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久々に書きます。 あまりに 忙しくて 放置していたら、なんだか あまりにも 下品なコメントとトラックバックが てんこもりで あごはずれます。 消すのも面倒くさいです。 気を取り直し。。 春の光を感じて 嬉しい気持ち。 人間の心には、闇と光が混在していますが、闇は闇と引き合い 増幅していく。それは罪だと思う。 光を信じて 光を強く ゆるぎないものにしたい。 私の中にまだある闇も すてさりたい。他人の中にある闇もすてさりたい。 自分の心の中の闇をどうするかは 自分の自由にできるけれど、他人の中にある闇をどうするか、これは、人生の重要な学習のうちの一つだと思う。 何故、闇が心の中にあってはいけないか、闇が苦しみを作るから。幸せを阻害するから。 闇は どうすれば消えるか。 光を当てること。 光とは何か。 自分の尊さを知ること。 他人の尊さを愛すること。 自分の失敗も他人の挫折も大切な経験として肯定すること。 それは神様を信じるのと同じことだと思う。 私は他人の苦しみをどうにか軽減できないかと 闇と格闘した。 そしてうまくいかなかった。 助けてあげたかった。 力不足で苦しんだ。 答えは 春の光にあるかもしれない。 春の光は傲らない。 春の光は 優しい。 春の光は主張しない。 春の光は押し付けない。 優しい春の光のような愛を示せる自分になれたら、光は届き、闇が少しずつ溶けていくのかもしれない。 気付かせてくれた春の光。 ありがとうございます。
2008.03.17
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そう、これが私のの使命だから、これが仕事だから。 命があるということは、このように愛を与えつづけるということなのだから。 だからこそ、 私たちが愛の存在であるからこそ、 我らが存在することが、その魂自体が、愛の表現であるからこそ、愛を止めるわけにはいかない。
2007.12.05
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両極端の中に 真理はない。 中道にこそ真理がある。 中道とは いい加減や 曖昧という意味ではない。 中道とは もっとも 安定した 平凡な 明るく輝く道。 悟りへの道。 苦しみの道に中道なく、 快楽の道に中道なし。 規律なきところに中道なく、 規律だらけのところに中道なし。 悩みなきところに中道なく、 苦悩の渦の中に中道なし。 中道を探そう。 煩悩に とらわれる不自由から脱却したところに それは ある。
2007.11.07
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個性を尊重する。 個性を育てる。 個性を活かす。 って、 よく言います。 よく聞きます。 よく考えると、個性ってなんだろう。 個々の人間の、他の人とは違う部分? じゃあ他の人と、ただ違えば、それが個性と言えるのか。 「変わっていること」を「個性的」って歪曲する表現があるけれど、そのように、個性は、時に歪められた認識と戦うことになる。 個性とは、自由きままに人の和を見出す事でも、奇抜な事をさすのでもない。 でも、実際にわりと難しい問題で、私は若い頃、自分のアイデンティティーがわからなくて、確認したくてできなくて、親の言う事と反対のことをしたり、人と違う事をしてみたりして、アイデンティティーを確認しようともがいた。 アイデンティティーはなんじゃらほい?のまま、大人になり、仕事をして、親になり、たくさんの子供をみていると、個性というもねが、わかってくるような気がする。 個性とは、その個の人間が持つ素晴らしい特質。 みんな誰でもキラキラのダイアモンドをその心に持って生まれてきている。 生まれた後に受けた教育によるものではなく、その人の魂の色だ、と思う。 人間はみんな、個性を発揮して輝きたい本能がある。 それが動物と違うところだ。 いや、動物にも確かに個性がある。 でもハッキリと、個性を発揮したい、できなければ苦しい、と積極的に感じるのは人間の特質だと言っていいのではないか。 個性とは、ズバリ仏神から分かれてきたエネルギー。 それぞれの色の輝きを持つ。 人生が終わるまでに、輝きたい。人生途中では、様々な障害により心曇らせ、本来の輝きを発揮できず、生きている喜びを感じられないでいる人がいる。 個性を輝かず方法。 それは仏神と同じような考え方に近づいていくこと。 人間の持つ執着を去り、反省し、心の曇りをとって、磨き、愛をもらうのではなく与えようとすること。 感謝すること。 人に関心を持って愛すること、許すこと。 こうしたものが、個人個人として、個性が個性として、自由性を発揮しながら、輝く手順だと思う。 こうしたことに励んでおられる方々は、みな、素敵で爽やかだ。 温かく透明で、でもとても個性的だ。 私も そんなふうになりたいな。
