全833件 (833件中 1-50件目)
退院してから自宅にて 少し疲れたな~疲れたときなんかには、物思いにふけることがあります どこにも、吐き出す事ができないモンですので・・・ふとね、随分年取ってしまったなぁ~ などとね♪ 一番楽しかったのは、学生時代、高校生の時でしたねぇ田舎から出て行って、恩師の先生がたくさんの兄弟弟子との絆を授けてくださったとき、今まで人も少ない片田舎から来たので立派な強い兄さんがたくさん出来たのはものすごく嬉しかったですよそう、あの頃は気持ちのいい兄弟達がいっぱい居て、そして誇り高い兄達が道場を駆け、そんな兄貴達に近づけたらと懸命に励みました 剣道のお稽古が済み、兄貴たちが連綿と磨き上げてきた黒光りする道場で一緒にじゃれあって遊んだ弟ができた時もそうでした そこには、欲も得も打算も何もなく厳しいけれど楽しい日々でしたそして32年、病を得て帰った故郷は益々、人の数も減った寂しい過疎の村になってしまっていました高校を卒業して少ししたころ、好きな女の子が出来て将来を誓い合い、勤め先の先輩のお姉さんたちにも『写真を見せろ~!』だの『紹介しろー!』だのとからかわれたり冷やかされたりしたもんですあれだけ好きだった会社ももう合併してすでに今はなくなり、あの女子社員の先輩たちの顔もお名前しか浮かんでこないほど時も過ぎてしまいましたきれいな人たちだった事しか覚えていません彼女のお腹に赤ちゃんもでき、幸せの絶頂! お仕事もがんばろう!ってときに 病気でね・・・ 子供も一緒に逝っちゃいました・・・元気で生きて生まれることが出来ていたら、もう32歳のはずです ひょっとしたら、もう2~3人のお父さんになっててもおかしくはない歳ですそしたら、私はおじいさんです 済んだ歴史に『たら』と『れば』はないですけど、残念ですねぇ・・・ 私は、彼女、朋ちゃんが病気の時、私の血を輸血するしか出来なかった全然十分な事ができなかった結果的に助ける事ができなかった若くてまだお金も十分持っていなかった私が買ってやれたのは24金の安物の指輪しかなかったけど、最期の最期までしてくれていました3日間の病院での結婚生活でしたこれで将来、子供や孫が出来たり、成長を楽しみにする事がなくなりました 一生の後悔です せっかく新しい命が宿っていたのにです・・・強がって、意地のプライドのと言っていられたころが懐かしい・・・病気になったのは、自分のせいだから誰の責任でもないことはわかってるんです別に孤独ってワケじゃないですけど、32年・・・長いようで短いような空虚な32年・・・割り切ったつもりでも、忘れる事ができなくてなにか、仕方なく生きてきたような感じです心の中にぽっかり空いた空白を埋める事はできませんでした 普段、元気なときや、健康だった時は意地やプライドで快活を演じてはいましたけど、今のようになってしまうと誰も見ていないところでは、無性に寂しくなって、泣き叫びたい時があります 幼い頃、懐いていた多くの人や憧れた先輩方ほど早く逝ってしまわれました少し前には、恩師も旅立たれ、田舎に引っ込んでしまった私の周りには誰も、気を許した先達も仲間も居なくなりました・・・あの頃に戻れるなら何もいらない・・・周りには頼れる師匠や憧れた兄貴達やふざけあった弟達が大勢居て、みんな笑ってた記憶しかないあの暖かい記憶がなんとも心地いい毎日が煌いていたあの頃・・・ ごくたまに、耐えられなくなって、嫁の朋ちゃんに『そろそろ、そっちに行っていいかな? 迎えにきてくれないか?』と問いかける時がありますホントは、そんなに強いワケでもないし、むしろ私は涙もろいところもあるモンですから『さびしいよ~ 会いたいよ~!』って思いっきり抱きしめて、あの胸に顔をうずめて泣きたい思いに駆られる事もありました それはあの人のほかには、誰にも、たとえ親兄弟にもできない事ですでもねぇ どんなに会いたくても会えないし、行きたくて行けるところでもナシ・・・無断で行ったら、また大先生に大声で怒鳴られそうですし・・・ でもあっちには懐かしい人や恋しい人が多すぎるんです夢で会うことが多いんですけど、夢の中の私は、私はまだ目も見えて耳も聞こえ、体も自由で・・・まだ歳も若い私が居て、真っ黒な髪の時代の師匠、まだ小さい頃の弟、建や太一がいて『いじめられたら言って来い』って言ってくれた兄貴が居て(助けてくれるのかと思っていたら鍛えなおしてくれるつもりだったそうですけど・・・)んでね、手術で麻酔がかけられて効き始めてしばらくしたとき『よっ! 原田! どうした?』って特徴のある聞き覚えがある懐かしい声が聞こえました あの声は、絶対間違えないし忘れることができないない先輩、私があこがれ、懐いていた好岡先輩の声に間違いなかったと思います なぜこのとき、好岡先輩の声が聞こえたのかはわかりませんけどとても懐かしい いつのまにか涙が止まらなくなっていましたこの人が『田舎から出て来て寂しくなったら、オレのこと本当の兄貴と思っていいからがんばれ!』って言って励ましてくれた人なんです 始めて会った時にはすでに、技術も身長も何もかもが大きすぎて、それでも頼りになる先輩でしただから、出来る限りじゃれついて引っ付いていたんですずっと、先輩の背中を追っかけて剣道をしてきました近づけるとは思っていなかったけれど、それでも近づけたら良いなぁと思いながらついにそこに至る事ができませんでした あの麻酔が効いて朦朧としていたとき、『原田!』とか『カズ!』とたくさんの私を呼ぶ声が聞こえましたまちがいなく、先に逝った兄さん達や縁者のみんなの声です一番デキの悪い弟子で、だめな後輩、手のかかる弟だった頃が一番懐かしいなんて皮肉ですね この人たちの前でなら思いっきり泣き声をあげても恥ずかしくはないんです変でしょ? 麻酔の効果のまぼろしなんですかね?(知らんがな)以前も麻酔の時こんなことがよくあったりして、自分では不思議でもなんでもなかったんですけど もう少し、正気なときにでも出てきて欲しいもんですそれにポニーテールの背中までの長くて黒い髪が似合う彼女が居て・・・お惚気みたいになって、アレなんですけど、彼女はオム焼きそばが得意だったんですよとっても上手でしたそれは、お料理上手な伯母やその娘、イトコのお姉ちゃん達からもお褒めがあったほどなんです おかげで板前になった今でも、オムソバが大好きなくせに思い出してしまうのであまり作りたくないんです身内には可愛がってくれた伯母やこずえ姉ちゃん達が居て笑い話やシモネタ好きなじい様たちやお料理の上手なばぁ様たちも・・・ 夢でみんな元気で笑っていましたもうみんな、私を置いて逝ってしまいました『また会おう!』そういって別れた兄弟達とも音信不通になってはや久しいです熱血なアイツも クールな彼も、陽気な彼も、みんなどうしているだろう?元気だろうか? 子供は大きくなったかな?連絡を取ろうにもわずかな弟達の消息がわかるのみになりました私は特に注目されるわけでも優秀なわけでもなかったけれど、兄弟が大勢居るのは心強く、とても楽しかったもう私は竹刀を握る事も、兄たちのように道場で優雅に舞うように剣を振るうこともできなくなったけれど・・・これからの弟弟子たちは私の分まで元気で健康でがんばって欲しい老いて病んでしまった私が孤独感にさいなまれる時、兄弟達にとても会いたいんです あの世と言うか、死後の世界があればみんなと、また楽しく暮らしたいです見た事はないけど、死んだら渡る虹の橋とか言うものがあるらしいけどそこまで嫁は迎えに来てくれるかな・・・もうしそうだったら嬉しいなぁでもそこは飼い主をおいて死んだペットがたくさん飼い主が来るのを待つところらしいからひょっとしたら、私が生まれたときから一緒にいたあの大きな犬、真っ白いフカフカの体だったから名前はシロあいつがいるかもしれないなぁ・・・彼女も犬が好きだったしなぁ・・・家族3人とあのワンコ、一緒に虹の橋を渡れたら・・・ 私、少し弱気になっているのかな?幼い頃に通った小学校も中学校もとっくに廃校となり 修業した高校の道場は、年季の入った黒光りする床も近代的なフローリングに変わり先日の入院時『がんばれ 戦気!』と気合を入れてくれた齋藤の兄さんがもうすでに指導者の立場に立っておられます 嫁が入ったお墓は阪神淡路大震災で跡形もなくなってしまい嫁の両親縁者も震災で亡くなってしまいましたので記憶にしか彼女は居なくなってしまいました その嫁はいつまでたっても、20歳のまんまで若くて綺麗でした赤ん坊を抱いていました 赤ちゃんができた時少しぽっちゃり太って恥ずかしがっていましたけど、私はそんな彼女がとても好きでした『お産のときと、子育てに髪は短いほうがいいからショートカットにしようかなぁ』って言っていたのをムキになって止めたのも古い思い出になってしまいましたまだ病気が発覚する前、『カズちゃん! あんた私に1人しか子供、産まさん気なん?』とか言われて焦ったですね・・・それに引き換え私は随分歳をとってしまいカッコ悪くなってしまいとても恥ずかしいです愉快でない思い出は、時間が風化させてくれるものですが、きれいな思い出は時間が経つほど益々きれいに鮮明に心に残っていくものだと最近身にしみて感じるようになりました だから、今でも独り身でいるんですけど・・・世間で再婚する人、出来る人は幸せで強い人だなと思います 私はそういう気持ちになる事はできませんでしたこれは家族にも明かさなかった事ですから身内からいくら再縁を勧められても拒否するので実母などは『あれはなぜ結婚するのをあんなに嫌がるんやろ?』と、私のことを不思議に思っていた様ですね事実そう言ってもいましたし・・・嫁にするのは一生に1人だけでいいんだよ!私の母方の祖父も早くにおばあちゃんと死別して一生1人だったのは知ってることのはずだしね~ この祖父のこういう一本気なところを尊敬していましたし・・・これには答えたくもなかったんで反応しませんでしたけど、気持ちを知ってほしいとは思いましたけど、まぁわからなかったでしょうねそれでも、生きることをあきらめないで生きていかなければどんな事があっても、生き続けると約束した事を破る事になります あまり普段神仏を拝む事のない私でもそういうところでは尊重してしまうのはどうしたことなんでしょうね? まぁ、有体に言えば自決するような根性もないヘタレということなんですけどねただ、向こうに行ったときに笑って『来たよ~』って言えるようにしたいものです そうしたら、師匠にも、大先生にも『悔いのない人生だったか?』と聞かれたとき(まずそう聞かれるハズです)『はい! ありません! ただいま参りました』と胸を張ってお答えできると思うんですそうしたら『だいぶん、ゆっくりやったな♪』とおっしゃると思います贅沢な話しですけど、親子3人での、小さな暮らしはこの世では実りませんでしたがそんな3人とつつましい暮らしをしながら、また昔のように私の控えの場所である師の左の後ろに控え、お仕えしながら病や苦しみや痛みのない世界で先輩や師匠筋と楽しく剣道を楽しみたいんです 『相変わらず、応用のきかん まっすぐしか能のない、成長せんやつやな』と笑っておっしゃる事でしょうけど・・・治療が終わってしまい、経過も悪くないので まだもうちょっと先になりそうです師匠や兄さんたちに『また、みんな一緒ですね 人生の役目を終えて、次に来る弟を迎えにいきましょう』次に会うのは誰かわかりませんけど、それが誰かは大先生か先生がお示しくださるでしょう『来たか? 次はお前だったんか? また一緒に剣道やろう!』と言えればいいですね それまでは、寂しくてもがんばらないと仕方がないですねきっとまた、兄さんたちや師匠方、みんな達に会えますよねあまり男らしくない女々しい話しでしたね~ という妄想、独り言でしたそれではまた・・・
2017年02月22日
コメント(4)
今日は建国記念日、古い言い方だと紀元節ですね~手術の日が近くなって来たし、少し思うところを書いておこうかな? 先日、フェイスブックに何気なくつぶやいたら、兄弟弟子たちからの声が聞こえたんですよ回復したら弟弟子のお店に行って一緒にお酒を飲もう!って とても嬉しかったですよ♪本当は先輩、後輩の間柄なんですけど、なぜ私が兄弟と言う位置づけにしてるかと言うと今は亡き師匠の先生からそういう絆を授けてもらったからなんです だから先輩は兄、後輩は弟、という接し方をしてきましたその兄弟子たちともしばらく接点がなかったんですけど、(うつる種類じゃないですけど少し厄介な病気になっちゃったんで田舎に引っ込んで暮らしていますんでね) 一杯やろう!の声はうれしかたんですけど、ひょっとしたらダメかもわからないです、手術が上手くいっても人工透析が待ってるの確実なんですよ~なので気力が萎えてしまう前に、少し言いたいこととが母校の剣道部の後輩にあるんです 届かなくても仕方がないんですけど、今度の選抜高校野球の兵庫県代表に選ばれたでしょ?私が37年前に高校に入る事になったきっかけも後に高校野球で私の先輩になる人たちの活躍を見たのがそもそものきっかけだったんです んで、高校に入ったはいいんですけど私は野球なんて全然知らないし、普通に自分の流れのまま剣道の道を選びました田舎の先生の勧めです(体の弱い生まれだったので鍛えて生きるための体を作る必要があったからです) 入った学校には師となる先生とその又先生(大先生(おおせんせい))が別の大学に移っては居られたんですけどご健在で居られ、すさまじい技術や識見を持った先輩が綺羅星のようにたくさん居られました その先輩たちはそれはそれは厳しかったですよ決して甘えた事はお許しにはなりませんでしたし、しつけや身の回りの所作にはとても厳しかったです 履物を揃え忘れたり、うっかり剣道具を跨いだり、稽古着や袴を畳むのを手抜きをするのを決して看過なさいませんでした普通にぶん殴られたものです 電車では剣道具を持っている時は邪魔にならないよう気を配り、年配の方や赤ん坊を抱いた女性のために万一にも席を奪うような事があってはならないと教えられ、そのためには自分が席に座る事もほぼなかったほどです 席を立って譲ると言う事は、それだけで他の人に余計な気遣いをさせてしまうから初めから座るな!ってことです自然でないと意味がないんですよ 大人になって、こいうことがぜんぜん出来ない自称剣道家とか指導者と称する紛い物剣士がたくさんいる事に驚きました 私もかつて、その現実に驚き、ヨネザワクニオという先輩に噛み付いた事もありますヨネザワ先輩がそれをみることになった原因ですからね多少の段位を頂き、ましてや学校の教員を務めているものにも多いのにはあきれてしまう事も多かったですね 私の兄弟子たちの中にはヘタな高段者など完全に軽視している人もたくさんいましたし、その実力も今の高校生では想像もできないくらいでしたその兄弟子たちを鍛えた大先生が自分で厳しい稽古を課したとおっしゃっていたほどですから・・・ 警察の師範も勤められた、大きな体の範士八段の先生がですよ私も大きいほうではなかったけれど大先生には襟首をつかまれた猫みたいなもんでした そんな大先生に師事したおかげで、他の3人の範士の先生に知己を得る事ができ教えを請うことが出来たんですその結果、本物の剣士に触れることができ、偽者を見分ける目ができたんですけど それをあまり、とやかく言おうとは思いません言ってもわからないものに言っても無駄ですし、第一わかりませんから・・・ 何処からか?誰からか? 母校の後輩クンたちに届く事を願って一言書きおいておきますキミ達は報徳の魂を受け継ぐもの、いつごろからか君や私達の兄弟子たちが持っていた厳しさが失われ所謂いい子達の集団になってしまった現実があること その結果、試合結果にめぼしいものが散見できにくくなってしまったことキミ達は普通の高校生ではない! 君たちの先輩の一時期は中学生と言えど警察学校の初任課、(警察学校の学生ですね)の剣道経験者程度なら試合稽古しても負けることなど無かったんですよ まして、高校生にでもなれば警察でも機動隊の特別練習生に向かっていくほどの手腕でした今では考えられないでしょ? 昔はこれが報徳でしたよ剣道の業前だけじゃありませんけどね すごい精神性がありましたよまず、そんなに先輩たちは口数が多くも無かったですしね でも後輩を鍛えはしても知らん顔をして放置はしなかったですよ私たちも気軽に先輩方に口なんて利けなかったですもん 気軽にどころかしゃべる事など無理でしたよ今はね、新しい先生もいらっしゃる事ですし、私の3歳上の先輩もおいでになるのは知っています2つ上の先輩も稽古にお見えでしょ? しっかり教えてもらって立派な報徳剣士になって欲しいものです そんな事を言っても、もう私は何もしてあげる事はできなくなってしまったけれど言い置く事で精一杯のことがあります 稽古は無茶をしても無意味で効果は何も無いですけど、無理をしなければ強くも上手くもならないってことです(まぁ私は、ムチャのせいかわかりませんけど病気になっちゃいましたけど)そしてじぶんではムチャしてるな!と思う程度ではまだまだ無茶まで行っていないのが事実だと言う事 そして自分だけが強くなっても仕方が無いでしょ?次の世代につなげないとね? 時代時代によって兵庫の高校剣道界も強豪が入れ替わって行ったでしょ?世代交代や継承が上手くいっていないからなんでしょうけど、一時期育英高校がとても強くなったけどいまはどうなのかな? まさか、関西学院や他の県立高校にてこずってはいないと思うけど・・・もしそれがあたってしまっているのなら君たちの先輩たちはとても嘆いてしまうと思いますよ まぁ剣道の試合だけではその結果だけを見てしまいがちだけど・・・本当は剣道の中に何を見出すかが、とっても大事なんだ そのための努力と試行錯誤の後に生まれる結果がとても重いんですよでもまぁ、君たちには『勝敗は時の運』と言う言葉は許されない立場だし、むつかしいと思うけどね だれでも、壁には当たることもあるさ本物が見えるようになればまぁ大丈夫だと思うよ よく高段位に目がくらむけど、まぁ中には段位と釣り合ってないのもいたりしますからよく真偽を見極めるようになって欲しいものです本物は必ずいますし、むしろその方が多いはずですから・・・ある範士の先生は『八段になってやっと1人前、七段ではなぁ玉石混合、8段受けるのもほんまかいな?いうのがたくさんおる』ってよくいっておられましたよ 私が言う資格など何処にもありませんけど・・・ まぁ色々言いたい事もあるけど、もう私も口やかましい年寄りになりかけているのはあまり嬉しくないので・・・報徳の後輩クンたちよ がんばってくれ! 何処からかゆったり見ているよ まぁできれば、先生と大先生に彼岸であった時、土産話でも出来れば嬉しいよ!
