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カンボジアのバッタンバン郊外。ここ3日ほど連日UPしている。今日は,そこで出てくるバイタクの兄ちゃんの登場だ。 どこの町でもそうだが,バスターミナルや,その辺の乗り場でバスが止まると,バイタクの兄ちゃんやオッサンが一斉に走って来る。そして客引き合戦だ。それは凄まじい!見ていて思わず笑ってしまうほどだ。しかし当人たちは必死だ。大きな町ではトゥクトゥクも来る。客の数よりバイタクやトゥクトゥクの数の方が圧倒的に多い。ヒマそうに待っているドライバーを数多く見た。彼らは,生活がかかっている。専門以外にも,給料が安くて生活のためにアルバイト的にやっている人も多い。特に安い公務員や教師なども多いそうだ。 さて,この兄ちゃんは,私がプノンペンからバスでバッタンバンのバス乗り場に着いたときにいた。例によって,たくさんの兄ちゃん達が集まってきた。町を移動したときは,でっかいバックパック付きで重く,このときはホテルまで少し移動距離があったので乗るつもりだった。 カンボジアのバイタクは,町なかなら黙っていたら近くても勝手に$1(約120円弱)になってしまう。料金交渉が絶対必要だ。クメール語で「ムオイ ポアン!」と言った。1000リエル(約30円)だ。安すぎて,たいてい拒否されるが,一人の兄ちゃんがあっさりと「OK!」,そう言ったのが例の兄ちゃんだった。「お~!」こっちが驚いたが,周りも「えっ??」って顔をしていた。 事実,他の町では,いくら近くても1000リエルでは乗れなかった。最低2000リエル(約60円)は必要だった。どっちにしても安いやん!という声がしそうだが,できるものは現地価格で過ごすことも大事だと思っている。 ホテルのチェックインが済み,表で待っている兄ちゃんに支払いに行く。予約していないので,そこでの宿泊が確定してから支払うのだ。その後,兄ちゃんがホテル前にあったイスに座ることを勧めた。何かと思ったら,携帯を取り出して郊外各地の遺跡などの動画を見せながら,「ドライーバー兼ガイドをするのでどう?」と聞いてきた。そこで,大学生というのも知った。名前は,スウィニー君。ニックネームがMr.OKと言うらしい。(…で,さっきはすぐにOKと言ったのか??なんて…)この町の見所は町なかからかなり遠い郊外ばかりだ。見ようと思えば,歩いては絶対に行けない。主な見所をまわると2日かかるようだ。考えたあげく,OKした。 1日$15だ。これは高いかも知れない。しかし,遺跡以外にもあちこちの小さな工場や現地人が集まるところなどへも寄ってくれるとのことだった。どこへ行こうが,料金は変えないとのことだった。ホテルに帰ってから晩ご飯に出かけるとき,バスのチケットを買いに行くときなども全て込みだった。まあ,ほんまの貸し切りだった。給油の時に聞くと,ガソリンが高騰し,リッター$1だった。これは,もちろん私は払っていない。 よく,バックパッカーは安宿に泊まって,経費はできるだけ切り詰めて…ということが多い。私も初期はそうだったが,だんだん変化してきた。なにもその形式にこだわる必要はない。歳をとってくるとセキュリティが気になる,昔よりも金銭的に余裕がある。自分の旅なのだ,好きにして何が悪い。 これは,最初の晩に行ってくれたレストランで食べたものの一部。手前の黄色いのは,カンボジア風のお好み焼き的な「バンチャエウ」だ。卵に米粉などを混ぜて伸ばして焼いたものに挽肉やもやしが入っている。これを手でつかんで取り,レタスや何かの葉っぱなどに包んでタレをつけて食べるのだ。 手前のバンチャエウの乗せてあるのは,右向こうにある皿から取ったカエルのフライだ。両手足を広げた状態だ。嫌いな人にとっては,イヤな姿だろう。でも,味は鶏肉と似ていておいしい。カエルは,7年前に中国に行って以来だ。ほかにも,サイッコーチャークルアン(牛肉といんげんの香味炒め)も食べた。 当然,屋台ほど安くはないが,ビンビール2本を入れて2人分で$7.5だった。おもろい兄ちゃんだったので,全額払った。だいたい,こういうときはこっちが払うことが多いが… これは私だが,ハンモックで寝ている。8/26の日記に書いた,ワット・バナンの下にある店である。汗だくになりながら下りてくると,スウィニー君がハンモックで寝ている。「どう?」って感じで勧めてきたので,寝ることにしたのだ。 これは,ワット・エク・プノン(未UP)へ行ったときに,店で待っていたときのスウィニー君だ。携帯で撮影済みの画像を一生懸命にチェックしていた。 これは,バッタンバン最後の夜に食事をしたときである。2日間,こちらが思った以上にあちこちをまわってくれた。主要なところだけでも町から10~40kmはあった。プノンペンなどに比べたら,遥かに遠い距離を走らなければならない。バッタンバンでガイド付きで1日$15が高いか妥当かと言われれば,高い気がするが,私にはわからない。でも,不満はなかった。 同じホテルに泊まっていた欧米人がトゥクトゥクで1日まわったらしく,料金を支払っているのを見た。2人で$50払っていた。スウィニー君は,「ぼったくりや!」と言っていた。トゥクトゥクだったら,1人が$25じゃなくて1日で$25ぐらいだという。欧米人は,何の文句も言わずに払っていた。 最終日は,昼12時半にシソポンへ行くバスだった(終着はタイ国境の町ポイペト)。それまでに,残ったところを案内するという。前日の約束では,8時半のはずだった。しかし,朝起きると「えっ!??」なんと9時15分。「えらいこっちゃ!」9時半頃,下に降りた。表で,ちゃんと待っていてくれた。怒りもせずに,「No problem!」…いい奴だった! 昼前にバス乗り場へ送ってくれて別れた。「また,ぜひ来てほしい。」,「日本の人に紹介しておいて。」と言っていた。 携帯の番号,PCのメアドなどは,初日にもらった。もし,再び行く機会があれば,また指名するつもりだ。↓ 本サイトです。画像UPには,もう少し時間がかかります…アジアを旅しよう!
2006/08/29
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またまた,カンボジアのバッタンバン郊外。例の兄ちゃんのバイクで,このときはダムへ行った。ポル・ポトが残した数少ない有効な施設なのだ。今も稼働している。コンピン・プイと言う。バッタンバンから約35kmだ。 農業の灌漑用水として使われているらしい。右下はダム湖である。緑色をしているが,ちゃんと下に水があり,水上には植物がある。その上を子どもたちが歩いていたが,沈まない。浮き袋的なものがついているのだろうか?傍目には,水があるように見えないが,反対側に下りてみると,水はちゃんと流れていた。ダムは,道路の途中にあり,誰でも通行できる。 道路からは見えないので気がつかなかったが,ダム湖の方へ下りていくと食堂があった。建物自体は,ダム湖上にある。横には,すでに先客がいた。地元人だ。結構多くの人が入れるようになっている。そこで,昼食にした。周りには,地元の子がたくさんいる。空き缶を拾い集めている子もいた。興味深げに寄ってきたりもした。 内容は,チキンと,鶏の鍋物。体の部分は全て入っていた。そして画像は,キジバトだ。毛をむしり取られて,そのまま焼かれて出てきた感じだ。それを手でちぎりながら食べる。油でベタベタだ。まあ,チキンも手で食べたが,これが地元流だ。 キジバトは,初めて食べた。味??鶏肉にレバーの味を足したような感じだった。個人的には,鶏肉の方がいい。今回は,前日にカエルも食べている。 量が結構あり,食べきれない。もったいないと思っていたら,兄ちゃんが近くにいた子ども2人を呼んだ。残りは,その子たちが食べた。きっちりと全部食べた。飲んだあとの空き缶もあげた。この子たちは,こうやって生きているのか。あげる方も当たり前に,もらう方はやや遠慮気味だ。 よく見ると,同じような子どもは,他にもたくさんいる。たまたま近くにいた2人がお相伴にあずかったわけだ。 食事が終わる頃になると,地元人らしい人が大量にやってきた。総勢15人ぐらいはいる。私の横の場所に来た。しかし,座るわけでもなく,みんな口々にわあわあ騒いでいる。それも20分ぐらい延々とやっていた。うるささは半端じゃなかった。 兄ちゃんに聞くと,食堂の経営者の親戚がフランスから久しぶりに帰ってきたらしい。そこで,食事をもてなすことになり,席はどうするのか,メニューは…で,もめてたらしい。 しばらくすると,料理が大量に運ばれてきた。鍋物,ご飯,チキン,キジバト,魚,カエル,ウサギ,ヘビ… 横で見ていると,「一緒に食べないか?」と声をかけてきた。しかし,私は満腹状態…でも,せっかくなので,少しいただくことにした。ヘビは,煮込んであるようだったが,まずかった…ウサギの肉は食べるのを忘れた。食べたことがないのだ,しまった… よく見ると,数名しか食べていない。あとの人々は上の方で様子を伺っている。聞くと,フランスから帰ってきたのは,この数名で,他の人はカンボジアにいる親戚らしい。 その主人に聞くと,1978年のベトナム軍のカンボジア侵攻を機にフランスへ渡ったらしい。確か,当時はタイなどへ難民として行った人々が多かったはずだ。金持ちだったのか??ビデオやカメラを持っていて,周りの人とは感じが違った。そういえば,米国にもカンボジアから来た難民が多く住んでいる地域があったと思う。 さて,食事が終わった。大量の料理は数名で食べられるわけがない。親戚の人々が食べるのかと思ってたが,来る様子もない。…と,そのフランス帰りの主人,周りにいた子どもたちを呼んだ。みんな一斉に集まってきた。 なるほど,子どもたちにあげるのか!子どもたちは,いろいろである。食堂の子もいれば,近所の子もいる,空き缶を集めに来た子もいるし,ただ遊んでいる子もいる。みんな一生懸命に食べていた。やはり全部なくなった。さっき,ご飯をあげた子もちゃんといた。 こうやって,どんな子どもたちも大切にされていると感じた。どの子も同じように食べていた。取り合うどころか,分け合っている。助け合って生きているのだ。他の大人たちは,たぶん別な場所で別の時に食べるのだろう。今の日本では,見られない光景だ。 このあと,フランス帰りの主人の指示で,子どもたちが順番に歌を歌い出した。感じからして,地元の民謡のようだった。何人かが交代して歌っている。最初は男の子ばかりだったが,「シンガーを呼べ!」…で,小3ぐらいの女の子がどこからか登場した。うまかった。何曲か歌った。最後は,男の子とペアで歌い,横で別の子がペットボトルを太鼓代わりに叩いて拍子を取っていた。 久しぶりに懐かしい歌を聴きたくなったのだろう。VTRにも収めていた。さらに,何やら配っていた。お金だろうか?そのときは,時間もかなり経っていて,このあとの予定もあって帰りかけていたので確認はしていない。 何か,田舎の原風景を見ただけでなく,カンボジアの歴史も少し垣間見た感じがした。↓ 画像UPには,まだ時間がかかりますが…本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/08/28