2007.10.15
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愛っていうのは、結局、周り人にとって役に立つものを提供することなんだなあ。 役立つ、とは、この世的に役立つことも含まれる。 また、魂が成長する糧を与えることでもある。 人が勇気を持てるようなことを言うこと。 人が自信を持てるようにしてあげること。 人が存在を認められていると感じるようにしてあげること。 愛とは 恩きせがましくなくていい。 愛とは 自己主張しなくていい。 柔らかく その存在に気付かないくらい 透明がいい。 そんな愛に なりたい。
2007.10.10
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人生は苦しい。 苦しみや悲しみに満ちている。 人生が終わって、振り返って、一番輝いているときは、いつだろうか。 楽しかった時間。 評価を得た瞬間。 あいされた記憶。 でも、それより輝いているのは、苦難を乗り越えた孤独な夜だ。 人生の教訓を学ぶときに、いちばん光っているものは何かというと、自分自身が苦心惨澹して見出した答え、そのための努力こそが、光っているものだ。 この努力は、他の人に代わってもらうことができない。いや、代わってもらうべきではない。 すばらしい自分自身の宝。
2007.09.30
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大成していくためには、上に対しても下に対しても才能ある者を愛するという傾向性を持つことが大切。 他の人の才能を愛するとは 結構難しい場合がある。 劣等感や嫉妬から 素直に 人の才能を愛せなかったりする。 自分の方が優れている部分を 探してみようとしたり、相手のあらを探してみたり。。。 自分によくしてくれる人の才能は 愛せるけど 自分に害を及ぼす人やきらいな人の才能を 発見し 愛することができるか。。。 人の才能を 素直に 素晴らしいものだと愛する才能。 これが あれば 自分の才能も もっと 輝くはずだ。
2007.09.28
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すべてを他人の責任だと思う人には道が開けず、 すべてを自分の責任として受け止め、力強く自己変革していこうとする人には道が開けてくるんだなあー。
2007.09.18
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無償の愛なんて、ホントに ホントに 存在するんだろうか。。。 私にも できるんだろうか。 17歳の時、 これを悩みました。 きっかけは 進路について考えたこと。 私は 外大か 芸大に 行きたかった。 そして 英語か芸術の 仕事につきたかった。 テレビで 福祉の仕事をしている人たちを見た。 着飾ることもなく、人のために 汗を流す 美しい姿に 涙が溢れた。 一生懸命、介護をしても 相手が認知症だから感謝もされない。 海外で 黙々と 人のために働く人。 彼の陰の努力を 全部知る人はいない。 だから したことの全てを評価されることはない。 仕事に限らず、 人間の中で生きる人間の評価は、いつも、思うほど得られないものだ。 だから、 もっと 評価を得ようと頑張る。 もっと 賞賛の言葉が欲しくて頑張る。 誤魔化す。 嘘をつく。 見栄をはる。 賞賛の為に仕事をする。 賞賛の為に 努力をする。 賞賛の為に いい人を 演じる。 17歳の 私は 考えた。 このままの 私では 私は そんな人間になる。 そんな仕事しかできない。 でも このテレビの人たちは どうなんだ? 本当に 世界中の誰にも 評価されなくても 一生 人のために 汗流し 苦難乗り越え やっているのか? テレビに 出たんだから 報われてるよね。 他の人たちは どうなんだ? 福祉やボランティアの 大人たちは 毎日 どんな気持ちで 仕事してるんだ? 今の私なら、誰からも 認められないのに 人のために何かを やり続けることは 耐えられそうにない。 悩んで悩んで悩んで 確かな答えを探した。 けれど 得られなかった。大人たちに幻滅し 友達にも幻滅し 孤独になった。 生きていく意味がわからなくなった。 結局 人は 人から認められる為に生きるのか。 評価が欲しい。 対価が欲しい。 ものが欲しい。 尊敬が欲しい。 愛が欲しい。 人間とは 欲しい欲しいの 存在で それを 求めて苦しみ、 得られなくば 怒ったり泣いたり 攻撃したり 殺したり 自殺したり。 人間とは そうゆうものか。 マザーテレサだって マーティンルーサーキングだって、本当は 無償の愛でなく、 有償の愛だったのか、 世界中から評価を得られたから 落ち着いて 笑顔でいれたのだろうか。 得られなかったら どうだったのか。 私は 芸大か外大に 行き、英語か美術で 身を立てたかったけれど、 どちらも 他人の評価がないと成り立たない職業だたから、 生きていく自信がなくなった。 有償の愛が 醜いことは 知っている。 でも 無償の愛は どこにあるんだ。。。 私の苦悩の始まりでした。 続く
