不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

不可思議の海岸線が長くなる為に・・・

2010/06/07
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カテゴリ: 日本旅行記
◇「郡山金魚資料館」もあるそうですが、5時を過ぎているので訪れませんでした。
その近くは、池がたくさんあり金魚を飼って?いる池らしいです。

歩いていると「新木山古墳」というのが交差点横にありました。
新木町にあり、陵墓参考地にされている新木山古墳(にきやまこふん)です。
丸山古墳とも呼ばれる大型の前方後円墳である。
墳丘は南南西に前方部を向け、全長122.5m・後円部経67m・前方部幅75m、周囲には馬蹄形の掘を巡らしていた。
現在は墳丘の西北部に県道が通り、北西から西側は破壊されて、数基あったといわれる陪塚もすべて消滅している。

案内看板に参考地と書かれているのと破壊されている事を書いているのは珍しいですね。
古墳は盛り上がっているのしか見えませんでした(笑)。
入れないようにはなっていました。

城址方面へ移動していくと、少し道からそれたところに 大納言塚 があります。
豊臣秀長の墓所。
豊臣秀長(1540~1591)は、豊臣秀吉の異母兄弟で、兄・秀吉とともに戦国時代に活躍した武将である。
1585年、和泉・紀伊・大和におよぶ100万石の所領を有し、郡山城主となった。
郡山城の建設に本格的にとりかかると共に、「箱本」制度という独特の町方自治を行い、城下の商工業を育成し、今日の郡山の基礎を築いた。
1591年1月22日、郡山城内で没した秀長(享年51歳)は、ここに葬られた。
その後、墓地は荒廃した。
1777年に、位牌菩提寺春岳院の僧・栄隆や訓祥が郡山町中の協力を得て、外廻りの土塀をつくり、五輪塔を建立した。

町中にあり道は狭いですが、整備されていました。

寺自体がないので、こんな感じで取り残されている感じでした。
豊臣家が滅んだからしかたないですね(笑)。
近畿c秀長
近畿旅行 で訪れた所


大和郡山旅行は、まだ続きます





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Last updated  2010/06/07 08:08:10 PM
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