東京から青い風2005

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ベッチーニョ★

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2003.07.21
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9・11後の世界は日々激変しております。そして、国際社会と戦争のルールにおける既存のパラダイムは、ウエストファリア条約以降の国際法で規定された戦争のルールを無効にし、転換を強いております。それは、テロという行為により、国家間でのルールが通用しないことが明らかになり、同時に我々は、大量破壊兵器がテロリストや独裁者の手に渡ったときには、莫大な被害を被る危険性があるということを実感したのであります。2003年3月20日から始まったイラク戦争においても、各国の主張、思惑は異なり、今までと同じように解決できない案件にどう向き合うかを模索しております。フランスはアメリカへ反対しましたが、その反対の内実は平和的解決ではなくアメリカへの牽制でした。米英は、親米政権の樹立をし、石油の国際価格コントロール等の目的がありました。その中で日本はエモーショナルな判断ではなしに、冷徹な目で国際社会を見、外交をしているでしょうか?本弁論では、この、激変する世界で、日本が持つべき姿勢、日本が国家としてのあるべき方向性を見出すことであります。

 日本のイラク戦争に対するアメリカへの賛成ひとつとりましても、日本はギリギリまで決断せず、その場の雰囲気で柔軟に対応するという答弁の一点張りでした。政府はよく、国際社会と協調して、とういう答弁をいたしますが、日本はどういう国益のために、どういう社会を構築し、どういう目的でその決断を下すのかが極めてわかりくいものであります。確かに、安全保障の面では多くを日米同盟によって担保し、それにより外交の選択肢を規制されているのは事実ですが、現実外交の多くの決断は、追い込み型予測によるものであります。つまり、国際社会の出方を待って、選択肢が限られてから決断するというものです。これでは、日々激変する国際社会で、イラク戦争でのフランスのように結果的に損をする決断をしたり、判断が遅れて、誤るかの可能性が大いにあります。私はこれを打破する政策を以下に提示いたします。

 そのためには、まずどうしてこうのように、自分の国家の運命を自らの手で考えられないでいるのか、ということを考えなければならない。冷戦時代頃までは日本はとにかく経済の規模を拡大することのみを国家目標として、あえて政治大国を目指さなかった。そういった目標に於いては、アメリカとの関係性の中で経済も国家の安全も頼ることが一番の得策であった。冷戦時代から左翼は対米追従を批判してきましたが、それはただ単に対ソ、対中国隷従を目的としたものであったけれども、戦後の日本が内包しているきじゃく性の根幹の原因を突き止めれば、やはり日本の非軍事化、弱体化を徹底的にしようとしたアメリカの占領政策であるだろうと思う。これが大きな問題なのであります。
 長期的な国家戦略がどうあるべきかと考えたとき、それはつまりは日本は一体どういう国を目指すのかという国家としてのイメージに辿りつく。国家戦略の根幹が「心」のあり方に帰結するのであれば、私の考える国家イメージに不可欠なのは「主体性」であり、「自立」であります。その理由は、先に述べた通りですが、結局冒頭に述べたような危機の原因は、主体性のなさであると考えます。
 この国家観を具体的な形で、また現在の国際社会の上で照らし合わせてみる。冷戦崩壊後、アメリカはクリントン政権に於いて、目的と手段のはっきりしない外交をし、国際秩序が見えない時代が続いた。ブッシュ政権は、とくに9・11後、テロリスト国家やテロリストに対し、先制攻撃を認めるブッシュドクトリンが生まれ、その後の激変した世界において新しい国際秩序が見えかけている。その中で日本が具体的に考えるべきは、いかなる外交、防衛政策を考えるべきかである。そして、場当たり的に、また、エモーショナルに外交政策を訴えたところで、それは主体的ともいえず、国益になるものでもない。米国のイラク攻撃の際にマスメディアは、ほとんどといっていいほど米国批判をした、また国民の多くも反対をした。日本の安全は日米安保によってのみ担保され、その恩恵に預かっておりながら、安全保障の面で反米をする。そして、なんらオルターナティブを示さないのでは、現実的な外交とはいえない。私は、外交に於いて、完全に主体的な決断を下すことは出来ないと考える。なぜなら、日本の安全保障を考える上で、日米安保はコストの面でも抑止の面でもこれにかわる有効な政策がないからだ。しかし、日米安保はあくまで手段であって、それが目的なのではない。かつて、カーター政権下の大統領補佐官のブレジンスキーはフォーリンアフェアーズでこう述べた。「日本はアメリカの被保護国である。また、日米安全保障条約は保護国条約である。」たしかに、対等の同盟国といえども日本の外交、防衛での決定権は制限されることを考えれば、この条約は片務的といわざるを得ない。
 長くなりましたが、私がなすべき国家方針を明らかにすると、日米安保は安全保障の上で大きなメリットがあり、こちらから切ることはしない。しかし、条約はあくまで手段であって目的ではないのだからこの中で、主体的な外交姿勢を模索することが大切だといえる。上述した現状分析からすると、外交の選択肢は、安全保障の面で大きく規制されているとすれば、これを改善しなくてはならない。つまりは、憲法9条に象徴されるように、武器装備というハード面は朝鮮戦争以後整備が進んだのに対し、ソフト面を思考停止にさせたままであったということが問題なのである。これが、現実と精神が大きく乖離している所以であり、空想的な平和主義を唱える人が存在する理由なのであります。

