その日の10日ほど前からひどい頭痛に襲われました
以前にもちょっとした頭痛はありましたがこれは異常でした
首を動かすのもやっとなくらい脳を鷲づかみにされたような激痛でした
時間を追うごとにひどくなる痛みに近くの内科で診察を受けました
一応CTスキャンも撮ってもらいましたが
「これと言って異常はない」
との事でした
あくる日は激痛で目が覚めました
いつものように
親父の喫茶店に手伝いに行き
頭痛の話をして
「これから市民病院に行ってくる」と告げると
親父が
「俺も少し前から腰の辺りが痛いんだ・・」
と言っていました
酒飲みだった親父は以前から
肝臓やすい臓の疾患で入院することがあったので
気になりました
しかし
今回の痛みは私と同じように
今までとは少し違うようでした
「ヘルニアかなぁ」なんて言っていました
市民病院に着くと
"本日は11時までの受付"との文字が見えました
時間を見るともう11時半
受付で病状と痛みをうったえると
あちこちに連絡を取り
どうにか診てもらえることになりました
神経内科の前で
心臓の鼓動とともにガツーン、ガツーンと痛みを発する頭をかかえて
自分の名前を呼ばれるのを待ち続けました
やっと呼ばれたのが3時半過ぎ
すべり込ませてもらった患者として
早いのか遅いのかは分かりませんが
待つ苦痛より頭の痛みのほうが上回っていたのは確かです
そこでもCTスキャンで
脳を輪切りにして調べてもらい
診察してもらいました
しかし
「はい、異常なし」
そっけない返事
私はさすがにその結果に満足できず
「そんな・・じゃぁ、この痛みは何なんですか?」
と詰め寄りました
先生も
「偏頭痛にしては病状は違うし・・・」
と頭をひねるばかり
しかしこの激痛は事実どこかに原因はあるはずです
先生はMRIという機械で脳の血管の写真を撮りましょうと提案
私はその予約をとって後日また来院することになりました
翌日もまた激痛で目が覚めました
私はMRIの検査まで待てないと感じ今度は脳神経外科へ向かいました
(専門家なら分かるはずだ・・)そう信じて診察室のドアを開けました
しかし
「異常は無いようだから痛み止めでしばらく様子を見てください」
と結果は同じ・・
数日間
痛み止めで頭痛を押さえつけ
どうにか過ごし
最後の頼みMRI検査の日になりました
閉所恐怖症でもない私でも
窮屈に感じる機械の中で
カンカン、カンカンと耳につく音を聞きながら
(死んでお棺に入ってお経を聞いてるときはこんな気分なんだろうか?)
などと考えていました
そして診察
目の前には血管の写真がズラリ
なんとなく覚悟はしていましたが結果
「異常はありませんね」
「・・・・」
先生は納得がいっていない私をさとすように
「例えばこの血管の分かれ目なんかに瘤が出来やすいんですね
これが破裂すると大変で・・」
と聞いてもいない病気の話をしていました
私は釈然としないまま家に着きました
(いったいこの頭痛はどこから来ているのだろう?)
その日の朝も激痛で目が覚めました
数日間は少し楽だったので
(このまま治るかも)
と楽観的に考えていたのですが・・
夕方6時過ぎに娘とシャワーを浴びてふとケータイが光っていることに気づきました
"不在着信3件"
日赤病院に向かいました
覚えているのは
急にまわりの酸素が無くなったような息苦しさと
変わり果てた親父の姿
そして病院の先生の聞いたことがある説明
「腹部の大きな血管の分かれ目にできた瘤が破裂して・・」
あれから1ヶ月
悲しむ隙間を与えないほど
凄まじい忙しさの葬儀を終え
次から次へと出てくる
もう文句も言えない
親父の片付けもひと段落しました
そしてふと考えます
あの時
病院に行くべきだったのは
私じゃなく親父だったのです
父が死んだ日以来ピタリと頭痛も治まりました
"虫の知らせ"という言葉を思い出します
市民病院での長い待ち時間で
暇つぶしに数年ぶりに買った小説が
死に行く父と息子の物語だったのも
今考えると不思議です
あの日
「じゃ、一緒に病院行くべぇ」と
言っていたら死ぬことはなかったでしょうか?
親父のことだから
「行くほどじゃない」
と言ったでしょうか?
生前
「病院につながれて死んで行きたくない」と言っていた親父には
理想的な死に方だったのでしょうか?
どんな疑問も今ではもう遅いのです
ただ
「寿命だった」で片付けるには悔しいほど
はっきりした"虫の知らせ"でした
一緒に暮らすことがあまりなかった
親父とは
ちゃんと話せたのはこの半年ぐらいです
怖かった親父の背中が
弱々しく感じて
悲しさと怒りが入り混じった感情で接していました
反論もせずに
黙々と働く親父は
最後の意地を見せたかったのかもしれません
親父の寝顔は
肩の荷を降ろして安堵したような
せいせいした表情を続けていました。