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しばらくは,カンボジア編を続ける。行った直後が一番書きやすい。しかし,カンボジアばかりでなく,時々違う国も混ぜていく。 今日は,昨日に続きバッタンバン郊外。ここは,ワット・プノン・サンポーという寺がある山である。水田の中に山がいきなりある。 この山の頂上に寺がある。ふもとには,小さな食堂や民家が並んでいる。そこを抜けて登るのだ。バイタクの兄ちゃんはガイドも兼ねているので一緒に登った。大学生の22歳だ。上りは結構きつい。しかも,このときは天気がよく暑い。5分ぐらい経っただろうか。兄ちゃんが「休もう!」と言いだした。「え?まだちょっとしか歩いてへんやん。」(もちろん,関西弁で言うわけないが)しかし,兄ちゃんは息も絶え絶え…「しゃあないなあ~」 今までの経験だと,私がしんどくなって「休もう!」と言うことが多い。現地の人は,体が自然と鍛えられて,ふつうに強い。しかし,この兄ちゃんは体力がない。昨日の日記でも書いたが,その後は,いくつかの山を登ったときはついてこなかった。下りたら,ハンモックで寝ていたり,座っていることが多かった。まあ,登る前に細かい説明はしてくれてはいたので,別に不満はなかったが,話し相手がほしかった… 山には,キリング・ケイブという,ポル・ポト時代に虐殺されて放り込まれた大きな深い洞窟がいくつかあった。遺骨や遺品が多数置いてあった。上から落とされもしたようだ。3000人も殺されたようだ。一番大きな洞窟内には,寝仏があった。(画像左側) 山中の薮をかき分けて進むと,砲台が現れた。街の方を向いている。ロシア製とドイツ製(だったかな?)だそうだ。そのまま放置してあった。ハンドルを回してみると,ちゃんと動いて砲台の角度や向きが変わった。タイヤもパンクしていない。見せるために手入れしてあるのだろうか?それにしては,手前は草木だらけだった。 山から見下ろした風景。平原に水田が広がる。山があまりないのだ。地平線が見える。 バイタクの兄ちゃんは,あちこちで携帯で動画や静止画を撮りまくっている。私が撮影したり見学している光景も撮っている。そういえば,私が最初会ったときも,携帯で行くところを先にたくさん見せてくれた。私が先に見た画像は,欧米人だったが,私を撮った画像は日本人の客がいたら見せるつもりなのだろうか?あとで聞こうと思いながら忘れてしまった。来るのは欧州人が圧倒的に多いらしく,日本人はあまり案内したことがないらしい。 それにしても,いつも途中から1人で撮りまくっている。かといって,その間,私はヒマではない。私は私でVTRとデジカメで撮影だ。時には携帯のカメラも登場する。たいていの場合,ガイドなどと一緒にいると,どんどん進んで行って急ぐことが多いのだが,ゆっくりとすることができて,私的には,ちょうどよかった。 今回の旅は,デジカメで2000枚以上,VTRで16時間弱も撮影した。過去最高だ。あとで整理するのがたいへんだ。ここにUPするのは,何枚かずつで簡単だが,本サイトには全てを整理してからUPするんで,一体いつになることやら… でも,充実した画像が多く撮れて,よかった!↓ その本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/08/27
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カンボジアには,ご存じのように,まだ地雷が多数残っている。未撤去のところには「DANGER MINES」の文字(もちろんクメール語も)とどくろのマークが入った赤い看板が掲げられいる。または,近くの木に赤いペンキが塗られている。 6年前に,クバル・スピアンへ行ったときは,赤いペンキに全く気がつかなかった。危なかったかも知れない。だが,観光客や外国人がふつうに行くところは,かなり撤去が進んでいると思う。見ることがない。 さて,今回行った中で,バッタンバン郊外の遺跡の中の1つ,ワット・バナン。駐車場から長い階段を登った。かなりきつい。バイタク(モトドップ)の大学生の兄ちゃんは,「しんどいから行かない。」と言う。ガイド兼任のはずだが…それ以前の時からどうも体力がない。(後日掲載)変わってガイド役の子どもがついてくる。まだ小学校1年生ぐらいの男の子だ。何回も止まりながら待っていた。350段だったかな?その子は,片言の英語だ。こういったところにいる子どもたちは逞しい。完全にはほど遠いが,英語を話す。 丘の頂上に着いた。ミニアンコールワットと呼ばれているらしいが,本当に小さい。あちこちが崩れている。そこには,少年たちが数名いた。だいたい5,6年生ぐらいだ。ガイド役の子を冷やかしたり悪さをしていた。この辺りは日本と変わらない光景だ。 さらに,僧侶や何をしているのかわからない大人たちが数名ウロウロしている。僧侶が話しかけてくる。日本のことを聞いてきたり,カンボジアの感想などを聞いてきた。手にはロンリープラネット(有名な海外のガイドブック=もちろん英語)だ。それを見ながらも話してきた。周りの大人たちも興味深そうに(ヒマだから??)見ている。結構いろいろなことを話した後に,カメラを取り出し「一緒に撮ってほしい。」と言ってきた。撮影は,ヒマな?大人(失礼)だ。ついでに,私のデジカメでも撮ってもらった。 その後,先ほどのガイドの子の案内もあり,見て回っていた。最後に崖下の方へ行きだした。一応道はあるが獣道だ。下に何かあるらしい。…と,そこへさっき上にいた6年生ぐらいの子がやって来て,何か言っている。どうも,「この先は危険だ。」と言っているようだ。何やろう??英語で言っている。「スネーク」とか聞こえた。ヘビが出るのか??小さい子は先へ行く。しかし,大きい子は何回も止める。困りながらも,この先に興味があったので前へ進んだ。と,大きい子が横を指さしている。見ると,木に何か赤いものがついている。近づいた。 「あっ…DANGER MINESや!」壊れているが実際についているのは初めて見た。ってことは,この近くに地雷があるのか!大きい子が横で「ボン!ボン!」と爆発するまねをしている。最初から,そう言ってくれ!長い説明より,「ボン!」の方がよっぽどよくわかる。 要するに,危ないから行かない方がいいと言うことだった。たぶん,小さい子はそのことがわからないのだろう。引き返した。ちょっと怖々だった。戻るときに,あとから来た欧米人をやはり同じように崖下に案内している子が来た。また忠告するやろか?と思って見ていたが,仲のよいグループではないらしく,全く言葉を交わさないで行き違った。しばらく耳をすませていたが,爆発音はしなかった。 実際についているのは初めて見たと書いたが,じつはそこへ行く前に手前の食堂で置いてあるのを見ていたのだ。ただし,掲示されていたのではない。 ご覧のように,うちわだ。掲示されていたが地雷が撤去されて外したものを再利用したのか,余っていたものから作ったのかはわからない。こんな工夫があるのだ。写真に撮ったら,なぜかみんな笑っていた。 プノンペンでは,「DANGER MINES」Tシャツを何枚か買った。↓ 今後,本サイトには,大量に今回の画像をUPします。アジアを旅しよう!
2006/08/26
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深夜に帰国して翌日から出勤。安心感から結構疲れが出て間が開いた。いつも訪問しているサイトにも,ほとんど行けてません… 6年ぶりに行ったカンボジア。プノンペンは,大まかな感じは同じだったが,近代的な建物が増えた感じがした。 何年か前には,初めてエレベーターができ,慣れないクメール人がうまく乗れないなどの報道があった。今でも,乗るところに係員がいるが,皆ちゃんと乗っていた。きれいな建物やショッピングセンターもできた。 近代化は,ここカンボジアにも押し寄せていた。携帯電話を持っている人も多く,画面を見ると,ちゃんとカラーで動画を撮ったり音楽もダウンロードできるようで,ヘッドフォン(イヤフォン)をつけて聞いている人も結構いた。 なにか,ここだけが近代的で違和感も感じるソリアショッピングセンター。カンボジアで最初にできたショッピングセンターである。周辺国では,めずらしくないビルだが,ここカンボジアでは周辺と比べて突出している。毎日,多くの人々でごった返していた。若者も多い。ファーストフード店や,フードコート,CD,VCD,DVD店や様々な店,電機屋(高いが),スーパーも入っている。 吹き抜けにエレベーターがある。写真を撮っていたら,係員に注意された。よく見ると,撮影禁止の表示があった。なぜか,周辺国でも多くは店内は撮影禁止になっている。なぜなのだろう??それでも,密かに撮っていることも多い。古いマーケットなどでは何の問題もないのだが… ここは,電機屋。携帯を初め,デジカメやVTR,プラズマディスプレイなどがあったが,値段は日本と大差がなかった。クメール人からすると超高価もいいところだ。手も足も出ない。大勢が見ているが,見るのはタダだ。買えるのは,ほんの一握りの金持ちだけだろう。例えば,街角で,デジカメを持っているクメール人など,ほとんど見なかった。VTRなんて,全く見なかった。たまに見ても,台湾か中国の旅行者だった。 私が,VTRやデジカメを持っているだけで一斉に注目されるのは,以前と同じだった。でも,デジカメで撮影すると,ちゃんと画像を確認する人(子)が多かった。つまりデジカメはすぐに撮影したのを見られることを知っているわけだ。これは,以前と違った。 参考までに書くと,行った町全てで携帯から日本へ電話はできたが,メールの送信は一切できなかった(Vフォン)。時折,受信はできていたのが不思議だった。↓ 本サイトには,今回のカンボジア画像を,いつも通りにUPする予定です。アジアを旅しよう!
2006/08/25
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いよいよ明日は帰国だ。パタヤーでは、ショックから立ち直り??のんびり過ごしている。 今回、カンボジアでは、人々のいい笑顔の画像がたくさん撮れた。いつもなかなか撮れないもんだが、今回は違った。アプローチの仕方を変えてみたのだ。 今日は、ネットショップから。画像は、フラッシュメモリに入れてきた。 これは、北西部のバッタンバンで。夕方に街角で遊んでいた子どもたち。見知らぬ外国人を怪しむことなく、寄ってきた。まあ、VTRやデジカメは、まだまだこの国では珍しい。でも、撮ろうとすると、顔を隠したり逃げたりする人も多いのだ。 これは、バッタンバンよりさらに北西部の小さな町シソポンで。周囲は、あまり治安がよくないそうだが… 街…と言ってもたいへん小さいが、中心部からはずれに入った路地である。撮っていると、子どもたちが集まってきた。お母さんらしき人が後ろで心配していたが、「まあ、しゃあないな…」という感じになった。 これも、別のはずれの路地に入った民家。ここの人たちは、みんな愛想がよかった。地図に載っていないような道や橋などを通った。この模様は、また後日… また、後日カンボジア編をUPしていく。↓ ここへは、後日、大量にUPします。アジアを旅しよう!
