全2件 (2件中 1-2件目)
1
東北関東大震災により被災されましたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。今もなお被災地で懸命に戦っている多くの作業員のみなさまに心より敬服いたします。生きて再びこのブログに書き込みができるこの幸いを深く感謝いたします。本日…義妹のパソコンを借りて慣れないキーボードを打ちながらなんとかブログを開いてみましたら…多くのみなさんから温かいコメントの数々がが寄せられており…ひとつひとつ噛みしめてゆっくりと読みながらつながっていることのありがたさをしみじみと感じて張り詰めていた心が解けていくのを感じています。 本当にありがとうございます。そして…なかなか書き込みがでいないままご心配をおかけして申し訳ありませんでした。 **********気の遠くなるような長い揺れの中でモノが散乱し器が砕け散る音が響き…館内が瞬間にして見知らぬ風景と化しました。何が起こっているのかの事態をつかみとれないままに持ち逃げるものをかき集めていましたが…嫁さんが「波が高くなってきた~!」と叫ぶ異常な声に我に返り車に飛び乗り避難いたしました。 その後…津波が我が家を三度襲ってきました。幸い家族全員無事で再会し…今は近くの高台にある叔母の家で避難生活を送っています。我が家は海岸の前の大変ロケーションの良い場所にありましたが…今度ばかりは地震と津波で建屋の中も外もかなりのダメージを受けてしまいました。いつ旅館を復旧できるのか…今は遥か遠い未来のように感じています。しかし!失った昨日までを悲しむよりも今日の一歩を未来に向かって踏み出し続けています。 今は何度もくる余震を感じながら片付けの日々です。昨日あったものが今日あるとは限らない人生…一期一会の言葉をかみしめています。地震源がどこであったかで、もしかしたら既にこの世にいなかった生命かと思うと…一度死んだ立場でゼロからの再出発をしていく所存です。 **********さて!それにしても自然のもたらす大いなる恵みと悲しみは背中合わせです。携帯で撮った写真の日の出は大地震と大津波がが襲ってきた二日目の朝のものです。人の命を奪い多くのものを流し去っていった悲しみの中でも太陽は昇ってきます。海岸には漂流していた一艘の漁船が流れ着きました。海中の裸島も砕けて形がまったく変わってしまいました。
2011.03.21
コメント(49)
先月...久しぶりに広島に里帰りし母に会ってきました。父は11年前に逝き...義父は3年前...義母は1年前に逝きましたので 私たち家族にとっては たった一人の母(ばあさま)ということになります。小生の生まれ育ったまちは備後(びんご)と呼ばれる地方にあります。 人口4万4千人の小さなまちですが 大企業を育てたまちでもありまして [ リョービ ] や [ 洋服の青山 ] の創業の地なのです。そして何よりもタンスのまちとして発展し... [ 府中の総桐たんす ] といえば知る人ぞ知る高級家具をつくり続けてきた歴史もあるので~す。 在来線に乗ってふるさとの駅に近づくにつれて ○○家具...○○タンス...という看板が右に左に増えてきます。さらにもうひとつ!広島といえば [ お好み焼き ] 小生も学生時分から喫茶店感覚でお好み焼き屋に入りびたり。今回も母と二人でいつもの行きつけのお好み焼き屋さんで[ そば肉玉の餅入り ] を食べました。 アッ!NHKの朝ドラで有名になりましが 広島のお好み焼きにはそばが入ります。 小生から言わせれば...そばの入っているお好み焼きこそ 真のお好み焼き!という強い郷土愛をもっています。母とは墓参りをしてお好み焼きを食べた後…車でプチドライブ~♪切れた電球を交換したり...火災報知器も二つ設置してきました。 [ この歳になって息子と二人でデートできて幸せものだ ] と言い 駅の改札の別れ際にはいつもの涙... 小生が涙もろいのは母親ゆずりなんだなァとあらためて実感。それにしてもこの写真はふるさとへつづく懐かしい在来線の踏み切りです。 [ 鵜飼(うかい) ] と書いてある黄色い標識が見えますが... これは地名でして...この近くのアパートに小4まで住んでました。不思議です!海からは程遠い山で囲まれた盆地のこの地に[ 鵜飼 ] という地名!なんだか不思議だと思いませんか~!? [ 運命 ] というものがあるとするならまさしくこれぞ [ 運命!]なんせ今は日本の[ 鵜飼 ]を支える[ 全国唯一の鵜の捕獲地 ]の日立に住み[ 鵜の島温泉旅館 ] という旅館を経営しているのですから。この在来線を使っていた頃には想像もしなかったことです。(○'ー'○)ノ
2011.03.06
コメント(33)
全2件 (2件中 1-2件目)
1