2017年02月11日
コメント(0)
今日は伯母のお葬式・・・ どうした? ワタシ???体の調子がだんだん悪くなってきた・・・ここ数日、体調が妙によかったので変だなと思っていたらお葬式が済んでお骨になった伯母の骨揚げをしたあたりから元のようになってきた 伯母は母親の兄嫁なんだけど、それはそれは、エライ人で商売人の女将さんも、5人のイトコのお母さんも、立派に勤め上げた上にその他の身内の大勢のお世話もたくさんした人でしたそのお世話になったうちの1人が私でもあったワケです 2歳上のイトコに男の子がいたんですけど(今もいます 念のため)伯母はこのイトコの弟のように可愛がってくれました ここ数日は体の調子が変によくって、やすんでいる時は暖かい何かに包まれているような気がしてたんですけどやっぱり伯母が体を壊してる私に最期の慈愛をくれたに違いないように思いますお骨になり、仏様になったのでもう自分でがんばりなさいと言う事なんでしょう? 今日のお式の時には、お姉ちゃんと呼んだイトコ2人に『しっかりするように』ハッパをかけられ、元々頭が上がらない上にますます、頭が上がらなくなってしまいました 元からおねえちゃんには弱いんですけど・・・・(それも2人そろって・・・)明日はたまたま検査日です病院いってきましょう! 小さい頃から親しんだ2つ上のイトコはやはり立派な兄貴でした同い年の従妹は、伯母に一番よく似た明るさが取り柄なんですけど今日ばかりは泣きじゃくっていました 母親が亡くなったんですから当たり前ですよねよく不思議な体験をするんですけど、今回のように不思議な事柄に守られてるのを感じます
2016年12月11日
コメント(2)
今日も朝はとても寒かったけど、豆炭アンカ(古っ!)がよく効いて布団が暖かくとても気持ちがいいこのいい気持ちは遠い昔に感じた事があるような気がする実感はないけど、ここ2.3日は具合もいいので書いておこうかなぁ?別に誰かに読んで貰うとかの目的でもないし、とりとめのない日記のようなものだから、たまたま目に止まった人も深く考えないで欲しい♪この気持ちよさは、まだ私に自我が芽生える前なのか? それとも私がこの世に両親に産んでもらう前なのか?はっきりしない手足の感覚も覚えがなくって、春の花の梅や桜の花みたいに小さくって、ふわふわしてただキラキラ明るくてぽかぽか暖かかったように思うそれは仏様の手の中なのか?イザナギ、イザナミの大神様の大御心の中なのか?などと罰当たりな事を考えながら、うとうとしていた今朝の事! どきっ!として気が付いたそんな大層なもんじゃなくって、ず~っとまえに他界したばあ様のおんぶの背中や、いまだに口やかましいお袋様が若かったころ、抱かれた懐の暖かさだと言う事に・・・ばぁさまはいろんなものを作って食べさせてくれた、夏のスイカの大きくて甘かった事、おやつに作ってくれたカステラやお団子のおいしかったことなどなど・・・お袋様の家で作った野菜や山菜のご飯のおかずがおいしかった事母方の大叔母、『芦屋のおばさん』の真っ白いおしんこなんかも思い出深いなぁ って、今思えば食い物の思い出は今では全部、田舎のお袋の味みたいなものだと思うけど、そんなこんなで、うとうとしてたら今日は大東亜戦役の真珠湾攻撃の日なんだなぁ 戦争の記憶なんぞ、私には当たり前ながら全くないでも、父方の祖父は帝国陸軍の下士官だったし、長老の『アベのおんじい』は近衛連隊の歩兵准尉殿、隠居(分家)の原田正美オッサンは少尉殿だったし、『芦屋のおばさん』の連れ合いゼンサ(九鬼善三郎=ぜんさん→ゼンサ)のオッサンは帝国陸軍軍曹殿だった極めつけは丹波の山奥なのに、母方の大叔父、ブンサン(藤井文二=分さん)は海軍の水兵さんだった階級は知りませんけど水兵さんですから、エラくはないはずですわな? なので、いろんな軍隊の話を聞く機会は多かったように思うけど、強烈な話以外はあまり覚えていない覚えてるのは、『あの戦争はアメリカが日本をいじめたから日本が切れて始めたんが真珠湾、敵と戦うのが兵隊の勤めやけど偉い人がヘタクソな指揮をしやがって負けたんじゃー!』んで、このじ~様たちはシナの事を絶対、中国とは言わなかった 中国ってのは、広島や岡山のことだそーで、石原慎太郎さんとおんなじこと言ってました♪って言ってたことやその他色々・・・『ワシらは丹波の青鬼の子孫じゃ! そうそう下手打たんわい それが証拠にシナでわし等の連隊が出張ったらシナ兵は逃げマクってたわい! 山岳戦の篠山連隊、丹波の鬼連隊を舐めたらあかんど~』とかなんとか・・・ じ~様たちの武辺話はどうでもいいけど(どうせすごい昔の話やしね♪)何で一人も生き残っていないじ~様たちを思い出したかと言うと、私の剣道の師匠、H先生なんだわ・・・この先生、お酒を飲まない! でもカラオケ好き♪ 始めは、コリアンスナックへ行って、ウーロン茶でカラオケの練習したんだそうな練習曲はなんとコリアンスナックで日本の軍歌『同期の桜』これが専門だったらしい・・・ (先生、よ~やるわ! すげー度胸!)その後、いろんなレパートリーがおできになったようですけど・・・口止めされたわけでもないですけど、進んでしゃべる事でもないような気がしますこのことは、大人になってお稽古つけてもらいに行った時に聞きましたがなこの先生には私が15歳の頃からお世話になりましたけど、30年の間お稽古の取り組む姿勢以外の技などには一回しかほめてもらった事がありません 在学中はお稽古をつけてもらうのは一番ばかりを目指して3年が過ぎご機嫌のいいときに何人かの競争で先生にお稽古をお願いに走って行くんですけど一番になった時に笑いながら『よし、原田!』とお声がかかるだけでしたこの『原田』と言う呼び方も私の郷里での発音で、呼んでくださったものです私も田舎からぽっと出たいなかっぺでしたから、ほっとしたものです2つ上の先輩たちも中には『原田どん』つって親しんで?呼んでくださった方もいらっしゃいましたほどです 30年間のうちで22歳ごろだったか?お稽古をつけてもらってた時のこと真正面がまともにきまったことがあったこのときだけは『しまった! 振りかぶって打ってきよった!』んでお面がど~ん!でした後でコーヒーを頂きながら『あれでいい! あれを覚えろ、小さく打つのは他のものに任しとけばええ 大(おぉ)先生もあれなら褒めてくれるやろ』って褒めてもらった1回だけです あとはあれがダメ、ここがアカンばっかでしたでも面白いことにこんな先生にお仕えしてたら先生の人間臭い面もたくさん見えたりなんかして、面食らった事も多いですよ 魚の活け造りが苦手で普通のお刺身は平気な事、実家にドライブに見えたとき時実家の飲食店に飾ってあった鹿の頭の剥製を見て『かっこいいな』とか喜んでおられたり、他にもまだあったし『ん?持ってきましょうか?』と言った時は目を丸くして『どんな山の中や?』と驚かれていたこと生家にはクマの毛皮も在ったんですけど、これはしゃべる機会はありませんでしたけどね♪ ただし師の名誉のために、腰から下の話はいたしませんけどね私たちにはおっしゃる事はありませんでしたけど米沢先輩やその奥さんには『あいつらは高校生らしい学年だった』とおっしゃっていたと後で聞きました 私達の学年は数もそう多いほうではありませんでしたけど、面白い連中がいました電車の駅で学生が893に傘でシバかれてると通報が会った 警察官が駆けつけると傘でシバいてたのは先生でシバかれてたのはクラブをサボってた学生だったって笑い話もありますそれでも、私たちは先生には慈しんでいただきました公正な鶴ちゃん、クールな井上のこーちゃん、陽気な光昭君、毛深い川尻どんその他・・・この皆は同期生だけど少し年上のように見ていました私より少し大人っぽかったんでしょうかね???この先生が一番大きかった教えは『お前が先輩たちによく面倒見てもらったやろ? 嬉しかった事を後輩にもしてやったらええねや♪』ってことでした 何もそれらしい事はできませんでしたし、出来ないうちにご他界なさってしまいましたけど・・・ というわけで、取り留めのない大東亜戦争開戦日の随想でした
2016年12月08日
コメント(0)
ふと昔話を殴り書き・・・誰も見てないやろなぁ・・・建くらいかなぁ? まぁええわ今日は曇り空、こういう日は無性に昔が懐かしいずっと30年位昔、いやもう少しだけ前か・・・家を離れて下宿をしながら私は高校に通っていた そこには親代わりになってくれた師、たくさんの先輩、同期生、後輩がいたみんな素晴らしい人たちだった怪我をしたへたっぴ!の私を見捨てずに励ましてくれたのはT先輩、主将だったS先輩、前述のT先輩とは仲がよかったですけどこの先輩が普段余り冗談ナンか言いそうにない雰囲気の人で、偶に言うとすげーきつい冗談を言う人だったなぁある日、先生のお使いで『S先輩、先生が呼んでおられます』と呼びに言ったら『イヤじゃ!言うとけ』とふざけられた事があって私はトボけたというか素直なモンでしたから『はい~っ!』って行きそうになったのを『アカン! こいつはホンマに言いに行くぞ!』って止めてくれたのはめっちゃ強いN先輩でした残念な事にS先輩は年も若くにお亡くなりになりました それも随分時が経ちます そんなに背丈が高いほうではなかったけど先生が『今の中では一番報徳らしい剣道をする』とおっしゃっていたI先輩、この人はホントはめっちゃ陽気な性格だったことを知るのはご卒業なさった後でした あまり現役の頃は話しもしてもらった覚えもあまりないくらいですですが無口のようでお二人ともちゃんと後輩の事を見ていてくださってました足の皮がずる向けになってベソかいてたとき足半(アシナカ)という足の皮の代用品の造り方を教えてくれたのはY先輩だったこのY先輩には生まれて初めて『餃子の王将』と言うところに連れて行ってもらったこともある 今でもよく私の夢枕にお立ちなるH先生、特に建と太一はことのほか可愛がっておられたものですよく『太一が・・・ 太一が・・・』とおっしゃっておられますけど夢の中の話ですからねもう卒業して随分と時が経ちましたし、二人とももう立派なもんですのに・・・ そういえば、袴のたたみ方を教えてくださったのもY先輩でしたなぁ竹刀の組み立て方を教えてくださったのはT先輩でしたなぁそこで餃子を10人前とラーメンとチャーハンを食ったのは別の話・・・あのころは健康で元気だったなぁ・・・ 10年も経った後に警察の特錬上がりの先生に『おぉ~ 原田が昔懐かしいヤツをつくっとる♪』っと笑っていわれたのもいい思い出・・・ そういえば、この頃1回目死に掛けた事あって、三途の川?と地獄の1丁目?を見たことがある・・・ たぶん意識のない時の事だから妄想幻覚だと笑って欲しい 家に庭に撒くために除草剤(猛毒)を小さいビンに入れておい(仕事で運転中)その横にジョージァ缶コーヒー(ブルーマウンテン)をおいてたのを間違えて飲んじゃった!!!(運転してたからよく見なかったねん→誤飲→意識不明)それで意識不明のとき、夢の中でふと気がついたら川のほとりで、きれいないろんな花が咲いてた そこをふら~っと歩いていたら私が17歳のときご他界された大先生(おぉ先生ってよんでました)にでっかい声で叱られたんよよ~忘れられんなぁ『おい!(こう呼ばれてました 名前なぞ正確に読んでもらったことなんぞありません 直接呼ぶときは『おい』 で間接的に呼ばれるときは『あれ!』)でした この慌てモンがー! 師が泣くぞ はよ帰らんかっ!』ですと・・・ おっかなくて、ぴゆ~っ!て逃げ出したら暗い路地に入ってしまった(電柱に地獄一丁目っていうプレートがはってありました)やべっ!なんのまちがいなんや~??? 後ろのほうで20歳のとき病気で子供ごと死んだ嫁の声が『カズちゃん、そっち違うやん あんた、まだここ来たらあかんやん!』 ・・・絶対これ夢ですワ せやかて、地獄行くのは閻魔様の裁判の後のはずやしそんなに悪事を働いた覚えもない(ちょっとしか) 閻魔様の裁判をすっ飛ばす事のないはずなんやけど・・・心当たりを探すと1、先生に親孝行のつもりで悪所へ連れて行ったこと『あれは確かダイヤモンドクラブとゆー名前のお店のような気が・・・) 食べ道楽もしないし、お酒は嗜れない先生だったしなぁ・・・2、後輩のTクンにナイショで喫煙させて嘔吐させてしまったこと? これは誰にもバレてないハズ3、違う後輩のSクンとNクンが中学生の時、興味津々なので 私の下宿で○○本を見せて後で先生にばれてバレて目から火がでるほどこっぴどく怒られたことかなぁ? みんなもうすっかり大人になっただろうなぁ・・・ だってあの頃、稽古着の乱れ直してやった幼児だった師匠の若がもう大学もとっくに出て子供もいるらしいもんなぁそういえばH先生は、コーヒーと煙草がお好きでしたなぁほかの先生も課業外のときにコーヒーをご馳走になりに教官室にお見えになっていました そういえばその頃の私たちにとってみんな先生方でしたけど先生同士が先輩後輩の間柄でもあったりしたもんですから遠慮もありながら結構和やかな感じだったようにも思えますそんな中に氏原先生って言う英語の先生がいらっしゃったんです髪を7:3に分けてるんですけどおっかない形のメガネをかけた893屋さんみたいな風貌のイカつい感じの先生でしたけど(武道や体育の先生じゃありません 英語の先生でした)お茶目と言うかいたずら好きなとこがあって剣道場に大きな稽古太鼓があって、私と同期のヤマシタ君が体操着に奥の部室で着替えてた時、(授業の合間です、剣道のお稽古じゃありません)ふだんH先生が稽古開始の時に鳴らす太鼓の音を氏原先生が打ったモンだからさぁタイヘン! 