2006/08/21
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携帯からだが、なぜか昨日はうまく書けていない… ここは、わたしの旅の趣旨からすれば全く正反対な街かも知れない。早く言えば欧米人向けの歓楽街もどきってとこか。まあ、そんなに俗的でないし、家族連れも多い。変なとこではない。 夜になると、数多くのピンクのネオンのバーがある。お姉ちゃんもたくさんいる。ただし明朗会計で心配はない。ここに在住の日本人に聞いた。1度は、その人の案内で入っている。昼間も、あちこちの店で英語などが飛び交っている。 私は、こういった店には入らず。ふつうの店で食べている。馴染みの店があるのだ。まあ、バーのお姉さん方は英語を話したがっているんで、日本人にはあまり声をかけないが… でも、なぜか旅の最後に来てしまう。いつものホテル(そんなに高いわけでない)のプールでゆっくりし、最終日には贅沢に車で空港まで向かうのだ。変な習慣が、ここ数年でついてしまった…
2006/08/21
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2006/08/20
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2006/08/20
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タイへ戻った。安心して隙ができたせいか,ちょっとした間に,デジカメと現金をすられてしまった…(-_-;)いつもは財布に入れない1000バーツ札を5枚(約15000円)だ。両替したあと,出し忘れていたのだ。いつもは,多くても2000バーツぐらいまでしか入れてないのに,こんな時に限って…20バーツや100バーツ紙幣はちゃんと残してある。しかし,聞いてはいたが早業だ。どんな状況かって??ちょっと情けないので言えない…(^^;) また,デジカメも痛い…昨日までの画像はmyモバイルPCにバックアップを取っていたのでいいのだが,今朝カンボジア上空から撮った画像などが失われたことになる。ショックだ…しかも,入ってたメモリースティックは1GBだ。デジカメは,日常的によく使うので,また買わなければならない。痛い出費だ。実は,出発前にまた新しいデジカメを買おうと悩んだんだが,結局やめた。もし買っていたら,さらに高い出費だったかも?不幸中の幸いだとでも思って慰めることにする。 パスポートは無事だった。これを盗られるともっとやっかいだ。ちょっと,呆然としてしまったが,これも勉強だと思って気を取り直そうと努めているところだ。高い授業料だが。大きなトラブルは,今までで初めてなのだ。改めて気を引き締め直そうと思う。 今日は,今回初めてmyPCからの接続だ。 気をつけて!合掌…なんて (カンボジア,コンポンチャムの街角で)↓ こちらが本サイトです。よろしくです!アジアを旅しよう!
2006/08/19
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プノンペンよりバスで2時間半の地、コンポンチャムから戻ってきた。天候は、まるで日本の梅雨のようだった。ふつう、スコールは大雨がざっと降ってさっとあがるもんだが、今年はずっと降り続くことが多い。しかも、しとしとと降っている時間も多い。腹の立つことに、帰る日になっていい天気になった… 6年ぶりのコンポンチャムは、きずな橋(日本の無償援助)ができてから結構変わったようだ。特に、国道が橋で対岸とつながったことで、車両がひっきりなしに通行していた。スタンドやマートができていた。なにかこの町と不釣合いな感じがした。また、橋を造ることにより、川沿いのメコンホテル周辺の住民が立ち退きを迫られ、10kmほど向こうのプノンプロス方向へ行ったようだ。川が埋め立てられて、広大な土地ができていた。なんでもホテルが建つのではないかということだった。川沿いの遊歩道も整備中で、かなり感じが変わっていた。しかし、町なかはそんなに変わっていなかった。前のままの、のんびりとした雰囲気だった。 対岸の町、トンレバットは、コンポンチャムとかなり雰囲気が違った。水に浸かっている家が多く、舟で移動だ。もちろん、家は高床式で問題はない。国道沿いだけはふつうに土地があった。 さて、出会いとは不思議なものである。3日目に街を歩いていた。また雨が降ってきた。小雨だったが、大降りになるかもしれない。屋根のあるところは周りにない…とりあえず、大きな木が正面にあったので急いだ。ほとんど通行はないのだが、中央に分離帯がある大きな道路だった。木は、その真ん中にある。木の回りには柵がしてある。なんとなく、反対車線側まで回ってみた。そこに、後ろから突然のクラクションと呼びかける声。「いきなり、なんや!?」…と見ると、ピックアップの荷台には多くの子どもたち、運転席には欧米人。「日本人ですか?」と日本語だ。助手席には日本人の女性。 聞くと、キリスト教の布教のために在住しているそうで、また別に学校へ行けない貧しい子どもたちへ、勉強を教えたり、自立援助などもしておられるそうだ。時間はいっぱいある。今日の予定もあってないようなものだ。興味があったので、見せてもらうことにした。泊まっているホテルの近くだった。 いつも、なかなか現地で学校などに入ったり見たりすることはできない。まあ、突然やってきた外国人を簡単に入れてくれるとこなんて、まあない。 勉強の様子を見学の後、昼食をいただいた。さらに、時間を置いて夕食もいただいた。料理は、カンボジア料理だ。現地の人が作るので本物だ。たいへんおいしかった。 しかし、まさか、ここで日本人に会ったり現地の家にお邪魔することになるとは思わなかった。話をしていると、途上国の援助は、JICAだけでなく民間の団体が多くあるが、人手不足で、私なんかでも参加できそうな仕事がありそうだった。現地で働くのは、かねてから私の夢でもあるのだ。民間(NGOなどになるのか)の場合は、退職して行く必要があるが、それは仕方ない。 しかし、あのとき雨が降っていなかったら、間違いなく違う道を行っていた。ちょっとしたことで起こった出会い。こんな偶然もあるのだ。出会いとは不思議なもんだ… 詳しいことは、帰国後に画像入りで書くことにする。↓ ここの本サイトもよろしく! アジアを旅しよう!
2006/08/17
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北西部のシソポンから戻ってきた。ちゃんと生きている。プノンペン~バッタンバン~シソポン~プノンペンの行程だった。全てバス移動だ。明日?今度は、プノンペンより東部のコンポンチャムへ行く。日本の援助で橋ができたところだ。また、行方不明になると思う。 バッタンバンでは、3泊4日だ。日本語環境のネット屋があったが、時間が中途半端で行かなかったり、読めるだけで書けない店で時間が遅くて断念した日があった。しかし、ネットばかり気にしていては自由に行動できないんで、無理には行かなかった。なんか、ブログを書くと、こういうときは行動を全部知らせなければならないし、公人か要人(そんな、いいもんか!)になった気分だ。 バイタク(モトドップ)の兄ちゃんと、2日かけて遺跡もちゃんと行った。ダムへも行った。街も歩いた。日本人は、2、3人見ただけだ。JICAの車や施設は通りすがりに見た。カンボジア料理も食べた。食堂で、どっかの家族と一緒に食べたりもした。こういうときは、お金はかかるが、現地の兄ちゃんがガイド役だと、地元民に入れていい。兄ちゃんは、大学生だった。昼間、ドライバーとガイドをして、夕方に勉強するそうだ。画像を載せられないのは残念だが、帰国後にUPする。結構、いろいろと周った。 その後、シソポンへ行った。ここも3泊4日だ。ほんとに小さな町だ。○球の歩き方には「シソポン」、○さし会話集には「シソポーン」と書いてあったが、誰にも全く通じず、「シーソポン」が正しい発音だった。 この町は、タイの国境から近い。タイのアランヤプラテート~カンボジアのポイペトへ抜け、シェムリアップとバッタンバン・プノンペンへの分かれ道である。車通りは、結構あるが、のんびりとした町だった。国道沿いは、砂埃がひどいが…危ない話だが、外務省の危険情報では、4段階の3つ目だった。あとで気づいた… 行く前に、「あんな小さい町へ何しに行く??」と言われた。確かに、見るものがないし、街も1日あれば周れた。しかし、そういう何もしないでのんびりとするのがいいのだ。そういう時間が、私には必要なのだ。行けなくなったら、精神状態はどうなるかな??もちろん、路地の間も周った。 日本人は、一人も見なかったし、欧米人でさえ、ほとんど見かけなかった。タイに近いせいか、ここでの支払いは、まずタイバーツだ。もちろんリエル、ドルもOKだが。 ガイドブックに書いてあった、見晴らしのいい丘へと登った。しかし、ふもとでいきなり、3つの分かれ道だ。しかも、その先もまた分かれ道がたくさんあった。どこを通ったらいいのか全くわからないくらいややこしい山道だった。迷いながら適当に行ったら、何とか登れたが、人一人いない。こんなとこで襲われたらどうしようもない。一瞬迷ったが、登った。まあ、こんなとこに来る人などいそうもないんで、強盗も待ってても無駄だろう… 頂上には、携帯かTVかの塔があり、その先の物見櫓のようなところへは行けなかった。手前には、小さな建物があり、そこには老夫婦が住んでいた!たぶん、見張り役だろう。頂上から少し下がったところに屋根のある建物があり、そこでしばらく休んだ。確かに見晴らしがいいはずだが、木が生い茂り、半分以上見えなかった。雨も少し降って、大雨だったらドロドロになるところだった…こんなところに、地元民でも来ないだろう。 3日目の昼間に屋台で、プノンペンで大量に買っていた絵はがきを広げ手紙を書いていた。毎年たくさん出しているが、今年は40枚ほどになる。ところがその途中、1日目に知り合った?ごみ集めの少年少女軍団がやってきて、絵はがきを興味深く見ている。「まずい!」…「ちょうだい!」…「やっぱり!」いつの間にか、ほとんどなくなってしまった…数人いる上に、屋台の子まで加わってはたまらない。1人当たりは2枚ほどだが、何せ大勢だ。かといって、誰が何枚で、これはアカンなんて通じない。本当は、今日にプノンペンの郵便局から出そうと思っていたのだが断念。17日にプノンペンから出すか、19日にタイの空港から出すかになる。タイのほうが確実に届くと思うが、カンボジアの消印も捨てがたい…6年前に行ったときは、プノンペンから出したが、2/3しか届かなかったのだ。しかも、数枚は、1ヵ月後にキティちゃんのシールなどが貼られて届いた。 時間が、とてもかかるので、知り合いなどへのメールなどは今日はしない。これを見られた私の身内や知り合いの方々、私は無事です!と伝えてください。知り合いの方のカキコは、本サイトの掲示板にしていただけるとありがたいです。なにせ、ここを始めてから、本サイトのカキコの方がさっぱりで… また、あちこちのサイトや掲示板へも、ほとんど行けないのでご了承を… 書き出せば、山ほどあるが、ここまで。前述の通り、明日からまた3日ほど行方不明状態になると思う。行ってみないとわからないが。↓ こちらへも、ぜひ!!アジアを旅しよう!
