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昔から言われた言葉に顔のことがある。「人間(男)は50歳を過ぎたら自分の顔に責任がある」この言葉を若いころに何度か聞いたことがあり、自分もそのことに納得していた。ところが、思い返してみると、50歳を過ぎて、このことを忘れていた。はたして自分はどんな顔になっているのだろう。普段から顔を合わせている同僚には、相変わらずの顔なんだが、始めて会った人にはどんな印象を与えているのだろう。最近会った人に言われたことがある。「あなたの顔は怖い」ドキッとしましたね。そうか、そうなのか。そうかもしれんなあ。人の顔は持って生まれたものがある。もともとニコッと笑った顔。この人は怒ったことあるのかい?目尻が下がって、いつもにこにこ。いつも怒ったような顔。何か用事があって話しかけようにも、緊張して言葉を選んでしまう。体格も人格を表わす要素かな。華奢な細い体、ぽっちゃり体型、いかつい筋肉隆々の体。神経質そうに見える人、のんびり型、怒りのオーラを振りまく人。多くの人の顔を見てきた。その人の人生を知る機会があると、顔と体型の印象からの直感と話をしてから知るその人となりを比較すると割合よく一致した。 20代のころに、自分と良く似た顔の有名人がいた。学生時代にはテレビを見ていなかったが、こちらに戻ってみると、プロレスラーの藤波たつみが有名になって活躍していた。皆があまりにも似ていると言うので興味のなかったプロレスを見た。あれ、まあ、なるほど、みんなが言うはずだわ。よう似とる。「兄弟なんか?」 と言われるので、「そうや、弟や」と、笑って言った。たしかに、若いころは鍛えた体で筋肉隆々の体ではあったけど。サイトで藤波の写真をパクッてきました。若い頃の写真が少なかったが、これが一番良く似ている。強かった全盛の頃今は社長として、まだ現役として活躍している。すごいなあ。厳しいけれど、やさしい顔でもありますな。筋肉を鍛えると背広が合わなくて、似合わんのよね。おいらもスーツ選びは苦労してます。 昔のたぬきも公開しているので、どうぞ。大学卒業した春に九州へ行ったときのです。う~ん、今は面影もない? 悲惨な顔、スタイルですな。涙・・・・・ 藤波氏はプロレスの衰退で苦労をしている。若手のスターが生まれてこない。馬場、猪木、坂口、藤波、それ以降がテレビ放送がなくなって衰退の道へ。ちと、残念。さて、顔の話に戻そう。自分の仕事と家庭のゴタゴタで、なんだかいつも顔が引きつっているような毎日だった。不満がいっぱいで、家では怒ってばかりいた。子供に申し訳ないと思う。ほんとのおいらはそんなんじゃない。いつも冗談ばかり言って、ギャグ連発。みんなが、あれ~というような大胆な行動が持ち味。パソコンの世界にも30年前から入ったし、時代を先取りする気概も持っていた。引退が近くなっても、まだ先の夢をいだいている。そんなおいらだが、今の自分はどうなんだろう。いつもピリピリとして、なにか理不尽なことに出くわすと、「え~。なんでやねん。」 と怒ったり、ぼやいたり。そんな日々が多かったのはたしかだなあ。これからは、もっと鷹揚に構えて接しなくてはと反省の一日だった。
2011.12.17
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昭和47年3月26日九州に入って最初は筑豊本線から撮影開始です。金も車もない高校生がどうやって撮影地まで行くか分かりますか?ほとんどが列車ですよね。そうなんです。夜行急行で行くのですが、大阪発鹿児島行きの急行列車は佐賀県の鳥栖に何時に到着するかです。深夜の2時です。他にないのです。筑豊本線は少し北へ戻った原田(はるだ)から分岐しています。原田から2駅先がこの路線で唯一の山岳地帯です。冷水(ひやみず)峠です。峠には長いトンネルがあり、トンネルに入る前にSLは蒸気圧を上げて勾配にいどみます。原田で降りても時間が余りすぎる。それにトラックも止まってくれません。そこで、鳥栖まで行きます。そしてここからヒッチハイクです。これが難しい。夜の夜中にトラックを止めるのですよ。随分と厚かましい神経と度胸がないとできません。鳥栖で北上するトラックはなんとか見つかります。幹線道路ですから。しかし、原田で降りて、その先がなかなか大変です。車はそんなに通らない。通っても止まってくれない。そりゃそうですよ。昼間じゃなくて夜の3時か4時のことですから。何度も手を振って、頭を下げて、頼みまくりです。今の時代みたいに至る所にコンビニがあるわけでないし、夜露をしのぐ場所がなかった。なんとか車に乗ることができて、峠の手前あたりに降りることができた。でも、時間が早い。撮影できる明るさになるにはまだ時間がある。お腹はすいている。食料はなし。基本的に金がないから食事を省く。峠の線路沿いに夜露にあたりながら、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。ここでは民家があったので、その軒先を借りた。もちろん黙って。泥棒とか騒がれてはいけませんから、ひたすらじっと我慢です。なんてバカなことやってんるんだろう。今の鉄さんがみたら驚くだろうなあ。はっきり言って、今の鉄さんたちの苦労どころじゃなかった。自分の足と厚かましい性格とくそ度胸が必要でした。 写真から当時の峠の様子が少しは分かると思います。これです。3月15日のダイヤ改正で前がDD51に代わっていた。早朝なので機関車がライトを点灯しています。この列車の前にも何本か列車が通過したがとても撮影できる明るさではなかった。せっかくの最初の列車がDD51とはね。少しがっくりです。嘆いてばかりではいけません。後ろのSLを撮影です。いい煙を出していますねえ。これが正面だったらいいのになあ。もう一枚。