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■ 特に理由はないが久々に日記を書いてみることにした。随分書いていない。3ヶ月近くも書いていないことになっている。こうなると日記とは呼べない。季節の便りみたいなものだ。■ この3ヶ月もの間、何をしていたかと振り返れば、阿部和重著「シンセミア」を読み、佐々木正人著「レイアウトの法則」を読み、その他諸々小説を読み、映画を見たり、演劇見たり、CD買ったり、旨いピザを溜池の「サルバトーレ」で食ったり、またまた旨いピザを青山の「ピッツェリアトラットリア・ナプレ」で食ったり、ファイナルホームで服を買ったり、まぁ相変わらずの日々を送っていたのだが、あえて特筆すべきことと言えば、就職したことである。■ この日記をライコスで書き始めた約1年前。つまり2002年の3月末から2年間続いた何もしない日々が終わったということだ。2年間、私は無職だった。正確に言えば、某大学で研究活動という名のもと、のんびりした日々を過ごしていた。そんな生活も終わり、日々「労働」に励む今日この頃である。■ それにしても不思議な2年間だった。有意義であり、そしてダメな2年間。色々な人に励まされたり、不思議がられたり、非難されたりした2年間。多くの印象的な出来事があったのだった。■ それはともかく。久々に日記を書く気になったのだ。
2004年05月03日
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■2月に入り激しく忙しい日々だった。その原因は自分自身にあるのだが。とりあえず一つ、そして大きな山を超えた。と思う。とにもかくにも深呼吸。そしてMに感謝の2/10だったのだ。■明けて2/11。久々にゆっくりとした休日を過ごす。殆ど不眠不休の2週間だったので、2/8以降は体調を崩し、咳に鼻水、頭痛そして嗚咽、悪寒、そしてお腹を壊し、肌は荒れまくっていた。そんな体を労る一日。■そして今日2/12。やはり体調が悪く、病院へ。症状を伝えると、若い女医は「限り無くインフルエンザですね」と言い、検査の為、長い綿棒のようなモノを鼻の奥深くまで突っ込まれる。検査の結果「インフルエンザ」と判明。「病状を放っておくのにも程がある」とたしなめられるのだった。■そんな2月前半だ。そして、もうすぐ2/14。2/14といえば、世の中ではバレンタインかもしれないが、自分にとっては、宮藤官九郎脚本「ゼブラーマン」の封切の日である。大袈裟に言えば、この作品は自分も出演(数百人のエキストラ)しているので、期待大なのだ。映っているだろうか。あの夏の日を思いだす。そう。思いだし、思い返す今日この頃。思い返せば、この日記を始めたのも調度1年前の2/14だった。もう1年経とうしている。そして今では「笑い話」として感じられる程になった、あるコトからもうすぐ2年経つ。■もう過去形は止めよう。先へ。この先を先へ。
2004年02月12日
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■タワレコの携帯サイトにアクセスしたせいなのか、理由は定かではないが、突如として、携帯にエロメールがわんさか送付されてくる事態になったのだった。これを機に、ドコモからauに変えた。というのも、auの携帯infobarのデザインが気に入ったからだ。しかし、この場合ハードというのか、携帯そのもののプロダクトデザインは気に入っていたのだが、使いはじめてみると、画面の中身というのか、メニューというのか、アイコンというのか、とにかく絵文字も含めて気に入らない。まぁ、絵文字はau共通として許しても、他の部分は外観のデザインと統一したものにしてほしい。外観はクールなのに中身はやけに賑やかだ。以前から好きなデザイン事務所imagediveのサイトをみたら、カシオの携帯のメニューデザインを手掛けたらしい。きっとかっこいいのだろう。けどカシオの携帯は、パカッと開く炊飯器のようなデザインだ。■それにしても新しい携帯を使いはじめ驚いたことがある。メールを書く際に、一文字入れると勝手に推測して、単語の候補を3つ程あげてくれることだ。親切で使いやすいと言えなくもないが、驚いたことがいくつかある。例えば、「ふし」と入力すると、「不思議」という候補があがるのは分かるのだが、その次にあげられている候補が「藤木直人」と「藤原紀香」だ。また「たけ」と入れた途端「竹野内豊」がまっ先にあがる。「も」を入れれば、「モー娘。」「まつ」を入れれば「松浦亜弥」と「マツキヨ」と出てくる始末だ。人はそんなに芸能人の名前をメールに書くのだろうか。■単語を選定し、登録した開発者や企業の世界観が感じられる。余談だが、以前、携帯ではなくPCを使用する際、全く関心はないのだがある事がきっかけで「あるふぃー」と入力し変換したら、しっかり「THE ALFEE」と変換されて出てきた時は笑ってしまったのだった。正確にも程があるだろ。
2004年02月01日
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■大阪に嫁いだ姉の息子二人。つまり自分にとっては甥になるJとYの話を姉から聞く。年が3つ離れているJとYが、気付いたら喧嘩をしていたという。何が原因か、母親である姉には分からないのだが、とにかく二人は喧嘩をしていたという。その喧嘩の内容をよく聞いてみると、お互い相手を罵りあっていたらしい。しかしその、罵りあいが余りにもすごい。弟であるYが兄のJにこう言った。Y「お兄ちゃんなんか、つまようじのサキッポや」J「お前なんか、ティッシュや。ポケットティッシュや」Y「ほんなら、お兄ちゃんは学校にあるバケツのフタや」J「学校のバケツにはフタなんか、ないやんか」Y「あるわ」J「ほんなら、Yはシュークリームの皮や」こんな口論を横で聞いていた母親である姉は、大笑いをしたという。自分もその話を聞いて笑う。すごいよ、関西人。まったくナンセンスだ。その話を甥のJに聞いてみると、Jはこう説明してくれた。「なんか、ティッシュのシュやシュークリームのシュとか、めっちゃ、しょぼくれてるやん」そして、その後もJは自分の思う「しょぼくれ言葉」を披露してくれる。そして最後にこう言っていた。「ほんでな、めっちゃ喧嘩しとってんけんどな、最後には何で喧嘩してんのか、わからなくなってな、めっちゃYと笑っててん」■「笑い」話を聞き和む。
2004年01月30日
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■以前この日記をライコスで書いていた。その当時から読み続けている日記がある。『あぷ日記』これが面白い。都内で働く女性のマンガ日記というか、四コマ漫画というか、絵日記というか。笑わしてもらっている。どちらかといえば「下世話」の部類になってしまうのかもしれないが、まぁとにかく面白い。■というのも笑いが最近足りない。とにかく笑いたい。少しピリピリしているのだった。そんな時期も大切だけど。そんな最近、ふと深夜テレビをつけるとマシューなんとかという番組がやっていた。そこに構成作家でもあり芸人でもある、キムこと木村祐一が出演していた。木村祐一がハンバーガーについて説明していた。「ハンバーグの発祥地はドイツのハンブルグだ。それがアメリカに渡り、言葉が訛り、パンに挟んで食べるようになってハンバーガーとなった。これが西回りルート。一方、東回りで、ハンバーグがロシアに渡りピロシキに姿を変え、そして中国に渡り肉マンに変化した。つまり、日本でハンバーガー屋と肉マン屋が並んで建っていたら、そこが世界の果てということや」笑った。壮大なドラマじゃないか。日本のいたる所にあるはずだ。世界の果てが。
2004年01月29日
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■かつてNHK教育テレビで「side-B」という番組がやっていた。僕はその番組が大好きだった。司会の緒川たまきさんの美しさに見とれている毎週だった。もちろん番組の内容も、ゲストの会話も、全て全てが大切な時間だった。その番組がきっかけで高野寛の歌を聞くようになった。主題歌の「all over ,starting over」を聞くと、今でも何かが始まる。何か新しい出会いや発見や驚きに触れることができるような気持ちになる。確か1995年頃だったと思う。高野寛のアルバム『sorrow and smile』はよく聴いた。物語のような歌「相変わらずさ」や「僕が夢に描いている まるで夢みたいな夢と 同じような夢を きっとあの娘 今夜こそは見ているだろうか そんなことをふっと思って」というフレーズが印象的だった「on and on」などいくつも好きな曲が入っている。その後tokyo no.1 soulsetのbikkeとのユニットnatalie wiseや小泉今日子のプロデュースなどを経て、久々にアルバム『確かな光』が出たので聴いてみた。タイトル曲「確かな光」がいい。以前なら何とも思わなかっただろう。今の自分にとってはすごくいい。そう感じる。一般的に「希望のかすかな光が差し込む」といった表現があるが、希望はいつも儚く、かすかで、もろいものなのか。「確かな光」を聴いてそんなことを思う。夢を観てた 何度も何度もまぶしい朝 確かな光が朝 目が覚めたら 訳もなく泣いていた闇の中でさまよって 抜け出せなくて夢を観てた 何度も何度もまぶしい朝 確かな光がただ 君のこと 願うたび嬉しいそれだけでまた今日も 一日の勇気がわくのさ寝ぼけまなこを覚まして 上着着たら出かけなくちゃもう寝ぼけていられない 新しい朝が来るから天気予報がどうだろうと 突然の雨が降ろうと関係がないのさ 関係がないのさ風が吹いて眠くなって 芝生の上横になって目を閉じてもまぶたに 赤い色の光があってこのまぶしい日差しの中で たわいもない笑いの中であの頃と変わらない あの頃と変わらないそれだけで また今日も 光が射してそれだけで また今日も 息を吸いこんでそれだけで また今日も『確かな光/高野寛+bikke』
