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2006年04月06日
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雪が降っている夜の夜気のせいで冷たい畳の上に身をゆだねる。
そのまま頬を畳にこすり付ける様にかぶりを振れば、その冷たさが熱の籠もった頬に沁みた。
少し、熱があるのかもしれない。
今日は、とても、疲れた。
仕事で忙しく一日中走り回っている、いつもよりも、何倍も。
今日は町に出ていたせいで、仕事は帰って来てからの夜の間しかしていないというのに。
この事実は、ただ単に身体的にきた疲労なのではなく、精神的なものだと告げている。
一年ぶりの有家清綱【ありえ きよつな】との再会のせいかもしれない。
そう思いながら、氷翠王【シャナオウ】は辛い過去を思い出したように眉間を寄せる。

あのとき、有家は多くを語らなかったが、もしかしたら、氷翠王が『今、ここで去りたい』と思っていることに気づいたのかもしれない。
『そんな見え透いた嘘で一体なにを隠そうというんですか。』
『こうでもしなければあなたは本心を明かせませんか。無理矢理吐かせてやらなければあなたには駄目ですか。』
そうだ。
氷翠王は肯定する。
そうだ、有家。
やりきれない。
(やりきれないんだ。)
割り切ろうとしても割り切れない感情が。
ずっと氷翠王の中に棲みついて、軋みの慟哭を上げている。
怖くてならない、もう。

身も凍るような雪山の中の帰り道で、互いに身を寄せるように庇い合う彼らを拾って助けあげたのには、本の一筋の他意も思惑もない。
ただ、過去のあのころの気持ちが甦っただけだ。
放って置けなかった。
彼らの求めていたものが、ひどく自然に、痛いほど判っただけだ。
彼らは、求めれば癒されることもあるということを知らないほど幼かったのだ。

