祖母のこと


現在は介護認定されて、私は今だよく違いがわからないのだけど、老人ホーム、に入ってます。ケアハウスっていうのかな?

先日来、肺炎おこして、病院へ入院したけど、元気になって退院してホームに帰ったときのご挨拶「どなたさんもまだお元気で生きてましたか、私も生きて帰ってきました」

高等女学校を出て、東京の女子大へ進学し、その後、就職、結婚後も仕事を続け出産、出産後もまた仕事へ復帰し、軍人だった夫の戦死後はただひたすら働く職業婦人だったらしい。80歳まで働き尽くめの祖母だったんです。

私や姉にも、女性といえども働くべきだ、と子供の頃からいつも言い続けてました。実家の近くに家を1軒構え、先々高齢になったとき、一人っ子である母の近くに住みたかったのかもしれませんが、母を勤めに出させない父に対し、女性蔑視の男だと感情を常に持っていたようです。

別に親父が働くなって言ったんじゃなくて、ばあちゃんがあまりにも仕事一途だったから、お袋は仕事出なかったんだろうけどねぇ。しかしやっぱりそこは親子、そして、昭和一桁生まれの娘婿、女性を家に押し込める男だって見てたんでしょうね、呆けた今でも、祖母は、
「あんたのところのお父さんは、古い男じゃからなぁ、その点私の旦那さんは理解のあるえぇお人じゃった。仕事頑張るんだよっていっつも言ってくれて・・・」

そんな祖母の血を一番に引き継いだのは姉でしょうね、だから、姉が商社に就職し、営業として活動してると聞いたとき、祖母は、喜んだものでした。ただ姉が倒れた事を話したら、
「あの子は私と同じような苦しみを持つところだったのかもしれない、頓挫してよかったかもしれない・・・」
と、言ったんです。

バアチャン、どういうこと?って訊きなおしたけど、もう、祖母の頭の中は、別のことになってました。

車椅子生活を送るわが娘(私の母)を見て、
「あらぁあなたお気の毒ね、お足が悪いの。まぁだお若いのに、リハビリなさい。」というかと思えば、そばにいる父に向かって
「お父さん、うちの娘はこの頃少しは歩けますか、リハビリ行きよるでしょうかねぇ、このババでも杖つき、つき歩く云うに、孫に負担かけたらいかんわ」

そして5分もしないうち、また父に向かって、
「お見舞いご苦労さんです。ご面会ですか。入居者の名前を職員に申し出てください。入居者連れてまいりますので」っていう始末。

どこまでわかってるのかですね。
年が明けて2月になれば、満100歳の祖母です

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