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大学院入試日から2カ月。合格発表日から1カ月。ようやく少しづつ覚悟ができてきたように…思う。今。この瞬間、少しづつは過程でしかない。未完成で、中途半端で、何もない。そんな自分を記録しつづけることにも意味があるように思える。障害児2人生んで大学院なんて…テレビなど虚像の世界なら皆、手も叩くだろう。でも、そんな子どもを自分の子どもが面倒をみなければならない立場になってみたら。虚像なんかではなく。実利害が伴うとしたら。答えは誰よりも自分が分かっている。私は誰よりも自意識過剰で、弱者なんて死ねばいいと思っていた人間だったから。私は今、過程にいて中途半端だ。これから、どうなるのか、どうなっていくのかわからない。きっと、成功事例なんてほんのわずかで。よくある障害児の親のサクセスストーリーなんて、ほんのごくごくわずかで。大部分は私のような中途半端な過程をふんで、それなりの帰結を結んでいったのだろう。…でも、それは何も障害児の世界だけではない。甲子園に何度も出場した野球少年たちでさえ、絵になるサクセスストーリーなんてものを描ける子供は数限られいるのだし。まして、その裾野にはその何倍もの子供が存在するわけだ。そんな路傍の石の生き様、中途が存在したっていいじゃないか。わが子の障碍に悩み、愛しきることができず、それでも捨てる勇気ももてず。自分の人生をかけてあげることもできず、やりたいことを捨てきれることもできず、そんな中途半端で、未完成で、カッコ悪くて、達観できない人生があっても、きっといいのだと思う。愛しきることも信じてあげることもできていなくて、常に悩みの種の娘だけど、彼女に恥じる背中だけは見せたくない、と…せめて、そう思う。
2009.11.27
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4月から通う大学院は昼夜開講なので、昼なら昼だけ、夜なら夜だけの単位で卒業できる、ということになっている。が、実際は週に1回、夜、政治学や憲法学、社会学など、人権を扱う教授数人と、その院生が集まって、大きなゼミというか小さな学会というか、そのような授業がある。夜7時からはじまって、9時まで。実際は、そのあと飲みにいって朝まで議論、なんてのもあるらしい。毎週、その日だけ夫に休んでもらうか、帰ってきてもらうか。…なんて選択肢は我が家にはない。夫の仕事は出張が多く、また、そんな融通がきくものでもない。授業に子どもを連れてきても良いらしいのだが、唯一、その日だけはダメだ、と教授もいう。そこで居宅を頼もう、と、うちに出入りしているヘルパーさんに聞いてみた。彼女は障碍のある子ども2人を授かり、成人させた人である。すると、彼女はこんなようなことを言った。ヘルパーを利用する枠は少ないから本当に困っている人に枠がいかなくなる。まだ入学までに時間はあるのだから、有償ボランティア団体をつくり、募ってみてはどうか。自分たちも昔、作っていた。今は子どもたちが成長したから解散させたが。だから、できるハズだ…、と。彼女が帰った後、私は考えこむ自分を抑えることができなかった。どこまで障害児の親は自分でがんばらなきゃいけないのだろう。私が制度を利用して大学院へ行くことは贅沢なのだろうか。障害のある子どもの親で苦労した人でさえ、まだ私に言うのだろうか、自分が頑張れ、と。障害児を産んだのは自分なのだから、と。大学院に合格したことを…実生活の知人、友人にほとんど話していない。障害のある子どもを放って、金まで使って、何やってるんだと思われそうで…怖い。
2009.10.21
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今日…合格発表があって、志望する大学院に合格することができた。来年、4月から大学院博士過程前期に通うことになる。嬉しくないか…といわれたら、もちろん嬉しい。かなり、勉強もした。が、これはゴールではない。これから、苦難が待っている。子どもが病気したり、入院、手術のとき、どうするのか。学会など、家を空けるときどうするのか。毎週木曜日の夜にある合同ゼミのとき、子どもたちをどうするのか。ただの子どもたちではない、障害のある子どもたちだ。そうやすやす近所に預けられるわけではない。学費のこともある。やれるのか。やれないのか。いや…違うかな。私がやれないような…そんな社会ではいけないのかな。私はただ…弱者の立場を早く知っただけであって、結局、皆、年をとれば弱者になるのだ。でも…子どもたちは犠牲になるのかな…。分からない…でも、このままの人生では…何か違う気がするだけで…。ほんと…やっかいな人生を歩むことになったな…。
2009.10.15
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以前から、こっそり訪問させていただいていたブログの方々が相次いで転機を迎えているようで…ブログの更新がストップしている。そうだな。こうやって、何人の人の卒業を見守ってきたのだろう。断続的に…とはいえ、ほんと、何年もここにしがみついていて…私は何をやっているんだろうな。たとえ悪くなったとしても。ここから抜けだした人を私は猛烈に羨ましいと思う。その決断を、全力で応援したいと思う。私にはなんの力もないけれど…みんなはホント、よく頑張っているよ。適切な言葉ではないかもしれなけど…おめでとうございます。
2009.10.06
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引き算が苦手らしく…。算数の授業で集中できていない様子。昨日、教えてあげたのだが、別にそんなに分かっていない感じでもない。指を使って…ではあるが、9割は合っている。が、そうだね。確かに、今までの勉強の中では一番苦労しているようではある。家に帰ると、いつもスケジュールを確認したがる娘。今日も相談して、じゃあ、これをやってから宿題をやろうか、と一緒に決めた。いつものようにこなしていたら、次第に顔色が悪くなってきた。で、さぁ、次は引き算…となったら…嘔吐。吐しゃ物を片づけながら、「そんなに引き算がイヤなの?」と聞いたら、泣きだして頷く。複雑なことを書きたいと思う。こういうケースはマレだろうな、と思う。様々な要素が組み合わさっていないと、こうはならない。まず、軽度発達障碍児として気が向かないことは出来ない、大前提はある。が、娘自体、今まで『知的障害児』として上膳据え膳、何もやらなくても許され我がまま放題の社会生活を送ってきたため、つまり、本当は出来るのに、出来ないものとしてやってもらってきたため、グっと我慢ができない部分もある。だから、たかが少し出来ないだけでも逃げ癖がついているのだ。はっきり言えば、ズルさもあるのだ。そこが微妙で難しい。判断は、ちょっとでもできるようになったら、スイスイ出来るように戻る、て感じだろうか。本当に気が向かないことは、ちょっと出来るようになったぐらいでは、そうやり続けはしない。そして、母子関係。私といると緊張しているため、出来ないことが、過度のストレスになってしまうのだろう。私といると、本音が上手く言えない、という傾向もある。事実、気持ち悪いのにも関わらず、吐くまで一言も言わなかった。顔色が悪いのは見え見えだったのに。だから、少し、教えてあげよう、と思ってもストレス。宿題やろう、もストレス。だからといって、やらなければどうなるだろう。今まで、全く問題なく、むしろ好きだと言ってきた算数だから、この引き算は、おそらくズルく逃げているのだろう。心だけでなく体も逃げていて吐いているのだろう。これって、本当はどうすれば良かったのだろう。八方ふさがり、に感じていたが、今、振り返れば、そうやって逃げたいのなら逃がしてあげて、勉強なんて捨てれば良かったのかもしれない。勉強をしなければいけない、という前提での八方ふさがりなのだから。…違うか。そうやって逃げ癖をつけてはいけないのか。…うーん…難しい。結論からいえば、私は吐いている彼女に引き算を教えた。途中、実際に吐くことはなかったが、3度ほどトイレに行った。途中から、コツが分かったのだろう。面白くなったらしく。顔色も復活し、トイレにも行かなくなった。むしろ、自分から計算するようになり、最後は元気いっぱいノリノリでやり、あっという間に宿題は終わってしまった。もちろん、それから一度も吐きたいと言わなかった。…やっぱり逃げてたわけだけど…素晴らしく精神と連動した身体だねぇ。。機嫌よくオセロで遊んでいる娘に、「引き算やって良かったでしょ?」と聞くと、「うん!よかったー!!」と、満面の笑顔。「今日、やらなかったら明日はもっとやりたくなくなっていたんだよ。明日もやらなかったら、明後日はもっともっとやれなくなっているんだよ。」と、言ってやったのだが、分かったのか分かっていないのか。あああー。面倒だ。厄介な人だ。…でも、そうか。普通の母子関係だったら、やらない!やれ!!の大喧嘩になるところ、うちはまだ未熟な母子関係だから、吐いて自己主張しただけなのかな…。だとしたら、無理やりやらせた…というのも、そんなに間違えた対応ではなかったのかな…。…あぁ、奥が深い…娘の育児は…。
2009.07.09
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昨日、こっぴどく娘をののしってしまった。軽度発達障害の娘とどうやったら上手くやれるか、なんて分かっている。丸ごとの娘をそのままの娘を愛せればいいのだ。でも、虐待による軽度発達障害状態、という娘にしたのは自分だ。そんな自分が母親だからこそ、娘はこんな状態になったわけで。その自分が娘を丸ごと愛せるならば、こんな状態になっていないわけで。本末転倒というか…パラドックスというか…しんどいなぁ…
2009.07.02
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プール開きである。耳に外科的障碍がある娘は耳栓をつけなければ入れない。小学校との話しあいの末、プールの間、私が付き添うことになった。・…本当は、耳栓をつけて帰るつもりだったのだが、小学校側から、プールは1年生一斉で3人の担任でも足りないほどで、「他のクラスはまとまって行動ができているのですが、1組はいつも遅れていて…」と教務主任に言われたので、やることにしてしまった。申し訳なく思ったのではない。その逆だ。4月。娘の授業に全て付き添い、私が面倒をみていたとき既に1組は遅れていた。去年、彼女が担当した2年生のクラスにいた子どもの母親からも、授業から何から全て遅れていて、担任の言うことを子どもたちが聞かず、学級崩壊状態だった、と聞いている。それでも娘の担任は弱者配慮が出来、勉強よりも人としての何かを教えようとする、娘の担任としても人間としても、良い人だと思っているし感謝もしている。でも、それとこれとは別だ。私が娘のフォローをしていたとしても、クラスはドカっと遅れているんだ、ってことを、周囲に見せてやりたくなったのだ。結果、やーっぱり私がいてもクラスはとんでもなく遅れていたし、むしろ娘よりも他の子のフォローを私がしていた時間の方が長かった。まぁ、とりあえず来たかいはあった、ってところか。ケンカをするための準備のためには、自分の時間を割くのもいとわない、性格の悪い私であった…。
2009.06.16
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朝。担任に、金曜日の件で娘と週末に話したことなどを報告に行った。テストの話。色々考えた。「勉強しなさい」の声かけでは娘は動けないどころか、勉強をすることを分かっていない、と思われていると察して更に事態は悪化する。が、やはり、何を言ってほしい、というような依頼するのは止めにした。「家の宿題もどのように手をつけていいか分からないような時があったので、『まず名前を書こうね』と言っています。それがスイッチのように、やりはじめて面白いんですよ。」と、雑談がてらサラっと言ってみた。その話をヒントに娘に声をかけたらテストをやり始めた~なんて成功経験を、担任が娘と共有できたらなぁ。娘を指導していく手応えを感じ、自分の手柄…と喜びを覚えてくれたらいいのだが。娘は虐待による軽度発達障碍の状態ではないか、という診断を受けていたのだが、保育園生活では、そこまで実感はなかった。が、こうやって普通学級に入ってみると、さまざまなことが、あぁ~軽度発達障碍っぽいんじゃないの??と思う場面が多々続出…。よって、こちらのテーマにかえさせていただいて、私もちょっと真剣に軽度発達障害と向き合わせてもらおう、と思う。
2009.06.15
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しっかし、もうイヤってほど色々なことをしでかしてくる娘なんだけど、まだネタがあるのかね…??ってほどの1週間の総決算の1日…。はじめてのテストでは、やらずにグチャグチャにし。上靴は脱ぎとばし。連絡帳は書かず。プールの説明は聞かず、もちろん、その注意点を自分で書きうつす…なんてことはせず。あげくのはてに、友達の髪の毛を引っ張ったらしい。それも、触ってはいけないことになっている先生のオルガンを弾こうとして、それを注意した友だちの髪の毛を引っ張った…と。それを、迎えに行ったとき周囲のクラスメートから聞いたので、車で2人きりになったときには怒りがフツフツと湧いてきたのであるが、私が切れるよりも相手がキレて大泣きしだした。「どうしよう…。これでみんなにきらわれちゃうよ…」それが分かってるならなんでやるんだね…という言葉も出てこず…なんか私の怒りは冷めてしまった。「…どうしたんだろうね。保育園で髪の毛をさんざん引っ張って、もう、それはやらない、って決めてたのにね。」と、言ったら、またまた大泣き。「だって…テストができなかったの…!!」1時間目。はじめてのテストがあった、ってのは、周囲から聞いた。娘はダラダラと、鉛筆でずっとグルグルとテスト用紙に書きまくってた、ってのも聞いた。そんなことしていたら出来ないのは当たり前なのだが…。「なんで、やらなかったの?」「…」「分からなかったの?」「…」それはないだろうなぁ。宿題の様子を見ていても、1番ではないにせよ、全く分からなかったってことはなさそうだ。「…ん?なんのテストだったの?」「わかんない…」「わかんない…ってこたないでしょう??算数?国語??」「わかんない…」「…あなた、テストを見たの??」「どうやっていいか、わからなかったの!!!!」大泣き…。どうやっていい…って…鉛筆持って、書きゃいいんじゃないのけ??そんな特別なことってあったっけ??問題文を読まなくたって、空欄を見たら埋めたくならないのかい???「…鉛筆持ってさぁ…名前書くでしょ?」「…ああっ!!!!…なまえかくの、わすれてた…」「…だからじゃない??名前書いたら出来たのにね。」と、言ったら、あっそっかぁ~と、笑顔に戻りはしたが…。なるほどね…。テストは出来ないといけないもの…って分かってはいるらしい。それが出来なかったから暴れたってわけか…。そんなことやっても誰にも伝わらないんだけどなぁ、あの人の本当の想いなんかは。「テストやらないで、ぐるぐる書いてたとき、先生は何って言ってたの?」「べんきょーやりなさい、っていってた…」それって、勉強をやる場面でやるって分かっていない子どもにかける言葉だよねぇ。。それでは娘の心はつかめんなぁ。。もっと難しいのは、私が担任に、この話をどうやって伝えるか…ってことで…。あぁ…頭が痛い…。奥が深いなぁ、娘の育児は…。
2009.06.13