2004年01月28日
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■いい曲を聞く。僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあってひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになったふたつめは今宵の月が僕を誘っていることみっつめは車の免許取ってもいいかなあなんて思っていること俺は車にウーハーを(飛び出せハイウェイ)つけて遠くフューチャー鳴らす(久しぶりだぜ)何かでっかい事してやろう きっとでっかい事してやろう飛び出せジョニー気にしないで身ぐるみ剥がされちゃいなやさしさも甘いキスもあとから全部ついてくる全部後回しにしちゃいな勇気なんていらないぜ僕には旅に出る理由なんて何ひとつない手を離してみようぜつめたい花がこぼれ落ちそうさ『ハイウェイ/くるり』いいな、くるり。
2004年01月27日
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Asahi.comの写真を見て複雑な心境になる。厳粛で力強く、国家を背負い、国際社会貢献へと邁進する自衛隊派遣式。その厳粛さが強ければ強い程、それはそれで複雑で嫌な気持ちにさせられるのだが、そんな趣の式の中、きっと隊員の子供であろう女の子が、きっと母親に手渡されたカメラ付き携帯電話で、父親の姿を写している。もちろん、隊員と女の子の親子の愛情や、隊員家族にもたらされた現実を非難するつもりは、全くない。ただ何か奇妙に感じる。日の丸が取り付けられた軍服を着服し、隊員が整列した会場の中に響き渡る、カメラ付き携帯電話のシャッター音。「ピローン」いや、「カシャ」だったかもしれないが、それはそれでいい。女の子もお父さんである隊員も悪くない。むしろ微笑ましい親子の愛情を感じる人もいるかもしれない。ましてや、「不謹慎だ。もっと厳粛にしろ」とは全く思わない。ただ、今からイラクへ向かう自衛隊。様々な議論や立場を多くの人々が感じ、考え、報道されている「いま・ここ」での出来事が写し出されている。「いま・ここ」に立ち、ニホンという国で生活していることについて実感する写真だった。沼地に立っているような、或いは、3ミリ程浮いているような。そんな心持ちがする。写真では分からないが、壇上には「日の丸」が掲げられていたのだろう。日の丸を背負い日の丸を見つめながら、「ピローン」と鳴り響くシャッター音。「ピローン」「ピローン」「ピローン」。そんないまここ。
2004年01月23日
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■「シンジ愛私天流」そう金色のマーカーで、外資系ブランドの財布の表面に書きなぐっている女子高生を山手線で見かける。読めなかったよ、最初。「愛してる」か。なるほど。「愛の力で私が天にも昇る思いで、その上どこにいくかも分からないぐらい愛の力で流されちゃって、もうたまらないぃ」ってことか。なるほど。■電車に乗っていると色々な話が聞こえてくる。それは原宿駅に差し掛かった頃だった。「今さー、あのボロっちいアパート壊してんじゃん」そう話すOLの言葉を耳にする。きっと同潤会アパートのことだろう。保存・再生等騒がれ、建築としての価値よりも、街並として、あるいは風景としての表参道のあり方が議論されていたのは、ほんとに狭い世界での話だったのだろう。今では隈研吾・妹島和世・伊東豊雄・青木淳・ヘルツォーク・ド・ムーロン等、著名建築家の作品(外資系ブランドの店鋪だが)のオンパレードの表参道界隈。どうでもいい黒川紀章の現場も動いていたが、それは見てみぬふりをすることとしよう。そして同潤会後に立ち上がる安藤忠雄の作品もまた話題になるのだろう。それはそれでいいのか、悪いのか、自分にはよくわからない。ま、その安藤の背後にいる森ビルにはうんざりする。話は変わるが六本木ヒルズの至る所に描かれた、村上隆のイラストはどうなのだろう。村上隆は現代美術界で絶賛されている。スーパーフラットだとか東浩紀らとか、様々な言説を去年はよく目にしたものだ。「あーそうですか」としか実感できない自分には何とも言えないのだが、あのイラストが描かれた六本木ヒルズの20年後、いや10年後を想像してみる、きっと「90年代末だったんだね」「不景気なのにはしゃいでたんだね」と思い返し、その頃にはあのイラストの描かれた路面や看板は引き剥がされ、「普通」の鋪装に改修されているのだろう。比較するのも失礼かもしれないが、岡本太郎の「太陽の塔」の様には残らない。そう思う。あのイラストがテレビで流れる度、森ビルのCMを目にする度、嫌な気持ちになるのだった。「六本人」ってコピーもまたダメだ。■愚痴ってばかりいてもしょうがない。進め進め。
2004年01月16日
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■寒く乾燥した日。午後多摩川へと向かう。 Mと多摩川沿いを歩く日。そんな写真日記。
2004年01月11日
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■数日前にも記載したが、年を越し、年を重ね、成人から流れた月日を思い返す、年末年始。「区切り」のような時期が苦手なのだ。切断面がクリアにならない。クリアじゃない切断面を見返すことができない。本当にだめだ。逃げてばかりなのだよ、実際。■そんな年始め。Mに内緒で、友達の女の子と深夜飲みに行ったことがバレてしまった。バレてしまったと記述するのだから、自分はコソコソしており、隠していたということだ。その女の子は自分に対し好意を抱いてくれており、以前、気持ちを伝えられたこともあった。そのことに対し、単純に自分自身が浮かれていたということだ。内緒にしていたことと嘘をついていたことで、ひどくMを傷つけてしまった。改めて自分の駄目さを痛感する日。逃げて浮かれてダメダメだ。どんな些細な、とてもくだらない、そしてどんな絶望的な切断面にも背を向けている自分を恥じる日。気づけば、その様々な切断面を軽く飛び越え、常に笑い、時に泣き、たまに怒り、側にいてくれたMに、改めて感謝しなければいけない、そう痛感する日。ごめんなさい。
2004年01月05日
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■N市から東京へ戻ろうと駅に到着したのは、発車時刻の1時間程前だった。戻ってくる人、どこかへ向かう人。駅ビルへ買物に来た人。多くの人々が行き交う。みどりの窓口を見れば、乗車券を求める長蛇の列。年始の混雑を考え、前日到着した際に、自販機で指定席を購入しておいてよかったと安心する。ただ念のため、空席状況を再度自販機でタッチパネルを押しながら調べると、1時間程早く東京に着く車輌に、空席があると表示された。きっとキャンセルされたのだろう。迷わず購入し指定席をおさえる。その後、前日購入した乗車券をキャンセルするため、女性駅員に尋ねると、丁寧に精算所へ案内された。そこには、50代と見える白髪の冴えない男が、たった1人だけいた。適度に広いその精算所は、照明が薄暗いせいか、より一層その男の孤独感を漂わせていた。「すいません」と声をかける。が振り向かない。再度「すいません」と声をかけると、その男は、ローラー付きの椅子を転がしながら、窓口へと近付き顔を向けた。「この乗車券キャンセルしたいのですが」「キャンセル手数料で3000円程いただきます」「全額返ってこないのですか?」と尋ねると「他の車両に乗り換えるなら無料です」と説明された。新しく自販機で購入した乗車券を見せ「この車両に乗り換えるのですが」と説明すると、その精算所の男はこう言った。「みどりの窓口での車輌変更は無料だけど、自販機の場合は有料になるんですよ」何を言っているのか分らなかった。不思議に思い「窓口でやっている手続きと、自販機でやっている結果は同じですよね?」と尋ねると「同じですよ。けどね、窓口ならいいけど、自販機だとだめなんですよ」とその男は繰り返す。やはり不思議に思い「お客である利用者が、駅員の手間や省力化の為に設置された自販機で購入すると手数料がとられて、あんなに並んで、忙しい窓口で、駅員の手間をかけて手続きを済ますと無料なんですか?」と尋ねると、その初老の男はきっぱりと言うのだった。「そうですよ。そういう決まりですから」全く理解できない。オンライン化された発券システムだ。お客としての利用者が自ら購入すると手数料をとられ、駅員の手間をかけると無料になる理屈が分らない。その旨を再度伝えると、またその冴えない男は憮然とした表情で、こう言った。「そういう決まりですから」時間もなく、腹が立ち「じゃキャンセルで」と伝え手続きを済ます。あまりコトを荒立てるタイプではないのだが、腹が立ち自分を見失ってしまい、つい手続きをしているその冴えない男にこう言ってしまったのだった。「このキャンセル手数料があなたの給料になるんだ?そういう決まりですか?」そんなコトを言ってしまった自分に反省しながらも、敢えていう。「JRはバカだ」。以前海外から帰国し成田から成田エクスプレスで東京に着き、そのまま駅ホーム内を経由して目黒駅まで山手線で到着。東京駅から目黒駅までの山手線乗越し分を精算しようと200円を出し窓口に申し出ると、駅員はこう言った。「成田エクスプレスで目黒まで来たことになりますので足りません」全く意味が分らない。「ならば東京駅で一度改札を出て、切符買って山手線乗れってことですか?」と聞くと「そうです」とその男は言っていた。やはり理解でない。「成田エクスプレスは目黒駅に止まらないし、走ってないじゃないですか?」と尋ねると、そのJRの男もこう言っていた。「そういう決まりですから」お金の話ではない。JRの説明する理屈が全く理解できないのだ。繰り返すが、はっきり明記しておかなければいけない。JRはバカである。
