つかちゃんのイタリア日記

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 日本語と西洋語の大きな違いは、やはり表現の仕方の違いでしょうね。

「あなたの辞書貸してくれる?」って聞かれたとき、日本語だと、初めに「ごめんなさい」「すみませんが」とか言って断ることが多いでしょうね。そうでない場合でも「今使っているんです」とか理由を言って断りますものね。

「No」(イタリア語では、ノーじゃなくて、「ノ」です)というのは、いまだに抵抗があります。慣れだと思うのですが、まだ慣れません。「今日、掃除手伝ってくれる」って、掃除の人に言われることがあるのですが、大体私が勉強しようとしているときに言うので、やむを得ず「No」というわけですが、心が痛みます。したくないのではなくて、今勉強中なのだと言いたいのですが、「No」と言った瞬間に、その人は去ってしまうので、伝えられないんですね。確かに、頼むほうは手伝ってくれないなら、理由は何でも同じなわけですから、聞く理由もないのでしょうが、やはり言いたいのが、私の気持ちなんですね。「郷に入れば、郷に従え」と言いますが、このあたりの感覚はどうしても受け入れにくいんですね。まだ靴を履いたまま、ベットにゴロンのほうが受け入れやすいですね。

あさって、私達は「王たるキリスト」の祝日を祝いますが、きっとこの祝日はとても難しいからこそ、祝われるのだと思います。頭では、キリストが王であって、その王はこの地上の王とは全く違う王であるというのを受け入れています。しかし、私達は知らず知らずのうちに、権力とか権利とかに守られているわけで、その中で、キリストを王として生きるのは、意識していないと忘れてしまう。だからこそ、一年の最後の日曜日に、私達はキリストを王として生きているのだというのを祝うのでしょう。

日本人は多くの国に行って、色々な恩恵に預かっています。国が守ってくれることもあるのでしょうが、誰でも知っている「トヨタ」「ミツビシ」という言葉が知られているので、例えば電車でしゃべるときでも、何かはしゃべれるわけです。日本人であるという特権みたいなものでしょう。多くの小さな国では、そんな国、聞いたこともないし、どこにあるか検討も着かないということもあるわけです。だから、誰にでも知られている私達にとって、小国の人たちの気持ちは、なかなか理解するのが難しいように思います。

では、「神の国」はどうなのでしょう?キリストが王として支配される国です。「キリスト教の国」なら世界にいくつもあると思いますが、「神の国」というのはどこにあるのでしょう?少し違うかもしれないのですが、おそらく「トヨタ」「ミツビシ」のように、誰でも知られている神の国語は「愛」「ゆるし」でしょう。しかし、これらは車のように便利というわけでもなく、見えるわけでもないわけで、たとえ愛があっても気づかれることがないかもしれないのです。ゆるしていても、無視されるかもしれないのです。それにも関わらず、キリストが最後まで語られ、自らそれを生きられたのは、「愛」「ゆるし」であったわけです。20世紀を代表するカトリック者に、ヨハネパウロ2世とマザーテレサがあげられると思いますが、この二人は確かに「神の国」を述べ伝えようとしたと思います。キリストはこれらを神の国の代表的な言葉としたわけです。

ゆるしと愛。

教会の典礼暦はもうすぐ終わります。「王たるキリスト」の祝日を祝って、新しい年を迎えるわけえです。それは、キリストが本当に求めて、神の国が実現するその国を祝うのです。待降節を目の前にしていますが、今は待降節を待つのではなく、神の国、その実現に私が確かにかかわり、必要とされているのを心に刻むときなのでしょう。決して、簡単には訪れないが、必ず訪れると信じていきたいものです。





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Last updated  2006.11.25 05:19:22


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