2006/08/13
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今日は、プノンペンからバスに乗り6時間。北西部の町バッタンバンに来た。ちゃんとエアコンつきだ。空いていた1番前に座った。もし、強盗などが入ってきたら、1番にやられる…バッタンバン周辺は、あまり治安がよくないと聞く。でも、前の景色を見ていたかった。途中、何回か休憩がある。トイレは、道端か、ドライブインだ。カンボジアの長距離バスは、比較的楽に乗りやすい。しんどくはなかった。 昨日は、トゥール・スレン博物館(もとポルポト派の刑務所)に6年ぶりに行った。セントラルマーケットから40分ほど歩いた。物議を醸した?骸骨は、ちゃんと棚に入れられていた。以前行ったときは、壁に国土の形に貼ってあったのだ。 晩に、ホテルのPC(日本語が使える)からネットしようとしたら、なぜか途中でダウン…使えなくなった… 今年は、きっちりとスコールが来る。快晴の日はない。薄曇りかと思えば、急に激しい雨が降る。 ここ、バッタンバンに、ちゃんとネット屋があった。しかも、日本語フォントが使える!通信速度がやや遅いのは仕方ない。 明日は、バイクタクシーで、周辺を周る予定だ。街歩きだけでなく、ちゃんと遺跡巡りもするのだ。線路の上を勝手に走るトロッコ列車も見に行く。アジアを旅しよう!
2006/08/07
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今、カンボジアの首都プノンペンにいる。天候は曇り。比較的暑くない。日本は、猛暑らしいが。 昨日は、携帯から書き込んだ。使い方がわからず、変になってしまった。ここプノンペンでは、携帯のメールができない…来た直後は、使えたのに…電話はできるので、行方不明状態には、ならないだろう。 今いるのは、ネットショップ。プノンペンには、あちこちにある。全部の店が日本語フォントを使えるかは、わからない。しかし、画像は送れない。カードリーダがないからである。できたら、あとからmyPCでつなぐかもしれない。晩は、拳銃強盗を警戒して、早い目にホテルに帰るつもりなので、時間が少々あまりそうだ。 6年ぶりのプノンペン。見覚えのある風景が広がっている。ホテルは、以前泊まったところより安いとこにした。以前はなかった、ショッピングセンターができていた。ここだけ、何か異次元の世界のようだ。ほかは、そんなに変わった気がしない。まあ、まだ、あまり街を歩いていないので、わからないが。 昼過ぎから、食事をし、ビールを飲んでいた。生ビールを頼むと、ピッチャーで来た。8000リエル(約240円と思う)。ビン何本分かは、わからない。 明日もプノンペンに滞在し、明後日には、北西部のバッタンバンへ行く。バスのチケットも買った。16000リエルだが、20000リエル出すと、なぜかお釣りが5000来た。 バッタンバンでの通信事情がまったくわからないので、今後、消息を知らせられるか不明だ。ここの更新もどうなることやら… 本当は、携帯からリアルタイムで画像つきで書き込みたかったのだが…ここの本サイトの掲示板にも書き込んでいます。アジアを旅しよう!
2006/08/05
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先ほど携帯から書き込んだが、なぜか画像だけが出てしまった… 今、バンコクの空港近くにいる。今日は、ここに滞在だ。今は7時。時差は日本-2時間だ。今日は、寝不足で眠たい。 明朝、早くにカンボジアのプノンペン入りする。 食事中。定番のカーオカームーだ!もちろん、ビールつき。
2006/08/04
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2006/08/04
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2006/08/04
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首都ダッカからバスで6時間(350タカ=約700円)の町,チッタゴン。第2の都市である。'04年8月。 町外れには,小さな湖がある。市民の憩いの場と聞いたので行ってみることにした。街の中心部からベビータクシーで20分ほどらしいが,歩いた。道を迷ったり,寄り道をしたら1時間半以上かかった。通りから曲がって入る道もわかりにくかった。あまりにも見えてこないので,途中の集落で聞いてみた。「あっちだよ。」と来た方向を指さす。通り過ぎてしまっていたのである。かなり戻った。 入り口に通じる道路には,売店や小さな食堂が連なっている。人々も多くいる。さっそく売店の兄ちゃんたちから声がかかる。「ジュースは,どうだい?」この日は,天気が結構よくてたいへん暑かった。迷うことなく入る。店には,何人かがいた。店員なのか,ただの知り合いなのかはわからない。めずらしそうに声をかけてくる。しばらく,ゆっくりした。 さあ,子どもの売り子の登場だ!ピーナツやらなにやらいろいろと持っている。ボクシーシ攻撃も始まった。しばらくついて来る。子どもも生活がかかっているので必死だ。どこの国でも,大人より子どもの方がよく働くようだ。 ※ボクシーシ攻撃=早く言えば,「お金ちょうだい」。本来は,喜捨の意味のはずなのだが,そこら中で声をかけられる。大人子ども関係なく声がかかる。 湖の周りは小高い丘になっていて登った。たくさんの市民が歩いている。比較的若者が多かった。集団でデートしている者も数組いた。丘の上で,しばらくのんびりと過ごした。こういう時間が,私には必要なのだ。時の流れが速く,忙しい日本で疲れてしまっている。 ちゃんと,ボートもあった。乗っている人は,誰もいなかったが… 湖の周りでは,何やら大がかりな工事が行われていた。たくさんの人が働いている。忙しそうと思いきや,カメラを向けると,みんな一斉に見てくる。手を止めて,ちゃんと写ってくれる。おもしろいもんだ。 丘・湖の入り口には,料金所があり,その横には,小さな動物園がある。そこへも入ってみた。5タカ(約10円)。シベリアタイガーやライオンもいたが,そこに混じってなぜかふつうの犬がいた。どう見てもふつうだ。鳴き声も,ちゃんと「ワン!」だった。 この後,今度は違う売店へ寄って休んで帰った。帰りも,もちろん徒歩で帰った。帰り道でも,いろいろな人々から声がかかった。疲れたが,なかなかおもしろかった。 そのときの画像は,まだまだ本サイトのバングラデシュ編に載せています。 明日から,しばらく外遊?です。更新が定期的にできないかも知れません。下記の本サイトの掲示板には,できるだけ書き込むつもりです。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/08/03
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カンボジアへは,'00年に行って以来,8/4から約6年ぶりに行く。 日本の子どもたちは,義務教育で基本的に全員が学校へ通っている。しかし,世界には学校へ通えない子どもたちが多いことは,誰でも知っておられるだろう。 ここカンボジアでも,状況は厳しい。一応,多くの子が学校へ通っているように見えるが,なかなかそうはいかない。 日本と違って,教科書などは全て有料。入学はしたものの,お金がなくてやめていく子どもが多いようだ。学校では,多くの子が勉強をしていた。午前と午後で学年が入れ替わるようだ。ここは,コンポンチャムの小学校である。 同じコンポンチャムの,プノン・プロス,プノン・スレイの山の中間で,女の子がジュースを売っていた。どう見ても小学生ぐらいだった。周りには家もないところで1人でいる。最近の物騒な日本では考えられないことだ。 まだ入学できるのはいい方かも知れない。民家の周りでは,子どもたちが平日の昼間から遊んでいる。小さい子など,裸で走り回っている。でも,暗さなど微塵も見えない。みんな明るく元気だ。私が歩いていると,多くの子どもたちが手を振ってきたり,ついてきたりした。好奇心があるのと,ヒマだからか。 この少女は,アンコールワットの遺跡の中で,空き缶などを拾い集めていた。マナーの悪い観光客が結構ごみを捨てるようだ。しかし,子どもたちにとって,これが収入源になっている。 アンコール・トムでは,遺跡の周りに物売りがたくさんいたが,子どもたちも多くいた。ほとんどの子が,手を差し出して「ワンダラー」と言う。そう,「$1ちょうだい!」ということだ。さらに,写真を撮っていると,前でいろいろなポーズを勝手にしている。うっかり写すと,やはり「ワンダラー」とくる。子どもたちだけでなく,大人もそういう人がいる。 言われた通りにお金をあげている欧米人も見かける。確かに,貧しくてかわいそう,$1ぐらい…という発想なのだろうが,これでいいのだろうか?お金をもらうことにより,味を占めて大人は働かなくなる。(もともと仕事も,少ないが…)子どもたちは,これが当たり前になり,これで生活しようとする。お金をくれない外国人は悪者だ。これでは,いけない。発展性がない。 今回も,じっくりと観察してくるつもりである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/08/02
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台湾の首都,台北。大きな街である。しかし,そこからMRTに乗ると,気軽に郊外へ行ける。今回は,南の郊外の碧潭。台北車站駅からMRT新店線で終点の新店駅まで行く。約20分。 駅から出る。すでにここは,台北市ではない。駅周辺は,建物や店が多く,人もたくさんいて賑やかだ。駅の横は川だ。川沿いの道を歩く。商店が多く並ぶ。階段があり,そこを登ると,目の前に碧潭のきれいな景色が一気に広がる。右の方を見ると,ビルなどが建ち並ぶ街だが,左や正面を見ると自然豊かな風景だ。なにか,ホッとする。 多くの人々がくつろいでいる。子どもたちや家族連れがたくさんいる。碁のようなゲームをしている老人も見かける。川沿いには,露店が多く並び,食堂などがある。ここで,ご飯を食べて飲み,ゆっくりと過ごした。 昨年行ったときは,人があまり多くいなかったが,今回は違った。どちらもGWに訪れたのである。 川には,たくさんのボートがあり,多くの人々が乗って楽しんでいる。こんなところに,台北市の中心からすぐに来れるのである。 夕方になってくると,吊り橋がライトアップされる。街の喧騒から離れ,ちょっとのんびりするにはここがいい。ただし,露店が建ち並ぶ通りには,人が多い。本当にゆっくりするには,少し離れた何もない場所にいる方がいいかも知れない。私は,景色を眺めるとともに,いろいろな人々を見るのが好きなので,前述のように通りの食堂でゆっくりした。食堂の人とも話をした。 ちょっと一息つきに,来られてみては?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/08/01
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ホーチミンにある,戦争証跡博物館。ベトナム戦争で使われた戦闘機や戦車や遺物,数々の写真が展示してある。行ったのは,'98年12月なので,ずいぶん前になる。 今も展示物が同じなのかは,わからない。しかし,戦争の悲惨さが十分に伝わってくる展示品ばかりであった。日本人が撮影し続けた写真もたくさんある。 再現された監獄やギロチンもあった。これは,もちろん人形だが,牢屋だけでもたいへんなのに,こんなつながれ方をされたら,たまらない。 これは,戦争中に使われた枯れ葉剤の影響によって生まれてきた奇形児のホルマリン漬けである。このような赤ちゃんが多く生まれてきたのである。 この画像を,本サイトで挙げたときに,掲示板に「精神的虐待をこうむる可能性はないんでしょうか?私は16歳ですが はっきりいって ショックを受けました。私よりも年齢の幼い人がみたら きっとショックを受けると思います」と書いてきた女子高生がいた。 確かに,ショックかも知れない。しかし,私は,ただ楽しいだけのサイトにしたくないことと,現実を知り,いろいろと考えてほしいという旨のことを,掲示板を通してではなく,個人的にメールで送った。 何にしても,戦争は悲惨なものだ。こうしている間も,中東の方では騒然としている。本当に平和な世界は来るのであろうか? 8/4~カンボジアへ行く。向こうから書けるか未知数であるが,場合によっては,長期間空くかも知れない。携帯から書くかも知れないが,携帯では画像が表示されないので,文字だけになるかも知れない。下記の本サイトの掲示板には,何とか書き込むつもりである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/31
