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昨日、子るんがお腹を下してしまった。病院へ連れて行って、そのまま保育園へ預けて仕事に行くつもりだったが、「うーん。」と言ってお腹を抱えて座り込んだ姿を見ると、無理か・・・。と休ませた。もちろん、私も休むことになる。締め切りの仕事が、あれとこれと。頭をよぎる。でも、しょうがないよね。子るんと一緒にベッドにもぐりこむ。おなかに手をあてて、じっとする。子るんは、ほっとしたように私をみて、寝てしまう。いとおしい。休むと決めれば、ゆったり過ごすに限る。一日ゆっくりしたら、今朝は元気になっていた。良かった~。仕事に行ったら、私のお腹の調子が悪い。がーん。うつったらしい。今、お腹がしくしく痛い。
January 21, 2005
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お通夜が始まりました。実は、無くなった祖母の旦那。祖父は地域の名士でした。別府に根ざし、別府で財を成し、市議会議員として活躍していました。そして、息子、娘婿もそれぞれ地域で名士といわれるような立場です。ですから、1人の老婆が亡くなったわけですが、お通夜にきていたのは、500人を超えていました。そして市長をはじめ、その地域で名士と言われる人は、すべて来ていたと思われます。私は、こんな大規模なお葬式は始めてでした。余談になりますが、母の兄弟達、叔父伯母達は遺産争いでもめていました。母は、もう何年も前に遺産はいらないと宣言していました。だから母だけが中立で、あとの兄弟姉妹でもめていて、結局喪主の叔父1人でお葬式を仕切る形となってしまいました。私は前の夫の父を看取り、長男の嫁としてお葬式を出したことがあります。父は、大企業の重役クラスだったのですが、社葬ではなく、自宅葬にしたため大規模で、非常にそれを仕切るのは大変だった記憶があります。ですから、叔父の大変さも理解できますし、しんどいだろうなと思っていました。さて、それだけのお客さんの来る大規模なお通夜を、短時間で企画し、実行に移していきます。その仕切りをしているところで、いきなりおじじたちが、花の並び順が悪い。(生花が40本くらいでていました。)とか、「○○が(多分弔旗)が出ていない。容赦せんでえ。」(容赦せんでえって・・・)騒ぐ騒ぐ。あと少しで始まるというときに、私の座っている位置が悪いとあーだこーだ。私には、少し障害のあるいとこがいて、一見わかりづらいのですが、一人にしておくとあちこちにいってしまいます。伯母にそばにいてあげてと頼まれていて、脇の方にそのいとこと一緒にいたのですが、おじじはそんな事情も知らないし。おじじに事情をわざわざ説明するのも嫌なので、「ちょっとここにいるように言われているので」というと、憤慨して去っていきました。無事お通夜もおわり、皆が控え室へ。簡単な食事が用意されていて、またお茶くみが始まります。が、朝から何も口にしていなかった私は、さすがにおなかがぺこぺこ。他のいとこ達もそろっていたので、先に食事をさせてもらうことにしました。ぱくぱくと食事をしていたら、例の意地悪おばばとうるさいおじじたちが、「あの娘は誰の子じゃ」と騒ぎ出す。しょうがないので、「○○の娘です、よろしくお願いします。」というと、「ああ、○○の子かあ」と意地悪な顔でうなずき合う。母は、ただ1人別府から出て、東京のほうで暮らしている「変わり者」という扱いらしいです。別府が一番。別府に住まないのは、ダメ人間ってことだそうです。そのダメ人間の娘の「都会もん」だから、何も知らないダメ娘なんだそうです。はあ~?って感じですが、とりあえずおとなしく黙っていました。そのあとも、こそこそといろいろ言っているようでしたが、無視。相手にするのもあほらしい。そもそも、弟も一緒だったのですが、もっぱらターゲットは女にむけられるのね。男尊女卑の思想が厚いの。日ごろからジェンダーフリーの思想に近い生活を送っているので、違和感がびんびん。果たしておばば達は夜になると帰ってゆき、祖母と夜を過ごすのは、私の両親と私と弟。そして喪主の叔父となりました。やっと、しみじみとおばあちゃんの思い出話をしながら、しんしんと夜は更けていきました。さて、次の日はお葬式です。どうも別府では「おとき」という風習があって、お葬式に出席する近親者に精進料理を振舞う風習があるようです。そのため、親戚一同朝ごはんも食べずに斎場に集まってきました。その斎場は山のど真ん中にあり、お店も全然ありません。両親も私も弟も、朝食をとっておらず、11時ごろからのそれを食べることになっていました。ところが、注文していたお膳の数が来ている親類の数に足りないのです。これだけでも事件なのに、更なる悲劇いえ、喜劇の前哨戦となっていました。斎場に泊まった私達家族は優先して「おとき」を食べることになりました。また、うるさいおじじ、おばば達にも食べてもらいました。が、朝ごはんを食べていない叔父伯母達だっておなかが空きます。そもそも「おとき」の数が足りないこと事態で、叔父伯母たちはご立腹です。