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えー、昨日は自分の気持をぶつけてみました。ちょっと支離滅裂気味でごめりんこ。んでも、センサーが正方形で今の一眼レフに収まっていたらいいと思いませんこと?20x20ミリでもいいし、24x24ミリならもっといい。んならフルサイズで最初から切ればいいじゃん。ときそうな感じですが、EOS 5D Mark IIの場合で考えると、3744x3744ピクセルとなって1400万画素でファインダーの中もすごく小さい。これが7DのAPS-Cセンサーの密度で短辺を長辺まで引き伸ばしつつカットすると、5184x5184で2687万画素。これは爆裂な破壊力を持ちそう。あ、元々はフォビオンの話だった(汗)現行のフォビオンがもしも正方形だったなら、20.4x20.4ミリで2640x2640で、約1層が700万画素のシグマ風に言えば2100万画素。んー。フォビオンを使ったことがある人ならわかると思いますが、フォビオンのあの画素数はベイヤー配列の高画素とは意味が違いますもんね。そもそも正方形というフォーマットは、縦位置も横位置もカメラ位置を気にしなくて良い、すなわちカメラを回転させる必要がないから即写性もかなり高いです。トリミングきっちりと写真用紙に合う1:1.25の六切向けのトリミングをしても、十分とは言わないまでも必要な画素数は得られることでしょう。いいことずくめじゃん(笑)だからお願いです。シグマの山木社長!新世代フォビオンはそのままでもいいです。旧世代のフォビオンセンサーは元に戻す形で正方形を乗せたSD二桁を作ってください!ね、ね!設計図はほぼ完成であったんでしょ?日記が面白かったという人も、『拍手』をクリックしてくださいね♪
2010.10.03
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えー、本日の話は、「撮影後に写真をどのように利用するのか」ということについても考えなければならないのですが、超個人的な方向で進めます。当ブログへ来ていただいているみなさまにとって以下の事柄は、十分理解済みの話だとは思いますが改めて書きます。現在のフィルムにしてもセンサーにしても、主流なアスペクト比とは「2:3」ですね。通称「ライカ判」とも言われている通り、ライツ社が小型カメラを作ったときに、映画用フィルムの2コマ分を1コマとして利用したことに起源しています。理由は様々でしょうが、主に映画用キャメラの中ではフィルムの動きが垂直方向に動くことに対して、小型カメラに詰め込んだときにはフィルムが横方向に動かすわけで、その映画用アスペクト比に近い2コマを採用した、ということのようです。正直、このライカの発明から100年近く経とうとしている現在でも、オスカー・バルナックの呪縛から脱出しにくい状況になっているといえるのではないでしょうか。これが本日のお題。写真の周りに存在している各種アスペクト比を、大雑把ですが列挙してみましょう。フィルムでは、2:3(5:7を含む)、4:5、そして1:1が主だった形。デジタルでは、2:3、3:4、9:16あたりがほとんど。変形もある。映像表示装置系では、3:4か9:16でほぼ占められている。シネマ系は除く。プリント系つまり紙関係はちょっと複雑で、2:3に準ずる形でLや2Lがあるが若干長辺が短い形、写真のサイズといえば大判フィルムに代表される4:5、日本で育った感がある四切はちょっと特殊で10:12。紙としてはほぼA版とB版があるけれどこれらは1:√2で2:3より長辺が短い。あ、アメリカの紙にはレターとかリーガルもあるなぁ。絵画関係はFとMとPってのもある。ちょっと雑になったので、分かりやすく整理しましょ。2:3とは1:1.54:5とは1:1.253:4とは1:1.3339:16とは1:1.777L版とは1:1.4262L版とは1:1.401キャビネとは1:1.375四切とは1:1.2A版とは1:1.414正方形は当然1:1などなど。何が言いたいかっちゅーと、ライカ判の2:3をまんべんなく再現できるぴったりの紙や一般的映像機器って無いんよね。