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娘と私は…今、何かを取り戻しているのかもしれない。娘と私が失ってきたもの…それを上手く説明するのは難しいのだけれど…。あえて言葉にするならば、『就学前までの普通な人間関係』とでもいうのだろうか。その中には、母と子の当たり前の関係、などというものももちろん入るのだが、それだけではない。たとえば、「人の物を取ってはいけない」は、理屈も何もない1歳児あたりから同じような年ごろの子どもと保護者を間にして、繰り返し辛抱強く教えていくことで自然と身についていく。「かして」「いいよ」の関係も、本当は「いいよ」ではないのに、なんか「かして」って言われたら「いいよ」と言ってしまうような時期をこえて、より複雑な人間関係を習得していくのだろう。が、その時期に信頼関係のない大人に強制されていたり、ましてや母親に虐待されていたような状態にあった娘のような子どもは、こういうことを心に刻めていない。1歳児で心に刻めなかったことを、時期を逸してから習得させるためには、もう、1歳児のような方法では無理なのだ。「人の物をとってはだめよ」「かして、って言おうね」と、言っても、1歳児と違って心に刻んではくれない。頭で理解しようとする。頭で理解したものは、理性がぶっとぶほどの魅力ある事を前にしてしまったら、やっぱりやってしまうのだ。でも、頭ではやってはいけない、と知っている。だから、やってしまってハッとする。が、そのときにはもう遅く、周囲がどうしたって非難する。知っていることを非難されるわけだから、本人もなかなか素直になれない。そこへ大人からも「人の物をとってはだめよ」などと、知らないでしょ、ばりに言われてしまったら、もう、おしまいで。事態は悪化の一途をたどっていく。1歳児で学びとれなかったことを再び理解するためには、今の発達年齢に合わせた方法で学ばせてあげなければ、心に刻むことはできない。これが、児童心理などの主流なのかどうか知らないが、少なくても娘には、この方法ではないと無理だ。人の物をとってはいけないのは何故なのか、を理屈で説明し、実際に、自分の物が取られたらどんな気持ちがするか、疑似体験でもいいから経験させる、それでようやく、心に刻むことができる。以前、母親と子どもの遊びの場を提供し、相談にのりながら、虐待された子どもを見つけていた小児科医と話したことが思いだされる。虐待によって軽度発達障害に陥ってしまう、と聞いたとき、先天的ではなくて後天的になるのであれば、治療してあげることも可能なのではないか、と私が質問したとき、その小児科医は即、私に言った。「誰がそれをやるの?」親以上にマンツーマンで子どもと対峙してくれる人間はいない、彼らにはそういった親がいないのよ、と。今になって、あの小児科医の言葉が大きく大きくのしかかる。たかだか、たった1つ。人の物を黙って手を出してはいけない、ただこれだけで、これだけの過程が必要なのだ。彼女が築けていないものが、あと一体どれだけあるというのだ。それも、前もって規制できるようなものではない。一つ一つ、娘がやっちまって、それでようやく、膿を出していくのだ、そのことで周囲の大人が信じることを止めてしまわないように気をつけながら。つまり、何が言いたいのかと言えば、自家中毒になって、娘はまた変わったようだった、という話がしたかったのだった。私が今まで彼女に語っていた話…といっても、就学前に感情をブチまけるように言っていた言葉ではなくて、就学後、小学校で何かしでかす度に必死に理性的に訴えてきた話だけ…ということに、奥の深さを感じるのだが…話を戻して、就学後に彼女に語っていた話と、空腹体験がつながったようで、食事に対して真剣になってきた。食べながらも、「ねーねー。きょうのごはんで、からだをうごかすエネルギーになるのはパスタだよね。」と、積極的にとろうとしたり、牛乳も言われなくても自分から飲もうとする。その姿は…私にブチ切れられるから…と恐怖でやっているようには見えなくて。食べ物と自分の身体がつながっていることを感じとったのかもしれない。禍転じて福となす…と、言いきってしまうには、あまりにも危険な禍だったのだが、それぐらい真剣に向き合わないと、今から娘との関係を取り戻せないのかもしれない。
2009.06.07
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私の母は…いろいろ変わった部分を持っていた人だったんだけど、被害者妄想が激しい、というのも特徴の一つだった。他人が話していると、それは全部自分の悪口に聞こえるようで、運動会やらセレモニーやら母親が出てくるような行事にも、一切、出てこれなかった。出てこなかった、というより、出ることが出来なかった、という表現が正しいようで。例えば、運動会など、自分が何かしらの役やら係についているときは、家でミニサイズのビール1缶あおって出ていく小心者で、行ってそれなりに仕事をこなして帰ってくるのであるが。何もない状態で、仲良く、円満に、臨機応変に近所付き合いする、なんてことは『出来なかった』ようであった。そういうときは、私に、自分がどれだけ忙しい身の上か、夫である私の父がどれだけ遊び人で自分がこうやって苦労しているか、一人で行事に参加するのが寂しかったら、その寂しさで父親を恨め、そして、直接文句を言って改善させろ、と、せつせつと語り、自己肯定をしないとならないほど母はしんどそうであった。仕事を通じて仲良くなった人も信じられなかったようで、平気で詐欺まがいのことをして金銭トラブルを起こしていた。一度。金銭トラブル関係で、何か些細なことで私も絡んでいたのを母親に利用されて、母親の一方的な言い分だけ聞かされて、相手の人と話しをつけるために、埼玉まで行かされたことがあった。会って話を聞いてみたら、もう見事なくらい相手は紳士で、理屈の通った話で、どう考えても、その300万円は母親が詐欺ったとしか思えなかった。相手も、まだ20前の私と本気でケンカするつもりなど毛頭ないようで、むしろ私の行く末を案じてくれたのだった。帰宅し、母親の怒りにふれないよう、適当に上手に事の真相を聞きだそうとしたのだが、肝心の部分になると母親の記憶はないようで、それどころか、見事なぐらい別の全く違うストーリーに変わっていて、全く、理屈も通っていないのにも関わらず、本気でその別ストーリーに疑いをもっていないようなのだ。私は何度も何度も顔色を見たが、もう全然、全く本気で思っている顔で。私が理屈をかまそうと見せようものなら、「だれも本当のことを分かってくれない」と、泣いたり怒ったり、とんでもなく、ただただ自分の正しさだけを主張するだけなのだ。10代にして私は悟ったものだった。世の中には自分がついたウソを本気で信じて、それを信じてくれないことで真剣に傷くような人が存在するんだなぁ、と。法学部に入っていた私はぞっとしたものだった。母親が犯罪を犯したら、自白などとれるハズがない。状況証拠はおろか、確実な証拠を目の前にしても、動揺1つしないだろう。母は自分のしてしまったことを忘れ、もしくは自己肯定しきり、責められていることに本気で傷つきさえして無罪を主張しつづけるだろう。いや、それどころか動機さえ自分でも忘れてしまっているだろう。小心者だから面と向かって殺したりはできまい。被害者妄想をふくらまし、想像力が欠如したまま、ちょっとした嫌がらせのつもりで、ブレーキの線でも切るかもしれない。それで同乗者や事故関係者が全て亡くなってしまったとしても、彼女にとっては自分はあくまでも被害者で、しかも、やったことは、ただ線を切っただけ。それは、彼女にとっては、あやとりのヒモを切ったくらいでしかないのだ。母 >何が悪いの?線を切っただけでしょう?警察 >そのせいで事故が起こり、巻き込まれた車の同乗者まで全て亡くなったんだ!母 >今までも悪口言われて、今も皆に責められて、悲しい…警察 >だからって、大勢の人を殺して、罪のない人を巻き込んでいいのか!母 >何が悪いの?線を切っただけでしょう?あわよくば線を切ったことを認めたとしても、取り調べは、この繰り返しだろう。彼女は自分のことしか考えられない究極な人間だから、他の人の話が間に入っても自分の話しかしないし、まして、自分がしたことで他人がどうなる、なんてこと、想像も出来ないのだ。…そして、まず間違いなく、こんなことを認めはしない。自分が線を切ってしまったことさえ、キレイさっぱり忘れてしまい、本気で自分が疑われている現実を嘆き悲しむだろう。どんなに客観的な事実を目の前に積まれようとも。世の中…こういう人間が実際に存在している、ということ。どれだけ認知されているのだろうか。偉い人ほど、こんな人間は周囲にいないんだろうなぁ。その偉い人たちだけで作った法律で、こんな人間も裁けるのだろうか。裁判員制度で、もし、少しでも、こういった人間の現状を訴えることができるのであれば、私は喜んで裁判員になりたいな、と思う。
2009.06.06
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毎日、毎日。よくも、こう手をかえ品をかえで問題が起きてくるなぁ…と感心さえしてきた。娘は保育園も定期的に行けていたわけでもなく。行ったときにもやりたい放題で、全体の活動に加われていたのは、卒園近くになった数か月のみ。まぁ、なんでも良いと思ったことやってみて、周囲の反応で次に同じことをするかどうか、考えるきっかけになればいっかな~と寛大な気持ちさえ生まれていたのだが。今日という今日は、ブチ切れもブチ切れ。我ながら、久しぶりに暴力つきの切れ方をしてしまった。朝から授業に身が入っていなかっただけでなく、給食のパンで食べきれなかったもので机やらをこすってボロボロなパンくずにしたあげく、それをバラまき。自分で片付けをせず。掃除の時間、教室で横になってふてくされていたあげくに、本当に寝てしまった、と。しかも、それを、担任からではなく、放課後事業のアシスタントをしている民生委員の方に担任からの伝言として聞いたのだ。民生委員とはいえ、ただの近所の方々。放課後事業で娘の様子を見れば、そりゃ、そんなにおとなしくしていなかろう、ことは想像できるかもしれないが、出来れば、あまり知ってほしくないな、という気持ちがあった。それなのに、丸分かりではないか。隠したいわけではない。むしろ知ってもらいたいと思っている。が、そんな実態も知らないあやふやな知識で娘の噂話をたてられるのは困るのだ。そんなこんなの怒りが全て娘にいってしまった。車の中で、傘、ランドセルなどの荷物を全部、娘に投げつけ、「おばあちゃんがパンを焼くのを手伝っていたアンタが、何度もコネたりベンチタイムをもうけたり、どれだけの手間をかけてパンが作られているか、知らないとは言わせないよ。食べ物を粗末にするなんて。そんなに食べたくなかったら、もう食べなくていい。」と、おやつを食べさせなかった。今までもさんざんヒドいキレ方をした怒りをしたことはあったが、食べ物を与えない、なんてことはしたことがなかった。経管栄養だった娘なので、とにかく必死に食べさせることはあれこそすれ。また、おばあちゃんとパンを焼くことが好きな娘には、給食でしてしまったことは、相当、反省したようにも見えた。しょんぼりと時間を過ごし、ぼんやりと天井を見上げ。うつらうつらを眠そうな姿でずーっとソファで過ごしていた。これは…あのミルクを飲まないで入院になったときの、ぼんやりした感じと似てるかな…と、うっすら思ったりもしたのだが、弟の面倒もあるし、怒りもあるし…でそのままに。何度かお茶を飲ませたが夕食を食べる気力もないまま横になってしまって、心配はしていたのだが、明け方。また、お茶を飲んだとき、ダァーっと嘔吐した。水分だけの嘔吐だが、その嗅いだことのない臭気にピンときた。…自家中毒。とにかく抱き起こしてみると眠いせいもあって脱力した状態。いざというときのためにストックしてある栄養補給ゼリーを一口、口に押し込み。数分して、また一口。本人が食べる気が出てきてからは数口づつ。2時間をかけて、少しづつ、栄養補給ゼリー2つ分を食べさせた。その頃にはだいぶ元気になってきて、そのまま目を覚まし、夫が前日に土産として買ってきていたドーナツを2個食べて、飛びはねていた。その後も順調に過ごしたが、肝を冷やした。たった、1回。しかも、おやつを抜かしただけで、夕食も食べられないほど脱力してしまうとは。さすが…というか…。自分が必死に娘の食事を管理してきたのは、間違いではなかったのかもしれないな、と、思い知ってしまった。当然、これからも管理していかなくてはいけない、と、身も引き締まったのではあるが。…まぁ、今回は食事だけではなくて、精神的に参っていたせいもあるのだろうが。環境がかわったことでもなるらしいので、入学からの今までのこともあるのかもしれない。本当は、キレて怒ってしまった自分や、食べ物を粗末にしてはいけない、という、しつけを怠ってきた自分を、まず1番に反省しなければいけないのだろうが。…そんな気になれない。もちろん、2番3番4番は自分を責めているんだけど、それよりも…本当、なんという毎日を送っているのだろう、と、呆れる感情がまず第一で。とりあえず…おおごとにならなくて良かった…とは素直に思ってはいるのだが…。
2009.06.05
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しっかし…よくもネタがつきないなぁ、と、ほとほと呆れてくる。月曜日、花マルがつくほどの素晴らしい学校生活を送ったらしい娘。火曜日、体育に行かない、と、さんざん教室でゴネたらしい。ホットラインでやってきた教務主任と静かな闘いをしたあげく、チャイムが鳴ったとたん、「あー、たいいくおわったね!」とニコやかに笑い、今まで力づくで連れていかれないよう床につっぷしていたのに席に座ったらしい。水曜日は、ジャングルジム。チャイムがなっても帰らずジャングルジムで1時間。途中、あまりの日差しの強さに、眠ってしまうように倒れそうになったそうで…。でも、それ以降はまた人がかわったように賢く小学校生活を送ったそう。木曜日は、隣の席の友だちの筆箱についている鉛筆削りを勝手に使い、周囲からも責められて小モメしたそう。担任が間に入り仲裁したのだが、どうして悪いのか、が、分かっていないようだった、と。よくも、これだけネタが尽きない…と思う。一つづつ、根気強く説明はしているつもりなのだが。教務主任が来てくれるような、特別なことは、もう療育手帳の範囲外のあなたには、保育園と違ってないのだ、ということ。息子の手帳を見せながらの説明に結構、うなずいていたと思っていた。が、次の日にはまた違うネタ。体育は、あなたの体を丈夫にするだけではなくて、ぐっと我慢できる精神も鍛えることができるから、大切なのだ、ということ。今、娘が一番気に入っている自転車に乗れるようになれるよ、といったら、これまたやる気になっていたのだった。が、次の日にはまたまた違うネタ。これもまた、手帳とからめて。手帳がなくなった、ということは、みんなと一緒にやれる、ということなんだよ、と、持ち上げてみた。が、次の日にはまたまたまた違うネタ。家の中に保管している買ったばかりのルイガノの自転車を外に置こう、と持ちかける。すると、誰かが持っていったり使ってしまうからイヤだ、と。そこから、自分は人に触ってもらいたくないのに自分は人の物を勝手に使うのはおかしい、と、説明すると、涙を流して反省し、次の日、早速、自分から謝りに行っていた。同じネタを繰り返さないってのは、ある意味すごいけど。毎日、迎えに行く度に胃がキューっとしめつけられる感じがする。
2009.06.04
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PTAの掃除当番だったため予定を入れていなかった日曜日。夫は出張中なので2人連れで行く覚悟を決めていたのだが、神様はそんな真面目な私を見離さなかったようで、万歳、朝から大雨。上手に遊べるようになってきた子ども2人を2階へ追いやり、YouTubeで最近気に入ってるsuperflyの曲をいくつか集めて、聞きながら細々と家事をこなしてた。そんなときも頭の中は娘の小学校生活のことでいっぱいで、音楽をボリュームアップして、焼酎の水割りをぐいっと1杯やったのだが、全然リラックスできない。なんだか頭にきてしまった。大体…なんで、こんなに考えなきゃいかんのだ。特別支援学級へ行けば、こんな苦労もないだろうに…いや…あるかなぁ。でも、少なくても遠足に関しては付き添いがいらなかったわけで。あ~バカバカしい。。早く娘が音をあげて、特別支援学級へ行くって言わないかなぁ。。…そんなことを考えている間も、気がつけばいろいろな方策を考えているわけで。しかも、一つ思いついてしまった。朝の支度、帰りの支度。やることが臨機応返かつタイムリミットがあって、全員がわらわらと動いて集中力が欠けてしまう…もしかしたら最悪な作業なのかも。落ち着かせるためにも、作業に自信を持ってやるためにも、スモールステップが必要かもしれない。とりあえず、ランドセルってのはどうだろう。朝の支度は、ランドセルを机におろしてイスに座る、だけ。帰りの支度は、ランドセルをロッカーから持ってきてイスに座る、だけ。残りは思いだしたらやればいいし、思いだせなかったら大人に助けてもらう。朝は私がいるから母親に。帰りは先生に助けてもらえなかったら、空のランドセルを持って帰ってくればオッケーと。「お茶や給食袋は予備があるけど、ランドセルは1つしかないから持って帰ってきてね。」と言ったら、結構乗り気のように見えたが…ま、やってみなければ分からないが。出来そうもなかったら即行止める。娘も疲れるし私もストレス。また何か他の手を考えようか。…あ~いつまで続くんだろう…
