

1876年初演。指揮者のビューローが、ベートーヴェンの第九の後を継ぐべき作品として 「第十交響曲」 と呼んだ事はあまりにも有名。作曲に40年をかけたといわれ、まさにドイツ人の根暗な情熱が火を噴いたような作品。この演奏は、 「フルトヴェングラーの演奏がステレオで甦ったようだ」 と称された、アナログ時代を代表する名高き名盤。冒頭からの尋常ならざる迫力は今なお超えるものがいない。ミュンシュ入魂、まさに全心全霊を傾けたと言って良い力演である。

オケのずば抜けた技術と高い使命感、それによって生み出される高揚感に包まれた素晴らしい迫力の演奏だ。小澤征爾を指揮者に、桐朋学園の斉藤門下生が年に一回集まって作られる「サイトウ・キネン・オーケストラ」。この奇跡のようなオケがヨーロッパで行った演奏旅行時に収録したブラームスの交響曲全集。これはドイツの正統とは異なるかもしれないが、美しくも人間的な温かみに溢れ、なおかつ圧倒的な迫力に満ちた素晴らしい演奏だ。全集も完成しており、 同胞として心から誇りに思うし 、世界に冠たるブラームスの演奏記録だと確信している。

1877年初演。カラヤン三度目の全集からの一枚。あまりにも高度に整理されすぎた彼の演奏は、四番などには向いていないが、ちょっと地味に見えるこの二番などを見違えるようにシンフォニックな演目に変えてしまう魔力を持っている。 終楽章の「おさるがおさるが・・」の部分 の大迫力、何度聴いても素晴らしい。

1883年初演。地味だなんだと言われるブラームスの交響曲の中で、 随一のロマンティックさ を誇るのがこの三番。第三楽章のポーコ・アレグロなど、一度聴くと忘れられない旋律だろう。ヴァントの演奏は、この曲の美しさを存分に引き出しながら、なおかつブラームスらしいがっしりとした構築性をもしっかりと表現している点が素晴らしい。それにしても、録音時すでに85歳を超えていたであろうヴァントのこの柔軟な音楽は、もう奇跡としかいいようがない。
1885年初演。ブラームス最後の交響曲は死の12年前に書かれたとはいえ、人生の終末を予感させる寂しさが全体を覆っている。私はこの曲の同曲異演盤を20種類程持っているが、往年の大指揮者達の演奏はそれぞれ素晴らしく、とてもベスト盤を絞り込むことが出来ない為、以下に数種類をあげた。いずれも特色を持った名盤ばかりなので、是非聴き比べて欲しい。
バーンスタイン/ブラームス:交響曲第4番
L.バーンスタイン指揮:ウイーン・フィル (81年録音) DG F35G 21022
バーンスタイン二度目の全集。バーンスタインといえば マーラー専従員 みたいに言われるが、この人間味溢れるブラームスも素晴らしい。ウイーンフィルのふくよかな音色と、バーンスタインの繊細さと大胆さの両方を完備した指揮が、堂々として美しい演奏を構築している。どの曲も素晴らしいが、特にこの四番、最終楽章のパッサカリアで燃焼しつくす演奏は、いかにも彼らしい。

評論家の丸山真男氏が、 「第一主題の第一音、Hの音は、あのように弾かれなければならない」 と評した48年の録音。確かに四番の出だしのHの音をどう再現するかでこの曲の印象は全く違うし、 序盤の勝負どころだ 。この部分を、かなり伸ばしながら開始するフルヴェンのやり方は彼にしか出来ない技だ。この開始の仕方により、全曲を支配する悲劇的な要素が決定される。終楽章パッサカリアの怒涛のような表現は、聴き終わってからもしばらく耳を離れない。

よく評論などでは、トスカニーニの表現はフルトヴェングラーと対極にあり、ロマン的な趣向を一切廃した厳格な音楽、といわれるが 必ずしも正しくない。 特にこの演奏はNBC交響楽団との録音と大きく異なり、第一楽章から非常にロマンティックで流麗な音楽を聴かせる。特に第四楽章、大きくスローダウンして克明に演奏されるパッサカリアは、震えるほどの感動を与えてくれる。定番化されたトスカニーニの評価を根底から覆すほどのカンタービレに溢れた演奏だ。

発売された当時センセーショナルな話題を呼んだ一枚。全体的に非常に明晰で歌うべきところを存分に歌った、クライパーの美点が光輝くみずみずしい演奏。クライパー初のブラームスだったが、明らかにそれまでの指揮者達とは異なり、メリハリの効いた、一音一音にまで光をあてた 新しい演奏スタイル
の登場であった。当時の感動は、後年ラトルの登場時に感じた興奮に似ていた。
録音も素晴らしく、今もなお同曲の優秀録音の一つに君臨していると思う。それにしても、同じコンビで全集が出ると期待したのは、筆者だけではなかったと思うが・・・もし出ていれば、不動の名盤の地位を確立したであろうに、なんとも残念だ。
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