周りにお店も無いので、いつになったらご飯にありつけるのかわからないのですから。そして500人以上の弔問客の来た葬儀が終わり、ついに焼き場へ行くことになります。山の中を抜け、焼き場に着きました。そこは、本当に山のど真ん中で、周りには何もありません。そしてそこには売店も何もありませんでした。悲しい別れをして、お骨になるのを待っていました。私も母も、悲しさで胸がつぶれそうでした。待合として案内された部屋で、二人で抱き合って泣いていました。しばらくしてやっと落ち着いたときに、私より年上のいとこのおねえさんが、「るんたったちゃん。あなたに食べさせてあげようと思って、○○のアンパンを買ってきたの。食べてね。」と、手に乗せてくれました。「東京の方には無いでしょ。別府のものには珍しく無いけれど、あなたにあげたくて買ってきたのよ。」と。「ありがとう」と言って、バッグにしまいました。そして、残りのアンパン20個くらいあったでしょうか。それをおばば達はじめ、皆が食べました。やっと落ち着いてきて、お茶を入れようかと思ったのですが、昨日手伝ってくれた伯母が、もう入れてくれたあとでした。そしてその伯母が席について、「あっ。○○屋のあんぱんだ。おいしいんだよね。残っていて良かった」といいました。そしたら意地悪おばばが早速、「働き者は、神様がちゃーんと見ていてくれるんだよ。ま、何にもしないずうずうしいのも、ちゃっかり持ってるけどね」と、聞こえよがしにいうのです。食べたではなく、持っているってところが私だけなんだよね。強烈な嫌味だよね。強烈だなあと思いながらも、無視していると茶菓子も出ないのかとおじじ、おばば達が言い始めました。本来ならば喪主が用意しておくべき茶菓子ですが、叔父が準備できていないことに気がついていた母が、下の妹の伯母お菓子を買ってくるように頼んでいて、伯母の車にお菓子が積んでありました。伯母が車にお菓子を取りに行くと、車が無いのです。伯母の夫が、あまりにお腹がすいてしまい、山の下へご飯を食べに行ってしまったのです。まさか自分の車に、振舞うお菓子が乗っているとは夢にも思っていなかったようで。おじじおばばは、お菓子が出てこないことを、口汚くあーだこーだと言い始めました。私は聞くに耐えなくなり、待合の部屋から出ました。私は、こんなところでは生活できないと思いながら。結局一時間以上経ってからお菓子を積んでドライブした叔父はのほほんと帰ってきて、お菓子も無事出すことができましたが、雰囲気は信じられないくらい悪いものでした。お骨が焼きあがり、骨壷に詰めます。骨壷に入りきれなかったお骨は、他のお骨と一緒に供養することになります。肉親の情として母が、「少しでもたくさんいれてください。大きいものは、砕いてね」と言っていました。私の順番が来て、大き目のお骨を少し箸でつついて砕いていると、また意地悪おばばがそっと寄ってきて「こんな風に砕かないの。隅からきちんとつめればたくさん入るんだから」だそうです。要するに私に何か言いたいのね。もう何も言う気も起きず、そっとその場を離れましたが、本当にこの人達が大嫌いになってしまいました。もう、ホテルに帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、我慢して初七日の場へ。ところがそこでもひと悶着。初七日のあとの精進おとしのお膳の数が足りないと言うのです。朝に足りなかったのだから、夜の分を追加しておけばよかったのですが、叔父がばたばたしていて、出来なかったというのです。結局追加して足りたのですが、喪主の叔父が他の兄弟達に、「たりんかったら、お前ら食べるなよ」などと余計な事を言ったものだから、もう感情的に収集が着かなくなっていました。冷たい空気の会食となりました。会食が終わったあと、もう皆、早く家へ帰りたくて。私達もとっととホテルへ戻りました。ぐったりしたまま、母と二人ホテルの温泉へ。二人でしんみりとお風呂に入りました。そして夜は、泥のようにベッドで眠りました。翌日は、叔父の家へ行っておばあちゃんにお別れをしたあと、タクシーで墓参りをして、とっとと飛行機に乗って横浜へ帰ってきました。もう、まっぴらごめんという感じです。母は遺産相続を放棄したので、この後の話し合いには出ないそうです。賢明です。なまじ、ちょっとまとまったものがあると、本当に醜い争いがおこるんだなあ。あと、あのおじじおばば達はいったい何者なのだろう。私は何故、あんなにいろいろと嫌味を言われなければならなかったのだろう。と思っていたら、年上のいとこがそっと教えてくれた。「あの娘っ子は都会もんでなーんも知らんから、うちらが教えてやらないかん」ということだったそうです。娘っ子って・・・。あたしゃあ、若く見えるけど37才だよ。なーんも知らんって、十分知ってるよ。はー。別府は恐ろしいところだ。観光で行くのはいいかもしれないけれど、私には生活できない。
January 10, 2005
