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あの日は、スキーに行っていて地震があったことを知ってから
帰り始めたのですが、普段3時間くらいの道のりが
13時間かかったのを覚えています
途中彦根から先が通行止め、渋滞で動かない高速の反対車線を
消防車や救急車、自衛隊の車が走っていくのを眺めてました
でも、関西と関東で、消防車のホースの規格が違い
何も出来なかったことを覚えています
いち早く動いたのは、関西最大規模のやくざの方々でした
炊き出しに、パンに、水と、近所に配っていたそうです
幸いにもスキーに行っていたメンバーの自宅は
たいしたことも無く、お皿程度の被害でした
僕が勤めていたトヨタのディーラーが尼崎や西宮に近い事もあり
交通規制の厳しい地域にあったんで、渋滞で車が動きません
車で帰る後輩にお疲れさんと見送って、
シャワーを浴びて出てきたら、出入り口から動いてませんでした
徐々に規制が緩和されていったのですが、
尼崎・西宮のお客さんのところにはなかなか行けませんでした
昨年なくなった、大好きやったおばが、
尼崎の震災復興区画に住んでいたため、立ち退きになり
復興マンションに優先的に入ることが出来ました
でも、それまでに震災から5年近く経ってました
いまだに震災復興事業はあちこちで行われています
震災は関西にとって過去の事ではなく今も続いているのです
これから先、必ず大震災が起こると言われています。
岡山の自宅には、防災セットを用意しました。
十分なのか不充分なのかはわかりませんが、
無いよりは、最低限のものは用意したかったので
最低3日分の食料と水、軍手、アルミマット、
自家発電式携帯ラジオ・ライト・携帯充電器
今、どこでも手に入ると思います。
最近でも北海道方面で地震と津波がありましたよね。
被害が小さかったと安心せずに、
しっかりとした気持ちを持ちたいと思います。
…っていいながらも、なかなか普段そうやないのが現実ですが…
ちなみに実家は、津波レッドゾーンです…
実家も最低限の用意はしているようですが…