2009.05.31
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洗濯しようと娘のランドセルを開けたら、給食当番の白い上着と帽子、それらを入れてある白い袋が出てきた。そういえば…娘が給食当番では着替えられず誰かにお当番の格好をさせてもらっている、と、昨日、担任が言っていたことを思いだした。娘を呼んで着替えさせてみたら、あらビックリ、着替えられるではないか。それも、結構早く。もちろん1番早くはないだろうけど、ダントツでビリ…ってことはなさそうだ。「ねぇ。△△(娘の名前)はさぁ…こんなに上手に着替えられるのに、どうしてみんなに手伝ってもらうの?」「みんなじゃないよ。こと(仮名)ちゃんがてつだってくれるの。」「△△は手伝ってもらいたくて着替えないの?」「ちがうよ。じぶんできがえたいにきまってるじゃん。」「…じゃあ、なんで…。」娘が黙っている間、私は給食の風景を想像してみた。4時間目が終わって、給食になって。おそらく、娘は疲れているわ、ぼんやりしているわ、チャイムが人より聞こえづらいわ、で、すぐには動かないだろう。きっと、担任が声をかけるだろうなぁ。「△△さん。給食当番ですよ。△△さんがお当番をしないとみんなが困ります。」とか、なんとか言うかな。…そうか、担任の声で動かないのか。そうこうしている間に皆が着替えてしまって、で、1番に着替え終わることちゃんが、娘の手伝いをしにくるのだろう。「みんなさぁ…。△△が『てつだわないで』っていったら、きらいになるでしょ?」娘がポツンと言った。「それはさ。言い方次第でしょう。『さわらないで!』とか言ったら、相手は△△のためにしてくれているんだし気分を害するかもしれないけど、『じぶんでやるから』って言ったらいいんじゃないかな。」正直、驚いた。ここまで考えているとは思わなかった。確かに保育園時代、みんなと上手く関われなかった。娘は一緒に遊びたくても、どうせダメだと言われる、と、思って、「入れて」と言う前に、いきなりみんなが遊んでいるものを壊し、みんなは娘が来ると壊されることを恐れ、娘が何か言う前に「△△はダメ。」と、言われてしまう、悪循環にはまっていた。保育士が見ている前でも何回かあったのだ。見ていないところでは、もっとあっただろう。それでも、所詮、就学前の子供のこと、と、たかをくくっていた。まさか、ここまで心に傷を負い、こんなに気を使っていたとは…。なんとなく…核心が見えてきた。娘が友だちと遊んだり、良いことも悪いことも自分の気持ちを伝えることができたり、きちんとしたケンカをすることができたり、するのは、一朝一夕には無理だろう。例えば、今回。ことちゃんに「自分でやるから」と伝えていったり。こういう機会に少しづつ経験を積んで、ということになる。耳のことがある以上、娘が自分で誰よりも早く動きだす、ということも不可能。能力が高くない娘には、人より遅く着替えはじめて早く着替え終わる、ということも不可能。だとしたら…そう、担任。娘はなぜ、担任の声で動こうとしないのだろう。ぼんやりしていても担任の声でやり始めればいいのだし、帰りの支度だって、担任の指示通りにやれば、そこそこ出来るはずだ。そもそも、家ではタイマーを使って3分で着替えて脱いだものを洗濯機に入れることさえ出来るのだ。やり始めさえ遅くなければ、そんなに遅くなるハズはないのだ。とりあえず私は娘に、数日前した同じことをまた話した。△△は子どもだから、大人に助けてもらうのは当たり前。出来なくて当たり前。特に△△は今まで着替えや給食当番をやってこなかったし、病院ばかりで保育園さえあんまり行けなかったのだから、みんなより出来なくて当たり前。それでも、子どもに言われたり手伝ってもらうのが悔しくてイヤなら、大人に助けてもらえばいい。そうやって少しづつ、素敵な△△になっていこうね。娘は、うんうん、と何度もうなずき、「せんせいにきがえさせてもらおう~っと。」「それじゃあ、いつまでたっても自分で着替えられるようにならないでしょ…」と、突っ込んだら、あっそっか~と笑った。…それにしても、どうして、娘は担任に逆らうんだろう。昨日、担任と娘と3人で少しの時間、立ち話したときの様子が思いだされた。月曜日から先生と1ページづつやろうね、と、担任が膝を折り、娘と視線を合わせて言った途端、娘はプイっと後ろに走りだした。とっさに私が捕まえると振り払おうとし、私が名前を強く呼ぶと泣きだしそうになっていた。先生が何度も視線を合わせようとしていたが、娘は居心地悪そうに、身をよじっていた。あの姿も、今、思えば、あまり見たことがない…。何を思っていたのか…何を考えていたのか…。確かに、今までも20代くらいの女の人…は、娘を制することが出来ないなぁ。年中までの担任、言語療法士…。30代40代の女性だと結構、従うかなぁ。障碍児によくあるパターンで、娘も人をみるのが上手く…。どこまで甘えることができるのか距離をはかってるのかなぁ。それとも、ただ単に甘えてるのかなぁ。被虐待児の特徴で、荒れることで人を試しているのかなぁ。。担任に逆らいさえしなければ、結構、大部分のことは乗り越えられそうな気がするのだが、それをどうやって、あの若くて一生懸命な担任に伝えたらいいのか…。そっちも難題になりそうだなぁ。
2009.05.30
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今日も席には座っていたらしい。担任が言うのだから間違いはなさそうだ。席に座っている…なんて我ながら随分と低いハードルだ、と思う。が、それはあくまでも私にとっての高さ。娘は低いとは思っていないみたいで、笑ってしまうほど鼻高々で、「つぎはきゅうしょくのあとくちをふく、にしよっかな~」と、嬉しそうに言ってくる。こちらも自分の気持ちが娘に届いたことが嬉しくて、彼女が何をできるようになったのか、ということは2の次になる気がする。そして、また彼女と喜べそうな次のハードルを、一緒に考えてみたくもなる。まだまだ、いくつも飛ばなければいけないハードルであるが、ほんの少し楽しみになってきた…かな。
2009.05.29
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娘には内緒なのだが、実は、からくりがあった。いかにも今日。どんなに小学校に遅れても娘に手を貸さない、的な書き方を昨日したのだが、今日は耳鼻科の予約を朝一にしていて、それが終わってから遅刻して行くことになっていて、小学校へは連絡済だったのだ。いつもの朝よりは1時間ほど余裕がある。自分一人では何も出来ないことを、娘に感じて欲しいのだ。朝。目ざましがなったら娘は起きて下りてきた。昨日のことは覚えているようだった。息子を起こして、着替えさせて、ご飯を食べさせている間、何かを感じてはいるようだが娘はソファに座って動かない。それでも声もかけずにいたら、娘は心配そうに、「きょうから、あるいていくの?」「小学校と、△△は秋になるまで車で送っていく、ってお約束になっているからね。△△が行こうって言ったら、車で送っていくよ。」「そっか。」と、安心そうに、ダイニングテーブルについて朝食を食べはじめた。息子の支度ができたので保育園へ行こうとすると、「△△は?」「だって…」と、時計を目の前に置いて、「もう、いつも小学校へ着いてる時間でしょう。」「でも、8じ15ふんまでにいけばいいんだよ。」「だとしたら10分には家をでないと。あと5分で支度できる?まだ着替えもしていないでしょう。時間割は合わせたの?昨日、宿題したの?」「…あっ…」娘はテーブルの下にもぐりこんでしまうほど体を小さくして一言。「…きょうはがっこういかない…あしたからいく。」「それ、ズルじゃん。体もどこも悪くないのに。ズル休みじゃん。」「…」「ねぇ。ピアノだって一日弾かないと次の日、もっと弾きたくなくなるでしょう。次の日も弾かないと、その次の日、もっともっと弾きたくなくなってるでしょう。それと同じで、ズル休みしたら、明日はもっとズル休みしたくなるんだよ。明日もズル休みしたら、どんどんどんどんズル休みしたくなるんだよ。」「……」私は椅子から娘を下ろして、自分と視線を合わさせた。「△△はね。まだ子どもだから一人で出来なくて当たり前なんだよ。△△が悪い子だったりダメだから出来ないんじゃなくて、子どもはみんな出来ないの。だから、大人に教えてもらったり助けてもらったりして、ちょっとづつ素敵な△△ちゃんに成長していくんだよ。いつか、本当に『言わないで』『分かってる』△△になれる日が来るから、大丈夫だから。」「だいじょうぶ?すてきな△△になれる?」「うん。なれるよ。でも…今のままではダメ。」分かるかどうか分からなかったけど、私は必死に娘に話した。子どもは大人に助けてもらったり教えてもらったりして、少しづつ大人になっていく、こと。小学校では、その大人は、学校の先生だってこと。子どもはいっぱい間違えて、怒られて、それが当たり前だ、ってこと。そういうときは、ごめんなさい、をして、大人に助けてもらったり教えてもらって、そうやって素敵になっていくんだ、ということ。△△は昔は▲▲(息子の名前)みたいだったけど、少しづつ練習して、自分で靴をはけるようになったし、着替えもできるようになったんだから、少しづつ練習していけば、なんでもできるようになれる、ということ…などなどなど。「△△はさ。教室の後ろに行って寝ころんじゃって、本当は困っていたんでしょう。戻りたくてもどうやって戻っていいか分からなくて、一人で寂しかったんでしょう?」と、最後に言うと、「ママ…△△がさみしかったのがわかるの??」と、抱きついてきた。「分かるよ。だって、ママは大人だから。大人はね。子どものことを考えたり、助けたり、教えたりしてあげられるんだよ。大人と子どもは違うの。だから、大人に『分かってるよ』とか『言わないで』とか言ってはダメ。子どもは分からなくて当たり前なんだからね。『教えて~』って言えばいいんだよ。」ママにも、学校の先生にもね、と、付け加えた。あと、先日の心療科の医師のアドバイス、『問題行動であればあるほど、思いっきりハードルを下げて、出来たら褒めてあげる』を、思いだし、「一旦、教室の後ろに行っちゃったら戻ってこれなくなっちゃうから、戻ってこれないと、また寂しくなっちゃうから、席を離れることだけはしないでね。それだけママと約束できる?」と聞くと、大きくうなずいた。「じゃあ、ママが手伝ってあげるから学校へ行こう。子どもなんだから、大人に言われてやればいいんだよ。。宿題忘れたっていいの。遅刻したっていいの。子どもなんだから出来なくて当たり前。いっぱい先生に叱られておいで。で、ごめんなさい、しておいで。明日から気をつければいいんだからね。」…とかなんとか言いながら、耳鼻科が終わって2時間目までに時間があったので、宿題やる?と聞いてしまった、世間体を気にする小心者の母であるが…。一応…今日は席を離れないで過ごせたようだった。「せきにすわっていたほうがたのしかった~」と、いい笑顔だったので、これはウソではないかな?分からないけど…(苦笑)連絡帳は先生の筆跡だったから、そんなにお利口に過ごしたわけではなさそうだ。それでも、とりあえず、第一歩。なんだか分からない変わった生き物に育った娘とどこまで分かりあえるか。楽しみでは全くないけど…とりあえずやるしかない…と覚悟はできてきた。
2009.05.28
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とうとう本性を現してきた…というべきなのだろうか。娘は小学校でやりたい放題やりはじめてきた。日記の更新が止まった頃からやりはじめたのが、椅子に座っていない、ということ。教室の後ろで寝転がって過ごしているらしい。怒っても、すかしても、話してみても、家では、「あしたは、ちゃんとべんきょうする」でも、小学校へ行けば…であって、ほとほと疲れてきた。家で聞いたって仕方がない。怒ったってエネルギーの浪費。分かってはいるのだが、本人が帰ってきて、顔を見て、そのひょうひょうとした姿を見ると、どうにもこうにも腹にすえかねて、どうしても怒ってしまう。当然、そうなれば、家でのストレスを学校へ持ち込むわけで…悪循環。寝ころぶ授業はだんだん増えてきて、とうとう1時間目から寝ころんで過ごすようになってしまった。勉強が分からないのか、といえば、全然そんなそぶりもなく。寝ころびながら耳をそばだてていたらしい、国語の発声なんかも家でしていたりして。そんなところが、また、不思議なことに、本当に腹がたってくるわけで…。こうやって振り返ってみれば、本当は興味ある授業なのに、授業が受けられなくて、しんどかっただろうな、なんて思いやってあげられるのだが…。火曜日。夫が休みで、娘は早退して、こども病院の診察を受けてきた。片道1時間弱。車の中で散々夫に愚痴ったり、夫も娘と話したりしたのだが、どんな話も声を荒げることもなく、「まぁ、学校楽しいって言ってるんだからいいじゃないの。」「こんな育児の方が手ごたえあって楽しいじゃないの。」「△△(娘の名前)ちゃ~ん。お父さんは、どんな△△ちゃんでもずっと大好きだよ~。」と、まぁ、こんな感じで。なんか、私もいちいち真剣になっているのがバカらしくなってしまった。すると、なんか、娘に対しても寛大な気持ちになれて、父母娘3人。本当に幸せな時間を過ごしたのだ。それなのに、だ。明けて水曜日の今日。やはり病院があったので、教室まで迎えに行く途中、娘の怒鳴り声。階段の踊り場で、担任とつかみ合いの大喧嘩…ってくらいのケンカをしている。話を聞けば、どうも帰りの支度をする、だの、しない、だのって話で。今日も1時間目からずっと寝ころんでいたらしく。でも、人間って不思議なもので。こうやって、誰かがブチ切れてると妙に冷静になってしまう…というか。人のフリ見て我がフリ直せ…というか。教室の他の子どもを放っておいて、こんなところでやりあったところで、どうにもならんくらい事態が悪化しているな~と悟ってしまった。つまり、娘が教室の後ろで寝ているのは、こんな人間関係に対する売り言葉に買い言葉的な行動であって、一旦やっちまった娘も、もうどうにも引っ込みがつかない状態になっているんじゃないか、と、思ったのだ。そこで、ある考えが浮かんだ。小学校行ってから、何を言っても「わかってるよ」「いわないで」とキレる娘に、今日。「そんなに分かっていて言わないで欲しいなら、全部、自分でやりなさい。」と、一切、口を出すのを止めてみることにした。無視はしない。でも、手は一切貸さない。お風呂では私と息子があがっても好きなだけ入っていた。でも、しばらくしたら出てきて、「あたまかゆい~あたまあらって~」「全部、自分でやれるんでしょう。自分でやりなさい。」食事は彼女の分も作って置いておいて、息子と一緒に先に食べはじめた。彼女が何を残しても何も言わないつもりだったが、そこは彼女も意地があるのか、全部ほとんど食べきっていた。はぶらしも準備して、薬も準備して。「おやすみなさい」と私と息子が2階に上がっても、彼女はビデオを見ているようだったが、夜中に目覚めたら、2階にあがって自分のベッドで寝ていた。下に降りたら、電気も消して、歯磨きもしたようだった。薬は、ちょっと残していたが、飲んだ形跡はあった。でも、次の日の準備もしていないし、宿題もやっていなかった。明日の朝は起こすつもりはない。いつもは自分で目ざましをかけて自分で起きるのだが、大体は起きられないので、私が声をかけていた。自分で起きて、着替えをして朝食を食べ、自分で支度をしていないことに気がついて、宿題もやって…そんなこと出来るわけがない。さぁ、娘はどうするんだろう。
2009.05.27