2004年01月04日
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■ドタバタと年越し。否、ずるずると年越し。■自分はこの年末から年始にかけていつも憂鬱になる。クリスマスに向けてばく進する空気。「恋人はサンタクロース派?」と聞かれれば、「否」と答える派だ。どんな派だかよく分らないけれど。25日を境に門松が町中に立ち並ぶ。大晦日。テレビをつければ大騒ぎ。そして格闘技のオンパレード。「闘魂派?」と聞かれれば、「否」と答える派だ。もちろんその他諸々の格闘技もよく分らない。そして正月。「あけおめことよろ」と耳にする度、「若者達よ。略すな」と嫌な気持ちにさいなまれる。そしてズルズルと誕生日を迎え、一つ年をとる。そして成人式の報道を見て、随分年を重ねたと思うのだった。■年を越し、年を重ね、成人から流れた月日を思い返す、年末年始。そして毎年思う。「全く成長していない」と。宮沢章夫氏著「サーチエンジン・システム・クラッシュ」の中に書かれていた言葉を思い返す。「生きているのか死んでいるのかその曖昧さに耐えられるか」。どこに立ち、どこに向かうかと心の片隅で考える。走って逃げればどこかにぶつかる。じっと止まって逃げていていても、景色は変わらない。■そんな年末年始。地方都市N市にある実家へ。相変わらず茫漠とした道の広さに、めまいがする。車の為の町。世界を席巻するT社があるT市に近いN市。今回は兄がアメリカより帰国したので、約10年ぶりに家族が揃った。10年という歳月。家族といえども個人だ。皆それぞれ。いろいろあれである。少し体の弱い母親と頻繁に連絡がとれるよう、Lモード付きのファックスフォンを兄と購入。孫とメールやらファックスやら電話をしながら楽しんでいる。たった一日だが、のどかな滞在。
2004年01月03日
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■Mが年賀状を書きはじめる。ほぼ毎年大晦日までグダグダ描いている。大晦日の夜、テーブルの上が年賀状だらけで、徹夜覚悟で描いている年もあったのではなかったか。「大晦日はうんざりだ」。これがここ数年の過ごし方だった。というのもMはアナログだからだ。Mが描き終えた後、自分がレイアウトやら色付け等、作業を手伝わなきゃいけないのだ。が、しかし今年は違う。とにかく急かしてイラストを描かせる。せっせと猿を描くM。猿を描き続けるMである。まるで猿のように猿を描くMである。急かした効果もあり、Mがせっせと描いた猿のイラストをスキャンしてフォトショップでレイアウトをする作業を済ませ、年賀状印刷完了。今年は素早かった。安心して年を越せそうだ。そんな自分は年賀状を出さない派だ。どんな派だかよく分からないが、出さないのです。Mの手伝いだけをする。そんな年末。■夜。M1グランプリを見る。漫才のグランプリだ。幼少の頃から「お笑いスター誕生」「the・MANZAI」を見ている世代なので、この手の番組は嬉しい。が結果や審査員に関しては色々思うことがあるが、ただの視聴者なので何も言えない。面白い漫才が見たいだけだ。ただひとつ気になるのは「笑い至上主義」というか「この笑いがお前らには分からんだろ」的な感覚で、審査をし続ける松本と紳介の存在が大きすぎる。確かに「笑い」には感性や知性も要請される部分もあるとは感じるが。松本というかダウンタウンに出現によって、笑いが変わったということも充分理解できるが。色々ちょっとあれなのだ。単純にテレビで漫才を見て笑う「笑い」の向こうに側に、しがらみやら、ドロッとしたものがヌルヌルとうごめいていると感じられる番組だった。ま、単純に関西人の「お笑い」に対する自負心が、うんざり感じもする。多民族多宗教国家ではない極東の小島の中での、微妙な差異に過ぎない。微妙な差異へのこだわりこそが、「ここ」なのかもしれないのだが。個人の趣き。趣都:トーキョー。微妙な差異。自意識の戯れ。この日記も、そんな世界の中に埋没している断片に過ぎないのだが。
2003年12月28日
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■テレビで有名な占い師「細木数子」が、お笑い芸人「はなわ」に向かってこう言っていた。『あなたは人間的にレベルの低い人間です』。もちろん占った結果こう言葉にしたのだろう。占いが当たる立派な「先生」だ。占いで巨万の富を得た大先生。さすが言うことが違う。他人に「レベルが低い人間」と言える人間なんて、すごいよ。そんな事を公共の電波で堂々と言える細木数子はすごい。その無神経さと品の無さに敬服する。■細木数子と言えば、以前自宅訪問の番組でもみかけた事がある。自宅は何だか高級な西欧の調度品で一杯だった。外資系のブランドの店員が、直接自宅に洋服やらアクセサリーを配達していた。すごいな占い師。すごいきらびやかな宮殿のような住宅だ。そう言えば、占いとは違うが「よりレベルの高い人間」になるための手段と考えられていることの一つに、エステがあげられる。そんなエステの神様「たかのユリ」の自宅も、宮殿の様だった。多くの西洋の調度品が飾ってある。そんな住宅を見て感じるのは、この手の金持ちは趣味が悪いということだ。彼女達の考える、あるいは、求めている「レベルの高さ」が「住宅」という形で具現化されている。くり返すが、趣味の悪い「住宅」だ。その趣味の悪さの極みが、彼女達のいう「レベルの高さ」なのだと思う。「住宅」には「その人」があらわれる。■また、渋谷パルコの地下の一角には占い師のコーナーがある。その横はトイレなのだが、トイレを利用する際、占いブースからこんな言葉が聞こえてきた。「あなたの恋愛のステージは低すぎます」知らなかった。恋愛にステージがあるとは。泥沼不倫で悩みが多く、多くの修羅場を重ねれば、ステージが高いという意味か。ドラクエの経験値みたいなものか。ゲーム文化の延長としての恋愛か。占い師にはホントに敬服する。
2003年12月27日
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■いやはや年末である。お酒の強くない自分も殆ど毎日と言っていいほど、忘年会に参加していたのだった。別に忘れるようなことはないのだけど。忘れたいことはいっぱいあるが、まぁ忘れられないのが常なのだ。雨降りの記憶は、いつも思い出せるということだ。「あ、雨だ」と降り始めはいつだって気付くが、雨が止む時は気付かない。気付いたらCDが止まって音楽が流れていないように。ゆっくりと雨は止んでいるはずなのに。いつだっていつのまにか晴れている。晴れは強い。塗れた地面が乾きはじめて止んだことに気付くことすらある。「晴れのち曇り時々雨。そんな時は深呼吸して」。ポラリスの『深呼吸』を聞く。■アメリカのテレビドラマ「24」をラストまで見た。結末が残念。だが十分楽しめた。書籍「黒冷水」「群像」「レイアウトの法則」「シンセミア下」「帝都東京・隠された地下の秘密」や、CDをグレープバイン・岡村と卓球・小沢健二・曽我部恵一など日本人のアルバム。あと英国のバンドNoonday Underground購入。かっこいいな。Noonday Underground。そして「ミッシェルガンエレファント」の解散ライブDVDを購入。「年末だからいいよね」と自分に言い聞かせる。「晴れたソファで何を見ようかリリィ。雨ならシャボンにくるまれたいねリリィ」。ミッシェルの「リリィ」を大音量で聞く。■そういえば。自分はいわゆる素敵なクリスマスといった行為をしたことが殆どない。Mはクリスチャンの為、毎年家族と深夜のミサに行くと言い、家を空ける。25日の朝の電車。多くの女性陣は外資系のブランドの紙袋か、ディズニーのキャラがプリントされたビニール袋を持っている。自分の関心のなさっぷりを強制しなければと毎年おもうのだ。来年こそは。■といいながらも、表参道にニュー・オープンしたディオールへ行く。ブランドのプレゼントを買いに。というのではなく、諸々別の理由があって足を運ぶ。今表参道は様変わり真只中だ。来年の今頃は全く風景が変わっているのだろう。
2003年12月26日