2007.06.27
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これは、横浜にある 婦人科クリニックの 池川 明 先生の 著書。 6~7冊くらい出されています。 医学博士である先生が 前世、という領域について 公に 語ることは、勇気のいることでしょう。 けれど あえて 自分の研究を知らせようと 努力されている、 とても 温かく穏やかな 愛情豊かな方です。 お会いしたら 多くの方が 好きになるんじゃないかな~。 彼は 自院で産まれた子どもたちが 母の胎内にいた時の事を 覚えていることに気づき、実際に調査し データを集め その内容を 公表しておられます。 先生は宗派に属することなく、大人の考えや 先生の考えを含めず、押しつけることもなくて、 ただ ひたすら 子どもたちの語る言葉や 描く絵を そのまま 世に出されています。 子どもたちの命に対する深い愛情を感じます。 多くの子どもたちが お母さんのお腹に いた時の事を 覚えていて 雄弁に語ります。 お腹の中はオレンジ色だった。 お父さんが 近くにいた。 海が見えた。 産まれるのが 楽しみだった。 寂しかった。 公園に行った。 煙突が向こうに見えた。 子どもたちは お腹の中で、脳が出来上がる前の時期の お母さんが 見たものを 記憶しています。 お父さんや お母さんの会話や それぞれの想いまで知っています。 アメリカでは 約100年前から 前世を記憶する子どもたち、の研究がなされています。 現代になり、 研究者も増して、前世心理学という学問として認められるようなりました。 大学の論文で発表しても 「げっ、怪しい!」と 言われないところが 日本とは 違いますね。 日本にも 科学的に前世を研究する学者が増えて来ました。 波動の研究も 進んできました。 やっと そんな時代になりました。 私は この池川先生のご著書を たくさんの方々に薦めました。 子どもたちは、胎内の様子やお腹の外の様子を 記憶しているのみならず、 産まれる前の様子も記憶しているのです。 お空の上から、スットンとお腹に降りてきた。 雲の上で 子どもたちが 生まれる順番を待っていた。 雲の上のお部屋には テレビがあって お母さんが映っていた。 お母さんは 寂しそうだった、僕が慰めてあげたいと思った。 神様と天使がいた。 光る人が 頭をなぜると 全部わすれちゃった。 産まれる前の家族事情や 妊娠中の本人がしるはずのない事情、 また お産の様子や方法について、聞かされていないのに知っている子どももいます。 中絶された子ども、 流産してしまった子どもの魂も語ります。 前世や魂の存在について 書かれた書物は山ほどあります。 怪しいものも 含め。 池川先生が示す事実は ほんの一部。 子どもたちは 誘導されて発言している、なんて懐疑的な人もいるでしょう。 でも もしも ホントだったら? 私たちの 日常に 何の影響があるでしょうか。 子どもたちの語りから 導き出されることは、私たちが 親と環境を 予め選んで 産まれてきた、ということです。 「子どもは何もわからないのだから、誤魔化して育てればよい」 「子どもは動物と同じ」 「よその子どもは、うちより扱いやすくていいなあ、何でこんな子どもが、うちに産まれたのかしら」 「頼んで産んでもらったんじゃない!」 「違う親のもとに 産まれたなら幸せだった。」 家族は みな 偶然に家族になったのでないかもしれません。 自分にとっては 苦手な親や 苦手な子どもを あえて選んで 苦手を克服しようとしたのかもしれません。 厳しい環境を あえて 選んできたのかもしれません。 なぜなら 自分が それを 成し遂げたかったから。 そのように 私は 自分の育った環境を 振り返ると 両親を許せるようになりました。 長い時間がかかりました。 過酷な環境も 自分を鍛えるために 自分で用意したもの。 理由は 自分が 優しく強い人間になりたかったから。 多くの人の気持ちが わかる人間に なりたかったから。 皆さんは どうですか?
