わーと。の部屋

わーと。の部屋

2005/12/19
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カテゴリ: 雑談
ふと自分の右手を見つめる。

生きてる。

その事実だけが胸をくすぶる。オレはまだ何もできてない。


身近な人が亡くなるとき、そして、大切な家族がなくなるとき、何度も誓ってきたことがある。


父方の祖父が亡くなったのは…5歳の冬。12月。幼稚園の発表会の日だった。
…僕には降り積もる雪がこんなにも悲しいものだと感じたことはこの一度きりかもしれない。当然泣いたんだと思う。何よりも悔しかった。
父方の祖父は妹を良く可愛がっていたので、当時の自分は祖父に認めて欲しかったという思いが強かったことを記憶している。

幼稚園の時は祖父以外にもたくさんの命を失った。
飼っていたインコのポポ。
ポポは2年間一緒にいたのだが、病気で僕と妹の手の上で痙攣をしながら息を引き取った。
泣きながら僕らはポポを何度も撫でていた記憶がある。

次にインコのポコ。
ポコは近所の猫にやられてしまった。
幼稚園から帰った後、ポコがいない事実を母の気落ちした顔から察して僕はなかなか『お母さん、ポコがいないけど、どうしたの?』と聞けなかった記憶がある。
母が無念そうに告げた時は泣かなかったが、後で泣きながら近所を徘徊していたそうだ。

他にも飼っていたカブトムシやクワガタはお墓を建てていたことを思い出す。
トンボやセミはなるべく逃がしていたが、お墓に埋めたこともある。
僕と一つ下の弟分であるKと小さい頃から悪さばかりやっていた。
毎日、家のすぐ側の中学校の中に入ってセミを取ったりしてたからだ。
一度その時に白い子蛇に遭遇し、殺してしまったことがある。
その時は何も思わなかったが、家で一人になると後悔して泣いていたなぁ…

小学校1年の時は剣道を始めたので、母が借りてきた『武蔵の剣』を見て、武蔵の父親が死んだことにショックを受けた記憶が(苦笑)
近所の悪がきがガス銃で打ち落としたツバメをどぶから拾ってきて、必死に折れた翼を看病したけど、動物園に引き取ってもらう前に死んでしまった時も悲しかった。

ちなみにこの悪がきK.Kは生まれつき脳の障害を持っていた。
そのせいで、いろいろと悪さばかりをして、行動が突飛でみんなからは嫌われてたが、なぜか僕にだけ懐いていた。
近所の縁って恐い。昔は僕も嫌いだったのに、いつの間にか保護者としての役割を周り全てから与えられた気がする。
中学からは精神学校に通っていったので、私の家も引越し、近所の縁も消えたので消息は不明だったのだが、高校の時、バスの中で『わーくん!わーくん!』と駆け寄ってきたので、無事ということだけは確かだ。
ついでに、あのおバカで泣き虫が僕より大きく、そして少し立派になった姿を見て、ちょっと泣いた。

たしか…小2の時にM君が僕のクラスに入ることとなる。
彼は生まれつき心臓を病んでいて、管を心臓に入れていると聞いた記憶がある。
実際は彼は2~3歳上で、学校に来れない日々の方が多かった。
でも何事にも挑戦していた。僕はその姿がまぶしかったことを思い出す。彼の友人の中でも僕は1番か2番にはいたのであろう。僕はごく身近に『生』を考えさせられてきた。
ある時、M君が20までは…という話をどういう経緯からか聞いたことがある。その話を僕は彼と過ごす日々の中で何度思い出しただろう。
今、彼がどんな生活を送っているのかはわからない。

ただ正月には年賀状が届く。
今まで、なんとなく書きそびれたM君への年賀状。(毎年誰にも出してないのだが)
いつも送られてきてからでないと、返信していない年賀状。
今年は先に出そうかと考える。
ちなみにM君の妹は私の妹の親友だ。(22日にうちで鍋するらしい)

小2の時だっただろうか。今まで健康だったH君が病気で車椅子の生活になった。
僕は彼の車椅子を小・中時代に押した友達の中ではBEST3に入ると思う。
いつもH君のお母さんが、H君を支えていたことを思い出す。

高校に入りばらばらになったH君との再会は突然で冬だった。
高1の冬。僕ら中学の同級生一同が集まる。
H君の葬儀だった。H君のお母さんが運転する車が、雪でスリップしたのだった。
生涯で最初の同窓会はどこまでも淋しいものであった。
僕とU氏が仕切って(この場合僕が補佐)みんなを集め、香典を回収し、僕が前日に半泣きで書いた告別の手紙を添えて、お葬式に参加した。
…高校に入ってから連絡を取ってなかったことがあまりにもショックだった。

僕の学年は学校内のほかの学年と比べると生徒数が多かった。
それでも50人。
その仲間がいなくなることの淋しさを改めて感じる。

正直なところ、M君が今生きていてくれることが嬉しい。
一番僕にとっては『生きるということ』を教えてくれた人だからだ。


小5の時に、僕は母方の祖父を失う。
一緒に将棋を指したり、僕が剣道をする姿を見て指導してくれた僕の理想のおじいちゃん像であった祖父だった。
社長として、祖父として、人間としてみんなから好かれていた、僕はあのような偉大な人物になりたい。
余談だが、祖父の話を就職の面接の場でした時、某企業の社長さんが『お世話になっていました』といきなり僕なんぞに頭を下げてきた時は驚いた。
恐らく祖父が生前であれば、どこかの銀行にコネだけで、僕は入っていたかもしれない(笑)
交友範囲のかなり広い祖父だった。
障害を持つ人を積極的に雇って、面倒を見ていたあの祖父の姿を僕は忘れはしないだろう。
そういえば、祖父の新聞記事をいくつか持っていたのだが…どこかにいってしまった。
心の中にあることにしよう(苦笑)
ちなみに、今でも、祖父が亡くなった穏やかな春の日。あの長い廊下で、休み時間なのに僕しかいない時に目の前に突然現れた白い影は、間違いなく祖父であった。時間的にも符合する。
…何かわからず、蹴って追い返したことは親戚の中では伝説になっている。


高2の時に母方の祖母が死去。
英語で表すならば、『Great grandmother』であった。
とりわけ、親戚の中でも僕に厳しかった祖母だった。
後で母に聞くと、一番可愛がられていたらしい。…そうなのだろうか?

高校の時は、ハムスターの銀。
5年近く生き、老衰かなぁ~とか思っていたら、白い小さな蛇に飲み込まれて死んでしまったインコのポッコ。(これは幼稚園の時の復讐でしょうか?)
7年間僕の部屋の裏で飼っていた犬のロン。
心の支えになっていた、大事な相棒達とお別れをした。


大学2年の時は、バイト先の知り合いが自殺した。
よく話を聞いてくれる人だった。
ついでにその直後、単位を10落とした。精神的にかなりまいってたんだろう。
彼女に振られたことも原因だったかもしれないが。

大学生活では14年間一緒だった犬のクッキーを失ったこと。
連れて帰って数日でこの世を去ったインコのクイナにビビ。
実家で3年間生きたインコのチロル。
失うことばかりを繰り返しているような気がする。


誰かを失った時、僕は必ず自分に誓いを立てる。
それは理想の自分への誓いだ。
大学の裏に母方の祖父と祖母の墓がある。
この墓に最近行ったのは先月だったか。ここに来るたびに誓いを立てる。

そうか…あれからこんなに月日がたったんだな。こんなに僕は失ったんだな。
こんなに僕は無力なんだな。何も得ていない…。






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最終更新日  2005/12/20 05:35:10 AM
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