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本日は島原を散策した後、雲仙に向かいます。それが上記ノート。
1983
年
10
月
17
日 (月) 晴れ
7
:
10
、起床。
8
:
10
、
YH
出発。
YH
を出たのは私が最後だった。
朝は弱いなあ。低血圧でもないのになあ。
と書いているが、
学生の私は怠惰なだけだ。
YHをでて北に向かって歩き出した。
北へ約1.5Kmで大師堂に着く。
8
:
30
、 大師堂
裏手の 天如塔
があった。
ロ
ケット?
時計台? 何なんだ。
大師堂は、天如塔と東南アジアへ売られた、
長崎県島原半島や熊本県天草諸島の貧しい家庭の娘、
『からゆきさん』の名前を留めた日本唯一の遺跡。
当時の私は何も知らず、物珍しいだけだった。
魚の泳ぐ通りでは、あばちゃんたちが洗濯をしていた。
とある。
地図で見てみると、大師堂と島原城の間に鯉の泳ぐ街とある。
少し ストリートビュー
して見ましょう。
北西の方角、約500mのところに島原城。
9
:
30
、 島原城
。入場料
10
円。
200
円
遠くで見ると縦長、近くで見るとずんぐり。
奇麗な城だが、好きになれない。
天守閣を近くで見上げて、
ずんぐりと思ったのだろうか?
見てみてください
。奇麗な城ではないですか。
好きになれないと、当時の私はこう言っている。
奇麗すぎるところに歴史を感じないのだろうか。
丘の上からみると、海に浮かんでいるようだ。
天草四郎と記念撮影した。
丘の上とは?
城の周りに丘はない。城そのものが丘の上にあるので、
城からの景色が…、ということか?天草四郎の像が城の敷地内にある。
ストリートビュー
で探して下さい。 北西側に武家屋敷。
ーー
、 武家屋敷
地元の方言 「~たい」「行かれんたい」(意味は何?)
通りの中央にはいつも 奇麗な水が流れていて
、武家の奥方たちは、
そこで毎日洗濯したようである。
今日も近所の叔母ちゃんが洗っていた。
護国寺
引き返している。島原城の南側400m。
本堂の手前、右手に 山頭火
の 句碑
がある。
「こんなにうまい水があふれている」
十六羅漢像
これは、 本光寺の境内
にある。
本光寺は島原城の西北西約1Kmの地点。
効率を考えると、
島原城⇒武家屋敷⇒本光寺⇒護国寺の順に周ったと考えらえる。
12
:
15
、 江東寺
涅槃像
自撮りで、横になった写真を撮りたくて、人がいなくなるのを待っていた。
30
分ほど待った。
江東寺は本光寺の東側100mほどのところ。
1
:
00
、島原外港で昼食、ピラフ
500
円。
私は島原に非常に大きな期待をしていたが、今一つだった。
私は島原に江戸時代を期待していたのだろうか。
しかし、ここもやはり昭和の街であった。
水の流れはどこから来ているのだろう?
当時の私は無知なのだ。
何も知らずに見知らぬ街を見ると、
やはり得るものは少ない。
これを書いているときの方が楽しい旅をしている。
1
:
40
、島原外港よりバスで雲仙西口に向かう。
2
:
45
、 青雲荘
YH
3050
円
今は同じ名前で国民宿舎になっているのかな?
3
:
10
、西口からバスで 仁田峠
へ。
280
円
ここから歩いて
200
mほどのところに、ロープウエィの乗り場がある。
4
:
00
、 雲仙妙見山
(
1334
m) ロープウエィ
600
円
夕日が見たくて妙見岳に登りましたが、
時間の関係で太陽が沈むまで、おれなかった。
少しもやがかかっていて、有明海の方は見にくかった。
帰りに仁田峠のバス停でバスを待っていると、
例の鹿児島大の兄ちゃんがカブで現れた。
2
人乗りして山を下りようと提案されたが、
ハゲたタイヤを見て、命が惜しいからと断った。
5
:
10
、仁田峠出発
280
円。
往きも帰りも乗客は
3
人だけで、少し気兼ねした。
青雲荘は国民宿舎も兼ねた
YH
である。
風呂もでかかった。
でも宿泊者はユースの
3
人と、他
4
名だけだった。
ユースの方は、
一人は前日の200泊のおじさんで、
昼頃着いてずっとテレビを見ていたそうだ。
この人の旅のポリシーは何なんだろう。
もう一人は、少し足の不自由な京都の人で、
絵を描いているようだ。
どこの景色でも、朝日夕日の時は特にすばらしいとおっしゃっていた。
私も同意見だ。
温泉のお湯質は、硫黄を多く含んでいて、
湯船に湯の花が舞っていた。
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