私とヤマシタクンは着替えの途中で上に体操服、その上に剣道着をひっかけるヤマシタクン、下は半ズボンの体操服の私稽古開始の時みたいに中途半端な格好のまま道場に飛び出して稽古開始の時みたいに正座してしまったことがあり氏原先生に爆笑された事がありますまぁ条件反射になっちゃってるんですけど大爆笑されながら『状況判断がなっとらん!』ってやられたこともありましたうしろでH先生も爆笑されていたように覚えていますたまにはOBの先輩方もお見えでしたし卒業された先輩方の中には信じられない技を見せてくれた人もいらっしゃいました『○田○郎』と言う先輩には小手面ちゅうワザをめっちゃはやく打つお手本を見せてくれましたし笑いながら『こんなん基本やんけ~』と言っておられたのも忘れられませんし、『○○』と言うOBの先輩には基本を教えてくださった上に打ちそこなうと苦笑いしながら『ココを打たんかいや~!』と頭をぽかりとされたりしたのも覚えています背丈が大きくて前に壁があったみたいな○瀬先輩○沢先輩とその奥さんに『困った時にはこれが出る』と聞いた(聞かされた)、巻き小手の○上先輩とか 個性豊かな先輩方が多かったですねぇいろんな伝説を聞いてましたがイマイチ、ご卒業なさった後の先輩方はナンかこうイメージが違うんですよね~ でもまだまだ一杯在りますけど、大先生や先生のトコに行くまでに吐き出すかもしれませんなどと繰言をつらつら・・・・因みに餃子の王将の代金の餃子代はY先輩のオゴリだったはずなんですけど、10人前食べたらタダだったらしい(真偽は不明です) それでもY先輩にはとってもお世話になりましたし私もホントの兄貴のように懐きました 板敷きの道場に投げ飛ばされたときの転び方と言うか受身の取り方を教えてくれたのもこのY先輩です どうしておられるのかなぁ????この他にもいっぱいあるけど・・・今日は疲れた
2016年12月04日
コメント(0)
昨夜は、ちと、艶やかなお話でございましたな♪今宵は少し、硬めに仁徳天皇様のお話♪ 時は昔、仁徳の帝の御世、四年の出来事でございます天皇様が難波高津宮から遠くをご覧になられて 「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」 と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。それからというものは、天皇様は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。 三年がたって、天皇様が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。 「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」 「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」 「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」 天皇様は、ニッコリされて、こう申されました。 そのころ、諸国より 「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」 との申し出が頻頻とあるようになりました。 それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。 これが有名な『民の竈』、今の大阪府堺市にある仁徳天皇様の陵の御主、仁徳天皇様のご遺徳のお話でございますこの街には、私の伯父とその一家が住いしておりましてな♪ よく幼い頃から、遊びに行っていたものでございます♪この仁徳天皇様は、応神天皇様の御子、応神天皇様は、私の一族の氏神様『八幡大菩薩様』とされている大君でございますがな なにやら奇妙なご縁を感じますな♪なに?、こじつけもひどい? 左様、その通りでございますな♪ ただ、これはず~っと昔、もう1,700年も前のお話でございますがな太古の帝王、仁徳天皇様が民衆の事を思い賜り、今の今上天皇様へ続く神の系譜、現人神の神性でございます♪ いいことばかり奉り申しましたが、この帝、女性が特にお好きであった由、皇后の嫉妬に苛まれる人間臭い一面も描かれて居りますな♪ 当たり前でございますな♪ というより、そうでないとそのまんま神様になってしまいますな♪ ここ日の本の神様は、非常にほがらかで、活き活きとなさっておられ、たくさんのお子様をお産みになられた、いとも有難いご存在におわします♪ いろんな思いはございましょうが、この私は帝と民草とのつながりが、よその国と違う所であるとと思っておりますな♪因みにこの仁徳天皇御稜、現在では大仙陵古墳、または百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれておりますな♪ それでは、今宵もよい夢を・・・
2015年05月11日
コメント(0)
左様ですな♪神様の恋愛模様♪ 猿田彦命様と天宇受賣命(あめのうずめのみこと)様 ご夫婦の神様ですな♪ 猿田彦様は天孫、つまりですな天照様のお孫様、ニニギの命様の道案内をした神様ですが、交通安全、方位厄けの神様とされておりますな♪ この神様、見た目がコワい! 背が高い!鼻が高い!魔がでかくてまっかっか! だったとか・・・一方、天宇受賣様は、イケてる女神様♪、天照様の天の岩戸隠れのとき、楽しい踊りを踊って天照様の気を引き、岩戸から引っ張り出した神様ですな♪ そこから、芸能の神様とされておりますな♪ニニギの命の天孫降臨のとき、お供をして天下りをなさいましたが、このとき、高天原から葦原中国までを照らす神が負わしましてな♪ これが、道案内をしにやってきた猿田彦様、名前を知らないもんだから、天照様と高木神様に『これ!あなたは、可愛いけど、顔見知りしないし、気後れもしないからちょっと名前を聞いてきなさい♪』 といわれた天宇受賣様が名前を聞いたんですな♪ これが、今で言うイケイケギャルのふぁっしょん! おっぱい丸出しで尋問(質問)タイム!普通、男子なら、骨抜きにされやすいルックスでございますな♪これが縁で、猿田彦様の名前を背負って使える事になったというのが、所謂、なれそめですな♪ それで、天宇受賣(あめのうずめ)様、猿女君と言う別名をもお持ちなのでございますな♪ これ今で言う、美女と野獣のかっぷる!でございますな♪この猿田彦様、見た目と違って、(失礼!)良いだんな様だったようですが、少しかっこ悪く貝に手をはさまれて、おぼれて死んでしまうんですな♪ 期間は知りませんがな♪、猿田彦様の死後も、天宇受賣様はお仕事を引き継いでおられますよ♪たま~に、気に食わないナマコの口を引き裂いたりしながら・・・(過激!・・・汗) この御ふた柱の神様、安産やら国際結婚やらのご神格もお持ちでございます♪まぁ~その~セットで(?)祭られておられるわけでございますな♪ 私などは、神様のカップルと言うと イザナギ、イザナミの大神様、美男美女のカップルを(想像ですけど・・・)想像しますけど、こういう神様カップルもおいでになりますな♪ 因みにでございますが、イザナギ様とイザナミ様はご兄弟の神様なので、近親結婚の神様なのでございますよ♪イザナミ様も、天宇受賣様も、結構過激なところが見えますな♪日本の女神様は、結構強いんでございますな♪ 今のご婦人方が、ホントは結構強いのも、納得できますな♪ 私が言うのも、ナンでございますけども、伊勢の神宮にご参詣なさるお方に・・・お伊勢さまには、個人的なお願いはしてはいけないのは有名でございますけども、お賽銭を投げてもいけないのでございますよ♪ お賽銭箱もgふぉ用意されているらしいのですが、どうしてもお賽銭を奉納されたい方はそちらになさいませ♪本来は、お伊勢様に、献納する資格は一般のお方には許されていないそうでございますよ♪ 私は聞きかじりですので、お近くのご神職にお聞きになると教えてくださるのではないでしょうかね? それでは・・・
2015年05月10日
コメント(1)
昨日は、少し武ばった神様のお話でしたから、今宵はロマンチックにイザナギの神様とイザナミの神様のらぶろまんす♪なお話しなど・・・ イザナギ、イザナミの両神様は、男女の神様ですなんで、ご皇室のご祖神でもございますな♪ 私などは理屈では分かっているのでございますが、どうしてもご皇祖というと、天照大神様を先に思ってしまいますのは知識の無さでございます(汗) イザナギの神様が男神、イザナミの神様が女神♪こ2人はまず神聖な柱の前に背中を合わせて立ったのでございます。そして、柱の周りをイザナギ様は左から、イザナミ様は右からくるりと周り、出会ったところでハイテンションのイザナミ様から声をかけて、おふた柱の神様は、ご結婚なさったのですが、始めはイザナミ様からプロポーズなさったことになっておりますな 「まぁ!なんて素敵な方なんでしょうっ!!」てな感じでございますな♪ あの~、このときの結婚式はちょっと失敗!お子様の神様がちゃんと産めなかったので、テンションだだ下がり! このお子様は水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)のお二人♪ イザナギ様とイザナミ様は困ってしまい、別天つ神(ことあまつかみ)に相談しにお行きなさったそうなここで、別天つ神(ことあまつかみ)のミナカヌシは優しく迎え入れ、 太占ふとまにで占ってくれたそうでございます。 太占ふとまにとは、雄鹿の骨を焼いて、入ったヒビを見て占うことでございますが、ここで、失敗の原因が究明されたわけでございますな♪ 先に結婚する時はイザナミ様から声をかけた(求婚した)のがマズい!先にイザナギ様から声をかけるのが正解! なんですと♪ このミナカヌシさまはここで出番終了♪このときから、求婚は男側からするものになったそうな♪ いや、昨今は女性も活発におなりで・・・・ この結婚式が、この日の本で初めての結婚式でございます♪ここから、多くの国土、国の神、動植物、など森羅万象をお産みになられたのでございます 国をお産みになられたとき、男女の別の理をお示しになられ、国生みを始められたのでございます♪すなわち、イザナキの神様はイザナミの神様に問いかけましたそうな「イザナミよ。あなたの身体はどのようにできているのか」と。イザナミ神は答えました。「私の身体はよくできているけれど、よくできあがっていない部分が一カ所あります。」なんですと・・・それを聞いたイサナキの神様はお答え申しました。「私の身体はよくできているけれど、一カ所だけ余っている部分があります。私の余っている所と、あなたのよくできあがっていない部分を刺し塞いで、国土を生み出そうと思いますが、いかがですか?」と。イザナミの神様は答えました。「はい。それはよいお考えです。」そこでイザナキの神様は、「それでしたら、私とあなたで、この天の御柱で廻り逢ってから、寝所で交わりを行いましょう。あなたは右からお廻りください。私は左から廻ってあなたにお逢いしましょう。」と、イサナミの神様と国を生むお約束をなさいました↑これは一回目の結婚式にお約束されたんですが、順序を間違ったのがこのときで、2回目の結婚式の後はイザナギの神様からお声をかけて、国生み成功の始まりでございます♪ 又、天の浮き橋に立って、天の沼矛(ぬぼこ)を下に突き刺し、かき回してしずくが落ちたところがオノゴロ島、このオノコロ島の天のみ柱の周りを回って結婚式としたとされるのが、国生みのプロローグでございます♪ このように、神様の恋話からちょっとエロい描写まで、幅広うございますけれども、エッチな感じで聞くと何かいやなご不快な向きもあるかもしれませんがな♪ ご先祖様、神様の遠い昔のファンタジーとして聞けば、素敵な感情が起きませんかな? ご祖神の神様は、こうして私たちの国とご祖先を作ってくださったのでございますよ♪ そして、このイザナギの神様の左目からお生まれになったのが天照大御神様、そのお孫様のニニギの命が天からおくだり遊ばして、海幸山幸の山幸彦様、神武天皇様から当今の今上天皇陛下に至る連綿と続くご皇室への系譜なのでございます 真偽は別として、この物語をお読みくださるお方も、祖をたどればこの2柱の神様に行き着くわけでございますな♪ 長くなりましたな 今宵はこれくらいで♪ では、また♪.
