海月の部屋

海月の部屋

小学校高学年




●比べないで

近所で唯一仲のよかった一つ年下の女の子。勉強もできるし挨拶もしっかりできる子だった。私はよく母に「○○ちゃんはできるのに・・・」と比較されていた。あと部屋の汚さもよく兄と比べられて「女のくせに」と言われていた。これらは全て私が惨めになるだけで、解決にはならなかった。現在母のことは人間として好きだが、母親としてはこの「比較」は減点だな。他の人と比べるのではなく、理由とやり方を教えてほしかった。そしてできたらほめることで強化する。・・・ま、これだけでうまくいくとは思わないけど、何に関しても親にほめられた記憶はほとんどないもんなぁ。ただ単にほめるのが苦手なタイプなんだとは思うけど。親も人間だから苦手なこともある、と割り切れるようになるのはまだまだ先の話・・・。この頃は不満に思うだけだった。

●トイレに行きたい!

小4の時、膀胱炎になった。それは医者に行って薬を飲んで数日で治った。ただその後すぐだったか、しばらくしてだったかは覚えてないが、車に乗るとトイレに行きたくなるようになってしまった。いったん車に乗るとしばらくトイレに行けない。もし間に合わなかったらという恐怖が頻尿にさせたのだろうか。きっかけは膀胱炎に間違いない。ちょうど膀胱炎になった日、みんなでバスで課外学習に行った。症状がひどくなったのは帰ってきてからだけど、帰りのバス内でも「トイレに行きたいなぁ」という思いはあった。“車に乗ると”頻尿になるのはそれが頭にあったからかもしれない。そして膀胱炎のあの苦しみ・・・排尿後まもなくまたトイレが我慢できなくなる感覚が、忘れたい過去と結びついてしまったのかもしれない。私は小3の時おもらしをしてしまったことがあるのだ。ずっと我慢していてトイレに行ったけど個室の鍵を閉めようとしていたときに間に合わず・・・。知っているのは当時の友達1人とあとで洗濯をお願いするしかなかった母の2人だけ。それでも私のプライドはズタズタになった。恥ずかしい。情けない。この体験がトイレに行けない状況での頻尿感の根底にあるのかもしれない。この「車に乗ると」というのはいつの間にかおさまっていて、どのくらい続いたのかも覚えていない。でも、心因性頻尿にはその後も苦しめられているんだな。ひどくはないけど今も・・・。

●宿題もしなくなる

小4の時の担任は優しい先生だった。それでだらけてしまったのか宿題も時々忘れるようになり、小5で大変な苦労をすることになる。毎日のように宿題を忘れていた。ただ、宿題をなぜしなかったのかはよく覚えていない。親にばれたらまずいと思っていたし、先生に怒られるのが嫌だとも思っていた。宿題なんかやる意味がないとは思っていなかったはず。そこまで深いことを考えるタイプじゃなかった。忘れ物も多くなった時期なので、宿題があることを単純に忘れていたのか?それともあることに気付いていたのにやらなくてもいいや、と軽く考えていたのか?それともやらなきゃと思いつつできなかったのか?勉強に集中できなくて、一行漢字書取をしたら好きな本を1章読むと自分で決めて、だましだまし宿題をしたこともある。身近にある誘惑に負けていたのは確実だな。・・・「宿題しない自分」というキャラクターに逃げちゃってたのかもしれない。初めはしないことで罪悪感も感じてただろうけど、いつのまにかそれが当たり前になっちゃったんだ。不安は感じていたかもしれないけど、勉強をすることよりは楽だったから。
ちなみにある出来事がきっかけで、小6でこのままではいけないと思い少し立て直す。それでも1ヶ月に数回は忘れていたけど。

