温故知新

誤解を生む前に…















知的障害児<『普通』の子供≦秀才、天才、エリートな子供


知らず知らず、このような数式が私の中にありました。
団塊ジュニアで多くの同級生と共に偏差値教育で洗われたツケかもしれません。

人は数式の右を目指して生き、右であればあるほど価値の高い人物である。

そう思って生きてきた私にとって、
一番下のカテゴリーに属し、且つそこから逃れる選択肢もない娘の生きる意味が分からず、
そんな彼女を育てる意義を、自分の中に見出せないでいました。

『人には絶対的価値だけではなく、相対的な価値、というものがある。』

心を壊した私が精神科医と対話することで学んだことは、このことでした。
例えば、専業主婦。
この職業は相対的な価値として意味が大きいものであり、
それを絶対的物差しで測るから価値の低いものと誤解されてしまう。
問題は彼女にあるのではなく、人を絶対的な価値でしか判断できない自分の中にもある、
そう思いはじめました。

知的障害児からの脱却。

これは、冒頭の数式にそって、最初の不等号、

知的障害児<『普通』の子供

を、

知的障害児≦『普通』の子供

と代え、彼女を数式の右の方へ高きへと持っていこう、ということではありません。

知的障害は治りません。
親の努力だけではどうにもならないことがあります。
それは、彼女と24時間365日、一緒にいる私が知っています。
様々な現実を突きつけられ、宣告されて、流した涙の分だけ深く深く刻まれています。

彼女の相対的な価値。

それについては少しづつですが、認めつつあります。
少なくとも、彼女が生まれたことで私は変わりました。
その変化が私を苦しめたことも確かですが、長い目で見たら、良い方向への変化ばかりだと思います。

彼女の絶対的な価値。

これについて、どこまで可能性を伸ばすことができるか。
彼女が生きていく上で、自分に自信を持ってるように、というだけではなく、
対外的にも認められ客観的に評価されうるような、絶対的なもの。

彼女を授かり、精神科に通っても、自分の中の膿を全て出しつくせず、
いまだ成長せず、あがきつづける私にとって、
この結論は、彼女と共に期限のない日常を歩み続ける私の縁(よすが)であり、寄る辺であり救いです。

そうして、私を長年しばりつけてきた冒頭の数式を打ち破り、
新たな秩序のようなものを構築してくれることを願っているのです。
















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