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2007年04月28日
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こんばんは。


今日は土曜日。
にも関わらず今日はオープンスクールで学校がありました。
ちなみに受験生の諸君。上記の「~にも関わらず」は英語だとthough,although,in spite of O.(O=目的語)といろいろあるが、なかなか大事な単語なので覚えておいて欲しい。




2005年4月上旬。

神奈川県立鶴見高等学校入学。

高校と言う新しい世界に足を踏み入れた時、何もかもが新鮮に感じた。

クラスには同じ中学だった人がいないから、初めは誰と喋ればいいのかわからなかったが席が近い人と早い段階で仲良くなった。


入学してから間もない頃、下垣が野球やってる友達ができたと言ってきて、その友達を見に行った。

……

がたいが良いな。

最初の印象だ。

世の中にはいろんな人がいる。だから変わってる人がいても生きてきた環境が違う。高校だと中学の時より幅広い価値観を持った人たちがいる。

そう。

俺は自分の中でその人を合理化させ、一般人として快く受け入れた。

おそらく下垣もそうしていたんだろう。

だが…

今はみんなにいじられ、見放されてしまっている。野球をやるという強い意志を持った彼は途中野球部を辞めてしまったのだ。
その後、ラグビー部に入部したのだが。



おそらく、当初の印象はこれっぽっちも残っていない。




部活動勧誘。

昼休み、1-5で友達と弁当を食べていた。
するといろんな先輩が教室に入ってきた。
今でも覚えてる。加藤先輩・浦澤先輩・中野


はじめは普通の勧誘だったが、途中から加藤先輩いじりに変わってくる。「こいつバルジってゆうんだよ。去年ブラジルから留学してきたんだよ。」
中野はくだらない嘘をつく。


するとでかい声で「ラグビー部入らない!?!?!?」とみんなに言いながらクラスにある男が入ってきた。

スピーカー斉藤。

彼はすぐさま俺の所にやって来た。

「部活決めた?ラグビー部いいよ!ラグビー部入りな!サッカー部とかやめたほうがいいから。今日校庭で練習あるから来なよ。定休2日あるし………」
話が止まらない。

そして「今日来るべ?」と聞かれ、考えますと答えた。

「中学一緒だったやつとかいないの?」

俺は3組の下垣という男が中学一緒だったと答えた。

すると「わかった」といい、クラスを出て行った。



後から知ったのだが、斉藤先輩は下垣の事を下崎と勘違いしていたらしい。


余談だが、下崎といういわばニックネームはその後も1個上のラグビー部部長がよく使っていたニックネームでもある。

そして仮入部。

はじめに見たのはサッカー部。
1年生は結構いて、ほとんどが経験者だった。しかし1人だけサッカーをやってなかったと言う男がいた。

有馬氏。

結局は陸上部に入ったが、サッカー部仮入部時、同じ未経験者がいることで少しは気を楽にさせてくれた。

次に見たのはテニス部。周りに流されるままに見に行ったという感じだった。
一緒に行った人たちの中で、一人だけ上手い男がいた。


正臣だ。

その頃は佐藤さんと呼ばれクラスの番扱いをされていた。
思い出すだけで笑みがこぼれそうだ。



3つ目に見たのがラグビー部。初心者なので校庭の隅っこでパス練をした。
パスを教えてくれたのは今は朝日高校にいってしまった社長だ。

こんなおじいちゃんが教えるのかよ。と思っていたが、"アングル・スピンパス"など以後話題性たっぷりとなる単語を吹き込んだのもあの社長だ。

そのアングルという言葉は東洋の声の高さを象徴とした言葉ともいえる。
ラグビー部ならわかるだろう。一時はその話題がよく出ていた。

スピンパスというのはおそらくスクリューパスのことで、その年代の違いが最速忍者柳井先輩を爆笑の渦へと巻き込んだ。


そして次に見た部活はハンド部。

ハンド部は同じクラスの鳥羽が「ハンドやろうよ!」と、よく誘ってきた。
ものすごいやる気があるんだな。何事にも真面目に取り組んでそう。
それが彼に対する最初の印象。
今となってはなおき率いるTHE松中軍団の面白キャラだが。



そして迷い、5月になりかけていた、ちょうど2年前の今頃。

俺は『ラグビー部』に入る事に決めた。


結局の決め手は下垣だった。ほぼ下垣が入るからという理由で決めた。
中学の時先生に「友達が入るから一緒に部活に入るってゆう考えはやめましょう」と言われていた。
それは入る理由が友達であってそのスポーツがやりたい訳じゃないから。
よって長続きしないからという事だろう。


今思えばなんだかんだで俺は下垣に依存していた。県鶴を受験したのも下垣の誘いがあったからだ。

小学校・中学校・高校も一緒で、中学の時の部活動・塾・高校での部活動も一緒だった。

下垣はしっかりしているから頼ってたんだと思う。あと俺が子供で1人じゃなんもできない人間だったからか。
いや、"だった"だと過去形だから、"人間だから"か。

7月22日生まれの人間は頼りになる人が多いんだよな。


まあ決め手が友達だっただけに、初めは苦しい事だらけだった。

入部して間もない頃、顧問の甲斐先生に「お前そんな体でラグビーできんのか!?」と言われた。

その頃は何も考えてなかったから、たしかに体重少ないけどまあできないことは無いだろくらいにしか思ってなかった。

今考えたら無謀な挑戦をしていたようだ。

当初体重は52kg
おそらく試合で相手が体重52kgならどんなに余裕な事か。

その52kgという体重のせいで今後辛い想いをするなんて全くといっていいほど思ってなかった。



つづく。





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最終更新日  2007年04月28日 22時32分40秒
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