シーボルト旧宅跡
【シーボルト】ドイツの医学者・博物学者。1823年(文政6年)オランダ商館の
医員として長崎に着任、日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。また鳴滝塾を開い
て高野長英らに医術を教授し、実地に診療。28年帰国の祭、荷物の中に国禁の地図
等が発見され、翌年国外追放、多くの洋学者が処罰された(シーボルト事件)。59年
(安政6年)再び来航、幕府の外事顧問となる。62年(文久2年)出国。著「日本」「日本動物誌」「日本植物誌」など(1796~1866)。(「広辞苑」より)
シーボルト記念館へは午前8時頃に着いた。開館は9時からとあったのであきらめてしばし佇んでいた。旧宅跡の広場は様々な種類の紫陽花が満開であった。また門扉から続く洋館風の記念館への道は紫陽花ロードであった。写真を撮って後ろを振り向くと猫がいた。上品な家猫で、ずっとこの姿勢を崩すことはなかった。
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俳句・夏・植物、紫陽花(あぢさゐ)、シーボルト旧宅跡
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