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さっき教室つくと大きめの蛾が羽根をばたつかせて、
僕と一緒に教室に入ってきた。
一寸の虫にも五分の魂とはいうものの、
不法侵入と言いがかりをつけて、
退治しようと紙の束を振りかざした。
っと、ここまではいいが、
紙の束を持った右手は、思いもよらず近くにあった椅子に衝突。
蛾は優雅に紙の束をかわし、何処かに飛んで行ってしまった。
残ったのは右手に残る痛みだけ・・・
こういうお粗末な「不意打ち」は、若いときにはなかったはずなのに、
おじさんになってきてからちょくちょく顔を出してくる。
この先に、小さな段でも転倒する自分の姿が想像できた。
「不意打ち」といえば、よく生徒たちが定期テストの折、
「あんなの出るって聞いていないし!」と怒っていることがある。
生徒からすると「不意打ち」にみえても我々からしたら、
言うとか聞くの問題ではないように感じる。
準備不足といえばそれっきりだが、
どこが不足しているかを把握できていないから、
「不意打ち」のように感じるのだろう。
塾の先生だって、「埼玉では〇〇はでない!」
と自信満々に言っても、5年ほど前から、
各教科いたるところで、その「傾向」が崩されている。
結局「不意打ち」と名のつくことは、ただの準備不足や、
自分への言い聞かせにすぎないのかもしれない。
よって、結論。
蛾の命が大事ということか、
もう若くないのだということか、
理由はわからなかったけど、
さっきの「不意打ち」も「必然」だったのだろう。
この戒めにも近いものを、右手の指の鈍痛が物語っている。
あの蛾、絶対にやっつけてやる。