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僕の中学時代、
中学入学式のときには、新入生代表挨拶、
中2のときの卒業式のときには、在校生代表挨拶、
自分が卒業するときは、卒業生代表挨拶を務めた。
中1のときは、会計として、中2・中3のときは生徒会長として、
約3年間、生徒会執行部に属していた。
生徒会長を務めていたときは、お世話になった先生の離任式で、
生徒代表のお別れの挨拶も何度か務めた。
これらの学校で行われる式での挨拶の前には、
過去2~3人分の前任者の文章を、参考のために渡された。
読み比べてみると、殆どの人が「参考」ではなく、
前任者の文章をある部分を少し変えるだけで、
残りの殆どは前任者のコピーでした。
僕は、自分がそうするのはどうしても納得がいかず、
完全なオリジナルの文章で挨拶に向かうことに拘りました。
何故、納得がいかなかったんだろう?
どうしてオリジナルに拘ったんだろう?
それはうちの両親がずっと言い続けたことが、
僕に自然とそう思わせたんだと思う。
自分の行動は、自分で責任をとりんさい。
これは、決して突き放した冷たい発言ではなく、
世の中というものを認識させる厳しい言葉であるけれども、
温かく、僕の将来を考えた言葉でありました。
それは両親の行動で感じていました。
習い事やスポーツなど、僕がやりたいと思うことは
何でもさせてくれました。
しかし、それを許可するだけではなかった。
いろんなことに取り組み、僕が楽しんでいれば、
その楽しみを知ろうとしてくれた。
例えば、剣道の稽古や練習を見て、応援してくれるだけでなく、
親父は、剣道そのものを始めました。
僕が壁にぶつかり悩んでいれば、
いつでもその相談に乗ってくれた。
ただ、1度取り組んだことを 投げ出すこと 、
逃げること
1度始めたことを止めるのであれば、
それが「投げ出すこと」ではなく、
「逃げ出すこと」ではないことを
ちゃんと親の前で説明しろ!
そう言って、僕が投げ出しそうになったときは、
どんなことがあっても両親は譲らなかった。
僕は自然と、 逃げ出すことは、かっこ悪いこと
と思うようになり、
僕自身が、逃げ出す自分を許さなくなっていた。
自分の行動に責任をもつということは、
自分以外のせいにしないということ。
あのときの僕は、
学校の式での挨拶に、前任者のコピーを使うということは、
自分の責任を前任者に押し付けることであり、
うまくいかなかったときの逃げ道を用意すること、
そう無意識に感じていたんだと思う。
自然と僕にこう思わせるまで、
両親は大変だったんだろうなぁ。
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