D6067号機でした。門デフなのでスマートな感じもしますが、古めかしいD60には標準デフの方が似合っているように思うのですが・・・このD60の右側に民家が見えますね。ぼくはここで夜露をしのぎました。大学の1年の時もここに来たが、そのときもこの民家の軒先でじっと時間つぶしをしました。SL撮影は忍耐なのです。そして危険と隣あわせ。命がけなんです。その話は後ほど。鹿児島で事は起こりました。すぐに、次の列車が来た。(すぐといっても30分以上は間隔が空いています)旅客列車はD51だった。感激したのが 「なめくじ」 だったこと。D51は初期型は煙突の後ろがすっぽりと覆われていて、別名「なめくじ」とよばれていました。数が少ないので、僕は写したのが初めてでびっくり、感激でした。光量不足でシャッター速度を速くできなくて少しブレ気味です。普通のD51はこの後に出てきます。比べてください。さて、注目はこのD51のテンダー部分の落書きです。分かりますか。この時期は国鉄のストのシーズンなのです。国鉄だけでなく、賃金闘争は全産業の取り組みなのですが、国鉄の場合は列車やSLにスローガンを落書きすることが多かった。このストのせいで、数日後に僕の身に生死を分ける出来事が起こりました。もうちょっと待っててね。このときはSLのテンダーだけだったが、ひどいときは客車のサイドにも白ペンキでべたべたと書いていましたね。次は普通のD51です。画面の左に国道が見えます。一応車を持っている人には、写しやすい場所です。いい煙ですねえ。朝のしめった空気に煙がとけ込んでいい色を出していました。アップでおまけ。峠での写真はたったこれだけなんです。次の列車を写す気力がなかったか、ダイヤ改正でDD51に変更になっていたのか、分からない。とにかく、ここを離れた。最後におまけ、もう一枚。この後は直方機関区で記録写真を撮りまくります。では、冷水峠でした。いい写真がなくてごめんなさい。
2008.03.17
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やっと着きました。着いたぞー。バイクを押して最後の坂を上り庭先に止めました。これからの話をどう書き綴ったらいいのか少々悩んでいます。だって人生の思い出の中で忘れられない出来事なのですから。心はドキドキです。誰でもそうだと思うのですが、好きになった女性の自宅を初めて訪問するときの心の昂ぶり想像してみてください。厚かましくて、図々しい僕が慎重になりました。 彼女の名前が何回も出てくるので、仮名をつけますね。宇多田ヒカルがお気に入りなので、ひかるさんと呼ばせてもらいます。まずはこの家が彼女の家かどうか確かめます。広い庭先を進んで玄関までいきました。表札は確かにひかるさんの自宅でした。ほっとしました。「ごめん下さい。」 返事がない。「ごめん下さい。」二度目も返事がない。あれ? 自宅に帰っているという噂を聞いていたので、在宅の可能性が高いはずなのですが留守なのでしょうか。しばらくして縁側の方へ回ってみた。「あっ。」人影が見えました。たしかに誰かいます。そして、家族の方ならすぐに出てくるはずですね。玄関から再度呼んでみました。玄関のドアは鍵がかかっていなくて、少し開くことができました。「ひかるさん」、「ひかるさん」「たぬきです。」(もちろん本名を言いますよ)返事はありません。「どうして?」・・・・・・ また縁側の方へ回ってみます。そのとき玄関に人影が。 ドアを開けて「え~、こんにちは、どうしたのよ急に?」という光景を一瞬想像しました。けれど・・・・ その人影の行動は予期せぬものでした。スリガラス越しに見えた小柄な女性が玄関に鍵をかけたのです。茫然自失とはこのときの自分のことです。もう、言葉が出ません。驚きと悲しみで涙があふれます。「うそだろう。なんで?うそ~。まさか。」立ちすくむ俺。なんと言ったらいいのか?どう行動したらいいのか?納得できないけど、どうすることもできない。何回も声をかけました。虚しくなるばかりです。ほんとにどうしたらいいんだ。こんなこと全然想像してなかった。思考がまとまらなくて、錯乱状態になった。自分が分からない。落ち着くまでに時間がどれだけ過ぎたんだろう。バイクに乗らなくてはと思っても、すぐにはエンジンをかけることができない。でも会えないことが確実であることは分かった。苦労して上ってきた坂道を意気消沈して下っていった。 道路に出て家が見えなくなるときから涙がとまらない。拭いても拭いても涙がとまらない。前が見えない。運転できない。「なぜ?なぜなんだ。」あれこれと理由を探してみるが、納得できない。なんとなく、理由らしきことは想像できるのだが、それでも・・・・ 「悲しみに打ちひしがれた○○」という表現はドラマなどで見たり聞いたりしたことはあるが、まさか自分にこのとき、この場所でこの状況におこるとは想像もしなかった。数年ぶりに訪ねた僕への冷たい仕打ち。バイクを運転しながら涙で前が見えない状態。このままでは事故してしまう。そう思いながらも、なんとか北へ北へと走らせた。何度も涙を拭きながらアクセルを回していた。何とか塩尻峠を越えて塩尻市内へ。この頃にはもう涙もなんとかおさまってきた。小雨が降ってきた。俺の気持ちを慰めてくれているのか?松本へ続く国道は渋滞していた。愛車のヤマハメイトは渋滞している自動車の左側をすいすいとすり抜けていく。ある車が前の車との間を大きく空けていた。冷静な時なら「あれ!」と思うだろうが、ひかるさんに訪問を断られた悲しみで正常な思考力はなくなっている。それに渋滞の車で反対車線の車なんか見えない状況。対向の右折してきた車と、「ガァッシャーン。」5メートルぐらい飛んだ。初めて救急車に乗った。
2007.10.28
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