その 7


兄弟です。

父の父親(私からみればおじいさん)はその頃、確か飛行機工場
のようなものを営んでいたと聞いています。 土地もかなり広く
所有していたでしょう。 それが戦争で全部だめになったか、国に
没収されたかなにかで、今までかなり裕福だった家族が一挙に
貧乏のどん底に落とされた感じだったそうです。

父の兄は、長男としてとても可愛がられたそうです。 欲しいものは
全部手に入ったし、溺愛されていたそうです。 ところが、父は次男
のため、兄のようには可愛がられませんでした。 父の父親は飛行機
工場が軌道に乗っていた時はよかったものの、いったん戦争で全てを
失うと何をどうしてよいかわからなかったようです。

この家族の大黒柱とならなければならなかったのが、私の父です。
当時父の兄は、私立の高校に通っていたといいます。 戦争と家計の
事情のため兄の学費を工面したのは父でした。 頼りにならない自分
の父と、気のやわらかい母と、妹二人を養うのは、3つのアルバイト
をしながらこなしたといいます。 もちろん、自分の学業も疎かには
しませんでした。

今の時代なら、私の父が置かれている状況では非行に走っても不思議
ではありません。 父は文句一つ言わず、怒りもせず、黙々と家族の
ために仕えました。

父の“口数の少ない人” という性格が形成されたのはこの頃のはず
です。 自分の苦しみ、怒り、疑問、やるせなさ、など全て押し殺し
て、自分の為でなく、家族の為に思春期を過ごしました。 感情を
表現するしかたを知らないので、嬉しい、楽しい、幸せ、などの肯定
的感情も表現するのが上手くありません。

父の父親は早くに亡くなりました。 私はこのおじいさんに会ったこと
はありません。

溺愛されて育った兄も、自分の父親同様、何もできなかった人間だった
と聞いています。 育てられ方のせいなのか、兄は何でも人がやってく
れると当たり前のように思っている人だったそうです。 自分の弟に
高校の学費を工面してもらったくせに、その後成人してからも、金が
必要になる度に、私の父の家へ来ては、金をせびり続けたそうです。
最後に父の兄が家へ来たのは、私が高校生位の時だったかなあ。
この時以来、父は自分の兄を勘当しています。

時間を少し戻して、父の父親が亡くなり、妹達も、まあ自分で働きに
出れるくらいの年になると、父としては結婚を考える時期となり
ました。 そこで先に書いた公的の結婚相談所に申込みをします。
ようやく“自分の幸せ” を見つけるために生きれることとなります。


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: