旅立ついのちと育つ命いのち~その3~




(腹水が減れば楽になるのに。。)

そう思いながら、3日後に2度目の訪問をすると、思いがけなく事態が好転していました。


腹水が減っていて、おばあちゃんもいくらか楽になっていました。


「何かしたんですか?」

奥さんに聞いてみると、なんでも近所の漢方薬局に相談したところ、「天南星」という植物の根をすりおろした物を勧められたんだそうです。


それを足の裏に貼っていたら、どんどんお小水が出てお腹が楽になったとの事でした。


(世の中には現代科学では説明のつかない事が、まだまだたくさん有るんですね)


午前と午後にビワの葉のお灸をし、その合間にもショウガの湿布や足裏のマッサージなどのお手当てを欠かさずにしていました。


私が診てみると、患部の固さが取れています。


首や肩も、それまではいくら押しても「いい気持ちだ」なんて言っていたんです。(むしろ力が足りないくらい。。。)

それが、かなり緊張が取れてきているので「そんなに押したら痛い」
なんて言われたりして。

(感覚が戻ってきているみたいでした)



(これはもしかしたら、もしかするかな?)

そんな風に、かすかな希望を持ったんです。


また、幸いな事に訪問してくださるお医者さんも見つかり、自宅での介護の体制も整ってきました。

(もし、自宅で亡くなると、どんなに病気であっても「不審死」として警察が介入してくるんです)



絶対治る、なんてことは言えません。

(こればっかりは人間の力ではどうにもなりません。神様の領域ですから)

でも希望と望みを持ってお付き合いをさせていただきました。


私が感心したのは、奥さんの献身的な態度はもちろんですが、マスオさん状態の友人の実の母親が泊まりこみでお手伝いに来ていた事です。

(わざわざ北の国からです)


あなたは信じられます?

結婚したもの同士の親は一応親戚になりますけど、なんでここまでできるんだろう?と私は不思議でしたもの。


(田舎の人たちはこれが当たり前なのかなぁ?)

(少なくとも、私の周りではありえないですから)


(だって、その話しをすると「お金貰ってるんだろ!」なんて言われるんですもの。悲しいけどね。。。)


娘さん(友人の奥さん)にしてもそうだし、友人のお母さんにしてもそうですが、そこには損得勘定が無いんですね。

何も計算が無いんです。


「ただ、今して上げられる事を精一杯しよう」


もう、それだけなんです。


そして、周りの人たちをそこまで動かしているのは、それまでのおばあちゃんの生き様なんです。


どんなにつらい目に合っても、人の悪口を言っているのを聞いた事が無いそうです。

マスオさん状態の友人のご両親が泊まりに来た時も、ご両親が恐縮していると「あなたの子供の家なんだから、遠慮する事無いわよ」ともてなし、長期滞在しても嫌な顔一つしなかったそうです。


「情けは人のためならず」

昔からそう言いますが、それは日頃どのような生き方をしているか、を表しているみたいですね。


そんな事を感じながら、何度か訪問させて頂いていただきました。


ただ、残念な事に日毎に体力が落ちているのが分かります。

施術の途中で吐き気を催して、随分と手間取ったりもしました。


段々と食事も喉を通らなくなります。

(ほとんど水だけだったり。。)


ある時、帰り際に奥さんにたずねてみました。

「おばあちゃんはまだ自分がガンだという事を知らないんですか?」


すると奥さんは

「母はとても気が弱いので、とても言えません」

との事でした。



これは今さら言ってみてもしょうがないのですが、末期のガンから生還した例というのは、実はいくつも報告されているんです。


私はむしろ、ガンが不治の病として、マスコミなどに取り上げられるのには批判的なんです。

(だって、みんなそう思い込んであきらめてしまうじゃないですか)

(結果、治る見込みのない化学療法をしてジタバタしてみたりして。。)


心と体は表裏一体と言われています。

心が今の病気を創り出してしまっているのなら、心によって病気も治せるはずですよね。


現に、現代医学から見放された末期ガンが、(いわゆる)奇跡的に治った方達の話しには全て共通している事があるんです。


それは「自分がガンになった、という事実を受け入れてこの現状は全て自分が作った事、全て自分の責任だと認めた」という事なんです。

そして、「ガンのお陰で多くの事に気がつかせていただいた。」

「ガンのお陰で自分の至らなさを知る事ができた。」

「ガンのお陰で新しい人生を歩む事ができた。」

とガンにさえ感謝の気持ちを持っているんです。


そこには、ご利益を求める宗教とは全く違う、深い信仰心を感じ取る事ができます。


(ちなみにこういった方達はそれまで、特定の宗教を持っていた訳では無い方の方が多かったりするんですよ)


どんなにいい人でも、ガンになる時にはなります。

(逆にどんなに嫌われている人でも、元気に長生きする人もいます)


このおばあちゃんはそれまで周りの人のために生きてきました。

それまでの行いが今こうして、家族からの心のこもった介護として表れています。

(これが原因と結果の法則です)


だけれども、ガンになるという縁も持っていた訳です。

そして、その事実を受け入れる事がなかなか出来ない状況である、というのもそういう縁だったのですね。


奥さんにそんな事をちょっとお話ししてみたりしたのですが、少し遅かったみたいです。



「先生、お金はちゃんとシッカリと取ってくださいよ。お金は持ってるんだから」



商売下手な私に対するそんな思いやりの言葉が、おばあちゃんとの最後の会話になりました。





数日後の訪問日、職場の電話が鳴りました。



奥さんからでした。



今朝、様態が急変して亡くなったとのことでした。




お悔やみの言葉を言うのが精一杯でした。





何もする事は出来ないのだけれども、早めに店じまいをしてご挨拶に伺いました。

そして、旅立つ“いのち“が実は多くの”いのち“を育てるのだ、という事を実感したのでした。


つづく。。。


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