日ばかり裾解れ 通勤途中に買いました。今でも、針道具を持つのは女性だけ?○ーソンにはなかったです。
2007.01.26
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暖冬の 賀茂の河原の 枯れもせず
2007.01.23
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蔵開き ビルの谷間に 忘れられ
2007.01.11
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福笹の 扱いしらず 商売繁盛
2007.01.10
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私は去年から、京都の中心部で働いています。帰り道です。両替町三条通東入る
2007.01.05
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新しい年が明けました。昨年はあまり日記も書かないで、お返事も書かなくて、失礼していました。年末に友人と二人きりの忘年会をしたのですが、その時の話題の一つだけをここにこっそり・・・「死が、自分には無縁のことだったのが、 無縁のことではないと思えるのが40代 明日にも死ぬことがあるかもしれないと思えるのが50代 確実に死ぬんだと分かる日が近付いてるね」暗い話ではなく、だから、「生きてることは愛しいし、自分という存在も愛しいって思えるんだよね」そんな事を同じ年の友人と話しました。足早に通り過ぎてゆく日々ですが、目の前の出来事、出会う人々との関わりを大切に生きてゆきたいと思います。今年は、仕事頑張ります。愛は頑張りません。出合った人と自然体でお付き合いしたいです。
2007.01.03
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人形の 目が笑う日はシチューにしよう ととろ
2006.11.26
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青い葉を 散らして冬の 立ちにけり本日立冬ですね。
2006.11.07
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私にとって、心臓カテーテルのイメージはすこぶる悪い。30年近く前、私が大学病院に勤めていた頃、その技術は革新的なものではあったが、ミスで、亡くなる患者も多くあったのだ。他科の噂として聞く情報は、悪いことばかりであった。30年の間に、当然画期的な進歩があったであろうことは、疑いの余地のないことではあるけれど、私の中では、恐怖がだんだんと大きくなっていった。「もしも私に何かあったら」という仮定で話をしてしまうから、余計に不安が広がる。子ども達も、騒ぎはしなかったが、不安だったと思う。とりあえず、携帯のアドレスを、整理した。誤解招きそうなメールも消去した。写真の整理は間に合わなかった。(今度暇な時にしておこう)31日、入院。担当医から検査の説明があった。死亡率0、02%。そのほかに、塞栓症や血管の損傷などの合併症の説明があった。ともかく死にたくはないです。夫は判りましたとか何とか言っている。そうとしかいえないなあ。3日しか入院しないのに、病棟の看護師さんは、丁寧に説明してくれて、看護計画書までくれた。私の勤めてた頃とは、患者の権利に対しての取り組みがずいぶん違うなあと実感。食事は「心臓C食 塩分7g」だ。すごいヘルシー。量も味も少ない。でもこれも、勉強勉強と思い、メニューをぜんぶかいてかえった。実際は、うちでは出来ないけど。家族は誰も納得しそうにないから。1日。午後1時から検査。残念ながら目隠しされてしまったので、検査の様子は見られなかった。結果は、動脈硬化無し。血管内壁の狭窄なし。 血管のれん縮誘発試験でも、冠動脈の痙攣は見られなかった。しかし、その時に私に自覚症状が起きたので、造影できない細動脈で痙攣が起きているのだろうと推察できる。という結論になった。これを聞いた時、私はなんだか屈辱的な気分がした。灰色の答弁をされたような、私が不完全なような・・・おかしいですよね。悪い結果でなかったことを喜べばいいのに・・・誘拐された被害者が、犯人の肩を持つようになったり、暴力をふるう配偶者に、自分が優しくすれば変わってくれると思ったりする心理と共通するものがあるのかな。医者の思うような典型的な症状が検査結果として出なかったことは、私の欠陥?と思うような・・・半日ほど、そんな感情にとらわれていた。しかし、長い間、いつか心筋梗塞になって死ぬのではないかと思っていたのが、この狭心症では心筋梗塞に移行する可能性は無いと分かったのだから、ほんとによかったじゃないか。そう思えるようになった。検査を受けてよかった。これで、あと5年は働くぞ。できれば10年。ただし、カテーテルが通った血管が1日うずいて、鎮痛剤を飲まなければ寝られないほどだった事と、3日たっても、手首が痛いのは「想定外」だった。
2006.11.04
