2006/12/02
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カテゴリ: 心象風景
散らばるんだ、雲は。



 『絶対的な美を目にしたら、
  僕はどうするだろう。
  ただ目にするだけじゃ物足りなくなって、
  それを同じように創りたい、
  そんな風に思ってしまうかもしれない。

  自分が景色を見るようになったのは、

  幼い頃は、
  いつも自転車で、
  自分の住む街を駆けていた。
  母親がいつも僕のサイクリングに付き合ってくれた。
  朝でも、昼でも、夕焼けでも、夜でも、
  いつでも。
  家で何かをすることが好きだった自分が、
  外に出たい時、
  それはいつもサイクリングの時だった。
  母親は文句を言わずに、
  仕事帰りでも付き合ってくれた。

  振り返れば、僕の後をついていきてくれる母親。
  心強かった。
  隣を見れば、青々とした芝と川、そして、夕焼け。
  幼心に植えついたその一枚の風景は、
  今でも時々、フラッシュバックして、僕の身を焦がす。

  母親は写真を撮るのが好きだ。
  出かける時はいつもカメラを持っていた。
  むしろそんな時にカメラを持っていない母親の姿を見た時は、
  ほとんどないに等しかった。
  いつもカメラを構える姿。
  この姿はもう僕の心象風景と言えるくらい焼きついた。
  今、僕がこうして、写真を撮るのが好きなのも、
  この母親の姿が大きいと思う。
  母親がもしも撮ること、
  風景を切り取ることを好きではなかったら、
  僕も風景を切り取るはさみを持つことはしなかっただろう。

  カメラを構えて切り取る風景の構図を考える時、
  それは一瞬だ。
  ほとんど感覚。
  何も考えないで撮る時こそ、
  それは大切な一枚になれたような気がする。
  逆にあれこれ考えた結果、
  ほとんど捨てることを前提として、
  何枚も切り取った写真の時こそ、
  ずっと持ち続けたい風景とは言い切れないものになる。
  多分、申し訳ないんだろうな。
  その目の前にある風景に対して。
  だって、下手な前提があるから。

  撮るモノ、撮る時間、撮る天気、撮る角度、
  無限にあるその条件の中から、
  自分がその時に欲しいものを、
  取り出して、くっ付けて撮影する。
  無限の可能性が、
  写真を撮ることに秘めている。
  だから、
  誰でも、
  美は創ることができる。
  もしも、
  切り取った一枚が、美とは言えないものになってしまったら、
  それは条件が合致しなかっただけ。
  その条件を捨てたって、
  まだこの世界には、
  無限に可能性が落ちている。
  その可能性を自分の身に、
  手繰り寄せるために、
  また目の前に提示されている条件を拾い集めて繋げるのも、
  一興じゃないか。

  誰かを歩かせる美が欲しい。
  誰かを歩かせる想いが欲しい。
  手を閉じて、広げることで、
  光が生まれるのなら、
  どんなに素晴らしいことだろう。
  目を閉じて、開けることで、
  ひらめくのなら、
  どんなにうらやましいことだろう。』






 こんばんは★

無性に頭の中で、文字が浮かんできて、

それをまずは吐き出したくて、

ついつい更新しちゃいました。

吐き出さないと頭の中がぐるぐるすると言うか、

グニャグニャとすると言うか。

一度、眠るためにベッドに入りました。

一度、眠るために目をつぶりました。

でも、生まれたのは、

言葉だけで、

眠りには連れて行ってくれませんでした。

もう一度、目を開けて、つぶりました。

今度は上にも書いた、

風景が起き上がりました。

いったいなんなんでしょうか。

自分にもわかりません。

すみません…よくわからない日記をupしてしまって…。


自分がブログを始めようとしたきっかけは、

本当に何となくと言う部分もありましたが、

でも、1番の理由は、

頭の中で考えていることをいったん吐き出したい、

リセットしたいと思ったからです。

その時の自分は意味もなく考えて、

意味もなく問いを作って、

意味もなく答えを探して、

毎日を過ごしていていました。

答えが見つからないものは、

頭の中で積まれて、

毎日が過ぎるごとに、それは積まれ続けていく。

そしてそれがブログを始めるほんの前までになって、

限界になったような気がしました。

その頃、自分は、

葛藤していました。

前に詩にも書きましたが、

自分の今進んでいる道は本来進むことすらも考えていない道だったんです。

だから、そんな風にその道を歩いていることに対して、違和感を感じたり、

嫌なことがあったら、過去に逃げたい、とも思っていました。

でもそれができなくて、どうしようもなく立ち止まっている自分がいました。

一度、全てを投げたい、

そう思えた時がありました。

すぐそばを流れる毎日とか、友達、大学、自分…。

リセットボタンが目の前にあったなら、

すぐに僕はそれを押したい、全てを一度壊したい、

そんな風に思ってしまった時がありました。

でも、そんな勇気はどこにもなくて、

また、今と言う現状を壊すことが怖くて、

結局何もできませんでしたが。


自分に、何ができるんだろう。

そんなことを思い始めました。

その問いが、今度は、

自分は、いったい何者だろう。

そんな問いに変わりました。

答えは出ません。

浮遊物のように生きている自分。

そんな風にしか思えませんでした。


その頃の自分は、寝る前に、

「明日こそ、明るく頑張っていこう」

そういう風に呟いて、眠りにつきました。

でも、それは難しかった。

なぜなら、起きても、

何も変わらない、葛藤を僕に与え続ける毎日がそこにいたからです。

どこまでも広がっている世界が僕の目の前にあるのに、

僕自身は、いつもある一定の一点でしか立てていない、

そんな風に思えてしまって、どうしてもやる気が起きませんでした。

嫌なことがあると、

「あの時もう少し頑張っていれば…」

そんなことを思わなくても思ってしまう。

そんな風に思う自分を嫌う。

自分を嫌ったのは自分なのに、それがすごく惨めに思えて、また落ち込みました。


そんな繰り返しの中はいつも、

何かを変えたい、何かを変えたいと思い続けていました。

それは一定の一点から、

半歩でも進みたいと、思ったからでした。

そう思っていたら、

新聞にブログの始め方なる記事を発見したんです。

目の前に見える世界だけじゃない、

そんな風に思えました。

…やってみようか。

そう一人で呟いたのを今でも覚えています。


今、こうして、ブログを始めて、

始めなければ、絶対に知り合えていない方々と知り合えています。

また、自分の思ったことを自由に書くことができています。

それが言い表せないくらい嬉しく、本当にありがたいです。

自分の世界がどのくらい広がったか、

そんなことはわからないのですが、

でも、半歩でも、つま先の距離でもちょっと進めたような気がします。

今でも、僕は葛藤を全て断ち切った、

と言えば、嘘になります。

それは多分、もうそのことが、

今の僕を形成する一つのパーツだからなんだと思います。

10年以上経っても、

母親とサイクリングした情景が消え去らないで、

心象風景として残っているのと同じように、

もう消せない記憶なんだと思います。


何だかわけのわからない変な日記になってしまいましたが、

でも一つ言えることは、

これからも頑張って生きたいと言うことです。

今を大切にしたい、と言うことです。

いつか自分と言うことを探る時があるのだと思います。

それまではとりあえず、色々考えては出して、生きていきたいなぁ…

と思いますね。

まとまりも何もない長文を読んでくださって本当にありがとうございます。

みなさまから戴くコメントは本当に元気が出ます。

自分は未熟者ですが、

これからもよろしくお願いします☆






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Last updated  2006/12/04 12:04:51 AM コメント(16) | コメントを書く
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