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2008年01月10日
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カテゴリ: 天璋院篤姫
NHKの大河ドラマ「篤姫」の第一回目に平幹二朗演じる調所広郷が登場してきますが、平幹二朗の燻し銀のような深みのある演技が素晴らしく、そんなこともあって調所広郷という人物にあらためて関心を持った視聴者も多かったのではないでしょうか。

 この調所広郷については、佐藤雅美『薩摩藩経済官僚』(講談社文庫、1989年6月)、台明寺岩人『斉彬に消された男 調所笑左衛門広郷』(南方新社、2006年12月)、安部龍太郎『薩摩燃ゆ』(2007年10月)という時代小説がありますが、いずれの作品においても、薩摩藩の財政改革のために非情に徹する彼の姿が生々しく描かれています。そしてこれらの作品には共通して島津藩主・斉興の花倉(けくら)の別邸での贋金作りの話が出てきており、彼の財政改革の光と影のなかの影の部分を表わすものとして読者に強い印象を与えています。

 ところが、芳即正『調所広郷』(吉川弘文館、1987年5月)には調所広郷が贋金づくりをおこなったという記述はどこにもなく、さらに同じ著者の『島津斉彬』(吉川弘文館、1993年11月)129頁にはつぎのような記述があります。

「原口虎雄『幕末の薩摩』に、調所が天保四、五年ごろ華倉別邸でにせ金づくりをやったとあるが、華倉別邸はそれから十数年後の弘化三年製製煉所をつくったとき中村別邸をこわしてその代わりにつくったもので、この話は疑問。使用すれば斉彬の鋳銭こそにせ金づくりとなる(『磯邸日記』、名越左源太『続常不止集』)。」

 これは私にとって史実に関する意外な指摘でした。私は先に紹介しました佐藤雅美『薩摩藩経済官僚』、台明寺岩人『斉彬に消された男 調所笑左衛門広郷』、安部龍太郎『薩摩燃ゆ』の小説を読んでいたこともあり、調所広郷が贋金作りに手を染めていたことは明らかな歴史的事実だと思い込んでいました。しかし、幕末の薩摩藩についての優れた歴史研究者である芳即正が調所広郷による「天保四、五年ごろ華倉別邸でにせ金をやった」という話は疑問であると指摘しているのです。幕末の薩摩藩についての優れた歴史研究者のこの指摘は重たいものがあると思いますが、このことについてどなたか詳しいことを教えていただけたら有難いと思います。





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最終更新日  2008年01月14日 05時58分02秒
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