2015年05月07日
コメント(0)
今宵は、建御雷神(たけみかづちのかみ)という神様のお話♪この神様は、伊邪那岐(いざなぎ)の神様と伊邪那美(いざなみ)の大神様が国生みをなさったとき、火神軻遇突智(かぐつち)の首を切り落とした際、十束剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱であるそうでございます この経緯は、別の折に触れるとして・・・要するに、母神様、伊邪那美(いざなみ)様から生まれたとき、母神様に大怪我をさせたことを父神様がお怒りになられて、首をちょん切られた時にお生まれになった神様なんでございますな♪ それでも、高天原におわしまして、かの大国主の神様の国譲りの折、高天原側のお使者として、天の鳥船に乗って出雲にお越しなったのでございます♪ 念のために申しておきますと、この天の鳥船と言うのも、神様なのでございますよ♪このとき、大国主様側の交渉役に立ったのが、建御名方神(タケミナカタ)の神様! よく似たお名前でございましょう? 別の神様なんでございますよ建御雷神(たけみかづちのかみ)様は鹿島神社のご祭神、建御名方神(タケミナカタ)の神様は諏訪神社のご祭神♪ この御ふた柱の神様は最終的には、力比べによって決戦の及んだのでございましてな手を握り合っての力比べでございますが、この建御雷神(たけみかづちのかみ)様、手が剣になったり、氷になったりで、勝負は、建御雷神(たけみかづちのかみ)様の勝ち! この勝負は、お相撲の起源とされておりますな♪ この建御雷神(たけみかづちのかみ)様、天照大神様のお言いつけで、出雲に来て、伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立ったワケなんでございますが、そのときも結構イカツイ、パフォーマンスなんでございまして、十束の剣を波に立ててその上に胡坐をかいて座り、国譲りを大国主様に迫ったと言うから・・・ この建御雷神(たけみかづちのかみ)様と経津主神(ふつぬしのかみ)様は関係も深いとされていて、対で表されることも多く軍神として、讃えられており、今でも各種の武道場にはお祭されている事が多いのでございますな♪ 経津主神(ふつぬしのかみ)様は、香取神社のご祭神でございますが、何故か、日本書紀にはご登場あらせられますが、古事記にはお姿をお見せになりません! 古代の神様でも、この日の本おいては、力比べまでで殺し合いのシーンが出てこないのはなんとも平和的でよろしゅうございますな♪まぁ、残虐なシーンもあるらしゅうございますがな♪ この私が、あまりそういうのは好まないのでございましてな♪ 後々、次代が下がれば、否応無く、小碓の命(ヤマトタケルノミコト)の時は出てきますしな♪ っと、この建御雷神(たけみかづちのかみ)様、神武天皇様の東征の時も助太刀に出てお見えになりますよ♪熊野で手こずっていた神武天皇様、高倉下(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると神武天皇様は目をさまし、ふるうまでもなく自ずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができたらしく、神武天皇様がが事情をたずねると、高倉下の夢枕に神々があらわれ、アマテラスやタカミムスビ(高木神)が、かつて葦原中国の平定の経験あるタケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよと命じるいきおいだったが、建御雷は、かつて使用した自分の剣をさずければ事は成ると言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじこみ、神武のところへ運んで貢がせたのだと申します♪ ちとやり方が、いーじーでございますがな♪神話と言うのは、面白うございましょ? このようなたくさんの天津の神様と国津の神様がおわしましてな♪ 日本人はそのいずれかの神様の、ご子孫と言うのが、この翁のつぶやきの前提でございますよ♪ どなた様も、今宵も更けてまいりました♪ よい夢をご覧じませ♪ では、また・・・・
2015年05月06日
コメント(0)
本日は、こどもの日と申しますが、古くは『端午の節句』と申しましてな♪または、菖蒲の節句などとも申しまして、菖蒲は=尚武と同じ読みでございますな♪ 尚武などと言うので、お侍(武家)の専売特許のように思いがちでございますがな、宮中でも、お公家さんが菖蒲を髪に指して武徳殿に集まって薬玉というものを、帝から下賜賜わる習慣もあったようでございますな♪ そもそも、端午というのは、旧暦では午の月は5月にあたりましてな、午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものがのちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味でございます 3月3日、7月7日、9月9日もお節句になっており申しますな♪ この端午のお節句は、男子の健康をお祈りする風習で、特に菖蒲の葉っぱの形が刀に似ている事や、鎧兜で体を守り、邪気をはらうことなどから、鎌倉時代には男の子のお節句として定着していったようでございます♪ また、武者人形や、こいのぼりを飾ったりもいたしますな♪武者人形はともかく、こいのぼりは関東が主な風習の場所で京都の文化圏の関西では、かつてはあまり一般的ではございませんでした 私なども子供の頃はあまり『こいのぼり』を見た覚えもございませんでしたよ♪ それよりも、『かしわもち』のほうがよく覚えておりますな♪今でも甘いものは少し食べますが、当時、とてもかおいしかった覚えがございます 左様、この頃の季節でございましたろうか?はるか遠い昔の頃、まだ私が物心がつくか?つかないか?の頃、まだ私の家はわらぶき屋根の古い家でございましたがこの家に、シロという名前の真っ白な大人の犬が一緒に暮らしておりましてな♪ 私が、ぼんやり覚えているのは、何かをムシロで干しているばぁ様 近くでべつのムシロに座っている私がその大きな犬、(たぶんスピッツと言う犬だったような気が・・・)にもたれて何か遊んでいたような気がしますな詳しくは思い出せませんがな♪ ぼんやりとした、暖かい思い出でございます♪ あの犬は、もしかすると、私の一番初めの友達?だったのかもしれませんし、ある意味保護者的な存在だったのかもしれません♪ 吼えられたり、かまれたりした覚えが全くないのでございますよ♪ 野うさぎを生け捕りにして、私に見せに来た得意そうな顔をした犬は、確かにあのシロだったと思うんですがね・・・ 長い間一緒に暮らしたようにも、とても短かったようにも思います 春の昼寝は、懐かしい思い出をゆっくりと染み出すように思い出させるのでございますさればでございます♪ この家で生まれ、紆余曲折の上、又ここを終の棲家にする事に決め申しましたが、懐かしい思い出がたくさん詰まったこの場所で、次代のお子達の幸せなどお祈りしましょうかな♪ では♪
2015年05月05日
コメント(0)
季節は↑から↓へ桜から藤へ 意味もわからないのでございますが、藤は屋敷の中に植えてはいけない!と、私の祖母から言われて居りましてねわけを聞いても不吉だから・・・としか、答えてもらえませんでしたけどな・・・ これも、かつて随分昔の私が幼い頃の話でございますよ 大人になって、お寺や日本庭園や、公園などに綺麗な藤棚があって、随分不思議に思ったものでございますな♪ 不思議と言えば、これをもしかしたら、弟弟子が詠んでいるかも知れませんな?ふとした拍子に、私の高等学校のある先輩、のお名前を別の後輩クンから知ったりしまして、ひたすら懐かしく、どうお過ごしか? 思うばかりで、接点も無くすごしておりましてな 嬉しい不意打ちでございましたよ♪ ご活躍のようでございました♪ さて、何をお話しましょうかな? 私は、神職ではありませんが、民話とか、神話が好きでございましてな♪特に日本の神様は民話の中で、悲しみのあまり泣き喚く事のお話はあまり聞き申しませんな♪ 笑い、歌い、、踊り、などの明るい話は多うございますが・・・もちろん、武術などの厳しい神様もおいでになりますがな♪ あの天照様の『天の岩戸隠れ』でも神様方は大層お困りになったという言い方はされておりましたが智恵の神様、思金神様のお知恵で、天照大御神様を岩戸から引っ張り出した、いわば作戦談があったほど・・・ まぁ~、一説によりますと、岩戸の前で踊りを踊ったのは天鈿女命(あめのうずめのみこと)、この神様の踊りで、大神様を誘い出した!とのことでございますが、何千年の後の年寄りの話、現在で言う『すとりっぷ』に近いものであったようで・・・ あの~、天照大神様は、一応、女性の神様のはずでございましょ?それが大神様ともあろう方が、ストリップに釣られたって・・・ 時のジジィに突っ込みどころ満載!でございますな♪ この話をした、じ~様はじんのー(神納)と言う苗字のジー様でございましてな、もう一族郎党は少なくなり、本人もお亡くなりになってしまいましたが、私に神話をタクサンしてくれたものでございますよ♪ この人のご先祖は、めちゃくちゃ古い時代、丹後の元伊勢から伊勢に神宮が移る途中に大芋村の福井に土着したのが縁起と主張しておりました!!! この福井と言う地名、もちろん現在の福井県ではございません 丹波の篠山の中、大芋と言う地域の中の福井と言う在所でございます この在所には『串岩窓神社』と言う神社がございましてこの神社がある在所が福井と言うのでございますこの神納さんのご先祖、ひょっとしたらこの神社のご祭神の神職だったかもしれませんな??? (ほんまかね?→しらんがな♪) 民話、民話♪ このじ~様も、サバけた人で、懇意だった何人かの年寄り同様、あっけらか~ん!とエロ話をする人でございました♪しかしながら、私んとこの最長老のアベのじ~様に比べると、少し年下でありましてな シモネタが、いまいち、生臭かった記憶がございますな10年以上年の差がありましたからな~(エロ話ひとつでも修行が足らんねん♪ちゅーワケですな♪) 仕方が無いと言えば、仕方がございませんな♪ この神納のじ~さま、当時まだ押さなかった私のツッコミに 『んなもん、そういうことは、男も女も無いんじゃ♪ 深く聞くなっ♪』 と、お酒を飲みながら豪快に笑っていたものでございます♪今日はちと、、大人向きのお話しですがな、あまりエロくならないようにソフトに話してみたんですがな♪・・・ どなたか、お子達がご覧か知れませんのでな 表現は抑えて、抑えて~♪っと んでは、また・・・
2015年05月04日
コメント(0)
今宵は・・・↑の写真はシャクヤクと聞いてきましたが、冬に木のままいる事から、ひょっとしてボタンかもしれませんな♪ 目いっぱいに咲いて、あでやかですな♪ さてと、気がめいっておる事でもありましてなちと、コワい目のお話など進ぜましょうか まず日本で、恐ろしい祟り神! といえば、天神様、菅原道真公、神田明神、平将門公、大天狗、崇徳上皇様崇徳上皇様は上皇さまですございますから、ちょっと置いておいて・・・ 天神様は、いまや、学問の神様! 入試の合格祈願などに、お参りされる方も多いのではないですかな♪お亡くなりになった当時は、失脚させた、藤原氏の方々を雷で撃ち殺したり、疫病をはやらせたり、火事を起こしたり まぁ、結構エグい祟りをなさったようですな♪お公家さんですからといっても、お上品にやったのではなさそうでございますな♪ ・・・あの~ この方のご子孫、結構多いらしゅうございますよ♪ 中国地方の美作菅氏などは大族でございますな一方、お武家のほうは、元祖サムライ(=武士?) 平将門様 この方は強烈! 昭和になってもまだ、ご機嫌を損じると重機までひっくり返して運転者含め14人もが死んじゃった!と言うんですから、もうたいへ~ん!!! この方、桓武天皇様のご後胤、つまりご子孫ですな♪ 毛並み、血統が大変よろしいわけで、関東で、新政権を樹立して、新皇様になったりして・・・ 当然、京都の御所側から見たら、反乱ですわな? 反対勢力に将門様のイトコ、貞盛さまをあてるわ、藤原秀郷どのと共同作戦♪ これが、天慶承平の乱、藤原純友さんの反乱とセットになっておりますなまぁ、どっちも京都軍に鎮圧されたわけでございますが、この将門様は関東で戦死なさったそうでございますな これで、じ・えんど!で首を京都で晒されたワケなんでございますけども、この将門様の首!体がある関東に向かって飛んでいってしまったそうですな んで、首が落ちたところに供養の首塚が出来て、現在の将門塚!東京都千代田区にあるそうな? 生きてるときもめっちゃ!強くて、死んだら祟るって・・・(こわ!)ウマをつかった騎馬戦を始めたり、初期型の日本刀はこの方の時代に始まったそうでございますから、ひょうっとしたら考案者だったりして・・・(うそ! 思っただけでございますよ) んでね、よく源平なんて申しますでしょ?源氏と平氏のことなんでございますけど源氏より平氏のほうが血脈上天皇様に近いとされていたそうでございまして、とは言うものの、平家の人じゃ征夷大将軍にはなれないとか、色々あったようでございますな なので、家康殿は源氏を名乗ったのかもしれませんな?といっても、色々でございましょうが・・・ このとき活躍した藤原の秀郷さん、ムカデ退治で有名な『田原の藤太』さんのことでございますよ♪て、ムカデ退治って・・・ ウチのご先祖様は、大江山の鬼に、ヌエ、同じ架空のバケモノでも『ばりえーしょん♪』、豊富でございますがな確かに、ムカデも厄介なやつではございますが・・・ 『田原の藤太』さんのご子孫の方、お気を悪くなさったら、申し訳ない!・・・・冗談でござるよ♪ 冗談♪ と、まぁ、今日は取り留めのないコワい話など・・・ 肝試しにはちと早うございましたかな? 今宵もよい夢を・・・ それでは、又♪
2015年05月02日
コメント(0)
さて今日の四方山話は・・・ 5月になりましたな♪FB友達のさるお方によりますと、今日は扇の日なんだそうですな♪ 私などは、風雅な恋扇の扱いなどは存じませず、扇と言えば、それでも大層な昔、源平のみぎり、那須与一の扇の的の一件をすぐに思い浮かべるくらいでございますな♪ いくら翁とは申せ、実際に見たはずはなく、物語として知っているだけでございますよ(笑)と申しますのも、私の家から自動車で さぁ~、10分ほどでございますかな? 小さいながら那須与一をお祭した神社もありますのでね♪どんな縁があったかは存じませんが、幼いころなどは『ナスビ』の神様か?などと思っていたものでございますよ♪ この那須与一、源氏の弓の名手であったようでございますが、当地とはあまり深いご縁でもなさそうな気配でございますな時の源氏の大将は、悲劇のヒーロー、源義経(みなもとのよしつね)様、そのご家来で結構最期のほうまでお供した御家来の1人なのでございますが『鷲尾三郎(わしをのさぶろう)』と言うお方がいらしたそうですが、この方は、丹波の篠山の出と言う伝説もございますよ これまた、いつもの通り、真偽は不確か!ただ、鷲尾と言う地名は残っておりますから、全くの作り話ではございませんでしょう♪ 現在の篠山の街中は、意外と歴史が浅うございましてな、城下の街中は徳川の世になってから出来たのでございますが周囲を囲む村落などは、もっとず~っと古くからいろんな歴史を持っていたのでございますよ♪ 古くは、継体天皇様が、御身のご安全のため丹波へ一時、身を隠された事や、中世応仁の乱のころ、戦場になった地名が合戦場(かせんば=訛っています)として残っていたり、近代では明治維新時、長州の志士の連絡街道の途中にあったことから、宿泊の事跡、記念品などわりと残っていたりしますな♪ 創業江戸時代などは、まだまだ若い家♪(失礼・・・) それと言うのも、割とよく聞きますのが、宇多、村上、清和などの各源氏の諸流の末裔を名乗るお家が多かったり、菅原道真公の後裔のお家も多いようでございますな♪今時は、何の自慢にもなり申しませんが、徳川殿の世には当地は青山家6万石の所領でございましたが、青山家の侍でもない一般民衆が、普通に苗字を持っていたり、自宅には、刀、弓、槍などが残っていたりしておりましたものでございますよ♪ (まぁ、もっとも、時代の流れであったり、大東亜戦争の鉄供出のあおりで随分逸失してはありますが・・・) 学校などの教科書などでは、名字帯刀などと教えてもらいますし、公式に苗字を名乗る事は許されなかった!などと申しますでしょ? 罰にそのような事で、紛争になった顛末などは教えてもらっておりませんよ♪ちょっと、面白いことではございませんかな? 私は郷土史家のジジィじゃありませんのでな♪ おとぎ話の語り部なのでございますが・・・ちょっと面白い話などあればつぶやきたく存じます すこし、カエルが啼きつかれて来たようですな♪ 少々、カエルの声が静かになってまいりました 今宵もよい夢をご覧じませ♪ ではまた・・・