●わたし

私は小4まで自分のことを「くらげ(仮名)はね~」と名前で言っていた。実は小3でクラス変えをしたとき「わたし」と言うようにしようと内心思っていたのだが、直せなかったのだ。そして小5でまたクラス変え。なにかきっかけがないと自分を変えられない私に再度チャンス到来。初めのうちこそドキドキしていたが、まもなく「わたし」と言えるようになった。ちなみに同じ頃、箸の持ち方も誰に指摘されたわけでもなく自分で直した。自立心の芽生え!?・・・ただ単に兄も変な箸の持ち方をしていたので、「私の方がすごい」って親に見せたかっただけのような気もする。人には「比べないで」って思ってたけど、「比較」することは身に付いちゃってたからね・・・。

●新しい友達

小5のとき、明るくておもしろいクラスでも中心的存在の女の子と友達になった。同じ委員会に入ったというきっかけで。とにかく「自分」というものがしっかりしている子でただのイイコちゃんではなかった。私にはない行動性を持っていたし、いろんなことを考えていて、一緒にいて楽しかったし影響も受けたと思う。仲がよかったのは同じクラスだった間だけなんだけど、この子に会えたおかげで私も生き生きすることができた。本当に楽しかったなぁ・・・。

●私は暗い!?

その新しい友達が私のことを「暗い」と言った。ズバズバとものを言う子だったからね(^^;私はその子に指摘されるまで、自分が暗いなんて思っても見なかったので驚いた。でも、確かに今思い起こしてみれば「暗い」と言われても仕方ない子供だったよな、私・・・。でもその子は、私が暗いからと嫌がるのではなく普通に接してくれて、明るさを分けてくれたような気がする。だからこそ友達だったんだよね。

●「死のう」

小5の頃「死にたい」とよく思っていた。小学校6年間で一番充実していた年は5年生だと思っているのに、不思議なもので、負の感情もどうも強かったようだ。(それでも暗いとは自覚してなかった私^^;)死にたい原因はたいしたことではない。母に怒られたといったことだ。勉強もしないし忘れ物も多かった時期だから、怒られることも多かったんだろう。「死にたい」・・・ただの弱音。しばらくすれば忘れること。でも一度だけ「死のう」と思ったことがある。はっきりとは覚えていないけど、たぶんこのときも怒られたことが原因だと思う。なぜかはわからないけど、このときは「もう嫌だ、死んでやる」と思ってしまった。・・・私が超高層マンションにでも住んでいたらきっと今頃生きていなかっただろう。でも運悪く(?)私の家は2階建てだった。ここから飛び降りても死なないな・・・。どこか高いところに行くとしても見つかったら嫌だし。自分を傷つけるとしても失敗したら恥ずかしい。後から何を言われるか・・・。そう、簡単に確実に死ねる方法ではないと私には実行する勇気がなかったのだ。結局、良い死に方が見つかる前に死ぬ気が失せた。その後あるテレビ番組で「自殺すると死後苦しむことになる」というのを聞き、自殺はやめようと思い今に至る。我ながら単純なヤツだ。

●いじめられていた子

小5の時、みんなにいじめられていた女の子がいた。勉強も運動もあまり得意でないおとなしい子。特に男子のいじめがひどく「汚いからこっちに来るな」なんて言われることもあった。私は、その子自身に悪いところがあるのなら嫌って闘っただろうけど、そうじゃなかったからいじめるなんて嫌だった。だから普通に話した。好きな子とペアになるときはその子と一緒になった。・・・そのいじめられていた子が文集で、友達の名として真っ先に私の名をあげていた。・・・複雑な思いだった。私は内心その子といるのが嫌なときがあったんだ。私まで汚いとか思われるのが嫌だったから。だから一瞬「私は友達だなんて思われたくない」という思いが頭をよぎった。それに「私の他に運動が苦手な子がいて良かった」なんて思ってただけで、その子を友達だと思っていたんだろうか?いじめが嫌だからいじめなかっただけのことなんじゃないか?・・・だから本当は私なんか友達と言われる資格なんてなかったんだよ。ごめんね、こんな嫌なヤツで。