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■忘年会シーズン。ある方に誘われ忘年会に急遽お邪魔することになった。総勢20名。殆ど初見の方々。しかし和気あいあいの会だった。その席で、ある女性Aがこう喋り出した。「あたし、デカチョウさん見かけるとドキドキする。すごいかっこいいじゃん。」するとまた別の女性Bも「そうそう。デカチョウさん、かっこいいよねー」と続ける。どうやらデカチョウと呼ばれている男性は相当かっこいいらしい。その他にも「渋い」「男らしい」との賛辞の言葉を女性達は次々と口にする。するとある女性Cが「デカチョウって、太陽に吠えろだっけ?西部警察だっけ?」と話だした。なるほど。デカチョウはどうやら、いわゆる刑事もののドラマに出てくる「刑事長」。渋く、夕陽をあび、トレンチコートの襟をたて、タバコをふかす。そんなダンディーな方なのだと推察される。しかし、その直後話は思わぬ方向へ展開していった。最初に「刑事長」がかっこいいと言い出した女性Aが、唐突にこう言い放った。「刑事長って、デカくて長いんでしょ」その言葉に続けるように他の女性Bも「相当デカくて長いらしいよ。だからデカチョウなんでしょ」それにかぶさるように他の女性Cが「え?何が?」と聞けば女性A.Bはこう答えていた。「ナニが」何を言っているのか一瞬分らなかったのだった。凄いな女性陣。そして「デカチョウ」と呼ばれる不在の男。恐るべしデカチョウ。会ってみたいよ、デカチョウさん。そんな冬の夜の出来事。
2003年12月19日
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■諸々あって赤坂へ。雨。雨の赤坂。心の中も雨模様。そんな演歌な気分。雨の西麻布が流行っていた頃をふと思い出す。あの頃はよかった。って何が良かったかってのも疑問だが。何だか、浮かれていた時代だったということだ。年末だから色々振り返る。過去を、そのもっと先の過去を。Sさんに会い、色々話をする。それもまた過去の話。だめだな、先を見なければ。■スタバに入り休憩。隣席では40前後の御夫人二人が、買い物帰りに寛ぎの一時を過ごしている。聞こえてくる会話から推測すると、二人とも小学生高学年あるいは中学1年生くらいの男の子がいるらしい。子育ての悩みそして愚痴。そんな会話の中、一人が突然小声になり、こう相手に問いかけた。「男の子って、このぐらいの年になると、すごい臭くない!?」そう問いかけられた相手は「うちの子はまだ臭くないけど」と一旦は答えたが、その後、若い青少年の臭さについて話は白熱。服が臭い・シーツが臭い・お風呂のお湯が臭い等々、青少年の臭さの話はとまらず。そんな話を聞きながら、自分も母親に臭いと思われていたのだろうか、とふと疑問に思うのだった。
2003年12月11日
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■重い荷物持ち上げて、腰を痛めてからもう2週間以上経っている。未だ痛みは治まらず。整体の治療院へ行ってみる。知人によく指摘され、自分でも知っていたが、相当姿勢が悪いらしい。骨盤が左右でずれ、それをかばうかの様に背骨が左右に曲がり、肩が片方あがり、またそれをかばうかのように首が右へ倒れている。いつも写真を撮る際、真直ぐ向いているつもりでも右に傾いているのは、そのせいだ。左右のズレがひどい。また、椅子に腰掛ける姿勢が、ものすごくだらしない。浅く座り腰を湾曲させ座っている。その影響もあるのか立っている時、顔を少し前に突き出すようにして、バランスを取っているらしい。前後のズレもひどい。そんな状態を、少しずつほぐしてもらう1時間。腰痛が和らぐ。これからは姿勢をよくしよう。■近所にオープンした「スィーツ・フォレスト」に行ってみる。あまりの人込みに立ち寄るにも立ち寄れず、とりあえず3階のイタリア料理屋PLATINOにてリゾットを食す。うまい。が、高い。この料金の高さの判断は、量に対する印象。かなりの空腹状態で行ったのがよくなかった。アンジュというチーズケーキがうまそうだが、食べず。「花まる」のおめざグランプリをとったチーズケーキらしい。って俺は主婦かよ。■夜。コンビニに立ち寄ると、品のいい年輩の御夫婦がレジの前に立っていた。奥さんは、コンビニで購入したものの精算を済ます為、財布を広げながらレジ打ちを待っている。その横で、どこか近くのドラッグストアで購入したのだろうか、旦那さんは右手にティッシュボックス6個入りの袋を持ち、左手にはトイレットペーパー8個入りの袋を持ち佇んでいた。その男性をよく見ると、俳優の細川俊之さんだった。あの声のいい細川さんだ。そしてちょっぴりダンディな、あの細川さんだ。次々と訪れる客の邪魔になると思ったのか、奥さんは細川さんに向かって「邪魔」「そんなトコに立ってないで、邪魔だから」「ほら。どいて」と言い続ける。あのダンディな細川さんが怒られていた。右手にティッシュ左手にトイレットペーパーを持ちながら、細川さんは怒られていた。どんなにいい声でも、どんなにダンディでも、細川さんはコンビニで奥さんに怒られていたのだった。
2003年12月10日
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■「俺、俺」と言って息子を装い、年輩者からお金を騙しとる詐欺。通称「オレオレ詐欺」。この言葉を、最近よくテレビで耳にする。自分のことを俺と称するから「俺俺詐欺」となり、何だが怪しい空気が充満するが、自分のことを僕と称するなら「ぼくぼくさぎ」となり、何だか可愛らしさすら感じてしまうのだ。他にも「おらだべ詐欺」「あたい詐欺」など幾つも考えられるが、だからどうというわけでもないのだが。■街を歩くと様々な会話が聞こえてくる。「見えるのよ。本当に。すさまじいオーラが」そう喋りながら、おばさん二人が入っていったビルの2階には、占い師が開業している一室が。(自由が丘にて採取)「嘘じゃないって。怪しくないって。私の家内の癌も、コレで治ったんだから」そう携帯で熱心に語り続けるオジサンが。次から次へと電話をかけて、アメリカNASAの研究にも関与している業者が開発したという健康食品を、熱心に薦めている。(田園調布にて採取)■色々不安な世の中だ。■きししげさんの日記を読み、グレープバインも新作を出していたと知る。聴かねば。が、今日もアジカンを聴く。
2003年12月09日
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■唐突ですが。ジョージアのCMを見る度に不愉快に感じる冬である。■今日は12/8。昭和16年12月2日攻撃決定「新高山上レ」の暗号電を受け取り、12/8空母から飛び立った183機は米軍に見つかることもなくまず飛行場を爆撃、続いて雷撃隊が艦船に対して魚雷を放った。1941年12/8。真珠湾攻撃の日。そして2003年12/8。自衛隊派遣の基本計画が決定されたと報道。そしてまた、反戦を唱っていたジョンレノンが射殺されたのも1980年12/8ではなかったか。■それはともかく、政治がワイドショー化していると批判する政治評論家が大声をあげている。ならば、ワイドショー化した政治を評論するその政治評論家は、芸能評論家と差程変わらないということだ。三宅久之さんを見て、そう思う。諸外国、といっても欧米に限らずアジアに於いても、いわゆる日本の様な政治評論家といった職業を、生業にしている方はいるのだろうかと疑問に感じる。政治に限らず、あらゆる分野で評論家は存在している。経済評論家。美術評論家。服飾評論家。等々。それらに対して「評論家なんて、ただ文句を言っているだけだ。文句を言うのは簡単だ」と言っている、あるいは評論している人がいた。それは評論でも批評でもなく、文句に過ぎない言説というだけなのだろう。優れた評論あるいは批評に触れると、その対象となる事物の、新しい側面を実感することもあると思うのだ。優れた表現者は優れた批評家でもあるからだ。■アジアン・カンフー・ジェネレーションを聴く。■激しく腰痛。どこかいい整体或いは鍼灸院にでも通いたい。けど高いんだよなぁ。
2003年12月08日
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■日曜日。Mと両国へ行く。両国といえば相撲だが、目的は相撲ではない。もちろん「どうしてこんなスケール感のない、バカでかいもの作っちゃったの?」と見る度に不愉快にすら感じる江戸東京博物館が目的でもない。目的の場所。それは「喫茶マンハッタン」ドラマ「マンハッタン・ラブ・ストーリー」の舞台、喫茶マンハッタンを見に行く。いい年した大人がロケ地を見に行くのは、いかがなものかと思うのだが、それはそれ。両国駅から徒歩10分程の場所に「喫茶マンハッタン」は佇んでいた。もちろん、喫茶店のマスターはいない。ジャポンタクシーも停車していない。「ナポリタン始めました」の貼紙もない。けど、ドラマのいきいきとした会話が中から聞こえてきそうだった。■その後、総武線に乗り千駄ヶ谷へと向かう。千駄ヶ谷といえば、以前地元の友達が「千駄ヶ谷だがや」と言ったのを思い出す。地元の方言。それはともかく。車中、少し頭のおかしい男性にでくわす。大声で「暑い。暑い。ものすごい走ったから暑い」と叫びながら人込みを掻き分けながら車内を右往左往。車内に嫌な空気が流れ、沈黙が訪れる。すると自分の隣に座っていた年輩の御夫人が突然立ち上がり、満面の笑みを浮かべ「こちら座りますか?」と席を譲ろうとしたのだった。以前、車内で少し頭のおかしい男性に、車内中追い掛けまわされた記憶がよみがえる。「勘弁してくださいよ、おばさん」と心の中で思うのだった。差別ではないのだが、どうにも緊張する。結局、その男性は座らず、すぐ次の駅で降りていった。緊張がゆるむ。■千駄ヶ谷着。千駄ヶ谷の駅前は人込みでごったがえしていた。おそらく関東大学ラグビー対抗戦だろう。かつて観戦した試合を思い出す。競技場と人込み。東京の冬の光景。その人込みをかき分け原宿へと向かう。途中、ゴールデンレトリバーが2匹、カフェの前の歩道でお腹を出しながらじゃれあっていた。あまりの可愛さに近付き、ふと店内をみると、そこにはBGBのブラザー・トムさんがいた。自分にとっては警官コントの小柳トムなのだが。その後、歩きながら頭の中で「Won’t Be Long」が鳴り続ける。一体いつの歌なんだ。まだバブル真只中じゃなかったか。遠い過去。その後、 no.44などいくつかお店を覗き、帰宅。■夜。ロールキャベツとオニオンリングを食べる。うまい。Mに多謝そして感謝の夜。