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いつもにもましてボーっと動かない朝。咳と鼻水もひどくなったようだし、首筋に手をあててみたら…あら、熱い。熱をはかってみたら、37度0分…。昨日、転校するだの、もう勉強しない、だの、さんざん言った次の日の欠席。ちょっと無理してでも行かせた方がいいのかな…と悩みつつ、息子を起こしてみたのだが、これまた見事に起きない。いつもなら声をかけたらクルリと目覚める男が、眠り続けている…。リビングに引きずり下ろして熱をはかるが、こちらは平熱…。でも、かなり乱暴に扱ったにも関わらず起きる気配がない。ああー!もう、止めた止めた!休みじゃ、休みじゃ~連絡帳に、昨日、心療科で聞いた話やら、今日の様子やらを2ページに渡って書いて、隣の子に託し…そしたら、なんだか、ほっとしてしまった。学校に行かなければ問題は起きないわけだし、教室へ入って、やきもきしなくてもすむし、いろいろな子にもみくちゃにされることもない。はぁ~極楽極楽。娘も疲れたよなぁ。私は家に帰れるけど、娘はずっと学校でがんばっているわけだから。夕方、担任から電話がかかってきた。「昨日はお母さんを心配させてしまってすみませんでした。△△(娘の名前)さん、今まで授業だけはとっても楽しそうにうけてくれていたんです。それで、つい私も驚いてしまって…。」それから20分。たっぷり先生と話した。私が「貴重な時間をすみません」とお礼を言うと、「私の方こそ、私が解決しなければいけないことを電話してしまっていいのだろうか、と、悩んだのですが、電話して良かったです。」担任と親。どこまで手をとってやっていけるか、なんて、本当は関係ないのだろうか。小学校って、本当はどんな場所なんだろう。夜。連絡ノートが帰ってきて、そこには宿題と、今日の授業内容やらの手紙が入っていた。みんなからのメッセージとして、『おくすりのんではやくよくなってね。いっしょにべんきょうしようね。』と、書いてあった。娘は嬉しそうに何度も読んで、「…みんな、△△のことだいすきなんだね。」「そうだよ。だいすきだから△△のこと心配なんだよ。だから、△△もみんながだいすきだったら、みんなのきもちもかんがえようね。」みんなを待たせたら迷惑がかかるから給食も早く食べようね、と、最後に説教くさい一言も付け加えてしまった…。娘は大して聞いてもいないらしく、「みんなにあいたいなぁ。」「がっこういけばよかったなぁ。」と、大切そうに何度も何度も何度も、そのメッセージを読んでいた。たまには、休むのもいいものだね。休んだことで学べることもあるわけで。私も少し骨休めができて、ちょっとだけ明日から頑張ろうという気持ちが復活した。
2009.05.21
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4月の入学式以降から5月の中旬まで、急ぎではない病院は予約を外してきた。そんなモラトリアムが終わり、いよいよ病院の予定が増えはじめた。昨日は口腔外科のある大学病院の歯学部病院。今日は、車で1時間弱かかる、こども病院の心療科である。給食終了後のお迎えだったので、給食が終わる姿を見てみようと少し早めに行ったら、娘よりも先に、担任が私に走り寄った。「△△(娘の名前)さん…今日は、授業に身が入らなかったようで…。国語のときも練習帳を全くやらないで…。算数のときは補助の先生が入るのですが、その先生にかなりなことを言ったようで…」教室に入ると、いろいろな子がわらわらと私の周りに集まってきた。「あのね、△△ちゃん、べんきょうしないっていってた。」「てんこうするっていってたよ。」「もう、がっこうこないっていってた。」なんか、どうしていいか分からなくて、とりあえず私は車の中で娘に聞いてみた。でも、なんでなんで、と聞いたところで説明できるわけもなく…。聞けばイライラするだけのお約束パターンで、最後、私は泣きながら怒鳴ってしまった。幸い、今日は心療科の受診だった。この病院は、心療科だけで独立した病棟を持つほど心療科に力を、特に、虐待による心療も得意としている。前の主治医…といっても半年弱の付き合いしかなかったが…が、転勤したため、今日から新しく赴任した主治医であったのだが、今日の学校のこともあって、こんこんと話し込んでしまった。すると…、まず、最初に一言。「えらいねぇ。そんなにやる気がなかったのに、ちゃんと席には座っていたんだね。」言われて、目からうろこだった。そうだ。確かに、教室にはいたのだ。先生との約束、トイレで遊ばない、は、実は、「せんせい、といれにいっていいですか」と、教室を抜け出して遊んで帰ってこない、という、実に頭脳プレイで恐縮な話も入っていた。が、それはきちんと守っていたのだ。「最近、何か変わったことありませんでしたか。」あった。病院が増えた…。それと…あさがお!生活の時間で植えたあさがお。自分で水をあげなければいけないのに、水をあげに行かなかった。水をあげなければ育たないことを知らないのか、と、「あさがお、かわいそうに…のどがかわいたんじゃない?」とか、いつも促すことをしていた。…が、よく考えたら、あの人はうちでハーブを育てている。「あっ!わすれてた!」と、自分からあげる日もあるのに…水をあげたら育つことを知らないわけがない…。水をあげるジョロは人数分ないようだったし…もしかして、あげ方を聞きそびれてしまったのではないだろうか…。だとしたら、次第に枯れていってしまうだろうあさがおを思いながら、どれだけ辛い思いをしていたのだろう。それなのに、それを追い込むようなことをしてしまって…。「お母さんの子ども像はどんな子どもですか?」私があれやこれや思いをはせていると、新しい主治医はそんなことを聞いてきた。私の中の子ども像…。すぐに思い浮かんだのは、小学校のとき同じ学年だった男の子だった。笑顔がまぶしくて、活発で、ノビノビしていて、でも、言葉使いとか丁寧で利発、そんな子ども…。「その子ども像と同じ様な子どもがクラスに何人いますか?お母さんにとっては、1対21に感じているかもしれませんが、きっと、そんなことないと思いますよ。いろいろな子どもがいますから。」確かに…そうだ。娘も一人しかいないけど、そんな理想の子どもも数人しかクラスにはおらず。しかも、それは傍から見てそう思っているだけであって、内情を知ったら、もっと数は限られてくるだろう。なんとつまらないフィルターにかけてきたのだろう。私の中には理想の子どもがいて…それは娘ではないのだ。そして、いくら理想の子ども像をつきつけても、そんな理想の子ども像を演じることもできない…それが娘なのだ。いや、むしろ、演じることができない娘で良かったのだ。虐待の連鎖を止めることができず、私もまた理想の子ども像を自分の子どもに押し付けてしまうところだったのだから。…いや、他の虐待をしてしまってきてはいるのだが…。最後に、「△△ちゃんは、この年齢なら大抵言われたことを機械的にやる子どもが多い中で、自分の気持ちを大切にしたり、理由を求めたりできる、賢い子どもさんです。怒ってもどうせ変わりませんし、エネルギーも使います。怒りそうなことは事前にハードルを思いっきり下げて、むしろいっぱい褒めてあげてください。そうしたら、きっと変わってきますよ。」と。褒める…のは、きっと、この主治医の十八番で、私はのせられているのだと思うが、確かに、褒められれば嬉しい…事実、今、娘を褒められて私が嬉しいのだから。「大して長い期間じゃないと思いますよ。子どもは褒められたら、すぐに変わってきますから。」のせ上手な先生だなぁ。この先生のもとで、のせられてみるのもいいかな、と思ってきた。
2009.05.20
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今日は娘の大学病院の定期検診の日。長い待ち時間の間、ちょっと…娘と『娘の障碍』について話をしてみた。…と言っても、私は今まで何でも正直に話してきた。今日の通院はもちろん、どの病院に行くときも、その理由をきちんと説明し。就学についても、難聴のことなども話し、どの学校へ行くか一緒に考えてきた。が、ひとつだけ。娘に話してこなかったことがあった。彼女がミルクを飲まず、経管栄養の後もずっと食事を上手く摂れなかったこと。息子が産まれ、おっぱいを飲む姿を見て、「△△(娘の名前)もこうやってオッパイのんでたの?」と聞かれたときも、「そうだよ」と意識的にウソの返答をしてきた。自分でも不思議だ…。どうして話そうと思わなかったのだろう。『授乳、食事…といえば、家庭で解決できる問題と思われがちだが、大きな障碍がない子どもでも栄養失調はおろか、命にかかわるほど授乳や食事が摂れない子どもがいる。その場合、それは病院が介入して解決していくしかない問題であるのに、未だ、そういう子どもたちに手が差し伸べられていない』と、さんざん訴えてきたにも関わらず、私自身が食事を『娘の障碍の一つ』とカウントしてこなかったとは…呆れてしまう。むしろ、一番、私の負担…おそらく娘の負担になっているのは、今でも、この『食事』だというのに…。病院の待合で小さい赤ちゃんを見つけて、「▲▲(息子の名前)くんみたいなあかちゃんだね~」と、娘が言ったので、それをきっかけに話してみた。「ねぇ。▲▲が赤ちゃんだった頃のこと、覚えてる?」「おぼえてるよー!かわいかったよねー!!」「何を飲んでたか…覚えてる?」「おぼえてるよ。ママのおっぱい。」その後、離乳食を食べて、今は家族と同じご飯が食べられるようになった話をし、「△△は…赤ちゃんのとき、何を飲んでたか…分かる?」「ママのおっぱいでしょ?」「△△はね…お口に傷があったから、ママのおっぱい飲めなかったの。だから、お口に傷がある子ども用の哺乳瓶でミルクを飲んでいたんだけどね…」その哺乳瓶で飲むことも3ヵ月のとき、娘が止めてしまったこと。病院に2ヵ月入院したけど原因が分からず、経管栄養になったこと。1歳で口唇の手術をしてから離乳食をはじめたこと。1歳4ヵ月で体重増加不良で1ヵ月入院したこと。その後も病院へ通って栄養剤をもらいながら、少しづつ大きくなっていったこと。娘は話が分かるようだった。「だから△△、いちばんまえなんだね。」小学校で背の順で並ぶと1番前なことを気にしていたので理解がしやすかったようだった。「ママは…△△がお空に帰っちゃったらどうしよう…って。毎日、泣きながらご飯を作ってたの…。だから…今でも心配で…」昔が思い出されて言葉がつげず、人前にも関わらず涙してしまったら、娘もみるみる顔を歪めて泣き出してしまった。「ご飯の時…▲▲より、△△のことをいつもいっぱい怒ってしまって、ごめんね。でも、小さい時のことがあるから、今でも△△のご飯が心配なの。イヤな想いをさせてしまって、ごめんね…。」涙しながらも、ようやく、このことだけ伝えると、娘は大泣きに泣きながら、「ママは、△△がおそらにかえっちゃうのはイヤなんだね…」と言い、また泣いていた。彼女が口にした言葉。あれは、一番彼女の心を動かしたのが、『自分はママに死なないでほしいと思われている、必要な子どもなんだ』と実感できた、という意味だったのであろうか。だとしたら、私が自分の母親にしてきた『必要な子どもと思われるための努力』を、娘にも強いてきたことになるのだろう。私は母親の望む『出来の良い子ども』になることで、必要とされようと努力をしてきた。娘は…どんな努力をしてきたのだろう。『諦める』…努力かな。本当に本当のことは伝わっていないかもしれない。でも、私が彼女の命を守りたくて必死になってきたことと、今でも必死さで怒ってしまっている、ということ、それから、必要とされている大切な子どもなのだ、ということが伝わったのだとしたら、具体的に食事の時の何かが変わらなかったとしても、十二分に意味があった、と思っている。
2009.05.19
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で、迎えた家庭訪問。たった10分、しかも最近の主流は玄関で立ち話だというではないか。私の頃はケーキなんか出した記憶があるのだが…。それに、うちの場合は毎朝、担任と顔を合わせ話をする約束になっているし、個人面談もたっぷり1時間すでにしている。きっと、大した話もないだろうな、と思っていた。が、かなりの隠し玉を持って教師5年目くらいのうら若き彼女はやってきた。彼女がカバンから出して広げたのはパソコン打ちされた平仮名ばかりの表であった。そのタイトルに『△△(娘の名前)ちゃん、がんばったねひょう』か何か書いてある。その下に、月から金までの曜日が横ならびに。縦ならびには、『ちゃいむがなったらきょうしつにもどりましょう』『といれであそびません』『おきがえはじぶんでやります』と、3項目。その月曜日の欄に◎が縦に3つ。表の上に但し書きみたいなものがあって、『よくがんばったね◎ がんばったね○ もうすこしがんばろうね△』彼女の説明を待たずして、分かった。これは…行動療法。私が、娘と家でやっていたものだ。義理だてて一応、彼女の説明を聞いた後、私は聞かずにはいられなかった。「この3項目が、先生が一番、娘に望むものなのですね。」家で私が彼女と約束していたものは、『給食は1時までに片付ける』だの、『帰りの支度は5分で』であった。が、それはあくまでも私が彼女に望むものでしかなかった。皆と一緒に、皆と同じように…それは、ただ自分が普通の子ども像を望んでいたに過ぎなかったのかもしれない。本当に担任が彼女に望んでいるのは、それではない。給食も帰りの支度も、自分の目が届くところにいる限りは娘は娘でいて良い、と、担任は言ってくれているのだ。…それは言い過ぎか…そういうのは2番手3番手で良いと言ってくれていて。ただただ担任の願いは1つ。自分の目の前から消えないでほしい、ということだけ。学校の願いは学校でしか分からない。だから、そうか、担任が行動療法をやってくれる、というのが、理想だったのだ。あぁ、気づかなくて良かった…気づいていたら、学校がやってくれればいいのにぃ…って、イライラしていたに違いない(笑)娘にそれとなく聞いてみたら、「そうだよ。せんせいとねーやくそくしたの。えーっと…」と、3項目、サラリとそらんじてみせた。そうか。学校での娘を動かせるのも…私の願いではないのかもしれないな。学校での娘を動かせるのは、担任の心からの願いと想い。それが彼女に通じたとき、だけなのかもしれない。寂しいなぁ。あんな…頼りなくて、入院ばっかりしていて、私が教えてあげなかったら何も動けない子が。私ではない人から何かをつかみ、一緒に学んでいこうとしていて…。こうやって、どんどん離れていくのかなぁ。障碍児なクセに…ほんと生意気なヤツだ。
2009.05.18
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娘は泳げない。ただ、泳げないってだけではない。浮き輪をしても前に進まないのだ。浮き輪をして適当にバタバタしていれば、勝手に自然に動くだろう、と思うのだが、そういう、『勝手に』『自然に』普通なら身につくようなことにまで、思いもかけず躓くのが、娘のような子どもなわけで。もがいてももがいても、そりゃ、見事なほどバランスは悪く、体全体がブレ、一生無理だな…ってくらい、前に進めなかった。障碍のせいか?と思っていたのが、我が家の2番手障碍児クンは、これまた見事に『勝手に』『自然に』習得してしまったので、まぁ、得手不得手の障害児版ってとこなのだろうか。息子はそういえば、なかなか歩かなかったなぁ(苦笑)バタバタモガモガしている娘の横を、息子はモーターボートのように性能良く、もくもくと前に進んでいく。「▲▲(息子の名前)のようにバタバタと」と、あまりにも言いすぎたのもあるし、本人も弟より出来ないのが悔しいらしく、娘は次第にヘリを手で持って動くようになってしまい、「つかれたからあがる」と、何度も逃げてしまうようになってしまった。これはまずい、と思った私が教えてみたが、ダメ。夫なら良いだろう、と思ったが、全然ダメ。スモールステップを作らなければ…と、プールにもぐり、娘と息子の体の使い方を徹底的に比べて、何が違うのかを考えた。で、はっとひらめいた。息子はチョコチョコと小刻みに足をバタつかせているのに比べて、娘は宇宙遊泳のようにのんびり大きく足を動かし、結果、体中がうねっている。一方、息子の方は、浮き輪の上に出ている上半身は一切、動かないで安定している。これだ!!と思い、娘に、「小っちゃくチョコチョコと動かすんだよ。バタバタバタバタ…と。」と、手を使ったジェスチャーで小さく動かしてみた。「…こう?」と、娘がやってみた瞬間、一瞬、ふわーーっと前に進んだ。「やったやった!すごいじゃん!!」「できたぁー!!」コツさえつかんでしまえば、そこは小学校1年生と2歳の差で、プールをあがる頃には、娘は息子と競争しても負けないようになっていた。問題点を見つけ、スモールステップをつくり、簡潔に的確に伝えて、で、成功する。これが醍醐味だな、と思う。が、そこからスムーズに伸びたのは、スモールステップやらのこて先ではないだろう。一瞬、ふわーっと前に進んだとき、娘が喜び、私も本当に感動した、この感動の共有が、娘の自信になったのではないだろうか。演技やとりあえず褒めとけ、で褒めたのではなく、心から褒めたことを、娘は敏感に察したのだろう。まぁ、このあたりは障碍とか関係なく、人間と人間の付き合いの基本ではあるのだろうが、娘と私の場合、本当はこのあたりが一番、難しいのかもしれない。