2007.06.27
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最近 色々な人たちの ブログを みる。 今まで Internetは しなかったので、 ブログとは 何かも よく理解できていなかった。 対面だと 仲良くなって 信頼関係を 構築して それから やっと 悩みを打ち明けてくれたりする。 けれど、ブログには 対面で出せない部分もストレートに出せるから 初めから、直接 心と心で 接する事が可能なんだなぁ。 色々な生い立ちの人たち 色々な苦しみ 色々な悩み それらと葛藤しながら 毎日 一生懸命生きている人たち。 ブログを読んで、 時には 泣いたり、 感動したり、 尊敬したり 悲しくなったり、 希望をもらったりする。 何か 私に できることは ないだろうか。 対面する友達になら 何かが できる。 何が できるか 考えて、 やってみて、 失敗したらまたトライできる。 けれど、 netの中の人たちには 何かできることは ないかと 心が 叫んでも とても難しそう。 けれど netの中で 励まし合い 生きる勇気を与え合っている方々も おられるのね。 素敵。
2007.06.08
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エーゲの海に心寄せる。 ギリシャ哲学的な 爽やかな透明感。 それは、純粋な透明感。 透明でありながら、 深い色合いを有する。 この深い深い色合いとは、 本当の自由。 本当の知識。 そして、 真の自由と 真の知識に基づいた 真の経験。 本当の自由とは 心の自由を何者によっても阻害されない強さを有する。 周りのマイナスに左右されず、 心の中にある、 真・善・美を 限りなく発揮する自由を意味する。 真の知識とは 真・善・美とは何かを探求するための手がかりとしての知識。 真の知識を得る自由は、何人にも奪われるべきではない。 また、誰の自由も奪ってはいけない。 真の自由と 真の知識が 真の経験を蓄積させる。 真の経験の蓄積が すなわち人生の意味だ。
2007.06.07
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反省とは、 心についたホコリや錆を落とす作業。 心は 毎日、ホコリにさらされるから、 毎日拭いてあげなくちゃ。 人間は 毎日間違えるから、反省は人間にとって大切な営み。 放っておくと、 カビだらけ、錆だらけになってしまい、大変。 間違いを正すこと、 時には、 自分の我が反省を拒む。 そして、我の存在に気づく。 愚かさに気づくこと、これもなかなか認める勇気が出ないこともある。 反省とは、 後悔ではない。 反省とは、 自虐でもない。 反省とは 感情論でなく論理的思考でするもの。 建設的に、 自分の理想と照らし合わせて 失敗から教訓を見い出す作業。 その作業中に 自分の無駄なこだわりや、執着や我が取れていく。 洗い立ての衣類のように、選択した心は気持ちいい。 反省とは愛。 愛なくして 反省の動機は生まれない。 反省は発展。 人間としての限りない向上の道。 反省は 自分の理想の姿を 映し出す。 自分の理想や生きる意味をはっきりさせていく。 自分の理想や、生きる意味がはっきりわかるためには、知識が必要。 知識とは、 先人の知恵。 先人の愛。 先人の苦悩。 これらを知り、 今すべきことを知る事。 知識は愛を育て 知識は反省を深め 知識は発展の種になる。
2007.06.06
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〈私〉という 存在がいる。 世界には 63億の 〈私〉が いる。 〈私〉と〈私〉が ぶつかりあったり、 励まし合ったりする歴史がある。 〈私〉とは 誰だ。 毎日 どこかで 人間が 生まれて 死に行く。 〈私〉がこの世に生まれて死んでいく。 〈私〉が、いま、この世に存在する意味はなんだろうか。 一生を終えてのちに残るのは、 われわれが集めたものではなくて、 われわれが与えたものである。 そう。 〈私〉が 死んだあと、残るものは、 〈私〉が 集めたものではなく、他の人に 与えたもの。 与えるとは 何だろうか。 与えるとは 奪うの反対。 執着の反対。 執着の反対は喜捨(きしゃ)とか 布施(ふせ)と いう。 見返りを求めない愛。 条件つきの愛の反対。与える愛。 無償の愛。 どれも 同じ意味。 結局 人類が尊敬する人物は これを いろんなやり方で いろんな手段で 私たちに 見せてくれた。 素晴らしい人生を行きた人は、誰でも、与えることを知っていた。 人生は 結局、 与えることを 学ぶために 与えられたんだと思う。