2003年12月07日
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■早いもので、もう12月です。随分と日記をさぼってしまった。といっても日記を「さぼる」というのはどうもおかしい。そもそも日記なのだから。ささやかでも日々の出来事を見つめていこう。そんな日々。しばらくコンピュータからも離れていた。何故なら新しいコンピュータを買い、届くのに暫く時間がかかったのだった。そうです。新しいPCを買いました。以前はi-Macを使用しており、特に問題はなかったのだか、諸々あってG5を購入。もう心はG5。浮気性なのだ。そしてやっと一昨日届いたG5。設定やらインストールやら、Air-macで1・2階をネットワーク化するなど諸々段取りがやっと終了。快適な作業空間だ。って何を作業するのかも色々あるのだが、決して年賀状を作るために購入したのではない。■保坂和志著「書きあぐねている人のための小説入門」読了。著者の作品を通して受ける小説に対する眼差しを再認識する。そして大江健三郎著「二百年の子供」も読み始め、ふと数年前どこかのサイトからダウンロードした大江健三郎さんの「セブンティーン」という小説を思い出す。確か発禁小説だったのではなかったか。棚から取り出し、パラパラと読み返す。そんな日々。と同時に柴崎コウが帯を書いて話題の片山恭一著「世界の中心で愛を叫ぶ」も読了。次から次へとページをめくり、アッという間に読み終わってしまった。絶句。残念ながら何も残らなかった。表現者としての著者には大変申し訳ないが、全く良さが分からなかった。読み終わり、「アッという間に読めるのは作品の良さとは無関係だ」といった内容が「書きあぐねている人のための小説入門」に書かれていたことも思い出す。もちろん著者はそんなつもりで書いているのではないのだろうが。「アッという間」という生産性に根付く価値観。表現行為は生産性とは離れた位置に佇んでいてほしい。■それにしても楽天はレイアウトが見にくい。これも技術者の発想。更新しやすく手間がかからないという発想。これも生産性というやつか。■ジャン・ヌーベル展を東京オペラシティに見に行く。クールだ。
2003年12月06日
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■知人の女性Sさんから携帯にメールが入る。「今タワレコに江口洋介が子供と一緒に来てる!びっくり!!」芸能人目撃情報だ。自分は特に江口洋介には関心はないが、とりあえずこう返信する。「奥さんの森高千里もいたの?」するとすぐさまSさんは、こう返信してきた。「いなかったよ。たぶん森高は留守番だと思う」笑った。いきなり留守番って。旦那の帰りを待ち、ひとり家でアイロンでもかけながら留守番する森高千里。Sさんの生活感溢れる発想に笑ってしまった。■知人の女性Hさんから携帯にメールが入る。久々のメール。近況や最近観た映画の話など。そして最後に唐突に、「○○っていう俳優が今一番お気に入りです」と書かれていた。またまた芸能人情報だ。自分は全くその俳優について知らないし関心はないのだが、とりあえずネットで調べる。すると、Hさんの彼氏に似た俳優だった。そこで自分も観た映画の感想と共にこう返信する。「俳優○○って、Hさんの彼に似てるね!そろそろ結婚?」するとすぐさまHさんは、こう返信してきた。「その彼とは別れました。だから映画は一人で行きました・・・」しまった。余計なことを書いて送ってしまったのだった。
2003年11月28日
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■宮藤官九郎脚本作品「マンハッタン・ラブ・ストーリー」を見て、だめな男が「僕と失敗してください」と告白するセリフが印象に残る。そして、そのセリフを好意的に感じる自分もまた、だめだと思うのだが。■そして、もう11月も終わり。師走。年末。第九。紅白。明けましておめでとう。早いな1年。年々時間の経過が早くなっていく。毎年、年末の華やかさとは反対に物悲しい気持ちになる。「また今年もだめでした」と漠然と思うからだ。だからって1年を忘れる宴に興じる気にはなれないのだ。■久々にCDを大量に購入。これも年末だからか。レッチリ・ベスト/ピーターガブリエル・ベスト/プライマル・ベスト/Radioheadのguitar:Jonny GreenwoodのsoloイギリスのTVシリーズ映画「bodysong」のサントラ/iPOD cf songのJETのアルバム/元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョンケールのソロ/XTCアンディーパートリッジのソロ。その後邦楽コーナーでポラリス新譜/クラムボン新譜/アジアン・カンフー・ジェネレーション新譜/スーパーカーのシングル。物欲の連鎖。壊れてしまいました。■青山信治監督「helpless」をレンタルして見る。もう10年以上前の初期の作品だ。主演の浅野忠信が若い。残念ながら内容は特に印象に残らず。今度はユリイカを見てみよう。
2003年11月27日
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■ピナ・バウシュの公演を観たかったがチケット取れず。以前見たのは3年程前だったのではないだろうか。また観たかったな、ピナバウシュ。■そんな中、上野の東京国立博物館東洋館地下1階へク・ナウカの公演を見に行き、打楽器の生演奏・群舞を堪能し、そして主演女優、美加理さんは美しいと改めて実感する夜。そしてまた別の日に、川崎で映画「木更津キャッツアイ」を見ながら、ドラマの時の勢いは薄れていると感じながらも、木更津という街についてふと考えたり、「くだらなさ」っていいなと笑う夜。そしてまた帰り川崎駅にて、解散してしまったミッシェル・ガン・エレファントのベース上野さんを見かけ、「electric circus」が頭の中で鳴り響く夜。■そんな中、この1週間で神谷町にあるギャラリーに3回足を運ぶ。ある展覧会を見るために。ギャラリーを出るともう陽が暮れていた。空を見上げる夜。
2003年11月20日
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■何も変わらない。■もう旬を通り過ぎてしまった感もあるかもしれないが。アメリカドラマ「24」をvol.5まで見る。いやはや面白い。手のこんだ「危ない刑事」というか「ダイ・ハード」。先が気になる。どうなるんだジャック・バウアー!■夜。久々にラーメンを食べに自由が丘の「無邪気」へ。店に入ると食券売場に男性一人とカップルが一組並んでいた。混雑する店内。自分を含め注文を終え席につこうとすると、5人空席の真中にカップルが平然と座っていた。「詰めて座れよ」と思いながらもカップルの男の左隣に座る。ほぼ満席状態の店内。そこに続いて二人組の女性客が入ってきた。一人掛けの席が点在する店内。もう一度、「詰めて座れよ」と思いながらも、自分の横が空いているので、コップを持って席を譲り、隣のカップルの女の右隣の空席へと移動する。しかし女の横の椅子には堂々と鞄が置かれていた。「詰める以前に、どかせよ」と心の叫びを押し殺し、「すいません」と声をかける。「下に置くと油でよごれちゃうぅー」と言う女。そして続けて女は言う。「この席ドアに近いから、寒くて超最悪ゥー。席変わりたい」。殺意が芽生える。こんな感情になったのは初めてだ。
2003年11月11日
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■投票日。投票に行くとやたらと混んでいた。投票を済ませ投票所として利用されている学校を出る際、ふと足下を見ると校門付近に名刺が落ちていた。どうやら六本木のギャバクラ嬢の名刺らしい。源氏名と共に携帯番号とメアドが書き込まれている。客が捨てたのか落としたのか。はたまた拾った自分は得なのか損なのか。様々な疑問がよぎるがそれはそれ。そっとゴミ箱へ。投票所にギャバクラ嬢。■その後、自由が丘へ。スタバで一息入れる。隣席に座る女性はヘッドフォンをしながら熱心に専門書を読んでいる。一心不乱に読んでいる。そんな彼女の足下を見ると、何かが落ちていた。よく見るとそれはシールだった。キャラクターのシール。どこか見覚えのあるキャラクター。拾ってみると、それはハゲ頭にチョビ髭のカトちゃんだ。そっとゴミ箱へ。スターバックスにカトちゃん。それはともかく、プライベート・カトちゃんのいでたちは怖い職業の方の様だと思うのだ。(bySDP)■夜。選挙速報を見る。万歳をする人々。なんなんだ万歳って。
2003年11月09日