2015年05月01日
コメント(0)
さて、記念すべき第1回のここでの夜話は・・・そうですな♪昨日は先帝陛下、昭和天皇様のお誕生日でございましたな♪ 当今の天皇様も、昭和の帝もず~っと続く神武天皇様からのご血脈、神武天皇様から数え申し上げて124代目が昭和天皇様でございます そのご先祖様、神武天皇様は東征 つまり、日本統一のため東へ、東へと向かわれたんでございますが、これを大和の橿原まで道案内申しましたのが、八咫烏(やたがらす)というカラスだったそうでございますな この、烏(がらす)と言う鳥は高皇産霊尊の曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であったらしく、また、熊野大神(素盞鳴尊)様に仕える存在とされていたそうでもございます 古代の神様も子孫はかわいいらしく、神様一同、親族総出の大応援!だったのでございましょうかな?『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされるため八咫烏(やたがらす)と金鵄(金色のとんび)が良くごっちゃにされたこともあった由、先の大戦までは、日本の軍隊で目覚しい働きをなさった軍人に下賜された勲章にも金鵄勲章なるものがあったそうでもございますな♪ いわんや、先の大戦で日本は敗戦の憂き目にも会い、昭和天皇様の御苦悩もいかばかりであったでございましょうや?その中から、昭和天皇様は現人神から人間天皇へとお変わりなされ、よくぞここまで復興の道筋をお付けあそばしたのは、どの帝に比べても決して引けをとるものではございますまい♪ 時の世は、民主主義となり、選挙で選ばれた人たちに政権が委ねられるようになりましたが、ある一部の方々にとっては、今も尚、天皇様はとても尊い、特別な御存在、ある意味、今でも現人神でおわしますかもしれませんな♪ もう薨去あそばして、ずいぶん経ちましたが、今はそのお誕生日が『昭和の日』となって記念されているのは、喜ばしい事でございませんかな? 普段は、いい加減な話も多うございましょうが、 そこはそれ、お話が、神様とご皇室の事、滅多な口を利くわけにも参りません それだけはご容赦くだされたく・・・まず、第一夜は、これにてお開き♪ よい夢をご覧うじなされませ♪
2015年04月30日
コメント(0)
こちらでは、お久しぶりですね♪ FBでご案内の通り、民話や、私が昔聞いたお話などをこちらで公開したいと思います史実も多少ありますし、単なる昔のお話などもたくさんありますが、友人から夕べ背中を押してもらいこちらを再会する事にいたしました 大人のむかしばなしと言う事ではありますが、エロチックな話ではありません(たぶん・・・)語り口を昔のような感じにしただけのものです 誤字、文節の拙さは、お許しいただきたく存じますまぁ、お気軽に戯言の一種とお考え頂いて、ご興味があればまたご覧下さい
2015年04月30日
コメント(0)
雨台風?よく雨が降っていマス! 急に蒸し暑くなりマシタね~? 木々は、風にゆれなびき、若い稲穂が吹きすさぶ風に翻弄されていマス!雨は、地を叩き、風は、野山を・・・・ サルよけの機械でしょうか? パンパンと、爆音が響き渡るのみデス
2014年07月10日
コメント(0)
急に蒸し暑くなりマシタ♪暑いのは、平気なんデスが、じめ~っ!はキライデスね~! まぁ、お野菜には、とても必要な時期なんでしょうけど・・・ 老親が作った、野菜を収穫したものデス♪ なにげに、べじたりあん~♪夏野菜は、これからが本番デス♪
2014年07月09日
コメント(0)
つーか? 台風が近いんデスよね~♪ たいしたことがないといいんデスが・・・ニュースで、過去最強?とか言ってマシタね~♪ んでね?昨日、病院へいつもの検査に行って、調子がよくないっ! ってフェイスブックでしゃべったら、まぁ~タクサンのメッセージ! ありがたいことデス!たいしたこと、ありマセンよ~♪ 先日、師の告別式に参加して、ちょっとナーバスになってたんデスね~♪ご病気だったんデスけど、あの頑丈で、強くて、激しいところもあり、そのくせ人間臭く、人情味の暑い師が突然、逝っておしまいになって、早すぎるお別れにショックを受けてたんデスね! それは、ワタシが個人的に受け入れる器量がなかったのデスがいい折だから、てきとーな人生観とゆーか? 死生観とゆーか?を くっちゃべってみようかな? なんて思いマシタのん♪ まぁ、えらそーなことは何もないんデスけどよくよく考えてみたら、ワタシは、ちょっとニブイというか?ズレてる?ところがありいわゆる、『コダワリ』というものになぜか?、取り付かれることがないんデスね♪ わりと、ショッキングなことがあっても『まぁ、しゃ~ない!』的なことが良くありマスお料理のこと一つとっても、○○にこだわりぬいてあ~たら、こ~たら!はあまりなくって 材料を吟味するのも、手をかけるのも、『とうぜん!』とか『当たり前!』の感覚なんデスね♪んで、長年のお付き合いのあった方!(まぁ、年長が多いデスけど)がお亡くなりになった時にも年相応に、遭遇してきマシタ! まぁ、悲しいと言えば悲しいし、寂しいと言えば寂しいのデスが昨年亡くなった、アベのおんじぃ!という長老が、晩年 こういうことをワタシに言いマシタ!『かつて、今はもう大昔といっても良いかも知れん! おまい!の産まれるずっと昔、大きな戦があった!(大東亜戦争の事) ワシも、まだ若く、血気盛んなころ、近衛連隊の歩兵准尉として 天子様におつかえしていたころの事じゃ!!!』キター!『これは、イケませんよ~! 始まってしまいマシタがな~』(bY ワタシ・・・若かったデスから)じ『黙って聞けっ! そのころのほうばい(友達の事らしいデス?)は沢山戦死した! 生き残ったものも、親兄弟も、もうほとんどあの世とやらへ逝った そうなると、ワシ自身も、別に死ぬ事は、何も怖くなくなった! 順番からいうと、年がいった者から死んでいくのが順序じゃ わしの晩が来たら、あの世で、先に死んだものたちと、一緒に 昔話で、イッパイやるんじゃ♪ そう思うと、楽しみじゃワイ! わははは~』と、いい加減酔っ払って言った事がありマス死生観など、軽々しく口にするものではありマセンが! これに結構、影響を受けたのは、事実デス!ネットの上で、よく『感謝』という言葉(文字含む)を見受けマス 良い言葉デス とても美しい!!!!って?ちょっと待てよ??? そんなに、頻繁に出ないと、感謝できないもんかな???日本の国人は、自分の子弟にこんな事も教えられない人たちなのかなぁ??? んなことはないでしょう? 誰かに良くして貰ったら『ありがとう』って言うじゃないデスか? ご飯の前には、『いただきます』ご飯が済んだら『ごちそうさま』っていうでしょ?特に『いただきます』と、『ごちそうさま』は、多くの外国の言葉には、該当する言葉が無いそうなんデス! これ、感謝の言葉じゃないデスか?つまりこれが、ワタシの死生観! つまり、当たり前のことが、身に染み込んでるのが感謝と言うもので、わざわざ、意識的に行う行為ではない事! おかしいデスか?あの~! 天皇様に手紙を直接渡したバカもの!が居たり、議会でせくはら!ヤジを飛ばしたり飛ばされたり・・・・ 号泣し会見したり、いろんなのが、、いマスね~?そりゃ、いろいろあるでしょうよ! ワタシには、みんなまとめて『おかしいヤツ!』、『異常なヤツ!』としか映らんのデスわ!たぶん、目に見えるものや、現実的なことしか、理解できないんでしょう? 特に、天皇陛下と呼ばれる『あきつみかみ』にはワタシ達の先祖から、先輩たちまで、沢山の防人がお守りしているし、 ワタシも、その順番が来たら、護国の鬼となって、先祖先達に従い馳せ参じることになるでしょうよ♪ それが当然と、思っているのデスから、それはそれでいいんじゃないでしょうか? ワタシ!右のひと? どう思われてもいいデスよ♪決して、人に考えを押し付けたり、公の場でしゃべったりしマセンから・・・ おかしいヤツって、変に思われたりするのイヤですもん! 死んだら終わり!じゃなくって、死んでからも、お勤めがある!って励みになりマスやん?ましてや、向こうの世界には、先に逝った先祖や、長老たち! 妻子も待ってるんデスから・・・ って、これ単なる死生観のハナシ!デスよ♪ ただ~し!○○くん!その他、大御心を煩わし、同胞を惑わす不逞の輩! 先人の英霊たちとともに討伐してやるから、征伐退治を受ける事を覚悟しておきなさいっ! 良くも悪くも、その時はくるのだから・・・・
2014年07月08日
コメント(0)
今日も重苦しい、空模様デス♪ こういう日は、気分まで重く、鬱々として楽しめない気候デス! なんというか? 自分がうつ病に掛かったみたいでぐで~!っとしていマス♪ あまり、沈んでいてはいけないのデスが、なにか?先日から、気分が沈むことがあり、まだ引きずっていマス! いつもなら、『ご陽気に~♪♪♪』となるんデスけど、今日はそういう気にもならないんデスね~♪ それはそうと! 先日、長いこと会わなかった後輩クンのワダタイチ』くんと師のご葬儀で出会いマシタ!かつて、中学生だった彼の君も、いい大人に! 聞くと!!! 調理の道に入り、お店も構えてるそうデス! 赤いほっぺのあどけない中学生だったので、いつの間にか大人になってケンちゃん!という、他の後輩クンが 『せんぱい! これ、タイチ! タイチ!』と言うのデスが、実感がわかなかったデス! 思わず出たワタシのセリフ! 『ナニ? タイチ???』 見れば、面影はしっかりあり! 『タイチか? 大きくなって~???』当たり前デスよね~?どっちか?って言うと 居酒屋さんみたいな感じデシタけど、『漁火の郷 きらら』っていうんだそうデス 名刺を交換しマシタが、兵庫県宝塚市にお住まいの方は よろしければ、ご贔屓にしてやってくださいマセっ! いつか? 体調が良くなったら、お祝いのお酒を抱えて 兄弟子の先輩方か、兄弟弟子の井上くん、森本くんと訪ねたいなぁ~!と思っていマス! 適うかどうか?わかりマセンけど・・・・
2014年07月06日
コメント(0)
どんより~♪ 緑の木々や花が、活き活きしていマス♪ 今日、ワタシの村では、『湯立て』という夏祭りのよ~な神事がありマス朝から、年寄りが言ってマスが、ジミなことになってきておりマス♪ 昔も、派手な神事が行われていたわけではないのデスが、悲しいかな?過疎の村なので、縮小ばかりデス♪ まぁ~、せっかくの土曜日なので、のんびり過ごしましょう♪
2014年07月05日
コメント(0)
きょーの丹波はっ! とは、今日は言いマセン!それほど、特別な日だったのデス!今日は、ちょっと素にもどって!!! 私の学校時代!(報徳学園高校)の剣道部の恩師濱田隆義先生が、お亡くなりになり、今日が、告別式だったので、行ってきました 今を去ること、35年前ご縁が合って、入学を許された私は地元の剣道の先生の『剣道でもして、鍛えてもらえ!』と言われるがままに、濱田先生の門を叩きました そのとき、濱田先生は、『篠山の先生は、ワシも教えてもらったここの最初の部長の先生じゃ! お前は、田舎の奥から出てきて、右も左も分からんままにここに来た!今日から、わしを親と思い、先輩たちを兄、中学生たちや、これから出来る後輩たちを弟と思い いろんなことを、勉強するんじゃ!』と、いうお言葉をいただきました それから、私の学園生活が始まり、それこそ!先輩たちから、挨拶の仕方、団体行動師父たる先生から、箸の上げ下げ、大きな共同浴場に入る時のマナー 言葉使い!などなど・・・・ いろいろなことを教えていただきましたそのほかに、先生がしておられた剣道教室のお手伝い 小さい子供のお世話、中学生の面倒など・・・ まぁ~、内弟子みたいなもんですが、何一つ満足に出来たコトはありません それでも、ずっとご薫陶を頂き 学園生活を遅らせていただきました私は、数学と言うものが、大の苦手!でよく悪い成績をとって、後ろの太ももを 竹のムチみたいな棒で、お仕置きされたものです別に、体罰じゃありませんよ!!!!! お仕置きです! てか、モロに呆れておられましたが・・・ そのなかで、たくさんの兄弟たちと、叱られたり、泣いたり、その何倍も笑ったりそのころ中学生だったり、後から入ってきて後輩となったりした諸君も、 今では、りっぱな社会人です喪主を勤められた、ご長男は、私が在学していたころまだほんの坊やでしたが すっかり大きくなっておられて、立派にお勤めを果たしておられました 私が病気をして、『ちょっと、マズイぞ~ 覚悟が要るなぁ!』と観念して無用な心配をかけるのがイヤで、師父にも、兄弟たちにも、ワザと連絡を絶ちました そして、事業からも、剣道修行からも、身を引いたのです そして、地元の先生や、大先生、妻子が待つ向こうの世界で、皆と一緒にゆっくりと濱田先生がおこしになるのをお待ちすることに決めたのですが、二人の兄弟弟子(先輩、後輩)から知らせを受けた私は、居ても立ってもいられず!とるものもとりあえず、告別式に行って来たのです 同期生の『こーちゃん(井上くん)には、『同期に位、くわしく報せて置け! なんども、訪ねて行ったんやどっ!』と、叱られましたけども、(すまん!)・・・・ 恩師にも、兄弟たちにも、心配かけたくなったんだよ~!なにせ、一番しちゃいけない! 『親や、師よりも早く死ぬかも!知れない』っていう不孝を平気で覚悟!出来るほど、オレは人間ができて居ないのでね? 許せ!こ~ちゃん! 仕方がないから、先生には、 『後になりますが、もうすぐ行くかも分かりません! いったら、不孝を必ずお詫びします』って、ご霊前にお誓いするしか出来ないですから、そうしておきましたけど・・・たばこを、くゆらせながらの御小言や、目じりにしわを寄せて楽しそうに笑われる笑顔も、 なにもかもが、み~んな懐かしい! あまたの兄弟子たる先輩方、後輩クンたちの中でも、ひときわできの悪い!手のかかる弟子だった私が、何も恩返しできないうちに、身罷られた濱田先生のご冥福を祈りましょう そして、お許しください!との気持ちもこめて ありがとうございました 安らかにおやすみください 合掌!