なのに、フルサイズより小さいサイズのセンサーもほぼ横並びで2:3を採用している理由が良く解らんのですよ。で、昨日の話の通り、フォビオンの開発が正方形でできていたとのこと。仮にフォビオンが1:1で出たとしても約20x20ミリとなるわけで、ライカ判の短辺の24ミリよりも短くて済むわけで、ライカ判縦走りシャッターでも1/8000秒のメカニズムは存在するわけで、レンズのイメージサークルも問題ないわけで、なんで上下をカットしてわざわざ2:3にしたのか理解に苦しむんですよ。2:3でハイビジョン撮影は短辺を多少犠牲にすればよいのに、プリントを前提にしようとするとせっかくのセンサーの両端を大きく犠牲にすることが必要になるのが、イヤ!ま、そんなわけで、フォビオンに限らず1:1のセンサーって十分に使い勝手が良いと思うんですよ。あ、昔コダックのプロバックってのを使っていたときにその便利さ加減を知ってしまったとも言えるんですが。シグマさん、設計図が残っているなら、ぜひ1:1のフォビオンを出してくださいよ。もちろん新型でやってくれたらもっともっと嬉しいんだけどなぁ。ライカの呪縛からそろそろ逃げてもいいんじゃありませんかねぇ。各メーカーさん。「エスカレーター」 ~台湾 2010~Noctilux 50mm F1.0 (E58 / 2nd)Leica M9Copyright (C) 2010 GINJI, All Rights Reserved.今から20年近く前、上記の理由でコダックは正方形のハイビジョンを開発していました。日記が面白かったという人も、『拍手』をクリックしてくださいね♪
2010.10.02
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えー、昨日の続きです。カテゴリは「提言・提案」にしておきましょう。銀治が撮影しながら考えてしまったのは、明暗の輝度比再現についてです。簡潔に言い換えるならば、なぜデジタル写真は銀塩写真の概念に留まっているのであろうか、なのです。以前から話をしている通り、人間の眼は大変優秀です。デジタルだからこそ人間の眼に近づいてもいいんじゃないか、と改めて感じてしまいました。つまりこういうこと。室内から窓にレンズを向けて撮影するときの露出って難しいですよね。何を表現したいのかで、室内に基準を定めて窓の外が明るい方が良いのか、窓の外を重要と考えて室内は暗くするのかで露出を決めます。しかしながら人間の眼には、瞬間的にどちらもきちんと見えています。しかし写真では表現することが難しいです。もしも両方を生かしたバランスが良い人間の視覚に沿った写真にするならば、室内へ屋外と同じぐらいの光量をセットして撮影すれば良いのです。でも窓が大きかったりした日にゃ、ライトのセッティングがめちゃめちゃ難しくなります。なんで人間の視覚に近い写真がイッパツで撮れないのでしょうか。ポジフィルムならば約5絞り、カラーネガフィルムならば約7絞り、白黒で露出と現像をコントロールしたならば約10絞りの輝度比を再現でるはずです。デジタルならどうでしょうか、いっぱいいっぱいで7絞りぐらいじゃないかと思うんですよね。これってやはり狭い階調表現じゃないですか。学校で習った記憶では、「紙ベースのプリントを作る際に階調が広いと明暗が間延びして「ねむい」表現になる」、「銀の黒化現象が全てにおいて一定にならない(いわゆる特性曲線の濃度変化や相反則不軌ね)ためにシャドーとハイライトは階調の圧縮が起きる」が主な要因でした。しかし、デジタルの能力は違うと思うんですよね。銀と異なり光を規則正しく数値化できるのがCCDやCMOSの特徴だと思っています。相反則不軌とかも考えなくていいし。1回のシャッターでは表現しにくいですが、複数枚のRAWデータから擬似的に広い階調表現を作り出す方法が、HDRであります。去年からコソコソと実験研究していますが、ソフトウェア的な違和感はあるけれども、1枚の写真の中に銀塩では撮りにくい広域な階調表現を求めることができます。そして言われたように間延びした再現とも違うように思えます。なんだか写真がデジタルに進化していっても、銀塩写真の呪縛から抜け出していないように感じてしまうのです。