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■朝から雨が降り、一日中降り続けるかと思っていたら、昼過ぎから陽射しが差し込む一日。降ったり止んだり。暑くなったり寒くなったり。行ったり来たり。進んでいるのか止まっているのか。窓から見下ろした交差点にはクルマが何台も停車している。信号を渡る沢山の人々。何処に向かっていくのだろうか。何処かに向かっているのだろう。交差点はいつも込んでいる。いつだって交差点は込んでいる。部屋の片隅に置かれたテレビから「今は分かれ道だ」と言うコメンテーターの声が聞こえてくる。■それはともかく。最近CFやポスターで見かけるauの携帯 infobar.。かっこいい。やっと炊飯器の様に、丸いフォルムでパカッと開くデザインとは違う商品が出てきた印象だ。以前発売されていたノキアの携帯も上下に引き出すデザインで印象深かった。日本の家電メーカーが作るものは、性能はいいがデザインがいま一つと感じるが、海外の携帯や家電はどうなのだろう。全くいつになるか分らないが、今度海外に旅行に行った際、電器屋に足を運んでみようと思うのだった。以前旅行した際に、文具屋・本屋・おもちゃ屋等は、当たり前だが、日本とは違う品揃えで楽しめた。ただ、スペインの田舎町の小さな文具屋に入った時、漫画ドラゴンボールが描かれた表紙のノートが売られていたことに驚いたことを思い出す。恐るべし、ドラゴンボール。すごいな鳥山明。■Apple社の「i-pod」のCFを見かける。これまたかっこいい。今すぐ「i-pod」が欲しくなる。恐るべし「i-pod」。すごいな物欲。ただ、apple社のマークがシルバーに変わったようだが、どうもちょっとあれだなぁと思うのだ。■何も変わらない一日。軽い偏頭痛に悩まされる一日。
2003年11月06日
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■蘭の花に詳しいランシッド・アルバラートさん。彼は特に胡蝶蘭に詳しく鉢植えを前にし、辿々しい日本語で、胡蝶蘭について親切な解説を熱心にしてくれるのだが、蘭について全く知識のない自分には、せっかくの説明が理解できず、茫然としているしかなかった。そんな夢を見て目覚める。誰なんだランシッド・アルバラートって。なぜ、胡蝶蘭。■夕刻。最寄り駅の駅ビルにある花屋の前のベンチに座り、携帯で知人と話していると、ベンチ横に4歳くらいの女の子が一人やってきた。チラチラとこちら見ているので、その子に愛想をふりまくと、ベンチ脇の壁の裏側へと小走りで逃げて行った。すると今度は、その壁越しに顔を少し出し、こちら側を見ている。そこでまた愛想をふりまくと、笑い声をあげながら走って隠れている。繰り返し顔を少し出し、こちら側を覗き、目が合うと笑いながら走っていく。そして次は、植木に隠れながら顔を出し、こちら側を覗き、また笑いながら走っていく。そんな子供との他愛もない時間を過ごしていると、買物を終えた母親がやってきた。時は、夕暮れ時である。4歳の女の子。そして30過ぎの男が一人。明らかに危なく怪しい状況だ。母親は危険から我が子を守り、こちらを睨み、さっさと逃げるかの様に立ち去って行った。母親の感情は分らないでもないのだが、買物の間、子供を放ったらかしにしておくのも、いかがなものかと思うのだった。そして、電話をしながらも、遊んでやった自分はどうなるんだよ、まったく。■それはともかく今週末は選挙だ。当たり前のことで、書くのもはばかれるが、もう既に不在者投票は受け付けている。自分は、土日も働き毎日各地を飛び回っている様な、やり手ビジネスマンではないので、毎日でも投票所に行ける身分である。それはともかく今週末は選挙だ。
2003年11月05日
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■とうとう宮藤官九郎作品『木更津キャッツアイ』が公開。渋谷の街にはでかい看板が。渋谷の街には、劇中に出てくるバーバータブチの黄色いトレーナーを着ている若者が溢れ、携帯の着メロ「アナーキー・イン・ザ・UK」が至る所から聞こえてくる。公園通りにはオジーの石像が置かれ、センター街では一日中「やっさいもっさい」が流れている。そして、女子高生はみんなモー子の様ないでたちだ。と思う。真偽は分らないが、きっとそうだろう。という訳で、映画を見る前にDVDでドラマを再見。OA.そして録画ビデオそしてDVD。もう何回見たことか。昨今のドラマ(例えば「白い巨塔」「ブラックジャックによろしく」「Dr.コトー」等々)の題材が「恋愛」から「生命」或いは「死」を取扱う番組へと移行する中、やはり『木更津』の「死」の扱い方は印象的だった。そして、まるでその流れに逆行するかの様に『マンハッタン・ラブ・ストーリー』。それはともかく、早く映画を見に行こう。■それにしても、最近映画を見ていない。以前Aちゃんに借りたジャック・タチのDVDを見てから見ていない。上映中の『ポロック』や話題の『24』など見てみようかと思うものだが、落ち着いた時間を受け入れる、余裕の様なものがないのだった。■午後、自由ヶ丘を散歩。季節外れの暑さを感じる。喉の乾きを潤すためにスタバへ。駅裏にあるスタバは周辺環境のせいか、ひどく荒んだ雰囲気だった。過剰出店、飽和状態、そんな印象。Agnis.bなどSAZABY関連はどれもそんな印象だ。様々なものやことが飽和状態。そんな事を考える。その後、住宅街をあてもなくふらつき、たまたま辿り着いた家具屋やフィンランド製の布を扱う店などを覗く。陽が暮れるのが早い。あっという間に暗くなり家路へ。■夜。テレビで中村獅童を見かけ、知人Kを思い出す。そっくりだ。びっくりするぐらいそっくりだ。番組中、かつていたバンドup-beatの話題が。久々に思い出す。いたなぁ、up-beat。ホッピー神山がプロデュースしていたアルバムがあったような気がするのだが。そんな一日。■阿部和重著「シンセミア」を読む。■改めて、様々なものやことが飽和状態。そんな事を考える。■それはともかく、来週の日曜日11/9は選挙である。
2003年11月02日
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■グダグダしている間にもう10月も終わりだ。とにかく様々な事から目を背け逃げてきたが、状況は落ち着いた。日記も書かず、ネットも覗かず、笑わず、連絡とらず。「ず」だらけだが、一歩一歩。そして突然、思わぬ方向へ急発進。本当に突然だ。かつてなら驚いたが、今はもう驚かない。大抵の事は受け入れられる様になった。と思う。受け入れる強さ、と同時に抵抗力の欠如。そして反作用の力の暴発。ひとつクリアになると次の景色はすっと闇へと消えていく。見たと感じたらすぐ消える。追い掛けるように動く。また動く。その先へ。落ち着く場所はないような気がする。「のんびりゆっくり癒されたい」そんな気分から遠く離れて。その先へ。次はどっちだろう。■久々にHMVへ。アジカンことAsian Kung-Fu Generationという日本のバンドのCDを試聴。「君という花」。すごくいい曲だと思う。きっと10代の若者には、既に人気のあるバンドなのだろう。かつてのトライセラトップスとくるりを足して2で割った印象。過去や記憶を引用して印象を感じるのは年ということか。それはともかく、いい曲だと思う。その他バッファロー・ドーター、エルマロが欲しくなるが、我慢。今回はアジカン。そしてストロークスの新譜「room on fire」を購入。■ゆっくり阿部和重著「シンセミア」を読もう。読みたい本は山積みだ。■投票用紙が届く。この紙を捨てることはしない。
2003年10月29日
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■吉田修一著「東京湾景」読了。東京湾を囲む浜松町・品川・天王洲アイル・お台場そしてモノレールが舞台となる。著者の最近の作品で「東京」が描かれていることが多いと感じる。「パークライフ」「日曜日たち」然り。今、文芸誌にて連載されている作品もたしか舞台は下北沢ではなかったか。都市と人間あるいは建築と人間でもいいのだが、小説に描かれる関係は読んでいて心地よい。が、吉田修一さんの作品を読んでいると、どこか設定と利用しているだけと感じる時がある。俯瞰で捉えた「東京」という印象。模型のようなダイアグラムとしての「東京」。他にも都市あるいは「東京」の描き方はある様な気がするのだった。■道路公団に660人ものお抱え運転手がいる事についての報道を見る。何故そんなに多くの運転手を雇う必要性があるのかという問い対し、公団側の理由の一つに「道なき道を行くため」という事項があったのだった。「道を作っているのは自分達じゃないか」と単純に突っ込みをいれてしまう。■唐突だが、衆議院選挙まであと19日だ。
2003年10月21日
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■またまた日記を書かずに一週間もやり過ごしてしまった。やはり「書くべきことがない」日などないと思うものの、かといって「書かずにはいられないこと」はそれ程なく、「わざわざ書かなくてもいいこと」を書いて、何かを「発見」していこうと改めて思うのだった。■先月、保坂和志著「カンバセイション・ピース」鈴木清剛著「スピログラフ」吉田修一著「日曜日たち」と、よく目を通している作家の新作を立続けに読んでいた。その時、阿部和重さんの新作もそろそろ出版されないかと思っていたら、とうとう出版されたのだった。「シンセミア」。これはかなり分厚い上下巻。そして吉田修一さんの新作もまた並んでいたのだった。「東京湾景」。読まねば。そんな日。■都内某所へ向かう道中、中国人の男女が痴情のもつれなのか、母国語で罵りあいをしている。そんな彼らを横目で見ながら、先を急ぐと、ある女性に声をかけられる。「マッサージ・イカカガデスカ・キモチイイヨ」。中国人女性だ。そこら中アジア系の外国人が佇んでいる。路地裏には売春婦。見慣れた景色、通いなれた街、新大久保。そんな街。■久々に中目黒の沖縄料理屋で知人達と飲む。身近にある「分かりやすさ」に対し危惧を抱き、そして「想像力の欠如」を嘆く。しかし「分かりやすさ」は否定したくない。特権的なものよりは、まだましだ。それがむだな知識であってもいっこうにかまわない。学術的な価値とか、社会的な価値といったものがなくてもいい。ないならないなりに、面白いと感じればいい。色々話し、考え、笑う。そんな夜。■様々な資料に目を通し、準備に追われ、色々な方から連絡をもらい、緊張感が高まる。しかし一歩。とりあえず一歩と言い聞かせる。そんな自分。