2007.06.05
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平凡なる人生。 非凡なる人生。 ここで 非凡なる人生とは 社会で有為な人材、 世の中の役に立てる人生と定義してみる。 平凡と非凡を分けるもの。 それは「発見」。 発見とは何だろう。 発見とは、可能性の発見だと思う。 自分の中のダイアモンドの発見。 周りの人のダイアモンドの発見。 どんな人の中にも、魂の中にダイアモンドがある。 ダイアモンドとは、何だろうか。 美しさ、 優しさ、 強さ、 尊さ、 善、 真、など、 理想の全てが詰まっているもの。 人間は 間違い多き存在だけれど、 間違いを光に変える可能性をも持つ。 ダイアモンドは傷付かない。 どんな苦難も輝きに変える力がある。 自分の可能性を信じることは、 他人の中にも可能性をみつけることができる。 可能性をみつける、 の前提には、思いやりや優しさがある。 毎日毎日、 毎年毎年、 発見をしていきたい。 日々を漫然とすごしてしまうこともあるけれど、よき可能性を発見し続ける人でありたい。 発見を一つひとつ積み重ねていくことが、未来を作る。 発見は愛。 日々の小さな発見の積み重ねが 心を作り 心を育て 他人を育てる。 発見は力なり。
2007.06.05
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〈私〉という 存在がいる。 世界には 63億の 〈私〉が いる。 〈私〉と〈私〉が ぶつかりあったり、 励まし合ったりする歴史がある。 〈私〉とは 誰だ。 毎日 どこかで 人間が 生まれて 死に行く。 〈私〉がこの世に生まれて死んでいく。 〈私〉が、いま、この世に存在する意味はなんだろうか。 一生を終えてのちに残るのは、 われわれが集めたものではなくて、 われわれが与えたものである。 そう。 〈私〉が 死んだあと、残るものは、 〈私〉が 集めたものではなく、他の人に 与えたもの。 与えるとは 何だろうか。 与えるとは 奪うの反対。 執着の反対。 執着の反対は喜捨(きしゃ)とか 布施(ふせ)と いう。 見返りを求めない愛。 条件つきの愛の反対。与える愛。 無償の愛。 どれも 同じ意味。 結局 人類が尊敬する人物は これを いろんなやり方で いろんな手段で 私たちに 見せてくれた。 素晴らしい人生を行きた人は、誰でも、与えることを知っていた。 人生は 結局、 与えることを 学ぶために 与えられたんだと思う。
2007.06.05
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人間は心の中に鏡を持っている。 これを日々磨くという行為を意識すると、心は、光ってくる。 心の中の鏡についた汚れを取る、という行為が「反省」にあたる。 反省とは、磨くということのみならず、この湖面を決して波立たせない心の強さをも作っていく。 心を波立たせないこと。 いつも、月が映るような透明感あふれる湖面にしておくこと。 心の鏡の汚れを、放置していたり、歪んだままにしてしまっていると、その鏡に映る他の人は、汚れて歪んでいる。 その鏡に映る自分自身でさえ、本当の自身ではない。 平かで 美しい湖面のような心に 映る 周りの人や自分自身を 見ることは 人間本来の素晴らしさを発見することでもある。 心の鏡を磨く。 日々 それを意識するだけで、人間は いくらでも 素晴らしくなれるはずだ。 その光を持って 人を照らすこともできるはずだ。
2007.05.25
