電気羊-100億の夢、1000億の希望
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昨日6月26日で、介護の学校を卒業しました。何度もリタイアを考えました。一つも授業休めないカツカツのカリキュラム、最後まで単位貰えるのか、ましてや実技資格なんて取れるのか、迷い、悩み…ついに6月2日朝、教室まで行ったのに、そこに居続けるのが本当に血の気が引くほど怖くて、逃げるように飛び出した。この日は、更に遡ること1ヶ月前にエントリーした実技試験合格者再チャレンジがある日で授業の教科書も間違えてて、どん底の足元が崩れた感じに襲われたほど、本当にもうダメだと覚悟しました。けど、クラスメイトみんな、先生方も含めて、引きつりながらも笑ってた。。。翌週から始まった最後の3週間、授業の内容がガラリと変わりました。最後までカリキュラムを終えなければ、一生、怖いままだったでしょう。それでも数日前の最後の特任講師の授業(この時もしっかりせぃ!みたく叱られたw)の、最後の最後で、やっとピンと来たくらいです。もともとトロい。そして昨日。卒業式後のダラダラ(!)メンバーと担任先生と内緒の夜と。先生・生徒ではなく、介護界の人としての繋がりに変わる瞬間。ーーーーーーーーーーーーーー私の選んだ介護の学校には、都内あちこちにクラスがあるのですが、私のクラスは最も厳しいクラスとのことで、申し込みと面接試験の際に「大丈夫か」念を押されてなお、見学でお会いした担任先生を師としたい気満々だったし、チャリ通学な事もあり体力気力を十分注げると踏んで、ここにしました。授業カリキュラムは担任が作ります。私のクラスのは、まず知識、雑務的実技、介護の基本実技の最中に校外実習(これが週なかで月&金座学という)、半ば過ぎて、介護プランや記録書きまくりとチームケア。チームケアの実践として「医療的ケア」実技合格目指してチームを組んでチームメンバー全員合格を目指す(チームメンバーは担任が性格?で決めた)というもの。先生方も一日通し授業だったり「ありえへんキツさ」とは聞きましたが、右も左も分からないので毎晩生徒13人次の日を乗り切れるようスマホと電話と連絡駆使しました。それでも卒業の二日前まで「ダメクラス」とは言われてますけどw医療的ケア実技試験で、自分の弱点・欠点を洗いざらいぶちまけられ…愛のムチ受けられるのもバカだけだったなぁ。実際の現場では命掛かってくると考えると怒鳴られて当然なんです、知らなきゃいけないこと、身につけなきゃいけないことばかりです。できる人もいるわけだから、本当に知らなくて、わからなくて、できなくて…という状態で、、、最後の3週間に教わったのは「心」でした。(こんな例えすると、先生たちに絶対叱られるんですが、今の私にはいいのが思いつかない)「オムツ」は決して最終手段ではないって、そうしないために資格を携えココを卒業する。それと、ここは学校ではなく職場で、おしゃべり含めて全てが訓練でした。入学は15名。辞退1名と開始直後に親の介護との両立難しいと判断してリタイアした1名、半年の間にクラスメイト二人の親御さんが認知症になったけど学ぶことで良い関係が保てると頑張って13名が卒業+資格取得、うち約半数が来週から介護職につきます(「校」としては低調らしい)。未成年から60代という幅広い世代がクラスメイトになって、励まし合い支えあいながら、卓越した講師陣からの教えを受けるって、なんか凄い経験できました。8年後、オリンピックも終わって、2,025年に団塊世代が75歳で要介護域に達した時、今の状況では、5人に2人が認知症者になるそうです。うつ病や認知症は、対面で沢山おしゃべりするといいそうです。相手探しが大変なんで、健康なうちに若いうちにと思ってはいました。私が去年までいた電脳界で良しとされなかった「おしゃべり」。仕事の話もお互いの腹の探り合いから書類やメール? そんなつもりじゃなかったんだけど変えられなかったし、変えるってことは一緒に頑張ってきた同僚をナントカしろってことで、それはもう私にはできませんでした。なんとはなしに昔の同僚から教わってたとこ調べたら、たまたま介護クラス見つけて、若くして亡くなった皆んなから「行きなされ生きなされ」言われた気がしましたよ。電脳界の先輩たちを介護するよ。おしゃべりしながら笑おうぜ!結局、初志貫徹w しかも介護ロボットもゲット予定です(爆)
2017年06月27日
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