2009.05.17
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行動療法…で、あったようななかったような…そんなあやふやな知識をかきあつめ、娘との小学校でのお約束を表に書いて、出来たらシールを貼り、全部貼れたらイイコトしようね、と、約束してみた。最初、あれもこれも、と10項目くらい書いて筆箱の中に忍ばせたのだが、授業中も休み時間も眺めてシールで遊んでいたそうで禁止されて帰ってきた。家に置いておくことになったのだが、だとすると10項目も覚えていられない様子。紆余曲折を経て、今は毎日、2項目に絞って朝、話しあい、やりたいことも決めて小学校へ行く。で、帰ってきて成果を聞く、ということになっていた。体育のある日は、『体育が終わった後のお着替えは疲れていても頑張って3分で着替えようね』あとは、『帰りの会が終わったら、帰りの支度をまずやってから遊ぼう』とか、『給食は1時までに片づけよう』など。ここ数日は、とっても良い報告ばかりで、家で好きなことをさせていた。…で、あんまり順調なので、何気なく、項目にないことを聞いてみた。すると…口ごもる娘。「でもなぁ…ほんとうのこというと、すきなことできなくなっちゃうし…。」「これは、お約束じゃないから出来なくてもいいんだよ。」と、言うと…「できなかった…テヘ」…ん??待てよ???「…もしかしてさぁ。お約束のことも、好きなことがしたいから、ってウソついちゃった?」すると、あっさり、「うん。ほんとうはね~できなかったの。」えええーーーーーー!!!!!!!「…ずっと??」「うーん…わかんない。どうだったかなぁ~」悪気なく。。全然気付かなかった。帰りの支度など、「みんなはね~できなくておそいこもいたけど、△△(娘の名前)は、スーっとやっちゃって、あそんでまってたんだよ~」って…ここまでウソをつかれるとは…。そうか。ウソではないのだろうな。こんな自分になりたい、って夢を語っていたのかもしれない。あんまり見事にだまされたので、怒る気も失せ…。今日は、本当のことを言ったから好きなことしていいよ、ということにした。で、一言。「ウソをついても、先生に聞けば分かるし。誰も見ていないと思っても神様が見てるんだよ。」…いやぁ。いつのまにやら、そんな高度な技を…。本当のことを話してくれる間に、本当のことを話した方がいいことがある、ということも教えていかなければ…。そうなると、行動療法の方は手薄になるわけで…。難しいなぁ、あの人を育てるのは。。
2009.05.15
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実は…ってほどではないのだが、子ども2人、染色体検査をしていた。ただの染色体検査ではない。それはもう、以前、それぞれ別の病院ではあるが行っていた。結果は…異常なし。でも。娘だけのときは何も言わなかったドクター陣が、息子を産んだ途端、賑わってきた。つまり、娘だけのときは突然変異だったのが、息子も加わって、何かしらの『○○○症候群』の可能性が出てきたからだ。あんまり、あちらこちらで言われるので、私も重い腰を上げた。今更、何かを言われるのは面倒だし、しんどい。まぁまぁ幸せに暮らせるようになったのに、ほっといてくれ、的な感情もある。それを打ち破ってくれたのが、息子を出産した際の主治医だった。診断名が見つかることで、予防できる何かが見つかるかもしれない。ずっと私も一緒に見守るから。息子の主治医は、今やワイン好き仲間であり、大切な友人だ。来月も一緒に遊びに行く予定だ。その友人が、自分の職業的には裁判にだって使えてしまうような重い言葉を、子どもたちにかけてくれて、で、遺伝子検査を薦めてくる。私はそこで迷いがなくなった。遺伝子といえばここの病院のこのドクターの診察を受けるために5ヵ月待ちの予約を入れ、待ち時間1時間の後、3時間もの診察を受け、その後、大量の採血に血管が細い2人は疲れもあって出るわけもなく、たっぷり1時間…。あの日の結果を聞きに行ってきた、というわけだ。この病院では、この地方ではここしか出来ないっていうほど細かな染色体検査ができる。異常なしと言われた染色体でも、染色体の端がちょっとだけねじれていた、少しだけ欠けていた、そんなレベルのことも分かるらしい。まず、染色体。その後、染色体の端っこを細かく。それでも見つからないと、染色体を構成している遺伝子を細かく見ていく遺伝子検査をしていくことになる。姉弟で同じような特徴を持っている場合、染色体を細かくレベルで見つかることが多いらしいのだが、結果、異常なしだった。今後、遺伝子検査をしていくのだが、保険適用外らしく。実費をはたかない場合、どこかの大学でうちの姉弟のような遺伝子を研究している研究者に打診して、研究に協力していく形になるという。と、同時に、血液検査以外の方法、身体的精神的特徴を診て2000もの症候群からしぼっていく方法を併用していく予定…らしい。ずいぶんとアナログな…。軽度の伝音性難聴、心房中隔欠損、足首などのやわらかさ、左の内斜視、喉頭異常、口腔異常…などなど。見事にかぶっているうちの姉弟に診断名がつく日はいつになることやら…。…まぁ、いいさ。病名がつこうが、つくまいが、あの人たちには変わりはないし、私の日常が忙しい現実も変わるわけではないのだから。
2009.05.13
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遠足に付き添った。1年生は6年生とペアになり動物園に行き、事前に話し合ったコースを6年生主導で回り、時間になったら集合して全員でお弁当を食べ、また小学校へ戻ってくる。最初。小学校から付添を要請されたとき断った。私の頭の中では、娘と手をつなぎながら、6年生と話をし、他の1年生の面倒をみる、そんな自分の図が思い浮かんだからだ。そのようなお客さん状態で遠足に参加することに意味があるのだろうか。そう疑いながら半日歩き続け、気を使い続ける気力がわかない。娘は遠足に参加しません、と申し出た。すると小学校から、「いえ、そういう風に参加されるとむしろ困るんです。」6年生は自分たちの主導で1年生を導くことを楽しみにしているし、それが良い経験になる。お母さんは離れたところから娘を見守り、いざというときだけ出ていってほしい、という。「どういうときが、いざ、なんでしょうか。」と、聞けば、「突然、走りだして、6年生が見失ってしまうようなときです。」まず、ないとは思いますが、と付け加えた。確かに。いざというとき、6年生に責任をおしつけるわけにはいかない。そして、こちらも娘が突然走りださない…という自信はない。やみくもに走り逃げる…ってことはないが、何か見たいものがあって、6年生の許可をとらず、勝手に行ってしまう、という可能性は0ではない。「泣いたり、ゴネたり、わめいたりしても、出て行く必要はありません。それも6年生や本人も良い経験なので。」という教務主任の言葉にも後押しされて、付添をオッケーした。たまたま夫が休みの日。2人で娘の遠足を見て回った。娘は…思っていた以上に皆と一緒に歩けなかった。事前の情報があったのか娘には6年生2人体制で。背中に手を置いてうながしているようなのだが、自分のペースでしか歩かないよう。全部で8人ほどのグループなのだが、すぐに娘ペアだけ遅れていってしまう。何を思ったのか、見かけたトイレには全て入り。20分ほどしたら花壇に腰かけ動かない様子。どう説得したのか、なんとか立ち上がって歩いたり。かといえば、突然、息を吹き返して次の動物に走ってかけよって6年生が追いかけたり。もう、見ていてイライラするなんてものじゃない。いっそ、私の眼力に気づきやがれ!!と、思いっきり睨みつけるのだが、鼻からいることを知らない上に、その日は団体客が他にもいっぱいの大にぎわいで、娘はノビノビと遠足しちゃっている。「もう…▲▲(息子の名前)なら、歩けないながらもついていこうとするのに。」「あぁートイレチェックして安心してるんだ…トイレ苦手だから…。」「ああー!!▲▲なら空気読んで移動できるのに…。」と、夫に言うでもなくブツブツ呟きながら日傘に隠れていた。すると、ふいに夫が口を開いた。「ちょっと。いちいち▲▲と比べるの止めなよ。自分で気づいてないでしょう。思春期になったら、比べられてイヤだった、って逆襲されると思うよ。」私は口を閉ざした。「△△(娘の名前)頑張ってるじゃん。ちゃんと6年生と一緒に歩いてるし。オレたちだって疲れてるんだから、△△はもっと疲れてると思うよ。」見守っている娘は、顔もよく見えないほど遠くを歩いていた。でも、自分が今、感じている足の疲れと同じ疲れを娘も感じているのだ、と思ったら、すべてふきとび、ただただ娘の労をねぎらってあげたい、という気持ちになっていた。遠足が終わり、娘が担任に連れられて私たちの元へ戻ってきた。「遠足、楽しかった?」「たのしかったよー。」「よくがんばったね!」「うん!つかれたー!!」きっと、これが今の娘の限界なのだろう。どう行動するのかは分かっている。逃げだしたり突飛な行動をするわけではない。でも、始終みなとペースを合わせたりするのは難しい…と。小学校側も、それを親に見せつけておきたかったのかもしれないな。夫がいて良かった。私一人ではさんざんイライラした揚句、娘と合流したらダメ出しの嵐になっていただろう。でも、それは無意味なのだろう。娘は娘で精一杯限界までがんばった、その結果が今日で。手を抜いたりしていたわけではない。それを褒めてあげないで、逆に責めてしまっては、それこそ遠足に参加した意味を私が壊してしまうことになっただろう。娘は娘で、息子は息子で、他の子は他の子…。それを思い出せたことが、私が遠足に参加した成果なのかもしれない。
2009.05.12
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…で、むかえた母の日。朝、昼、夜、と順調に過ごし、夕食は行きつけの回転寿司に行って。このまま…と思ったら、やっぱり怒ってしまった。…ハッ。として、すぐに、おだやかに言いはしたが、…悔しい。今、どんなことで怒ったか思いだせないような些細なことななのに…。息子に対して、私は怒ったことは数少ない。数えるくらい、自分がいっぱいいっぱいだったとき、つい余計に怒ってしまったり、ちょっと軽くオデコをペンとしてまったり、腕を強く引っ張ってしまったり、したことはある。すると、息子は見たことないほど我慢の顔になり、泣くのもこらえて、悲しそうにする。私が我に返り、ごめんね、ママ怒りすぎたね、と声をかけると、あふれだしたように、ウワーと泣きだし、私に顔をすりつけてくる。そんな息子には何か伝えたいときには、怒らないで、叱る。「…あぁあ~」と眉をひそめるだけで息子は自分の手を止め、行為を振り返る。ちょっと恐い声で注意するだけで、じーっと考えて手を止める。だから、キレたりする必要がない。私はいつから娘に怒っていたのだろう。あぁ、そうか。ミルクの哺乳瓶を叩き落としたときも、もう怒っていたなぁ。注入していた1歳半までの間などは怒りっぱなしだった。注入している30分の間、彼女がじっとしていられなかったからだ。カテーテルが抜けたらあぶない、と、怒鳴り、ケリを入れていた。…あの頃の私は、本当に、あぶない、と思って怒っていたのだろうか。本当は、汚れるのが嫌で恫喝していただけじゃなかったのだろうか。1歳の子どもが動いてしまうのは当たり前なのに…。本を読んであげたり、遊んであげたりして、動かないように気を紛らわせてあげることもできたのに。せめて、ビデオを見せてあげたり、おもちゃを与えてあげることさえしなかった。そんな私に、娘を怒る資格があるのだろうか。娘は私がキレて怒らないと動かない。学校の先生をはじめ療育の先生が叱っただけでは動けない。私が叱ったら動く、が、それは、その時点で動かないとキレ怒られると分かっているから。そう育ててしまったのは私だ。それでも彼女は私を母として、母の日のお祝いのために自分のごほうびを譲ってくれた。怒る、という関係で縛られてしまった娘の人生を、その原因をつくった母である私が治してあげられる日は来るのだろうか。
2009.05.10
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今日は娘の耳鼻科診察のために、こども病院へ。夫に休みをとってもらって息子も連れていき、ついでに買い物やら公園やら外食やら、休日気分もまぜたスケジュールにしてみた。が、こんな我が家的に万全な日に限って、なぜか待ち時間も少なく、診察もあっさり…終了。前回、私が一人で連れていったとき、13時予約で終わったの17時でしたよね…??ほんとに大きい病院って読めない…。終わったら子どもたちと父が公園で遊んでいる間に、私一人お買い物。で、18時すぎに回転すしを食べにいこう、という計画だったのに…まだ14時前…。いきなり、家の用事がいくつか思いだされ、なんだか家に戻りたくなってきた。いったん戻ったら外食なんて面倒だし…お寿司、明日にしよう、と提案してみた。夫はオッケー。息子は…まぁ、なんでもオッケー。でも、娘は即答、「ヤだ。」いろいろ説明したのだが、「ヤだ。だって、きょう、じびかがんばったら、おすしだっていったじゃん。」…そうだよねぇ。。でも…と言ってみたのだが、だめ。明日、お寿司食べれるよ、とポジティブに言ってみたが、ダメ。夫が、おうちでご飯たべたらいっぱい公園で遊べるじゃん、と、ワケわからん理屈を言ってすかしてみたが、ダメ。まぁ、しょうがないわなぁ~と車に乗り、とりあえず、買い物へ。そそくさと買って、いったん、家に戻って冷蔵庫へ入れよう、と、家まで1時間弱の道のりに入っていった。半分ほど来たぐらいだろうか。息子と一緒に寝ていたのか、と思っていた娘が、ポツリと声をあげた。「おすし、あしたでいいよ。」「…え?!」「あした、ははのひだから…おすしやさんで、ははのひのおいわいするから。」成長したなぁ。自分のごほうびのお寿司を母の日のプレゼントにかえる、って、結構、複雑に利益がからんで難しいのではないだろうか。それを、こんなにカッコよく言えるようになったなんて。「ありがとう…ママ、今まで生きてきた中で一番、嬉しいプレゼントかも…」と、つぶやくように言ってしまった。私が本気で本当に嬉しいのが伝わったのか、「ママ、うれしい?」と、何度も嬉しそうに聞いていた。明日は怒らないでいよう。つまらないことで怒らないで、にこにこした母でいよう。本当に嬉しい、母の日のプレゼントだった。
2009.05.09
