2014.01.02
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カテゴリ: 人相を良くする
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正月を迎えると、毎年たくさんの年賀状をいただきます。ありがたいことです。


年賀状だけのつきあいになってしまった人も多くいます。

普段まったく交流がないのに、年賀状だけはやりとりするってのも変な感じがしますが、

逆に考えれば、普段交流がなくともこうした風習があるからこそ、「つながり」が保てているとも言え、

正月だけでも「あの人はどうしているのだろう?」と思いを馳せることができます。




最近では、年賀状ではなくメールで新年の挨拶をする人も増えているようです。

「メールは味気ない」と言う人もいるようですが、愚生はなぜだかメールのほうが「つながってる感」が高いように感じます。




昨年末からブログを再会していますが、徐々に反応が返ってくるようになり、たいへんうれしく思っています。

現実になかなか会う機会がない人とも、ネットでの情報をやりとりすることで「つながってる感」を持つことができます。




これが行き過ぎて、「つながってる感」を得るために携帯電話が片時も話せないという若者も増えているようです。

現実世界での交流が希薄であるが故に、ネットでの交流を求めているのでしょうか。

そうなってしまうと問題ですが、現実の世界で他者との交流をしっかり認識できてさえいれば、

あえてネットでの「つながってる感」を求める必要はないかもしれません。




ネットでの交流は、現実世界での交流を保管するものだと思います。

そういう位置づけができれば、ネットでの交流にリアリティが生じてきます。

ネットでの情報発信から、より広くより深い交流が生まれてくることがあります。

久しく会えない人とも、ネットで情報交換を続けていくことで、つながりを保ち続けることができます。


愚生の子供たちも、正月に帰省すると同級生たちと集まるんだといって出かけていきますが、

常にメールやLINEなどを利用して連絡が取り合える関係だからできることなのでしょう。


携帯電話がなかった時代は、学校を卒業しそれぞれの道を歩み始めたら、よほど豆に連絡をしない限りは、



今はどこにいても携帯電話が一緒について回ります。番号やアドレスを変えない限り、いつでも連絡できます。

ネットは、情報発信や情報交換が手軽にできるだけに、年に一度だけ年賀状のやりとりをするだけの関係とは、

「つながってる感」が大きく違うように思うのです。



もちろん、現実世界での交流とネットでの交流をうまく使い分けていけば、さらにより広くより深い交流ができることになるでしょう。

今回、ブログを再開したことで、「見てます」とか「○○を始めたんですね」とかいう反応が来るようになりました。とても嬉しいことです。






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Last updated  2014.01.03 07:02:07
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