別に銀塩と同様なコントラスト表現にこだわらなくともいいと思うんですよ。それなのにデジタルカメラの設計段階にして、銀塩での階調表現を追い求めているような気がしてなりません。平たく言えば、10絞りとか20絞りの光量差を一気に16bit RAWとしてCCDやCMOSで受け止めて、RAW現像のときに必要なコントラストコントロールをすることができればいいんじゃないか、と思う訳です。つまりちまちました感度設定ではなく、感度50~1600と感度400~25600みたいな幅で使えるってこと。素人考えでは、「光量→電荷量」となるのですから、ある意味際限なく受け止めてくれるような気がするんですが。素子にも限界があるんでしょうかねー。近い将来このような銀塩的感度概念が取り除かれたデジタルカメラが出てくるような気がします。つか、早く作って欲しいよ。「駐車場」SIGMA DP1with HOYA R72 infrared filterCopyright (C) 2008 GINJI, All Rights Reserved.「大口径開放戦線」新サーバで再起動中!この辺りの電子技術に詳しい人、教えてぇぇ!&日記が面白かったという人も、web拍手をクリックしてくださいね♪コメントや掲示板についてのお知らせがあります。ご一読くださいませ。
2008.10.07
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えー、久しぶりに「提言・提案」なカテゴリの話題。本日建築写真を撮りに出かけました。数年前なら大判カメラをえっちらおっちら担いで撮りましたが、今はそんな経費は出してくれないし短時間納品なので、当然のようにデジタル一眼レフでの撮影。時代ですねぇ。寂しいことです。建築写真を撮るとなると重要なのが、「直線を出す」という技術。一眼レフを使うので大判カメラの基本技術であるピントグラスをルーペで確認しての調整や、ライズ・フォールのアオリを使えたりする訳ではありません。TS-Eレンズがあれば別だけど、持っていない。もちろん大判用のレンズではないので、歪曲収差がアリアリのレトロフォーカスタイプの広角。しかもズームだし(笑)。となると後処理で何とかするしかありません。しかしながら重要だと考えているのは、いかに後処理も楽にできるようにするかであるので、最初の撮影が肝心だということ。歪曲収差を直す、あるいはパースペクティブを直すといった作業をすると言うことは、デジタルデータ上では、ピクセルの補間が必ず発生します。これを極力少なくすることがそれでも綺麗なデータを作るコツですね。すなわち、カメラは水平垂直を保って撮影した方が良い訳で、登場するのはアナログちっくな水準器。ダブルバブルと呼ばれる2軸が1つになっている水準器を使います。逆に言うと、大判カメラの時はこれでオッケーとしていたのですが、デジタルで精密調整を後からできるとなると、意外と正確に水平垂直を出しにくかったんだ、ということがわかります。今後のデジタル一眼レフに搭載して欲しいのは、正確なデジタル水準器。既にコンパクトタイプや一部の一眼レフにも搭載され始めた技術ですよね。しかしながらそれらは、縦位置横位置のどちらを構えて撮影したのかを記録し、背面液晶やパソコンにて表示をする際に最初から縦横の回転情報を付け加えるための加速度センサー(だと思う)を応用して使っていると思われます。つまり、現状ではX軸とY軸の2方向情報しかチェックできないんですよ。しかしながらカメラの水平垂直を出したいときには、X軸とY軸の他にZ軸も必要になります。建築写真を撮る際の問題点はそこ。そこで提案。ぜひとも今後のデジタルカメラには、加速度センサーを2個以上使い、X軸とY軸とZ軸についての水平垂直情報を液晶に表示して欲しいものです。調整も完全0度はもちろん、5度以内とか3度以内など任意で許容範囲を設定できると便利。ついでに音で前後上下左右の傾きを教えてくれると、モアベター(死語)つーことで、各社カメラメーカーさん。画素数アップやノイズ対策よりも簡単だと思うので、早急に対応してくださいな。「ネギ」Rollei Rolleiflex 2.8Fwith B+W ND8 Filterwith Rolleinar 0.35Copyright (C) 2008 GINJI, All Rights Reserved.「大口径開放戦線」新サーバで再起動中!本日の提案に賛成の人は、web拍手をぜひクリックをください♪&日記が面白かったという人も、web拍手をクリックしてくださいね♪カメラ鍋の撮影に成功したら、こちらの画像掲示板へどうぞ