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朝。車で送っていき、いつものように教室までついて行き、あれこれ口出したくなるのをグっとこらえて、担任に一声かけて帰ろうとすると、廊下に出たところで担任に呼び止められた。「昨日の様子をお話しようと思いまして…」ドキッ!!!!もう、こんなにドキドキしたのは久しぶりってほど、ドキってしまった。息子が、難聴と告げられたとき以来かな。。「…な、何かしでかしましたか…あの人…。」書き文字そのまま、本当にどもってしまった…。すると、笑って、「そんな特別な話ではないです。ただ、これからこの時間に、こういう話も出来たらなぁ、と思って。」優しく先生は言ってくれたが、聞いた話は十分に驚きに値するものだった。1つ目は、授業も5時間目になると、疲れるのかダラっとした格好になってしまう、という、ごめん先生、それくらいなら言わなくていいよ、てな話と。2つ目は、並んで歩けない、という話。長い距離の移動になると、どんどん娘と前の間が開いていってしまうそう。左右にもぶれるそうで、周囲の人が娘をひっつかんで、こっち~、はやく~、と、うながしていて。で、先生。こんなに言われたらイヤかな~と思って、耳のこともあるし、娘に、「先生の横に来る?」と、聞いたそう。すると、「いい。ここであるく。」と、きっぱりと拒否した、という。保育園では、いつも先生と一緒に歩いていた。一番前か、一番後ろ。誰かと手をつないでいても、途中から自らせがんで先生の横に行きたがった。そんな娘が…ねぇ。。先生もそれを責めているわけでは無さそうだった。保育園時代の話をすると、一緒に成長を喜んでくれた。3つ目はちょっとした事件。昨日はGW明けで結構、どの子も疲れていたらしいのだが、娘は帰りの支度が、みんなで教室を出る時間に間に合わなかった、というのだ。で、先生が、「先生、みんなを校庭に連れていって下校させたら戻ってくるので、それまで教室で待っていてください。一緒に帰りの支度をしましょうね。」と、言い残し出ていったそうな。ところが、下校を指導して教室に帰ってきたら娘がいない。学校中探し、もしかして…と思って放課後事業の場所に行ってみたら、娘はもうカバンをロッカーにつめて遊んでいた、と。ちゃんとボランティアの民生委員さんに、「あとからせんせいが紙をもってきます」と、言ったらしい。さすがに、それは謝った。先生もかなり胆を冷やしたそうで、先生の労もねぎらった。話は報告だけで、だから娘をどうする、といった件ではなかったのだが。聞いても、私にはどうにもならない話でちょっと愕然とした。怒ったからといって、どうにかなるわけでもない。その場は「うん」と言っても、学校へ行けばどうしようもない。あぁ、こうやって子どもはどんどん自分の力の及ばないところへ行ってしまうのだなぁ。障碍児だ、ずっと一緒に暮らすのだから、と、気を抜いていた。もっと娘に授けなければいけないことがいっぱいあったのに。今からでも間に合うのだろうか。帰ってきて、娘に昨日の件を聞いてみた。すると、「だって、まってるのはじかんのむだじゃん。そうでしょ?」だそうで…。あぁ…この時間の無駄ってのは私の口癖…。これからは気を引き締めて、きちんと話し合っていこう。怒って一方的にならないように。
2009.05.08
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今日から授業の付き添いだけでなく、給食の付き添いもなくなる。朝、車で送っていき、担任の先生と言葉を交わして終わり。帰りは放課後事業に行くので、そこへ車で迎えに行く。私にしてみたら保育園に行っていたときと同じような生活になる。でも、やっぱり落ち着かない。授業に付き添っていた時期はしんどかった。見なくてもいい娘の姿まで見させられ、胃が痛い時間を過ごしていた。でも、こうやって付き添わなくなったら、授業に付き添っていた方がマシだったのでは、と思うほど不安になる。トイレにはちゃんと行ったかな。チャイムがなったら戻れたかな。おともだちと遊べたかな。先生の言うことを聞けたかな。ついでに、授業もなるべくなら集中して受けられたかな。…ちょっと、それは贅沢な望みかな。娘に夕方、出会ったとき、「どうだった?」と、聞くと、「△△(名前)ちゃんとできるからだいじょうぶだよ。がっこうたのしい!」と、疲れたイイ顔をしていた。…とりあえず、これでいいのかな。小学校が楽しい、と言っている間は。
2009.05.07
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GW最終日。特に用事もなし。で、雨。さぁ~どうやって過ごそう…と思ったら、GW前に近所の人と話をしたことを思いだした。「もう疲れちゃって、うちGWは寝て過ごすの~遊んでね~」1回、誘うのが礼儀なのだろうか…。しかし、彼女のところには先日、「ごめんね、うちの子(小3)、『△△(娘の名前)ちゃんとどうやって遊んでいいか分からない』って言っていて…」と、やんわり母子での交流をことわられたばかり…。彼女とは真ん中の子が障碍児だったり、近所だったりするので、よく母親同士は交流していたし…小学校のことで聞きたいこともあるのだが…。と、しばし悩んだ。以前なら、ここで無理をしていてでも電話していた、と思う。近所で、こんな話もしていて、障害児仲間で、やることもない休日で、一緒に遊ぶのが『普通』と思うから。でも、もう『普通』は止めた。子ども同士ケンカするから、とかではない。どうやって遊んでいいか分からない、って、フラれ文句としては結構、決定的ではないか。それに対して、『あぁ、こんな娘でごめんなさい…』と思うのは、もう止めよう。『あぁ…ちゃんと遊べるのだろうか』とドキドキするようなことは、もう止めよう。朝。娘は目を覚ましたら、息子を起こした。「ねぇーいっしょにおうちごっこしよー。」息子はクルリと起き上がって「うん!」2人で何が楽しいのか、キャアキャア遊んでいる。別に、誰とも遊べないわけではない。こうやって、娘と遊びたい、と思い、じっくり付き合ってくれる人(弟)とは遊べるのだ。そんな人と心ゆくまで遊び、ケンカする一日も娘にとって大切だろう。今日は、とことん姉弟と遊ぶ日。これが、障害児2人と祝日を3人で過ごす、私の普通だ。
2009.05.06
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昨晩…といっても日付はかわっていただろう、夫が帰宅して、いつものように寝ている私をたたき起こして、聞いた。「明日は何?」夫の休みは不定期で、前月の末にスケジュールが出る。その前、前月の中旬くらいから『どうしても休みたい日』なるものを上司に言える。で、それをふまえた上でスケジュールが決まる。夫は転職組だが、子どもたちのことを話した上での転職だった、ということもあり、要望は結構、ガンガン言う。小さくは町内会の掃除だったり、大きくは子ども2人とも大きな病院への通院だったり。あれやこれやで彼の休みは『どうしても休みたい日』だらけになる。だから、彼の頭の中では、休み=用事、になっているようで、転職してからだんだん、休みの前日の夜になると、「明日は何?」「明日は何時まで寝られる?」と、確認するようになってしまった。…まぁ、母的にはとってもありがたいんだけど、妻的には…これでいいのだろうかね、と、そう聞いてくる夫の顔色をのぞきこむように答えるのだが、ポーカーフェイスな人で、それをどう考えてるやら……まぁ、ウェルカム~とは思っていないだろうが。どうにもこうにもつかめなくて、案外、なんとも思っていないのでは??と、思うほど、淡々としていた。「明日は祝日で病院は休みだし、こどもの日だから上司が気をきかせて休みにしてくれたんじゃない?」と、半分、眠りながら答えると、「えっ!じゃあ、明日、ずっと朝寝ていいの?」と、それはそれは嬉しそうに小躍りした…ように見えたほど聞いたことない弾んだ声だった。そっか。やっぱり休みの日くらい、ゆっくり寝たいよねぇ。「いいよ。たまにはゆっくり寝てね。」と、答えた。彼は、ふんふんと嬉しそうに階段を下りていった。…もちろん、朝になれば、休日をもてあました子どもたちに乗りかかられて、結局は起こされてしまうのだろうけど…。それでも、今から寝るまでの間に過ごす時間こそ、何よりのストレス解消だよね~それでは起きて、ダンナ様と一緒にワインでもあけますか。次の日に予定が何もない夫との休日が、一番の酒の肴になりそうだ。
2009.05.05
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今日は娘の友だちと、そのママがやってきて夕方まで過ごした。娘は唯一、その友だちとは対等に遊べるようで、発達の感じも同じの女の子である。その子も娘とは違う小学校だけれど普通学級へ通っていて、同じようにママが入学式の後から、子どもと一緒に学校へ行き、授業も見て、一緒に帰る生活を続けている。子ども同士、なんの配慮もなく一緒に遊べて、たまにケンカして。母親同士、当たり前のようにしている話題がお互い共通で。きっと、こういうのを『ママ友』っていうんだろうな、と思う。そういう見方からいくと、先日の保育園の行事に『ママ友』は一人もいなかった。娘と遊ぶ年下の子ども、とか、息子のクラスメート、とか、私と個人的に話す人、とかはいたけど、私と子どもたちすべてが何かしらの共通点や楽しさや気楽さをもって過ごせる空間、は存在しなかった。それなのに、よくも参加したものだなぁ、と思う。ひとえに娘が楽しかったら、という気持ちだけだったんだけど、それなら無理しないで参加できるための土壌、たとえば父親も参加、とか、息子がいない、とか、そういう条件は必要だっただろうに。思えば、こだわってきた気がする。休日を普通に楽しむ、ということに。家族同士でバーベキューとか、母子何組かで飲みにいく、とか。そのたびに、娘一人、私から離れずに傍にいて心配したり、話題に合わせて疲れたり。平日、朝と帰りだけではなくて授業まで付き添って。週に3回の通院。息子は少し体調を崩しただけですぐに入院。夫は月の3分の1は出張で、休みも出勤先も不定期な職業で同業者も周囲にほとんどおらず。娘はなんだか友だちと上手に遊べず。これでは休日、ひきこもりたくなって当たり前だよなぁ。それでも、こうやって気持ちや境遇を同じにしている仲間がいて。普通の社会にも参加しようと思えば参加できる場もあって。私はめぐまれているのかもしれないな。
2009.05.04
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昼間から白ワインを1本あけてしまった。ドイツのワインだから甘いかな…と思って、ちょっと一口味見…と思って、で、全部いってしまった…。飲んでいる最中。例の保育園のママ友だちから、今日の夜中に話しに行ってもいい?とメールがきた。彼女は看護師で、夜勤のフリをして夫に子どもを預けて看護師のなりで我が家にやってきて、私と散々喋っていく…という、なんといえばいいのだろう、私としゃべりたいマニア…とでもいうのだろうか。全然、その気になれなかったので、ことわった…という記憶はあるのだが、はて、どうやってことわったのだろう、と、送信済の自分のメールをチェックした。そしたら、『暇だけど、今はあなたと話す気になれないから。どうして、私とそんなに話したいのか不思議。』と、なんともストレートなメールを返信していて自分が恐ろしくなった。あぁ、酒で人生を失敗する人っていっぱいいるけど、きっと私もその鉄だ…気をつけよう…。彼女からの返信は、『どうして相手がこんなに喋りたがっている、と、分かっていながら断ることができるんだろう。相手が自分の手助けを必要としている、と気づいても無視できるのがうらやましい。』と、褒めてるんだか、けなしているんだか、分からない返信が入っていた。世の中にはいろいろな人がいろいろなことで悩んでいるんだなぁ。昼間からワイン1本あけて脳みそを空っぽにしたいほど限界な私と。誰からも羨ましがられ尊敬され友だちに囲まれている彼女と。周囲からみたら全く接点がなさそうな2人が、お互い、自分を保とうとニアミスをしている。こういうこと。他にもいっぱい転がっているのだろうか。私が気づいていないだけで。
2009.05.03
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風邪から立ち直った今日。書いて、書いて、書いて、書きまくった。なんで、こんなに書きたいのだろう。書いて、何になるのだろう。例えば、ある日。楽天さんが、こんな無料のブログ、止めっちまおうと思ったとする~皆さん、自分の書いたもの残したかったら、あと一週間のうちに保存しておいてね~みたいな通知があったとする。でも、そのとき、息子が入院付き添ってて、全然知らなかったとする。退院して、見てみたら、あら…白紙…。…そんな程度なことなのではないのだろうか。それでも書きたいと思うのはなぜなのだろ。私が書いたものを読んでくれる人がいる。でも、それは私が書いたから読むのであって、私が書かなければ読まないわけで…。一体、何が言いたいのだろう…。ある人から、こんなことを言われた。「うちの娘が△△ちゃんとどうやって遊んでいいか分からないっていうの…。」と。でも、彼女は私と話がしたい。だから電話がかかってくる。子ども連れでうちに来たら子ども同士が遊べない、自分の子どもにストレスが残る、でも、電話だったら私と話ができる。なるほど。逆もあるのだろうか。子ども同士が仲がいい。一緒にいたら子ども同士勝手に遊んでくれて、子どもも満足そう。自分もママ友だちとして適当な話がいっぱいあるからそれらをして、さようなら。どちらがいい、とか、そういうわけではないけれど。結論。私は今。子どもがいる。彼らは2人とも障碍児で、上の子は上手に友だちと遊べない。私一人をどんなに欲してくれていても、どうしたって、この人たちがついてくる。私、一人でいるときの価値と。子どもたち付きでの私の価値と。一緒ではないことの違和感は、感じる方がおかしいのだろうか。それとも障害をもった子どもをもった人は誰かかれかは感じるのだろうか。そのあたりがドライに割り切れたらいいのだろうけど、例えば、この人とは子ども付きでは止めとこう、みたいな。そうか。本当は、もっともっと割り切れた方が楽なのか。私はこの子たちと一心同体なので、子どもを受け入れられない人とはお付き合いできません、的な感じとか。逆に、子どもは無視。やりたいことをやりまくります、でいくか。何が言いたいのか分からなくなってきたなぁ。つまり。私の価値って何だろう。私がやっていることに、どんな意味があるのだろう。…と、基本にたちかえりたくなった。そう。ちょっと余裕を取り戻してきたのかな。
2009.05.02
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行きは学校公認で駐車場付きの車登校。帰りは放課後事業に行って、私が車で迎えに行っている。放課後事業は、名前はいろいろあるみたいだが、各自治体にもあるようで。大体、指導員が1人とアシスタントのボランティアが1、2人でやっていて、子どもは無制限にやってくる。下手をすれば、100人近くがいても大人は2,3人なわけで。娘を特別扱いどころか、どこに誰がいるかも分からない状態である。学童とは比較にならないお粗末さで、そのかわり安いのだが。ただ、同じ自治体でも小学校によって差があるようで、娘の小学校は働いている人も少ないし、小規模なわりに校庭が広く、また、校庭も開放しているので、結構ノビノビとやれるようである。ただ、そんなに広くては一人ぼっちでいても、いじめられていても、全然気にもしてもらえないわけで…娘にできるのだろうか、と心配をしていた。が、なんとなく上手くいっているようで、数日前も、同じ名前の5年生の子と遊んだようで、また出会うのを楽しみにしているようだった。今日は、迎えに行くと、子ども5人ぐらいで泥遊びをしていた。場の話によると、最初、娘は突然、その泥水を皆にかけようとしたそうである。保育園の時にもよくあった。遊びたい、けど、どうせダメって言われる、だからヤっちまえ…的な暴走。本音はどうか分からないが、結果として皆を怒らせて、遊んでもらえないパターンである。が、今回は別のクラスなのだが1年生のさつき(仮名)ちゃんが、「これはかけるんじゃなくて、こうやってみちをつくってみずをとおすんだよ。」と、言ったら止まったそうなのだ。で、一緒に大作を作っている、と。途中、娘は「ねー、さつきちゃん。このみちはこうでいいの?」と聞くと、その子が、「ちがうよー。これはこうやってこうやって。こういくといいよ。」などと、やり取りをして一緒に作っている様子。耳鼻科の予約時間が迫っていたのだが、なんとなく立ち去りがたく、見入ってしまった。あぁ、こんな風にも娘は遊べるのね。また、こんな風に遊べるとも限らない。いつか、保育園のように暴走…と本人が気づいているか分からないが、をするかもしれない。でも、少しづつ。人間関係を学べているのかな。本当は学童のように大人が導いてくれるのが一番なのだけれど…。
2009.05.01