2014年07月04日
コメント(0)
小雨が、しびしび~♪雨の中の花は、アジサイがきれいデスが、 ↑ばら♪ピンクの花が、雨に映えてとてもきれいデス♪ 写真はヘタクソなんデスが、本物の花はきれいデスよ~♪ 雨なのに、小鳥の声が聞こえて、電線にはツバメがたくさん止まっていマシタ! ん~っ! とても静かデス♪
2014年07月03日
コメント(0)
ふと、気付くと暑さが違いマス♪日差しが強いんデスね~♪ ジツは、昨日から、エライことになっておりまして、サルの集団、約40匹がワタシの村に来襲してきており、作物に被害が出てきておりマス! こ~なりマス↓ これはスイカ!デス近所では、かぼちゃ、ナスビ、きゅうり、黒豆の苗、じゃがいもなど軒並みやられていマス! ゆうべ、緊急の集会が合ったようなんデスが、何も出来ないでしょー!だってね! すばしこい!、ヘンに知恵が回る! 凶暴! んで、『駆除できない!(殺しちゃだめ!)』ってんデスから、そりゃ~手が打てないですわなぁ~?動物用の花火を『ぱんぱん!』やるのが関の山!でしょうが、そんなんすぐになれちゃいマスよ~ (だって、経験上知ってるんデスもん!) ワタシには、何も言われマセンが、ウチのば~様に昨日言われた時には『まぁ、何も出来んわ! ど~しても!と言うならやってあげんこともないけど ちょっと道具がいるねん! 89式 1丁と弾200発ぐらい、どっかでつもりしてきてちょーだい!』と答えておきマシタッ! 意味の分かる人は、ちょっと引いててくださいマセっ!とっても危険デスからっ! まぁ~こんなん出来ることじゃ~ありマセン! てか?判ってて言ってマスので・・・・
2014年07月02日
コメント(0)
今日はいいお天気デス♪ 煙ってるようにも見えるんデスが、よく晴れてるんデスね♪何の意味もありマセンが、『ゴイサギ』 アオサギって、別の鳥でしたっけ??? 前の田んぼにいマシタ!(映りが悪いっ! スミマセン) もう7月! 夏が来マス♪まだ暑くはありマセンが、夏らしくなるのは、気持ちがいいのデス♪ ワタシのうちは、高いところの村なので、割とからっ!としてるんだよ~ん♪
2014年07月01日
コメント(0)
昨日、日中に強めの雨が降り、今日はその雨も上がりマシタ♪昨日↓今日↓ ワタシは、雨がキライではありマセン♪ジメジメは、イヤなんデスけど・・・ とか何とか言ってると、もう6月30日! 6月も終わりデスね~ ふと、考えたら、死んだば~様(祖母)の誕生日!別に、特別なことでもないなぁ~? つーか、それもあったなぁ~? って感じ! なんだろう???? 何十年も会ってないけど、小学校と中学校の時の同級生(おさななじみ?と言ってもいいのか?)の誕生日♪なぜ、突然思い出したんだろう??? というか?、ワタシが中学校を卒業して以来、1度か、2度会っただけなのに・・・んで、そんなこと思い出すほどの縁が強かったわけでもないんデスよね~ まぁ~早くにご結婚されて、遠くにいるはずなんデスが・・・・ 元気デスかね???まぁ~、ふと昔話程度かなぁ~♪ ま、思い出話は、年寄りがすること!デスわ♪ もう、別にカネも、名誉も、女性にも強い欲求があるわけでもありマセンし、静かなな療養の暮らしデス♪ 好きな料理を作り、気心の知れた友人と夜話♪ 気に入らないことは仕事でもやりマセン!穏やかで、厳しい丹波の自然に包まれて、じっくりとすごして生きましょう♪ もはや、ギラギラしたり、生臭いコトには、飽きマシタしね♪
2014年06月30日
コメント(0)
まぁ~、なんというか? 日本国中『日曜日』なんデスが~昨日は、一日中『むねやけ』で気持ちが悪く・・・ たいしたコトはしなかったのデスんでも、今日は、朝から天気もまぁまぁで、『寝込んじゃうと、寝付いちゃう!』のがイヤで、起きておりマス♪ 外はまずまずのお天気♪ んでね、別に色恋のハナシじゃーないんデスけど お食事と女性のおはなし♪男子厨房に入らず!とかいいながら ワタシが修行に入ったころまでや、まぁ今でも名残はあるようなんデスが料理人といわれる中で、『板場』とか『板前』といわれる世界は圧倒的に、男社会だったんデスね! デスが、おウチの中でのお食事の準備は絶対的にお母さんをはじめ、家族の女性のお仕事が多いでしょ? そのヒミツは、家庭でしか出来ない『お袋の味』にあると思いマス!まぁ、共稼ぎのおウチも多いでしょうから、おばあちゃんの味や、お姉さんの味もそのうちに入るんでしょうけど・・・・ ワタシは、その中でも『おみそ汁』が、とても大事だと思いマス!昔のワタシのところでは、ダシじゃこでダシをとって、採れたお野菜を具にふんだんに使ったお味噌汁が多かったデスね~♪ これは、家庭で作るものなので、商売に使うものとは、根本的に違うのデス♪ジャガイモであったり、カボチャだあったり、玉ねぎだったり とても具が多かったように思いマス! まぁ、農家のことデスから、野菜が多くておかずにもなるようにしてたんでしょう?商売用のは、かつおや昆布からダシをひき、風味を良くして主菜を引き立つように作りマス! なので、具はさほど多くは使いマセン! むしろ、おダシやお味噌にこだわりマス! おウチで作る時のお味噌汁は、栄養や、季節にこだわって作ると家族のいい『思い出の味』になると思いマスよ♪ それが証拠に、80近くなったうちのジー様も何か言うと、 『じゃがいもとか、玉ねぎでいいから、味噌汁を作ってくれっ!』とかヌカシやがって!おられマスもん(WWW)
2014年06月29日
コメント(0)
まぁ、梅雨らしいちゃ~梅雨らしい曇り空♪雨は降ってないんですが、少々どんよ~り♪ あまりに、アホらしい挑戦!どれだけ、少ない量の油でかきあげを美味しく作れるか? 素材は、チクワ、たまねぎ、人参、梅酢ショウガ そもそも、てんぷらは、火力による、素材の水分と脂分の交換を利用した料理なので、温度の維持と、適切な揚げ油の量は、絶対必要なもの! んで、やってみましたがな♪ そ~したら、揚げ油の量が少なすぎたのか?べと~!として、 からっ!と揚がらない! やはり、基本は、守らないとイケませんね~!で、急遽! 天紙で、できるだけ、余分な油を取って 水炊きのシメに使ってる、冷凍うどんを引っ張り出しかきあげのてんぷらうどん♪ てんぷらがあまり美味しくない!以上! やる以上は、美味しくつくる!やっぱり、これに限りますワ~♪
2014年06月28日
コメント(0)
うっとおしいデスね~雨は降っていマセンが、どんより厚い雲が覆っていマス! アジサイがほしいところデスが、今、ワタシの所にはいいアジサイがないんデスね~なので、現実的なトコで 梅の収穫! 野菜が少し♪ まぁ~、季節に応じて色んなものがあるっ!ちゅえばあるんデス♪でも、梅雨時期は、結構ヒマな時期なので、のんびりはしてマスけど・・・ あの~、なんちゅうか? 和服の女性の姿ってとてもいいデスね~♪FBで、着物姿の女性のお友達が出来たんですワ~ 嬉しい♪♪♪
2014年06月27日
コメント(0)
少し暑い目デス♪ラズベリーがなっていマス 色づいてるのは、少ないデスが、未熟なのはたくさんありマス 今日は、少し気鬱なので、落ち着いて過ごしましょう 花でも眺めマスかね?
2014年06月26日
コメント(0)
空梅雨の水曜日♪晴れ渡った空♪ なんかおかしいな?と思ったら収穫したピーマンを出荷するつもりのようデス 袋詰めしてマシタわ~♪まぁ、年寄りが趣味でやってることデスしね♪あまりたくさんは出来ないでしょうけれど・・・ 気持ちの良い気候です♪
2014年06月25日
コメント(0)
昨日は、心配事があったので、日記を書くのを飛ばしてしまいマシタ!今日は、気を取り直して じーさまが、ピーマンを初収穫デス!赤ジソが茂り、アサガオが2つ花をつけマシタ♪今年は、空梅雨デスね~♪
2014年06月24日
コメント(0)
外は雨も上がり、ナンテンに雨のしずくが・・・ まぁ、なんてことない日曜日なんデスが、少し薄暗いイメージなんデスね~夕べ、夜遅く、電気を消してTVのタイマーをおん!にして寝る体制で のんびりテレビを見てたんですすると、やけに明るい光♪ そう!蛍火デス♪ すりガラスの向こうなので、直に見るより明るく感じマシタ♪一匹だけだったようデス♪ 幻想的な雰囲気デシタよ~♪つーか? 最近お料理のこと書いてマセンね~? 簡単なトコで、ワタシは、とり屋デスので、鶏肉をぱりっ!とジューシーに焼くには、・・・まぁ~フライパンでやりましょー♪ 鶏肉は、モモ肉が美味しいデス♪肉の側に、フォークでとんとんとん♪と、穴を開け味と火が入りやすくしマス♪ 塩コショウを振って、5分くらい置くと味が良く入りマス♪んで、皮からフライパンに油を引かずに焼いていきマス (鳥は、皮から 魚は身から 焼くのが原則デス♪)油は、鶏から出てきマスので、気にしなくてもOK! 熱のとおりが心配なら、実を開いて暑さを均等にしましょう♪ 簡単に言うとこれで、ぱりっ!とした焼きが出来マスが、照り焼きにしたほうが、好まれることが多いので、砂糖、醤油、みりんとしょうがを少しすったものを入れたら照り焼きチキンが出来マス♪ 照りは皮に、味は身に入れるように考えればいいんデスね~♪そのまま食べてもいいデスし、もう一度お料理に使ってもいいデス♪ ワタシの場合、お寿司に使うのがすきデスね~♪ちょっと硬くなるので、押し寿司にはあまり使いマセン♪ バラ寿司や、散らし寿司デス♪押し寿司にも別段、悪いわけではありマセン! 愛称は、梅酢ショウガがぴったり♪デス!薬味は、山椒の佃煮や、刻んだアオジソがあいマスね~♪ 簡単デスので、お試しあれ~♪
2014年06月22日
コメント(0)
暑くも無く、寒くもない土曜日デス♪となりのおねーさんが、旦那さんと朝から帰省♪ 畑でお二人でえっさっさ♪ ちょっとおしゃべり♪その中で、亡くなった隣のおっちゃん!『ミツノブさん』が、ワタシと同じ病気で亡くなったのを思い出しマシタ このおっちゃん!が娘であるおねーさんを置いといて、ワタシを始めて甲子園に連れて行ってくれたヒトなんデス♪ もう30年も前のことデスが・・・その時、はじめて『ホットドッグ』とゆーものを食べて、野球を実際に見た最初の出来事デシタ! こんなウマイものがある!とか、すげー逆転劇を見て驚いた!とかいっぱい♪今は東大阪で暮らしておられるんデスが、このおねーさん! 『もう、孫もいるのよ~♪』だとか? 不思議でもなんでもないんデスが、実感がわかないのデス♪んで、前の田んぼの様子を見に来た『ユタカさん』が、 『サルが来とる! タクちゃんなんか、黒豆の苗をみんな食われたっ!(怒)』とか言ってマシタ! いろんなのがいマスので、サルもとーぜんいるんデスが・・・なんにせよ、穏やかな、にぎやかな、今日の近所デス♪
2014年06月21日
コメント(0)
今日の丹波は、とてもいいお天気デス♪ケータイの支払いにローソンまで♪ いきがけに、ふとウチのミカンの木を見ると 実が大きくなってるじゃ~ありマセンか? OK! OK! OK!摘果も何もしないんデスが、ちゃ~んと黄色い実が毎年付いてマスよん♪ 体には良くないんだけど、タバコをいっぷく♪しばらくぶりじゃ~♪ じ~さまが『ヤマドリ病院』ちゅー診療所で、ワタシが小学生のころの担任のみすず先生!にであったそうデス! ワタシに『24の瞳』という本を教えてくれた女性の先生デスが、この先生、今はご実家のお寺のお勤めをなさっておられ、タバコの害をこんこんといまだにワタシにお説教してくださる方デス! 『わかっちゃいるけど、ヤメられない~♪』のデスが・・・デキの悪い生徒ほど良く覚えておいでだとか?(ワタシのこと????) んでね♪ この先生のことはいまだに接点もあるんデスが、このハナシじゃなくって少し前、出雲の千家さんと高円宮殿下の姫宮様の典子女王殿下のご婚約の報道があったでしょ? あの、ご父君の高円宮殿下の御家を通じ、昭和のみかど!にまだ若かったワタシの父が丹波マツタケを献上したことがあったんデス! そんな名家でもない私のうちが、『ほいっ!』と、献上できる訳も無く、当時の東宮殿下、今の天子様のお歌を指導?なさっておられた知人からの依頼からだそうデスが、 当時、ワタシは、22~23歳じゃなかったのかなぁ???? なぜこんな話を今するか?というと、タバコなんデスね~♪このとき、この知人の方から 『美味しいとのお言葉がありました! これは、特別にお下賜賜ったものです!』と、タバコを2箱!!!!!!! 表には『菊の御門』が印刷?されたグレーの色をしたタバコ!デシタその内のひとつを、ワタシが分けてもらったことがあるんデス! タバコ一本一本に菊の御門がはいってマシタ! それを、当時まだ健在だった長老たちと分け合っていただきマシタ!年寄りに可愛がられてたワタシがそうするだろう?というオヤジ殿の考えだったようデスが・・・ 1人の長老が、腰を抜かさんばかりに驚いて『これは・・・・、恩賜の煙草というものじゃ! 云々』と、教えてくれたのデス! めったに拝領できるようなものではなく、『ん~!味はマイルドセブンやなぁ~♪』と、率直な感想を漏らしたところ じー様たちが烈火のごとく怒り出し、『無礼ものっ! じゅ-さつじゃ~! ブシノナサケ、切腹じゃ~!』と、騒ぎ出したんデス! こんな、長老たちもみんな鬼籍に入り、昭和の御世は遠くなりマシタ!いいお天気の中で、ぼんやりと、遠い昔の生き字引のことなど一服の煙草を楽しみながら午後のひと時を・・・
2014年06月20日
コメント(0)
よく晴れた水曜日♪ 鳥のさえずりが聞こえるのみ♪特別なことも無く、変わったこともなく、それでも季節だけは静かに過ぎてゆく♪ 窮地の知人を、FACEBOOKで訪ね、静かに過ごしておりマス♪今日は、風の声も無く、川のせせらぎも聞こえマセン! 今日は、お料理もしないでいいので、ゆっくりとすごしましょー♪ 少ししか飲めないコーヒーもとても美味しい♪ インスタント!デスけど・・・早く回復して、フライパンを思うように振りたいなぁ~ 昨日、姪っ子に作ってやった『オムライス』も、焼くのに失敗してるし・・・手首がうまく返らないんだよなぁ~ 言い訳にしかならないことは分かってる!んだけど、くやしいなぁ~ 厄介だわ! 脳梗塞の後遺症!!!!