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有名なアンコールワット。カンボジアである。'00年12月に行った。アンコールワットの他に,近くにあるアンコール・トム遺跡群にも行った。さらに,タ・プロームの他,郊外のバンテアイ・スレイへ行った。そこまでは,ガイドブック(○球の歩き方)に載っていた。 その後,行ったのが,かなり遠くのクバル・スピアン。ここは,たぶん当時ガイドブックには載っていなかったと思う。気づかなかっただけかも知れないが…帰国後にUPした本サイトでは,“カバスピエン”と記述している。 バイクタクシーで,かなり長い時間走った。舗装なんてされていない。赤土で土煙がすごい。対向車があると,止まってやり過ごさなければ,目も開けられない。また,途中は舗装工事中で大きな石を砕いた小石がまいてあったが,これがまた大粒でバイクの足が取られる。ゆっくりしか走れない。さらに,途中には細い板を渡しただけの橋。現れる水牛やブタ。たまには,蹴ってよけなければならなかった。2人乗りなので,余計にたいへんだ。シェムリアップから2時間ほどかかった。しかし,バイタクのドライバーと楽しく話しながらだったので,ちっとも長く感じなかった。 最初は,どこへ行くのかさっぱりわからなかった。小さな集落をいくつも抜け,ある山中に着いた。駐車場があり,入り口には看板もあった。小さな店もある。のどが渇いたので,ジュースを買った。 よくわからなかったが,バイタクのおじさんは,山を登れと言う。横には,ガイドらしい兄ちゃんがついてきた。何の気なしに歩いたが,長い!40分近くも上り坂だ。はしごみたいなとこもある。しんどい~ 山の上の方に着いた。結構,人がたくさんいる。しかし,ただの山中の小川に何が??川底を指さされた。見ると,石に彫刻がしてある。「お~!」様々な神が彫られ,聖地だったようだ。 ある団体が来た。「あれ?」日本語だ。日本のツアー客だ。「なんでや!?」ツアーのコースに入っているのか?ってことは,めずらしくないのか??なんか,穴場を見つけた思いが,一瞬にして崩れてしまった… 小川が滝になっているところがあった。滝の下に入ったり泳いでいる人もいた。だいたい,何の遺跡かはわかったが,詳しくわかったわけでなかった。 晩に宿へ帰ってから,服についた赤土の色は,いくら洗っても取れなかった。帰国後に,洗濯機で洗っても取れないぐらい,しつこかった。 かなり後日,やっとここが何なのかはっきりとわかった。今は,詳しくガイドブックに書いてある。シェムリアップから北東へ約50km。バイクタクシーで行くのは避けろと書いてある。あれ…そんなに危険なのか!?信用のある旅行会社で車をチャーターしろと… しかも,この辺りは地雷の撤去が完了しておらず,山道を歩くときは気をつけろと書いてある。しかし,そのときは全く知らずに,あちこちを歩いた。“DANGER MINES”の看板もなかった。一歩間違えれば,たいへんなことになっていたのか!約2年後に,初めてあせった…(*_*) ※ 画像は,1番下以外は,VTRからのキャプチャです。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/28
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メコン川唯一の滝である。この周辺に小さな島が無数にあり,川も細かく分かれている。6/7の日記「ラオス コーンパペンの滝」の続編である。 岩の上に座っている。結構,下まで行ける。たぶん,川に入ると流されてしまうだろう。ゆったりとしたメコン川では考えられない姿だ。今回は,私入りだ。 滝の手前までは,このようにゆったりと流れている。しかし,うっかり舟が流されるとたいへんなことになるだろうが,のんびりとしたもんだ。手前の画像は,他のサイトでもあまり見ない。 さらに,手前の川沿いの様子である。滝の横は,展望台のようになっていたりレストランがあるが,手前は,ふつうの集落なのである。 このように,右側奥に牛も寝ている。一般の人々にとっては,いくら観光客が来ても日常の生活はふつうに行われているのである。川の流れのように,のんびりと,つつましく…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/27
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今日は,タイのメーソット~ミャンマーのミャワディだ。'05年8月。ここは,メーサイ~タチレクと違い,デイリターン(1日滞在)しかできない。国境までは,メーソットの街からソンテウで約20分。国境ゲートでは,パスポートに出入国のスタンプが押される。 モエイ川に架かる橋を渡る。川幅がある分,メーサイの橋よりも大きいし長い。ミャンマー側にも大きなゲートがある。何の問題もなく通過。 雨が降り続く…毎日降りっぱなしだ。さっそく,ドライバーが声をかけてくる。見ると,タチレクと違って,自転車タクシーだ。しかも屋根もない。今回は,乗ってみることにした。屋根がないので,傘をさしての乗車だ。街はアップダウンが結構あり,上り坂では降りて歩かなければならない。 雨でズクズクになりながら,あちこちをまわってもらった。どこかわからない集落の間も抜けていき,あちこちの小さなパゴダ(寺院)をまわった。舗装はされてなく,土もドロドロでたいへんだった。パゴダでは,裸足にならなければならないが,雨で足が濡れる。つまり,そのあと靴を履くと,さらに靴もズクズクになるのだ。地元人のようにサンダルにしたらよかった。 小高い丘の上にあるパゴダへ行った。建物の屋上へ行く階段にはカギがかかっていた。ふだんは閉めているらしい。ドライバーが僧侶に頼んで開けてもらった。あとで寄進はした。上へ上がる。ミャワディの町が一望できた。しかし,気をつけないと滑って下へ落ちそうだった。 このあと,お腹がすいたのでレストランへ行ってもらった。このレストランの上はゲストハウスのようで,欧米人が数名下りてきた。この町にも泊まれるのか?単に酔寄っただけなのか? 食事には,やはりビールだ!ピッチャーで頼んだ。約6年ぶりのミャンマービールだった。うまい!!食事も,もちろんおいしかった!生野菜も,たくさん食べた。(生では,あまり食べない方がいいが…) その後,5/30の日記にある,アンティークショップへ行き,国境に戻った。結構ギリギリの時間になってしまった。 雨季は,たいへんだった。毎年このように降っているわけではないらしいが,この年は特別多く降ったと聞いた。乾季に行けば,また違ったおもしろさがあるかも知れない。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/26
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タイ北部のメーサーイの町を超えるとミャンマーのタチレクだ。タチレイ,タキレイなど,言い方はいろいろだ。'02年,'04年の2回行った。 メーサーイからは,デイリターンとして,1日だけミャンマーへ入国することができる。(手続きをすれば,もっと長い期間入ることができる。)気軽に国境越えができるわけだ。 タイ側の国境ゲートを通過し,川に架かる橋を渡る。川を挟んで,右がタイ,左がミャンマーである。乾季は,川が浅くなるので歩いて渡れるような感じだ。橋を渡ると,今度はミャンマー側のゲートだ。日本人は,簡単に通過できる。そして,入国だ。 ゲートの建物を抜けると,大勢の客引きがいる。バイクタクシーが多い。一斉に声をかけてくる。きちんと交渉しないとぼったくられる。しかし,私は乗らない。無視してさっさと去っていく。お金がいるのと,ゆっくりしたいからである。街中でも声がかかるが無視。 国境を越えると,すぐにマーケットがある。タイ人が多いと聞くが,いろいろなものが売っていて,賑わっている。民族衣装を着た人も時折見かける。見せるためでなく,普段着なのである。街中でも見かけた。 デイリターンの場合,行ける範囲は決まっている。あちこちに監視所のようなものがあって,見張っている。たまに声をかけられる。軍事政権下では,監視は厳しいのだ。 町外れで道路工事をしていた。日本のように重機など使っていない。手作業だ。舗装しているわけでなく,土を固めているだけだ。1人が「写真を撮ってくれ!」と叫んだ。カメラを向けると,みんな仕事の手を止めて一斉にこっちを向いた。みんな笑顔である。てっきり嫌がると思っていたのだが,予想外だった。 ミャンマーでは,学校を写すのはダメらしい。撮っていると,必ずどこからか「撮るな!」という感じで叫ばれたり,走ってこられる。 が,ここは学校の塀の外。子どもたちが集まってきた。これは怒られない。施設を撮ることがいけないらしい。 タイ色が強いとは言え,ここはミャンマーである。ちょっと移動するだけで味わえる異国情緒。タイ~ミャンマー間では,ほかにもデイリターンできる場所がある。昨年は,メーソット~ミャワディへ行った。気軽に行けるところがうれしい。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/25
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タイ北部の町チェンラーイ。私は,チェンライと呼んでいる。'04年8月に,じつに10年ぶりに訪れた。今回は,本サイトからの抜粋である。こちらの方が,詳しく書くが。 町の様子は,かなり変わっていた。漢字併記の標識もある。メンラーイ王像なんて,結構派手になっていた。しかし,見覚えのある建物や風景は,そのまま残っていた。懐かしかった。 1番驚いたのは,そのときに泊まったホワイトハウスゲストハウス。見に行ってみた。同じ場所に,3階の建物がある。横に平屋建てもあったが,「あれ?なくなったのか??」以前は,平屋建て2棟と2階建ての計3棟だったのだ。 平屋建ての方に“ホワイトハウスホテル”の文字。「なに??」ホテルになったのか!?ずいぶんと変わったもんだ。 街をウロウロ歩き回った。あちこちに懐かしい風景が広がる。また,以前歩かなかったところも歩いた。通りかかった高校の前では,多くの女子生徒が手を振ってくれた。 小学校の前を通りかかった。下校時間のようだ。結構多くの親が迎えに来ている。車での送迎もあるようだ。 門の横を見ると,何やら乳酸菌飲料の販売をしている。私を見つけると,一斉に手を振ってきた。男が声をかけてくる。「5バーツ(約15円)ですが,買いませんか?」,「え~?学校の様子を撮ってるだけやし,いらんけど…」と私。 別に,のどが渇いているわけでなかったので,特にほしいと思わなかった。通り過ぎようと思ったが,しかし…横から「安いので,買ってくださ~い!」と,女の子。う~ん… 「はい,買います!」…で,この通り。女の子が出てくると…しゃあないやつやなあ~(^_^;) しばらく一緒に呼び込みもした。 タイには,乳酸菌飲料や大容量のヨーグルトドリンクがたくさんある。この時以来,ヨーグルトドリンクを多く飲むようになった。ちなみに,帰国後に有名なアジア光俊さんに教えてもらって知ったことだが,この乳酸菌飲料はタイで大手のダッチミル社だった。5/20の日記「タイのヨーグルトドリンク」にも載せてある。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/24