2008.09.10
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えー、「感染ルンです」の開設記念日に日頃考えていたことをまとめる形で昨日の文章をアップしました。「観光写真家宣言」は、文章構成能力が国語2なりに一所懸命考えました。間違いもあるかもしれないので、今後も宣言内容については更新してみたいと思っています。さて、「観光写真家宣言」の前文では説明しきれないので、なぜに自分が撮る写真を「観光写真」と呼びたいのかについて、前文に入れた「光を観る」以外にもいくつかの理由があるので順番に解説したいと思います。最初に自分の写真についての区分けについて。仕事では「ポートレートやウエディングを中心に撮っています」という説明で、みなさまに自分の写真について理解していただけます。ところが趣味面でも写真が好きですし、しょっちゅうカメラを持ってうろちょろしているので、自分自身のバックグランドを知らない人からすると「何を撮っている人なのですか?」という質問がよくあるんです。「えーっと、電線とかコーンとか壁とか建物とかの形や配色が面白かったり、自分の中で奇妙奇天烈に感じるものだったり、瞬間的で突発的な人々の行動とかです」と答えると「???」って神妙な顔をされてしまいます。また、これらを表現する言葉として「趣味で」とか「スナップ」って単語がありますが、昨今の社会情勢を見渡すとちょっと使いたくない気分にもなります。もちろん「風景写真」とよばれるジャンルも好きですが、自分の場合は単に美しい場所のみを「風景」だと思っていないので、アンセル・アダムスのような写真を撮る人だと勘違いされたくもないのです。そこで「観光写真」と言えば大抵の人の脳裏に浮かぶ情景とは、「旅行中に珍しいものやその土地固有のものなど対して興味があるから写真を撮る」ことだと理解してくれるでしょう。よく考えるとまさしくその通りで、自分の写真に対する視点とは、自分自身が興味を感じた対象だからシャッターを切っていること、なんですよね。したがって、自分の人生そのものを「旅である」という位置にすることで、日常すらも「旅の1ページ」とするならば、興味を感じて写真を撮ったら全てが「観光写真」というジャンルでいいじゃん。みたいな。次に自分自身の気持ちの問題です。本来の「旅」という範囲とは違うかもしれませんが、出張であっても一歩地元を離れると気持ちが大きく開放的になりがちです。よく「旅の恥はかき捨て」といいます。この言葉自体には「旅先では普段のように恥ずかしがらずに積極的にいけ」と「旅先だからと言って平気で恥ずかしいことをするな」の2種類の意味があるように思います。ここでどちらが正しいの議論はしません。ただ言えることは、「旅に出れば物事に対して積極的に出る精神状態となる」という部分が共通だと思います。ここを大切にしたいなと。以前「人にカメラを向けることも積極的にしよう」と決意した話を書きました。とはいえ、地元ではなかなかできなかったのが現状です。ところが、出張の終わりに銀座へ立ち寄ったりすると、とたんに精神状態が変化して何でもかんでも撮り始めます。これが「旅が引き起こす精神構造の向上」であって、もしもこの状態が普段から維持できるならば「日常的に精神構造が解放されるだろう」と第1段階で考えて、これならば普段の写真であっても被写体に対するアプローチが変わるかもしれない、とあいかわらずポジティブに第2段階で考えてみたのです。したがって、普段から自分の置かれている立場は「旅」状態であり、積極的に出会った被写体へ喰い付いていこう、だって自分は「観光写真」を撮っているんだから。と思いこむことで自分をチェンジさせたいので、「観光写真」と意識するのです。