この連休は熱を出して寝込んでいたがそのおかげでDaVinci Codeを読み終えた。Dan Brownの本はAngel and Demonが最初でDeception Pointと読み進んできたが、その語り口は却ってAngel and Demonの方が上のような気がする。これは映画の宣伝などでストーリーが少し分かっていたからかもしれない。何も知らないで読んだほうが、引き擦りこまれた主人公と同じ感じを共有できるのだろう。上流階級のSnobな会話がこの作者の得意なところらしく、Vaticanの高官、政府の高官などHarvardの教授など鼻にもかけないという感じが伝わってくる。WashingtonのRitz Carltonに泊まったとき、ホテルの客の素振りが偉くsnobでNYとは相当に違うなと感じたのを思い出す。 僕の知り合いのHarvardの教授も政府の機関にも勤めていたこともありsnobだが、それ自体がまったく受け入れられないというものでもない。それが彼らの話し方だ、考え方だということである。それはfriendlyで笑顔の国アメリカという印象とはかなり違う人たちで、この主人公のRobert Langdonはその中間ぐらいに位置するように思える。West Virginiaの知り合いよりはもう少しsnobかなという感じだ。Peter in NYのPeterとはかなり違う。 ストーリーはおそらく全世界のカトリック教徒からすると青天の霹靂だろう。しかしtheologyを少しでもかじったことのある人間にとっては、ある面当たり前のことが殆どである。それをどう解釈しているかの問題で、Sophieが実在するとは考えられないが、そういう解釈があってもしかた無いだろう。まあ、フィクションなのだからどんな話でもよいのだが…。案の定、ついこの間Venedict XVIがDa Vinci Codeを強く批判する声明を出した。この間は、Harry Potterを批判していたが、Angel and Demonはconclave自体をテーマにしていたのでもっと許せなかったのではないか。やはり、映画になると大衆への影響が強いと考えたのだろうか。 僕が哲学を習った先生は、Encyclopedia Catholicaの編集者でpast John Paul IIの友人だったポーランド人のpriestだが、人間と動物との違いは絶対他者に対する畏敬の念が生まれた時に生じたと解説していた。イエスが人であることを普通のクリスチャンは理解しないが、彼によると神ご自身は父と子と聖霊の三つのpersonaを持つのに対し、イエスは子のpersonaのみしか持っていないとはっきり説明していた。そんな学者がDa Vinci Codeに登場したら、ストーリーはDan Brownが考えたようには進まなかったかもしれない。 いずれにしても、ここに登場する学者たちは全く信仰心を持たずキリスト教を理性的に研究している。その対比として信仰者の姿が逆説的に描かれる。作者が信仰を全く否定しているのかというと前作を見てもそうではない。ただ、現代の大組織となった教会の姿を批判しているように思える。その中で真の信仰者がいることをこの作品でもBishop Aringarozaの姿を通して伝えている。弟子に撃たれたBishopの言葉が耳に残っているかのようだ。"If you didn't learn anything from me, learn one thing. Forgiveness, is God's the most special gift."