2003年10月19日
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■ズルズルと日記を書くのが遅れてきているのだった。以前の様に毎日更新していた頃が懐かしい。何だったんだ、あの情熱は。■それはさておき、ズルズルと言えば、最近というか今年の春頃からだと思うが、ズルズルした洋服を着ている女性をよく見かける。胸部から腹部あたりまで「Uの字」にズルズルと垂れ下がっている服。正式な名称はよく分らないが、あのズルズルが今も街に溢れている。勝手に「ZU:LE」と名付けることとする。つい先日も駅前で「ZU:LE」を身につけた女性を見かけた。彼女の「ZU:LE」は胸部を通り過ぎ、ベルト辺りまで垂れ下がっていた。そして彼女は驚くことに、インナーに丈の短いシャツを合わせていたので、腹丸出しである。「ZU:LE」の着用法として間違っていないのだろうか。
2003年10月13日
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■ソフトを買いに、取扱店のある御茶ノ水へ。駅ホームから改札へと続く階段を上ると、改札の方から怒号が聞こえてくる。「馬鹿野郎」「なめんな、この野郎」。どうやら喧嘩らしい。きっと駅員と揉めている男がいるのだろう。そう思いながら階段を上り切ると、自動改札の目の前に、今なら気志団・昔ならビーバップ・もっと昔なら横浜銀蠅風の男数人が乗客に向かって怒鳴っていた。どうやら「街頭演説」らしい。聞こえてくるのは「馬鹿野郎」ばかりである。「馬鹿野郎」と怒鳴られながら御茶ノ水に到着。他に言う言葉は無いのかと思いつつも、先を急ぐ。取扱店に着き、ソフト売り場の地下へと向かうと扉が閉まっていた。貼り紙には「ソフト売場のみ休日閉店」。再び駅へ。再び「馬鹿野郎」と怒鳴られながら改札へ。御茶ノ水を後にする。
2003年10月12日
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■自由ヶ丘へ髪を切りに行く。今の店に変えてから3回目。担当者の淡々とした所が心地よい。クールな佇まい、そして端的に後輩へ指示を出す。そんな女性。調度今日から自由ヶ丘始まっている「女神祭」について話をする。自由ヶ丘のお店が積極的に参加し、路上には露店、駅前ではライブが開催されるお祭りだ。当然、自由ヶ丘に多く存在する美容院もイベントに参加するという。各店鋪から若いスタッフが参加し、髪のセットをするショーを行うと聞く。彼女も以前参加したコトがあると言う。そして当時を振り返りながら、彼女はこう言った。「私、こう見えても、人前であまり目立ちたいタイプじゃないんです」来店3回目の自分には、彼女が周りからどう見られているのか判断しかねるが、やはりクールということか。そして全て作業が終わりかけた頃、「来月から表参道店へ転勤になる」と聞く。表参道か。何だか敷居が高いような気がするが、一度行ってみるのもいいかもと思うのだった。会計を済まし、身支度を整えている際、彼女が「店の顧客名簿を探せないので、案内状送るので住所教えて下さい」と言い、紙切れとボールペンを渡される。どこまでもクールと思うものの、少し天然なのではと思うのだ。■自由ヶ丘は女神祭りで人込み。少し街を歩く。
2003年10月11日
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■気がつくと1週間以上も経っていた。と言っても、やり手ビジネスマンの様に海外を飛び回り、仕事に忙殺されていたのでは全くない。振り返ってみれば、遥か遠くまで見渡せ、日常の緩やかな起伏が連綿と続いているだけだ。足の小指を家具にぶつけ気がつくと血が滲んでいたり、イカスミのパスタを食べお腹をくだしたり、笙野頼子さんの小説を読んだり、寒くなってきたのでニットを取り出したり、タレント上原さくらさんを見かけ「顔ちいさっ」と心の中で思ったり、乃木坂の「ギャラリー間(マ)」で「無印良品の未来展」を見たり、ハーゲンダッツの新作アズキを食べ「うまい」とつぶやいたり、そしてまた新作カスタードプリン味を食べ、またまた「うまいな、これ」とつぶやいていたりしたのだった。「たり」な毎日。そんな1週間。都内某所に「ジャン・ボードリヤール講演会:21世紀を語る-グローバリズムと暴力」を聞きに行った。有名な思想家のため、小さな会場は人でごったがえしていた。約2時間の公演。自分は不勉強な上、いささか難解な話を逐次通訳で聞くのも重なり、到底理解するには至らなかった。自分の無知を恥じる。そんな中いくつか印象に残る話。9.11テロについての「それを実行したのは彼らだが、望んだのは私たちのほうなのだ」。ボルヘスの「鏡の住人」の話。等々。■夜は冷える。
2003年10月10日
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■敬愛する劇作家:宮沢章夫さんが以下のようなコトを言っていた。奈良の大仏を知らない人は殆どいない。そしてその奈良の大仏を前にして、人は必ずこう呟くという。「・・・でかい」。そしてまた、金閣寺を前にして、多くの人は「・・・意外と小さい」と呟き、そしてまた銀閣寺を前にすると「・・・古い」と呟く。そして今最も注目すべきは、巨大な大仏、巨大仏の存在だ。日本各地には巨大仏が存在しているという。その中でも茨城県牛久に存在する巨大仏は、100mを超える高さもある。30階を超える高さだ。そして驚くことに、その大仏の手の平に奈良の大仏が乗るらしい。恐るべし、巨大仏。 ■小島信夫・保坂和志の往復書簡「小説修業」読了。
2003年10月02日
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■劇団ク・ナウカの次回公演は国立博物館東洋館地下1階で開かれる。そのことについてロンドンに住むキャラコさんからコメントを頂いた。ク・ナウカの公演は、劇団の手法(一つの役を、語り手と動き手の二人が演じる)や衣装・生演奏など多くの見所があるが、その中でも劇が行われる場所も常に独特だ。前回は日比谷公演の草地広場の屋外公演「サロメ」。あるいは目白にある旧細川公爵邸の屋根裏部屋での公演「熱帯樹」。芝、増上寺境内での公演「天守物語」。あるいは品川の外れ、天王洲にある物流倉庫での公演。等々。いくつも印象的な舞台が多い。場所との応答、あるいは、劇場にはない場所そのものの記憶を取り込んでいる。ク・ナウカの公演は、その場に足を運ぶこともまた観劇の一つ。今回の国立博物館がどの様に舞台に反映されているのかが楽しみだ。
2003年10月01日
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■パルコミュージアムにて「where is SILAS?」展を見る。1998年、ソフィア・マリア・プランテラとラッセル・ウォーターマンがロンドンに創設。ソフィア・マリア・プランテラ(Sofia Maria PRANTERA)。パッチリした目にぽっちゃり型の頬、ショートカットにパーマのキュートな女性。イギリス人とイタリア人のハーフでローマ育ち。セントマーチンズを卒業後、カルト的スケートウェアブランド"ホームズ"のデザイナーに就任。98年、"ホームズ(Holms)"の創設者ラッセル・ウォーターマン(Russell WATERMAN)をディレクターに据え、友人とのコラボレーションにより、ロンドンのストリート・ウェアブランドとして"サイラス(Silas)"をスタート。スケーターシーンから派生した反骨精神を訴えるストリート系ブランド。"サイラス・マリア(SILAS MARIA)"と呼ばれることもあるが、"サイラス(SILAS)"がブランド名、"マリア(MARIA)"が会社名"サイラス&マリア(SILAS & MARIA)"がショップ名という区分であるようだ。世界で唯一の路面店が東京・代官山にショップ"SILAS & MARIA"がオープンしている。展覧会では、サイラス&マリアに深く関わるメイン・アーティスト5人の展覧会オリジナル作品を紹介していた。やはり、ジェームス・ジャービスが目にとまる。
2003年09月30日
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■漫才師、夢路いとしさんが亡くなられたと知る。悲しい。「いとしこいし」の漫才が見られないと思うと、とても悲しく思うのだった。御冥福をお祈り致します。
2003年09月29日
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■あるテレビ番組で、几帳面な小学生が取材を受けていた。整理整頓された子供部屋。レポーターの質問に対して子供は言う「机の乱れは心の乱れです」と。驚く。随分オトナな意見を述べる小学生だ。その言葉を復唱し、改めて部屋を見渡す。机の乱れが心の乱れならば、今この家の乱れは、心の乱れどころではない事態になっているのだった。身も心も乱れまくっていると言えるだろう。というわけで、天気もよいので布団を干し、全部屋を掃除する。テレビも動かしステレオも動かし掃除する。ついでにフローリングにワックスがけも行う。見えない所から色々なモノが出現した。とても記述できないようなモノまで出てきたのだった。そんな秋晴れの休日。■調子の悪いプリンターを修理に出す。修理費を考えると、安いプリンターなら買えるかもしれないと思うと、家庭で使うプリンターはどこまで高画質を求めるべきなのか改めて迷うのだった。「高性能=素晴らしい」というよりも、その高性能を何に使うのかだ。家電量販店でデジカメを見ていると、あるお客さんが店員に「画素数」について質問をしていた。「300万画素ってどういうことですか?」と客が尋ねると、店員は「年賀状に取り込むのには問題ないですよ」と答えていたのだった。性能の基準が年賀状に設定されているということか。素敵な年賀状をつくる為だけに、高性能のデジカメとプリンターを買うのはバカバカしい。
2003年09月28日
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■代官山のギャラリーにイラスト展を見に行く。様々なイラスト。イラストに限らず、年々様々な「表現」を見ても、あまり興奮しなくなった。けど、表現者の熱意に対して失礼だな。馴れあるいは衰退そして年ということか。沈思黙考。■jinユsにて眼鏡を購入。■角田光代著「キッドナップ・ツアー」読了。残念ながら苦手だ。中々読み進まない。軽いと言うのではなく、重みがないという印象。自分は読書家では全くないが、ふと思うと男性作家ばかり読んでいる。単純に男性作家が多いから、というだけではないのだろう。女性作家の作品を読むと感じる空気が馴染めないのだろうか。以前読んでいた川上弘美さんの作品も途中で飽きてしまった。男性の描く「世界」に生きていて、見なれているからなのだろうか。とすれば、女性作家の作品に違和感を抱くのは、優れて女性的であるからなのだろうか。数少ない読書量で言うのはおこがましいのだが。そもそも性差に対して意識的になったこともなく、女性を語れるオトコでもない。■ヤフー・オークションでジャケットとバックを落札。地味に衝動買い。
2003年09月27日
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■「巨人・大鵬・卵焼き」。昔はそんな時代だった。もういいじゃないか、読売なんて。「モンゴル人力士に品位がない」と言っていた某企業の代表の会見を見ながら、「彼」の言う品位とは何なのかとふと思う。もういいじゃないか、読売なんて。「メディアスクラムで被害をオレは受けているんだ」と怒鳴る某企業の代表の会見を見ながら、某企業の販売店の新聞契約勧誘員が以前訪れた際、新聞契約を断ると、恐喝的な言葉と共にドアを蹴り帰っていたことを思い出す。「彼」の言う被害とは何なのかとふと思う。もういいじゃないか、読売なんて。去年、日本・韓国においてワールドカップが開催され、多くのメディアがサッカーに注目していた。上昇するサッカー人気、衰退する野球人気。それを考慮したかのように巨人日本一。もういいじゃないか、読売なんて。「巨人・大鵬・卵焼き」。今はもう2003年。もういいじゃないか、読売なんて。■今日も一日中偏頭痛。首が重い。
2003年09月26日
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■黄桃を食べようと、冷蔵庫から黄桃の缶詰を取り出し缶切りで開けながら、ふと「缶詰と缶切りは同時に同じ人物が考案したのだろうか」と疑問に思う。ワインのコルクやビンの栓などの「蓋」はまだ「部分」として機能しているので、コルク抜きやら栓抜きを考案するのも容易であったと思うものの、缶詰の場合はかなり大掛かりじゃないだろうか。開発者はきっと密閉することに夢中だったに違いない。ただただ、密閉したかった。気付いた時には、切り刻むしか術がなかったということか。それはそれで潔いと思うものの、その後の、「ついつい残して、とっておく」ことまでは考えていなかったのだろうか。そもそも缶詰はどうやって密封してるのか。溶接なのか。私は缶詰めに対してあまりにも無知と痛感する。そんな日。■ク・ナウカ『マハーバーラタ~太陽の王子ナラの冒険』公演案内の知らせが届く。東京国立博物館東洋館地下1階で開かれるとのこと。楽しみだ。■一日中偏頭痛。季節の変わり目はつらいのです。
2003年09月25日
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■どうしてもオニオンリングが食べたくなり、フレッシュネスバーガーに入る。やっぱ美味いよ、揚げたては。書いている今もまた食べたくなる。食欲の秋。空腹の夕刻。■隣席には、大学生らしきカップルがいた。友達の誰某は何型だと、血液型の話で盛り上がっている。人種や宗教の違いが殆どないから、血液型の違いに夢中になるのだろうか。何型でもいいじゃないか。それはともかく、血液型の話をしていたと思ったら、唐突にオトコがこう言った。「ていうか、クリスマスのプレゼント何がいい?」秋すっとばして、もう年末かよ。■中条章平著「文章読本」読了。
2003年09月24日
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■秋物の服を見に、自由ヶ丘に出て代官山そして渋谷を歩く。結局これといったモノは買わないのだが、とにかく歩くのが好きだ。とにかく歩く。知らない店・知らない道・知らない街をただ歩きたい。が、いつも同じ店・同じ道・同じ街へと足が向かう。それでも発見はあるのだが。「美しい花はない。花の美しさがあるだけだ」と同様、「面白い街はない。街の面白さがあるだけだ」。街の面白さへの眼差しをもって、ただ歩く。■渋谷JORDIにて休憩。落ち着いたカフェ。確か、家具屋のideeが手掛けているのではなかったか。この手の店には必ずといっていいであろう、胡散臭いクリエーターがカフェラテ片手にスケッチをしているのだ。やっぱりいました、今日もここにも。胡散臭いクリエーターが。どうやら建築を生業にしているらしい。スケッチブックを広げ、エスキスを繰り返す。その手の姿を見るのが、どうにも苦手なのだ。■その後、たまたま立ち寄ったロゴスギャラリーにて「ヨシタケシンスケ」の展覧会を見る。笑った。ツボだ。自分の中ではフジモトマサルと同じ印象を受ける。■のんびりした休日。夜は寒くなってきた。
2003年09月23日
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■竹富町西表島トゥドゥマリ浜(通称・月ヶ浜)のリゾートホテル建設で、自然保護を訴える地元住民約100人が開発企業ユニマット不動産などを相手に、建設禁止を求めた仮処分申請に対し、那覇地裁は22日までに、住民側申請の却下を決定した。とニュースで知る。多くの報道でも取り上げられている内容だが、高額納税者の一企業の代表が、住んでもいないのに住民票を移すことで、多額の納税と引き換えに、行政すらも傘下に置き、事業を推進していく現実。不快感を抱くものの、企業の戦略なので致し方ないと感じる。ただ単純にある一定期間西表で過ごしたことのある個人として、残念に思うのだった。企業発足時は「女性のための金貸業」を起こし成長した企業だ。宮古島・久米島・西表島。次はどの島に移住するのだろう。そもそも、この国がもう既に「島」だ。たまたま沖縄の「観光開発」と「自然保護」が明るみにでただけだ。「本島」では他の「企業戦略」だ。当たり前の話。だって資本主義だから。儲かるなら何でもありだ。自然保護なんてナイーブだ。そう思う人もいるだろう。ただ単純に開発の「段取り」に違和感を抱くのだ。資本主義の夕暮れ。企業についてふと思う。
2003年09月22日
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■観劇ラッシュも今回で終了。岩松了脚本・ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出「西へゆく女」を下北沢本多劇場にて観劇。深い山の奥。ひと昔前までは林業に携わる者たちの住む小さな集落があった場所に残された幼稚園。そこで,ハルと若い女トキがひっそりと共同生活をしている。山の下に住む者たちは2人のことが何かと気になり,あらぬ噂が飛び交う。山奥に迷い込んで2人のもとに泊めてもらっている男にハルは自分の過去に関係しているのではないかと不安を抱くが,その男はトキとの間に思わぬ関係を潜ませていることが徐々に明るみになってくる。物語の世界に入り込み楽しめる2時間。主演の広岡由里子さんがとても素敵だった。しかし物語の奥にあるものを掴むには難解だった。というよりも自分に理解力がないということか。戯曲が出たら読んでみたい。「西へゆく女」。「西」。漠然と「西」について考える。いまここはどこなのか。■観劇後、下北沢fufuで、渡りカニのパスタを食す。というのも昨晩テレビで、渡りカニのパスタを作っているのを見て無性に食べたかったのだ。胃が一安心そして満足。食欲の秋到来。
2003年09月21日
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