次に先ほどちょっと触れた社会情勢についてです。どうも昨今の社会情勢からすると、街中で写真を撮る人に対して偏見視されるケースがあります。そもそも1部の人間が写真に関連した「悪」をしたからなのです。加えて個人情報保護法とか肖像権問題を、本来の意味とは違う面で振りかざしてくるケースもあります。最終的にはここに向かっていきたいという気持ちが少なからずあります。最近また写真が関係する事件がありました。それよりも大きな事件や災害が続けて起こったのでかき消されてしまいましたが、ニュースで知った時は結構衝撃的でした。いわゆる「児童ポルノ禁止法違反などの罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた男が、個人の性的欲求のために小学校の運動会会場へ侵入し児童の写真を撮っていたところを、建造物侵入の現行犯で逮捕されていた」という事件。衝撃的と感じた部分とは、事件の本質は建造物侵入の罪ですが社会的にピックアップされるのは「子供の写真を撮っていた」という部分であり、また別にこの容疑者を擁護したいわけではないがある意味他人事とはいえなくもないいなぁ、と思ったことです。自分が小学生の時は、目的は写真コンテストかとも思いますが、学校関係者以外が撮影していたとしても、ある意味スルーだったように思います。もっと昔であれば、例えば木村伊兵衛先生が路上で遊ぶ子供を、植田正治先生が砂丘で遊ぶ子供を写真にして発表していました。今これをやろうとすれば、こちら側に犯罪の意識がゼロだったとしても、過敏な父兄は大いに反応することでしょう。加えて言えば、梅佳代さんが写真集を発売するにあたり、過去撮影した子どもたちひとりひとりに掲載承諾を伺ったという話だって普通にあります。過日東京へ出張へ行ったときのことです。用事があったとあるビルの公共へ解放している中庭でカメラを構えていたら、警備員がすっ飛んできて「ここは撮影禁止です!」と制止されました。「はぁ?」と理解不能状態になりましたよ。この撮影禁止が法律的に正しいのかビル側のモラルの押しつけなのかは、もう少し勉強するべきだとも感じました。そこで、犯罪は犯すまいと思いつつも、自分が写真を撮っている立場をはっきりさせねばならない状況が生じたとき、自分の目的は「観光写真」を撮る写真家であると声を大きくして言いたいのです。ある意味ディフェンスなのかもしれません。もしも渋谷のスクランブル交差点でカメラを構えていて「なぜ私を撮る!」と 自意識過剰で 突っかかってくる人がいたならば、「あなたを撮っているのではありません。私は観光で渋谷に来て観光写真を撮っただけですよ」と言ってみたいのですよ。ま、事実撮った写真は「観光写真」ですし、「観光」と言う言葉に他者は自分の目的がはっきりと一言で理解してもらえそうだとも 大甘に 考えてみたのです。以上3点が大雑把に「観光写真家宣言」をしようと考えた骨子であります。プラス、前文にも書き記した「観光とは光を観ること」という微妙なるこじつけが入っております。また冒頭にも書いた通り、短時間の思いつきでもあるので、肉付けや方向転換などが今後あるかもしれません。その時は素直に変更していきたいと考えています。で、本日アップの写真は銀座。銀座の路上で人がカメラをどこかへ向けて写真を撮っている姿。「なるほど銀座ってこんな風に写真を撮る人がいたり、歩道も広くて人も沢山で、高いビルが連なっていて、空が小さく見える街なんだ」というまさしく「観光写真」じゃありませんか。「観光 銀座」Canon 50mm F0.95Leica MP LHSA Edition Grey Hammertone FinishKodak Kodachrome 64Copyright (C) 2008 GINJI, All Rights Reserved.↑別表示すれば大きく見られます「大口径開放戦線」古今東西大口径レンズの開放写真が集まっている参加型ブログ(引越中)コメント欄以外にweb拍手経由でご意見をちょうだいしています。&日記が面白かったという人はweb拍手をクリックしてくださいね♪カメラ鍋の撮影に成功したら、こちらの画像掲示板へどうぞ
2008.06.22