●足を切り落としたい

自分の思い通りにならないとすぐイライラしていた。ゲームに負けそうという程度でも。そして、その様子を見て母が「またブス~っとした顔をして」と言うと、そんな自覚のない私はまた不機嫌になっていった。ゲームの時はまだ平気だったけど、自分が思っているとおりに周りが動いてくれない(←自己中^^;)等でイライラしているときによく思っていたことが「足を切り落としたい!」だった。イライラが全て足に集まってしまったような感覚。思いきりめちゃくちゃに動き回って発散させたいけど、重力に負けて動けず床に座り込んでいるしかない自分。本当に足の付け根から切り落としてしまいたかった。でも、そんなことできるわけもなくストレスがたまっていく。・・・当時のストレス発散法はエレクトーンを大音量で弾くくらいだったなぁ。あとは時間が解決してたかな。落ち着いたり、忘れたり、他に楽しいことが出てきたり・・・。また、ちょっとしたことでイライラしちゃうんだけどね。

●授業中もお絵かきタイム

マンガ好きの私は、前からノートの空きスペースに絵を描いたりしていた。私の場合は読むのが専門で絵は下手だったけど^^; 6年のとき、休み時間にマンガを描いている子がいて仲良くなった。席が隣同士になった時は、授業中も平気で絵を描いたり、下敷きのイラストにいたずら書きしたり・・・。授業中2人で遊んでいたというのに、先生に怒られた記憶があまりない。授業は聞いてなくても勉強はふたりともそれなりにできたからなんだろうか?声は出さないから授業妨害にはならなかったとしても、それでいいのか、先生!?(サボってたヤツがそんなこと言うなって^^;)

●ダイエット

小6の時、保健委員会の集まりでローレル指数の説明をしていた養護教諭が私ともう1人の子を「太り気味」の見本にした。(他にも「痩せすぎ」の見本にされた子もいた。)「そうは見えないでしょう?」ってそんなの慰めになるか!先生失格である。・・・それがきっかけではなかったかもしれないが、初めてダイエットを決意したのがこの時期。毎日腹筋を10回以上するとか、油っぽいものを控えるとか、お菓子を少な目にするとかそんな程度だった。でも小6から中3にかけて、成長期と重なったこともあってか、身長が8cm伸びたのに対し、体重は2kg減ってるんだよね。ずっとダイエットしてたわけではなく時々なのに。おかげで、小6の時「もっと太るだろう」という予測のもと作った中学の制服のスカートがゆるゆるで、5cmくらいホックの位置ずらしてた。

●私はおかしいの?

小学生の頃、母親同士も仲のいい3人組でお互いに誕生会によびあっていた。子供3人が遊んでいる時、別室で母3人も話に夢中だったりして。小6の時1人の子の誕生会で、その子が知り合いにもらったハンカチを、誕生日ではない私たち2人にも1枚ずつくれるということになった。そのハンカチは5枚セットで、それぞれ違う花が刺繍されている。色はパステルカラーの5色。私は一目見て、スズランの刺繍が施された水色のハンカチが気に入った。他の子がそのハンカチを選ばなければいいと真剣に願った。まずは主役の誕生日の子が1枚選んだ。次にもう1人のよばれていた子が選んだ。2人とも私が気に入ったのとは違うハンカチを選んだのでホッとした。最後に私が3枚のハンカチの中から選んだ。一番気に入っていた水色のハンカチを安心した気持ちで。そうしたら、誕生日の子のお母さんが「遠慮しなくていいのよ」と言った。・・・このハンカチを選ぶはずがないという思いから出た言葉。確かに一番地味なハンカチだったかもしれない。でも、私はそのハンカチこそがほしかったのに。自分を全否定された感じがした。「私はおかしいんだ」と思ってしまった。そのハンカチを手に入れたけど嬉しさは半減していた。そしてその後、人に「おかしい」と思われるのを恐れて、自分の好きなものを言い出せない人間に成長していく・・・。

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