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蛸壺屋さんの冬コミ新刊「けいおん!」同人誌、「レクイエム5(ファイブ)ドリーム」。これが前作、夏コミの「万引きJKけいおん部」に続き、いろんな所で話題沸騰である。実際おもしろいし、同人関係者が話題にしたくなるのもわかる。http://takotuboya.jp/「天才(唯)の裏で、凡才(澪)がこんな人生を送っていました」(アキバblog)「俺達凡人の生きるすべがここにある」(コミックZIN新宿店ポップ) …みたいに、「天才の唯を妬む、澪の凡人としての生き方に共感できる」みたいな感じだけど。 ちょっと待てと。 たしかに面白いけど、市場の評価のような面白さが正しいのかと、思うわけだ。 違う。違う。違うと。これは。 蛸壺屋(さっきから蛸壺屋さんと言ってますが、本当はTKさんと言った方が正しいのかも。けどネットでは蛸壺屋さんの方が通りがいいので)さんのファンであり、長年「蛸壺屋作品」を見てきた者からすれば。 一般の人は、人間を「天才と凡人」に分けているが、蛸壺屋さんはそうじゃない。あの人は、人間を「天才・エリート・凡人」の、3つに分けている。で、創作・パロディ問わず、これまであの人が描いてきたのは「エリートの嫉妬」だ。 実際、「レクイエム~」の中の澪は「凡人」じゃない。凡人の役は律。かといって、天才でもない。憂ちゃんの指摘するように「これまでスターだった人」、つまりは「エリート」。彼女はずっと「凡人」(律とか)を見下してきたのに、自分を遥かに越える「天才」が現われ、今度は自分が見下されはしないかとおびえて、嫉妬に狂っている。 これまでの作品、例えば最初の創作「魔法少女R」では、最初こそ(1巻までは)平々凡々とした少女が、ちょっと出来の良い少女に嫉妬する話だったけど、物語の核心は後半、科学者が「本物の超能力者」を見てしまった時の「オレがこれまでやってきたことはなんだったんだ」という絶望。創作2作目の「松陰神社」でも、「松田の幽霊さん」が、優等生だの天才だの崇められて、その期待に押しつぶされる話。二人とも「凡人とは違う」んだけど、「本物の天才」じゃない人。つまりは「エリートさん」。今回の澪もそういう人。 だから、本来は凡人である我々読者が「共感できる」なんて読んじゃいけないのかもしれない。しかし我々は凡人だから、自分を澪みたいな「エリート」だと勘違いし、律みたいな人を「愚民」と言って蔑んでいるのかもしれない。怖いですね。 蛸壺屋さんの同人誌の「ヒドさ」って、単に内容のヒドさじゃない。エグイとか、バッドエンドとか、トラウマとか、あちこちでよく使われる、紋切り型のヒドさじゃない。人間をビシッと「ランク分け」している冷徹さがヒドいんだ。それは今継続中の創作「アウトサイダー」でも、遺憾なく発揮されている。人間もウイルスも全部「ランク分け」ですから。 そうそう、律の「気持ちのいい人生ってもんだろう」は、カイジ? パチンコの巻で遠藤を説得する時の。律はああいう職業だからヤンマガとか愛読してんのかな。 あ、それからせっかく作品内で「ミルク」とか「theチルドレン」とか言っているのに、後書きで「ラルクもミスチルもカラオケでよく歌いますよ」って言っちゃ台無しじゃん、と思った。そういえば今年の大河ドラマは福山雅治だけど、昔「桑田佳祐の音楽寅さん」の最終回で、桑田がゲストの桜井和寿に「オレはオマエが福山の次にキライだ」と言ってたのを思い出したよ。 同人誌をレビューするなんて珍しいけど、今回は感想を書かずにいられなかったので。
2010/01/04
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こんにちは。蛸壷屋評論家の足立淳です。 コミックマーケット80、サークル蛸壷屋さんの新刊「隣の家の魔法少女」。今回は今年のヒットアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」を題材にすると事前に発表していたこともあり、読者の方々から相当に期待されていた1冊。それを読み終えたので、夏休みの読書感想文がわりに書こうと思います。 結論から先に書くと、素晴らしかった。