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【POD】栄養素を考えない栄養学 ~現代栄養学の盲点から視野を広げる~ [ 久保山誉 ]
価格:1760円(税込、送料無料)
(2023/1/14時点)
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ご冥福をお祈りいたします ▲
~山本小鉄プロフィール~
1963年、脱サラしてプロレス界入り。力道山に何度も門前払いを食いながら、必死に食い下がり
入門を 認められた。その後は「力道山最後の弟子」として活躍。67年の米国遠征では星野勘太郎
との
タッグ「ヤマハ・ブラザーズ」で名を上げた。
全国区"の人気者となったのは、むしろ80年の現役引退後だった。後進の指導に心血を注ぎ、
新日本プロレスの「鬼軍曹」として恐れられた。のちにトップレスラーとなった武藤敬司(47)、
蝶野正洋(46)、橋本真也(故人)の『闘魂三銃士』は山本さんによって徹底的にしごかれた。
ヒンズー・スクワットと呼ばれる屈伸運動を1日3000回課し、床に汗の水たまりができたという
伝説は いまも語り継がれる。当時、道場に山本さんが乗り付ける愛車「キャデラック」のエンジン音
が
聞こえた
だけで
ブルブルと震え出す若手もいたという。
その一方で、テレビ朝日系の「ワールドプロレスリング」中継でも解説者として活躍。実況の
古舘伊知郎と 試合を盛り上げた。選手経験のあるレギュラー解説者は昔もいまも珍しく、特に
大技の 時は「危ない ですよ、 これは危ないですよ」「いまのはキツいですよ」と叫んだ。マットの
下には鉄骨が 十字型に 組まれており、 例えば同じパイルドライバー(脳天杭打ち)の落としどころも
鉄骨の上と
そうでない
部分とでは威力が違う
という。「だからキツい」。その言葉には妙な説得力が。
また、同時に「審判部長」の肩書きがあり、外国人レスラーが暴走しだすと、山本さんは「あっ、
ちょっと 待ってください」と解説を放り投げて放送席を飛び出し、力づくで事態を収拾。大試合では
自らレフェリーを 務めた。「あっ、ちょっと待ってください」は流行語にもなった。