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完全に他の人を理解するということは、そもそも大変難しいことなのだ。 それを、基本に考えると楽になります。 少なくとも自分も相手を完全には理解していないのであるならば、相手に完全に理解されることを望んではならない。これを考え方の根本におこう。 相手に見えない自分の面があるように、自分にも見えない相手の面があるということは、これは考え方の出発点。 人間というものは、つまりは、わからない者同士で 思い遣ったり 推測したりして いくものだから、自分が相手をわかったつもりでも 再度、客観的に点検する必要がある。 客観的に自分をみるとき、自分の性格やこだわり、考え方の癖は 白紙に戻して、自分と相手を新しい目で見なければならない。 自分を白紙に戻した目を持てるかどうか、これが鍵。 もうひとつの鍵は、例え、相手に理解できない言動があったとしても、相手にはそうせざるを得ない理由があること、また、心の中には 必ず 美しいダイアモンドが埋まっていることを信じる力。 この2つの鍵で 人生は開けるはずだ。
2007.05.23
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心の針は 一本しかない。 人間は 一時に ひとつの事しか考えられないようにできている。 心は方位磁石のようなものだ。針が一本しかない時計をImageする。 真上、すなわち12時の方向が 自分の行くべき方向。 優しさ、美しさ、個性の輝き、素直さ、など、心の中にある美しいものが北にある。 心の針が 常に北を指し ぐらつかない人は 常に強く美しい。 針が北を 指している時には 醜い想いはだせない。 醜い想いを出しているときには 美しい想いをだせない。 心の針は一本しかないのだ。 同じ人に 感謝と 恨みつらみの想いを 同時には持てない。 また ある人に感謝している時には 他の人にも感謝したくなってくる。 ある人を憎いと思う時、憎い人は増えていく。 これは 心の法則だ。 心の針が下むきになって がんとして 動かない時もある。 幸福感はない。 下むきの針が 固定されたまま 数日経つと 自分の中にも 他人の中にも 美しさを発見できなくなってしまう。 心の針が真上を向いて ピタっと止まっている時、生きていることは素晴らしいと思える。 嫌いな人はいなくなる。 素直になれる。 心の針が 数時間ごとに あちこちに 動き回るとき、疲労して 非生産な時間を過ごすことになる。 心の針は一本。 ならば 心がマイナスに向いた時 努めて プラスを考えよう。 心がプラスに向いた時、針が真上からぶれないようにしよう。
2007.05.15
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他者の存在の自分への影響力を考えてみる。 他の人々の言葉、 他の人々の視線、 他の人々の態度、 こうしたものを受けて、自分の存在を肯定したり、また、否定したりしてきた。 自分にとって都合の悪い人、合わない人、自分を苦しめる人も周りにはいる。 けれど、その人たちの存在がなければ、自分はもっと薄っぺらな心のままだっただろう。 自分を認め励ましてくれる人も 周りにはいる。 意識せずとも、それがいかほど心の支えになっていることか。 それを知って、自分も人の支えになろうと思えたのだから。 自分という存在は 周りの多くの他者の存在に育てられ、他者の存在ゆえに 自分も存在有らしめられている、この人間の生業の方法を深く洞察することで、感謝ができたり、人を許したりできるようになる。 様々なタイプの他者の存在があるということが、自分の生きがいに、自分の幸福に、どれほど貢献しているか、どれほど影響を与えているかということを、時々立ち止まって考えなくてはならない。
2007.05.15
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毎日の暗いニュースに世の中おかしい、人間は信じられない、と嘆く気持ちになる。 けれど社会を作っているのは、やはり人間ひとりひとりの心だ。 「思いの中身を、いかに高めていくか」 「思いが汚れてはいないか点検する」 「一人ひとりの思いをよくしていく。美しくしていく。」 ということが、結局、社会をよくしていくことにつながりる。 いま現在の自分の心も、世の中を作っていると思うと 責任を感じる。 こんな社会になってほしいなあ。 とおもうそのままの心で 生きる責任にある。 反省。
2007.05.14