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えー、本日「感染ルンです」がスタートしてから4年目へ突入いたしました。後出しズルもしましたが、なんとか100%を保っています。昨年の今日は25万アクセス前後で、1年でその倍近い55万アクセスにせまることができました。これも見に来ていただけるみなさま、コメントをいただけるみなさまの応援がらパワーの源となったからこそ達成できたのだと、心より感謝申し上げます。今後も駄文や駄写真をアップし続けてまいりますので、引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。では、本題へ。観光写真家宣言前文人生とは旅に喩えられる。人間は眼前に反射している光を認識し視覚化した状態を脳内の記憶の棚へ入れる。旅をしながら記憶した光は、既に逃げ去ってしまった光であり、元へ戻すことは不可能である。写真は、眼前から逃げ去ってしまい人間の記憶にとどまるしかない光という情報を記憶とは別のメディアで捉えて描き出す手段である。人生が1度しかない旅ならば、その時その場で出会った運命的な光を未来へ残したいという欲求が写真によって昇華された時、写真は自分が歩いてきた道の軌跡となりうる。「観光」とは、一般的に旅の中の行為で景色や風物や史跡などを見て歩くことであるが、本宣言においては、万物の事象に当たった光の状態を観るという行為を示す。すなわち「観光写真」とは、人生という旅路で偶然に出会った光を運命的と捉え、分け隔て無く興味を持った上に情景と認識し、写真で表現することである。ここに私は「観光写真家」であることを宣言する。第1条法律は遵守する。第2条表現は自由である。第3条観る事象は2度とない特別な瞬間だと認識する。第4条愛をもって事象と対峙する。第5条感謝の気持ちで撮る。第6条研鑽を積む。第7条写真は楽しい。平成20年6月21日提言者 銀治これからも応援よろしくお願いします♪
2008.06.21
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えー、本年最高に忙しい連休を過ごしました。ええ。とっぷり疲れました。使ったカメラはさまざまありますが、多いのはEOS-1vとEOS 5D。都合2000回はシャッターを切ったことでしょう。この調子で切っていたら10万回を超える耐久能力があるシャッターも、早い時期にメンテナンスを受けなければならないかもしれません。おそろすぃー。んで、なぜこんなに忙しいかといえば、イベント一極集中型集団行動心理が強い日本人の性格なのかもしれません。「今日はいい日だから・・・」と一斉に同じことをする日本人。別にこの連休でやらなければならないという意味付けはこれっぽっちもないはずです。しかし同一行動を取る人の多いこと多いこと。サービス業を営む者としては、その1年でもピークになる「点」にも普段と変わらないサービスをしなければなりません。って、そんなの無理っす(ー"ー;)いえいえ、もちろん無理を承知であったとしても、お客様の満足のために労働を提供するのがサービス業というもの。わかっていますよ!でもね。提供する側として、ながーーーい行列や込み合う人々を見ると、どーしても無理をしちゃいます。その結果、普段なら100点かそれ以上できることが90点とかそれ以下になってしまうケースだって出ちゃいますよ。ひとこと、いってぇーもいいかな♪分散して行動しろよ!きっとより豊かなサービスを受けられると思うよ。以上、宜しくお願いします。「電線」ROLLEI Prego Micron(24ミリフルサイズ改造)FUJIFILM NATURA 1600 NP mode (EI 400)Copyright (C) 2006 GINJI, All Rights Reserved.「大口径開放戦線」古今東西大口径レンズの開放写真が集まっている参加型ブログ(引越中)にほんブログ村 写真ブログランキングに参加中です1日1回のクリックで応援お願いします
2006.11.05
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