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2009年05月17日
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わたくしは、外で遊び回るより、
お家で本を読む方が好きな子供でした。

特に夢中になって読んだ本は「伝記」でした。
ファーブル・シュバイツアー・ベートーベン・エジソン
野口英世、ナイチンゲール、滝廉太郎
世界の偉人達の話が大好きでした。


一番影響を受けたのはキュリー夫人ことマリー・キュリー
生涯で2度のノーベル賞を受賞した物理学者です。



両親ともに教師でしたが、
当時のポーランドはロシアの支配下にありました。
学校では、ロシア語とロシアの歴史を教える事が強制されていました。

自分たちの民族の言葉と歴史である、
ポーランド語とポーランドの歴史は
こっそりかくれて教えなければいけない、
そんな状態だったのです。

そして、マリーの父親はロシア人の学長によって
教師を辞めざるを得なくなりました。
そしてその2年後に母親と死別。
生活は大変苦しかったようです。


ですが、ポーランドでは女性の大学進学が
できない状況にありました。

「何とか勉強がしたい」と思ったマリーは、
生まれ故郷のポーランドを離れて、
パリのソルボンヌ大学に進学しようとします。



ですので、まず自分が家庭教師をして働き、
そのお金で姉を大学に入学させ、そしてその姉が卒業してから、
自分の学費を出してもらうという方法をとるのです

そうしてようやく大学に入学します。
ソルボンヌ大学時代は長時間勉強する為に、
大学近くに安宿を借りました。

もちろん暖房器具などついていなかったため、
冬はありったけの服を着てベットで読書をしたといいます。
食べるものもままなりませんでした。
それでも彼女は、思いっきり好きな研究をすることが幸せだったのです。

環境をものともせず、
自分のやるべきことに没頭する姿勢に
小学生のわたくしは胸を打たれました。
マリーより恵まれた状況にある自分は、
もっともっと出来るはずだと思いました。

このような、生涯における血のにじむような努力の結果、
みなさまご存知の通り、
マリー・キュリーは生涯で2度もノーベル賞を受賞し、
フランスにおいて女性初の大学教授になったのです。

女性の地位向上にも多大な貢献をした女性です。

マリーは2つの新しい元素を発見したことで、
ノーベル賞を受賞しました。

「ポロニウム」と「ラジウム」です。

最初に発見した「ポロニウム」は、
「ポロニウムという名を聞く時に、
 人は祖国ポーランドを思い出すだろう」

という思いから、マリーの祖国ポーランドに因んで
名付けられた名前です。

マリーの愛国心の証でもあります。

わたくしは マリー・キュリーの伝記を通して
どんな状況でも必ず報われることを知りました。
そして、出来る限りの力を出して生きていきたい、
出せる仕事に就きたいと、子供心に思ったのでした。

     (続く)





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最終更新日  2009年05月17日 10時40分24秒
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