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自分のライフ・スタイル、生活のパターンをCheckしてみる。 自分の生活のパターンのなかに将来の自分への投資にあたる部分が、盛り込まれているだろうか。 将来的に自分にとってプラスになることを盛り込んでいく。 いつ、どういう環境が現われても、どういう人間関係が現われても、自分が有為な人間として、また、優れた人間として、役に立てる人間として、また、人に喜ばれるような人間として生きていけるための、その資産を生活設計のなかで創っていくこと。 日々の忙しい生活の中で、自分だけの時間を作る工夫をすること。 読書の時間。 精神統一の時間。 1日を振り返り 明日の決意をする時間。 知識を高める勉強の時間。 感謝することを数える時間。 人の幸せのために 何かをする時間。 過去の許せない人の幸せを祈る時間。 自分の理想を描く時間。 これらは みな 自分への投資だ。 自分の正しい時間の使い方を確立することで、有限の人生を、もっと自分らしく輝かせることができる。 反省。
2007.05.14
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種は 芽を出す。 種が なければ 芽もでない。 種の存在が あるから 芽の存在の可能性もある。 種は 心の中にある。 やってみようという意欲。 知りたい、という好奇心。 楽しいことを探そうという思い。 これだけは やり遂げたい、という理想。 幸せになってほしい、という願い。 この種は 必ず 芽をだす。 それを信じる、という 気持ちも また 種。
2007.05.08
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消極的反省に 対して 積極的反省とは。 消極的反省が 失敗を悔やむだけに終わっているなら 積極的反省は もっと 深く 理論的に 失敗の原因を分析して 失敗から 教訓を得ること。 そして 次からは 失敗しない、だけに 終らず さらに 素晴らしい成果をだせるには どうするべきかを 教訓として確認すること。 ならば 落ち込む状態ではなく、明日から楽しみなくらいになる。 失敗して こんなにたくさん気付けたことに 感謝が 生まれて 失敗して迷惑かけた人がいる場合は その人にも感謝ができる、気付けたことに 感謝、未来に希望、そのくらいの心境になれたなら 反省も 本物といえる。
2007.04.27
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反省って 簡単に 使ってしまうけれど、仏教の反省は 深い。 反省には 消極的反省と 積極的反省との 2種類があると。 消極的反省とは 何か 間違いをおかしたり、失敗して、しまったな、と、自分の思ったことや したことを 否定すること。否定だけで 終わってしまうから 危ない。 何が 危ないかというと 自己否定だけでは 自分て ダメな人間なんだ、ダメなことを確認して 自虐で 終わってしまう危険性がある、ということ。 子供は 誉めて 育てろというが 大人だって 誉められる機会なければ 成長しにくい。 自虐的に 自分のダメさを いくら みつめても 進歩も未来もない。 けれど たいがいの人は この消極的反省を 反省だと思っている。私も 長い間そうだった。自分のダメさを 確認して 落ち込んで さらに 不安を植え付けていたようだ。。。
2007.04.26
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焦りとは。 時間までに、するべきことが出来ていないと焦る。 自分が 思うように 進歩していないと 焦る。 人が 自分より 進歩すると 焦る。 焦りは 自然な感情であるが、それはマイナスの感情。 焦りとは 何かの結果をみて 自分が 思うように 結果を出せなかった時に 出る感情。 結果が 出なかったのは 自分の計算ミスとか 考え違いとか 努力不足が 原因だから、 努力を 飛び越して 結果を得たい、という気持ちだから。 焦りが 強すぎると いけない。 焦りが でたら、冷静に 結果が出なかった 理由を分析し 静かな反省と共に 焦らずに また 努力を はじめなければ ならない。