『子供、か・・・・・・・?』
山雪に埋もれる様にしてそこに在るのは、確かに未発達の少年だ。
だが、少年のその瞳は手負いの獣のように激しく危うげながらも物騒な光を宿らせている。
(そうか・・・・・・・。)
そうか、とただそれだけを心の内で氷翠王【シャナオウ】は悟る。
少年のその様子は群れを守ろうと牙を剥く若い狼を連想させたのだ。
少年の剣呑な瞳に内に見たものはただ、敵意だけではなく、守るべきものを自覚しそれ故に健気とも言えるべき殺気だ。
こちらから見えぬように少年が背後に庇う少女の存在が、語らずとも雄弁に少年の感情の矛先を知らせる。
だがそれは無視し、氷翠王は少年たちにざっと視線を滑らせた。
この場でしなければならないのは見ず知らずの他人の人間関係に口を出すことではない。
やはり、と思ったが少年の身体には無数の凍傷があった。
おそらく患部はひどい低体温になっているだろう。
この距離からざっと見ただけなので確かなことは言えないが、壊疽が生じかけているようだった。
このまま此処に放っておけば患部から切断しなければならないだろう。
少女のほうは更に酷い。
体力の違いだろうが、木に崩折れるように凭れ掛かっている少女は指一本動かせないようだ。
生理的な涙が伝う頬も青白く、無残な凍傷に焼かれている。
このままでは凍死してしまうのは火を見るより明らかだ。
『おいおい・・・・・・・大丈夫か?』
隣に立つ獅吼【シコウ】から心配とは程遠い声が発せられるのを聞く。
色悪なその声音は少年の神経に障ったようだった。
少年の瞳がキリキリと吊り上る。
それを面白げに見ながら獅吼はこちらに目配せをする。
どうする、とその眼が問うのを氷翠王は頼む、とだけ低く短く切って捨てた。
『あんたは頼む、なんて言うことはないぜ。先生。一言、やれ、と言えば俺は動くからな。』
むこうには聞こえないように低く言い、一瞬だけ獅吼は柔らかくまるで包み込むように愛おしむようにその眼を細める。
『・・・・・・ああ。』
それに氷翠王は微かに笑んで返した。
そうして獅吼は視線を少年たちに戻し、誰にともなく呟く。
『・・・・・それにしたって何だってこんなとこにガキが・・・・・・。・・・・・・あいつらしくもねぇな。』
その言葉に氷翠王も内心同意する。
ここは仮にも“禁足地”で、氷翠王の仲間である皓【コウ】国一とさえ呼ばれた神生【カミオ】家の当主が結界を張っているのだ。
“禁足地”に棲む者以外を入れないために、氷翠王たち以外は結界に阻まれて此処へは辿り着けない。
まあ、少年たちもこれ以上は“禁足地”に辿り着く道を見つけられなかったようだが。
それにしても、この山の結界と連動して此処ら一帯を千里眼のように把握できる陰陽師である神生の“彼”が少年たちの存在を黙認しているのか。
気づいていない、ということは、ない。
少し強化された結界の気の様子を見てもそれは分かる。
いっそ害は無いからと放っておいたのかとも考えたが、有り得ない。
子供であろうとも、相手に悪意がなかろうとも“彼”は一切の容赦をしない人間だ。
子供に優しい“彼”など、氷翠王も獅吼もいくら妄想力を駆使しても想像すらできない。
しかも少年たちは二人とも、“守人”であった。
いつもの“彼”なら即効で排除しているだろう。
そう考えを巡らせながらも、視界の端で少年が素早く動くのが眼に入った。
それが攻撃のためだと分かったが、獅吼に声をかけるのは避けた。
獅吼ならば相手が絶対の戦闘力を誇る守人であろうとも、問題は無い。
むしろ、相手の方が可哀想な位だろう。
『おいおい。』
案の定、どっしりとした余裕と落ち着き、多大な愉悦が滲み出る獅吼の声が聞こえた。
更に獅吼に襲い掛かる少年は、男に任せ、氷翠王は少女へと意識を向けた。
獅吼と少年の攻防を避けて回り込むようにして、少女へと近づく。
まだ気力だけで立っていることが分かるとはいえ、それさえできずにぐったりと木に凭れている少女の容態の方が気にかかったからだ。
手を伸ばせば触れるほどの距離に来ても、少女は氷翠王に気がつかない。
眼が、ほとんど見えていない。
それを見て、氷翠王は眼を細めた。
と、その少女の瞳の色ががふいに激しく揺れるのが分かる。
その肩が強張るように微かに震える。
その震えも、だんだん弱まっていく。
一瞬少女の瞳に現れたのは、自分の無力さと慙愧に打ちのめされた人間だけが浮かべるやりきれなさととただただ純粋な恐怖だった。
その感情すらも、生命力が段々と消えていく様に弱まっていくのを氷翠王は感じて、氷翠王は瞳の高さを合わすように少女の前に膝をつき、その小さな肩にそっと触れた。
少女にこれ以上の自己否定を起こさせたくはなかったから。
『--------っ?!』
少女の瞳が驚きに見張られる。
強い混乱が少女を襲ったのが分かったから、それ以上は触れずに静かな声だけを向けた。
『大丈夫か?』
言葉は何でもよかった。
ただ少女の思考を拾い上げるものならば。
少女の意識がこちらにちゃんと向けられるのが分かる。
もう少しだった。
『大丈夫か?』
同じ言葉を十分な時間を置いて柔らかく繰り返す。
ほんの少しでも心を開いて預けてくれなければ、助けることもできない。
だから繰り返した。
触れることが許されるように。
少女の身体にこれ以上の雪が降りかからないように、氷翠王は自分の身体をずらして庇う。
本当は降り積もった雪を落としてやりたかったが、それはまだ駄目だ。
氷翠王は根気強く待った。
少女はそれが伝わったかのように一瞬身体の力をほどいて、此方に寄りかかりそうになったが、その瞬間その行動はおびえる様に自制された。
その少女の姿に、過去の自分の姿が重なる。
一人苦しむ中で、拾い上げてぬくもりをくれる存在を求め、けれどそれは甘えだと知り、手に入りかけたものを自分の臆病さ故で巻き込んではならないと自省し・・・・・・・・・・。
そして、孤独を孤独と感じなくなるまで、寒い想いに凍え続ける。
(させては、いけない。)
だから、少女がより深い自戒へと心を投げ出す前に、氷翠王は呼び止めた。
『もう、大丈夫だ。』
少女の意識の深い部分を揺らすであろう言葉でもって。
そして安心したように崩れ落ちる少女を静かに抱きとめた。





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最終更新日  2006年04月06日 19時12分18秒
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