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MoMo太郎009さん
Tabitotetsukitiさんコメント新着
2月3日が日曜日というのは久しぶりだし、天気も良かったこともあって大混雑でした。
特に本堂前は大混雑で、なかなか前に進めませんでした・・・。
ところで、あびこ観音のあるJR我孫子町周辺は、私にとっても私の母親にとっても思い出深いところなのです。私にとっては生まれてから4歳まで住んでいた街であり、母親にとっても亡き父と結婚して生活を始めた場所でもあるのです。
いつもは列車で行くのですが、今回は車で行きました。車を止めたのはコインパーキングにしたのですが、止めた場所が正しくその当時住んでいた家の近く、現在の住吉区役所の近くでした。私が住んでいた頃は、大阪市の沢ノ町グラウンドがありまして、亡き父に連れられて草野球をみている1才の頃の私の写真がアルバムにあったのを覚えています。
しばらく歩くと、私の住んでいたアパートが今でも建っていました。40年を超える歴史を感じさせるような状況になっていましたが、母親は住んでいた時のことを懐かしく思い出していました。母親が部屋の鍵を無くして扉の上の窓から入ったこととか、部屋は4,5畳と3畳の二間しかなく、狭かったことなどを話してくれました。
こんな感じの建物だったんですが、私が住んでいた頃には、隣の建物との間にあったスペースがとても広く感じたのものです。でも、今改めて見ると狭かったんだなぁと思いました。
アパートの前には空き地があって、そこで同い年の子ども達とよく遊んだことを覚えています。今では家が建ったり駐車場になったりしています。
そこからJR我孫子町駅の方へと歩いていきますと、住んでいた当時には畑だった場所に住吉郵便局が移ってきていたり、住宅や店舗になったりして時代の移り変わりを感じていました。まぁ、40年も前ですからね。それでも、「ここにはこんなものがあった」と母親はよく覚えていました。
私がよく行ったというお風呂屋さんはすでに廃業されていましたが、同じようによく行った散髪屋さんは今でもありました。散髪されるのを嫌がる私をなだめながらしてもらったこととか、お風呂屋さんのおばちゃん(虎のようなお顔の方でした、それだけ未だに覚えています)にずっと女の子と間違えられていたことなど、懐かしく話してくれました。
JR我孫子町駅は、数年前に高架駅になって踏切もなくなりましたが、母親の話によると出勤する亡き父を駅まで毎朝送って行って、改札口に入っていく父親を見ながら泣いていたとか、行き交う列車が見たいとずっと踏切のところで列車を見ていたとか、全然私が覚えていないこと(当たり前ですが)を話してくれました。
それから、道路沿いの商店街のお店も入れ替わりがあるようで、やはり40年の時の流れを感じます。よさみ市場という市場があったのですが、だいぶ前になくなって今ではマンションに変わっていたり、我孫子市場もちょっと変化しているようです。
それでも、いくつかのお店は今も変わりがないようで、和菓子屋さんやお肉屋さんなどは変わっていないとのことでした。昨年行った時にシャッターをおろしていたお肉屋さん(ここのコロッケが美味しい)は、その時は改装していたそうで、今回行った時にはやや小さくなりましたが営業していました。お店の方のはなしによると、1963年から我孫子で営業しているとのことでした。(その話をしてくれたお店の方を、母親は覚えているとのことでした)
あびこ観音にお参りしてから往路と同じ道を帰りましたが、その時にも40年前のことを思い出しながら帰りました。母親にとっても、亡き父と過ごした街のことや私や弟の小さかったときのことを思い出すことができて、懐かしかったようです。そう思えば、こういうことができてよかったのかなって思いました。
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