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あまりに強烈な3日間でした。今日一日、ずっと布団の中に入っていて、やっと毒気が抜けたという感じでしょうか。私が別府に行っている3日間、そして今日も一日子るんの面倒を見てくれた夫に感謝です。12年ぶりの別府。久しぶりに乗った飛行機は弟と一緒に。そもそも、6歳離れた弟と二人きりで話をすること自体が、10年ぶりくらいか。大分空港で別便で着いた父と合流し、3人で別府市内へ。祖母宅で、祖母と会う。年老いてはいるが、とてもきれい。昔のことを思い出して、たくさんの涙がでる。私はめったに会えなかったので、会えた時はいつもものすごく可愛がってもらっていた。子供のころ、父のお給料が少なくて、生活が苦しかったころは、食料や生活用品等をよく小包で送ってくれていた。その中に、かならずお菓子やおもちゃなど、私のための物が入っていたことを思い出す。そして父の転勤で遠くにいても、必ず会いにきてくれた。私は、大好きで一緒に手をつないで田んぼのあぜ道を歩いたりした。私は、あとに恐ろしいことが待ち受けているとも知らずに、落ち込んで、悲しい気持ちに浸っていたのでした。納棺の儀式がありました。その別府の風習なのでしょうが、納棺の前に、お酒を振舞い小皿料理を食べるのです。朝から、何も口にしていない私でしたが、無くなった祖母に会ったばかりで、ショックで何ものどをとおりません。そこにいきなり、見もしらぬじいさんが「これは供養やけん、残しちゃいかんのじゃ」と言います。そうかと思い、むりやり飲み込みましたが、これが始まりでした。納棺し、お通夜のための斎場へ。ここは、お通夜とお葬式だけの会場です。私はどうも、ここでおばあちゃんと一緒に泊まることになりそうでした。(宿を取ろうとしたら、必要無いと言われた)そして横浜から朝発ち、ずーっと移動していた私ですが、落ち着く間も無く、お通夜の控え室に知らない親戚が集まってきます。私の知っている親戚は、おじ、おば、いとこくらいです。そして、おじ、おばはその親戚の恐ろしさを知っていて、お通夜の始まるぎりぎりまで、自分の娘達をこさせていなかったのです。だから、来ているいとこは男の子ばかり。だからその部屋にいる女性で一番若いのは私。痛い視線を感じて、しょうがないのでお茶を用意しました。喪主の叔父が来て、「疲れてるのにすまんなあ、親戚ばかりだから、茶たくは使わなくていいからね。」とのことで、せっせと入れていました。30個以上1人でお茶を入れました。何故、誰も手伝わないのだろう。孫がこれをする立場なら、男の子達は何で手伝わないんだろう。何故、当たり前の顔をしているのだろう。私が、これを入れる立場なのかな????弟に手伝わせようか。と思っていると、「お客さんには茶たくを使いなさい」と揚げ足をとるのが、うれしくてたまらないと言った風情のおばさんが、私のそばに来て知ったかぶる。もちろん、「ここに来ている方は、近しい親戚の方ばかりだから、茶たくは必要ないと喪主に言われまして」お返事しましたが、まさか「ハイ」以外の回答があるとは夢にも思わなかったようで、憤慨して「いいから茶たくを使いなさい」と言って去っていきました。私は地雷を踏んでしまったようです。このおばさん、この後も強烈な嫌味攻撃を私の仕掛けてくることになります。私の人生初の経験です。意地悪そうな笑い方をしたおばば3人組が、いろいろとこちらを見ながら噂話をしています。祖母が無くなった悲しさなんて、この人たちには無いのです。私が1人で入れているのを見かねて、母の弟のお嫁さん。要するに伯母がいろいろと手伝ってくれて、二人で切り盛りしていたのですが伯母に聞くと、あの威張っている人たちは、祖母の妹2人と弟のお嫁さんらしく、別府市でも奥地で排他的な地域に住んでいるそうです。そして、明らかに服装や立ち居振る舞いが洗練されている(のか?)私に目をつけたと言うことか。つづく
January 9, 2005
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おばあちゃんが死んだ。私の母方の祖母。私は子供の頃、北九州に住んでいた。しょっちゅう大分県別府の祖母の家に行き、たくさん可愛がってもらった。関東に住むようになってからは、全然会っていなかった。最後に別府に行ったのは、10年位前の話。明日、別府へ向かいます。できれば、生きているうちに会いたかった。そう。会いたかった。後悔先にたたず。そして正規料金の航空券は高い。
January 5, 2005
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年明けそうそう中華街へ。私も好きねえ。右手にゼリー(ゆきすけさんとのオフ会で発見したお店)左手に甘栗(もちろんへいちん甘栗)を持ち、子るんの手を引きそぞろ歩き。4時近くなってから、旦那から携帯へ電話。サークル活動が終わったので合流。今、家に帰ってきました。お雑煮を食べて、面白いテレビが無いのでDVDを見て。しーあわせ。これから、スーパー銭湯へ行こうかなあ。ゆったり過ごせるのって大好き。キューって縮こまっていたこころが開放されていく。子るんにも優しく出来る。では皆様、今年もよろしくお願いします。
January 1, 2005
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