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AFP BB NEWS 2015年01月18日(日)19時37分の配信です。サウジで斬首刑に処せられたミャンマー人女性、死の間際まで無実訴え サウジアラビアのイスラム教の聖地メッカにある聖モスクと、それを見下ろす時計台(2014年10月5日撮影、資料写真)。(c)AFP/MOHAMMED AL-SHAIKH【1月18日 AFP】 イスラム教の聖地であるサウジアラビアのメッカ(Mecca)で今週、幼い継娘を暴行し殺害した罪に問われたミャンマー人女性が、路上で斬首刑に処せられた。17日にインターネットに投稿された動画では、女性が刑執行の数秒前にも無実を訴え続けている様子が明らかになっている。 ・・・続きはこちらから私見です。インドネシアの麻薬犯罪者6名(内外国人5名)が判決通りに死刑になると言うNEWSに続き、ミャンマー女性が継娘殺害の容疑で死刑(斬首刑)になりました。刑の執行を漏らさず撮影していた人がインターネットにアップしましたが、サウジ当局にメディアを摂取され本人も逮捕されました。サウジアラビアは、死刑執行国でして、公衆で刑の執行を行う事もあります。記事にも書いてありますが、コーランの教えの中のレイプ、殺人、昔は無かった麻薬密輸、武装強盗などが死刑対象になります。サウジアラビアは、聖地メッカにカアバ神殿がありますのでイスラム教徒の割合は100%です。東部はイランと海を隔てて隣ですのでシーア派の人達もいます。場所によっては半数がシーア派の街や行政区もあります。サウジ国内では6.4%がシーア派に属します。記事の中の「背教」で死刑と言いますと一番多いのが改宗です。イスラム教はスンニ派もシーア派も改宗は基本的に死罪です。シーア派の一部では女性に限り無期懲役と言う寛大な法律の場合もあるそうです。そのほかの刑罰は、鞭打ちや石投げ、手首切落(盗みの刑)等体罰に準じた刑罰がほとんどで懲役刑は少ない様です。過去にも今回の様な外国の女性の斬首刑がありました。2005年5月にスリランカから出稼ぎに来ていたリザナ・ナシカというメイドさん(事件当時17歳)が赤ん坊にミルクを与えた際に気管に詰まらせ、救命措置を取りましたが死亡してしまいます。当局は、事故死ではなく殺人であるとして死刑を宣告しました。スリランカ政府は寛大な処分を求めましたが、それにもかかわらず2013年1月、斬首刑が執行されてしまいました。アラブの国々は宗教の関係か「春」は来るのですが、中々変わりません。ヒゲでした。
2015.01.18
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AFP BB NEWS 06月21日(金)12時09分の配信です。実娘を24年間監禁の地下室、セメント注入工事始まる オーストリア オーストリア・アムシュテッテンにある、ヨーゼフ・フリッツル受刑者が24年間にわたり実の娘を監禁していた住宅(2008年5月3日撮影、資料写真)。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL【6月21日 AFP】オーストリアで、ヨーゼフ・フリッツル(Josef Fritzl)受刑者が24年間にわたり実の娘を監禁し、7人の子どもを産ませていた事件の舞台となった地下室を、コンクリートで満たす工事が20日、始まった。首都ウィーン(Vienna)の西100キロメートルにあるアムシュテッテン(Amstetten)で始まったこの工事は、日刊紙クローネン・ツァイトゥング(Kronen Zeitung)が報じ、フリッツル受刑者の資産を管理する弁護士もこれを認めた。同紙によると、エリザベス・フリッツル(Elisabeth Fritzl)さんとその子どもたちが監禁されていた地下室の天井にはドリルで2つの穴が開けられ、そこからセメントが流し込まれる。 事件が発覚したのは2008年4月、当時19歳だった最年長の子どもが入院し、母親の行方をめぐってメディア上での呼び掛けが行われたことがきっかけだった。この悲惨な事件は当時、世界中の注目を集めた。(c)AFP 私見です。事件は「フリッツル事件」または日本では「オーストリアの実娘監禁事件」と呼ばれました。2008年4月に42歳の女性エリーザベト・フリッツル(1966年4月6日生)がオーストリアのアムシュテッテンの警察に対し、彼女が24年間に渡って自宅の地下室に閉じ込められ、父のヨーゼフ・フリッツル(1935年4月9日生)から肉体的暴力、性的暴力を受け、何度もレイプされたと訴えたことから発覚した事件です。父親からの性的虐待によって、彼女は7人の子供を産み、1度流産しました。19歳の娘ケルスティン、18歳と5歳の息子シュテファンとフェリックスは母と一緒に監禁されていました。ミヒャエルと名付けられたもう1人の息子は、呼吸器疾患のため医療を受けられないまま生後3日で死亡し、ヨーゼフによって敷地内で焼却されます。残りの3人の子供は、階上でヨーゼフとその妻ロゼマリアに育てられています。ヨーゼフは、3人の子供を行方不明の娘が「育てられないのでお願いします」という置き手紙(父親に書くように言われたという)と共にドアの前に置いて行ったと装いました。リザは1993年に9か月で、モニカは1994年に10か月で、アレクサンダーは1997年に15か月で拾ったことにされました。長女のケルスティンが重い病気に罹った時には、ヨーゼフはエリーザベトの懇願を受け入れて病院に連れて行き、これが一連の事件が明るみに出る契機となります。簡単に経緯を説明しますとこに様になり、1994年に4人目の子供が出来た事をきっかけに地下室は35平方メートルから52平方メートルに、拡張されました。またテレビやラジオ、ビデオ等も与えられます。食糧は冷蔵庫で保存でき、ホットプレートで調理することもできる様になります。エリーザベトは子供達に読み書きを教えました。彼らを罰する時には、ヨーゼフは数日間地下室の電気を消すか、食糧の供給を止ていました。この拡張された地下室が今回今クリートで埋められる事になりました。因みに父親のヨーゼフはレイプ、強要、不法監禁、奴隷化、ミヒャエルに対する過失致死の疑いで訴追され終身刑の判決が下リました。ヒゲでした。
2013.06.21
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