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昨日の無理がたたったのか。久々に風邪でダウンした。夫が数日前風邪だったから、それがうつったのだろうか。夫もまだ全快とは言えず。私はひきはじめで具合が悪く。あぁ、そんな日に限って授業参観なのである。せっかく、問題が起きるのを見守っていく、というやり取りを小学校としたばかり。ここで娘が授業参観中にヤッちまっては、あんな子と一緒のクラスでは心配…と保護者からクレームがきてしまうかもしれない…。ありのままの娘を…だの、障害児流…だのと言いながら、本当のありのままの娘を親の眼力で封じ込めようとする……あぁ、なんと無力な親なのだろう、私は…。とりあえず話し合いの末、朝は私が。なにかと世間話をしなくても済む夫が授業参観に行くことになった。夫がいない間。体は横にしているが気持ちは休めない。あぁ、娘はどんなことをしているのだろう。国語…とかいっていたが、普通の授業ならいいのだが、図書室とかに行ってしまうと、そんな臨機応変は娘がもっとも苦手なこと。本棚とかに登っていなければいいのだが…それでも、いつの間にか眠っていたらしい。気がついたら夫が傍に立っていた。開口一番。「どうだった?何かしでかしてなかった??」すると、「まぁ、指はいっぱいしゃぶってたけど、ちゃんとやってたよ。手を挙げて、あさがお、って答えてた。カッコよかったよ。」帰りのお迎えの時。同じ住宅街に住んでいるクラスメートのママと一緒になった。娘の障碍などもうっすら知っている人だ。「△△ちゃん、がんばってるじゃない。あさがお、ってちゃんと答えてたし。」「そうなの?」「気付かなかったの?」「ちょっと風邪ひいちゃって、夫に行ってもらったから。」私なりの精一杯の見栄。きっと、気づかれていないと思うし、誰も気づかないと思うけど。今日は、そんな見栄も言ってみたい気分になった。
2009.04.30
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祝日。娘の卒園した保育園でバーベキューがあった。夫が休みではないし、私1人で障碍児2人を連れていくのはなんとも気が乗らなかったが、一緒に卒園した子どもも半分は来る、と聞いてたし、まぁ、たとえ子ども同士でからめなかったとしても、久々に馴染みの保育士たちに、いっぱい甘えたり話がしたいかな、と思って、参加することにした。自家用車に乗り合わせていくと、普通は子ども同士遊びながら、で、親同士は話しながら、で、楽しく行けるのだろうけど、うちの場合はまず間違いなく娘は皆と遊べないし、息子も2歳だけど中度の知的障害児手帳を持つので1歳程度。私が2人を面倒をみるのは間違いない。しかも、なんとなく一緒に行く子どもから、「あ~あ、△△ちゃんじゃなくて、他の子が乗ってくれたら遊べたのに…」と、思われているようで、肩身が狭い。で、保育士や他の足がないメンバーが乗り合わせるバスに乗っていくことにした。行きは目論見通りで大成功。が、着いてからが大誤算。私が息子の世話をしている間に、山菜とりや川遊びに行くグループに、娘は見事に置いていかれてしまったようなのだ。残ったのは、子どもがいなくなって楽しく喋りながら食事の支度をする母親たちと、懸命に働く保育士たちと、火の番をする呑みながらの父親数人。子どもは2歳児より小さい子と娘だけである。卒園してから1ヵ月。今まで、少しは娘を気にしてくれてた他の子の保護者も、すっかりカンが鈍って娘は忘れてしまったようで、でも、もと担任の保育士まで娘に声をかけるのを忘れなくてもいいではないか。残された娘は呆然としているようで、でも、「△△はべつにどこにもいきたくないから。ここでたのしいから。」と、言っていた。普段ならもう少し気をつけるのだが、息子が火に興味をもってあぶなくて、なんとなく、そんなことを言っている娘を鵜呑みにしてそのままにしてしまった。すると、事件は起きた。娘が山小屋の中のカーペットを破っている、というのだ。早速、とんでいって怒った。が、息子を置いてきたので、ままならず。そのまま戻った。しばらくして気になって山小屋に戻ると、息子の同級生の父親が困った声をあげていて、息子の同級生が一人、山小屋の中を歩いている。見たら、娘が登ってはいけない、と約束になっていた山小屋の2階にハシゴで登ってしまい、娘を下ろそうとオロオロしているではないか。自分の息子を放っておかざるをえなくて。私はそこでブチっとキレてしまった。娘の頬をぶったたき、それでも気が晴れず蹴飛ばしてしまった。しかも、人前で。娘は大声で泣き、ごめんなさい、と繰り返す。そこへ、ちょうど、お散歩から帰ってきた娘を置いていったグループも続々と戻り、とてつもなく大騒ぎになってしまった。すぐに昼ごはんになって、とりあえず、その場はなし崩しにはなった。が、私は娘と離れて座り、息子も息子の担任が食事を作る仕事を終えて来てくれて、ご飯を食べさせてくれた。私は一人ビールを飲みながら、妙に冷静になってしまった。あの騒動があって、周囲は娘を見落としていたことに気づいたのか、誰もかれも娘に声をかけ、娘もとても楽しそうな顔になっていた。息子も担任の先生と楽しそう。そう。うちはそんな母子だったのだ。声をあげなければ、存在さえ忘れさられているような。助けてもらえなければ『普通』に遊べないような。そんな母子だったのだ。それを忘れて、よくもまぁ、こんなツアーに申し込んだものだな、と。卑下しているわけではない。むしろ逆だ。障害児流の普通学級と障碍児流の休みの過ごし方。これをうちの『フツー』とすれば良かったのに、どうして、今まで、こんなにも、いわゆる『普通』にこだわっていたのだろう。例えば、こんな行事に参加するのはいい。でも、やっぱり夫がいて、余裕をもって参加できるときに限ればいいのだ。私は娘の元へ行き、皆の前で堂々とあやまった。「さっきは△△の気持ちも考えずに怒りすぎちゃってごめんね。」娘はうなずき、声をあげて、また泣いた。帰りのバスで娘がつぶやいた。「みんなさ。△△がほいくえんで、かみのけひっぱったり、みんなのつくったものをこわしたり、わるいこといっぱいしてたから、あそんでくれないんだよね。」私は二の句を告げなかった。何かを答えた、とは思うのだけれど思いだせない。隣でそれを聞いた保育士が、ひたすら「そんなことないよ~みんな△△ちゃんのこと大好きだよ~」と、何度もとなえていたのは覚えているのだが…。それが分かっただけでも保育園生活は良かったんだろうな、とは思うけど。私が間違えた『普通』をしてしまって、良かれと思ってむしろ娘を辛い休日にぶちこんでしまったことを今でも反省している。次は、障害児流の普通?の過ごし方っていうのかな、を、彼女にたっぷりプレゼントしてあげよう。
2009.04.29
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昨日の今日。朝は車で。私は約束通りニコニコ。まぁ、車で来ているし私もストレスがないので、娘に言われなくても自然と笑顔になるのだが。それが功を奏したのかどうだか。娘はとても落ち着いて小学校生活を過ごせたようだった。そうなると、今度は見えなかったことも見えてくる。見えなくていいことが見えてしまってイライラする、ということもあるが、今回は、今まで見えていたけど理解できていなかったことが、ちょっとすっきりした、といった感じの発見があった。それは、娘の行動が衝動的である、ということだ。今までも、何か欲しいものがあると、人の物でもパっと手がでた。その度に、「かして」と口で言うんだよ、などとフォローしてきた。これは、まだ幼いしるしかな、などと思ってきたのだが、もしかしたら違うのかもしれない、と思えてきた。どう考えても、娘が人のものと自分のものの区別がついていない、とか、人のものを借りるときに一声かける、ということを知らないようには思えないのだ。娘は、やりたいことがやれた、という経験が少ないのではないだろうか。ほしいものがもらえた、という経験も。私との関係が悪いときは、私にダメと言われることを恐れて、はじめから主張を飲み込んでいたようだったし。食べ物も無理やり経管栄養。週に何度も押さえつけられて診察を受けたり、チューブをかえられたり。だから、欲求が出てくるようになった、ここ2年あまり。自分がやりたい、欲しい、ということを、誰かに何かに妨げられないうちに、とってしまおう、やってしまおう、という衝動にかられるのではないか。抑圧された生活になればなるほど、その傾向が強くなるのでは、と。事実、先日も、衝動的に見たいと思う友だちの家へ向かって走ってしまったり、チャイムがなっても帰らずに遊具で遊んでいたりした。何かが、例えば朝の支度が終わらないうちにフラフラと興味があることへ行ってしまったり、ということには、むろん、彼女の自制心が備わっていないこともあるだろうし、経験不足、能力の低さもあるとは思う。が、あの突然の衝動的な行動には何か意味があるのでは、と思わずにいられないのだ。ためしに、今日。「△△がこれをやりたい気持ちは分かったから、ランドセルを片づけてからやろうね。終わってからやれば誰も怒らないし、好きなだけやっていいんだからね。」と、言ってみた。「ふうん…」と、そんなに反応もなかったが。この話を、心療科を受診するときに聞いてみようかな、と思う。
2009.04.28
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昨日ですっかり吹っ切れた私は今日、娘を車で送って行った。朝一番の教室は、とってもすっきりしていて、娘も新鮮そうな顔をしていた。いつも、ここに着いた段階で娘は肉体的にも疲れ、精神的にも私にこづかれ、しかも、ほとんどの人が朝の支度が終わった状態から支度を開始し、ちょっとボーとしたり、寄り道をしただけで更に遅くなって先生に一声かけられ、友だちにも「やらきゃいけないんだよ」と言われて過ごしていたわけだ。朝一番に来れば、こんなにも人はいなくて。余裕をもって、皆に挨拶ができて。しかも、どんなにボーとしても次から次へと人がやってきて支度をはじめるから、それが目に入る度に思い出すのか、また、自分から始められる。そんな様子を眺めていたら、教務主任がやってきた。話し合いをしたいから時間が欲しい、という。お互いの都合で、急きょ、今日の夕方、話合うことになった。教務主任、担任、私の3人。どんな話になるのかな、と思っていると、付添いは今週いっぱいであとは学校がみます、という話だった。どんな問題が出るか、娘さんの生態も大体わかったので、あとは学校での様子をみて、そのあと、力を借りたいことがあれば頼む、と。この前、チャイムがなっても帰ってこなかった、とか、その程度の問題は、娘さんだけでなく、どの子にも起こることで、そういうことも想定しているので大丈夫です、と。だから、娘さんが小学校や教室に迷惑をかけないように、と、必要以上に、というか、お母さまが無理にやらせなくてもいいですし、そのせいで娘さんがプレッシャーに感じているように見えるし、お母様も疲れているようですし…。とりあえず、そのまま話は聞いてきた。学校がよく分かってくださって助かりました、と持ち上げてもきた。でも、だ。障碍のある子どもを普通学級にすすませて、で、小学校側から付添いを頼まれて。我が子が皆よりも明らかに遅れているときに、手を貸さない付添いなんていあるのだろうか。迷惑をかけないように、って思わない親がいるのだろうか。そのために呼ばれた、って思わない親がいるのだろうか。本当に私は、ただ見ていれば良かったのか。ただ見て笑っていたら、なんのための付添いだ、って周囲から思われなかったのだろうか。私が担任と娘の関係を持ち出したから、むしろ娘と母親の問題、として返してきたのか。それは分からない。なにか煮え切らない想いを、ぐっと飲み込んできたのは確かだ。でも、結論は良いから我慢もできる。付添いは終わり。娘がやりたいようにやって出てくる問題を待ってくれる、というのだから、我慢なんて安いものだろう。あと、相談して朝も車で送っていくことにした。足のことを持ち出し、無理させないで体が出来てくるのを待ちたい、と。夏が過ぎて、涼しくなってから、小学校にも慣れてから少しづつ、ということになった。本音は違う。たまたま、学校から娘の足で40分も離れているところに住んでいるだけで、別に、小学校の目の前に住んでいれば、こんな問題は何もなかった、わけで。こんなことで朝からもめるのがバカバカしくなったのだ。朝一に車で送ってくれば娘もゆっくり自分のペースで支度ができるし、気持ち的に皆に引かないでノることができる。私だって楽ができるし、息子への負担だって少なくなる。こんなにイイことはないではないか。一生懸命やったって、ママのせいだ、と言われる始末。「うちは雨でも甘えさせないで家を放りだすのよ」と、近所の人に武勇伝のように語られたけど。頑張っても、無理をしても、越えられないから『障碍』。こういった世界を知らない人の意見に揺さぶられて、自分の道を踏み外さないように、私は私をしっかり見据えていこう。
2009.04.27
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一日中寝まくって、ようやく一息ついた今日。娘と話をした。娘も寝て、ぼーっとして、息を吹き返したようで落ち着いているようだった。「ねぇ。△△(娘の名前)はさ。チャイムがなったら教室へ帰ってこないといけない、って知ってるよね。」「しってるよ。」「トイレで遊んでもいいけどさ。チャイムがなったら戻らないと。」「しってるから、いわないで。」「先生だって心配して来てくれたでしょ?ほら。朝だって、△△がゆっくり歩けるように、って、出発時間、早くしてくれたじゃん。みんな、△△のことが好きだから、考えてくれてるんだよ。」「わかってるよ。」娘はそう言った後、ちょっと考えた様子を見せた。こちらが黙っていると、ふいに言葉を継いだ。「△△があんなことしたのはさ~ママのせいだよ!」「…え!」「だって、ママ…ずっとにらんでたじゃん。△△のこと、ずっとにらんでたじゃん!」…確かにそうだ。私は、この1ヵ月弱。ずっと、娘を睨んできた。朝は早く歩くように。授業中は遊ばないように。着替えは皆と同じタイミングで。移動は遅れないように。ずっと、ずっと睨んで、うながしていた。「△△はね。ママに笑っていてほしいの。そしたら、△△がんばれるから。」あの日。「だれも△△のきもちをわかってくれない」と泣いた、あの日。あの言葉は先生やクラスメートに向けた言葉ではなかったんだ。私にも、いや、むしろ、私に主に向けられた言葉だったんだ。なぜ、それに気付かなかったんだろう。ふと、息子の担任の言葉を思いだした。「▲▲(息子の名前)くん、爪がのびてて。今は△△ちゃんのことで頭がいっぱいでしょうけど、切ってあげてくださいね。」このセリフ、何回聞いただろう。そして、私はどのように答えていたのだろう。全く、思いだせない。それほど、私は娘に必死になってきた。で、これが結末だった、なんて。バカバカしくて笑うこともできない。私は娘と約束をした。もう、小学校では絶対に笑っている、と。娘も、朝は階段で帰って教室に入らないでほしい、ということと、給食の時間はまだ来てほしい、と言ったあと、「だってさ~△△、まだ、マスクできないから」と、恥ずかしそうに笑った。娘は耳の形自体が奇形だから、マスクが耳にかからない。確かに、みんなは自分でマスクをしている。そんなことが恥ずかしいだなんて…成長してるんだなぁ。よし。月曜日はマスク探しだ。あらゆるマスクを買って試してみよう。娘の耳に合うマスクがあればラッキー。なければ、かぶれるように改造するなり何か方法を考えよう。先生に事情を話し、娘にマスクをつけてもらったり、免除してもらうのは簡単だ。でも、それではきっと娘の自信にはつながらないから。とりあえず、今、私ができることは息子の爪を切ってあげること。まだまだ道のりは険しいけど、娘を信じてみよう。
2009.04.26
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ひたすら寝て、寝て、寝まくった。私も疲れていたし、娘も疲れていたし、息子は体調をくずし咳がひどくなってきた。寝て、起きて、食べて、寝て、起きて、食べて。薬のせいか、子どもたちも寝まくっていた。夜8時に2回目の昼寝から目覚めた息子が、夕飯を食べて、また9時すぎに寝てしまったぐらいだ。寝て、寝て、寝て。とりあえず、小学校のことは忘れて、ひたすら寝まくった。
2009.04.25
