つかちゃんのイタリア日記

つかちゃんのイタリア日記

PR

×

Calendar

Archives

2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04
2007.06.07
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 夏になって、暑くなってきました。学校も終わったので、去年イタリア語を勉強した、ペルージャの共同体にお世話になろうと思います。今回はイタリア語の勉強ではなくて、静かなところで、これまでの復習と、それを日本に帰ってから、どのように使うかを考えるつもりです。やはり、学校で習うのは、ヨーロッパのメンタリティがどうしても入ってしまいます。それを日本化することは大事なことです。今でもヨーロッパ中心を語る人は多いのですが、ヨーロッパは信仰の先輩として尊敬はするものの、日本の教会ももう子供ではないので、それらから、何を学び、どのように生きていくのか、それを深めていくのは大切なことだと思います。

 その一方で、日本の教会で、あまりロザリオが祈られていないのは、残念だとも思います。確かに退屈と言えば、退屈な祈りですが、教会が2千年かけて、2千年守ってきた祈りの方法です。私達は日常生活の中で、しばしば神を忘れ、愛と反対の生き方をしていることがあります。頭では、神のことを理解し、流暢に神の愛について語ることが出来ても、やはりいつも祈っていなさいというみことばを生きていないなら、それは決して本物とはいえないからです。しかし、私達はなかなかそれをするのは難しいのですが、ロザリオはいつも祈っている信者の姿を確かに現す素晴らしい祈りです。気が散ったり、眠くなったり、面倒くさくなることもあります。それはまさに私たちの姿です。しかし、ロザリオは、そんな私でも確かに祈っていると、ふと気付かせてくれる祈りなのです。いつも気付けるわけではありません。でも、ふと気付くのです。信仰生活は理屈だけではありません。全く理屈の無い信仰もどうかと思いますが、説明できてしまう信仰も、これまた怪しいでしょう。インターネットや携帯電話など、高速、迅速な時代にあって、ロザリオは確かに時代遅れの感じがあります。しかし、この時代だからこそ、のろのろとなかなか前に進まない祈りが大切なのかも知れません。

 ペルージャの共同体は毎日夕方、信者さんたちと一緒にミサの前にロザリオをします。ロザリオの珠をひとつひとつ繰っていく中に、この一年間どのような信仰の歩みがあったかを振り返ってみたいと思います。

P.S
6月、7月ローマに行きますと言うお手紙やメールを何通か頂きましたが、おそらくローマにはいないので、お会いできないと思います。アシジ辺りこられたら、ひょっとしたらお会いできるかもしれません。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.06.07 17:18:39


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: