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去年、仕事してなかった時は、お休みってのがあまりありがたいとは思わなかったのですが、仕事に復帰してからは、お休みっていうのが非常にありがたいのですが、しかし4連休ともなると・・・娘は娘で子供の日には、姉と動物園に行く約束をしっかり取り付けていて、姉が3日は出かける用事があると言ったので、4日から実家へ泊まりに行くとしっかり決めている。で、あらぁ、じゃあママもお泊りしなきゃねって言ったら、娘の一言「ママ、来なくていいよ」このところ、少し反抗期なのか、とにかく、自分で出来るの!って強くなってきてる。母や姉に言わせれば、私の小さい時にそっくりらしいが、ちょっと淋しいのが現状娘は一人で、色々計画立てて、連休の過ごし方をお決めですが、ママは四日も休みだと、何しようかまだ予定も立ちません。って言うか、それ以前の問題で、机の上の山済みの仕事、早急に片付けないと、今日は帰れなくなってしまう・・・オーナーのいない間にブログやって、それで仕事片付かなかったら、・・・怒られるだろうな仕事が山済みになったのは、午前中、銀行が多かったのよ。5日決済のものを、5日がお休みだから今日やったけど、朝から銀行で30分以上かかって、それで、仕事が進みません・・・なんて言って、・・・それがまかり通る姉じゃないことは私が一番知ってます銀行、混んでたのもあったけど、学生時代の友人に3年ぶりぐらいにあって、その友人は早く結婚して、子供も成人式の時はヨチヨチ歩きを連れてたような人、その友人のところの一番下の子供さんが、今年大学に行ったらしい。それで、夫婦二人になってしまって、昼間は全く一人で、ご主人の帰宅も遅いので、日々、一人でご飯食べて、淋しいのだって話を聞いてたんですよね。私も聞きながら、少しずつ、手が離れていく娘が先々進学や就職、結婚と離れて行ったら、と思ってみるとなんだか淋しいなぁ・・・親離れしてくれないと困るけど、少しずつ手の離れていく娘の成長は嬉しいけど、きっと淋しい日が来るのかな~なんてですね。そうならないように、何か自分の目標でも揚げてみるかな・・・恋でもしてみようかななんだか面倒くさ。ま、仕事片付けて、もうすぐ営業さんか姉のどちらかが昼ごはん食べに帰ってくるだろうから、お湯でも沸かしておこう。
2007年05月02日
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安芸の宮島と広島・呉への旅ということで、一泊二日の旅でした。信仰心のある姉が、起業したことで厳島神社へ行く~というので、私と娘も同行して行って来ました。実家の両親も一緒に。グタグタ言う、義実家へは何事も言わずに。月曜日は母の透析の日でしたが、夜間透析にしてもらって、行って来ました。実家の両親は、父がリタイヤしてからよく旅行に出かけていたのですが、母の透析導入以来、旅行は無理かな?って言ってましたが、時間をずらしてもらったり、また旅行先で受け入れ可能な病院での透析も出来るということで、また両親の楽しみも復活可能になります。GW、うちの旦那は、連日仕事、仕事、貸切バスの運転手ですから、それは仕方ないのですが、問題は、我が家の娘。2週間ぐらい前から、ねぇ、連休どこか行こうよ、行こうよ、去年まではそんな事言わなかったのに、今年からうるさいのなんのって。近場の動物園でも連れて行こうかなって思ってたら、姉がきちんと予約取っててくれてた。娘が姉に早くから交渉してたらしい。。。で、29日の早朝、5時前に家を出て、実家に車を置いて、実家の車で一路、広島へ。広島って、広島の方には大変申し訳なかったのですが、昔あった映画のイメージがあって、広島って荒っぽい町かなってのがあったんです。父の仕事の関係で、呉市にいたことはあったのですが、それも1年ほどだったし、その頃は、ちょうど今の娘ぐらいの年齢で、ほとんど覚えてなくて、広島ね・・・って感じだったのです。宮島は、中学の時の修学旅行で行ったけど、なんか暑い日にテクテク歩かされた記憶だけで、シャモジ買った記憶しかなかったんです。宮島ね~、それと広島~、まぁ、連休、どこにも行かないよりマシかなってぐらいで行ったのですけど。最初に呉へ行って、江田島、広島港⇒宮島口に宿泊して、宮島へ行って帰ってきたのですが。道端の小さなお店や、歩いてる人に道を尋ねたときの、なんていうのかな、ホノボノとしたような、何かしら温かみを感じてですね。取り立てて言うほどのこともないけど、なんだか気持ちいい旅だったのです。宿泊したホテルも良かったんですよね。宮島口の、安芸グランドホテル、でした。部屋からの宮島が見えたし、至れりつくせりの、いい旅行でした。写真も撮ったのですが、デジカメを実家に忘れてきちゃったので、また改めて掲載します。でも、なんとなく、いい気分の旅行でした。あんまり渋滞にも引っかからなくて。しかし、娘は、GW後半のお出かけも何かしら一人で計画中。
2007年04月30日
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義両親と別居して、約5ヶ月。別居してからの行き来というものは数えるほど。その上、今年になってから仕事を始めたので、今年になってからは、本当に会う機会も少なかった、義両親。会わないなら会いたくないけど、向こうから用事があるから寄ってもらえないだろうか、と言われたからには仕方ない。渋々出かけて行きました。行ったのは、27日の夕方。娘の幼稚園は今年から、夕方5時まで預かってくれるので、娘が帰る前に。義両親宅へ行くと、私たちが住んでた2階部分は今も空き家の貼紙。知ってる人は借りない・・・で、ま用事があるというので行けば何事かと思えば・・・これがまたアホラシイ用事だった。連休中は、自分達、年寄り夫婦はアルバイトの仕事が入ったので孫である娘を預かれない、とのこと。預かれない?って、その以前の問題で、預ける気など毛頭無し。私の仕事は、暦どおりに休みなんで、娘の幼稚園休みの日は私もいるから、別に預ける必要はないですからねぇ・・・・って言うと、姑は、ブスッとした顔で「お偉い人はいいよね、連休取れて、どこかいくの?」私「近場ですけど、ちょっとはですね・・・あとは、姉が明日28日はいつもお参りに行ってる神社に行くので、その時は私たちも一緒に行く予定ですけど」姑は、プリッと横向いて姑「だいたい、うちの息子はそういうの嫌いだったのに・・・」うちの旦那が、そんな嫌いだなんて一度も聞いた事無いし、反対に好きってこともマァ聞いた事ないけど。中学生じゃあるまいし、何のためにイチイチ母親が言うんだ?次に舅が言ったこと、これまたすごかった。舅「実家の方は誰々行くの?」私「姉と両親ですけど。姉の運転で私と娘も一緒に同乗して・・・」舅「家族みんな行くの、はぁそう、そりゃ、交通事故あったら一家全滅だ」舅も姑も人間じゃないとは思ってたけど、改めて人間性を疑ったというより、あぁこいつら、ほんまの人でなしだなって。舅は、自治体のゴミ処理場のバイトをこの頃始めたとかで、駐車場にはゴミ処理場が持ってきた、舅曰く、まだ使えるものと言うのがヤマとしてて、ゴミ屋敷になるのではって状態に近かった。神社への参拝は、無事に終わり、無事帰ってきました。
2007年04月28日
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先日、実家の母が病院の患者会の親睦会に行ってきました。透析を受けてる人の患者会で腎友会というのがあるのですが、最初は、でかけるのを渋ってる母でした。病人さんの集まりに行ってもね・・・と言ってた母でしたが、姉に付き添われ、親睦会へと。腰が悪く、歩行があまりよく出来ない母は、姉に付き添われて出かけましたが、帰ってきた時の本当に楽しそうな顔には驚いた。私たちが子供の頃は、学校の役員なども自分から率先して行うほど活発に動いていた人でしたが、体調が悪くなり、また、持病の腰痛が悪化し、車椅子生活となってからは、外出も減ってしまってました。透析を開始してからは、病院と家の往復が殆ど、という生活。姉もいよいよ仕事に復帰したので、少しは自分で動きださねばねぇ、と、言ってた矢先、母の最初の復活お出かけが腎友会への出席でした。車椅子を使わず、杖と姉の介助で、駐車場から会場まで歩いたそうです。そこで、同じ施設で透析を受けてる患者さんから、「歩ける足がある間は一日10歩でも歩いたがいいよ」と言われたそうです。その方は、神経障害で足を切断されてたそうです。でも、その方は元気に車椅子をご自身で動かして、動き回れてたそうです。同じように透析を受けている方々から、食事や水分摂取量のことなど、経験でしかわからないようなことを色々母も姉も聞いたらしく、すごい勉強になったと言ってました。また、母が言うには、「病気してるとは思えないほど皆さん元気で明るい」と。そこの腎友会では、年に4~5回の親睦会があって、総会が今月末にあるとのこと。母は月末の総会へも出席し、5月に佐賀で開催される全腎協の総会にもぜひ出席したいのだ、と話してました。新しい年度になって、母が始めたこと。毎日、最低30分、歩くこと。家の周りを父と歩くのですが、幼稚園が休みの間はうちの娘も一緒に歩くそうです。それで、今日の昼間、仕事中の私へ娘が掛けてきた電話「ママ、オバアチャンの手をひいて上げないといけないからお出かけするね」
2007年04月02日
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地震で被災された方々、お見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈り申し上げます。今日は、自治体の公民館で、絵本の読み聞かせ会がありましたので、娘を連れて出かけてました。娘は、「今日はネエチャンのところ行かないの?お仕事行かないの?」と、ちょっと不満顔。今日は日曜日なの、と言いながら、読み聞かせ会に連れて行けば、連れて行くで、同じ年代の子達と遊ぶし、本見て喜ぶし、公民館の図書館でDVDを3枚借りて、もうホクホク天気もいいから、近くの公園でお花見でもしながらおやつ食べようか、などと、のどかにやっておりました。公民館の駐車場、何時間、車停めても休日はOKなので。他のママ達と子育て論議しながら、子供は遊ばせて、呑気にやって昼近くに帰ってきました。その時に初めて気づいた、携帯を忘れてたという事。玄関に置きっぱなしにされた携帯は持ち主に出てもらうものを待って鳴っていた。慌てて出たら、姉からでした。今日はお休み・・・よね?と言う私に、姉は「休みは休みだけど、今後は携帯は持って歩いてね・・・」と。明日の仕事の簡単な連絡だったのですが、私が呑気に休日してる時も姉は動いてたか・・・と。今度は、以前みたいな働き方しないってネエチャン言ってたじゃん、昼も夜も土日もない働き方しないって言ってた・・・でしょ・・・姉に会いたがる娘を車に放り込んで、昼から出かけて行きました。姉は事務所で花を飾ってました。日曜ぐらい休めばいいのにって言うと、来月からは休むよ~と軽~い受け答え。また、体壊すようなことしないでね姉は訥々と「もう無理出来る年でもないし、以前のようにデータと結果と成果ばかりを追求するような仕事をしたくないし、する気もない。将来的には、相談所みたいにしたいの。2年前に倒れて、その時は、ただ走り続けてた自分のやってきた事はなんだったのか、って、その答えばかりを追求してた。お母さんの病気も、なんとか透析を回避させよう、死に物狂いで毎日の献立考えて、神経質なほどに塩分、カリウム、リン、水分。仕事を辞めても同じ事を家庭内で繰り返してただけだったの。ノイローゼ気味だった、というか、ノイローゼになってたのかも。病院にいくら通っても、薬飲んでも、一向に改善しない、それどころか、例えようのないだるさは、起き上がれないぐらいひどい日もあった。そんな私の一番の楽しみは、月に一度、神社にお参りに行くこと、行く道々の季節の移り変わり、田んぼや畑や山の木々の姿を見ながら神社へ往復することが一番の楽しみでね。神社行って、神官の方と色々話しをして、祝詞の意味を教わったり、神様にお仕えされてるのに、先祖供養のことを話したり、でも宗教的な事はほんの1割程度で、あとは全然違う話をしてね。で、そこで思ったの、家族に病人がいる人は誰に相談していいのか判らないことが多い、話しを聞いてもらいたくても言う場所もない、他にも色んな事で悩む人の相談所みたいな、駆け込み寺みたいな、そんなもの作りたくてね。だから、殺伐とした事務所じゃなくて、花ぐらい飾ろうかなって思ってね、明日、君にさせようかと思ったけど、雑用係じゃないって言われちゃ困るんで(笑)」姉が悩んでるのではと思ったときも多々ありました。しかし、絶対に弱音を吐かない姉でした。そんな姉も神様の前では、素直になってたのだろうな、と思ったのです。しかし姉は確かに信仰する人ですが、霊感商法的なものが大嫌いな人で、人の悩みに付け込むそういうのは私も姉も大嫌い。私が仕事に行くことで、娘が嫌がるかな?と思いきや、何の何の、春休みの間は、朝から私と一緒に出勤して実家の父と庭いじりしたりDVD見たり、お散歩したり、買い物行ってお菓子買ってもらったり、母が透析の無い日は、ジジババと一緒にスーパー銭湯行ったり、楽しいみたい。幼稚園始まってからも、お残りさんで5時まで幼稚園で遊んでてもいいよ、なんて言ってます。いざ始まったらどうなるかは不明ですが?ただ少し変わったことは、たぶん実家で父がさせてるのか、洗濯物を畳み始めたこと。タオルやバスタオル、自分のモノなどは自分で畳み始めましたね。親がいなくても子は育つかな?なんて調子です。
2007年03月25日
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先日、久しぶりの復帰にたくさんのコメントありがとうございました。仕事のほうも、開業まであと10日ばかり、準備もほぼ完了し、来週からは、従業員さんも出社され始めます。姉の友人の弁護士さんの事務所の引越し作業がこの週末で、いよいよです。このまま、オバチャンで沈みそうになってた自分に改めて気づいたものです。さてさて、本題に・・・昨年末に、義両親と別居して以来、お寺参りなども別々に行ってきました。お寺行くと言ったところで、年末に行って、年明けて行って、2月に義祖母の命日があって行って、今月はお彼岸だからってな事で行きました。一応ね、お供え持って、お布施も包んで行きました。これは姉の言葉ですが、「ここに生きてるのは、ご先祖様がいらっしゃるからで、木の叉から生まれたんじゃねぇから、お参りはするもんだ、金ばっか上げる事がお参りじゃない、手を合わせるのがお参りだ」そうは言ったところで、お布施も包んで、おはぎも作って、親子三人で21日、お寺に行きました。お墓は、前もって、17日に墓掃除に行ってましたので、21日はお寺だけ。そこで、ご住職にお会いして聞いた事。義両親が、全く来てないらしい。それどころか、お彼岸供養の案内を送付したら受け取り拒否で返ってきたので、お寺が連絡したら、舅の返事は「俺は仏さんにならないからいい」とのこと。ご住職も、あそこまでアホとは思わんかった、とのこと。旦那も、呆れ果てた顔で、アホにつける薬はないですなぁ・・・とため息交じり。ご住職と少し話をして、旦那が一応、義両親のところへ顔を出しておくか、お寺のこともあるし、私が仕事に行きだしたことも一応、報告しておくか、と。久しぶりに行きました。すると、私たちの住んでた2階は、手書きで貸し家と書いた紙が貼られてました。不動産屋ぐらい通せよな・・・これで借り手着くか?義両親ともおりました。言われた第一声舅「住宅ローン払えなくなったか戻ってくるか」失礼な旦那が、アホな事言うなよ、と、言いながら、お寺での出来事を話したところ、舅「うん、うちはな、子供いないから、仏さんみてくれる者がいないからなぁ。寺と付き合うこともない」ここまで根性ひね曲がった奴か・・・旦那も呆れて、長居せず、娘も帰りたがるので、早々に帰ってきました。ところが、帰ってきて、しばらくすると旦那の携帯に舅から電話。何ようかと思えば・・・「お彼岸だけど、陽菜子さん、おはぎ持ってこなかったよ」誰が持っていくもんか、知るか、って旦那と言ってたら、横から、娘が、「持っていかないと、オジイチャン、おはぎ取りに来るよ」ヤリカネナイ・・・あのジジィならヤリカネナイ・しかし、我が家に残ってる分、持って行ったら、我が家の分がなくなる。そこで旦那が取った手段は、近所のスーパーで値引きされた賞味期限ギリギリのおはぎを、詰めなおして旦那が持って行きました。何も知らず、食べたんだろうな・・・仏さんにもならないってのが、おはぎだけはキッチリ、所望するんだな・・・22日の日、出社してから、姉に、舅は仏にならないらしい、と、話したら、「じゃあ、お望みどおりにしてあげたらいいだけよ」そうですね、少しはいう事聞いてあげないと
2007年03月23日
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長いことご無沙汰してました。また、よろしくお願いします。約2ヶ月、冬眠していたのではないのですが・・・ちょうど2ヶ月前、1月19日でした。姉から呼び出し受けまして。こちらから連絡することは多々あるのですが、姉から相談がある、と声を掛けられたのは、たぶん・・・生涯初めてではないかな?って思うくらい、だから「姉ちゃんが私に相談?」驚きと、嬉しさと反面、何か困りごとでもあったのでは?と頭の中を色んなことがグルグルと回って回って。色んなこと考えながら、待ち合わせ場所に行くと、姉と姉の悪友親友である弁護士さんと二人が待ってました。待ち合わせ場所は、コマネズミの娘を連れて行けないような、レストランという言葉はこんな店のためにあるんだって言うような、結婚してから・・・いや、子供生まれてからこんな所で食事したことねぇなぁ・・・って店。私「久しぶりにこんな所来たよ~旦那と付き合ってた時、何度かつれてきてもらったかな?」姉「私たちもそうそう来ないよ。今日は特別なお願いというか相談があるから、接待だから」姉から接待って言葉を使われたことも嬉しかったし、お願い、相談って云われたことも嬉しかったですね。小さい時から、姉に相談すること、教えてもらうこと、助けてもらうことはあっても、私が相談を受けるなんてことは一度も無かったからですね。姉の話を聞きながら、私に果たして出来るかな?って不安と自分に姉が白羽の矢を立ててくれた事への感謝の気持ちと仕事に復活できるという嬉しさが混沌した気持ちになったものです。姉の話は、4月から、友人の弁護士さんと同じ建物内とうか、1件の民家だったところを半分に区切って、共同事務所のような形で事務所をオープンすると。姉は経営コンサルタントとして、友人の弁護士さんはもちろん弁護士さんとしてですが、実家の隣に長いこと空き家になってる小さな家があって、その家を姉が買い取ったらしいんです。前の持ち主さんも最初は、借家で出してたけど、借りてが無いまま何年も過ぎてるし、買ってくれるなら格安でってことになったらしくて、格安というより激安だったらしい。そこに少し手を入れて、そこで事務所を始めると。弁護士さんのほうは現在、賃貸ビルで1人で事務所やってて、事務員さん1人と事務員さん休みの日は電話番に弁護士さんのお母さんに来てもらってやってた。今の事務所は駐車場が1台分しか取れないし、交通の便もあまりよくない等不便な点が多々ある。で、そこで、姉が買い取ったその家、不思議なつくりの家で、小さな家なんだけど、何故か玄関が二つ。トイレも二つ、勝手口ではなく玄関が二つ。勝手口は一番奥にある一つの台所のところに一つ。元々、長屋だったのを前の持ち主が買い取った後、下宿屋としてしばらく使ってたらしく、これじゃなかなか借り手もつかなかっただろうとういうような家だったらしい。姉は、今年の4月頃から仕事復帰する心構えで、昨年秋ごろから着々と準備進めてて、昨年11月に母が急変した時もその仕事の打ち合わせで、東京に行ってたのです。その後も少しずつ、準備を進めて行ってて、買い取った家も最初は玄関を一つつぶして・・・と考えてたみたいですが、館払いとか土地のお祓いを姉の親しい神官さんにしてもらったら、この家は、玄関を二つ置いたまま風を通してやるほうが、商売のためにいい、と、出来れば、何か別の職種を一緒にやって、水屋などは共同で使えるようなその方がいいのでは?ということになったらしいんです。そこで、友人の弁護士さんに話を持ち込んだらトントン拍子に決まった。そこで一番喜んだのは、弁護士さんのところの事務員さん。「自分が休みのときでも電話とってくれる人いますよね」って。ただ、仕事が仕事ですから・・・伝言ぐらいは出来るでしょうが・・・って。話になったらしい。4月から、姉は経営コンサルタントで開業し、同じ棟でもう片方の玄関から入ったほうでは姉の友人の弁護士さんが仕事をし、となるのですが、それぞれの玄関はいるとそれぞれの事務所になってて、隣の事務所に行く為には、一番奥にある台所を通っていかないといけない、と、なんとも不思議なつくりの家ではあるんですが。どちらの仕事も仕事だから、ま、いいんじゃないってのが姉の言い分。で、私の仕事というのは、経理担当。但し、娘が3時には幼稚園から帰ってくるんで・・・、2時で帰っていいよってことになりました。土日祝祭日は一応、お休み。勤務状況に応じて、福利厚生も考えましょうってことで。結婚を機に仕事をやめて、本当は続けたかったけど、旦那が貸切バスの運転手で時間が不規則だし・・・と思って退職して、その後、娘生まれて、二世帯住宅で、舅・姑と戦って、子育てに振り回されて・・・1月19日の朝、姉から電話もらって、化粧する時、鏡みたとき、年取ったなぁ。このまま、中年のオバチャンになっちゃうのかな?ってちょっと落ち込んだものでしたけど。その姉の話が来て、旦那にも相談してって言われてたけど、私的には即OK。一応、旦那にも話したら、OKでたんで、早速、20日にOKの返事を出したら、それからが大変。何せ、新規開業なんで、こんなの以前、勤めてたとき、支店のオープンでもやったよ・・・・湯のみから購入しなきゃいけない備品の購入、セッティング、忙しかったけど、充実してました。その間、姉は姉で、社員さんの面接はやってるし、銀行の手続き関係も最初だけ姉が一緒にやってくれて、後は、全部、やらされた。銀行の担当者も、姉の中学・高校・大学と一緒の友人の方だったので、丁寧に教えてもらって、なんとか。その間、姉のクライアントとなる方々から、開業はまだですか?って問い合わせまで入るし、自分の仕事である経理の面でも、5年も仕事離れてるものだから、おさらいが大変。いくら、会計ソフトがあるって言ったところで、自分が理解してなきゃ、どうにもならないし。この2ヶ月間、朝から娘を送り出して、即、仕事行って、2時半だぁってバタバタして帰って、お迎えに行って、家のことやって、娘が寝てからは、経理のおさらい、本当にテンヤワンヤの2ヶ月でした。その間、母も透析の病院をずっとかかってた総合病院から近所のクリニックに転院し、2月半ばから転院しましたけど、この転院先が、ドクターもいいし、看護師さん達も婦長さんはじめ天使様みたいないい人たちばかり。母が以前、通ってた、総合病院では、透析待合室で待ってるとき、同じ透析患者の人たちの話の内容が、御酒飲んだの、水は制限無しに飲むだの、果物も制限なし食べるだの、聞いてて寒気がしてたけど、今度の病院では、そんな事もないし、施設的に清潔だなって感じで、その分母も以前より元気になったし、食事も進むようになったので、姉も私も一安心。姉自身も、病院を変えて、薬も漢方薬に変えてから、体調がかなり良くなったみたいで、それで仕事に復帰することになったけど、ただ、怖いのは、姉は、頑張りすぎる傾向があるから、それがちょっと心配だけど。この2ヶ月間、忙しかったけど、ちょっと幸せだなって。いよいよ本格的に始まれば、大変なことも多いでしょうけど。家庭以外でちょっとだけ幸せをみつけたのです。
2007年03月19日
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この頃、少しサボリ気味に書いてて、今日は管理画面が変わってた。なんなんだ、これはムチャクチャ使いにくいぞ。楽天。まったく、何これ?って感じで。自分のブログなのに、これはどこ?ってな調子で探しまくってます。
2007年01月18日
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今日は旦那が休みだったので、近所のスーパーまで買い物に行かせました。娘を幼稚園へ送って行って、そのまま行ってこい、と。メモに買うものを書いて、お金持たせて。買うものは、牛乳・ヨーグルト・キャベツのこの3品。旦那が帰ってきて、ハイって、レシートとお釣りをくれました。レシートを見ると、牛乳とヨーグルトしかありません。キャベツがない。私「キャベツ買ってこなかったの?」旦那「買って来たよ、ほら」旦那の手には確かにキャベツ。でも、キャベツの値段はレシートに印字されてなし。それで、スーパーに電話して、後でキャベツ代を持っていく旨を伝えたら、最初、電話に出た人は、「わざわざすみません・・・」って態度だったが、途中で電話を変わった店長らしき人は「いいえ、うちは絶対に間違ってません、お客様の勘違いです」の一点張りで電話を切られてしまった。なんか、1個80円のキャベツでもイヤだねって、旦那はまた買い物したもの持ってスーパーへ。レジの人にこれだけ買って、2品分しか打ってなかった、と話してたら、店長らしき人が出てきて、「それはうちで販売したキャベツではありません。うちのレジは間違ってません」と。帰ってきた旦那曰く、「あの店では今後買うのやめよう。反対に高く取られる可能性もあるし・・・」なぜ、あそこまで、かたくなに拒否されたか不明です。ただ、今月から来たその店長、幼稚園のママたちの間でも評判悪いです
2007年01月16日
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土日で、実家に行ってました。実家に行ってたというか、実家がいつも行ってる神社の正月恒例の玉替祭りというものが、あったので、それに行くために実家と合流して、土曜の夜は神社へ。土曜日は知り合いの家に泊まって、日曜の朝から帰ってきたのですが。玉替であまりクジは当たらなかったけど、娘は、玉の代わりの飴ですこぶるご機嫌。去年までは、こうした行事に行こうものなら、義両親の憎まれ口をイヤというほど聞かされたものですが、気楽なものだ、と、私は私でご満悦気分。そんな中、帰ってきて、実家にどかっと帰ったのですが、実家の居間のコタツの上に、姉が何気なし、昨年1年の家計簿やら医療費の内訳やらと帳簿的なものを、置いてたんですね。私は、それを見ながら、これ、何か使うの?って聞いたら、母に全体的なお金の流れをするためだ、と。一応、お金の管理は姉が全部やってるけど、母が主婦であることに変わりはないからっていうのが姉の言い分。へぇって思いながら眺めてました。私なんざ、合わなきゃ、残高調整だもんなぁ・・・ここの家はさすが、姉御、びた一文合わないことないような帳簿になってるわ~って言いながら見てたら・・・・親父が、グズグズと。親子3人しかいないのに食費もっと少なくていいんじゃないか?光熱費も高いんじゃないか?ってグズグズって言ってた。父のグズグズが今に始まったことじゃない。時々、忘れた頃に、家計に口を出す。そんな時、母はいつも無視していたが、今日は違った。母「寝てるときに、ワインの瓶で頭、殴られんようにね」昨今、怖い事件多いからネェって姉とも言ったんです。でも、父はそんな一言聞こえてませんでした
2007年01月14日
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我が家の旦那は、本当に無宗教な人間。正月・・初詣行くこともないやろう春と秋のお彼岸・・・墓参り面倒くさいなぁお盆・・・仏壇にぎょうさん供えてもったいないなぁそのくせ、クリスマスプレゼントは何が欲しいなぁって、そういうのだけは熱心。義父があんまり、そういうことをしない人です。そのくせ、うちの娘には将来、婿を取って、この家の跡を継いでもらわねば、自分達が仏になった時、見てもらう人間がいないって、いつも義父は言ってましたが・・・矛盾してるんだよ。しかし、そんな我が家ですが、家にはきちんと神棚もあります。前の家のときは、小さな神棚を置いてたのですが、この家を買ったとき、私の実家がいつも行ってる神社の神官の方に来ていただいて、神棚もきちんと入れたのです。その神棚に旦那が朝から、手を合わせてなにやらやっている。ホー、そういう殊勝な心を持ったか・・・と思いきや、なんとまぁ、神棚に上がっていたのは、商店街の新年福引、そう言えば、年末も年末ジャンボを奴は上げてた。都合いいときだけ、神様に頼んでも、神様もご迷惑だろうけど・・・あぁ、こんな所だけ、義両親に似たのかよ・・・やめてくれぇ
2007年01月11日
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母が最初に入った部屋は、救急車で運ばれた人が一晩いて、翌朝には専門病棟へ移動するだけのような部屋でした。そのせいか、六人部屋でしたが、閑散として2人しかいない部屋でした。その時は、どうせ一晩で帰るからって思ってたのですが、翌朝、同室の人が、部屋の移動でいなくなると、広い部屋に母一人、あまり気持ちのいいものじゃなかったそうです。しかし、その母も、翌朝9時頃には、まず、同じ病棟の4人部屋へ移動。最初の予定では、すぐ帰れる予定が、同じ病棟内で移動になって、その時点ではその翌日に内科病棟へ移動の予定でしたが、話がドンドン変わって、内科病棟への移動は当面見送り。その4人部屋へと移動になったのですが、この4人部屋・・・母のベッドの真向かいの方は、普通に会話が出来た。この方が、昨日のトイレの件を看護師長に進言してくれてた気さくな奥さんでした。私が、昼過ぎ、娘を幼稚園に迎えに行くので一旦帰る、と言ったら、わざわざ起き上がって、気をつけて運転するんだよ、と、声をかけてくださった。あと、二人、同じ部屋には入院されてたが、全く、話もされない。一人の方は、ベッドを起して座っていても、全く身動ぎ無し・・・と思ってたし、看護師さんたちもそう思ってたみたい。もう一人の方は、ず~~~っと、看護婦さ~ん、看護婦さ~ん、と呟いてるので、ナースコールを押せないのかなって思って、一度、ナースセンターに声を掛けに言ったら、看護師さん曰く「あの人は放っておいてください。行っても何も用が無いって言うんです。うるさいでしょうけど、放っておいて」しかし、何かあった時はどうするの?オオカミ少年ならず、オオカミおばちゃん、ほどほどにねって思ってたけど、このオバチャン、あとで、姉に聞いたが、夜、消灯になってから、コソッとカーテンを2センチくらい開けて、母のほうを覗いていたらしい。最初は姉も、知らん顔してたけど、あんまりにも薄気味悪くて、「何か御用ですか?」って訊いたら、看護婦さ~んを始めたらしい。全く身動ぎ一つしなかった人。この方、看護師さんが食事介助にきても、全く何も食べなかったらしい。ところが、消灯になって、消灯直後に看護師さんが巡回に来て出た後、すぐ、何かゴソゴソ始めると、棚からお菓子やらジュースやら出して食べ始めたらしい。それも、カーテンも閉めず、堂々と食べて飲んでだったらしい。それを夜中に何度もやって、とうとう夜中の3時ごろにみつかって、「動けるの!!!」って騒ぎになったとのこと。その方、次の日から動けるとわかって、看護師さんたちも食事介助にも来ない状態。すると、ご飯が食べれないって泣いてた、それでも看護師さんたちは、夜中に一人で棚から出して自分で食べてたという事があったので、誰も来ない。そこで、その人がやったことは、なんと、点滴を腕から抜いて、チューブを途中から切って飲んでしまった、と。一瞬の早ワザで、母に食事をさせてた姉も、アァもスゥも言う暇も無かったと。姉が慌てて、ナースコール押して看護師さん呼んで、点滴飲んじゃったみたいって。それからは、看護師さん来て怒ってたらしいけど、怒ったところでねぇ・・・その四人部屋には、2日ほどいて、母は個室へと移動していったのです。
2007年01月10日
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年末近くに引越しして、今年は新しい家に移ったから大掃除サボろうかなぁなんて不謹慎なことを考えたら、見事、サボらなければいけない状況になってしまい・・・ウィルスチェッカーの更新、これも急ぐことないさぁ。数分もあれば出来るし~~~確かに数分だけど、危なく期限切れになるところでした。家計簿、毎日つけてるんだから・・・一日、二日さぼったところで残高が合わないなんてことは・・・先月分の集計、並びに先々月の集計、やっと今日完了。なぜか、帳簿上、現金残高が(-)6,500円ぐらいになっている。通帳の記帳も全部してるし、銀行から落ちる分はきちんと落ちてて、通帳の残高と帳簿上はきちんとあうけど、現金残高がなぜか、マイナス?現金が6千幾ら合わないってことは、何か二重に入れたか?調べてみたけど、判らない?仕方がないので、残高調整で処理。人間、何が起きるかわからないので早めに出来ることはきちんと早めに行うべきなのねって。母の入院騒動で、年末の予定の大きく変わったこと。でも、病院と実家にいくのに、以前のように気兼ねすることもなく行けた日々は最高でした。しっかしまぁ、まだメールの大整理が待ってます。これは明日、娘が幼稚園行ってる間にやりましょう。明日からお弁当持って行ってくれるし。
2007年01月09日
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あれは、昨年11月の26日の夕方、もう19時を過ぎた頃、娘にご飯食べさせ、いつも以上に愚図る娘の態度にチョット、イライラしてた時でした。実家の父から1本の電話。まぁ珍しい、とっつあんが電話してくるなんぞ、何事?「母の具合が悪い、どうしよう・・・」いつもこんな時に動いてくれる姉はちょうど不在。父も一人でどうしていいかわからず電話してきたけど、私もどうしていいか咄嗟に判らない。5分後、父は救急車を呼んでました。しかし、救急車を待つ間に病院に連絡をしていなかった。姉がいるなら、この間にいつもかかってる病院に連絡し、主治医の先生に連絡してもらうのですが、そのネエチャンはその日の朝から東京へ。その前日の夜、おっかさんは、そりゃ元気で、食欲も旺盛で、焼き魚のお代わりをしたほど。だから姉も安心して出かけてた。救急車で病院へ行くというので、私は娘を車に積んで、放り込んで、と、言っていいくらい、いざ病院へ。病院へ着くと、当直の若い医師。「熱ありますね、風邪ですかね、今夜一晩、様子見るため入院しましょう」で、その時は、一晩入院の予定、だから、母も姉に連絡するな、心配して飛んで帰ってくるから。と、口止めをされた。しかし、ここで姉がいたらまた違っただろうなって後で思ったこと。姉なら、熱の原因を調べろって当直の医師に言ってたと思いますね。私と父だから、はぁ、そうですか、で、引き下がってるんです。ところが・・・口止めはされたものの、ネエチャンいないとおっかさんの入院に必要なモノが父ちゃんではわからない。ま、一晩だから・・・とたかをくくってた。しかし、翌日、主治医の先生が出勤されて、検査が開始されると、主治医の先生は姉に話をしたい、と。そして、父がチラッと見たらしいが、主治医の先生が、当直してたお医者さんに、何故、早く連絡しなかったんだ、って怒鳴ってたらしい。あわや、母ちゃんは医療ミス?になるところだった???主治医の先生は、姉に会いたいって言うし、母の容態は一向に変化無し、熱も下がらないし、点滴の下がってる本数は1本から2本、3本と増えていくし、血液もさっき取ったのに、また・・・ってぐらい取るし、ベッドのまま、CTの撮影に行くし、レントゲンは2度も撮影に来るし・・・。27日の11時頃には、病棟の看護師さんが来て、「午後から内科病棟に移動ですから」は?一晩で退院じゃなかったの?そして言われた事が、27日の13時頃、「午後から透析を開始します。飲み薬も全部変えます」はぁ?昨夜、風邪って言ったのは何?薬も変えるって昨日の夜から飲ませた薬は何だったの?とにかく姉に連絡せねば・・・と思った矢先、父が「娘に帰ってくるように言いましたから。詳しいことは娘に話してください。チンプンカンプンで全くわからん」と、人前で滅多に語気を荒げない父がぶち切れ状態。私も、前の晩からの出来事と繋がらないので、「いったい、どうなってるんですか?」ってちょっと切れ気味に言ったら、主治医の先生が「腎臓のほうがちょっと悪くなってるようで・・・」言葉を濁し気味・・・私「姉からは、調子がいいって聞いてましたけど」先生「急変することもあるのです。他にも検査を幾つか行います。当面、入院が必要かと思われます。ところでお姉さんは、何時ごろお帰りに」父「羽田から福岡まで飛んで2時間、その後移動ですからねぇ。早くても夕方5時過ぎでしょうね。」先生「お越しになられたら、何時でもお会いしますので。状況を詳しく説明させていただきます」ただ、このとき思ったのは、あぁこの主治医の先生、信頼して母を任せていい、責任持って患者の命を救ってくれる、そんな気がしました。その後、私は一旦、家に戻り、娘を幼稚園に迎えに行って、また病院へと。母は血液透析を開始してました。その間に父は家に戻り、姉が書いてた母の病状、食事の状況など詳しく書かれたノートを持ってきてました。そのノートの一番上には、母が具合が悪くなった時は、病院にまず連絡し主治医の先生に連絡をつけてもらうこと、血圧等状況を詳しく連絡し、状態に応じて救急車で搬送すること、と、急なときの対応も事細かに書かれていました。ノートには、日々の食事の量、内容、栄養成分、水分摂取量、血圧、シャントの音の確認、体重、運動、すごいものだと思いました。主治医の先生も病棟の看護師長さんも、よく、これだけ管理したものだ、と感心されてました。父が姉に電話したのは、12時頃、その後、東京都内をどういう移動したのかは不明ですが、姉は12時台の飛行機に乗って福岡まで飛んできました。それから、羽田で予約しておいたというレンタカーで飛ばして帰ってきた。空港から、普通、1時間半ぐらいかかるところを、1時間弱で来てるから、高速とは言えども、飛ばしたんだろうなぁって。そんな時に、ふと思ったのは、レンタカー料金と乗り捨て料金ならタクシー飛ばしたが安上がりなんじゃ・・・って。姉に言わせれば、きっと、タクシーは規定速度で走るからって言うんだろうな、などと考えてしまいました。姉が到着し、私や父も後ろに控えた状態で、主治医の先生の説明がありました。尿管結石があって、それが尿道を塞ぎ、そこで腎盂腎炎を発症した。この腎盂腎炎が、尿毒症を引き起こし、この尿毒症が敗血症を引き起こしてると。慢性腎炎の治療は、血液透析で可能だけど、腎盂腎炎・尿毒症・敗血症の治療には中心静脈から点滴を行って・・・・と。結石は、衝撃波で破壊するけども、全身状況がよくないので、現在のところ、それは不可、但し、尿を排出させるようにカテーテルのようなものを泌尿器科の先生に処置をしてもらうと。とにかく、3~4日から1週間前後がヤマだと。そういう説明がありました。その間、姉は幾つか質問してましたね。そして、姉が最後に言ったのは、「どうして、救急車で搬送されたすぐ、発熱の原因を調べてくれなかったのでしょうか?検査は日曜の夜でも出来たはずですけど」それにたいして、主治医の先生は、「申し訳ないとしか言いようがないんです。連絡体制の不備やら、他にも色々あって・・・」先生はまだ続けられてたけど、姉は「調べなかったことに対しての認識をお持ちであれば結構です。ただ今後、こういう事は無いようにお願いします。不在だった私も悪いですけど、患者は病院を信じて受診するのですから」やっぱ、姉ちゃん帰ってきて良かったねぇって父と話しました。この日から、姉の付き添いは始まりました。透析室から戻った母は姉の顔を見て泣いて、そして言った言葉は、「姉ちゃんがいないから、大変だったんだからね。ジイサンはちっともわかってくれない」母も不安だったのでしょうね。しかし、この日の夜、また病院に対して不満を持つことがあったのです。母の熱は思うように下がらず、モウロウとしていたときのことです。トイレに行きたい、と言っても、絶対安静の状態。病室にポータブルトイレを持ってきて用を足す、病室は四人部屋です。72歳の老人でも、病室で用を足すというのは、あまり気持ちのいいものではありません。トイレというので、姉は病室の外へ出たそうです。看護師が付き添うので出ろと言ったらしい。ところが、この看護師「まだ出ないとね。・・・・出た・・・・まだ出るの。匂いがするじゃない」姉は病室の入口で聞いてて、ハラワタ煮え繰り返るって思ったそうです。その翌日から、母は便秘の薬を飲まないと言い出したので、姉が、下の世話は自分が責任持ってするから飲め、と言って飲ませたそうです。看護師さんも人の子。イライラする時あるかもしれないけど、言っていいことと悪いことあるというものです。その看護師さんの暴言に対して・・・姉が翌朝、看護師長に話に言ったら、同じ部屋の別の患者さんがすでに報告してたそうで。他の患者さんもその看護師が、夜勤や準夜勤の時は、怖くてトイレが頼めないと話してたらしい。そんな事もあってか、はたまた、姉が付き添うためか、母の病状が病状だったせいか、二日後には個室へと移動したのです。しかし、この部屋では、まだまだ、色々ありました。また、それは後日に。
2007年01月08日
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明けましておめでとうございます。昨年は後半が何かと忙しい日々が続き、最後は猛ダッシュで過ごしたような日々でしたが、その分、正月は、ユラリ~ユラリ~と過ごしました。こんなノンビリしたお正月どれくらいぶりだろうってぐらい。結婚して初めて、こんな静かなお正月だったのでは、と思ったほどでした。たぶん初めてでしたでしょう。義実家には、年末から全く顔を出してないのですが、電話の着信履歴はあるんです。何度も何度も。だけど、留守電には何も入ってない。無視に限る。と決め込んでます。母の約1ヶ月の入院中のことやら、結婚してからずっと同居し、昨年11月に無事別居できたけど、同居日記など、今年は、ボチボチ書いていこうと思います。やっと、エンジンがかかりはじめたので今年もどうぞよろしくお願いします
2007年01月06日
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約40日ぶりです。ご無沙汰してます。引越しのあと、やれやれ、としたところで・・・・実は、実家の母が11月の26日の夕方、救急車で搬送されまして。。。尿管結石⇒腎盂腎炎⇒尿毒症⇒敗血症とあっという間に次々と病名が増えまして。この26日、この日に限って姉が留守してた。その前日まで元気でしたし、何も変わったこともなくて、それで姉は来年4月から始める仕事のことで、26日の朝から東京へ出かけてました。26日の夕方、19時過ぎ、父から「お母さんがお腹が痛いって動かないんだ、少し熱もあるんだ、どうしよう・・・」と困り果てた様子で電話が来ました。どうしよう・・・って、主治医の先生に連絡するべきじゃ・・・・・って私も頼りない。父一人では、どうにも判断がつかなかったらしく、次に連絡が入った5分後には救急車呼んだから、でした。その時は、当直の先生が診察されて、主治医の先生にも連絡します。一応念のため、今夜一晩入院しましょう・・・だった。だから、母も姉には連絡しないように、心配して飛んで帰ってくるからって言ったらしいんです。ところが、主治医の先生来られて、検査を開始して、色々調べてるうちに、次々と病名が増えるし、口止めされた父も、不安で姉に連絡したのが、27日の午後12時過ぎ。姉は、打ち合わせを急遽中止して帰ってくることに。今までは、姉の食事療法や薬物療法でノビノビとなっていた、血液透析も27日から開始されました。姉は、空港からレンタカーを借りて、本当に飛んで帰ってきました。母の熱は3日ほど続いて、点滴を続行し、熱の原因となっていた尿毒症を起した最大の原因、結石をカテーテルで一旦移動させ、カテーテルによって尿を排出させたことで、熱は下がりましたが、その後も安静が必要ということで、姉は2週間、病院に泊まりこみ、その後も毎日朝6時頃から、夕方7時過ぎまで付き添ってました。基準看護の病院でしたが、母にとって、精神的な支えになったと思いました。私はというと、今度ばかりは別居してて良かった、と心底思いました。あの義両親が一緒にいれば、前回までのように、皮肉のオンパレードでしたでしょうが、娘を幼稚園にやったあと、実家に行って父の食事を作ったり、母の病院に顔を出したり。しかし、何か、毎日、疲れて、PCの前に座る気もうせて、ご無沙汰になってしまいました。母が今月23日に退院したのですが、その後、今度は姉が看病疲れでダウンし、また実家通いしてました。その姉も、復活し、やれやれと思ったら、もう年末ギリギリ。昨日・今日と姉と二人で、速攻でおせち作り。PCを触らないでいたら、なんと家計簿も付けてなかった・・・すごいレシートの山。これはみなかったことに・・・・しようと。ブログに来ない間、ふっと考えたりすることあって。あの方はもう赤ちゃん生まれたかな?あの方は元気に透析通ってるかな?あの方のご主人は年末まで何かまた笑わせてくれたかな?あの方の三人のお子ちゃまは?あちらの方のおにいちゃん達はどうしてるかな?あの方は元気にされてるかな、その後お薬が会わないことないかな?あの方のところのワンちゃんと坊やはどうしてるかな?あの方のお腹の赤ちゃんは?あの方のところのお嬢ちゃんは?っていろんなこと一人で思って、携帯で見ればいいんだけど、なかなか・・・やっぱPCの画面で見るほうがなぁ、なんてかんがえたりしながら。皆さまのところにも、1ヶ月ぶりの訪問を年明けとともに再開します。本当に今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします
2006年12月31日
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今日は朝から少しお天気だったので、娘と休みだった旦那の三人でお墓参りに行きました。一応ね、旦那のご先祖様に、中古だけど家を買って独立しましたよ~って報告するために。お墓掃除して、親を見捨てるのか、先々、仏は誰が見るのかって悪態ついた割には、義両親もその兄弟も、ほとんどお墓参りしてないのよね。先月、私と旦那で行った時の花がそのまま供えられてて、誰も来た形跡無し。子供に、先々の・・・なんていうなら、墓参りぐらいきちんとしろよって。旦那とぶつかつ言いながら、掃除してお花を供えて、さぁ帰ろうとしたら、以前の家の近所のオバチャン。と鉢合わせ。あらぁ、まぁ、って大きな声で、ウルサイ。そして、言った言葉が、「別居しても墓参りするの?」って。別居したところで、先祖に代わりは無いし、親は親だし・・・って旦那が言ったら、そのオバチャン、「へぇ~そうなの、ふぅん、うちの息子夫婦なんて別居したら、墓参りも仏壇参りも来ないわよ。・・・やっぱり、お宅は、年寄りのほうに問題があったのねぇ。みんな言ってるよ。あの親じゃ子供逃げ出すわって」って大きな声で喋って行きました。黙って聞いてた娘曰く「別居したらお墓も別になるの?」旦那と顔見合わせて笑ったけど、あのジジババと同じところには入れて欲しくないな・・・
2006年11月25日
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今日の勤労感謝の日は、何かしら、朝からボンヤリと過ごしてました。娘が、休みの日というのに朝早くから起きて、ねぇどこか行こうよ~って連発するのを聞き流しながら。お昼から行こうね、って言いつつも、ボンヤリと新聞読んで、チラシをチェックして。ジャスコにでも連れて行くかな~、実家と合流しようかな~ってな調子で。実家に電話入れたら、姉の車で迎えに来てくれました。娘は大喜びで、迎えに来た姉と両親に言った言葉。「あのね、もうオジイチャンやオバアチャンを気にしないでお出かけできるんだよ」私としては、娘の前で義両親の悪口言ったり、イヤミ言った事は一度もなかったのですが、チビは良く見てたのねぇって母から言われました。そして、その母から言われたこと。「あんた(私のこと)も昔、お父さんの方のオバアチャンの前で、お母さんをイジメナイデって言ったことあったよ」とのこと。そんな昔の話、言われたところで知りませんわ~実家の両親は一度も、父方の祖父母と同居はなかったのですが、父の転勤が多かったので、その度に父の実家から遠くなるだの、行き来がしにくいだの、と嫌味の連発だったそうです。母とそんな話をしながら、ジャスコへ。娘は、スポンサーのジジババと姉がいるものだから、お靴だの、ジャケットだのって。去年のは確かにみんな小さくなったけど・・・だからこの子は親以上に荷物が増えたのねぇって思いつつ、私も、靴買ってもらいました。母から新しい一歩を踏み出すのだからってことで。色々買い物済ませてから、本屋さんで来年のスケジュール帳を購入しました。姉は、昔からの習慣でシステム手帳でないとどうにも調子が悪いと言ってましたが、私は毎年の気分転換を兼ねて、その年の気分で買いなおすのです。手帳を買って、食料品売り場で、今夜は勤労感謝の日だからって、オードブル買って、気楽ねぇって言いながら家までおくってもらって、少しお昼寝するって娘を寝せてから、来年のスケジュール帳にすでに決まってる予定を書き込みながら、今月の私のスケジュール帳見て驚いた。毎日、何かしらの用事で出かけてたり、出かける用事がなかった日は、なんと引越しの日だけ。とにかく、娘を幼稚園へ送り出してから、何か用事があって、出かけてる。どうりで、今月、ガソリン代がいつも以上に多いはず。ガソリン代自体は下がってるって言うのに、何故、こんなにと思ってたら・・・引越しの打ち合わせやらこの家の内装のことやら、結構、ウロウロしてましたわ。来月は少し落ち着くか?って。年末だもんなぁ。でも、1階を気にしないでいいから、最高です。
2006年11月23日
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先週より、コメントいただいた方々、メール等いただいた方々、ありがとうございます。おかげさまで、新居の荷物の片付けもやっと終わりました。処分していいものまで結構持ってきていたりして、また、引越し前に見つからないなぁって言ってたものが、見つかったり。今夜は、やっと、落ち着いて食事が出来ました。引っ越してきて、娘が言った最初の言葉。「もう、ママをいじめるオジイチャンもオバアチャンも別のお家にいるからいいね」子供心にそんな事を思わせてたのかって思うと、申し訳ないやら、悲しいやら。3歳の子供でも、心あるものだなって改めて思いました。旦那は旦那で、遅く帰ってこようと早く出勤しようと階下への物音を気にしないでいい生活ってのが最高だぁって言ってましたが、だからって、朝から騒がしすぎるよ・・・今までは娘の友達が来て飛んだり跳ねたりすると、必ずイヤミが夕方には来てましたが、そんな心配もいらないし、なんと言っても、娘の幼稚園に近いし、小学校にも近いし、近所にお友達もいるしですね。以前の家は、夕方になると人通りも少なかったし、道も暗かったけど、今度の家はそういう点でも安全で。明日の勤労感謝の日は、引越しで働いた自分にご褒美の感謝日にします
2006年11月22日
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先日来、たくさんのコメント、私信などたくさん戴きましてありがとうございます。おかげさまで、無事に引越し作業は完了しました。現在、荷物を片付けております。 今まで、6畳2間と8畳のリビング、6畳のキッチン、それにクローゼットと押入れは少々あったけど、これだけの荷物がよくあの家に入ってたものだって感心しております。なんとか、引越し荷物の移動は済ませたけど、家の中のなかなか片付かないこと。調理器具だって、結婚する時、お玉一つから買い揃えたのに、いつのまにかこんなに増えてたんだなぁって思いました。それにしても一番多いのは娘の服とオモチャ。けっこう、リサイクルに出したけど、まだまだ多くて。それに娘本人が、これはタカラモノなの、ってのが多くて。これで学校行くようになったら、ますます、荷物が増える・・・君の為にも引っ越してよかったね、ってつぶやいたものです。引越しには、実家から姉が、他に旦那の従兄弟たちが手伝いに来てくれました。荷物に番号を書いた紙を貼って、各部屋に番号札を下げて、その番号のところへ運んでもらうという方法を取ってましたので、業者の人が運んでくれるのは早かったのですが、荷物の開梱に追われてます。義両親は、いまだ近寄りもしません。来なくていいけど。義弟夫婦はきました。引越しの祝いとか、そんなのじゃない。慌てて慌ててという顔で飛び込んできました。なんと、義両親は、義弟夫婦へ二階への同居をするようにと電話したそうです。家賃は私たちが払ってたのと同額でOK、しかし、なんと条件が。せっかくだから二階もオール電化にしよう、その費用は二階に入居する義弟夫婦持ち、そして光熱費は、若夫婦が多く使うだろうから、電気代も二階の義弟夫婦持ち。そして、先々は親の面倒を見る、親の面倒を見るなら家を譲るという遺言書を書く、全財産譲ってもいい、と。義弟夫婦は夫婦で⇒冗談じゃない、自分達は義弟嫁の実家の近くに引っ越すつもり。年内には引っ越すんだぁって。親の財産なんていったところで、借金のほうが多いような財産、それに築齢不詳のボロな借家が。親の面倒を・・・ってところが、よく判らない。その上、光熱費の押し付けといい。今思う事は一つ。早く逃げだしてよかったぁ。
2006年11月17日
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いよいよ、明日から新居へのお引越し。もう雨が降ろうが何が降ってこようが、嬉しいったらありゃしない。もう嬉しくて、嬉しくて、飛んで歩きたい気分心は新居へ飛んでます。でもね、夕方、最大の関所に言いに言ったのです。階下の住人に。旦那と私と二人で。娘は、姉に来てもらったから、姉に二階にいてもらって娘の相手してもらって。何かあったら姉に飛び込んできてもらおうって考えもあったけど、姉は姉で・・・「自分たちでやれるところまでやってみな。包丁でも持ち出したら、竹刀で対抗してやるから」って。姉は剣道の有段者でもありますから。まぁ大丈夫でしょう、と、旦那と笑いながら階下へ降りていきました。1階では、面白いTVが何もない、って舅がブツブツ言ってる傍で、姑はコタツに座ってこっくら、こっくら、居眠りしてました。そこへ、二人で降りて行ったものだから・・・このところ、極力避けてた長男夫婦が来たものだから・・・義両親は、、妙な顔してました。向こうが何も言わないうちに、旦那が「明日、引っ越すから、家を買ったんだ。中古だけど、手をいれてね、明日から引越し作業に入るから。あぁ、心配しないで、今月分の家賃はきちんと入れるから。二階の畳替えと障子の張替え、それは17日にきちんと業者が来てやっていくから。」義両親、しばし、沈黙・・・怒ったような驚いたような泣いてるような妙な顔になってました。どれくらい、何も言わない時間が流れたかなぁ。しばしの静かな時間の後、舅が一言。「ぎょうさん、遺産が入ったのか」私「遺産?私の祖母のですか?まさかでしょ」姑「実家から借りたの?」私「いいえ、銀行から借りたんです」その後、1時間近く、言いたい放題言ってくれましたね。親を見捨てるのか、とか、家を捨てるのかとか。そうそう、親が寝たきりになったら、誰が見るんだぁ、とも言ってましたね。そのやり取りについてはまた後日詳しく。さんざん、義両親が言いたい放題言ったところへ、姉が娘を連れて降りてきたんです。ママ、お腹空いたよ、ご飯食べようよって言いながら。姉の姿を見た、舅が、「ネエサンの入れ知恵かぁ」って叫んだら、姉がすかさず返した言葉は、「落ち着きませんか、近所の手前のどうのってさっきから随分叫んでたけど、大声で叫ぶほうが、近所に恥ずかしいですよ。自分の息子が立派に一人で家を建てて独立しようっていうのを、ケチつける人がいますか。自分で銀行に足運んで交渉して、業者にも自分で交渉して、立派にやってることに、ケチをつけるな。人が、生涯のうちに、家を建てるということは、生涯何度もあることじゃない、それに、ケチをつけるようなことをするものじゃないでしょ」その一言で、義両親ともシュンとしちゃって、姑は自分の部屋に飛び込んで、舅は舅で、本家に行って来るって出かけました。結局、姉ちゃんに助けてもらったねぇ、って旦那と話したのです。姉は姉で、オブザーバーが必要なジジババだからねって言ってくれました。本家の伯父から、さきほど電話が入り、「おめでとう。よくやった」とのこと。本家の伯父も、他人事と思って、大笑いしてましたが、私は知ってるんだ。伯父のところの長男、旦那の従兄弟さん夫婦も年内に隣市の分譲マンションに引っ越すんだぁ。引越し作業は、明日ですが、今週末頃の復活になると思います。て、いうのが、注文してたPCデスクが届くのが16日なので、その頃、回線を繋ぐと思いますので。しっかし、ウレシイなぁ
2006年11月13日
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引越しに向けて、荷物を整理していたら、何故か押入れの奥から1枚の写真が出てきました。最近の写真からすると、画像の色が悪いなぁ、と、思うような、1枚の写真でした。それでも、当時としては、いい出来のカラー写真だったのでしょうか。旦那が、幼稚園の時の「芋ほり大会」の時の写真でした。同級生のお母さんが撮ってくれたそうです。5歳前後の子供達の手には、掘ったばかりのサツマ芋があります。5人ほど並んで写っているのですが、真ん中の子供は一番大きなお芋を持ってるにも関わらず、泣きそうな顔なんです。その真ん中の男の子は、30数年前の旦那です。他の子は、みんなお母さんが来てたそうです。でも、旦那だけが、お母さん来てなかったそうです。「仕事だから行けない」旦那は、まだこの写真あったのかぁって苦笑いしながら、いま、思い出しても胸が詰まるんだぁ、って言ってました。日曜だって、仕事を休めない親だっている、と、いうのが、姑の言い分だったらしいのですが、一度も運動会にも何の行事にも出てこない母親だったらしいです。理屈ではわかっても、空しさ、淋しさは消えずにいまだ旦那の心に残ってるようです。旦那は、この写真は、反面教師のいい手本の写真だからもうしばらく持っておく、と、言いながら、荷物の中に入れてました。仕事をすることに反論するのではありません。ただ、もう少し、子供の心を考えてあげる母親だったら、もうちょっと違う姑が出来上がってかな?なんて思いました。人の心を判る人になりたいなぁ、って旦那がつぶやいてました。私もそういう人になりたい、と、思いつつ、階下の住人の心は知りたくない、と思ってしまう私です。
2006年11月10日
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ブログを開設して丸一年たちました。ご来訪戴いた方々ありがとうございます。最初は、舅との衝突から始まりました。娘を実家のある市の総合病院の小児科に連れて行ったことに文句言われたことが始まりでした。その娘も3歳8ヶ月になり、ナマイキちゃんになっちゃって、この頃では幼稚園から帰ると、お友達のおうちに遊びに行ったり、お友達が家に来たり、もうママべったりではなくなってきました。階下の住人との確執は、ピークに達しておりますが、明後日には新居引渡し、来週にはお引越しという運びです。明後日は、朝から新居の引渡し、午後からは実家で祖母の納骨、と忙しい一日になりそうですが、全て納まる、と、いう方向かな?って思ってます。現在、我が家の押入れは、段ボール箱に詰められた荷物で一杯です。荷物も納まってますね
2006年11月09日
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さても、さても。新しい家の引渡しは、来週11日、それに向けて、現在リフォームが行われております。新しい家と言ったところで、中古住宅を購入したので、それをいじってるのですが。キッチン、並びに浴室・トイレの改装はほぼ終了しました。今、住んでる家のキッチンは、この家を二世帯住宅に改装した、私と旦那の結婚が決まった時に、階下の老夫婦が勝手に設計して作ったものですから、使い勝手悪いし、狭いし、もうイヤって感じでした。でも今度のキッチンは自分が好きなように改装できたし、明るくなるし。。。今までグチグチしてたものが、スカ~っとするようで。まぁ、その以前に、階下の住人に転居の報告と言う、大事業が待ってますが、毎日、娘を幼稚園へ送り迎えの時に、ちょっと寄り道して、新しい家のリフォーム工事の進捗状況を見るのが楽しみでもあります。浴室のタイルも好きな色に張り替えたし。トイレの壁も張り替えたし。数日中には庭に植える植木をそろえます。
2006年11月05日
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転居に向けての荷造り作業の中、始めたのが、引越しのご挨拶ハガキ。約、10日後には、新居への転居を行うので、引越し開始と同時に、転居ハガキを投函の予定。それにあわせて、旦那の年賀状作成。会社関係の人は、一般的な絵柄。旦那の友人関係には、干支等をいれて。問題は家族ぐるみで付き合いのある友人。私は喪中ハガキを送るように準備していたのだけど、家族ぐるみで付き合いのある友人にはな・・・と考えた末、寒中見舞いで家族写真などを印刷して送ることにしました。私のみの名前で出す分は、松の内の寒中見舞いオンリーで。そういうものを準備しながら、はた、と気づいた。早い人は、年賀状の宛名を書き始めてる人もいる・・・と、いうことは、住所変更のハガキを早めに出す?しかし、家も変わらないうちから・・・それに電話の工事が行われるのは来週だし。ま、その時は書き直してもらおうってことで決着しました。でも、今日、ポストには、いつもお歳暮を注文するお店から、お歳暮のカタログと申込用紙が入ってました。この差出人の住所も、訂正しなきゃいけないんだ・・・思いのほか、手続きは多いものです。それに何かしら、年末の慌しさの空気が漂い始めています。もう年末なんだなぁと思いながらも、日中は、暑いねぇと言って半袖で買い物に行ってます。
2006年11月02日
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今日は、先月亡くなった祖母の忌明け、35日でした。毎週、七日法要を行っていたのですが、長かった気もすれば、短い気もしました。弟は仕事の都合でどうしても帰国できませんでしたが、兄は、慌しく帰国し、夕方の飛行機で羽田へ移動し、明日、また渡米すると帰って行きました。あぁなってくると、いったい、日本へ帰ってくるのが帰国なのか、それとも赴任地へ戻るのが帰国なのか、判らない本人も良く判らないと言ってました。急な電話から、もう1ヶ月以上が過ぎたのだなぁって思うと、長かったぁ、と思うし、あっという間の出来事だったなと言う気もするし。これが一つの区切りかなと思いつつ、まだ、祖母がいるようなそんな気もして、妙な感覚です。この祖母の逝去で思ったのは、私は自分の親のときに、母のように毅然とまた落ち着いて、事を運べるか?と思うと、これは無理と思いました。母に言わせれば、100年生きてたのだから、いつかは通る道だから覚悟はしていた、と、言います。しかし、私は、そういう母のようにはなりきれない、そんな思います。その事を姉に話したら、「その場よりも、時間が過ぎてから、1日、2日と過ぎた頃から淋しさや悲しさという思いがこみ上げてくるのじゃないかな?ただ、その時になってみないと・・・それまでに過ごした時間というものが、心を作って、その心がモノを言うのでは」って言ってました。本通夜の晩、兄嫁が、「おばあちゃんには本当に可愛がってもらった、色々な事で、本当に大事にしてもらったし、可愛がってもらった、実の祖母よりおばあちゃんだった」って言いながら泣いてるのを見て、私は、姑が逝ったときは、きっと、「あぁセイセイした」って言うのだろうなって思ってみてたものでした。鬼嫁?なんでしょうね。来月の納骨が済んで、その後、私の引越しが終わった頃、この地方にも冬が訪れ始めると思います。
2006年10月28日
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引越しに向けての荷造りは、娘がいない昼間と寝静まってから。まるで夜逃げでもするかのように、音を立てずに、静かに・・・と。別に、そこまでする必要もないようなものだけど、あのチビが起きてると、お手伝いなのか、なんなのか、わからなくなるので。しかし、片付けてたら、学生時代、読んだ本が出てきたんですね。中原 中也志賀 直哉太宰 治他に、啄木やら、漱石やら子規とか鴎外とか、よく読んだなあって。と、いうか、当時は、これくらい読んでなさい、受験で出るよ、なんて姉に言われて読んだ記憶もあるのですが、よく読んだと思います。つい、そういのが出てくると、はた、と手を休めて、本に目が行ってしまい、あぁそうだった、と思い直してはまた荷造りをし、と。しかし、この本だけは、読みはまってた。なぜか、知らないけど、古事記なぜか、30分以上読んでました。これでまた、今夜も片づけがはかどらない
2006年10月26日
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この一週間、超ど級の忙しさというか目まぐるしさでした。先週の19日に忙しい・・・と言ったら最後、PCの前に座る時間が取れない。よってメールも確認しないから、とうとう、弟から、「生きてるかい?」と電話電話を受けてから久々にパソコンに前に座ってみれば、メールがワンサカ。今の時代、メール無しでは連絡取れないのも多いかなぁって改めて思いました。銀行でも、メルアド訊かれましたからねぇ。銀行の人と話したけど、今の時代、携帯とコンビニが無いと物凄い支障を来たす時代なのだろうなって話しました。携帯は手放せませんね。住宅ローンがOK出まして、いよいよ中古住宅購入へと。契約手続き後、今度はリフォームに入ってもらうのですが、それも短期間で終わるようなので、来月半ばには、念願のお引越し~~~。これから、毎月借金払っていくことになるけど、この窮屈な暮らしを思えば、なんのその。子供の頃から親にいつも言われてました。金を借りていいのは、家を買うときぐらいだって。若い頃は、カタツムリじゃあるまいし、借家でいい、借家でって、思ってました。兄や姉が投資目的で、マンション購入するのを横目で見てて、でけぇ企業に勤める奴ぁ、やるこたぁ・・・なんて思って見てました。結婚する時も、最初は賃貸マンションでいいよね、子供が生まれたら子供にお金かかるだろうしさぁって言ってたら、義両親が二世帯住宅に家を建て直して、いつのまにか、同居の話が出来上がってて。それでも、最初はまあまあ、我慢も出来た。日中、舅も姑も仕事に行っていなかったから。ところが、舅が嘱託で行ってた仕事を辞めて、終日、家にいるようになった頃から、朝から晩まで監視状態と一緒。二世帯住宅でも、家賃払って、その上、固定資産税は全額払わされて、名義はジジイの名義で、最初は旦那との共同名義にするからって話だったけど、今回、確認したら、ジジィ一人の名義。今のところ、まだ階下の住人には出て行くことを話してありません。もちろん、旦那側の親戚には誰一人として話してないのです。引越しの荷物を出す時にでも話そうかなって。引越しの作業は、たぶん、平日になるのではと思ってます。週末は、娘が幼稚園休みなので、子守が一人必要になるので、平日に荷物を出すか、と、計画中です。今年の結婚記念日は、新しい家で迎えられるよう、楽しみにしているのです。何となく忙しいけど楽しんでます
2006年10月25日
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忙しくて、なんて、言うのは、言い訳に過ぎないのだけど。本当に、今月は何かしら忙しくて、今週初めなんて・・・今頃になって葬儀の疲れが出てきたみたいで。何なのかって今月はブログサボリ気味なんです。娘の幼稚園の行事でお出かけすることも多いけど、家を買うための書類を集め、記入し、点検し、銀行に出し、司法書士さんに渡し、その上、リフォームの打ち合わせも始まって、何かしら忙しい。毎日、慌しく出て行くものだから、階下の住人は、妙な目で見てるのは判ってるけど、知らん顔でいるから、余計、変に思ってるみたい。しかし、別居の準備とは到底思わず、私が、パートを探しに出回ってると思ってるらしい。勝手に勘違いしててください。静かに別居に向けて動き出してます。
2006年10月19日
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今日は、幼稚園のバスハイキング。前の日から、靴下はこれ、ハンカチはこれ、ママお弁当はね・・・と、何度も何度も確認する娘。よほど、嬉しいのか、楽しいのか、興奮して前の晩もなかなか寝てくれなかった。にも関わらず、娘が起きたのは、午前4時。ママ、起きて、起きて起きて、と、たたき起こされた私。もう少し寝てようやって言うけど、ダメ。結局、4時おきで弁当作って、娘はもう7時頃から玄関に座って動かない。いつも以上に早く幼稚園へ行くと、上には上がいた。どのママも、早くから起きてねぇって。早起きしたから、行くバスの中で寝るかと思いきや、全く、お友達とキャアキャア言って遊んでる。行き先の動物園でも、走る、走る。まるで、動物園の小猿が開放された状態。あんな早起しても、遊びまわる元気あるんだねぇ・・・お昼ごはん食べて、また遊んで、帰りのバスでは疲れて寝るか?と思いきや、また、みんなでお話して歌って笑って。帰ってくると、嬉しかった報告をするのだと私の実家へ電話して、ジジババに報告済ませ、オヤツ食べながら、DVD見てたけど。。。。。いつの間にか、お休みタイムに入ってました。そのまま、晩御飯も食べずに、21時まで。そして、21時ちょっとすぎに目覚めて言った事は、「ママ、お腹すいた。ご飯まだ~」食べて1時間もしないうちにまた寝ました
2006年10月13日
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家を買うこと決めたはいいけど、不動産屋さんから渡された準備する書類の多さローンもどこで組むか・・・以前、十数年前、実家が家を建て直すときは、住宅金融公庫利用+手持ち資金ってのが定番でした。しかし、今は金融機関によって金利も違うし、色々な付随してるものも違うし。この銀行にしよう・・・って8割がた決めてはいるのですが、ヨソもチラチラと。しかし急がなければ・・・・早く決めて、早く引っ越すためにも、旦那の尻叩いて、レッツラゴーです。
2006年10月11日
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家、中古ですけど、先日から目をつけてた物件に決めました。今朝、姉から9時前に電話があって、姉の知り合いの神職の方が急に休みが変更になったので、家の家相や風水などを見てくださるけど・・・と連絡があったので、お願いし、ちょうど旦那も休みだったので、不動産屋に連絡して、鍵を借りて。1時間ほどで姉とご神職がお見えになって、見てもらったら、大丈夫でしょう。但し、幾つか注意点があって、門扉の鍵、並びに家の鍵を絶対に義親に渡すな、とのこと。もちろんです。御神職には、何度か私も愚痴ったことがあるので、我が家の騒動をご存知なのですが、まず最初に、義両親主導で二世帯住宅にしたことから問題ありですねぇって言われてました。お昼ご飯を一緒に食べながら、昨日、姉に言われた、毒を吐くな、怒るな、のことを、姉もいたけど、そして旦那もいたけど、御神職に話したら、御神職は姉と顔を見合わせて、笑いながら、「100%そうなるのは無理でしょう。少し、時々思い出して、心がけていく気持ちがあれば、そこでいいんじゃないですかねぇ。ましてや、義両親と同居じゃ無理でしょ。ただ、新しい生活始まった時、何かの時に、思い出して、ちょっとだけ、心がけて、そして横に置いて、毒吐く時もあって、時々思い出して心がければそれでいいのでは」とのこと。姉に、「どうすりゃ、そんな気持ちになれたの」って尋ねると「あたしゃ聖人君子じゃないから。心がけてないと、猛毒吐くの」って御神職と二人で笑ってる。この御神職、現在は実家の神社でお仕事をされてるが、姉とは高校の同級生で、大学時代は借りてたアパートも近かったらしいし、姉が東京にいた頃は、都内の神社に勤めてたので、高校の頃からずうっとツーカーだったらしいが・・・旦那が、「いったい、何の話し?」って言うので、話して聞かせたら、あのヤロウ、「そりゃそうだ、ママは、怒ると大噴火するしさ、毒吐き出したら、停まらないしさ。そりゃあ本当だよ。心がけるべきだね」何が、そりゃそうだっての。誰が原因で大噴火して、毒吐いてるんだっての。気になって、姉に、「ストレス貯まってるんじゃないの?」って訊いたら、「賽銭箱にストレスを放り込んでるんや。ここの神社の賽銭箱、ストレスだらけや(笑)」それで、また、御神職と大笑いしてる。まぁよく判らないけど。しかし、家は決めました。後は、少々リフォームが必要なので、リフォームの見積もりを出させて・・・・これは、弟が、建設関係の仕事してるので、あいつに・・・と思ったけど、あいつの会社は、個人住宅なんて扱わないんだよな・・・思いつつ電話して聞いたら、幾つか業者を紹介してくれる、とのこと。資金のほう、早速、夕方、銀行の人と話をしたら、最長35年を何度も言われてたけど、旦那の年を考えてくれよ・・・営業のニイチャンよ~現在、15,000円の家賃を取られて、その他に、住宅購入用で毎月隠し貯金してたものを、返済に充てれば、十分大丈夫。旦那は、返済は・・・ってちょっと心配してたけど、その割には、能天気でいらっしゃる。年内に引越し完了できるように、新しい年は、新しい家で迎えるぞ~いよいよこの家出る前に、毒を吐ききって行こう。その日が楽しみだぁ~い
2006年10月10日
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今日の夕方、実家から戻ってきました。数日、留守すると家の中は、モンモンとしてます。しかし、このモンモンが無いということは、階下の住人が出入りした証拠なのです。階下の二人には知らせずに、鍵を変えましたので、出入りできないのです。幾ら、息子の住みかでも、親に勝手に出入りされていい気持ちはしません。しかし、それが判る連中ではないですから。帰ってきてから30分ほどして、姑が上がってきました。パート先の勤務時間帯が変更になって、早朝3時間ほどと、夕方から4時間ほど出るようになったのだ、と。それで、姑が言うには・・・「お父さんのご飯を頼みたいのだが」とのこと。聞けば、この頃は、二人とも超緊縮財政状態で、お互い、持ちつ持たれつの生活をしているのだ、と。そうしなければ、食べていくことも出来ない、と。そこで、この頃は舅の食事を姑が準備してるのだが、勤務時間帯が変更したので、準備が出来ない、と。要するに、食費をこっちへ持たせようという魂胆はミエミエ。そこで、私が言ったこと、「じゃあ、下の冷蔵庫の中のを使って作ってお義父さんに食事を作ってあげたらいいんですね」姑は、一瞬、ってな顔だったけど、あいまいな返事をして降りていきました。誰が、うちの食材を使わせるかってんだ、と思いつつ、帰る前に姉に言われた言葉を思い出しました。「毒を消す心を持ちなさい。怒りを産む心を抑えなさい」そんな事言ったってねぇ、ネエチャンねぇ・・・って言ったけど、あの人に口答えできる私じゃなし・・・いつも、今まで姉に目一杯愚痴って愚痴って来たんです。それを姉は黙って聞いててくれたんです。時にはアドバイスしてくれて。私は姉ほど、悟りを開いてないって以前、一度言ったことありました。すると、姉は、「私は悟りなんて開いてない、ただ、耳を開き、目を開き、心を開き、手を開き、そして口を閉じてるだけ」と。姉は幼い頃から、ずっと、長女、長女って周囲から言われてて、確かに長女なのだけど、誰からも、「ねえちゃん」って言葉で呼ばれてて、兄ですら、妹である姉に「ねえちゃん」って呼んでて、母と父方の祖母の嫁姑戦争を見、父と母方の祖母の婿姑の戦いを見て育った彼女の中に生まれ育った心なのかもと思いました。毒を消す心、怒りを抑える心、この二つを持てたとき、姉に一歩近づけるのかな?って思いつつも・・・・オモチャを散らかした我が娘に、「片付けないといけないでしょ」・・・・と怒りの心に火がポッと灯るのです。まだまだですね。
2006年10月09日
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6日の夕方から、実家へきています。毎週土曜日が、祖母の七日毎になりますので、つくづく、祖母は上手に逝ったなぁと思いつつ。連休だし、娘もお出かけしたがってるし、と、勝手な理由つけて、実家へと。旦那は、仕事で連休明けしか戻らないし。しかし、6日の夕方来て、夕飯の支度ぐらい手伝うわ~言っただけ。ゴロンと横になると、娘から「ママご飯だよ」って起されるまで寝てたし。7日の朝も、娘が「ママぁ、朝だよ~」って起すまで寝てるし。もちろん朝ごはんできてました。7日の午後から東北の親戚が来て、その時は昼寝もせず起きてましたが、それでも眠たくて眠たくて。父方の親戚連中は、祖母のお参りが目的ではなく、秋祭りやらテーマパークへのお出かけが真の目的のご様子。それでも、久しぶりに兄弟に会えた父は嬉しそう。姉に言わせれば、「ジイサマが嬉しいならそれでいいじゃないの」あたしゃ、人間出来てないからなぁ・・・って言ったら、姉が言うには、「物事は捉え方一つなの、開き直ることも大事」とのこと。時々わが姉ながら、この人は今までの人生でどんな修羅場を潜り抜けて生きてきたのだろうか?って思うことあります。ま、親戚の方々は、明日の朝から、それぞれ帰途に着かれるらしいが、同じ日本列島に住んでるというのに、住んでるところが東北の方、おっしゃることが、「10月だっていうのに、まだ暖房もいらない」「半袖で歩いてる人もいる」「夜が暑くて暑くて」「まぁだ、日差しが強いネェ」うち辺りでは、10月から暖房はまだかな?確かに、衣替えではあるけど、日中は半袖でもいいものなぁ・・・夜は、これでも涼しくなって朝方は寒いなぁって思うのだけど・・・日差しも随分柔らかくなったけどなぁ、沖縄じゃないのだからさ・・・って一つ、一つ、内心思いながら聞いてました。夕飯の時、そんな話をして、親戚が部屋に入られたら、また寝てしまって。ふっと目覚めたら、娘がいない。どこ行ったの?って訊いたら、バアサマと熟睡。季節がいいせいか、よく眠るのです。少し、寝すぎかしら?って思いつつです。
2006年10月08日
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先月の下旬に運動会、やれやれと思う間もなく祖母のことで、バタバタ。やっと、家を探しに行くぞ、あの中古物件で決めるかな?と思いつつ、旦那は観光シーズンになったので、何日連勤なんだってぐらい仕事が続く。不動産屋さんが、事情わかってくれて、家主にも言いように話してくれてるんで、逃すことは無さそうだけど、それにしても年内転居は決めたいので、早く家も探したい。しかし、週末ごとに実家で七日ごとの法要はあるし、娘は余計な事知ってて、連休はどこか行こうよ・・・しかし、娘よ、おたくの幼稚園の行事・・・毎週、何か入ってる。バス遠足・・・保護者も参加授業参観・・・保護者会もあります芋ほり・・・手伝える保護者の方の参加をお待ちしてます・・・とのこと。母は疲れるぞ、言ってみたいなぁ。ママ疲れたから、って。下手にそんな事、言うと、うちの娘の場合、即、姉に電話で報告するからなぁ・・・
2006年10月05日
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先月、30日が祖母の初七日で、その席で祖母の遺言なるものが披露されました。預貯金、有価証券、保険等、よく把握してたものだというほど、どんぴしゃり。また遺品の家具、調度類、衣類に至るまで、綺麗にここまで書き出させたというほど寸分の狂いもないほどに書き出されてました。弁護士さんの話では、毎年、誕生日に見直ししてたそうですが、今年は虫が知らせたのか、お盆過ぎに弁護士さんに来てもらって、再度、遺言を書き直したそうです。初七日が終わって、遺産の相続手続きが開始され始め、兄や弟は仕事があるので、弁護士さんに手続きを委任し、それぞれの赴任地へと帰って行きました。兄の子たちも、今度はクリスマスに会おうねって言って帰って行きました。こいつらが一番元気。当初、倒れるのでは?と心配していた母は、気がつけば、1日4食ぐらい食べてたのよって言いながら、元気なもの。一番立ち振る舞ってた姉は?と見てたけど、これまたこの人は、この人で、疲れるヒマもないほど、初七日と言えども動いてました。かくいう私、30日の夕方から弟が出発し、兄貴一家が出発した頃から、次第にクターとなってきて、まるで青菜に塩状態それでも、少し、仮眠取ったら、治ったので、イイダロウーってことに。初七日まで過ぎれば、一段落するかと思いきや、遺品を目録どおりに仕分けて、兄や弟のもとへ、送らなければいけないし、書類も印鑑押すもの、署名するもの、半端じゃない量で、目はチラチラしてくるし。最初は、30日の初七日の晩に泊まって、1日、日曜日の昼間かかってやれば、いいさって軽く考えてたけど、遺品分けが半端じゃない。結局、毎日、娘を幼稚園へ送って実家へ行って、またお迎え行ってきてから実家へ戻って、作業してで、今日4日までかかりきり。なんとか、やっと終わりました。祖母は、女の子のひ孫二人のに形見分けとして残すために買い求めたのだろうな、と、思える、ヌイグルミがありました。兄の子である男の子のひまごには、トーマス君のオモチャがありましたし。最後まで、気を張って生き抜いた人なんだろうなって、改めて思ったものです。やれやれと思い、帰ってきました。階下の住人は、鵜の目鷹の目でこっちを見てるのは知ってましたが、知らん顔。しかし、大して気にも留めてない娘は、「ヒイババちゃまにもらったの、かわいいパンダちゃんでしょ、大きいでしょ」と見せびらかしてました。階下の住人をクリアして、娘も寝てくれて、旦那が戻るまで少し寝るかと思ってたら姉から電話、何事?父の兄弟が、今度の連休にお悔やみに来る・・・と。ワザワザ、飛行機を青森から羽田で乗り継いで来るってか?父の年齢はもう77、その兄弟だから皆さん十分、オトシ。何しに来る?姉が言うには、お悔やみは口先で、連休に出かけるいい口実らしい。また、実家が忙しくなる・・・真剣に姉が倒れないか怖くなってきた
2006年10月04日
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今日は、実家から婚家に戻ってきました。娘の幼稚園も今日から行かせました。元気なもので、お友達に会えなくて淋しかっただの、お弁当持って行けないから、つまらなかっただの、と、ブツブツ車の中で文句たれながらの登園でした。夕方は、歩いて帰るからね、今日はこっちの家に帰るんだからね、って言って幼稚園に送り出すと、判ってるって、言ったが早いか、お友達見つけて、ママ、バイバイ。それから、再度、実家に戻って、片付けて、週末に来るからという事で、帰ってきました。23日の運動会のお弁当で使ったお弁当箱が、食洗機に入ったまま。24日の朝から片付ける予定だったのよねぇ~なんて思いながら、窓を全開して、掃除して、数日留守するからと思って、喪服を取りに戻った時、冷蔵庫の中身も全部持って行ってたので、買い物行って帰ってきたら、階下のジジババが二人で庭にいた。キャア 珍しいけど、嫌な予感。一通りの挨拶して、サッサと二階の我が家へ。ホー、すんなり解放された、良かったぁ~、ってのは、そこまで。買って来たものを冷蔵庫にしまってると、来た来た。これまた珍しく二人揃って来た。珍しく、お茶菓子なんぞ抱えて・・・内心、賞味期限切れじゃないだろうね?って思っちゃった。お茶菓子抱えて来られたんじゃ、お茶出さないわけいかないし、そうなると、長引く予想できたけど、お迎えの時間まで、はるかにあるし、仕方ない。お茶出したら、さぁ始まった。・バアチャンは保険入ってたのね?・貯金は幾らぐらい残してたの?・土地や不動産は?・施設に払ったお金は戻ってくるの?・葬儀の費用は幾らぐらいかかった?・弔問客は何人ぐらいだった?・遺言書はあるの?・・・あんたらに何の関係があるの?って、まさか、あんたら自分もその分け前に預かろうって魂胆か?「私は、遺産に関しては一切、知りません。相続税払わなきゃいけないほど遺産残してるとも思えないし」・・・ここで話の腰を折られて、また始まった「いいや、学校の先生だったのだから、退職金も大きいはずだし、年金だって大きいはずだから・・・」そんなもん、知るかよ、バアサンが幾ら金持ってようが関係ないんだよって言いたいところをグッと抑えて「本当に私は一切知らないんですよ。葬式の費用が後から、割り勘で言ってくるかも知れませんけど、祖母の遺産・遺品に関しても全て管理は祖母が生前、弁護士さんに依頼してるようですし、わかりません。」すると、今度は、「陽菜子さん、あんたは嫁に出た身分なんだから、葬式の支払いの義務は無いさ、そんなの、はい、そうですか、って返事しちゃダメだよ、そこの所はきちんとしておかないとさ、うちのトースケみたいな安月給取りの嫁さんにそんな請求しなくても、向こうには海外に行ってる兄貴さんが二人もいるんだから」は?私には兄貴は一人しかいねぇよってんだ、一人は弟だ、アホ「そうですね、支払いの義務も無ければ遺産相続の権利も放棄しなきゃいけませんねぇ」すると、二人とも、ブツブツ・ゴソゴソ言いながら、じゃ、またね、って降りて行って。その後は、娘が幼稚園から帰ってきてから、一度、ただいまを言いに行っただけ。その時も、何か都合悪いような顔でいました。何も知らない娘は、向こうのおうちで従兄弟たちと遊んだことを嬉しそうに話してました。階下の住人、やっぱ、ろくなもんじゃねぇ。年内逃亡を何とか目指すぞ
2006年09月28日
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私は、このたび、つくづく思いました。冠婚葬祭互助センター?だったかな、そういうネーミングの業者があったようですが、本当、誰か詳しい人間でもいないと、一人じゃ絶対出来ないと思いました。今週の初めからがあまりに慌しかったので、今日は私は実家でゆったりとしながら、姉に言われた仕事を兄嫁と行ってたのですが。兄嫁と二人で、大変だネェって話したものです。亡くなった、で、スタート、それからというもの、何をやってたのか?私は姉の後ろを着いて歩いて、言われたとおりに動いてただけ。葬儀屋の連絡、身内関係の連絡、お寺の連絡、家では枕膳の準備、通夜ぶるまいの準備、お茶菓子の準備、ビール等の準備、ざっとノートに書いただけでも、こりゃえらいこっちゃと思いました。早朝から、兄と弟が祖母のいた施設に走り、私物を持って帰ってきました。その間、姉が役所関係、生命保険、金融機関などを回って歩いて、午後からは、みんなで祖母の遺品の整理を行いました。祖父との結婚写真があったり、祖母の尋常小学校の時の記念写真や女子高等師範の卒業写真などもありました。尋常小学校時代の記念写真に写ってるその顔は、ひ孫の3匹の顔にそっくりこれは間違いなく、子孫だねって言ったものです。午後から、私物を仕分けして、それぞれを箱に整理して。結構な量あるものです。古いものがたくさん残ってるんですよね。それぞれに、思い出の品なのでしょうが、その中に古いノートがありました。祖母が昔つけてた家計簿、家計簿もどきってものでしょうか。予算とか、そういった記載はなくて、ただ買い物したものを記載してるだけ。豆腐が幾ら、とか、お味噌がいくら、とかって書いてあるんです。その日付の横に、妊娠日記のように書いてあって、一人娘である母を妊娠中の時のもの。腹の赤子のために、今日は卵を買って来ました。ってありました。それを見ていたら、妊娠7ヶ月目まで働いてるんです。3月の年度末で、お産のために仕事をやめる、しかし、出産後もまた働きたい、と書かれてました。昔、産休制度が無かった時代のことだったのですね。その以前にも、誰先生が、心配して仕事を無理するなと声をかけてくれた、とか、校長が生まれた時は是非名付け親になりたいと申し出たが、あの校長は、胡散臭いから嫌いだから、断るとか、ですね。出産後、1ヶ月目ぐらいから、また記入が始まってて、赤ちゃんがおっぱいを何回飲んだ、吸う力が強くなった、便の状態はどうだった、などと今度は育児日誌になってました。それが途切れたのは、祖父が出征した日。本日、夫、出征す、駅まで見送りに行く、そうありました。それからは、祖母の独り言のような日記になって、それがまた途切れたのは、祖父の戦死の連絡のあった日、間違いであって欲しい、と、何度も書かれ、次に書かれてたのは、その日から4ヵ月後、遺骨を受け取りに行った日のこと、寒い駅での悲しかった思いが綴られてて、それからしばらくは、祖母も悲しみの淵にいたようです。しかし、その年の4月には、仕事に復活してました。思い出のノートなのだなって思い、箱にしまってると、兄貴が、「女性の花嫁衣裳の袖って固い物?」って言うんです。兄嫁やら姉と、「何言ってるの?」って笑ったら、兄貴が「だって・・・」と、言いながら、広げた着物は正しく祖母の花嫁衣裳。写真の衣装、そのものだねって見ながら、袖を触ると確かに何かしら固い・・・なんだろうねって言いながら、そろりそろりと袖を解いてみると、中から厚紙が出てきて、その中から数通の封書。結婚前の祖父母のやり取りした手紙でした。昔のことで、時候の挨拶のようなものでしたが、大事な思い出だったのでしょうね。また、袖にしまって、袖を元のとおり縫い付けて。遺影の祖母の顔が、ニッコリ笑ってるようでした。
2006年09月27日
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昨日は、たくさんのコメントや、私信へのお悔やみありがとうございました。祖母は、本当に幸せだったのだろうなと思いました。穏やかな、優しい、美しい笑顔で旅立ちました。祖母の葬儀を本日、執り行ったのですが、今の時代、ネットという素晴らしい環境があるもので、祖母に、担任をしてもらってた、英語を習った、師範学校時代の後輩だった、一緒に働いた、中には親子二代習ったのですよ、なんて方もいらして・・・話を聞いてると、メールで連絡が入った、って人が多くて。祖母の人柄だったのだろうなって改めて思いました。祖母は、波乱万丈で100年も生きてきたので、楽しい事もあったかもしれないけど、苦労も多かったのだから、新しい旅立ちには綺麗にして、と、祖母の持ってた着物の中でも一番いい黒留袖を着せて旅立たせました。いつか来る、この日のために、母は祖母の黒留袖を、洗い張りして、準備していたそうです。見送る母はこれまた穏やかな顔をしていました。悲しいとか辛いというものを超越したように思えました。まだ元気な頃、湿っぽい葬式はイヤだ、ニギヤカに送り出してほしいと言っていたました。お経が終わってから、祖母の好きだった邦楽のテープをかけ、静かに送り出すという事とは全く異なり、出棺の時、兄の二人の子とうちの娘の三人で、突然アンパンマンのテーマ曲を声高に歌い始めたのです。今までは、娘がアンパンマンを見るとき、聞き流してたアンパンマンのオープニングテーマでしたが、その歌詞の内容を聞いてると、祖母の生きてきた軌跡を歌ってるように聞こえました。最初は子供三人の合唱でしたが、次第に弔問客の方々も歌いだされ始めて、最後は大合唱になってました。全て終わって、帰宅してから、バアチャンの人生は、苦労もあったろうけど、いい人生だった、って今頃言ってるのかもねぇって話したのです。葬儀の始まる前、祖母の教え子という方、数名から話を聞きました。祖母は英語の教員だったのですが、その教え子さんがどうしても英語が苦手で、このままでは英語だけが他の科目より点数がかなり悪い、これでは進学に影響すると判断した祖母は、自宅にそうした生徒さんを放課後、数名招き、夕食を共にし、招いた時点から一切、日本語禁止で英語を教えてもらったとか、また時には、生徒さんの親御さんが寝込んでると聞いたら、お粥を炊いて持って行って看病してくれたとか、家で孫に見せてた顔とは異なる祖母の一面でした。60歳で定年になって、その後20年間、学習塾の教員を勤め、その後5年間は自宅で高齢者相手の英会話教室のような人生相談室のような教室を行い、85の年に老人ホーム見学ツアーなどと称して一人であちらこちらのホームを見学して歩き、最初に入ったホームが昨年、経営者が変わって、その頃に体調を崩して、入院し、そのホームを出て、今年初めに有料老人ホームに入居し、口癖は、「あんたらの世話にならないように生きてるんだ、だけど、葬式と後処理だけは世話になるわ」でした。祖父との結婚生活は、わずか2年ほどで軍人だった祖父の出征・戦死という形で終焉を向かえ、その後の再婚話にも耳を貸さず・・・これも、今日、祖母の師範学校の2年後輩という方から聞いたのですが、当時、祖母は、再婚なんてしない、旦那さんの葬式を二度も出すのはゴメンだわ、葬式って疲れるのよ、頭下げてばっかしでって笑い飛ばしてたそうです。明日からが、色々な手続きがたくさんあるようです。私は、とんとわからないけど、姉が殆どやってくれるらしい。。。。って言うのも、生前、祖母は姉の友人の弁護士さんを施設に呼んで、遺言書の作成やら没後の様々な手配を姉と弁護士さんに全て依頼してたそうです。役所やら、銀行やら、生命保険やら、郵便局やら、姉が書き出してましたが、けっこうあるものです。仮通夜、本通夜と二晩、徹夜で起きてた姉がダウンしないか気になって、近所の薬局まで行って、ドリンク剤とビタミン剤の瓶入りを買って来たら、姉が、「私は、今からドリンクの販売でも始めるか?」って。みんな考えることは一緒で、ドリンク一杯。ビタミン剤も3本もあった。結婚式ではいいお式でした、っていう事、よくありますけど、今まで、親戚の葬儀も何度も言って、知人・友人の関係のお葬式も何度も行ったけど、今回の祖母のお葬式は、身内が言うのも変だけど、本当にいいお葬式だったと思いました。
2006年09月26日
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電話が入ったのは、24日の朝8時15分でした。前日から、私の実家へ泊まりに来ていました。旦那は、仕事に行くのにも私の実家から出かけ、24日~1泊2日の行程の仕事へ、朝5時頃でかけてました。日曜ということもあり、また前日の運動会の疲れもあり、特に娘は運動会終了後、神社の秋祭りに姉と出かけ、運動会の疲れとお祭りの遊び疲れでぐっすり寝ていました。実家の電話の子機は、姉の部屋に1個とリビングに1個あります。電話を取るのは、殆ど姉で、姉が出やすいところで取れるようにしているのです。その電話が鳴ったのは8時15分、その時、起きてたのは、神棚と仏壇にお供えをする父だけでした。しかし、その電話で姉が起こされ、それから、即、家中の人間、と、言っても、母と私と娘の3人ですが、速攻で起こされて、7分後には車に飛び乗ってました。電話は、祖母の入所してる施設からでした。「急に意識が無くなった」という内容だったそうです。祖母は、いつものように朝起きて、洗面し、着替えて、施設の看護師さんに通常のように血圧測定と体温測定をしてもらったそうです。その後、朝食の時間になったので、担当の人が呼びに行ったら、ベッドに横になっていて、意識がなかったそうです。その間、わずか、15分ほどのことだったそうです。即、お医者様に診ていただいたそうですが、祖母が回復することはありませんでした。片道、通常1時間半近くかかる道を、姉は飛ばしたんでしょうね、8時半ちょっと前に家を出たのに、到着したのは、9時20分ぐらいでしたから。私達が部屋に行った時、お医者様と看護師さんとで一所懸命、心臓マッサージやら酸素吸入の措置を行ってくださってましたが、手も冷たくなって、呼びかけにこたえてくれる事はありませんでした。姉が、祖母を見舞いに行ったのが、22日だったのです。その時、祖母が、「長いことお世話になったねぇ、もう、人様がどう言おうと自分の信じる道を進みなさいよ、私みたいに、ガチガチに生きることもないよ」って姉に言ったそうです。姉はその時、ただ、祖母の手を握ったら、温かかった、温かい手だ、と思ったそうです。姉が手を握ると、祖母はにっこり笑って、姉の手を握り返したそうです。姉は、23日が菜豚子の運動会だから、後日、DVDを持ってくると話して帰ったそうです。それからわずか2日で、まさか旅立つなんて思いもしませんでした。祖母は、本当に静かに眠るような穏やかな顔でした。苦しむこともなく、痛むこともなく、笑ったような顔でした。100年と6ヶ月と25日生きてきた祖母の人生は波乱の人生だったのでしょうが、最期は、穏やかだったようです。朝起きて、顔も洗って痴呆はすこしありましたが、必ず朝から髪を梳いて、ファンデーションだけは塗る人でした。年寄りがスッピンでいると、シワとシミが目立つからイヤだ、だけど、色を入れるとそれは恥ずかしいという人でしたから、必ず、薄くファンデーションを塗って。働いてた頃は、常に洋服の人でしたが、引退してからは、真夏でもほとんど着物で過ごす人で、24日の朝も、着物に着替えたあとでした。祖母のお葬式を、施設のある都市で出すことも可能でしたが、現在、実家のある市は祖母が若い頃、戦死した祖父と短い新婚生活を送った土地でもあるし、また祖母が夫亡き後、自立する第一歩を歩みだした土地でもありますので、実家まで搬送し、実家で、通夜、お葬式と執り行うことにしました。斎場で行うことも、父は提案しましたが、祖母の娘である母が、自宅で行いたいという意向で自宅でとなりました。母が言うには、「今の時代、生まれ来る時は、病院で生まれる。だけど、祖母の時代は、自宅で出産を行っていた。だから、新しい旅立ちを家から送り出してやりたいのだ、と。」それに、祖母の友人といっても、もう年が年なので、昔からの友人の方々は殆ど亡くなっています。高等女学校時代からの一番の仲良し三人組というお友達の方が、昨年春に一人亡くなられて、もうお一方も現在は千葉県にお住まい。女子高等師範学校時代のお友達だったという方が、同じ施設にいらっしゃいましたが、その方はもう要介護5の状態で、施設を出発する前にお別れだけして。同じ施設には、祖母の教え子という方もいらっしゃいましたが、祖母自身が亡くなってしまったので、連絡先もよくわからない状態でした。そんな事もあって、自宅から家族だけで、静かに送ってやりたい、それが母の意向でもありました。葬儀社に連絡して、搬送してもらうように依頼したら、葬儀社の方は、料金の心配してくださいましたが、母と姉が言うには、「一回しか無いことだから」。搬送車には、父が付き添って、私達は姉の運転する車で。移動中、兄と弟に連絡し、こんな時、近くにいないって云う事は本当に遠いですね。兄貴は、即、連絡ついたのです。兄にも兄嫁にも。それで、至急、帰国の手続きを取って帰国するから、と。問題は弟、現在、パリに赴任中のはずなんだけど、いたのは、ベルリン。確か、時差が8時間ぐらいだから、日本時間で午前11時頃なら向こうは夜中だからって家に電話していない、何かあった時の緊急連絡先ってのを姉が知ってたので、そこにかけたら、いま、ベルリンに行ってると連絡先を教えてもらって、かけたが、電話に出た相手が、ドイツ語で一方的に喋ってくれる、私は、恥ずかしながら、ドイツ語というのは、聞き取りは出来ても話せない・・・仕方ない、日本語で、弟の名前言って、私は姉です、祖母亡くなったって言ったら、電話口の人、ソレハタイヘンデスネ、って日本語で喋る。喋れるなら、最初から喋ってくれ・・・それでも何とか連絡ついて、できるだけ早く帰国するようにするから、とのこと。それにしても、遠いものです。私が、四苦八苦してる間も、姉の運転は、通常より早かったのでしょうね、横にいた娘が、「追い抜いた、追い抜いた」って喜んでましたし、1時間ちょっとで帰り着きましたから。帰国する、祖母の二人の孫を待つため、仮通夜、本通夜、お葬式という手順となりました。お葬式って、誰でも避けては通れない道なんですよね。だけど知らないことばかり。なぜか、姉はそうしたことの準備も知ってて、枕膳の準備、精進膳の準備とクルクル立ち回って、私はその後ろで、ただひたすらノートに書いてました。帰り着いてから、思い出したのが、私の舅・姑。連絡してないこと思い出して、舅は山登り行って留守でしたので、姑の携帯の留守電にメッセージを入れて。葬儀屋さんは、斎場でなさいますと、こうしたお膳なども手配できるのですが・・・って言ってくれてたけど、姉も母も、笑顔で返してました。少し、休憩してから、一旦、洋服の喪服と着物の喪服、それに娘の黒っぽいワンピースを取りに戻ったら、姑が帰ってきて、人は出来るだけ早く帰りたいって思ってるのに、病気してたのか?とか、搬送したら費用かかったろう?とか、矢継ぎ早に質問攻め。もう少し、時と場合を考えろよって思いつつ、日程だけ話して、実家へまた戻りました。祭壇が作られ、その前に横たわる祖母の顔は、本当に綺麗な笑顔でした。まるで、今から起き上がって、笑い出すようなそんな顔でした。誰にも知らせず、ただご近所の方だけにはこうした事で、車の出入りがあること、お騒がせすることなどを話してただけだったのですが。仮通夜式の時間になると、一人、二人と弔問客が訪れ始め、ご近所の方がお見えになり始めてたのですが。そのうち、祖母の教え子だったという方、後輩だったという方、などがお見えになられてました。そして、今夜が、本通夜だったのですが、千葉在住の祖母の女学校時代からのお友達の方が来てくださいました。心なしか、祖母が笑ったように見えたものです。昨日、姉に、通夜ぶるまいの料理、どれくらい頼もうか?って姉に聞いたら、姉が、結構な量を手配してるんです。その他にも、姉は、たっくさんのお煮しめなども作ってました。思わず、二日分?って聞いたら、アホか!って怒られて、しかし、予想に反する弔問客で、綺麗さっぱり無くなりました。今日も、昨日は多かったけど、今日は・・・って言ってたら、昨日以上に多くて、祖母の教え子だったって方が、結構お見えになりました。献花や弔電も思いのほか、多くて、座敷に通じる廊下にはお花が一杯、玄関先もお花一杯。その一杯のお花を見て娘が、「ひいばば、嬉しいよ、喜んでるよ、こんなにお花たくさんで喜んでるよ」って。娘がどこまで判ってるかは不明です。ただ、お葬式は明日ですが、この二日間で思ったのは、きっと祖母は幸せだったのだろう、早くに夫と死別して、戦争を乗り越えて、85歳まで働き続けて、一人で頑張って生きてきたけど、貴方の人生は幸せだったのだろう、と。祖母の顔は笑顔です。
2006年09月25日
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今日は娘の運動会。田舎の町の小さな幼稚園の運動会だというのに、駐車場は車が一杯。朝から、設営の手伝いに行ってたうちの旦那の車は一番奥のほうへ。ま、いいか、最後、片付けも手伝って帰るから。少し早めに来てくれてた、実家の車も奥のほう・・・母曰く、いいんじゃない慌てて帰ることないもん。子供の数の4倍近い保護者の数、要するに、ジジババ親戚総出なのね。どこの家見ても、子供の両親の他に、色々といるんだなぁ。実家の姉が、弁当持って行っていいもんかねぇと言いつつだったけど、どこの家もすごい人。子供はどこにいるんだい?って感じ。9:30開始で昼、13時過ぎには終わる小規模の運動会だったけど、小さいながらに子供達は、みんな一所懸命。3月生まれのうちの娘は、クラスでも一番月齢が遅いほうだけど、横幅だけは大きいけど、縦はちょっと小さめ。去年のクリスマス前のお遊戯会のときは、他の2歳児と一緒に舞台に上がっても、みんなそれぞれだったのが、今年は、ダンスもみんなでするし、かけっこも頑張って走るし。一番驚いたのは、自分よりちょっと小さい子の手を引いて歩いて入場したこと。その小さい子、泣いてたんです。するとその子の頭を、ナデナデしてやってて、はぁ、成長したんだなぁって改めて思ったものでした。オニギリは、2個も食べるし、果物は一人で平らげるし、お弁当食べておなか一杯になったら、ママ眠いって愚図ってたのが、お友達が呼びに来たら走って行っちゃう。少しずつ、親離れ開始始めてるのねっても思った一日でした。
2006年09月23日
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明日は娘の運動会。夕方から、旦那がテント貼りに行ってました。すると、学生時代の同級生や先輩・後輩に会ったと感激しまくりで帰ってきました。ビデオカメラのバッテリーをチェックし、敷物を広げてチェックし、お皿やお箸、コップ類などをチェックし、まるで子供が遠足に行く前みたい。お弁当の下ごしらえも完了。明日は、私は5時おきでお弁当つくりです。姉も少し作ってきてくれるというので、打ち合わせして、私が作るのは簡単なものばかりですが。準備万端、後は明日になるだけです。
2006年09月22日