2014年06月19日
コメント(0)
今日の丹波には、霧雨が煙り、しっとりとした風情の中に白い花が一輪♪ 物悲しいような雰囲気の中での静寂を楽しんでいマス♪ ウチのば~さまから『モモ(姪っ子、妹の下の娘)の誕生日が近いのんで、モモのそ好きなオムライスを作ってやってくれんかのぅ?』とか、言い出しマシタっ! だから~ アタシは板場さんで、コックさんじゃ~ないっちゅーの!お料理なら何でも出来ると思うなっ! (カッコだけならオムライスも出来るけど・・・) 洋食のシェフとは、板場ではなんでも明らかな違いが出マスがなっ!その逆もおなじっ! まぁ~、姪は可愛いので作ってやるくらいは作ってやりマスけど・・・その~なんデスね~娘はいマセンので、完全に伯父バカ!をやってマス♪ ん? 上の姪のユメのときは、『おじちゃん! お寿司♪』だったんじゃ~なかったっけ??? 差があるよ~な???お寿司にしたって、寿司職人にはかないマセンがね♪JKとJCの違い!ってことで・・・ お料理なら何でも出来ると錯覚してるのでしょー?ちょっと困ると、すぐワタシに作ってくれとは!(とほほ・・・) じぃじ!とばぁば!が作ったお野菜を使い、ワタシの鶏肉で美味しいオムライスを作ってやりましょー♪ おばん! え~かげんにわかれよっ!何年、親子やってるんじゃっ! つーワケで、これから、」えんどう豆でグリーンピースを作りマス♪
2014年06月18日
コメント(0)
え~っとね♪ 朝顔が咲いてマシタ♪ ちいちゃいんデスよ♪夏の花デスから、あっぷ♪ 昨日、ふと思い出した昔お世話になったおねーさんの話デシタが、別に思い出話だけをしたいわけじゃ~ありマセン♪ もうお1人、いらしたんデス! イノウエさん♪まぁ~、お二人とも、異性であるにもかかわらず、明け透けに何でもおしゃべりが出来る、いいおねーさん!で、魅力的な人が一杯いて、モチロン男性の人もデスが・・・だんでぃ~な タムラさん、ラガーマンのイシモトさん、七三分けのフジノさん、一個年上のマエノさん! なんて、魅力的な人たちに囲まれて、若い時を過ごすことができたってコト!を、懐かしく思い出したのは、事実なんデスが・・・ 田舎に引っ込んで、皆さんとも連絡もしなくなって、早、30年あまり・・・ときどき、思い出してしまうんデス♪ んっと! 今日は、その話じゃ~なくって、朝から、用事で少し出かけていたんデスが、車で帰ってきたら 母親がいるはずの畑に向かう道の側溝の上に、茶色いカタマリが一つ・・・ 木の根っこかなぁ? んなもん、置いたっけ? と思っているうちになにやら、動いてるんデスね! そう! サル! ワタシんとこらには、居なかったハズなんデスが、いつの間にか出没!これ困るんデスよ~♪ ヘンに賢い上に、すばしっこい! オマケに撃ち殺しちゃいけない!つーんだから・・・殺しちゃえばいい!とは、思いマセンが、アライグマや野うさぎはまだ可愛いデスが えてこー!は可愛くない!!!!どーしましょ??? 農作物に被害が出る前に、何か自衛策を考えないといけマセンっ!あ‘~エラいこっちゃ!(困)
2014年06月17日
コメント(0)
きょーは、朝からサッカーの報道!コートジボワール! アフリカの国デスよね~? あふりか!といえば、黒い肌の人たちの国!んで、思い出した、とっても恥ずかしい思い出を・・・ 数十年も前! ワタシは、神戸のある会社にお勤めを始めて、半年くらいのころ!その会社には、さっぱりとした気性で、ワタシが大好きになった2人のおねーさん!がいマシタ!お1人は、、窓口にいたイノウエさん! もうお1人は、おねーさん!と呼んでいたオノウエさん! そのオノウエさんと、話をしたときのこと!世間のことをたくさん教えてもらいマシタ!が、(シチュエーションは覚えていマセン!) 黒人さんが来たんかな?ワタシ(以下ワ)『やっぱり、黒人さんって色黒いんや~♪』オノウエさん(以下お)『それは、そうやん♪ だから黒人っていうんよ♪』 (ワタシは、黒人さんは、アフリカにいる!→アフリカは暑い!=太陽がぎらぎら!→日焼けする→色が黒くなる!と、思う込んでいマシタので、日本にいればそんなに色が黒くないと思い込んでマシタ!)ワ『ここ、日本デスよ~? なんで、色が黒いのん?????』お『あのな~! あの人たちは元々色が黒いのっ! メラニン色素というもんがあってやな~! あ~だ!こーだ!』ワ『日焼けして、色が黒いんやと思ってた!』お『ちがう~!!! あほっ! なんちゅうことを考えてたんやっ!(呆)』ワ『だって、手のひらとか白いよん♪ ありゃ、あんまり日があたらヘンからとちゃうのん???』お『それは、別っ!・・・・ったく~、それやったら、私たちかて、服着てるからあまり日焼けせ~へんはず 顔や、肌が出てるとこと、服の中で、色の差がでるやろ~!!!』ワ『ん~! そりゃそーや! けど、おねーさんの服の中見たことないよん♪ いっぺん見して~♪』 ぼかっ!(痛ッ!)お『あほっ! 自分のんみとけっ!』ワ『オソレイリマシタっ! も~言いマセン』 と、言うような話だったと思いマス!(恥)サイテーな思い違いデシタ! あれから、約30年以上! ご結婚されて『フジワラさん』となられたおねーさん!お元気でしょーか??? 懐かしく思い出しマス! 大好きデシタよ♪もう、いいお母さんになっておられるでしょうね?
2014年06月16日
コメント(0)
ホンマに梅雨かなぁ~?まずまずのいいお天気♪ お野菜がとかだったり 収穫デス♪少し多めに採ってきていマス♪ まぁ~新じゃが!や新玉ねぎ!は少しおいたほうが味も良くなるので、良いとしましょー♪ こういうところにも、季節を感じマス♪ 良いお野菜は、井戸水で冷やして、塩をつけて食べるだけでも、美味しいものデス♪ワタシは、そんなことはシマセンが・・・・
2014年06月15日
コメント(0)
軒先に、屋根の取り合いに、ツバメが2羽何度も飛んできていマス♪閉じ込められたらかわいそーなので、気がつけば戸を開いて外に出してやりマス! 『巣を作ったら、カナん!』のデスが、元気に飛び回るツバメはカッコいいのデスね~♪夕べ、ふらり!と外に出てみると、ホタルも少し飛び始めていマシタ! カメラを持っていなかったので、写真は撮っていマセンが、初夏の香りが、ふわ~♪っと、してきたようデス! ミカンの木にも、小さい実がついていマス♪ ちょうちょ!が花に・・・ 今日は朝から、前の田んぼの畦の草刈をする『さぁ~ちゃん』の姿もみえていマス♪ 今日も、抒情詩のような里の姿に、何気なく時は流れ、季節の移ろいを感じさせマス♪
2014年06月14日
コメント(0)
今日の丹波は、曇りデス♪昨日の夕方、も~れつな雨が一気に降ったんデスが、すぐに止みマシタ♪ 今日の検査、どうなることか? と心配しマシタが、今朝は、すっかり雨が上がって無事、びょーいんへ行って来マシタ♪ 定期検査なんデスが、いつもながらビビりながら診察を受け、帰ってきたところデス♪ナンテンに小さい花がいっぱい♪ きょーは、去年のアユが余っていたので、一夜干しにしてさっ!とあぶりましょー♪ 『サケのつまみ♪』とかいって喜んでるヤツがいマシタが、華麗にスル~♪ 簡単デスよ♪開いたアユを、日本酒を混ぜた塩水に1時間位つけて、干しただけデス♪ お魚が余ったら、他のお魚でも作れマス♪ 塩水に、サケ、醤油、みりんを加えても、味干しが出来マス♪ハエとかのムシが、付かないようにザルか、ネットで囲っておきましょー♪ 風通しのいいところに、一昼夜くらいで完成♪作れたら、冷凍庫へGO! で、随分日持ちがしマス♪ アジが安い時に、作り置きしておくのも、いいんじゃ~ないでしょーか? フライパンでも、軽く焼けて美味しいデス♪
2014年06月13日
コメント(0)
霧雨煙る、今日の空♪山並みがボヤけていマス♪ これはこれで、い~んデスが、ウチは山際なので、湿気が多くてかないマセン♪この梅雨の時期が終わると、夏! 夏のほうがすごしやすい体質なので、私はラク♪ 夏になれば、アユ♪塩焼きなど、美味しいデスね♪ っと! 新しいアユが出てくる前に、去年のアユを処理しましょー!ということで、せっせ!と鮎を背開きに♪、んで、塩水にGO♪ 漬けたら、しばらく置いて、風通しのよいところに干してマス♪ 夏で、ハエが来るまでに、迅速にネットをかけておき、乾いたら保存しマス♪もうちょっと干しておかなければいけマセン♪ ちょっと、豆知識♪夏には、キュウリが採れますが、徳川さんの時代、武士の人たちは、キュウリを食べなかった! と伝えられていマス♪キュウリの輪切りにした断面が『三つ葉葵』の紋章に似てるからなんデスって! キュウリもみや、漬物などウマイのに不自由なもんデスね~♪ アタシんとこは、関係ナシ! なんデスが、『ホウカベ神社』という通称『ギオンさん』のお祭が夏にありマスが、このお祭に行く時は、キュウリを食べていかなかったのを覚えていマス! 『ギオンさん!が嫌う!』とか死んだば~様が言ってたのを、覚えていマス! 先日、北川景子さんの『みおつくし料理帖』でやってたんで、ふと思い出し・・・好きなんデスわ~ 北川景子さん♪、 結婚する前の黒木メイさんも好きデシタが♪ きれいなヒトデスね~♪女好き? 美人好き? メンクイ? 仕方がないんデスよね~♪ 好きなモンは、好きで♪眺めてる分には、罪が無くていいでしょ? きれいな花と、女性は、眺めてるのが、一番いい!と、思いマス♪(ワタシの弁♪) さて、そろそろホタルがとぶかなぁ~?去年写真を撮るの失敗したしなぁ~♪
2014年06月12日
コメント(0)
今日は、曇り気味の晴れ間デス♪ 少し体調がよかったので、リハビリのつもりで、帯を締め、居合いの刀で少しお稽古を・・・ 何十年も、稽古で使ってる稽古用の居合い刀、使い込んで、鞘なんか塗りがはげていマス!し、もうぼろぼろ!思うとおりに、できるかなぁ~? と、不安! 居合いの刀デスから、刃は付いていマセンが、結構重い!一気にはムリなので、鞘からの抜きつけ!→同時に切り付け! までを・・・・ 人間が一息に、息を呑むまでに一気に『えいっ!』脳梗塞をやってから、左手が少し不自由なので、思うように出来マセン! 本当は、納刃って鞘に刀を入れるまでが初歩なんデスが、左手の親指があまり言うことを聞きマセンので、刀を抜くときに、鍔って言うところを使い 鯉口を切る!っ手動作をしマスが、言うことを聞かない左手では、動きが遅い! =抜いたたら、斬ってる!と、言う状態が作れないんデスね~ 居合い道と違い、仮想敵というものを、作りマセン!その分、優雅さに欠けマスが、より実践的なお稽古デス! これが出来れば、自分の間合いにいる敵?が銃器を持っていても、引き金を引くよりも早く、倒すことが出来るので、別にコワくはないのデス! つ~か? 引き金を引く!という動作が読みきれないとダメなんデスが・・・ま~、イマドキ、鉄砲もって、『おい!こら~、撃つどー!』ってやるバカはあまりいないと、思いマスが、別に斬りあい、殺し合い!がしたいワケじゃ~ありマセンし・・・ あくまでも、リハビリのつもりデスけどね~ こんなん、本気で斬りあい!を想定したら、危なくて仕方がないデスね♪剣道でも、剣術でも、居合い道でも、名人、達人、名手、などがたくさんいマスけど よく出来たヒトほど、おとなしいというか、出来てるというか、無用な戦いをしないもんデス! そういう技術を持ってる!のは、隠すもんデスゎ~♪ワタシにしても、それは同じ! ワタシは、名人でも、達人でもありマセンけど・・・
2014年06月11日
コメント(0)
今日は、肌寒い週末の土曜日デス♪急ぎの用事はありマセン♪ つーか? 忙しいのは、秋から冬デスから、今はのんびりしていマス♪ 山椒の実を、茹でてあくを抜いていマス♪ 緑のきれいな色は飛んでマスが、佃煮やちりめんと炊くつもりなので、『まぁ、いっか?』でやっていマス♪佃煮にしておけば、使い道も多いデスから・・・・ 野ブキとあわせて、フキ山椒♪も美味しいデスし、出し昆布と一緒に炊いて山椒昆布もいいデスね♪ワタシ、割と山椒は、よく使うんデスよ~♪