蛸壷屋さん(作者ご本人と話をする時は作者名の『TKさん』と呼ぶのだが、ここでは通りのいい『蛸壷屋さん』で統一)の二次創作の、対象となる原作へのアプローチの基本は「裏ルート」である。そして私は、毎回どのような切り口で、原作の裏ルートを描いてくれるのかを楽しみにしているのである。以前の「けいおん! 3部作」や「俺と妹の200日戦争」などでは、そのアプローチは「原作への反抗」だった。 「けいおん!」の平和な日常に「何が放課後ティータイムだ」とケンカを売り、「俺妹」の「ナマイキな妹」には「ちょっと可愛いからって調子に乗ってんじゃねえぞ」と、胸ぐらをつかんで引きずりまわす。そう言った嗜虐趣味を全開にして、原作に「鉄槌」を下していた。乱暴で鬱でバッドエンド。しかしそれが、原作の甘っちょろさに不満を持っていた読者たちに受けた。原作の漫画や小説を楽しみながらも、「ちょっと都合良すぎじゃねえ?」と思っている人たちに。それがここ2年ほどの、蛸壷屋さんのパロディ漫画。 けど、今回の「隣の家の魔法少女」は、それらとはかなり趣きが違う。まず、原作の「まどかマギカ」自体が、相当に鬱な展開を含んだストーリーで、調子に乗っているキャラクターもいない。だからなのか、ネットでも「蛸壷屋はどう料理するのか?」という期待と不安が入り混じった予想も、いくつか目にした。 それで結局、蛸壷屋さんは「まどかマギカ」を、どう料理したのか。 「肉体の痛さ」をこれでもかこれでもかと、しつこいほどに描いたのである。 「苦痛(いたみ)とはなにか 知ってるつもりになっていないだろうか?」というフレーズで始まる冒頭。そこではさやか、杏子、マミの「苦痛」を描いているが、「さやかの報われない片想い」や「杏子の絶望」などの「心の痛み」よりも、マミの「自動車事故で身体を挟まれた痛さ」すなわち「肉体の痛み」こそが「苦痛」と捉えていることは明らかだ。そして、過去の作品を見ても、蛸壷屋さんは、殴ったり殴られたり、斬ったり斬られたりという場面や、それによる「痛み」を、やたらと描きたがる人なのだ。そんな蛸壷屋さんが「まどかマギカ」を見て、いちばん不満に思い「ここを描こう」と決めたのが「読者に痛さの伝わる描写」ではないかと。 原作の「魔法少女まどか☆マギカ」。蒼樹うめ先生デザインの可愛らしい魔法少女たちは、魔女や他の魔法少女たちとは、ほぼ全て「劇団イヌカレー」の描く、グロテスクでキッチュでファンタジーな空間で、格調高いBGMの流れる中で戦う。そしてその戦闘シーンも、ハデだが流血はなく、肉体的な痛さも極力感じないように描かれている(だからマミさんの首チョンパがネタになったりする)。 しかし蛸壷屋さんは、キャラ同士を戦わせる時は、必ずといっていいほど、学校や公園、空地、山の中、河原など、「リアルな場所」を舞台に選ぶ。そして、殴られた場所は赤く腫れ、切られた所からは血が出る。創作漫画「Outsider」では、ヒロインの子が魔物に襲われて小指を無くす描写まである。 「隣の家の魔法少女」では、主人公のまどかは執拗に虐げ続けられる。おそらく読んだ人は一様に「痛そう」「辛そう」と感じるだろう。かなり引いてしまう人もいるだろう。けど、やはりこれを読んでしまうと、これまで「単に可愛いだけでなくシリアスでダークなストーリー」だと思っていた「魔法少女まどか☆マギカ」も、「甘口の魔法少女もののひとつ」に過ぎないと思わされる。原作に描かれていない「裏ルート」を描く蛸壷屋さんにとっては、命をかけて戦っているくせに原作じゃ都合良く無視してきた「痛み」こそが「描き所」だったのではないか。 だから、「けいおん! 3部作」のような分かりやすさはないけど、堂々とした「蛸壷屋作品」だと思う。 ただ、今回のこの本は、これまでの「よく描いてくれた」というよりは「なんでここまで描くの?」という感じでもある。あえて「不快感」をそのまま残している。蛸壷屋さん本人も、「読者がかなり離れるかもしれない」とおっしゃってたので、分かってて描いたのだろうけど。 最後に。作中の主役二人、「囚われ」のまどかと「解放」のほむらの役割を、「逆」にした方がよかったんじゃないか? と思いました。
2011/08/16
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