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恵まれたニッポン。物があふれかえっている。人々は,贅沢な暮らしをしていることが多い。6/4「フィリピンのスラム街」の続編である。 これが,2階へ上がるはしごが外にかかっている家である。あとから継ぎ足したのか,もとからこのような造りなのかは,わからない。とにかく,いろいろな形の質素な家が多くひしめき合っていた。 これは,マニラシティの城塞イントラムロスから見たビノンド地区である。ここは,スラムではないと思うが,やはり,家がひしめき合っている。 キアポ地区の住宅。前の通りでは,多くの人々がいた。子どもたちは元気に遊んでいる。大人たちは,なんとなくそこにいる感じであった。ここもスラムではないと思うが,ゴチャゴチャした雰囲気ではある。 ここは,ビノンド地区から北西に結構歩いたところ。スラムのトンド地区の近くと思う。ひょっとして,スラムに入っているのか??ここも,質素な家々が多くあった。 この画像を紹介するのは,「こんなとこへ行ったんや!」と自慢?するわけではない。世界には,いろいろな人々がいて暮らしがあり,厳しい現実が存在することを知ってもらいたいためである。街には,手持ちぶさたな大人たち,物乞いをしたり,物を売っている子どもたちも多く見かける。 日本では,簡単に何でも手に入る。もちろん所得の格差はあるが,向こうから見れば,いくら生活が苦しくとも,贅沢なのである。貧乏旅行者でも,金持ちなのである。だから,日本人は,よくぼられたり欺されたりする。物価が安いからといって,値切りもせずに簡単に言い値でお金を払ったり,優柔不断で人のいい国民性も相まってであるが。 不景気で,日々の生活に苦労をしている人も多いと思うが,今日をどのようにして生きていこうか(言い方が違うかも知れないが)…なんて考える人が日本でどれだけいるだろうか?向こうの人々は,それでも逞しく生きている。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/23
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ブルネイには,まだ多数の水上住宅=カンポンアイルがある。私が行ったのは,'01年8月なので,もう5年前である。6/22の日記「ブルネイ カンポンアイルで火事」でも,紹介している。 ブルネイ川の上に家々が建っているのである。ここに多くの人々が住んでいる。多くのボートが高速運転している。 住人は,一介の旅行者の外国人の私にも,結構愛想よく陽気に接してくれた。この住人も,おもしろかった!また,家から下の川にいるカニを釣り上げて漁をしている人にも会い,見せてもらった。住人に声をかけられて,紅茶をもらったりもした。ほとんどの人が,「Welcome to BRUNEI!」,「Hello!」と声をかけてくれた。 子どもたちも,多く集まってきた。みんな,ニコニコしている。 学校も,川の上にある。このときは,残念ながら日曜日で閉まっていた。平日に行ったらよかった… ボートが交通手段のため,こんな水上GSがある。なんとも不思議な光景だった。 陸上に家を建てる人も増えたらしいが,まだまだ水上に住んでいる人は多いようである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/22
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タイのバンコクからメーソットまでのプーケットエアに乗った。機体は,日本の誇るYS-11機。この機に乗るのは初めてだった。'05年8月。 機内の表示は,英語と並んで,ちゃんと日本語が書かれている。まだまだ元気であるが,機内は,かなり年代物の感じがした。プロペラ機独特の音がする。日本でも,まだ現役で働いていると思うが,この機に乗れるのは,なぜかうれしい。 これは,バンコクを離陸してから撮影したもの。川の流れがよくわかる。昨日に続いて,上空からの画像だ。日本の川と違って,水が茶色い。 約1時間ほどのフライトだ。着陸の数分前から機体が揺れだした。雨も降っている。それにしても,かなりの揺れだ。「キャー!」各地で悲鳴が上がる。いきなり,急降下だ。まるでジェットコースターだ。おいおい大丈夫か??周りを見ると,不安そうな顔。もちろん,無事に着陸した。 これが,プーケットエアのYS-11だ。着陸後にメーソット空港で撮った。そういえば,最近の機体って操縦席の窓が開いたっけ?? しかしながら,今は,この路線は飛んでないと思う。 今日から出張で,2日ほどここを休みます。その間,下記の本サイトにでも立ち寄ってください!,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/19
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雨季になると,国土の1/3が水に浸かるというバングラデシュ。私が行った'04年8月は,2/3が浸かっていた。 お気に入りブログの,閑 甚太朗さんの,バングラデシュ珍道中記の7/17,18の日記に乾季の上空からの画像があったので,雨季の様子を載せてみた。(本当は,もう少し先に出すつもりだったのだが…) これは,タイのバンコク発の飛行機で,ダッカのジア国際空港に着陸前に撮ったもの。おそらく,ふだんはほとんどが陸地と思われる。(間違っていたら,すみません…) これは,コックスバザール発のビーマンバングラデシュ機から撮ったダッカ上空。これも着陸前。やはり,水浸しである。上の画像とは9日間開いている。 ダッカ市内。そこら中,水たまりだらけだった。困ったのは,チッタゴン行きのバスに乗ったときだ。待合所の前にバスが来た。歩道から道路までなぜか板が渡してある。しかし下は土である。「なんで,わざわざ板が?」と思い,横の土に直接足を下ろした。「わ~っ!」いきなり,靴の半分が土に埋まった。じつは,泥だった!しかも,汚いし臭い。 すぐに待合所に戻り,泥を払う。しかし大量についた泥はすぐに取れない。周りにいたみんなが,「気の毒に!」と言っていたが,親切なもので,ある人は,ティッシュをくれたし,バス会社の人はホースで水をかけてくれた。私の靴はスニーカーだが,あちこちに隙間の空いているタイプなので,水をかけすぎると中に入る。慎重にかけてもらった。バスに何時間も乗ったが,最後まで気持ち悪かった… コックスバザールで。これは,雨が降っていないときの様子。向こうは海である。 雨が降り続いた。このように,水浸しだ。向こうの海も荒れていて,水の色は茶色だった。泳ぐどころではなかった… 今年は,どうなんだろう?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/18
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タイのナコーン・ラーチャシーマー(コラート)。大きな都市である。そこには,変わった寺院があった。名前は,ワット・パーヤップ。新市街から旧市街に入ったところにある。'05年8月。 各地から集めた鍾乳石や石を張り巡らしためずらしい瞑想部屋があるらしいので,行ってみることにした。建物は大きいので,すぐにわかった。昼過ぎだったが,人はほとんどいなかった。 こんな丸い形の寺院は,あまり見たことがない。しかも,1階部分は店などが入っていた。妙な感じだった。この建物自体は,あまり古くなさそうだ。敷地内に入ってみると,タイでは見慣れた形の建物があるふつうの寺だった。しかし,どれがその瞑想部屋なのかわからない。よく見ると,ちゃんと小さな案内板がいくつかつけられていた。それでも工事中だったので,入り口がわかりにくい… …と,1人の僧侶が向こうから手招きしている。「こっち!」と言ってくれていた。塀があって,外からは少しわかりにくかった。入り口から,いきなり怪しい!外側にも石が貼ってあるとは思わなかった。 天井には,鍾乳石がいっぱいあり,まるでどこかの洞窟に入ったようだ。壁も石などが一面に貼ってある。池のようなものもつくってあった。薄暗い中,鯉が泳いでいた。これはすごい!本当に瞑想ができそうだ。横を見ると,若い僧が何人か横になっていた。私が来たことに気づくと起き上がった。 僧侶は,一生懸命にいろいろと説明してくれた。とてもうれしそうに話している。しばらくゆっくりとした。日本のことも聞いてきた。興味深く聞いている。ノートに記帳もした。たまに日本人も来るようだ。しかし,タイ人や欧米人の名前の方が多かった。寄進も少しした。「日本のお金が見たい。」と言うので,小銭を見せた。めずらしそうに見ていた。僧侶の写真もOKだった。 とてもいい人だった。なんとなく,さわやかな気分で寺を後にした。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/17
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タイ東北部の町,コンケーン。○球の歩き方には,コーンケンと書いてあるが,この言い方では全く通じなかった。ピッサヌロークから,ノンエアコンバスで5時間40分。137バーツ(約411円)であった。'05年8月である。 昼前に,町外れの湖まで歩いた。ブン・ケン・ナコーン湖だ。市民の憩いの場になっている。のんびりとした雰囲気だが,ほとんど人がいない。湖の中にはレストランがあったので,そこで昼食をとろうと敷地に入った。と,誰もいない…なんでやろ??少し待っていると,数名がやってきた。しかし,客のようではない。作業服を着ている。工事中?戸が開くので入ってみた。店員らしき人がいた。「今日は,閉まってるよ。」空腹のまま歩き回った… その後,湖畔でゆっくりと座っていた。周りでは,何人かがのんびりと休んでいた。お腹?もちろん空いているが,近くに店がない。それより,歩き回っていたので疲れたのである。やっと立ち上がる。少し歩くと,消防車が止まっていた。よく見ると,日本語が書いてある。 「中伊豆町消防団 第二分団」とある。その下には,タイ語が書いてある。おそらく,日本では引退した消防車が,ここまで運ばれて使われているのだろう。タイでも,日本の中古車は見かけることがある。工事の重機もよく日本語が書いてある。中伊豆町(合併して,伊豆市になったようだ)の消防団の関係者の方々は,おそらく廃車になったと思われているかも知れないが,こんなところで余生を過ごしている。まだまだ活躍しているのだ。 少し歩くと,たくさんの消防車が止まっていた。さらに横の建物に放水している。何かの訓練かデモンストレーションのようだ。TV局のカメラも来ていた。たくさんの人々が集まって見ていた。 湖は小さいとは言え,結構広い。休んだり寄り道したりしている間に夕方になった。最初に入った地点まで戻ってきた。おっと,いつの間にか人が増えていっぱいいる。さらに露店も出ている。昼間とえらい違いだ。やっと食べ物にありつけた!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/16
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またまたラオスのサワンナケート。5/18の日記「ラオスで宴会」の続編画像である。ここ最近,仕事が忙しく,続編が続いている。決してネタがなくなったわけではございません! サワンのバスターミナルから,しばらく北へ走ったところにある友人の家である。メインの通りからは少し入って行かなければならない。 この家で1日を過ごしたことが何度かある。酔って泊まったこともある。これは,夕ご飯である。家族の一部しか写っていないが… この画像は,しばらく本サイトのトップページの画像として使っていたものである。友人や近所の人たちを招いての宴会である。私のための宴会なのである。ここは,高床式の家の2階である。 ここは,1階の部分。まあ,外である。いろいろな人が話しかけてきた。お互いにブロークンイングリッシュで何とかなるものだ。ラオ語しか話せない人とでも,なぜか仲良くなれる。不思議なもんだ。 ここでは,もう何回か宴会をしてもらった。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/15
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ビーチが広がっている,ニゴンボの町。6/14の日記「スリランカ ニゴンボのビーチで」の続編画像である。 以前書いた,声をかけてきたおじさんである。ビール瓶とコップを持っている。 時間が経つと,いつの間にかウィスキーに変わっていた。しかも,ちゃんとグラスになっている!かなり酔っているのだが…豪快なのか繊細なのか,よくわからなかった… これは,レストランの店員である。先ほどのおじさんとは別人である。日本語を覚えたいらしく,いろいろ聞いてきた。日本語がいくつか書かれている手帳を見せてくれた。そこで,指さし会話集の日本語版をあげた。喜んでくれた。 土産屋の家族。右側の青年は,日本へ留学したいそうである。土産を売るだけでなく,日本のことについて,いろいろと聞いてきた。 この国でも,日本へ行きたい人は多くいることがわかった。しかし,お金がかかるのでなかなか行くことができない。また,写真を撮る機会が少ないらしく,みんな喜んで写ってくれた。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/14