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今度の土曜日は、娘の幼稚園の運動会。このところ、娘は運動会の練習で少しお疲れ気味ではあるが、それでもご飯食べる元気と遊ぶ元気はあるらしい。今日は買い物もなかったので、歩いてのお帰り。帰り道、娘は・・・あと、一つ練習したら、運動会ねぇ。運動会終わったら、向こうのおうち(私の実家)にお泊り行って、神社のお祭りに行けるんだよね、とそんな事言いながら帰ってきた。娘は、運動会終わったらその足で、実家へ泊まりに行く算段。ブラリ、ブラリと帰ってきたら、舅が庭先にいた。何か、車に色々積んでいる。まさか、このジジィ、家出?と思いきや私「お出かけですか?」って声かけたら、舅「うん、明日から山行ってくるよ」私「そうですか、お気をつけて」舅「菜っちゃん、ジイチャンはね、お山に行って来るから、運動会にはいけないから」娘「うん、あたしも運動会終わったら泊まりに行くから」娘はどこまで判っていったのかは不明ですけど。来て欲しくは無かったから、バンザイってとこだけど、わざわざ、このジジィ、孫の運動会に山登りに行くかねぇ・・・って思いつつ、二階へ。娘にシャワー浴びさせて、着替えさせてたら、娘が、「おじいちゃんは何かあると、山、山って行くの。フフフ」って笑いながら言ってました。どこまで判って言ってるのかな・・・夕方、姑が来て、「今度の土曜日、仕事入ったの、11時から、だから運動会行けないの、ごめんねぇ」って言ってきました。私的には、万歳三唱なんだけど、そんな事できないから、「あらぁ、残念ですね。でも来年来てもらおうねぇ、菜っちゃん」って言うと、娘は、淡々と、「あとでDVD見てね、ちょっと頑張って走るし、ダンスもするの、ママとネエチャンがDVD撮ってrくれるから、それ見てね」姑は、そうねぇ、今は便利な時代だねって言いながら降りて行きました。夕方、帰宅した旦那にその事を話したら、旦那「孫の運動会、来るわけないだろ、自分達の子供の運動会だって一度も来なかったんだから、親父は、秋は登山にいい季節だって、日曜ごとに自分だけ山登り行くし、おふくろは昔から仕事、仕事って子供の運動会に一度だって弁当持ってきたこと無いんだから。いっつも、ばあちゃんと伯母ちゃんと伯父ちゃんが弁当作って持ってきてくれてたんだ。」私「うちは、運動会は両親揃って来てたよ、お弁当持って、果物持って、お茶も水筒2本ぐらい下げて、バアチャンも来てたし、お母さんの従兄弟のオバチャンが子供いなかったから、お菓子作って持ってきてたよ」旦那「寂しかったね。みんな、親が来てるのに、うちだけ、親じゃないんだよ。だから、ママにも仕事行かないで、家にいてって言うのはそれもあるんだよ。子供の運動会も出なかったから、孫の運動会にどうやって行けばいいのかわからないんだよ」って旦那は少し軽蔑するような笑い方をしながら言ってました。その後、旦那は、明日、午前中だけ打ち合わせで出勤したら午後から帰ってくるから、運動会の弁当のおかずを買いに行こうって張り切ってましたが、もう準備してるのよねぇ・・・それに、娘は、姉に色々電話でリクエストしていた・・・お赤飯のオニギリ、コロッケ、チキンナゲット、果物は、桃に梨にブドウって。そんなに食べきれるはずないのに・・・
2006年09月21日
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私達夫婦も秘かに脱走計画を遂行中で、現在、家探し。一軒、中古だけど、大家さんが売ってもいいと言ってる家があるので、それを、検討中なのですが、どうやら階下の姑も来年早々に離婚検討中らしい。姑は以前から、離婚をほのめかしていたが、来年4月から離婚時の年金の分割受給が出来るので、それを検討してる様子、実際、何度か弁護士さんのところにも足を運んでるらしいっていうのも、姑が私に言うのです。今日ね、弁護士先生のところで、お姉さんに会ったよ、って。姑が行ってる弁護士さんは、姉の友人ですから。そんな事があるせいか、今日、階下の冷蔵庫を開けて驚いた姉がおはぎを作ってきてくれて、階下の分もと持ってきてくれたので、仏壇にお供えした後、残りを重箱ごと、かまうかって冷蔵庫にいれようと開けた所・・・卵・ドレッシング・マヨネーズ・ハム、ソーセージの袋や肉類のパックに至るまで、名前が記入されてる。舅は留守だったので、姑が帰宅してから、低カロリーおはぎがあることを伝えて、冷蔵庫に入れてることを言ったら、姑曰く。冷蔵庫の中、驚いたでしょ、でもね、ジイサン、年金の残りが少なくなると決まってお金、お金って言うからね、私のお金は私のお金って区別しておきたいからね、だって、ジイサン、生活費いれないからね。なんか、それでも、一緒に暮らしてる階下の二人の心が判らない。年金を貰うためだけに、待ってるのも空しいような気がしました
2006年09月20日
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夕方、娘が突然喋りだしたので、誰と話してるんだろうと思ってみたら、家の電話で話してる。え、いつの間にかかってきたのかかってきたのではなく・・・、娘が自分で掛けてた娘はニコニコ笑いながら、話してて、電話の相手は姉。今度の運動会に来てね、の電話だったらしい。2~3分話してから、「ママに変わってよ」と受話器を持ってきた。チビが直接電話してきたので姉は驚いてたが、それ以上に私が驚いたわ姉との電話を切ってから、娘に、「菜っちゃんが一人でお電話しちゃダメよ、ママに言ってからお電話してね」って言うと、口答えすることもなく、「は~い、判った」とご機嫌なお返事。しかし、どうやって掛けたのかな?短縮番号を知ってた?まさか?と疑問はわくが、そのうちに聞こうと思って夕飯の支度を続けました。その後、旦那が帰ってきてから、娘が言った事。「あのね、パパ、お電話する時は必ずママに言ってから電話しなさいって」はいパパと出したのは、電話をかける時の押すボタンを絵で描いてる一枚の画用紙。どうしたの?って聞くと、旦那が、「うん、菜っちゃんがこの前、お電話したいって言うから絵に描いてやった。・・・」こんなもん、このチビに渡されたら、どれだけ電話されるかわかったものじゃない、余計な事しやがって
2006年09月19日
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台風13号、甚大な被害をもたらし北上を続けてますが、過ぎ去ってみれば・・・実家の前に飛んできていたもの。ベビーバス・自転車・新品なのでしょうね、紐でくくったプランター3個・どこかの看板の文字の一部?「ゥ」の文字・どこかの家の瓦・他に木の枝やら何やら。今日は雨もまだ結構降ってたし、風も強かったので、大きなゴミだけ片付けて、夕方少し早めに、実家から婚家は帰ってみれば・・・おい、舅、あんた家にいたんでしょって言ったところで、あのジイサンが片付けるとは思ってなかったけど・・・我が家の庭並びに周辺に飛んできてたものトタン板大小多数・バケツ、これが大小合わせて3個・植木鉢、これが植木はしっかり植わってる・ブルーシート・タオルが3枚・その他、割れた瓦に木の枝多数。これらを、明日から大片づけです。ベランダも、窓もジャンジャン水かけて流さないと、泥だらけって状態。台風も過ぎ去る時に、片付けてくれればいいのに・・・ちなみに、舅は、一人おかれた家の中で、ただひたすら寝てたそうです。ずーっと布団かぶって寝てたって。
2006年09月18日
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台風の到来、ほぼ確実だったので、早朝より寝てる娘を抱いて、4時に出勤の旦那とともに家を出て、私と娘は実家へ。なぜなら、婚家のこの家は、坂の上にあるんで風当たりが強い。結果、揺れる。家の前の坂は、川のように水が流れる。こんなところ、いれるかってんで、娘と犬のタラコと連れて実家へと避難。旦那には今夜は、実家に帰ってきてねと言って。それでも、我が娘、朝は8時までぐっすり。タラコにいたっては、まだ雨は降ってなかったけど、風の強い中、実家の吾郎と庭で風に吹かれてる。それでも、昼前には、家の中に入ってしまったけど。起きて実家にいた娘は大喜びで、さぁ、スカパー見るだの、あっちの部屋、こっちの部屋行っては遊びまくって、時折、停電で電気が消えると、「キャッ懐中電灯持ってきてぇ」と、喜んでる始末。夕方にかけて、雨風強くなってくると、ますます興奮しまくって。実家の隣の家の、瓦が飛んだり、雨どいが折れたりしてて、父が、お隣は80過ぎのオバアチャンの一人暮らしだから様子を見てくるって言うと、娘は自分も行くと叫んで、その時はダメって怒られて、それでも、何かしら、キャッキャッ言って喜んで。隣のオバアチャンは、こんな時のためにって、カップ麺やらをたくさん買い込んでて、大丈夫だろうって事で父が帰ってきて話してたら、ラーメン食べるって言い出すし。旦那は旦那で、こんな雨でも日帰り観光旅行が中止にならなかったので、高速走れないので、一般道を迂回、迂回で、夕方4時帰宅予定が、帰ってきたのは夜9時。しかし、お客様も観光どころじゃなかったでしょうにって言うと、それが違う、秋の味覚食べ放題ツアーだったから、見物なんか出来なくてもいいんだって。それでも、半分ぐらいはキャンセルされたらしい。お客様の家族も心配だったろうねって話をしたものです。上陸したら、スピード上げたみたいで、明日になれば風もおさまるのか・・・一応、姑の携帯に電話したら、姑は今日はパート先に泊まるとの事、舅が一人、家にはいるらしい。
2006年09月17日
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今日は、朝からポストに水道料金のお知らせ入ってました。一瞬、一階の?って思ってよく見直したら我が家のでした。夏場は、一日、何度もシャワー浴びるし、汗かいて着替えるから洗濯物も増えるしで、覚悟してました。ところが、考えてた水道料金より格段に安い。去年の同じ時期からすると水の使用量が半分よって、水道代も半分その原因となるのは、食洗機【送料無料!即納可能♪】食器洗い乾燥機National NP-BM1使い始めてから、まず自分の手あれがない、食器の汚れ落ちが格段に違う、コップなどは全然違いますね。あと、湯飲み類の茶渋の落ち方もいいし。で、なんと言っても、水道代の激減。今まで、こんなに食器洗いに水を使ってたんだなって思いました。買う時はちょっと悩んだけど、買ってよかったです。すぐ取り戻しますね
2006年09月16日
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今までも何度も別居しよう、別居しよう、と、思いつつも・・・娘の幼稚園を変わらずに・・・とか、この田舎町で便利なところ・・・とか、色々悩むこと多かったけど、もう絶対にこの変な生物の住む家から出て行ってやると決めました。私以上に、旦那が乗り気で、今日なんて娘を幼稚園まで送って行った後、帰ってこないから、心配になって携帯鳴らしたら、元気な声で「いま、不動産屋さん、幾つか、物件を見せてもらってるんだ」一人で行くなよなぁ旦那が資料貰ってきた物件は、いずれも娘の幼稚園へは今より近い。そして、今の家は坂の上だが、いずれも平地。庭もある。犬も飼える。そしてなんと、そのうち、1件の家は、大家さんが買うなら安くすると言ってるとのこと。何でもその大家さんは、離れたところに住んでて、転勤で移動したその土地が気に入ったので、その土地で新しく家を建てたので、こっちの家は貸家にしていたが、固定資産税もタダじゃないし、借り手がいるときばかりとは限らないしで、以前から売りたかったらしい。旦那が持ってきた資料は5件。明日から、実際に回ってみてみるつもりです
2006年09月15日
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「人間、何か一つ楽しみ無ければ、生きてる意味が無い 第一、俺のは借金ではなくて、全てローンだ。 フン」これは、今夜、我が家の1階で舅の言った言葉です。事の発端は、先週8日に舅が知人の保証人になると言い出したことが発端でした。9日、早朝、帰宅した旦那と舅は大喧嘩になり、その後、旦那が保証のことなどについて、姉から少し教わって。10日から昨日13日まで、私と旦那とこの際、姑も一緒になって、舅の借金の総額調査。最初は、本人に全部で幾らあるのかって訊いても、そんなもん知るか、の一点張り。挙句に言い出した事は、勝手に調べろ。そうですかって事で、私と旦那と姑の三人で、舅の部屋の家捜し。あっちの引き出しに契約書が1枚、こっちの引き出しに3枚、こっちの棚に1枚ってな調子で。バラバラに契約書は置かれ、中にはクシャクシャになったものもあれば、完済してるけど、丁寧にクリアファイルにいれてるのもあるし、いい加減もいい加減。その契約書の1枚、1枚の内容を読みました。金利も様々で、よくまあ貸すほうも貸したものだと思いました。姑の知らない借金も数件ありました。舅の借財を調べる一方で、私は、娘が幼稚園に行ってる日中、姉のところに行って、勉強してました。金利計算の方法⇒エクセルでやってみましたが、電卓叩いて、手計算でやったほうが、金利の重みを感じました。根保証について⇒これほど、アホラシイ保証はないと思いました。平成17年の4月から法律が改正されて、多少は改善はされたようですが・・・それにしても、ひどい保証もあったものです。融資金額が、100万でも、契約書に記された根保証の金額が1000万であれば、保証人に断り無く、追加融資が行われ、保証期間が終了した時点で債務額が残っていれば、それが確定した債務となり、その借金が終わるまでずっと保証人。法律が改正されて、無期限・極度額なしの包括根保証というものは、禁止されたそうですが、知らず知らずに署名捺印してまってるケースはるのではと思いました。連帯保証⇒保証というと、これが殆どなのでしょうけど、この連帯保証ってばかげた話しだと思います。自分が借りてもいないお金を借りた人と同じ立場で払わないといけないなんて。抗弁権というものが無いので、債権者が、払ってよって言ってきたら、払わないといけない。舅のお陰でいろんなことを知ったものです。総額を計算して、月々の支払いを計算して、元金と金利の一覧作って、それで、今夜、娘も寝てから、但し、二階に一人置いてて、突然、目を覚まして誰もいないと困るので、姉に来てもらってましたが。その借金の総額や一覧表などを舅に突きつけて、旦那が何でこんなに借金こさえたんだ、借金してまで、山登ったり、テニスしたり、ゴルフしたり、する意味があるのかって言ったら、舅の返事が最初の、開き直りだったのです。ローンは借金じゃない。って考えてるところが、アホとしか言えない。ここまで馬鹿だったかと呆れちゃった。怒るの通り過ぎて呆れました。そして、その上、いまだに、保証人になってやらなきゃって言ってるんですからねぇ。トコトン呆れ果てた舅です。古い家だけど、娘の幼稚園からそう遠くもない場所に借家が昨日から出てるから、そこに引っ越そうかなって、旦那とその算段も始めてます。前、住んでた人は、家を新築して出られたらしいから、ちょっと縁起もいいなって、話してるんです。アホな舅のそばにいるより、少々古い家でもそれがマシだよなって話に今夜はなってます
2006年09月14日
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