 ここで、そのソフトの面をハードの面とを両立させなければなりません。ソフト面の改善とはつまり、今までの安全保障はすべてアメリカ任せという考えであります。日米同盟は損なってはならないけれど、国家として当然の努力はしなくてはならない。でなければ、同じ価値観を持っているからという理由で存在している日米安保に頼っても、戦地で血を流すアメリカ兵の気持ちがわからないのなら、どこに日米安保の意味があろうか。ここでひとつ、これを考える上での例を示したいと思います。クリントン政権下の1994年の米朝合意の時、北朝鮮は朝鮮半島エネルギー開発機構と引き換えに核開発をやめるといいましたが、それ以前につくられていたかもしれない核問題には触れなかった。それは、核がアメリカ本土には届かなかったからです。つまり、アメリカは国際平和以前にアメリカ国民の生命を守ることが必要なのです。だとしたら、日本は自国に届く核の抑止をアメリカ頼みにしてはならないから自国で開発しなくてはならない。北朝鮮による領海侵犯も、事前に日本が領海保全措置をとるべきだった。国家の安全保障を自国でできないのでは、正確にはする意志がなければ国際社会においても主体的に行動できるはずもありません。日本はいろいろな機関に多くの分担金、ODAを拠出しておるわけです。これが本当に世界のために役に立つには日本の主体的な関わりが必要なのです。アメリカは世界の統一を図っています。価値観を共有させようとしています。しかし、それはテロを生み、先進国からの反発をも招いているのです。日本は世界平和を目的とするには、共生の姿勢、つまり多元を重んじる姿勢で外交をせねばなりません。

 日本の自主的な自国の安全保障を進めることで、外交における日米安保の依存度を少なくする。そして、多元的な世界を確立するために、日本外交は分担金、ODAを拠出し、多元に反する政策や使われ方をした場合には即刻拠出打ち切りをし、世界を規制していくべきなのである。こうして世界は平和になり、日本の一貫した信頼ある外交が確立されるのである。9・11後、今までのシステムが揺らぎ、アメリカ一極支配が進む中で、日本はこれを機に、世界平和の為の旗手となるべきなのであります。こうして、日本は今まででの外交における閉塞感を打破し、国際社会の秩序をコーディネートしていくことができるのです。






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Last updated  2003.07.21 12:08:19
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munimo @ 連続でごめんなさい・・。 おろさかって・・打ち間違いです。ごめん…
munimo @ こんばんは! ご訪問&書き込みありがとうございます。 …
marille1980 @ Re:日本の安全保障☆(09/28) こんばんは ふらふらと遊びに来て見まし…

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