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昨日に引き続き東ティモールを。5/25の「東ティモール情勢」の続編画像だ。'03年8月だ。 そこら中で,ホテルや商店,民家などが暴動による焼き討ちに遭ったまま残っていた。また,首都ディリより東や西の地方へ行っても,やはり暴動の跡が多数残っていた。 これは,何でも揃っていたマートの焼け跡である。たぶん,独立後の焼き討ちに遭ったのではないだろうか。知らずに見に行って唖然とした。 焼け焦げた建物の前には,壊れた車もある。一緒に壊されたのだろうか? 焼け落ちた家は閉鎖されている。壁には落書きがされている。仕事がなく時間をもてあましている人や,政府に不満のある人がかいたのであろうか? 焼け焦げた民家。そこには誰もいない。こんな家や建物が,あちこちに点在していた。しかし,人々は,健気に生きていた。 これは,昨日の続きである。日本の原風景にも見える。今の日本に,このような光景は,あまりないだろう…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/13
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混迷を続ける東ティモール。首都ディリには,外務省の危険度は最大が出されている。たいへん心配だ。政府はどうなった?オーストラリア軍は,まだ治安維持に参加しているのか? 6/13の日記の続編画像である。 あのとき出会った人々,子どもたちは今どうしているのだろうか?私が行ったときは,焼き討ちなどに遭った家や建物が痛々しく残っていたが,撮影したときの家は無事なのだろうか?学校に行けてなかった子どもたちのことも気になっていたが,今はそれどころじゃないだろう。多くの市民は,町から避難しているという。 この木は,かなり巨大であった。子どもたちは,その上に軽々と登っているのである。2階か3階ぐらいの高さはあった。最初,通りかかったときは,上から声をかけられた。 子どもたちは,撮ってもらおうと必死で押し合いだ。男女の間で小競り合いもあった。庭の木の前でポーズをとったりもしている。 終盤には,いつのまにか,おじいちゃんも出てきての撮影だ。途中,お母さんも撮影に参加している場面もあった。 延々続いた撮影会?だが,最後に男の子が,「ありがとう,これ以上時間をとったら申し訳ない」(たぶんテトゥン語なので,推測)という感じで言ってきた。そこで,みんな「サンキュウ~!」の声でお別れだった。 東ティモールの平和を願っている。 別の場所で撮った子どもたち。見た瞬間に集まってきた。こちらも,たいへん賑やかだった。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/12
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ミャンマーには,戦後にあったような古いトラックが多数走っている。 これは,'99年に行ったときも昨年に行ったときも変わっていなかった。タイムスリップしたかのような感覚になる。 これは,トラックバスである。車両が古いのがお分かりだろうか?上には,荷物満載だが,下の座席も人間が満載になることが多い。('05 モウラミャインにて) こんな乗り方もある。このトラックも古い!まさしく戦後のようだ??しかし,すごい乗り方だ。('99 パテインにて) こんな状態のも,めずらしくない。ちゃんと走るのである。雨の中も大丈夫なのか?…で,聞いてみたが,「全く問題ない!」ということだったが…('05 バゴーにて) もちろん,現代風?のトラックもある。しかし,過積載もいいとこだ!おまけに,上には人が乗っている。('04 タチレクにて) こんなのもある。トラックと言うより,組み立ててトラック風にしただけに見える。トラクターのような音を立てて,超ゆっくり走っていた。('02 タチレクにて) 画像には出ていないが,もっと古いのも多くあった。まあ,このように,トラックもまた見ているだけで楽しい!!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/11
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インドネシアのロンボク島。'03年8月だ。隣のバリ島は,超有名だが,こちらは比較的人が少ない。まだまだ素朴な一面が残っている。 ビーチで,のんびりした。さらに,バイクを借りて走った。1番にぎやかなスンギギという町に泊まったが,そこから2時間以上走って,北部のBayanという町まで行った。 途中には,いろいろな景色があった。あちこちで,ゆっくり止まって景色を眺めたり,人と話したりした。海は真っ青で,とてもきれいだった。 おもしろい造りの舟もあった。これで,漁でもするのであろうか?似たような舟に子どもたちを含め人がいっぱい乗っているのも見た。 海岸にある民家だろうか?何か作業するための家?? 南部の町,クタのタンジュン・アン・ビーチだ。近くに,ロスメン(ゲストハウス)が数件あった。また,ホテルも少しあったが,観光客をほとんど見かけなかった。ビーチに行くと,私1人で誰もいない。しかし,横から人がやって来た。物売りだ。しかも,あとからいっぱいやってくる。売り子の方が多いやん!これで商売が成立するのか?? インドネシアとマレーシアのどちらにも,ナシゴレン,ミーゴレンがあるが,インドネシアの方がずっとおいしかった。マレーシアのは甘みが入りすぎてイマイチなのだ。他の食べ物も,おいしかった。 バリ島には,この前後に滞在した。 《P.S 5000HITは,自分だった》↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/10
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おなじみ??のラオス南部のサワンナケートの「続・ラオスのある場所で…」の画像追加編である。6/2の日記参照。 最近は,朝に新編,晩は追加画像の1日2回書いている。しばらくは大丈夫だが,今後ネタ不足になると困るので,明日からもとの1日1回に戻そうと思う。追加画像の続編も,朝に書こうと思う。 湖に行く前に,途中の店で昼食だ。彼女は,ある店で止まった。この店は,テーブルは外にある小さな店だ。たぶん地元の人でないと寄らないだろう。だいたい,こんな町外れまで外国人はめったに来ないだろう。2人乗りで走っていると,みんながめずらしそうにこっちを見ている。 右側の卵は,ゆで卵だ。しかし,これは孵化する直前の卵をゆでているのだ。殻を割ると,中から黄身とともにヒナが現れる。珍味なのだが,私は苦手だ…ご飯は,餅米のカオニャオ。手でこねて食べる。あとはサラダだ。完全に地元仕様だ。サラダは,癖があって食べにくかった… 食事の後,バイクで湖に向かう。途中には,このようにいろいろな動物たちが迎えて?くれる。というか,通せんぼだ。ふつうに,そこら中にいる。 湖で水を汲んでいる。以前の日記で書いたように,木を大切に育てているのだ。しかし,彼女は少し前からベルギーに留学中。雨季はいいが,乾季の木の世話は,どうするのだろうか?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/09
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ミャンマーでは,日本の中古車がたいへん多い。韓国製もある。超古い乗用車もあるし,最近のやつもある。バスは,日本語がそのままのものが多い。なぜ消さないのだろうと思っていた。どうやら,日本語が入っていた方がいいらしい。日本製の高品質は世界で有名である。その日本製ということを示すためにわざわざ残しているらしい。車体や車内の広告なども,そのまま残してある。乗っていると,日本にいるようだ。 しかし,'99年に行ったときと,昨年行ったときでは,微妙に違っていた。昨年行ったときは,日本車は相変わらず多くあるものの,日本語を消してある車両を結構見かけたのである。この変化は何なんだろう?たまたま,そうだっただけなのか? しかし,ミャンマーは日本と違い右側通行である。だが,ハンドルは右ハンドルのまま。走行中は,追い越しをしょっちゅうするのだが,対向車が見えない。そこで,必ず横にもう1人いる。その人が,時にはドアから体を乗り出して対向車を見て追い越しの合図をしているのである。 車内は,ボロボロになっていることが多い。エアコンも,とうの昔につぶれている。シートもガタガタ。さらに,日本では路線バスだったものが,長距離用として走っているものもある。 ヤンゴン市内で見かけたこの路線バス。なんとなく懐かしい…あっ,京都市バスだ!このバスは,文字が消してあったが,別の場所で見た市バスには,ちゃんと「京都市交通局」という文字が残っていた。 なぜか多い名鉄バス。これも,もとは路線バスだが,長距離用として使われていた。これは,'99年に南西部のパテイン~ヤンゴンまで乗ったもの。名鉄バスは,昨年もあちこちで見た。 こんな楽しみも,ミャンマーにはある。また,トラックは戦後間もない頃のようなすごいのも多くある。また,後日紹介する。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/09
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バティアリの船舶解体場の続編画像である。「バングラデシュの船舶解体」5/20の日記参照。 こんな大きなフェリーが解体されていく。 それが,こんなになるのだ。よく,あんな巨大な船舶を大きな重機もなくバラしていけるなと思う。 バラしたパーツが,バラバラに散乱している。この上を,軽装で歩き回っているのだ。はだしの人もいるが,ケガはしないのか?? バラした綱板を,みんなで運ぶ。肩に乗せて歌を歌いながら運んでいる。かなり重そうだが,大勢で歌いながら運び,重さを感じないようにしているようだ。 こうやってバラしたパーツやエンジンなどを表通りの多くの中古パーツ屋で売っている。ダッカにも運んで売っているそうだが,ここで買う方が安い。 ふつうは,立ち入ることが禁止されているところを,ホテルのボーイ兼ガイド(この国は,まだツーリスト産業が,あまり発達していない。)が無理に頼んでくれた。ただし,事務所から見えるところは撮影禁止だ。真剣に働いているので,撮影は嫌がるかと思ったが,みんな意外と愛想良く写ってくれた。貴重なものを見せてもらった。しかし,なんとなく,これでいいのか?と考えてしまう光景だった…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/08
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ここは,ミャンマーの某駅。サイカーのおじさんの案内で駅構内を見て回った。 そのとき,駅裏まで連れて行かれた。外れに門があった。(なんやろ??)入った。質素な車庫のような建物があった。そこにSLが止まっていた。「お~現役で走ってるんや!」何台か止まっている。整備中のもあるようだ。 整備をしている人に何か交渉している。どうやら本当は入ってはいけないらしい。ドライバーが言う「許可が出た!」だいたいSL自体,日本でもゆっくり見たことがない。私にとってはめずらしい。 「乗ってみるかい?」…で,手すりを持った。「うわっ!」炭でベタベタだ。しかし持たないと乗れない。仕方なしに,そのまま中に入った。持つところ全部ベタベタだ。中に入るのなんて初めてだ。 おもしろかったが,手のベタベタがとれない…しばらく,そのままの手で行動した。整備員には,チップを渡した。 駅裏には,民家が多数建っている。東南アジアでは,めずらしいことではないが,線路のすぐ横に生活があるのだ。 しかし,こちらは完全に線路の上だ!列車が来てもよけられない。ここは,表側で完全に駅構内。引き込み線なので,列車が来ることはめったにないように見えるが,大胆だ! 人々が,ふつうに暮らしているのである。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/08