2007.04.25
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自由とは いい言葉だ。 今日 1日 何を思っても その自由を 許されている。 近所の苦手な人に 会って にっこり 笑って おはよう!と 言って、また 嫌な人、と思うのも自由。 いやいや 嫌だと思うのは 自分勝手な思いかもしれない、この人の いいところを 見付けれないのは 自分の実力不足か、、と 点検するのも自由。 自由には 責任が伴う。 法律もそうなっている。 投票する自由のかわりに 国民の責任がある。 人に優しくする、しない、その選択の自由の結果 優しくされなくなっても 文句を言わない責任が生じる。 自由とは なんと 大変なことだ。 すべては 自己責任に到る。 自由がなければ 楽だ。 自由とは 恐ろしいものだ。 現在只今 何を思うか 全て 自由。 思ったこと したことの責任は 全て 自分が取らねばならない 仕組みになっている。 自由とは 厳しい。 自由とは 希望。 自由とは 未来への可能性。
2007.04.24
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感謝 ついて 考える。 感謝にも 実力がある。 身の回りのすべてに、感謝が 湧いてくるような日は やはり なんでも うまくいくし 地に足ついた生活、生きている、生かされている 静かな喜びがある。 毎日こうありたい。 今日は 感謝できない。 体調が悪い、体と心は くっていている。 けれど 体のせいにして 心を 放置するのは よくない。 体がしんどいなら 少しは 病気の人の気持ちも 理解が深まるだろう、少しは 優しい人に 近付けるだろう。 だから 体調悪いのも感謝だなあ。 ありがとうございます。 気分がBlueな時には 無理矢理 ありがとう、ありがとう、とつぶやく。
2007.04.21
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今日は幼稚園に指導に行った。 私は英語の先生。 子供は かわいい。無条件で かわいい。 くりくりした目で 新学期から始まる 英語のレッスンに 関心を寄せる。 全身で 私に注目する。英語の先生、優しいかな~、おもしろいんかなあ、英語って どんなん するんやろう、、って。 1回目のレッスンだけど みんな おりこうだったから What's this? It's a cow. なんて 練習して 順に独りで みんなの前で 発表させた。 ドキドキしながら 発表する。大きい声をだせる子供、恥ずかしくて 言えなくなる子供。どちらも 素敵。 なんて綺麗な目をしているんだろう。 本当にかわいい。 綺麗。 素敵な子供たちと 触れ合う時間に 感謝。 仕事に感謝。
2007.04.21
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人間には2種類の人間がいるという。 ひとつは 与える側。 もうひとつは 与えられる側。 与えられて ばかりの人生だったなあ。 と、気付いたのは だいぶん 大人になってから。 自分が 与えていた側だと思ってきたけれど、よく よく考えると それは ほとんどが 見返りを求めていたから 与えたことには なっていない。 生きる意味とは 与える側に 立つことだろう。 簡単ではない。
2007.04.19
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ブログやってみようと思います。 おもいやり、に ついて考える。 おもいやり 愛 関心 優しさ 真心 いろんな言葉があるけれど どれも 使い古された言葉、しかししかし、なにより大事な言葉だ。 優しさって なんだろうな。優しさには 人への関心が前提にある。優しさの前提には 感謝がある。 感謝をしよう、と思う。 今日の天気にも、住む場所にも、周りの人にも、物にも、過去にも。 時々 しんどくなって 引きこもりたくなるけれど、こうゆう時こそ 感謝、ありがとう ありがとう、ありがとう、を いちいち 言ってみる。 涙がでてくる。
2007.04.19
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