2014年06月07日
コメント(0)
今日は、小雨模様デス♪本格的な梅雨が近いのかも? しばらくいいお天気が続いたんですケドね~♪ ワタシは、雨降りが嫌いではありマセンが、梅雨はジメジメしていやなんデスね~♪特にアジサイは、奇麗デスしね~♪ 雨のアジサイは、大人の落ち着いた女性の、雰囲気や、たたずまいを連想させてとてもいいものデス♪ ワタシは、派手で鮮やかな、花も好きなんデスが、こういうわびしさや、なんかこーいうふと寂しげな落ち着いた花のほうが好きなんデス♪ まぁ~、この年になって、枯れ始めているオサーン!には、生きた花は見向きもしてくれマセンけど♪ そうは言っても、昔は、色恋の一つや二つはありマシタけど、昔のことデスしね~ 若いころは、イキがって、『粋筋のもんじゃ~! 修行のうちじゃっ! 遊んでこいっ! そやけど、素人には、手を出して、間違いを起こして泣かしたらアカんど~!!!』 とか、アニキたち(調理師の先輩のこと)に言われて、その気になって『きちんと嫁をさがせっ! たまには、素人の娘さんにもチカヅケッ!』と、母親に言われたのも、古いハナシ♪ つーか?『ちゃ~んとデキたら、フラフラするか~?』てなもんデシタけど・・・・その母親(=おばん!と言ってマス!)が、みにょーな事を言い出しマシタっ! どっかで、見てきたか? そそのかされたのか?家の前の田んぼなんデスが『池を掘って、地上げをして果物の木を植えるんじゃ~♪ んで、池に魚を飼うねん♪』なんデスと? 池って、水はどーすんの? つか、ここの田んぼは水気が多いんデスが、掘ったら金気を含んだ水が出マシタがな? (ホントは、今ウチの倉庫というか、物置に使ってるところには、8代くらい前に分家した分家の屋敷(家の敷地)があったんデスね♪ ここには、よい井戸があって、その水脈にあわせて池を掘れば裏山から地下水が押してくるのは分かってるのは、死んだばー様から引き継いだワタシのヒミツ♪) なぜこれを知ってるかと言うと、本家には男系の跡継ぎがいなくて、私の名義にすると死んだ分家のご当主、りょーたろさんが、私の生まれる前に決めていたので、ウチのばー様に伝えていたことの1つなんデス! もう古いハナシで、ワタシんとこも、オヤジの代になり、隠居(分家)も家は、別の系統が継ぎハナシがうやむやになってるんデスけど、水脈のハナシは、ワタシが受け継いでるんデスね~ なので、ポイントを抑えれば真水が湧くのは、おk!果物については、、農事はおばん!のほーがよく知ってるので シラネ♪ まぁ、なった果実を加工というか? 手を入れるのは、ワタシでないとムリでしょーけど♪ったく、何を言い出すのやら???(呆) 遊んでる土地なので、、なにをしてもいいでしょうけど・・・・・・因みに、自分で池を掘るつもりみたいデスよ トシとってるのに、達者なもんデスわ♪
2014年06月06日
コメント(0)
水曜日、曇り~♪ いとーさん!のFBで、少年がフライパンをあおる記事が・・・んでもって、別のイトウアスカちゃんが、オムライスを・・・『ん~? そういえば、長いことオムライスを作っていないなぁ~! しばらくぶりに、作ってみましょー♪』そしたら、まぁ~アナタ! 何のことはない 大失敗!!! 卵焼きを載せた、チキンライスになっちゃいました(Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン) サラダやデコ!をする気にもなれず、放置プレイ!んなもん! お客さんになら出せるシロモノではありマセン! (ウチの献立には、ありマセン! 練習のためデ~ス!) プロの洋食のシェフならこんなのは作りマセン!し、いくらワタシが板場でもちょっとヒドい!出木デス(泣) しばらくは、ナカナイにでも作っていないくらいデシタけど・・・(言い訳)・・・おじょーず♪に作る記事が多いデスが、たまには失敗を素直にアップしときマス やっぱ、和食を作っとこー! サ~セン! m(_ _)mスマン
2014年06月04日
コメント(0)
梅雨が近いようデスね?晴れとは言うもの、からっ!とはいかないようデス♪ 湿度は低そうデスが・・・・ 朝から、気持ちが悪いところにイヤなニュース!五歳の子供の白骨化して、オヤジが逮捕、おかん!がシラなかった!って・・・ 衰弱死って、それ飢え死に!とちゃうのん????あのなぁ~! (言葉が出ないっ!)わが子を殺すって、ヒトの皮をかぶった動物か? ○○人か??????? 気分わるっ!これににゃ~、大人の事情ってやつは言い訳になりマセンよね?ワタシは、子供が出来なかったけど、子供が苦しむのを見るくらいなら 子なしで良かったと、痛感しておりマス! 自分子供どころか、村にも子供が少ないデスけど・・・・ 可愛くないのかね~?などと、エラそーにニュースに突っ込みを入れるほど立派な人間じゃありマセンが おとなしく暮らしてると、ニュースひとつでも、過剰な反応してしまうようデス! まだ、それに比べたら、あさ起きて、外にふらっとでて シマヘビがにょろにょろ!と逃げていくのにびっくりしたほーが、なんぼもマシというもんデス! (ヘビはいやなんデス!)まぁ、ちょっと置いといて~ 山椒の実とったど~♪ 収穫できる期間が短いんデスね~♪まだ少ないデスが、お醤油に漬けましょう♪ ちょっと、工夫とコツがありマス!やり方などが知りたいヒトはメールでも下さいマセ~♪ 夏みかんが収穫されたらしく買ってきていマシタ!モチロン、丹波の産デスが、氷上郡の石生と言うところだそうデス! 篠山ではありマセンが、一応丹波のうちのトコロなのデス 年寄りって、好きみたいデスね?なんか作れ!と言われそーデス! (そのまま、食えっ!(怒) ) 遊びに行っては、買い物してきて、ワタシになんか作れっ! は、定番デス!イタズラで、オムライスのライスの具に入れて、『ハイカラやろ~♪』ってやってやろーかな?
2014年06月03日
コメント(0)
これくらいが、丁度いい気候デス♪ 厚くも寒くもありマセン♪ 昨日夕方に、近所の『タクちゃん』というお百姓さんにとを分けてもらいマシタ♪ んで、その時に雑談♪ 以下、『タクちゃん』=タ ワタシ=カタ:前の田んぼ見てみぃ~! 奥の池に住み着いてるのを、追うてきたんや~♪ 2つ(2羽)おるで~♪ 田んぼの藻を食うとるねん♪ 去年生まれたつがいのカモやなぁ~♪』カ『ほんまや♪ 写真! 写真!!』 簡単には写させてくれマセン! 言っても野生の鳥! 警戒してマスわな?↑にも↓にも居るんデスが・・・ 意外に大きい、可愛い鳥なんデスけど、『タクちゃん』に追われてココ???それは、ナイでしょー!『タクちゃん』は悪気のないおっさん!なんデスが、カモにそんなこと分かるハズも無く、のんびり、田んぼでエサを食ってマシタがな♪タ『ワシも、合鴨飼おうかなぁ~?(のんびり口調♪)』カ『へ??????? で、どーすんの? 食べちゃうの? つーか? 微妙に営業妨害????』タ『 んなこと、せーへん! 飛び立たへんし、可愛らしいやん♪ キツネにヤラれんよーに、電柵してなぁ~♪・・・・ (イロイロ言ってマシタ)』ニワトリ飼ってたら、よくキツネに捕られちゃうんデスよ!ニワトリはキツネに、タマゴはクチナワ(大きなアオダイショウ)に!!!! なので設備が居ることを力説してるワケなんデス! このヒト!今度、もっと近くに来てくれたら、きれいな写真を撮ろう!と思っていマス♪ 野生の動物と共生していくには、、それなりの間合いと言うか? 距離感が大事なんデスが・・・・
2014年06月02日
コメント(0)
あったかいを、通り過ぎて暑いというのが正解♪ワタシは、こういうくらいのほーがいいんデスね~♪ 体が楽♪今日は、一日なので年寄りが小豆のご飯を炊いていマス! ご先祖様にお供えするんデスね~この中に、ワタシの祖母!いわゆる『おばーちゃん』がいるんデスが、 ワタシが高校生の一年生の時に亡くなったヒトデス!小さいころから、体が弱い上に、ひどい小児喘息で『この子、よう、大きくなるんやろか?=この子、無事に成長することが出来るのか?』と、心配をかけたひとで、高校にあがって、一年生の時に病気で亡くなり、クラブの試合中に知らせが来た時、『早く帰ってやれっ!』と、促してくれたのが寺井先輩デシタ (ノω・、) ウゥ・・・ それまでは、なんだかんだ言いながら過ごし居てきたワケなんデスが、成人してから、何度も、死に掛けたことがありマス! 生死の境!をさまよったことも、1度や2度ではありマセン! 一度目は、過失で死に掛けた時! (ひょっとしたら夢???)気がついたら、電灯の無い小道をなぜか?歩いていマシタ! 横の電柱には『地獄1丁目』の住所表示!のプレート!夢にしては、とてもはっきりした声で、 『そのまま行ったらあかん! ここは、おまいのくるトコやない! はよーかえれっ!』と、新祖母の声が、方言そのまんまで・・・・ すなおに、回れ右!をしたところで、また何も分からなくなって気がついたら病院のベッドの上! あれは、いったい何だったんでしょー? あとで、誰に言っても信じてもらえマセン!(当たり前デスね♪) また違うときは、病気になって苦しんでいる時!意識朦朧の中、明るい光の塊に包まれたこと! 痛くて苦しんでいる場所と、首筋を撫ぜてくれたあの感じ!間違いなく祖母の癖! (幼いころ、ワタシ、斜頚だったのデス) 姿を現してはくれマセンでしたが、気がついたら、手術が終わって、麻酔が切れたとき!デシタ♪ こんなことが、いっぱいあって、今まで生きてこれたんデス! なんかね~♪ 不思議なことで、命拾いしたことが一杯あったんデスね~♪間違いなく、近くは祖母から、遠くはご先祖様にまで、護っもらっていマスね~ 無駄に生き死に!を考えちゃいけマセン!たまたま、感受性が強かったからデスか? 実感を持って生きてマスが・・・ 世の中には、正論や理性で理解できないことがあるもんデス! だからといって、立派で、恥ずかしくない人生を歩んでいるかというとんなことはありマセン! 恥ずかしくて、後悔のほうが多い生き方デス!それでも、あきらめずに、どんなにカッコ悪くても、生きていくしかないんデスね~♪ 先祖をしのんで、合掌!
2014年06月01日
コメント(0)
ここんところ、写真を撮るときはいいお天気が続いていマス♪ 木々の緑も、きらきら♪ へっへ~♪山椒の実も大きくなり始めマシタ♪ 収穫には、もう少し!乾かして、山椒の粉を作ったり♪しょうゆ漬けにしたり♪佃煮にしたり♪ 楽しみデスね~♪しばらく前までは、関東?というか、箱根より東のヒトには、こちらほど山椒を使わないことを知りませんデシタ! うなぎの蒲焼に使う程度かな? 位の認識デス!まぁ、香辛料の一種デスから、好みもありマスし・・・ ワタシは、お料理に使いマスよ~♪ ワタシは、山椒に限らず、お野菜、肉類、お魚にも、色々使いマスが、なるべく自然に近い状態のものは、みだりに取り過ぎない! 使いすぎない!用に注意していマス♪ 保存しなければいけないものは、別デスが・・・山菜にも、採る量や採る方法がありマスし、ジビエにしても採りすぎると乱獲につながってしまいマス! 自然のものは、自然から分けてもらっているだけなので、やりすぎはイケないのデス!料理を業としている者は、素材にこだわりマスが、だからといって、自然の恵みを粗末にしていいわけもないのデス! ワタシが、お客さんを予約のみ!にしている理由のひとつでもありマス♪効率を上げるために、素材を過剰に在庫するのは、・・・・・ デス! それと、高松宮様のところの姫宮様、典子女王様と千家さんのご婚約! おめでとうございマス!人事ながら、嬉しいデスね♪ つか? 天子様のお許しが出たとか?こういうことは、天皇様が決定権をお持ちなのかなぁ? 国会で決まったとか言わないのが、またいい!!!! そりゃ、そーか?理屈なんかありマセンよね~ なぜって?先祖からの、天皇陛下の民で、天子様の防人であった!という『DNA』と『誇り』が染み付いているからっ!・・・ なんでしょうね♪
2014年05月31日
コメント(1)
全833件 (833件中 1-50件目)