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5/21のラオスの日記の続編である。(詳細は,前日記を参照。)朝は新日記,晩は画像追加編を書いている。 ラオス北部の町,シェンクアンでは,インドシナ戦争以来25年以上も経った今も,不発弾により年間100人ぐらいの死傷者があるそうだ。爆弾は,通称ボール爆弾,地元ではボンビーと呼ばれている。 いろいろなサイズがあるが,私が泊まったゲストハウスに置いてあったもの。これは,小さめである。私の身長は170cmである。爆撃機からこれが投下されるのだ。この薬莢の中には野球のボールぐらいの小爆弾が詰まっている。さらに小爆弾の中にはパチンコ玉ぐらいの鉄球が無数に入っている。これが地上で爆発して飛び散るのだ。 ゲストハウスの食堂兼ロビー?です。暖をとるために薪をくべるのに利用しています。 ボール爆弾が,民家の塀として利用されている。手前にいるのは,飼っているブタ。 このように,家の土台にもなっている。うまく利用したもんだ。 そこら辺の商店や民家にも,ふつうに置いてある。 戦争と言えば,カンボジアやベトナムばかりが言われるが,ラオスの被害も甚大なものだったのである。みんなにも,もっと知ってほしい!↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/07
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ミャンマーで,鉄道に乗った。ヤンゴン~バゴー間とバゴー~モッタマ間の,2回乗った。 普通席がオーディナリークラスで,いいのがアッパークラスだ。ほんまの庶民と一緒ならオーディナリークラスだが,線路事情が悪いと聞いていたので,アッパークラスにした。アッパークラスはリクライニングする座席だが,乗ってみるとかなりボロかった…でも,バスよりも少し余裕があった。 エアコンは,ない。扇風機があるだけだ。電灯も壊れていて,豆電球のような小さな球がついているだけである。モッタマへ行ったときは,夕方になり暗くなったが,電球だけではほんまに暗かった。途中から,何人かのオーディナリークラスの客が入ってきて,勝手に座っていた。車掌に注意されていたが,追い出されることはなかった。いいんかいな?? 駅に止まると,窓から売り子が一斉に来る。乗り込んで,天井伝いに歩いている売り子もいる。たいへん賑やかだ。 さて,一番の売り物??は,名物縦揺れだ。横揺れは,日本でもある。しかし,ここでは縦揺れがあると聞いていた。どんなんだろう??それは乗ってみて,わかった。 列車のスピードは,たいへん遅い。しばらくは,横揺れしかなかった。ほんまに縦揺れなんてあるのか??乗車後,何十分かして少しスピードアップした。おっ!来た来た,縦揺れだ。しかし言葉で言うのは難しい…まさに縦揺れだ!(説明になってない…)こんな感覚は初めてだ。なんか飛び跳ねているようだ。 列車が古いせいだろうかと考えながら,線路を見ていた。すごい線路だ。レールが完全に浮いている。そら縦揺れもするわ!と思った。さらに,脱線するんじゃないかと思った。 全部こんなわけでないが,すごいレールである。たまに,外れて脱線するそうだ。一度乗ってみることをお勧めする!?↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/07
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今晩は,5/31の日記の追加画像である。こういった車を見ると,何十年も前の日本に戻ったような錯覚に陥るような気がする。 三井精機のハンビーと戦後のマツダの現地生産車である。タクシーになると思う。たくさん止まっていた。(モウラミャインにて) 左はハンビーだが,右に何台かある車種は,わからない…(モウラミャインにて) 客を乗せ,走行中のマツダ K360。僧なども乗っている。(バゴーにて) 他に,日本語が入ったままのバスなども多数ある。また紹介していきたい。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/06
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ここは,バゴー駅。多くの人々がいる。 こんな風景は,めずらしいことではないが,線路上にふつうに人がいる。多くの人が座っている。列車の乗り降りも,ホームだけでなく,直接線路に降りることもしばしばである。 ある意味,のどかな風景である。荷物をいっぱいに持った人もいる。しばらく構内をウロウロした。 列車が入ってきた。汽笛を鳴らしている。しかし,人々はほとんど動かない…そこら中に荷物が置いてある。轢かれる!列車は,超ゆっくりだ。ギリギリまで迫ってきた。寸前でやっとどけた。みんな落ち着いているが,見ているこっちが冷や冷やだ。 しかし,荷物の多いこと!これらを次々に下ろしたり積んだりしている。忙しいのか,のどかなのか,わからん風景だ。 売り子も多くいる。列車が入ってくると,このように食べ物などを売るのだ。たくさん集まってくる。このときだけは,にわかに騒然とする。この列車は,私も乗った。また,後日紹介する。 よく見ると,ずっと座っているだけの人もいる。列車が何本か来たが,どれにも乗らない人がいるのだ。暇つぶしに来ているのか?? 駅は,ただ見ているだけでも楽しいのだ。 ↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/06
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ゴールデンロックで死にかける!(6/24)の追加編です。追加編第2弾である。 トラックの様子は紹介したが,本体そのものは載せてなかった。 これは,ゴールデンロックそのもの。ミャンマーの人々の聖地のような所だ。落ちかけなのは,わかるだろうか? 手前には,このような施設が広がっている。多くの人々が訪れている。 また,毎晩を目標にランダムに追加編を載せていく予定。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/05
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タイ北西部のメーソット。'05年8月。雨季で毎日ずっと雨だった。アジアクロスカントリーラリーで片山右京選手がメーソットに入る前日に次の町へと出た。 町の南の方にスコータイ,ピッサヌローク行きのミニバスターミナルがある。そこへ,まず行った。次は,ピッサヌロークへ行こうと思ったからだ。係のおばちゃんにお金を払う。147バーツ(約441円)だ。他方面行きのバスが,何本か出入りしている。「来たら,教えてあげる。それまで街でも見てきたら?」しかし,周辺は,すでに前日までに見て回っている。しかも,やまない雨の中だ。さらに,見に行っている間にバスが来てしまう恐れもある。わざわざ私を待ってくれる保証もない。町歩きは早々に,待合所に戻ってきた。暇な時間が続く。何台かミニバスが来たが,全て他方面行きだった。 また,バスが来た。待合所にいたみんなが乗り込む。欧米人が多い。ドライバーが何か呼び込んでいる。タイ語で,さっぱりわからない。おばちゃんは,私に何も言わない。予定時刻が来ているが,これも違うのかな?なんとなくイヤな予感がし,おばちゃんに聞いてみる。「このバスは,ピッサヌローク行きと違うの?」おばちゃんは言う,「なにやってんの?このバスよ。早く乗らないと!」…えっ!?来たら教えてくれると言ったのはなんだったのか??すでに,みんな乗り込み,席は1つしか空いていなかった。場所は確保できたが,私のバックパックを置く場所がなく,屋根に乗せることになった。今は,雨季。しかも,このときは毎日雨が降り続いていた。ドライバーとおばちゃんが困った顔をして何やら話している。ドライバーがどっかへ行ってしまった。約10分後,ビニールシートを持って帰ってきた。そして屋根へ上った。わかった,私のバックパックにかけるカバーを買いに行っていたのだった。雨季やのに準備してないんかい! 荷物を乗せるのを見届けるために,ずっと外にいた。バスに入る。補助席が1つ空いているだけ。座る。あれ??背もたれがない…しかも古くて傾いている。ここに何時間も乗るのか?でも仕方ない。バスが発車する。よく揺れる。しかも,山で坂道なども走る。何回も後ろにひっくり返りそうになった。背もたれがあれば,何の問題もないのだが,後ろへひっくり返ることは,後ろの乗客に突っ込んでいくことになる。かといって,前傾姿勢をとるほど車内スペースは広くない。必死で踏ん張る。これは,しんどい。あちこちの筋肉が痛む。周りを見ると,他のみんなはくつろいでいる。何で私だけしんどいめをせんなんねや! 途中に検問が3回もあった。パスポートを見せたりしたが,タイ人は丁寧に調べられていた。そう言えば,メーサイからチェンライの途中でも検問があったなあ。たぶん,麻薬などのチェックかな?1時間ぐらい走った。途中で,後ろの客が降りた。チャンスだ。素早く後ろの席に移動した。補助席だが,ここは背もたれがある。あ~楽や!私がいた席には,別の客が乗ってきた。一瞬とまどった顔をしたが座った。やはり,しんどそうだった。 スコータイまでは,3時間かかった。さらに,ピッサヌロークまでは,計4時間20分だった。しかし,背もたれがあっても疲れた…↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/05
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今日から,以前書いた日記の追加画像を1,2枚ずつ載せていくことにした。毎日できないかも知れないが… というのは,いつも1枚だけ画像を載せていた。あまり多く載せると本サイトとの区別がつかなくなると思ったからである。しかし,依然として本サイトのアクセス数が伸び悩んでいる現状で,やはり多くの画像を出そうと思い直したのである。ここには,本サイトにも載せていない画像も,いくつかUPしているのだ。 1枚だけなら伝えにくいこともあると思い,追加画像としてランダムにUPしていくことにした。基本的に,朝に新しい日記,晩に追加画像をUPしていこうと思う。 今日は,5/22の「ミャンマーの,すごい観覧車!」の観覧車の上部の拡大画像版だ。観覧車の上に人がいるのがわかるだろうか?詳細は,日記参照を。↓下記の本サイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/04
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ラオスの人々は,シャイである。カメラを向けても,すぐに横を向いてしまう人が多い。なかなかいい画像が撮れなかった。それは,子どもたちも同じである。まあ,カメラやVTRが比較的めずらしいこの国で,知らない外国人に声をかけられても答えにくいのか?しかし,東ティモールやバングラデシュでは,逆に人が多数集まってきた。ラオスでは,人が集まってくるということはない。 しかし,最近は,様子が変わってきたのである。結構,笑って写ったりポーズをとる人が多くなってきた。どちらかというと,子どもたちの方がその傾向にある。ひょっとして,傾向が変わってきたというより,私が現地化してきて近い存在になってきたのか?? とにかく,気軽に写ったりポーズをとってくる。やはり笑顔が一番いい。 ホテルの前の家で遊んでいた子どもたち,撮影するとみんな集まってきた。 このときは,以前書いた知らない会社の宴会後に参加後に撮ったものであるが,記憶が全くない…あちこちで,いろいろな人を撮影したり話しかけたりしていたようだ。あとでVTRを見てビックリだった。 これも,同じ時のもの。時間が経過しているのがわかるだろうか? これは,サワンナケートの郵便局の近くで。お茶目な子どもたち。日は違うが,全て行きつけの?サワンナケートで撮ったもの。↓下記のサイトには,アジア各国の様々な画像が多数あります!ぜひおいでください!!少しでも,のぞいていただけたら,ありがたいです。アジアを旅しよう!(http://www.umekin.net)
2006/07/04
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