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大分、ストレスがたまっていた。月曜日は夜、小学校へ行きたくない、とキレてたし。水曜日は、何か理由があったとしても、自分を抑えきれずに逆走していた。昨日は、学校で「ヤだ」を繰り返していた。そして、今日。朝、登校したら、机の並びが変わっていた。今日の1、2時間目に2年生の案内で学校探検をする、そのときのペア順に並べかえた、という。娘のIQは低く、おまけに難聴。新しいことを覚えたり、臨機応変なことは苦手である。ただでさえ、新しい生活でいっぱいいっぱいな上に、探検などという新しいことだらけのイベント。おまけに、もう慣れていた座る場所さえ変えられてしまって、ちょっと心残りで家に帰ってきた。で、気になって早めに給食の付添に来てみたら、なんと、校庭で一人、娘が遊んでいた。そこへ、ちょうど担任がやってくる場面に出くわしてしまった。2人とも私の存在に気づいていない。私がそっとなりゆきを見守っていたら、いきなり担任は一言。「△△さん、チャイムがなったら教室へもどります。△△さんは給食当番なんですよ。みんながまっています。」…おいおい。今まで出来てたんだから、それは分かってるに決まってるでしょう。それより、どうして今まで出来ていたのに出来なくなったのか、ってとこの方が問題でしょう。娘はしばらくして不承不承立ち上がり、玄関に消えた。私がのぞくと、もう先生はいなくて。娘は誰もいなくなった玄関で寝そべりながら、先生が消えていった方を睨んで、「ばーか、ばーか」と、小声で言っていた。あぁ。人のフリ見てわがフリ直せ、とは昔の人はいいことを言ったもので。先生のあのやり方では、娘は絶対に心は開かないよなぁ。娘に、「今日、そんなにしんどかったの?」と、声をかけたら、泣き顔になって抱きついてきた。で、「だれも△△のきもち、わかってくれない…」と、一言。その後も、トイレに行く、と言っては逃げだし、チャイムがなっても帰ってこず、誰か友だちが注意しても、「ヤだ」とつっぱね、最後まで荒れていたらしい。私は先生に手紙を書いた。A4で2枚。娘は新しいことが苦手で、と、今日の私なりの推測と。問題行動には理由がある、ということ。それから、今までは私が付き添っていたけど、これからは先生と娘が「しんどいけど、せんせいが△△のきもちをわかってくれてるから、がっこうでがんばる」と思えるような関係に少しづつなれていくといい、ということ。拙文でお気を悪くしたらすみません、ということ。そして、私が付き添って普通学級へ行ったとしても自立や社会生活を学べないと思うので、特別支援学級かろう学校への転校を考えます、と。かえって悪い方向へいくかもしれない。でも、鉄は熱いうちに打て、とも昔の人は言っていた。何もしないで見守って悪い方向へ行くよりは、いい。と、信じたい。
2009.04.24
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給食の時間、いつも通り教室に入ったら子どもたちが寄ってきた。いつも、私が行くと寄ってくる傾向にはあった。「ねー、せんせー、ここいたい」「ねーねー、きょうはいつもとちがうくつしたなんだよ~」「としょしつはあさはつかえるの?」などなど。まだ、20代半ばか後半程度の若い女性担任がいっぱいいっぱいになってクラスを運営している分、私が彼らから「せんせー」と呼ばれ、話し相手やガス抜きになっている。感謝してほしいくらいだ、全く。が、この日はいつもと違っていた。「△△ちゃん、もうチャイムなったよ、っていったのにイヤっていった」「わたしがいっしょにかえろ、っていったのにヤだっていった」そろそろ限界なのだろうか。でも、私がいてやれることはもう終わった、と確信している。大体の流れは確認したし、本人も自分でできる、と言っている。私がいれば確かに暴走はしないだろう。が、私がいて小学校生活を送れたとして、それが何になるというのだろう。私がいれば友だちだって手をだしてこない。私が睨んでいれば、授業にも集中せざるをえない。だから、何だっていうのだ。いつまでも私がいてあげられるわけではない。あの子ほどの障碍では福祉も守ってはくれない。自分で自分を制して席につき、自分の足で立ち上がらなければ。自分の力で人と接し、空気を感じ、言葉を選び、葛藤して社会生活を学ばなければ。小学校でそれを学ばなければ、いつそれが学べるというのだ。大人になってからでは許されないことも、まだ許してもらえる、この時期でなければ。そのためには、特別支援学級でもいい、聾学校に転校したっていいだろう。もし、学校が再び授業の付添いを要求してきたとしたら、私は別の手を提案しよう。相手が出来ないと言っているのに、無理にねじこんでもきちんとケアができると思えないし、そんな元気も私にはない。
2009.04.23
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昨日で授業の付添はいったん終わり。と、言っても楽になるわけではない。朝と、今日からはじまる給食の付添に行き、帰りのお迎え、と、3往復…。しかも、授業の付添は終わるので、経費節減のためサポートさんも一時終了。つまり、朝。息子を保育園へ送っていく作業も、いつもの朝に加わることになる。息子の世話も加わったはじめての今日。なんだか要領を得なくてバタバタとし、娘の小集団の待ち合わせ時間に遅れてしまった。せっかく、昨日、5年生が会議を開いてくれたのに遅れるわけにはいかない。娘を言い聞かせて、待ち合わせ場所に先に行かせた。用事を終えて、息子を夫に託し、さぁ…と思って家を出たら、なぜか、そこにメンバーの男の子が…。小学校と別の方向を見て何かを言っている。?と近づいていくと、なんと、そこには、小学校と反対方向へ爆走する娘とそれを追いかける班長、副班長の姿が…!!とっさに子どもたちには先に行ってもらうよう声をかけ娘を追いかけた。すると、班長の女の子の家の前までくると足を止め、門の前に腰をかけてしまった。私の姿を見ると、すっと立ち上がった娘。その顔は真白で…あれはストレスフルな顔で…。なんだか怒る気力を失ってしまった。面白いもので、授業中、下敷きをなめた、とか、朝の支度のとき途中でボーとした、とか、小さなことにはカチンとくるのに、ここまでデカいことをしでかしてくれると、なんだかヘンに冷静になってしまう。「どうしたの。」と、声をかけると、「みゆ(仮名)ちゃんのうちがみたかったの。」すると、後ろに班長の女の子が立っていた。エラいなぁ。先に行っていいよ、と言ったけど、班長の仕事をまっとうしなければ、と、自分で判断したわけで。私が事情を話すと、ニコ。「こんど、どこかに行きたくなったら、班長のみゆちゃんに相談するんだよ。で、行っていいよ、といえば、行けばいいし。今はダメだよ、と言われれば、どうして、と、理由を聞けばいいんだよ。」と、私が娘に言うと娘も分かったようで、班長に謝った。早足で歩いて…こんな時もなんで速く歩くの?とか聞く娘にはムカついたけど…、他のメンバーに出会えて、で、事情を話した。すると。「なんだ。そうだったんだ。だったら、一緒について行ってあげたらよかったなぁ。」…と、隣の家の男の子が…。あぁ、私が30歳若かったら、あなたに惚れてたと思うわ。いや、きっと、娘の初恋の男の子は、この隣の家の男の子だろうなぁ。またまた5年生メンバーに頭が下がった一日だった…。
2009.04.22
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娘と一緒の小学校生活。何が辛いって、そりゃいっぱいあるんだけど、一番にあげてもいいのが集団登校。とにかく、歩くのが遅い娘は、どんどん後ろから集団にぬかされて、次第に前へと小さくなっていくにも関わらず、まったく気にもせず、といった感じで、追いかけていくことがない。これが娘の限界スピードなら、私も文句はない。が、私と一緒に歩くときなど、もっと早く歩いているのだ。ランドセルの分を差し引いたって、もっともっと早く歩けるハズだ。私が人前ゆえにイライラを抑えながら娘をうながすのだが、娘も分かっているかのように、わざと歩をはやめない。その「わざと」の部分は私にしか分からない。何が気にいらないのか。自分だけ私がついてくるのが気にいらないのか。自分のペースで歩けないのがイヤなのか。小学校生活自体がストレスなのか。分からない。が、私がこの集団でキレることがない、ことだけは娘は分かっているようで、そこがまた憎らしくて仕方がない。そのオーラを感じて、娘はまたふてくされて…この静かな攻防に疲れていた。が、今日。今までの疲れもあって、ちょっとキレてしまった。娘はむくれたまま更にゆっくり歩くし、一緒の集団の5年生たちは静かになってしまうし、これが分かっているから今まで我慢してきたのに…と反省につぐ反省をしていたら、大きな交差点の待ち時間、5年生たちが集まって何かを話しはじめた。あぁ、私の悪口だろうか…娘に我慢ならなくなったのだろうか…と気をもむこと数分。班長の女の子が近づいてきて、言った。「明日から待ち合わせを7時35分にしようと思います。そしたら、もっと△△(娘の名前)ちゃんのペースに合わせてあげられるから。」私は驚いた。私がずっと娘の歩くのが遅い、と思っていたのに、この子たちは、どうやったら遅い娘と余裕を持って歩けるか、を考えていたわけで。つまり、5年生たちの方がよっぽど、歩くことが遅い娘をそのまま受け入れていた、わけで。ホント。子どもってすごいわ。しんどいしんどい毎日だけど。こういう一瞬に出会えると、悪くないな、とも、少しは思う。
2009.04.21
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今日も朝から小学校へ。夜、保育園時代の友だちが遊びにきた。子ども4人、2階で遊び、結構、楽しかったらしく。友だちが帰ってから突然、「もうしょうがっこうへはいかないよ」と、キレた。絶対、行かない。もう小学校なんてイヤ。と、散々怒り、突然、終息して、「やっぱ、いくわ」娘も疲れてるのかなぁ。私も疲れてるけど。
2009.04.20
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娘が就学して、こども会に入った。近所のちょっとつながりのある人が直接家に来てくれたので断りづらかった、ということもあるが、これからのことも考えて、娘のことを知ってもらう機会になれば、という下心もいなめない。今日は、はじめてのこども会の公園清掃の日。娘に目を配りながらな清掃できるように、と武装(笑)して夫に休みをとってもらった。が…やめた。サボることに決めた。息子を夫に預けて、娘と一緒に、なるべく自然にカッコよく清掃するってことと、娘のことを知ってもらう、ってのは、なんか、イコールじゃない。そんなことで疲れて、イライラして、また次の日、私だけは娘と一緒に登校して…って、全てが何か歪んでるし、ヘンだわな。そりゃ疲れるよ、私。自ら、疲れをつくってるんだなぁ。ということで、今日は午前中爆睡。午後は、夫の提案で障害者福祉センターへ泳ぎにいった。まだトライアスロン、やる気なのね。通勤もロードバイクで行っているし。まぁ、そんな人生もいいよね。障害者福祉センターのプールは今日も泳いでいる人はほとんど人はおらず。のんびり…息抜き…また、明日からがんばろう。
2009.04.19
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今日は夫に休みをとってもらって自分のための時間。大学院での指導を志望している教授の研究室で、院試の打ち合わせをした。どのような研究をしたいか、という話からはじまったのだが、最後はマルクス経済にまで話は及び、あっという間に1時間が過ぎてしまった。今回は特に、考え方、アプローチ面で特に学ぶことが多かった。私はずっと、大学院へ行こうと決めてからも、自分が障碍児2人を育てながら社会福祉に手を出すことにためらいを感じていた。何か、気恥ずかしいような…居心地の悪さのような…。それは、子ども2人に障碍があることが恥ずかしい、とか、そんなことでは決してない。例えて言えば…ジェンダーを研究している一部の人が、政治学会などで、何か質問の度に、女性差別だ、ジェンダーの観点がない、と、いちいち発言するのを、目にしたときの場の悪さを感じる…というか。それが悪い、と言っているのではない。私自身はそれを場違いのように感じているのに、自分がその主体になってしまうのでは…という居心地の悪さ…とでもいうのか。そういう言葉にならないモヤモヤを教授は見通してくれていて、それを一言で表してくれた。『客観性』物事にどこまで客観的に科学的にアプローチできるか。その思考方法を学ぶために大学院の修士課程がある。だから、今、思っていることは間違っていないし、それを胸に学べばいい、と。そうか。社会福祉の偉い誰かが言っていた、冷たい脳と熱い心。他の人と違って熱い心は持っているのだから、あとは冷たい脳。できるのだろうか。こんなに対象と近くに接していて。それにしても娘の授業を見ている1時間は、あんなにも長いのに、自分のための1時間はなぜにもこんなに充実していて、飛ぶようにすぎていく。こんな時間が自分にもまだ残っていた、なんて。それが嬉しい。
2009.04.18
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今日も朝から小学校で付き添い。12時半に帰ってきて、給食はまだなので、娘に昼食。次の日の準備を一緒にして、そんなこんなでもう2時半。3時半が耳鼻科の予約なので、あっという間にまた出発。この後、息子を迎えに行けば、あとはいつもの怒涛の夕方~夜コースで、またたくまに一日が経ってしまう。娘の耳鼻科が終わり、疲れを感じながら駐車場への道を歩いていたら娘がいない。もしかしたら…と思って聖堂へ入ったら、娘はそこでもう席についていた。このキリスト教系総合病院には聖堂がある。私たち母娘は信者ではないのだが、なんとなく、この聖堂が好きでよく足を止める。足元にある台を手前にたおすと膝がつけるようになっていて、そこにひざをつくと、自然と神様に祈るような体勢になる。青と赤のステンドグラスを通してふりそそぐ自然な光と、コンクリート打ちっぱなしの無駄なものがはぶかれた空間。そこで、私たちはよく会話をする。2人だと上手く話せない話も、不思議と神様をはさんで3人だと解決することがある。たとえば、こんな話もあった。娘がピアノの練習をしたがらず、だったらピアノをやめろ、やめない、とお互い感情的になっていた時に、ここに入った。私がわざと娘に聞こえるようにピアノの話を神様にすると、娘は心配そうに、「…かみさま、なんていってた?」と、聞いた。「神様も、今日練習しないと明日はもっと弾きたくなくなるし、明日も弾かないと明後日はもっともっと弾きたくなくなると、って言ってたよ。」ここまでは、2人の会話でもしていたことだった。でも、聖堂だと、何か不思議な力があって、私は自然とこう続けた。「…でもね。神様はね。『△△(娘の名前)は、そんなことは分かっているから大丈夫。△△を信じて、いつか弾くときまで見守ってあげてね』って言ってたよ。」娘は、じっと考えて。聖堂を出て。車に乗るときに、「△△…うちにかえったらピアノひくわ。」と、言って、家に帰ったら自分から弾いたのだった。今日も学校での、着替えが遅い、だの、靴はすぐに履きかえないと、だの、下敷きで遊ばない、だの、小言だけど、ずっと見ているとイライラする小ネタを、ぶつぶつ言っていたら、声をかけられて驚いた。娘にすぐに目がいったので、真横の列に人がいたことに気付かなかったのか。それとも、後から入ってきたことに気付かなかったのか。点滴棒に、病棟衣。初老の女性だが髪にツヤがなく、痩せた様子から、なんとなくホスピスの人かな、と思った。この病院にはホスピスがあって、ホスピスの中に聖堂もあるのだが…。「これ…あげますね。」その手には4つ葉のクローバーが3本、のせられていた。聖堂の横にはクローバーがいっぱいはえている。「ありがとうございます。以前、私も探してみたのですが、1本も探せなかったんですよ。」と、それを受け取った。彼女は何も言わず、微笑んで会釈をすると、点滴棒に体重をまかせて、ゆっくりと聖堂を出ていった。3本あるなら、1本は娘、1本は私、で、1本は彼女でわけあえばよかったのでは…と、ふと思い、聖堂を出て彼女を探したのだが、もう彼女はいなかった。「これなに?」「これはね。4つ葉のクローバーといってね。クローバーは3つしか葉がついてないんだけど、4つあるクローバーもあって、見つけた人は幸せになれるんだよ。」「△△、みつけてくる!」「もう見つけなくて大丈夫だよ。あの人が見つけた幸せを△△とママにくれたから。」「ふうん、そうなんだ。よかったね。」「そうだね。よかったね。」うちに帰って障子紙の残りをひっぱりだし、そっと4つ葉のクローバーをはさむと、本の間にはさんでみた。押し花なんてやったことなし、これでできるのか分からないけど、いつまでも、その4つ葉のクローバーが残っていてほしいと思った。
2009.04.17
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