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こうして、心臓カテーテルの検査を翌週(十月三十日)月曜に決めた。それから、点滴を受け、ウイルス性の急性胃腸炎と診断された私はタクシーで家に帰った。ノーブラで、バッグも持たず、素足に男物のサンダル。恥ずかしかった。誰にも会わなかったのが幸いだった。夕方には吐き気はなくなり、おなかもあまり暴れなくなったが、それから、熱にうなされながらひたすら眠った。チョウがポカリスエットを買っていてくれたのが嬉しかった。夕食はサンが作ってくれた。次の日には、まだしんどい状態がつづき、すこしおかゆを食べただけで、一日眠りつづけた。それから、金曜日の夕方、チョウが同じ状態で倒れ、土曜日は朝から、ツグとサンも発病した。チョウは、脱水がひどく、私が車で、S病院に連れて行った。3人は若いからか38、8度まで発熱したが、ほぼ24時間で、食事ができるまでになった。それにしても、恐るべしウイルス。九州に帰っていた夫に予定より早く帰ってもらった。検査のための同意書にサインをしてもらわなければならなかったからだ。はじめ、帰るのを嫌がっていた夫に、私の脅し「子どもにサインを頼んで、何かあったとき、子どもが一生悩んでもいいのか?後悔しても知らないよ」結構性格悪いですね、私。(続く)
2006.11.03
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ご心配してくださった皆様に、感謝しています。無事帰ってきましたので、ご報告。そもそも、話は先週の木曜日に始まります。前日会社の懇親会で、和食の美味しいお料理をたべ、夫は「望郷の念」に駈られて、九州の実家に行ってしまい、私の優雅な独身生活が始まる朝のことだった。息子達の出勤を見送る頃から、突然の嘔吐と下痢が起きた。初めての人たちとの懇親会だったので、ビールは酔うほどは飲んでいなかったし、食事も食べ過ぎというほどではなかったが、それでも、胃腸がもたれた感じだったので、吐けば治まるだろうと思っていた。初めは、苦痛なく、吐いて、下痢して、という状態だったので、カラになれば終わると思っていた。しかし、いつまでたっても、嘔吐と下痢が治まらない。お茶も飲めない。もう、脱水になりそうだと思いながら、もうすこし続いたら、タクシーで、病院にいこうと考えていた。ともかく、時間が薬と、眠って過ごそうとしていた。そこへ、いつもの狭心症の苦しさが襲ってきた。あわてて、階下にいき、ニトロを服用した。そこへ下痢。あわててトイレにいくと、一挙に冷汗がふきだし、目の前が暗くなる。脈が触れない。寝ている息子の名を呼ぶが聞こえるわけもない。ともかくパンツをあげて、トイレから出る。階下のチョウに携帯をする。「苦しい、きて」朦朧としながら、血圧を測る。低すぎてエラーが出る。もう、出るものがないはずなのに、2リットル位胆汁色の水分を吐く。「救急車呼んでもらうかも」チョウも、あわてている。「もう呼ぶよ」119へ電話をしている。そんな最中でも、私って、母親だった。「服着て、保険証と財布もって」チョウに言ってる。パジャマだった私も着替えなくちゃ。どうする?「私の服、何でもいいからもってきて」「わからん。箱ごと持ってきた」適当にシャツとジーパンを何とかはく。血圧80まで復活。救急車には、近所のお見送りの中、何とか歩いて乗れた。血圧も100まで復活。救急隊員の質問に、順を追って説明したつもりだったが、後で見ると、主訴のところに胸痛と書いてあった。ここから運命は展開していったのだ。 この辺りでは大きなS病院に運ばれた。その頃には、すっかり落ち着いていた私は、きちんと状況を説明でき、問題はこの嘔吐と下痢で、脱水になりそうなことなのだと伝えた。ニトロで血圧低下を起こしたことが救急車をよぶきっかけにはなったが、狭心症はいつものことなのだと伝えたつもりだったが、「循環器の先生にも見てもらいましょう」ということになった。こうして、救急外来のベッドで、私の心臓カテーテル(冠動脈血管造影検査)は決定したのでした。(続く)
2006.11.02
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今から、心臓血管造影の検査のために、3日間入院してきます。狭心症かなといわれて5年位かな。確定診断受けていなかったのですが、別の件で近くの大きい病院に行った時に、循環器の医師に勧められた。(営業力ある先生やね)自分自身、「先延ばし」にしてきた感があったので、「この際」のる事にしました。ちょっと怖いですが、美しい50代に向けて、オーバーホールといったところですね。また、経験値が上がるね。
2006.10.30
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松本零士さま 槇原さんが、あなたの文章から影響をうけて、あの作品を書いたのだとしても、なぜ許せないのですか?ファンとしては、情けないです。よい言葉が、誰かの心で血肉として育ったのなら、とっても素敵なことだと思いませんか?いまの貴方は、ただの欲張りのさみしいお爺さんに見えました。悲しいです。真相はしりませんが。
2006.10.19
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